第18話 プレゼンテーション
本部大会議室──── 。
重厚な扉を抜けると、そこは数十人規模の役員・重役・部長級社員が一堂に会した大規模プレゼンの場だった。
最前列には重役がずらりと並び、背後には各部署のキーマンが着席している。
空気は緊張感に包まれ、プロジェクト発表を前に騒めきすら抑えられていた。
今日のテーマは、メルヘンダイニングのリニューアルオープン「プリンセスダイニング」プロジェクト企画発表会。
蓮は姿勢を正しながら着席し、手元に配られた厚い資料へ目を落とす。
「……あれ、ゆり……」
誰にも届かぬほどの小さな声。
次第表の担当欄には、確かに「早瀬ゆり」の文字があった。
思わず顔を上げて会場を見渡す。
視線の先、遠くの通路で、資料を抱えたゆりが一人ひとりの席を回り、丁寧に配布している姿が目に飛び込んだ。
真剣な表情、少し緊張を帯びた所作。
普段の無邪気さや可愛らしさは影を潜め、今は一人のプロジェクト社員として堂々と振る舞っている。
そして間もなくプレゼン開始時刻。
壇上の脇にはプロジェクトメンバーがずらりと並び、各々が緊張感をまとって待機していた。
「桐生統括、原稿こちらの部分のスクリーン展開って──」
蓮の視線が自然と吸い寄せられる。
そこには、司に資料を確認しながら小さく微笑むゆりの姿。
やり取り自体は完全に業務的だ。
だが、あの柔らかな笑顔がどうしても胸に引っかかる。
苛立ちに似た熱が胸の奥で膨らみ、資料を握る指先に力が籠った。
《それではお時間になりましたので、メルヘンダイニング、リニューアルオープン企画“プリンセスダイニング”企画発表会を始めます》
司会進行の声が会場に響き渡り、静まり返った空気がさらに張り詰める。
次第表に沿い、各項目ごとに担当者が壇上へ上がり、プレゼンが進行していく。
デザインチームからは内装デザインの解説。
運営担当からは今回から新たに導入される有料優先予約“PRIOシステムの”説明。
緻密に練られたスライドと共に、プロジェクトの全貌が少しずつ形を現していった。
《続きまして、新メニュー企画について、フードサービス部の早瀬ゆりスーパーバイザーよりご説明申し上げます》
呼ばれた名がマイクを通して響いた瞬間、蓮の胸が跳ねる。
壇上に歩み出るゆり。
スーツに身を包み、背筋を伸ばして立つ姿は、普段の無邪気さを完全に封じた“SV”の顔だった。
《セレナリアのティアラパフェは、宝石をモチーフにしたゼリーやエディブルフラワーを用い、見た目の華やかさと ──》
澄んだ声が会場に響く。
壇上に立つゆりは、少し緊張をにじませながらも真剣な眼差しで原稿を見つめ、凛とした口調でプレゼンを続けていた。
その姿は、ただ業務をこなしているだけなのに、不思議と輝きを放っていて、蓮の視線は自然と彼女を追ってしまう。
蓮の心の奥でざらついた感情が膨らむ。
何故司が。
冷徹で、傲慢で、横暴で。
部下を使い捨ての駒としか思わず、女を女とも扱わず、徹底して感情を排した鉄の人間。
そんな男が。
よりによって、何故ゆりに興味を抱いたのか。
胸の奥に熱い塊が広がり、資料の文字が霞んで見えるほどだった。
《今回リニューアルオープンするプリンセスダイニングは、プリンセスに憧れて訪れる来園者たちが、おとぎ話を見て、物語を信じて、憧れを叶える場所です。“ここに来て良かった”と心から思えるように。“やっぱりストーリーテイルパークが大好きだ”と、もっと好きになっていただけるように。その願いを込めて、これらの新メニューを企画いたしました。》
