第12話 サンダークラウド
平日は蓮、非番の日は司。
そんな形で二人の男と関係を持つようになり、ゆりの日常は、まるで二重生活のように静かに、しかし確実に形を変えていった。
昼はスタッフや社員として真摯にお客様と向き合い、仲間と共に汗を流す。
だが夜になれば、同じパークを牛耳る男たちの隣で、別の「役割」を演じる。
その振り幅はあまりに大きく、ゆり自身でさえ時折どちらが本当の自分なのか、わからなくなるほどだった。
退勤を終え、従業員専用の敷地内を進むと本部ビル地下の駐車場に黒光りするリムジンが待っている。
重厚なボディはまるで城の門のように威圧感を放ち、運転手が静かにドアを開ければ、そこから先はもう蓮の世界だ。
当然のように連れて行かれる。
そんな流れが、すっかり日常に組み込まれていた。
この夜は蓮の部屋。
彼が本家の社交や会議がない時にプライベートマンションへ戻る日は、決まってゆりも一緒にそこへ向かうのが暗黙の習わしになっていた。
柔らかな照明に包まれたリビング。
高層階の窓からは都会の夜景が一望でき、外の喧騒は厚いガラスの向こうに遮断され、静かに時が流れていた。
蓮のソファは、二人が横並びで座っても余裕がある大きさ。
蓮は足を大きく開き、肘をソファの背に投げ出して寛ぐように腰を沈めている。
その隣でゆりは、体育座りをするように膝を折り曲げてちょこんと腰を掛けていた。
大きなソファに小さく収まる姿は、蓮の豪快さとの対比を際立たせる。
自然と寄り添うように座る二人の間には、妙に落ち着いた甘い空気が流れていた。
「なんか映画でもつけよっか」
手にしたリモコンのボタンを軽く押すと、大画面のテレビが静かに点灯し、無機質な起動音とともに暗闇を切り裂くように光が広がる。
やがてVODのトップ画面が現れ、色鮮やかな映画のサムネイルが並んだ。
画面をスクロールしながら、蓮が何気なく呟く。
「なにがいっかな」
気まぐれに配信一覧を無造作に画面を送っていたが、ふと手を止めると途中であっさりと興味を失ったように、ぽん、とゆりへリモコンを差し出した。
「ん」
短いひと声と共に、ゆりの手にリモコンが渡され、ゆりは当然のように手を伸ばす。
「アークスタジオがいいな」
リモコンを受け取った瞬間にはもう、迷いなくメニューを切り替えていた。
画面が鮮やかな色彩に変わり、歴代のアーク作品のサムネイルがずらりと並ぶ。
「お前、業務外でもアークって…ほんと好きなんだな」
蓮が呆れ半分の声をかけるが、ゆりはまるで耳に入っていない。
むしろ少年少女のように画面を追いかけて、指先が止まった瞬間、嬉しそうに声を上げた。
「あっ!」
大きな瞳を輝かせ、画面を指差す。
「“セピア王国と忘れられた鍵”が…そういえば上映されてんじゃん!わー、見に行かなきゃー!」
アークグローバルエンターテイメント映画の最新作。
公開初日から話題をさらい、ニュースでも度々取り上げられている作品だ。
ゆりの声はどこか弾んでいて、ソファでの甘い雰囲気を一気に吹き飛ばしてしまうほど。
その横顔を見ながら、蓮は小さく呟いた。
「……一緒に行く?次の休み」
不意の誘いに、ゆりの瞳が画面からわずかに揺れた。
けれど、すぐには返事をしない。
次の休みは、前回休日を司と過ごした際に取り付けた約束の日。
胸の奥に、瞬間的に冷たいものが広がった。
だが、すぐに顔には出さず、咄嗟に別の言葉を紡ぐ。
「実家に…行く予定が」
嘘だと自分でもわかっている。
蓮の真っ直ぐな視線を避けるように、無理やり言葉を続け、話題を逸らした。
「そもそも、蓮は普段からアーク見るの?」
