第14話 ルーメン
パークは夏休みに入り、まさに佳境を迎えていた。
人の波と熱気にさらされる日々、営業中のスタッフエリアは、従業員たちの息抜きと緊張の交錯する空間だ。
小休憩を終えたゆりは、背中を反らすように大きく伸びをして、疲れの滲んだ大欠伸をこぼした。
連日の混雑が身体に積み重なっている。
ほんの一瞬の気の緩みだったその時。
建物の扉が開き、目の前に現れたのは蓮だった。
バチッと視線が交わる。
「……っお疲れ様ですっ!」
慌てて伸ばしていた腕を下ろし、ゆりはピシッと背筋を伸ばした。
つい先ほどまでの緩んだ空気が一瞬で消え、業務中の顔へと切り替わる。
「でっけぇあくびだな。疲れてんの?」
不意を突かれたゆりは、咄嗟に首を横に振った。
「…っいえ!まさか!」
「オフィス戻るの?」
「いや、パークに戻ります」
「あそ。じゃあ一緒に行こうかな」
「はっ?」
「現場まで送るよ」
軽い調子で告げる蓮の言葉に、ゆりは思わず両手を突き出して蓮の身体を押しのけた。
「いやっ鳳条代表はお忙しいですから!結構ですよっっ!」
「現場どこ行くの」
「メインキャッスルエリアです」
「じゃあ俺、パーク通って歩いて本部帰ろっと」
蓮のあっけらかんとした言い分に、ゆりは内心で頭を抱える。
こうなると絶対言うこと聞かないし
本部行くついでなら…ま、いっか。
小さくため息をついてから、仕方なく答えた。
「……わかりました」
「よっしゃ!行こ!」
蓮は当然のようにゆりの手を取り、関係者出入口へと引いて歩き出した。
その掌の温もりに、ゆりの心臓が一瞬だけ大きく跳ねる。
「職場ですよっ!」
ゆりは慌ててその手を振りほどいた。
真剣に怒ったような表情を見せるゆりが、蓮にはどうしようもなく可愛く映る。
「パークでは私に2メートル以上近づかないで下さいね」
「せめて1メートルにして?会話聞こえねーよ」
2人で談笑しながらパーク内を歩いてるその時だった。
「…………光った…」
「え?」
ゆりが、急にピタリと立ち止まり、険しい表情で遠くの空を見上げた。
「…鳳条さんっ!スマホあります?雨雲レーダー入れてますかっ!」
「えっ!?あぁ…スマホはあるけど、雨雲レーダーとかあったかなぁ…」
面食らいながらも、蓮はポケットからスマホを取り出す。
「貸してくださいっ!!」
勢い込む声に押され、慌ててロックを解除して差し出すと、ゆりはすぐさま画面に目を落とした。
「……………」
画面に釘付けになったゆりの顔は真剣そのもの。
細い指が高速でタップを繰り返し、ぶつぶつと独り言がこぼれる。
「どうして……ついさっきランチの時に見たレーダーは雲ひとつ無い晴れ予報だったのに……」
指先が止まり、瞳が見開かれる。
「えっ!?降水量100ミリ以上!?うわーっ!!レーダー真っ赤だ!!」
ピカッ──!!
