第20話 クリスマスシンフォニー
そして数日後、今日は司とデートの日。
「テイルインしたい」
「テイルインですか?」
※テイルイン=パークへ遊びに行くこと。
ベッドのシーツはまだ熱を含んでいた。
愛し合った後のベッドの上、ゆりが司の腕枕の中でぽつりと呟くと、司の声が返る。
「最近休みの日は司と会ってばっかりだから、全然インしてない。クリスマスシンフォニー終わっちゃう」
クリスマスシンフォニー。
今、ストーリーテイルパークで一番の話題を攫うクリスマスイベント。
ゆりの瞳がそれを想うだけで輝きを帯びているのを司は捉えた。
「非番の日でもパークに行きたいと思うんですか?」
「当たり前だよ!次の休みはインする!だからデートなし」
あっけらかんと言い放つゆりに、司は瞬きをひとつ落とす。
「一人で行くんですか?」
「友達誘おうかな」
「それなら….」
司は枕に肘をつき、視線をゆりに落とした。
「私とインしましょう」
「は?」
一拍おいて、笑い混じりに返すゆり。
司は真剣そのものの声色で続けた。
「次の非番も、ゆりさんと一緒にいたいので」
「司ってテイルインとかするの?」
「しませんよ」
「いいよ無理しなくて」
ゆりは軽い冗談だと思いながら笑みを浮かべていた。
けれど司は、次の瞬間には迷いなく真っ直ぐにゆりを見つめて答える。
「無理じゃないです。ゆりさんとのデートが無しになる方が無理ですから」
くすぐったい台詞を平然と口にする司。
ゆりは思わず枕に顔を埋め、耳まで真っ赤に染めた。
「……しょーがないから、付いて来させてあげるよっ」
照れ隠しに少し唇を尖らせながら、上から目線で言い放つゆり。
司はその不器用な仕草に、胸を射抜かれるような愛しさを覚えた。
「やった!では朝、寮までお迎えに行きますね」
交わした約束は、まるでただの言葉遊びのように軽やかだった。
けれど、心のどこかで確かに浮き足立っている自分がいる。
司とのクリスマスデートだ。
無意識のうちに。
その機嫌の良さを自分で自覚することもなく、ゆりは当日までの日々を過ごした。
そして、約束の日の朝。
寮の前に静かに滑り込んだのは、最上級モデルのロールスロイス。
磨き抜かれた白塗りのボディに朝日が映り込み、荘厳さすら漂わせる。
ゆりが寮のマンションから現れた瞬間、司は思わず目を見張った。
「……なんですか、その格好は」
そこに立っていたのは、アーク映画作品のプリンセスをモチーフにしたワンピースに身を包み、頭にはプリンセスのカチューシャ。
首からは、最新デザインのプリンセス・スナックバケットが揺れている。
「こーゆうのはカタチから入らないとね」
屈託のない笑みを浮かべて胸を張るゆりに、司は思わず苦笑を漏らした。
呆れたように首を振りながらも、自然と頬が緩んでいく。
「……ほんと、あなたは」
助手席のドアを開け、恭しく手を差し出す司。
その仕草は、まるで物語の王子がプリンセスを迎えに来たかのようだった。
「司って、自分で運転するんだね。意外」
ハンドルを握る横顔を盗み見ながら、何気なく口にする。
だが返ってきたのは、思いがけない棘を帯びた声音だった。
「……誰と比較してるんですか?」
「……っ!」
咄嗟に、しまった!と悟り、言葉が喉に詰まる。
言わずとも、司が誰を意識しているかは明白だった。
「私は運転が好きなんです。あいつのリムジンは下品だ。あんなもので公道を走れば、目立って仕方がない」
“あいつ”という言い方には、今日のこの日にこの空間で、名前すら口にしたくない、という司の拒絶がそこには滲んでいた。
ゆりも敢えて何も返さない。
ただ、胸の奥にじんわり伝わってくる司の感情を感じ取っていた。
(ロールスロイスも充分目立ってるけどな…)
心の中で苦笑するゆり。
車は赤信号で停車する。
静まり返った車内に、ほんの一瞬の沈黙。
「それに…」
司はゆっくりと顔を傾ける。
横顔が近づき、吐息が触れ合うほどの距離で囁いた。
「私とゆりさんの空間に、たとえ運転手であっても、邪魔者はいりませんから」
そして、唇が重なった。
柔らかく、しかし確かな熱を帯びた口づけ。
世界から切り離されたように、車内の空気は甘く溶け出す。
「……青です」
信号が青に変わると同時に落ちたゆりの言葉。
司はゆりの唇から静かに離れた。