真っ直ぐで、一片の濁りもない言葉。
堂々と会場を見渡すその姿に、ざわめいていた空気がふっと整う。
ゆりのプレゼンは、理屈ではなく心を揺さぶっていた。
あぁ、ゆりだからか。
胸の奥が軋んだ。
わかった。
司が惹かれた理由を。
仕事には真面目で、判断は早く、頭の回転も効く。
誰よりもお客様を想い、子どものように純粋にアークを愛する。
二人きりになれば少し冷たく、素直じゃないのに
夜には甘く、無防備で、底なしに可愛い。
しかも信じられないほど床上手。
その多面性。
一度でも触れれば、抗いようもなく沈んでいく。
そうだ。
だからあの司ですら、沼に沈んだんだ。
納得してしまった自分に、蓮は奥歯を噛みしめた。
ゆりを見つめる目は熱を帯び、抑えきれぬ嫉妬と愛しさで胸が痛む。
そんな彼女の数え切れない魅力を、知っているのが自分だけではない。
その事実が、頭を灼き尽くすほど悔しかった。
ゆりのあの可愛さを、司も知っている。
あの笑顔を、あの声を、あの体温を、共有している。
許せない。
許せるはずがない。
俺を見て。
俺だけを見て。
俺だけのものになって。
胸の内で狂おしいほど繰り返しても、現実は無情に突きつけてくる。
──── 。
プレゼンが終わり、会場は大きな拍手に包まれた。
一礼して顔を上げたゆりの視線の先は──
司だった。
壇上を降りると、迷うことなく彼のもとへ駆け寄っていく。
拍手をしながら穏やかに頷く司。
その表情に、まっすぐ屈託なく笑みを返すゆり。
蓮の中で、堰き止めていた何かが音を立てて崩れ落ちた。
壊れる音が、確かに胸の奥で響いた。
その後も次第表通りに、淡々と別の担当者によるプレゼンが続いていく。
会場に響く説明の声は雑音に変わり、蓮の胸の奥に渦巻く思いだけが膨れ上がっていく。
蓮の耳には、内容の一言も入ってこなかった。
《それではここから質疑応答タイムに移ります──》
次々と飛ぶ質問と回答。
重役たちのやり取りが規律正しく交わされ、会場には緊張感こそあれ、波風のない穏やかさが漂っている。
視線の先にいる彼女。
視線を投げても、ゆりは気づかない。
彼女は壇上脇に控え、誠実で凛とした表情を崩さずに発表を終えた仲間たちを見つめている。
俺はここに居るのに。
同じ空間に居るのに。
ゆりは俺を見ない。
俺はこんなにゆりを見てるのに。
胸の奥で膨らんでいく焦燥と切なさが、喉を詰まらせる。
祈るような想いが言葉にならないまま、蓮の心の中で繰り返される。
俺を見てよゆり
お願いだから──
熱に浮かされたように、蓮は堪え切れず、静かに右手を上げた。
「いいですか」
蓮の声音は静かだ。
だが、その静けさは嵐の前触れのように鋭く、ゆりの心を切り裂いていく。
近場にいるスタッフが、蓮へマイクを手渡した。
《新メニューは確かに華やかですが、見た目にコストがかかりすぎていませんか?その価格設定に対して、お客様は“ストーリー”にいくら払うつもりだと想定しています?ブランド力だけに頼ってはいないでしょうか》
《新メニュー企画担当、早瀬SV。お願いします》
進行役が冷静に名前を呼ぶ。
マイクを手に壇上へ進み出たゆりの背筋は真っ直ぐだったが、心臓は激しく跳ねていた。
《…はいっ…お答えします》
声を発した瞬間、ゆりの回答を待たずに蓮の矢が次々と放たれる。