大気を裂くように閃光が走った。
今度は蓮の目にもはっきりわかるほど、遠くの空が鋭く光を放つ。
さっきまでの晴れ渡った青空は、一瞬にして濃い灰色の雲に覆われはじめていた。
雷鳴を孕んだ空気が張りつめ、地上のざわめきとは裏腹に、ひやりとした緊張が漂い出す。
「応答願います、全エリア、フードワゴン担当。フードワゴン担当、応答願います」
ゆりは腰の無線を掴み、はっきりとした声で呼びかける。
本来であれば、今日の天気は終日快晴。
パークは夏休みの賑わいで、どのフードワゴンもフルオープンの状態だ。
太陽が真上に昇るにつれて気温はさらに上がり、ドリンクやアイスは飛ぶように売れている。
そのため昼過ぎからは追加で最大台数のワゴンを出すよう、午前中に自分が指示を飛ばした。
《こちら、スターアクアリウムエリア、どうぞ》
《こちら、キッズファンタジーエリア、どうぞ》
次々に入る応答に、ゆりの声は緊張を帯びる。
「東南の方角に雷雲を確認。間もなくゲリラ雷雨が見込まれます。全エリア、大至急フードワゴンの撤退。フードワゴン全撤退、すぐに新規案内カットに入ってください。待ち列状況、連携お願いします!」
《ジジ……こちらウィルダネスチャレンジエリア、アイスワゴン、待ち列20分です》
《……ジジ……こちらメインキャッスルエリア、限定バニーズチュロスワゴン、30分待ち、30分待ちです》
無線から各エリアの報告が飛び交う中、ゆりは蓮のスマホを手に、必死に指を動かしていた。
画面に浮かぶ雨雲レーダーの赤い帯が、刻一刻と現在地へ迫ってくる。
「こちらの雨雲レーダーによると……雷雨降り出し予報まで……」
そこまで言いかけて、ゆりの視線が数字に釘付けになる。
画面右上の時刻と、降り出し予報の時間。
わずかに空いたその差を確認した瞬間、顔色がみるみるうちに蒼白していった。
「……10…分………………」
風が吹き荒れて、ゆりの髪がばさりと舞い上がり、制服の裾が翻る。
空気は一瞬で冷たくなり、湿り気を帯びて肌にまとわりついた。
遠くの空を覆った黒い雲がじわじわと迫ってくる。
晴れ渡っていたパークは一転、ざわつきに包まれ始めた。
子どもを抱えた母親の声、スタッフの呼びかけ、広場で立ち止まる来園者の群れ。
空気が確実にざわめき立っている。
「すぐに、ヘルプに向かいます!!」
ゆりは無線へ向かって声を張り上げ、そのまま足早に歩き出した。
背中を押すのは使命感。
泣きそうになる心を叱咤して、全エリアへ必死で指示を飛ばす。
「応答願います!応答願います!全エリア、レストラン担当!!レストランスタッフへ!お近くのフードワゴンのヘルプ要請を──」
「待てって!!」
がしっ、と腕をつかまれた。
振り返った瞬間、蓮の声が無線への声を遮った。
「落ち着けって!レストランスタッフ全部ワゴンに回したらどうなる!」
「……っ!」
「今だってもう、避難する客が近くのレストランに押し寄せてきてんのに、この後本降りになったら更にごった返しになって、中はパンクする!そっちの対応どうすんだよっ!」
突きつけられた正論に、ゆりは言葉を詰まらせた。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
頭では理解しているのに、目の前で崩れていく秩序を前にして、心がどうしようもなく焦る。
「………っじゃあどうしたらいいの!!!」
ゆりの声は裏返り、涙声になっていた。
肩は小刻みに震え、無線を握る指先まで力なく震えている。
ピカッ──!!
昼空を切り裂くように、鋭い閃光が走った。
瞬間、蓮は閃いたように顔を上げ、動揺するゆりの両肩を掴んで低く力強い声を放つ。
「ほら、泣いてる場合じゃないぞ」
そう言って彼女の手を取る。
力強く、安心をその手に込めるように。
「ピンチの時こそ、新しい道を切り開くぞ!」
そして蓮は振り返りざまに、ゆりが心の底から愛してやまないあのキャラクターの名セリフを力強く口にした。
「雷は物語を壊すためにあるんじゃない。新しいページを照らすためにあるんだ!!」