片手でハンドルを操り、もう一方の肘を肘掛けに預けるその横顔は、隙のない美しい所作そのもので、すでに普段と変わらぬ冷静さを取り戻している。
まるで何事もなかったかのように淡々と車を走らせる姿に、逆にゆりの鼓動は高鳴り続け、胸の奥で熱を孕んだまま鳴り響いていた。
横目で見る司の横顔は、朝の柔らかな光に照らされて、仕事中の厳格な表情とも違い、どこか余裕を漂わせていた。
人目を憚るようなデートが当たり前だったこれまで。
だからこそ、朝の光に包まれて堂々と隣に座るこの時間は、あまりに特別で胸が震える。
司とこんなふうに朝から会うことも、彼の車で並んで出掛けることも、そしてこれから一緒にインすることも、すべてが初めてで、すべてが新鮮だった。
胸の奥からせり上がる鼓動は速く、熱はじんわりと広がり、体の芯まで満たしていく。
その手に、ゆりはそっと指を絡めた。
まるで、先ほどの熱を名残惜しむかのように。
恋人つなぎをした瞬間、司は一瞬だけ横目でゆりを見やる。
すると、絡められたその手をすっと持ち上げ、視線を前に向けたまま、ゆりの手の甲に静かに唇を落とした。
ほんの一瞬ではなく、愛おしさを込めるように、少し長めに。
──ちゅ。
それはあまりにも自然で、あまりにも優しい仕草だった。
司はロマンチストだ。
その仕草は飾られたものではなく、仕事中でもプライベートでも、呼吸のようにごく自然に表れる。
イギリスで培われたレディファーストと、率直な感情表現。
それがゆりの心を、何度も何度も不意打ちで掴んでくる。
静かな車内に流れるのは、街のざわめきとタイヤの音。
けれど、二人きりの世界は甘さで満ちていた。
時おり交わす会話も、どこか照れくさく、どこか心地よい。
互いの温もりを確かめ合うように、絡めた手は離れることなく、まるで互いの存在を刻みつけるかのように。
その手は、パークのゲートが視界に現れるその瞬間まで、しっかりと握り合ったままだった。
そして車はパークの駐車場へと滑り込み、ロールスロイスの扉が静かに開く。
冷たい冬の空気と共に、一歩踏み出したその先——。
入場ゲートの改札を抜けた瞬間、視界いっぱいに広がったのはクリスマスの魔法に包まれた世界だった。
花壇には真っ白な雪を模した綿が敷かれ、ポインセチアやイルミネーションが朝日を浴びてきらめいている。
オルゴール調にアレンジされたス アーク作品のテーマ音楽が、風に乗って流れてくる。
鈴の音を織り交ぜたメロディが、まるで「ここはおとぎの国」と告げるかのように来園者たちを迎えていた。
「わぁ…!やっと来れたぁ!」
ゆりは思わず立ち止まり、子どものように両手でプリンセスのスナックバケットをぎゅっと抱きしめる。
頬は寒さで紅潮し、瞳はまるで星を映したように輝いている。
その横顔を見つめながら、司は口元をほんのわずかに緩めた。
普段なら絶対に見せない表情。
それはゆりの無邪気さにだけ引き出される、特別な微笑みだった。
入園ゲート広場を抜けると、お土産ショップが立ち並ぶコードヤードの入り口。
煌めくクリスマス装飾で彩られた物語の門をくぐった瞬間、冬の朝日を浴びた石畳の広場には、白銀のイルミネーションがきらめき、赤と金のリボンが絡むガーランド。
道の視界の先には瞬くイルミネーションが枝先まで輝く大きなクリスマスツリー。
広場を囲むように連なるお土産ショップから漏れるショーケースの光が、まるで宝石の粒のようにキラキラと周囲を照らす。
子どもたちの弾む笑い声が頭上に舞い上がり、ふわりと揺れる色とりどりのバルーンが視界を鮮やかに染める。
スタッフの「こんにちは!」という声が軽やかに響き渡り、その一言すら魔法の呪文のように心を弾ませる。
「司ちょっと」
ゆりはキラキラした瞳のまま、司の手を取ってコードヤード内のお土産ショップへ引き込んだ。
木目調の棚に並ぶ商品たち、その一角にあるカチューシャコーナーを見つけると、ゆりの顔がぱっと輝く。
「えーと、あったあった」
次の瞬間、司の頭にふわりとカチューシャが乗せられた。
「……なにをしてるんですか」
「こっちの方がいいかなぁ…あーこれも可愛い!司、結構似合うね」
そう言いながら、ゆりは次から次へと別のカチューシャを手に取り、迷いなく司の頭に乗せていく。