《プリンセスとの触れ合いがテーマとなるレストランとなると、対象顧客は当然女性やお子様ですが、お客様が負担する単価コストにはPRIOのコスト負担も乗っかってくる。たった一度プリンセスと触れ合って、たった1食プリンセスメニューを食事するだけで、トータルどれだけのコストが女性と子どもたちに降りかかるのか、そこまで考えての企画内容ですか?》
「……………」
壇上で、ゆりは言葉を失った。
視線が会場を彷徨う。
だがどこを見ても、鋭い蓮の視線だけが突き刺さる。
《おとぎ話を餌にして、顧客から大金を搾取する行為は……本当にお客様の為を思っての事ですか?》
蓮は気づけば、更に鋭い言葉が口から飛び出していた。
蓮自身、その刃を振り下ろす自分を横から眺めているような感覚だった。
止めたいのに、止められない。
ゆりの心臓がぎゅっと縮む。
その問いは、業務としての指摘を超えて、胸の奥深くに踏み込んでくる。
《……申し訳ありません。価格設定を…見直します》
絞り出すように返す声は震えていた。
だが蓮は止まらない。
こんな事をしたいんじゃないと、胸の奥で必死に自分へ言い聞かせても、嫉妬と苛立ちが血流に混じり、言葉となって勝手に溢れ出していく。
《PRIOの導入で一人あたりの利益上昇を見込むのであれば、メニューにかけられる原価率も見直す必要がありますよね。そこは織り込み済みですか?》
会場に低いざわめきが走る。
蓮の鋭さは理路整然としていて、正論に満ちていた。
だからこそ、逃げ場がない。
《価格を見直せばいいとは雑すぎませんか。それだけでは最終的な利益は伸びません。“物語”と“数字”、どちらも成立する根拠を示していただきたいです。》
矢継ぎ早の言葉に、ゆりの呼吸は浅くなる。
その正当すぎる指摘の数々に、自分の未熟さが浮き彫りにされ、胸を抉られるようだった。
《………企画を一から練り直した方が良いのではないですか?》
最後の一撃が突き刺さった瞬間、会場全体が静かに揺れた。
抑え込まれたようなざわめき。
ただならぬ空気に、役員たちも互いに顔を見合わせる。
壇上のゆりは、震える唇を噛み締めながら、今にも泣き出しそうな顔をして立ち尽くしていた。
そんな中、司がスッと壇上に上がると、ゆりが震える手で握り締めていたマイクをそっと受け取った。
《ご指摘ありがとうございます。確かに見た目の華やかさは一見するとコスト高に映ります。しかし実際には、彼女が細部まで工夫を凝らしており、原材料費は意外なほど抑えられています。食材の色彩や質感を活かし、加工や仕入れ方法を見直すことで、コストと品質の両立を成し得ているのです。》
澱みなく続く言葉。
張り詰めていた会場の空気が一気に変わり、聴衆が司の話へと引き込まれていく。
《さらに補足いたしますと、本場アメリカで既に大人気となっているプリンセスダイニングと比較しても、今回のメニュー原価率は遥かに抑えられています。それでいて、彼女の企画はロンドン本社の成功事例以上に、お客様の心を掴む独自性とクオリティを備えている。私はむしろ、彼女の工夫により大きな成功を確信しています。》
「彼女」
司の口からその言葉が出るたびに、蓮の胸に鋭い棘が突き刺さる。
全身の血が逆流するような怒りを、無理やり押し殺す。
《そして、忘れてはならないのが、“ここはおとぎの国”であるという点です。お客様はただ食事をするために足を運ぶのではない。ここでしか得られない物語を体験するために訪れるのです。物語のために払う対価を惜しまない。むしろ素晴らしい物語のひと時を過ごせたお客様は、価格以上の満足を得て帰っていきます。》
誰の口から夢を語っている?
