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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第21話 夢と破滅


司に案内されたのは、パーク直結ホテルの最上階にあるスイートルームだった。


廊下の重厚なカーペットを抜け、静かに扉が開いた瞬間、別世界の空気が流れ込む。

高い天井から吊るされたシャンデリアが、柔らかな光を零して大理石調の床を煌めかせる。

壁には優美な装飾のモールディング、深紅と金を基調としたファブリックが気品を漂わせていた。

中央に据えられたリビングセットは、重厚なソファとガラステーブル。

奥へ進めば、床から天井まで続く大きな窓が広がる。

カーテンの向こうに見えるのは夢のパーク全景。

イルミネーションに輝くストーリーテイルキャッスルや、夜の光に包まれたアトラクション群までもが一望できた。


「…すっご……!」


思わず息を呑むゆり。

窓辺に駆け寄り、口元を両手で覆うように見とれるその姿に、司は静かに微笑んだ。


そして二人は部屋で少し寛いだ後、一緒にバスルームへと足を移す。

広々とした大理石の空間に、泡がきらめくジャグジーが据えられている。

湯面は間接照明に照らされ、まるで星空を映したかのように輝いていた。

二人で肩を寄せ合い浴槽へ身を沈めれば、窓越しにパークの夜景までもが映り込む。


——どこまでも甘い物語が続いていくひと時。


そして、ベッドルームへ。

キングサイズのベッドには真っ白なリネンと厚みのある羽毛布団、天蓋のように垂れ下がるドレープが優雅に揺れている。

その柔らかな布団に身を投げ出すと、重力ごと吸い込まれるような心地よさに包まれ、思わずため息が零れた。


「…………眠りたくない…今日が終わっちゃうから」


ゆりがそう呟くと、隣に腰を下ろした司は微かに笑みを浮かべて答える。


「……今日が終わってしまっても、明日も私とここに居ますよ」


その自然体の言葉は、余計な装飾もなく、それでいて不意に胸を掴まれる。


司の言葉はいつもロマンチックだった。


「ゆりさんが明日の勤務を遅番にしてくれたので、朝食のルームサービスを頼みました。チェックアウトまで、私とここでゆっくり過ごしましょう」


未来の時間まで見据えたようなその言葉に、今この瞬間だけでなく明日の朝さえも特別に思えてしまう。

もうすでに、次の時間が待ち遠しい。


やがて、甘く熱を帯びた視線を交わすと、互いに引き寄せられるように唇を重ねた。


高級感に満ちた空間で、互いの存在以外、何も要らないかのように。


そして唇をそっと離すと、司はゆりの瞳を真っ直ぐに見つめ、熱のこもった声音で囁いた。


「…それでもゆりさんが眠りたくないのであれば、私は朝までずっと起きています。ゆりさんをずっと抱きしめます。」


司の言葉は、決して大げさな愛のセリフではない。

ただ真剣に、嘘ひとつないその視線の熱さが、ゆりの胸を強く打つ。


司の中では、今この瞬間を過ごす自分が全てであり、他の何も存在していない。

その純度の高さに、ゆりは胸がぎゅっと掴まれるように熱くなる。


「1秒でも長く…ゆりさんと過ごすこの時間を大切にしたいので」


司の真摯な眼差しと、次から次へと降り注ぐ夢のような愛の言葉の数々。

その一つひとつが、おとぎの国の夜を彩る魔法のように、ゆりの心に深く染み込んでいった。


ゆりは、この気持ちが何なのか自覚するのが怖いのに、それでも堪らなく、もっと彼の熱を欲してしまう。

どうしてこんなにも、彼の言葉ひとつで心が揺さぶられてしまうのか。


「………っ」


堪らない胸の衝動に突き動かされるように、ゆりは起き上がった。

両手を司の頭の両サイドにつき、真っ直ぐにその瞳を覗き込む。


「…司を抱きしめたいの」


その一言は、欲望でもわがままでもなく、切実な想いの吐露だった。

司はわずかに目を細め、まるでその願いを宝物のように受け止める。


「いいですよ。もちろん」


優しく、甘やかな声。

拒むどころか、むしろその望みを心から待ちわびていたような返事だった。


「めちゃくちゃにしていい?」


潤んだ瞳で見下ろすゆり。


一瞬のためらいすら見せず、司は微笑んだ。


「大歓迎です」


その言葉に、ゆりは抑え込んでいた衝動を一気に解き放つ。

司の唇に重ね、深く、熱く、もうお互いの境界を壊すほどに。


司をめちゃくちゃにしたい。

もっと強く、司を感じたい。







その頃——



(……あれは何だったんだ)


蓮は帰宅すると靴も乱雑に脱ぎ捨て、真っ直ぐに冷蔵庫へ向かった。

無造作に扉を開け、リキュールの瓶を掴む。


(司まであんなもん頭につけて、ありえねぇだろ)


ソファへ荒々しく腰を落とすと、キャップを弾き飛ばすように開け、一口どころか喉に流し込むように半分を一気に煽った。


アルコールが焼けるように喉を通るのも構わず、胸の奥で渦巻く怒りと焦燥を押し流そうとするかのように。


(手繋いで…幸せそうに笑って…まるで恋人同士じゃねーか!)