いつものクールな雰囲気とは正反対のその姿に、司は思わず眉をひそめた。
「私はいいですよこういうのは」
「だめだめ!おとぎの国っていうのは、自分から浸りに行かないと!その方が感動も楽しさも何倍も違うんだから」
ゆりの熱弁に、司はほんの少し言葉を失う。
彼女の笑顔はまるで子どものように無邪気で、反論する気力すら削がれていく。
「…えー……」
結局、ゆりが選んだキャラクターのカチューシャをレジで購入してきたゆりに、頭につけさせられる羽目になった司。
「はいっ、私からのプレゼントね!よし、次行こー!」
ゆりはカチューシャを司の頭にちょこんと乗せたまま、手を引いて駆け出す。
その勢いに引っ張られて小走りになる姿は、とてもあの重役会議で誰も逆らえない“桐生司”とは思えなかった。
けれど、振り返って見せる少女のようなゆりの笑顔に、自然と足が動いてしまうのだった。
コードヤードを抜けた瞬間、視界いっぱいに広がるストーリーテイルキャッスル。
冬の澄んだ青空を背にして堂々と輝き、その屋根や尖塔には雪化粧のような白い装飾が施されていた。
キャロル調の音楽が風に乗り、甘いチュロスの香りが漂う。
澄んだ冬の空気を胸いっぱいに吸い込むと、心臓まで澄み渡るように高鳴る。
ここから始まるのは、現実を忘れさせる夢のクリスマスの幕開けだった。
アトラクションの列に並ぶ間も、ゆりはスマホを手にして忙しい。
「次はショー!」
「ここの限定メニュー食べたい!」
指先を滑らせながら、キラキラした目であれこれと計画を立てていく。
道すがらキャラクターに遭遇すれば、すかさず写真を撮っては「可愛い!」を連発。
ショップに入れば次々とグッズを手に取って、目を輝かせる。
その度に司はいつの間にか荷物を持たされていたが、不思議と煩わしさはなかった。
彼女の弾む声と笑顔が、心地よく胸に響いていたからだ。
やがて昼前になると、パレードルートには音楽が流れ、クリスマス期間限定のパレードが始まった。
通りを埋め尽くす人波の中、二人は並んで腰を下ろす。
音楽が高まり、鮮やかなフロートがリズムに合わせて通りを進んでいく。
その上から噴き出した泡のスノーマシンがふわふわと舞い散り、雪のように白い粒が光を反射してキラキラと宙を漂い、観客の歓声とともに幻想的な光景をつくり出していた。
キャラクターたちが踊りながら手を振るたび、ゆりは子どものように拍手をし、ポップコーンを口にしては頬をほころばせる。
「わぁ…!」
目を輝かせるゆりの横顔。
幼い子どものように両手を胸にぎゅっと寄せて、フロートに手を振る姿は、普段の彼女の気丈さや大人びた強さからは想像できないほど無垢で、眩しかった。
「司も!手振って!」
「私がですか?」
「そうだよ!ノアに!ほら早く!」
呆れたようにため息をつきながらも、結局は彼女に言われるがまま手を振る。
そしてフロートに乗ったキャラクターがこちらに振り返った瞬間、ゆりが子どものように大きく笑った。
その笑顔に照らされるように、司は不意に胸の奥が熱くなるのを覚えた。
これが、彼女の世界か。
夢に無条件で心を委ね、ただ純粋に楽しむ世界。
自分には一生縁がないと思っていた場所で、隣に座る彼女だけが鮮やかに輝いている。
パレードが終了し、拍手と歓声が一段落すると、通り沿いの人々が一斉に立ち上がった。
熱気とざわめきの渦の中、はぐれまいとするように、ゆりと司はぎゅっと手を繋ぎ合う。
その笑顔は、冬の陽射しを浴びた雪のようにきらめいていた。
──ドックン。
「……え?」
少し離れた場所。
政界のVIPを案内していた、蓮。
その視界に、笑顔で手を繋ぎ歩くゆりと司の光景が飛び込んできた。
眩しく、あまりに親密なその姿が、蓮の心臓を容赦なく締め付けた。
「鳳条代表、素晴らしいパレードでしたね。次はここらでお昼にしましょう」
現実に引き戻すように、隣でVIPが声を掛ける。
蓮は反射的に微笑んで頷いたものの、頭の中は先ほどの光景で真っ白だった。
今すぐにでも追いかけて駆け寄りたい。
問いただしたい。
だが今は、重責ある案内の最中、どうすることも出来ない。
慌てて視線を人混みに戻す。
だが、もう二人の姿はどこにも見えなかった。
空が群青に沈み、パーク全体が無数のイルミネーションで瞬き始める。