「いやー…子供の頃はよく見てたけど、さすがに最近は見ないよ。イベントとかアトラクションのテーマになる作品をチェックするくらいかな」
「…ふーん…でしょうね」
そう返すと、ゆりは再び視線をテレビ画面へ戻し、リモコンを操作しながら画面を送り続ける。
言葉は淡々としているのに、その声音にはどこか寂しさが滲んでいた。
子どもの頃から支えだった作品を、大人になった今も大切にしている自分。
もう子どものものとして距離を置く蓮。
そんな事は当たり前に普通の事なのかもしれないが、その温度差をゆりは感じ取った。
その横顔に、蓮はふと気づき、少し気を遣うように声を掛けた。
「俺あれ好きだったよ…子供の頃。雷雲の話し」
瞬時にゆりの目が輝き、顔を向ける。
「サンダークラウド!?ルーメン!」
サンダークラウドはアークグローバルエンターテイメント映画の中でも、特に男の子に人気の名作だ。
ふわふわした灰色で、稲光が常に走っている雷雲の塊「ルーメン」が主人公。
雷雲のルーメンが、仲間の雲たちと共に悪役と戦って童話世界を救う、スピードと光のアクションアニメ。
稲妻のように駆け抜けるルーメンのスピードは誰より速く、壊れた物語のページを瞬く間に照らし直すその姿は、特に男の子たちの心を掴んだ。
「私の最推しっっ!!!」
「なに…え、推し?」
蓮はぽかんと目を瞬かせる。
だがゆりはすでに興奮のスイッチが入っていて、声のトーンを一段も二段も跳ね上げていた。
「うんっっ!!ちょーーかっこいいよね!!特に最後の雷撃シーンなんか、ルーメンが最っっっ高にかっこよすぎない!?もう、ほんとに結婚したいもん!」
「結婚って…お前、雲だぞ?人型とか動物のアークキャラならまだわかるけど…いや、お前変わってんな」
呆れ半分、笑い半分の蓮のツッコミ。
だがゆりは気にした様子もなく、体育座りした膝に顔をコトンと乗せ、そのまま頬を横に向けて蓮を上目遣いに見上げる。
「ルーメンって……蓮に似てる」
「は?」
結婚したい、なんて言った直後にそんな爆弾を平気で投げてくるか。
天然なのか、それともわざと言ってるのか。
自分がどれだけ責めた発言してるかという事を自覚してるのかしてないのか。
からかわれているような、けれど本気にも聞こえるようなその言葉に、蓮の頭にはハテナマークが浮かんだが、ゆりはお構いなしに続ける。
「勝ち気で強気で、傲慢な俺様気質」
そう言ってから、ゆりはふとパークで聞いた蓮の言葉を思い出した。
(どんな時でも常にお客がどうしたら喜ぶのか、来園者の為に何がベストか、知ってて当たり前だろーが)
「敵に勝つっていう使命や強くなりたいという本分に対してはすごくひたむきで」
視線をまっすぐ向けられた蓮の胸が、わずかにざわつく。
そしてゆりは、目を優しく細めて、まるで三日月のような微笑みを浮かべた。
「恋に落ちると、好きな子にはすごーく甘い」
その瞬間、胸の奥をドクンと叩かれたように感じた。
ルーメンに想いを馳せているその眼差しは、確かに自分を見ていて。
頬を赤らめながら、まるで瞳の奥に小さなハートマークを浮かべているような、そんな可愛い笑顔だった。
「………そんな話だったっけ?」
そんなゆりの笑顔に揺さぶられて、推しに似てると言われた照れくささを隠すように、わざとそっけなく呟いて視線を逸らす蓮。
テレビ画面に目を向けながら、小さく口を開く。
「久しぶりに見てみようかな…」
「いいねっ!サンダークラウドつけよう!」
嬉々としてリモコンを操作するゆり。
その手つきは慣れていて、迷いなくアークアニメの項目を選び、瞬く間に画面には懐かしいイントロ映像が流れ始めた。
