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狂気の魔法  作者: 波方 真季


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第11話 お仕置き開始


迎えた休日。

約束の時間に現れたゆりの姿は、前回のような業務用リクルートスーツではなかった。

清楚でありながら大人の女性らしさを強調するエレガントなドレス姿。

それは彼女自身が、今日という日をただの食事会ではなく「臨戦態勢」として臨んでいる証だった。


「私のために、ゆりさんに美しくして来ていただけるなんて光栄です」


開口一番、司は胸をときめかせ、礼儀正しい笑みを浮かべる。

二人は豪奢なホテルのレストランで向かい合い、食器の触れ合う澄んだ音とともに優雅な食事が始まった。


「ゆりさんは、なぜこの会社に就職したんですか?」


料理に手をつけながら、司が問いかける。


「……幼い頃から、アークスタジオ作品が大好きで。アークの映画もキャラクターも、ずっと子供の頃から私の心の支えでした」


その言葉を口にする瞬間、ゆりの表情がふっと柔らかくほころんだ。

幼少期の思い出が甦るのだろう。

そこに虚飾はない。


「そうですか……あなたは本当に純粋ですね」


司はフォークを持つ手をわずかに止め、その笑顔を愛おしむように見つめた。

心に灯がともるのを隠しきれない。


「特に、おとぎ話のプリンセスシリーズが大好きなんです!いつも自分がアーク作品のプリンセスであることを想像して、よく歌やセリフを真似していました」


その声は少し高く、懐かしい思い出を語る少女のように無邪気だった。


「……可愛らしい子供時代ですね」


司は頬にわずかに笑みを浮かべながら応じる。

心の中に浮かんだのは、まだ小さな少女だった頃のゆりの姿。

お気に入りのプリンセスのドレスを身にまとい、鏡の前で一生懸命セリフを真似しながら歌っている、真っ直ぐで無垢な想像の光景に、司の胸の奥はじんわりと温かくなり、自然と口元が緩んだ。


それでも今は、周辺近くのテーブル席には私服セキュリティの存在がある。

互いに差し障りのない、穏やかな会話を続けることで取り繕い、表面上は優雅な時間を装っていた。


食事を終え、そのままホテルの上階へと移動した。

しばらくしてから、それぞれシャワーを済ませ、室内でゆったりとくつろいでいた。

ホテル特有の柔らかな灯りが部屋を包み込み、カーテンの隙間からは夜の街の光がちらちらと差し込む。


「ところで、ゆりさん…」


司が口を開いた。

セキュリティの気配もなく、本当に二人きりになったこの空間で、彼の瞳には、ずっと抱えていた疑問が浮かんでいた。


「……蓮とは、いつからお付き合いを?」


鎌をかけるように放たれたその問い。

穏やかな声色に隠された刃が、ゆりの心臓を一瞬にして締め付ける。


今の言い方、やっぱり確信は無い。

蓮から直接何か聞いたわけじゃない。


すぐに、ゆりはそう感じ取った。

実際、蓮と「付き合っている」という事実は存在しない。


それであれば、なにがきっかけでそう思ったのか。

一体どこまで知っているのか。

この危機的状況を打開するには。


ゆりは頭の中で必死にフル回転させる。

静かな沈黙が、何より雄弁に二人の間の緊張を語っていた。


「先日、私と過ごした夜も……既に蓮と関係がありましたか?」


司の問いは、刃物のように鋭さを増して核心へ迫っていく。

視線は決して逸れない。

まるで答えを逃がすまいと、深淵を覗くようにゆりの瞳を射抜いていた。


これはもう、強行突破するしかない。


そう悟った瞬間、ゆりの身体は反射的に動いた。


ガッ──!