クリスマスキャロルを思わせる荘厳なメロディが流れ、人々は自然とキャッスルメインエリアへと吸い寄せられていった。
やがてクライマックス。
時刻は、今年から新たに始まった城前ショーの開演時刻。
あの日、公演初日にお土産ショップの二階から司がゆりに見せた、あの特別な夜。
今宵は、クリスマス限定のアレンジバージョンが幕を開ける。
暗転。
一瞬の静寂の後、城全体に光が駆け抜ける。
赤、緑、金。
クリスマスカラーに染まった映像が舞い、夜空には花火が連なるように打ち上がった。
轟音と共に弾ける無数の光の粒。
その輝きを仰ぐゆりの頬を、ひと筋の光が伝った。
それが花火の反射なのか、それとも溢れ出した涙なのか、司には判別がつかなかった。
ただ、寒空の下で震えるように見えるその横顔から、胸の奥をぎゅっと掴まれるような熱が離れなかった。
観客たちの歓声が響き、音楽が夜の空気を震わせる中、司はふと気づいた。
自分の手を握っているゆりの手が、ずっと離れないことに。
「……寒くないですか」
「ううん、あったかいよ」
ゆりは無邪気にそう答え、司の手をぎゅっと握り返した。
ショーが終わり、余韻に包まれたイルミネーションのパークを、肩を寄せるように歩く二人。
耳に残る音楽、鼻をかすめる甘いキャラメルの香り、どこまでも夢の世界が続いていた。
「あなたに……」
出口ゲートへ向かいながら、司がふいに零すように呟いた。
「本場パークのショーを見せてあげたいです」
司のその言葉に、ゆりは子どものように無邪気な笑顔を見せた。
「……私の夢だよ。1度きりの人生で、死ぬまでに絶対やりたいこと第1位!」
司の胸が一気に熱くなる。
だからこそ、抑えきれずに言葉が飛び出した。
「……一緒に行きませんか?」
「……え?」
「次のアメリカ出張で、前後どちらかに多めに日程を組みます。一緒に行きましょう」
「え!嬉しい…っ!」
一瞬、ぱっと明るく輝くゆりの顔。
けれど、その輝きはわずかに曇り、表情に翳りが差す。
「けど……司に連れて行ってもらうわけにはいかない」
司の歩みが一瞬止まる。
まるで夢の扉を目前で閉じられたようで。
「もう少し貯金ためなきゃ」
「費用は気にしないでください」
「だめだよ!そういうのは自分が頑張った努力で叶える夢だから価値があるの」
その真っ直ぐな瞳に、司は言葉を失った。
一瞬、ゆりと毎日一緒に過ごせる数日間を思い描いたのに。
「……………そうですか…」
しゅんと肩を落としながらも、心の奥では、彼女の強さに改めて打たれる。
「………春になったら….」
「……?」
「入社して三年目で給料も大きく上がるし、社会人になってから二年間ずっと貯めてきた貯金もある。春までにもう少し頑張って貯めれば……行けるかもしれない」
「……!」
司の胸に灯るのは、思いがけず差し出された未来の希望だった。
「その時は、本場のパークを案内してよ。私じゃ右も左もわからないから」
照れ隠しのように笑うゆり。
「……はいっ!もちろん!」
その瞬間、司の瞳は少年のようにキラキラと輝いた。
彼にとって、未来を約束されたその一言は、何よりの宝物だった。
その後の会話は、二人で行くストーリーテイルパークアメリカに夢を馳せるものだった。
「アメリカってサンダークラウドのアトラクションあるよね?行きたいの!」
「初日はプリンセスダイニングでお昼を予約しますか?」
「どこか1日はウォーターパーク行こうね!」
「私はプール入りませんよ」
無邪気に弾む声と、穏やかに返す声。
子どものように夢中で会話を繰り広げながら、次々と計画を重ねていく。
そんな余韻を抱えたままゲートを抜けた時、ゆりは自然と駐車場へ向かおうとした。
だが司は、正面に聳えるパーク直結のホテルへと足を向ける。
「え?そっち?」
怪訝そうに振り返るゆりに、司はごく自然な声音で告げた。
「お部屋をご用意してます。その方がゆりさんの明日のご出勤も楽かと思って」
「…司……」
ページが終わっても物語の国。
こんな素敵なサプライズが待っているなんて。
「大好きっ!」
堪えきれず、ゆりは嬉しさに笑顔を溢れさせて、勢いよく司の首に腕を回してぎゅーっと抱きしめた。
無邪気なその仕草に、司は心の奥底で静かに誓う。
この笑顔の為なら、どんなことでもしてあげたい。