ソファに体育座りでちょこんと座るゆりは、始まった瞬間から夢中だ。
映画の中のルーメンが登場するたびに、
「あーまじでかっこいい…」
「うわ、かっこいっ!」
と、まるで初めて観ているかのように反応を繰り返す。
その表情は完全に子供のようで、頬が紅潮し、瞳はきらきらと輝いていた。
「そんな興奮して、お前これ何回見てんだよ」
呆れ半分、可愛さ半分で蓮がぼやく。
「え?んーわかんないけど10回以上は見てる」
サラッと答えるその声には迷いがない。
何度観ても同じように感動し、同じように心を震わせられるその純粋さは、仕事中に見せる冷静で業務的な顔とはまるで別人だった。
蓮は横でそんな彼女を見て、胸の奥に小さな熱を宿す。
本当に、こいつのアークへの愛は子供みたいに真っすぐだ。
その真っすぐさが、どうしようもなく眩しい。
そして物語が展開していくうちに、二人ともいつしか言葉少なに画面へと集中していた。
気づけば、映画はあっという間にクライマックスを迎え、エンドロールが流れ始め、感動の余韻に浸ったまま、ゆりは小さく両膝を抱えて呟く。
「やっぱり……まじで最高だな〜」
頬を緩ませながら、幸せそうに目を細める。
その表情は、日常のどんな言葉よりも本気で作品を愛していることを物語っていた。
すると、視聴終了後の画面に次のおすすめ作品が表示される。
そこには堂々と『サンダークラウド2』のジャケットが。
「え、これって2あったんだ?」
蓮が驚いたように眉を上げると、ゆりはに食い気味で答える。
「3まであるよ!でも私はやっぱり1しか勝たんかな。3もいいんだけど、やっぱり1が最強」
語る声は早口で、頬は赤らみ、目は輝いている。
推しの話になると完全にスイッチが入ってしまう。
そのまま迷いもなく、ゆりはリモコンを操作し、当然のように『2』を再生した。
「えー!もう寝ようよ!」
蓮は思わず声を上げる。時計を見れば、もう深夜に差しかかっている。
「蓮は先に寝てていいよ!私ひとりで見るから!」
ちょこんとソファに体育座りしたまま、ワクワクした瞳をまっすぐテレビに向けるゆり。
その後ろ姿は、まるで子供の頃から変わらないかのような少女の姿。
「えー…………」
呆れたように声を伸ばしながらも、結局は観念した蓮。
仕方なくソファに深く腰を下ろし、テレビ画面に映る『サンダークラウド2』のオープニングを見つめ直した。
10分後。
「スー……スー……」
静かな寝息が耳に届く。
気づけば隣でゆりが肩に頭を預け、膝を抱えたまま小さく丸まって眠っていた。
「ったくこいつは…………マジでぶっ飛ばそうか」
蓮は肩肘をソファの淵に付いて拳で頭を支え、眉をひそめ、苦笑混じりに独り言を漏らす。
「……早くね?寝落ちすんの」
けれど、文句とは裏腹に、肩にかかる重みがどこか心地よい。
自分の肩で安らかな寝息を立てている姿を見れば、苛立ちも吹き飛んでしまう。
蓮はそっと腕を回し、ゆりの首の後ろを支えた。
自分の胸の方へ更に引き寄せて、より眠りやすいように姿勢を整える。
「…………またこんな……赤ちゃんみてぇな…」
無防備に眠る顔に、思わず微笑む。
そして頭に軽く唇を落とし、短い口づけをひとつ。
数分ほど、愛おしげに寝顔を眺めていた蓮は、やがてテレビの電源を落とすと、そっとお姫様抱っこの形で彼女を抱き上げた。
軽い寝息と共に揺れるゆりの身体を、大切に胸へ抱えながらベッドまで運ぶ。
布団へ横たえ、自分もその隣へ滑り込むと、腕を回して抱き寄せた。
あたたかな体温が重なり、静かな鼓動が二人の間に溶けていく。
やがて蓮も、安らかな眠りに落ちていった。