叫ぶように言い放つと同時に、拳を突き上げて「ゴー!」のポーズを決め、ゆりの手をぐっと引いてパークを進む。
「……っ!」
思わず見開いた瞳に、込み上げていた涙が一気に熱を変える。
胸の奥に、勇気が点火された。
「……ルーメンじゃんっ」
絞り出すように言った声は、もう泣き声ではなかった。
ぐっと奥歯を噛み締めて、涙を堪えたゆりは、蓮と手を繋いだまま力強く歩みを進めた。
ゆりが駆けつけたのは、最も長い待ち時間が報告されていたキャッスルエリアの「限定チュロスワゴン」だった。
「どうして…嘘でしょ……」
目の前の光景に、言葉を失う。
すでに一時終了の案内を出しているはずのワゴンには、行列がさらに伸びていた。
列を切るために必死で声を張り上げているスタッフたちは、詰め寄るお客様対応に追われ、隙を突くように列はどんどん膨らんでいく。
「……私のせいでっ!!」
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
昼休憩の時、自分が指示を出した。
暑さでドリンクやアイスの需要が高まり、フル稼働以上に追加でワゴンを出して、それが仇になった。
どのワゴンも人手が足りなくなり、全体のバランスが崩れてしまった。
「私が…私が無理に台数を増やしたから…!こんなに…っあちこちで…沢山のお客様が……っ」
パニックのように自分を責め続けるゆり。
涙が滲みそうなその瞳に、横から伸びた蓮の手が静かにゆりの肩に触れる。
「お前がパニクッてどうすんだよ」
穏やかで、それでいて力強い声。
両肩に置かれた蓮の手が、熱を分け与えるように優しく押さえた。
「それだって気温が上がってきて、列が伸びてきてて、お前がお客様のためにって想って、動いた行動だろ」
責めるでもなく、ただ落ち着かせるようなトーン。
その声音に、張り詰めていたゆりの心の糸がふっと緩む。
肩の力が抜け、肺の奥に溜めていた空気をようやく吐き出すことができた。
「こういう時は落ち着いて、来園者達をよく見ろ」
蓮の声は、雷鳴が迫る空の下でも不思議とゆりに落ち着きを与える。
「お客をよく観察して、お客が今何を求めてるか。俺たちは来園者達のために何ができるか、それをよく考えれば新しいページは必ず開ける。俺も一緒に考えるから。」
まっすぐなその言葉に、ゆりの胸の奥が震える。
だが次の瞬間、空が裂けるように閃光が走った。
ピカッ!!
目を焼くほどの白い稲妻。
続けざまに、地響きのような雷鳴が腹の底に響く。
ゴロゴロ……ドォン……!
強い風が巻き起こり、制服の裾をはためかせ、ゆりの長い髪を乱暴にかき乱した。
黒い雲はいつの間にか空一面を覆い、夏の青空は跡形もなく掻き消されている。
……もう……無理…………
ゆりの心に、暗い影が差す。
押し寄せる不安と、責任の重さ。
視界が揺らぎ、喉の奥が詰まる。
その時──。
わぁーん……
か細い泣き声が、雷鳴にかき消されそうに響いた。
ゆりの視線が引き寄せられる。
そこには、小さな子供がしゃがみ込み、両手で目をこすりながら泣いていた。
足元には、地面にぶちまけられたポップコーン。
転がるバケットは空っぽで、白い粒が雨に打たれる前に無惨に散らばっていた。
そして脳裏に木霊する蓮のあの時の言葉──
(どんな時でも常にお客がどうしたら喜ぶのか、来園者の為に何がベストか、知ってて当たり前だろーが)
「……光の……しおり……」
私たちスタッフが、来園者へ紡げるひとつの物語。
「……そうだ……これだ!」
吹きつける風に、ゆりの髪が大きく揺れる。
ピッ。
無線のボタンを押すと、ゆりの声が鋭く全域へ飛んだ。
「全エリア、フードワゴンの待ち列へ…光のしおり、光のしおり配布にてご対応をお願いします!」
「……なるほど、光のしおりか」
蓮は目を丸くしながら、ゆりの指示に思わず頷いた。
ゆりは思い出していた。
幼い頃、転んだ弾みにポップコーンをひっくり返して泣きじゃくった自分に、スタッフが微笑みながら差し出してくれた一枚のしおり。
「これがあれば物語の続きが始まるんだよ。」
と言われ、しおりをワゴンに持っていくと、空っぽになったバケットにもう一度、元の量までポップコーンが戻ってきた。