ワシャワシャ、と両手で頭を掻きむしる。

爪が髪を引っかき、乱れる音だけが部屋に響く。


今日目にしてしまった光景は、あまりに衝撃的で、焼き付いた映像はまぶたの裏に何度も甦る。


(あいつ今日休みだ。司と…今頃一緒だよな…)


「……くっ……!」


煮えたぎるような怒りが内側から膨張する。

暴れ出したくなる衝動に、胸は焼けつくように痛み、呼吸すら乱れる。残りの半分も迷わず一気に飲み干した。

そして、ダンッ!と空瓶をテーブルに叩きつける。爆発しそうな感情をぶつけるように。


視線がふと、机の上のスマホへ落ちる。


伸ばした指は迷わず画面をなぞり、保存された動画を再生した。


そこに映っているのは、ゆりが確かにここにいたという証。

蓮はソファに深く背を預け、呼吸を整えるように画面を見つめ続ける。


その声、その表情、その存在が、荒れ狂っていた心を少しずつ現実に引き戻していった。


まるで溶け出すように、只々愛しさがあふれて止まらない。


会いたい。

今すぐ触れたい。

声が聞きたい。


胸の奥から込み上げてくるのは、燃えるような嫉妬と、どうしようもない渇望。


(…インしてた経緯が何かしらあったんだよな?司に逆らえないだけだよな?)


必死に自分へ言い聞かせる。

そうでなければ、この胸の痛みが耐えられない。

ゆりの口から言い訳を聞かせてくれよ。


「…………電話出るかな……」


動画が終わり、蓮は無意識のうちに指先でスマホを操作していた。

発信画面。

浮かび上がった名前は「早瀬ゆり」。

前なら絶対に出なかっただろう。

司に会うことを隠していた頃は、なおさら。

だが今はもう隠してはいない。

だからこそ、もしかしたら。

着信に気づけば、ほんの一瞬でも隙を見て折り返してくれるかもしれない。

どうしても話したかった。

今日の事について、あの幸せそうな笑顔の真意を。

問い詰めたいのか、ただ聞きたいのか、自分でももうわからない。

胸の奥で煮えたぎる何かに突き動かされるように、蓮は深く息を吸い込み──


「……っ!」


意を決するように、親指を画面に落とした。無機質な発信音が、静まり返った部屋に響き渡った。





──── 。





ブーッブーッ──。


唐突に、司の頭上で低い振動音。

司の手が反射的に伸び、ベッドサイドに置かれたスマホを掴む。

画面に浮かんだ文字。


鳳条 蓮。


「……っ」


一瞬で血の気が引く。


火照っていた身体に、冷たい刃が突きつけられたような感覚が走る。


胸の奥で煮えくり返るような怒りと、言い知れぬ焦燥。


自分の目の前には無防備に意識が逸れているゆり。

その姿と、スマホに浮かぶ名前との落差が、司の中の何かを強烈に掻き乱した。


深い吐息と大きな声が室内に響く。


夢の中に浸るゆりは、スマホの震えになど気づいていなかった。



至福の時間を邪魔する者には制裁を与えてやる。



胸の奥で黒く煮え立つ感情。

愛しいはずの存在をその手に抱えながら、頭の中は怒りに燃えた。

一瞬で司の瞳は狂気に染まり、冷酷な光を帯びる。

画面を無言で通話にスライドさせる。

シーツに仰向けに置いたスマホは、無機質な光を放ちながら、沈黙のまま繋がった。


《……もしもし?》


直後、電話口から息が詰まったような小さな声と、息が乱れる気配が混じった。

聞き馴染みのある、愛しくて堪らない声に司の低い声が、少し乱れた呼吸に重なる。


ブツッ──


蓮は慌てるように咄嗟に電話を切った。

耳に残るのは、確かに聞こえたあの声。


何だ……今のは………………


脳が理解を拒み、思考が一瞬停止する。

呆然と虚空を見つめ、ただ心臓だけがドクドクと耳を裂くように響いていた。


次の瞬間。



「うわあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」



蓮の喉から、獣のような叫びが迸った。

手に握り締めていたスマホが、感情の爆発に任せて投げつけられる。


ガシャーーーーンッッッ!!!


鋭い音と共にテレビの液晶が粉々に砕け散る。

破片が床に飛び散り、室内に不気味な静けさが戻る。

まるで、自分の心そのものが砕けたかのように。


もう無理だ。

もう限界だ。

こんな生活はもう耐えられない。

地位も、名誉も、肩書きも、何もかも要らない。

全てを失っても構わない。

今すぐに全てを無くしても。



ゆりが欲しい。



「ああ……っああああああーっ!」


蓮は泣いた。

子どものように声を上げ、嗚咽を吐き出しながら、床に拳を叩きつけて泣いた。


その涙は悔しさと悲しみと、狂おしいほどの欲望と、どうしようもない渇望の涙だった。


この瞬間、蓮の正気は完全に砕け散った。


残ったのはただひとつ「ゆりを手に入れたい」という執着。

その一心が、彼の行動を狂気へと突き動かしていく。










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