冷徹で傲慢で、物語なんて一笑に付す男だったはず。
その司が、堂々と“物語”を語っている。
これまでに一度たりとも見た事も、聞いた事もない司の姿、出てくる言葉。
目から鱗が出る程の司の変化の正体。
それは──。
《その“おとぎの国マジック”を誰より理解しているのが、彼女です。彼女がプリンセスに憧れを抱き、心からアーク作品を愛してきたから。だからこそ、ここを訪れるお客様の“憧れたい気持ち”“物語を信じたい気持ち”に寄り添うことができる。その想いを形にした新メニューは、必ずや多くのお客様の心を掴みます。日々現場で来園者と接し、来園者の笑顔のために努力を惜しまない彼女だからこそ、私はこのプリンセスダイニングの大成功を確信しています。》
パチパチパチパチ──。
会場に自然と大きな拍手が湧き上がった。
ゆりを守るように言葉を尽くし、夢を堂々と語る司。
その姿は聴衆の心を完全に掴んでいた。
喝采の渦の中。
蓮の胸の奥ではマグマが暴れ狂っていた。
嫉妬、屈辱、怒り。
自分が止めを刺そうとした彼女を、堂々と救い上げ、夢を語り、観衆の喝采を浴びる司。
《承知しました。それでは企画をそのまま進めて下さい。》
盛大な拍手の中、蓮は煮えたぎるような思いを隠して静かに着席し直した。
プレゼン企画発表会は終了した。
会議室の重い扉が閉じられると、さきほどまでの拍手と熱気は嘘のように消え、場は一気に静けさを取り戻した。
硬い革靴の足音が反響し、参加者たちは資料を抱えてぞろぞろと退出していく。
ロビーへ降り、役員車やタクシーを待つ者たちの姿が次々と消えていくにつれ、ざわめきも薄れていった。
その流れに混じり、司とゆりもプロジェクトメンバーと軽く言葉を交わした。
腕に抱えた資料を整えながらエレベーターに乗り込む。
会議中の緊張が解けたのか、ゆりは小さく息を吐いた。
「ふぅ……」
肩の力が抜けたその仕草に、司は視線を横へ滑らせる。
一瞬だけ彼女の横顔を見つめ、何かを言いかけたものの、結局言葉にはせずに静かに視線を逸らした。
──ポーン。
ロビー階に到着。
開いた扉の向こうから夜の街灯が差し込み、秋の冷たい夜風がすっと流れ込む。
さきほどまで熱気に包まれていた空気とは対照的に、どこか張りつめた静けさが二人を包み込んでいた。
ゆりと司が並んで、ガラス張りのエントランスを抜けた瞬間──。
夜の街灯に照らされ、漆黒の車体が冷たく光を弾いていた。
堂々と横付けされた一台の黒塗りリムジン。
まるで獲物を待ち構えていたかのように、そこに在る。
ドアの傍らに立つ影。
ポケットに片手を突っ込み、もう一方で無造作に車体をコンッと叩く。
光に浮かび上がったその横顔は、見間違えようもなく、蓮だった。
「……っ」
ゆりの足が反射的に止まる。
胸の奥で冷たい緊張が走り抜ける。
蓮の口元は、笑みにも冷笑にも見える曖昧な弧を描いている。
その双眸だけは、暗闇よりも鋭く、まっすぐに二人を射抜いていた。
「お疲れ様です。素晴らしい企画発表会でしたよ、早瀬SV」
皮肉を混ぜた低い声。
静寂を切り裂くその響きに、ゆりの背筋は粟立つ。
司は立ち止まらず、すぐさま半歩前へ。
自然に、だが確固としてゆりを庇う位置に立ち、司は威嚇するように蓮へ言葉を放った。
「鳳条代表。ここは会社の正面口です。話なら場所を改めて──」
「何の話ですか?」
蓮の声が司の言葉を鋭く断ち切った。
「ここでは出来ない話ですか?」
わずか数秒の沈黙。
だがその間に、場の空気はさらに重く張りつめていく。
そして蓮はゆっくりと一歩、前へ。