光のしおりは、アトラクションが止まった時や、緊急事態に臨機応変に使える。
一度閉じられてしまった物語に、スタッフがお客様を物語の先へと導いてあげられる唯一の魔法だった。
雨雲はついにパークの真上まで迫り、稲妻が天を裂くように閃いた。
轟音とともに空気が震え、来園者達の不安げなざわめきがあちこちで広がる。
「間もなく雨が降り出します!危険ですので、こちらのしおりをお持ちいただき、後ほど改めてお越しくださいませ!」
ゆりの声が震えながらも真剣に響き渡る。
一人ひとりのお客様の手に、彼女は素早くしおりを差し出していった。蓮も隣で同じようにしおりを書き続け、謝罪と笑顔を繰り返す。
その誠意に触れた来園者たちは、驚いたように、けれど次第に安心したように頷き、整然と列を離れていく。
やがて、ワゴンの前にあれほど長く伸びていた行列は、嘘のようにすっと消えた。
同時に空は暗転し、バケツをひっくり返したような豪雨がパーク全体を襲った。
スタッフ総出での撤退作業。
びしょ濡れになりながらワゴンを押し、資材を抱えて走る。
フードワゴンは次々とシャッターを下ろし、最後の一台がスタッフエリアへと消えた時、稲光と轟音に包まれたパークは一瞬の静寂を取り戻した。
──二時間後。
激しい雨は嘘のように止み、雲間から差し込む陽光が再びパークを照らした。
濡れた地面はスタッフの懸命な排水作業で水が引き、光を反射してキラキラと輝いている。
「よし、開けるぞ!」
再びワゴンのシャッターが上がる。
シナリオを知っていたかのように、来園者たちは次々と戻ってきた。
空を仰ぎながら笑う声。
笑顔でしおりを差し出し、新しいチュロスを受け取る子どもたち。
行列はあっという間に再び伸びて、まるで嵐など無かったかのように、いつもの賑わいが戻っていた。
「しおりお持ちの方はこちらでお受けしまーす!」
ゆりは腕を高く掲げ、朗らかな声で来園者たちを呼び込む。
駆け寄ってきた母娘が、雨で少し濡れた髪を払いながらしおりを差し出した。
「さっきはありがとう、お姉さん」
その一言に、ゆりの表情は一瞬で柔らかくほどける。
「あっ!ありがとうございます!凄い雨でしたね、濡れませんでしたか?」
「もう駄目かと思ったの。でもここまで並んだから、多少濡れてもいいから買ってから雨宿りしようって思ってて」
「えっ!それは危ないところでしたね」
「そう、ほんとに。お姉さんがあの時あのしおりをくれなかったら、もうこの後パークで遊べないほどびしょ濡れになってたと思う」
母親がそう笑うと、子どももつられてにこにこと頷いた。
ゆりは胸を撫でおろすように笑みを返す。
「そんな……良かったです、無事に間に合って」
その言葉と同時に、ワゴンの中から湯気を上げるチュロスが差し出される。
ゆりは丁寧にトレーにのせて、勢いよく声を響かせた。
「お待たせしました!バニーズチュロスです!いってらっしゃい!」
「ほんとにありがとう、お姉さん!いってきます!!」
嬉しそうに駆けていく親子の背を見送りながら、ゆりは自然と笑顔になっていた。
その笑顔は、嵐の後の陽射しのように周囲を明るく照らす太陽のようだった。
その横顔を、蓮は黙って見つめていた。
お客様を安心させ、心から喜ばせる。
自分がどれだけ経営や数字を語っても、この笑顔ひとつには敵わない。
しおり対応が一段落し、嵐の余韻でまだ湿った風が頬を撫でていた。
ゆりはパッと蓮の方を振り向き、迷うことなく小走りで駆け寄る。
「先ほどはありがとうございました。鳳条代表のお陰で助かりました」
その場に立ち止まると、制服の裾を正し、深々と頭を下げた。
額に落ちる髪が揺れ、真剣な眼差しで。
「え?俺?なんもしてないよ」
肩をすくめて笑う蓮に、ゆりは首を横に振った。
「いえ…代表が居なかったら、私きっとパニックのまま、ワゴンもレストランも回せなくなって、きっと最悪の状況になってました」
悔しさと安堵の入り混じった声。
少し胸を痛めるように目を伏せるその横顔を見て、蓮はすかさず優しい声音で言った。