ゆりは一歩踏み込み、逃げ場のない距離で司を見上げた。

その目には迷いも遠慮もなく、圧倒的な支配の力が宿っていた。


「……なに、嫉妬?」


吐き捨てるように囁き、司の顔を覗き込む。

その視線はゆりがすでに自覚している、司がどうしようもなく惹かれてしまう“鋭い視線”。

わざと冷酷に、わざと挑発的に。

胸の奥で、司の心拍が一気に高鳴った。


「……司。」


わざと呼び捨てにしたその声に、司の瞳がわずかに揺らぐ。

ゆりは司の顎に指を添え、ゆっくりと距離を詰める。


「あの日、蓮と2人で私を品定めしたのは誰?」


吐息が触れるほどの距離で囁かれる挑発。

司の胸は高鳴り、頬は紅潮し、荒い呼吸が喉を震わせる。


「……はぁ…はぁ…」


顎を支えるゆりの力強い指先、そして真っ直ぐ突き刺してくるあの視線。

司の理性はじわじわと崩壊していく。

ゆりはそれを見抜き、わざと冷ややかに笑んだ。


「……今更嫉妬しちゃって…自分の身の程をわきまえてないんだね?」


挑発を浴びせながら、甘い声音なのに、内容は容赦ない。

司は堪らず身を震わせた。


「……この前のパーティ……」


ゆりの声は低く、囁きのように艶を帯びていた。

司は逆らえなくなっていた。

ゆりの瞳が、逃げ道をすべて塞いでくる。


「……嫉妬に狂って…暴走したわけ……?」


顎を下げさせ、司の顔を自分の高さまで引き寄せる。司の息は乱れ、潤んだ瞳で必死に応える。


「あぁ……ゆり…さ…ん…はぁ…すみま…せ…はぁっ……」


甘い吐息を漏らしながら、力を抜いていく司。

その無様な姿を見下ろし、ゆりの心にひとつの確信が灯る。

あまりにも安易な危機の打開。


ちょろすぎる。


その瞬間、ゆりは一歩前に立ち、見下ろす位置から彼の顎先にそっと指を添え、目を合わせる。



「……お仕置きが必要ねっ!」



甘い声色に潜む狂気と誘惑。

その言葉は司にとって抗えぬ呪文のように響き、熱を持った吐息が零れ落ちる。


「あぁっゆりさん…っ」


お仕置き ──その響きだけで、司の中で最後に踏みとどまっていた理性が崩れた。




─────── 。




横たわる司を見下ろす視線は妖艶に、獲物を弄ぶ支配者。


「……司ぁ…誰が “その他大勢” だって…?」


パーティ会場の控え室で、司が吐いた言葉を持ち出し、挑発するように繰り返す。

やがて視界を支配するゆりが、司の瞳に焼き付いて離れない。


「あぁ…はぁ…っ」


司は目を大きく見開き、吐息を漏らしながら、抗えず手を伸ばした。

だが、指先が触れるより先に、ゆりがその手首を掴み、ぴたりと制止する。


「…“所詮給仕係”って…だれの事?」


静かに問いかける声は甘美でありながら、刃のように鋭かった。

お預けを食らった司は欲に駆られ、息を荒げて即座に謝罪する。


「…もっ…申し訳ありませんっ…ゆりさん…」


その姿に満足げな笑みを浮かべると、ゆりは司の指に自らの指を絡めた。

両手を恋人繋ぎでしっかりと絡め取り、そのまま身をかがめ、ゆりは司の身へ顔を寄せる。


「…はぁ…っ」


全身が強張るような感覚に襲われる。

まるで全神経を握られているかのように、司は完全にゆりの虜となっていった。


「……私にあんなこと言って……ただで済むと思った……?」


囁きに混じる低い怒り。

その声に、司の脳裏にあの瞬間がフラッシュバックする。



(──いい加減にしろ!!この変態痴漢野郎!!!)