硬い革靴の音が、夜のエントランス前に重く響いた。
車寄せに吹き込む夜風が、三人の間を冷たく通り抜けた。
さっきまで賑やかだったはずのエントランス前。
役員や社員たちは次々と車へ乗り込み、残されたのは、ゆり、司、蓮の三人だけ。
しんと静まり返る夜の空気。
その静寂を破ったのは、司の低い声だった。
「……蓮。何か言いたそうだな」
さきほどまでのビジネスモードを解いた声音。
その一言が合図のように、蓮の胸に抑えていた感情が一気に噴き出す。
「なに、司のくせにどーしちゃったわけ?今回の抜擢って私情?」
「私情丸出しはお前だ。あんなのはただの揚げ足取りだ」
「新規プロジェクトの人参ぶら下げて、囲ってるつもり?」
「会議で最初に彼女の名前を挙げたのはフード部だ。俺が最終確定したのは、早瀬SVが誰よりも適任だからだ」
「従業員の適正なんて、お前がちゃんと見て人選した事、これまであったかよ」
「嫉妬か。彼女の能力がわからないなんて経営者として未熟にも程がある」
「やめてくださいっっっ!!!!」
張り詰めた夜の空気を震わせる、叫ぶような声。
その瞬間、矢継ぎ早に応酬を繰り広げていた二人の口がピタリと止まった。
「桐生統括は、私のアーク作品やプリンセスへの愛、そしてお客様やパークへの情熱を認めてくださって、プロジェクトチームに選んでくださいました!!」
蓮へ向けて、言葉は鋭くも、感情を押し殺した毅然とした響き。
そして振り返るように司へ。
「鳳条代表のご指摘は、経営者目線でお客様に寄り添うとても的確なものでした!!私の至らなさ故のご指摘であり、とても勉強になりました!!」
二人に向けられるのは、責めでも媚びでもない。
ただ、揺るぎない覚悟とプロ意識の炎。
「以上!!解散っっっ!!!」
その場の空気を一刀両断するように言い放つと、ヒールの音を響かせてツカツカと歩き出す。
ためらいも振り返りもせず、ゆりは迷いなく蓮のリムジンのドアを開け、乗り込んだ。
続いて蓮もゆりの後に乗り込むと、間もなくリムジンのエンジンが低く唸りを上げた。
重厚なドアが閉まった直後、スッと後部座席の窓が下り、窓から顔を出したゆりは、司へ業務的な笑顔を向けた。
「桐生さん、お疲れ様でした。本日は色々と助けていただきありがとうございました。」
リムジンの中から、ゆりが変わらぬ丁寧な声で告げる。
さっきまで張り詰めていた感情の一切を悟らせない、きちんとした“社会人”としての振る舞いだった。
「早瀬さんのお陰で大成功でしたよ。またよろしくお願い致します。」
司もまた、動揺を欠片も見せずに応じる。
ただその瞳の奥で、彼女が隣に誰と座っているのかを痛いほど理解しながら。
「こちらこそです!それでは失礼致します。」
「お気をつけて。」
短く交わされた挨拶。
それは表面上は穏やかで礼儀正しいものの、互いの胸の奥底に沈殿する感情は嵐のように荒れていた。
ブーン──
低いエンジン音を残し、黒塗りのリムジンは夜の街へと走り去った。
「……飯どうする?」
リムジン車内の空気は重い。
窓の外に目を向けたまま、ゆりの顔を見ようともせず、蓮の声は沈んでいた。
そんな蓮の醸し出す雰囲気が、ゆりは少し気になった。
「怒ってる?」
「別に」
我が儘で、自分勝手で、気に入らない事があるとすぐにヘソを曲げるんだから。
ゆりは小さく溜め息をついた。
会話は途切れ、車内に沈黙が落ちる。
ただタイヤの振動だけが、二人の間の重苦しい空気を揺らしていた。
「ルミナリア行きたい」
「は?」
ゆりの唐突な言葉に、蓮は顔を向ける。