「お前の機転は素晴らしかった。お客を想って、よく閃いた。ゆりはいつだって、どんな時でもスタッフとして100点満点だよ」
「……っ、えへへ……」
蓮の口からうっかり零れたプライベート呼び。
くすぐったい言葉を受け止めたゆりは、堪えきれずに笑みを零した。
照れくさそうに頬を赤らめる姿に、蓮の胸は強く打たれる。
あ、そうだ…
一瞬の沈黙の後、蓮はふと声の調子を変えた。
「今日まで本家だったけど、明日やっとマンションに行けるから、明日一緒に帰ろ。早番?」
胸に秘めていた誘いを、自然に差し出すように。
それは業務の延長のように聞こえつつ、どこか私的な色を帯びていた。
「明日はぁー……非番だ」
空に視線を彷徨わせてから、正面に落としたその瞬間。
ゆりの表情は、スッと曇った。
「非番?じゃあ、こっちの仕事が終わったら寮まで迎えに行くよ」
当たり前のように口にする蓮に、ゆりは即座に否を突きつける。
「いや…」
明日は司との約束がある。
心の奥がざわつき、咄嗟に口をついて出た言い訳は
「生理中なんで」
「……あぁ?なに?」
「女の子の日だから…出来ないってことです」
正面を見据えたまま、抑揚のない声で告げる。
淡々とした態度の裏に、ほんの僅かな焦りを隠しながら。
そのまさかの言葉に、蓮は一瞬、苛立ちを押し殺すように息を吐いた。
正面に向いていた身体を、ぐるりとゆりの方へと向けて頭を傾ける。
「なに?俺ってセフレかなんか?」
「そういう卑猥なこと、パークで言わないで下さい」
冷ややかな視線を向けるゆり。
内心、いやセフレだろ、と毒づきながらも、口に出すことはしなかった。
蓮はしばし睨み返し、それから呟くようにに言った。
「……やんなくていいから、普通に来ればいいじゃん」
「…え?」
思わず瞬きをする。
てっきり「欲望優先の男」だと決めつけていたからこそ、意外な言葉に小さな驚きが走った。
とか言って、どうせ欲情してくるんだろう、と心の中ですぐに否定する。
「……2日目以降重いので私。体調悪いから無理です」
毅然と告げるゆりに、蓮は大げさに肩を落とし、わざとらしく口を尖らせた。
「ちぇっ……わーかったよ」
子供っぽく拗ねるような声音。
その横顔が少し可笑しくて、気づけばゆりの口元に微かな笑みが浮かんでいた。
翌日の役員会合会議
役員会議の開始を告げる時刻が近づくと、各部署の重鎮たちは足早に大会議室へと向かっていた。
廊下には革靴の硬い音が響き、張りつめた空気が流れる。
蓮と司はそれぞれ反対方向から歩いてきて、ちょうど角で鉢合わせる。
「お疲れ様です」
「お疲れさまでーす」
蓮と司。
肩を並べると、自然と歩幅がそろう。
交わされる挨拶は形式的。
だが並んで歩き出すと、二人の間には奇妙な沈黙が生まれた。
ふと、司の視線が蓮の手元へ落ちる。
黒いスーツの袖口から覗いたのは、場違いなほど鮮烈な黄色。
「…急にどうしたんだ?」
訝しむように声を低める。
「キャラクターのスマホケースなんて、今までの蓮には考えられないな…お前には似合わない」
「ん?」
蓮は軽く肩をすくめ、手にしていたスマホをひらりと傾けて見せた。
そこには稲妻を纏う雷雲。
アーク映画作品の人気キャラクター、ルーメンの姿が鮮やかに描かれている。
「なんか似てるって言われて」
「似てる?その雲にか?」
司の眉がわずかに動く。
雲に似てる?そんな突拍子もない例えを口にする人間は限られている。
しかも、アークのキャラクター。
脳裏に、ひとりの女の顔が鮮やかに浮かんだ。
今夜は、ついに念願の彼女と過ごす約束の夜。
その直前によりによって蓮に彼女の声を思い出させられたことが、司の胸をざわつかせる。
「サンダークラウドのルーメン」
蓮は少し得意げに、その名を口にした。
会話自体は軽い。
だが司の心には小さな火種が落とされる。
「……変なこと言うやつがいるんだな」
吐き捨てるように言った瞬間、司の足取りは変わらずとも胸の奥の鼓動は強さを増していた。
視界の端に映る稲妻の黄色いケースが、まるで挑発するかのように鮮やかに輝いて見える。
──バリバリと、胸を焦がす熱。
それは、嫉妬という名の電流だった。