ルミナリアは、ストーリーテイルパーク最寄りの駅に直結する複合施設。
ショップやレストラン、映画館が立ち並び、パークを行き交う人々で賑わう場所だ。
「“姫と怪物”の映画、見たいんだよね」
「ああ……え、今?」
上映中のアークグローバルエンターテイメント映画作品。
ゆりが子供の頃から大好きなおとぎ話の題材映画だった。
「映画の時間調べてさ。上映まで時間があるなら先にルミナリアでご飯食べて、すぐ始まるなら終わってから食べようよ」
「わかった」
ゆり本来のマイペースさで、ようやく会話らしい会話が戻る。
ゆりはスマホを取り出して上映時間を調べはじめる。
ピッ
「ルミナリア行ってくれる?」
リムジン内蔵マイクへ蓮が話すと、運転手がハンドルを切り、リムジンはゆるやかに進路を変えて、ルミナリアの駐車場へと向かっていった。
「うーん……上映7時か。まだ1時間以上もあるねぇ」
駐車場に車を停めると、スマホを見ながらゆりが小さく呟く。
「先に飯だな」
「うん、上のレストラン街行こ」
二人はルミナリアの館内へ足を踏み入れた。
施設内はすっかりハロウィン一色に染め上げられている。
石畳風の床に反射するオレンジ色のライト、天井から吊るされたランタンやガーランド。
漂う甘いパンプキンパイの匂いと、鉄板で焼ける肉の香ばしい匂いが入り混じり、耳にはあちこちで弾む笑い声が届いて、賑やかさに包まれていた。
あれこれ迷った末、二人は小洒落な洋食店に入り、さっと夕食を済ませた。
グラスの氷が溶け切る頃には、もう三十分以上が経っていた。
「ちょっとアークストアに行きたいんだよね」
ぱっと立ち上がるゆりに、蓮は仕方なく頷く。
館内吹き抜けに広がる屋外広場は、夜のライトアップに彩られ、壁一面に最新映画「姫と怪物」の巨大ポスターが掲げられていた。
キラキラと反射するイルミネーションに囲まれ、子どもたちがポップコーン片手にはしゃぎ、カップルたちがスマホを掲げて記念撮影をしている。
「可愛いー!素敵ー!」
ゆりは足を止めてはスマホを向け、夢中でシャッターを切る。
その頬には、子どものような無邪気さと、大人の女性らしい輝きが同居していた。
「俺、大人になってからルミナリアまともに来るの初めてかも」
「うっそでしょ!?パーク経営者失格」
「なんでだよ、関係ねぇし」
軽口を叩き合いながら歩くストリート。
ハロウィン装飾に包まれた光景の中を並んで歩く二人の姿は、どう見ても普通のカップルのデートのようで。
蓮はふと気づく。
胸の奥が、どうしようもなく温かく、そして切なく満たされていくのを感じていた。
上映時間が迫ると、二人は館内奥にあるシアターフロントへと向かった。
高いガラス天井からは柔らかな灯りが差し込み、広場には映画を待つ観客たちのざわめきが溢れている。
やがて場内が暗くなり、スクリーンいっぱいに物語が映し出される。
ゆりは開始早々、夢中になったように身を乗り出し、煌めく瞳をスクリーンに注ぎ込んでいた。
蓮はそんな横顔を横目に見ながら、映画の世界に引き込まれていく。
物語のワンシーン。
怪物が、強引な形で自分の城へと置いていた姫。
怪物は姫を釈放し、姫は城を去って行く。
無理やり閉じ込め、手元に置き続けることはできるが、それは彼女の幸せではないと悟ったから。
愛しているからこそ、手放さなければならない。
だが失う苦しみは、己を裂くほどに痛い。
ひとり残された怪物は、空を仰いで悲しげな涙を流した。
それは怒りにも似て、けれどもどうしようもない孤独の表現だった。
蓮は不意に、自分の胸が強く締めつけられるのを感じた。