控え室で振り抜かれた手のひらの痛み。

左頬に今なお残る熱の幻影がぶり返し、思い出しただけで胸が詰まる。


「あぁっ…!はぁ…はあっ!」


呼吸は制御不能に乱れ、酸素を求めて荒い息を繰り返す。


司は耐えきれず、断続的に声を漏らし続けた。

その情けない声を耳にしながら、ゆりの脳裏にふと蘇るのは、蓮と自分自身の記憶だった。

その追憶を重ね合わせながら同じ動きになると、自然と自分の感情までもじんわりと熱を帯びていった。


司の脳裏にも、忘れられぬ瞬間がこだまする。

ゆりに叩かれた瞬間の衝撃と屈辱と昂揚が何度も何度も蘇り、頬の奥にじんと熱を残している。

その記憶と、今与えられている緊張が混ぜ合わさり、意識は白く霞んでいく。

胸の奥から湧き上がる焦燥は、もう限界に近かった。



「……ゆりさん…っ!はあっ…はあっ…!」


荒く、途切れ途切れの吐息に混じり、無意識の言葉が口から零れ落ちる。


「……た……叩かれるだけじゃ…足りない…っ」


それは欲望というより、懇願に近かった。

彼自身にも理由のわからない、歪んだ衝動の噴き出しだった。


耳にした瞬間、ゆりは司の身から離れた。

信じがたい台詞に、ゆりはわずかに目を見開き、そして司の顔を見上げる。


こいつ……まじか。


脳裏にフラッシュバックする。

あの日、控え室で自分が司に平手打ちを浴びせた時、司の頬に走った音と感触。

その時の彼の動揺と昂ぶりが、今まさにこの姿を生み出している。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


荒く乱れた呼吸。

虚ろな瞳が、司の感情の崩れた様をそのまま晒していた。

その表情には、もう威厳の欠片もない。



あぁ、堪らない。



あの絶対的な権力の象徴だった男が、こんなにも脆く崩れ落ち、支配されているその様は、言葉にしがたい高揚をもたらしていた。


ゆりは上目遣いにゆっくりと意地悪く口角を吊り上げて、甘くも鋭い光を宿した瞳で司を射抜いた。


「……………」


ゆりは何も言わずに立ち上がると、床に脱ぎ捨てられていた司のズボンに手を伸ばした。

指先が触れるのは高級感ある革の質感。

エルメスのベルトをするりと抜き取る。


「…はぁ…ゆ、ゆりさんっ……」


司の胸は早鐘のように脈打ち、目を見開いてその光景を見つめる。

まさか、彼女がそんなことをするなんて。


「…… そんなこと言って、ただで済むと思ってるの?」


艶やかな声。

ゆりの唇は残酷な笑みを刻み、瞳は狂気を孕む。


それだけで、司の背筋に冷たい震えが走った。

心臓だけが異様な速さで脈打つ。


自分でも理解しきれない歪んだ感情が、静かに目を覚ましつつあった──

その事実だけが、ぞっとするほど鮮明だった。


喉の奥から漏れる司の声は、もはや抑制を失っていた。





─────── 。




荒い呼吸を繰り返す司。

だがその視線の先で、ゆりは黙したまま眉間に皺を寄せていた。


「…………」


冷たい瞳が射抜くように司を見降ろす。

そこには、嫌悪と苛立ちが混ざった感情が宿っていた。


次の瞬間──

バンッ、とベッドに片手をつき、司の顔のすぐ横を抑える。

その勢いのまま、ゆりは司の視界を塞ぐように身を乗り出した。


「……まだ終わりじゃないよな?お前」


低く鋭い声。

上がった眉の奥で、氷のような冷たさを宿した視線が司を突き刺す。


「うぅ…っす…すみません…っ」


震える声。

その顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

すぐ目の前には、冷酷な表情のゆりと、無防備に近い距離まで開いたバスローブの胸元。

司は、髪を掴まれたまま、荒い呼吸に押されるように、思わず手を伸ばしかける。

しかし、その指先が触れる前に──


次の瞬間、バッとゆりの両手が即座に司の手を力強く振り払う。

奪われた感触に、司の顔には絶望の影が落ちた。

ゆりの影が視界を支配する。

その顔がゆっくりと自分の顔に落ちてくる。


司が息を詰めた、その瞬間。


「……キスしたい?」


甘やかすでも、突き放すでもない。

ただ、弄ぶような声音。


「……っはぁ…っお願い…です…っ…」


完全に崩れた心の奥からの助けを求めるような響きだった。

苦しげに顔をしかめ、鼻息を荒くして必死に訴える司。

その姿はかつての威厳も権力も失い、ただ一人の男として欲望をさらけ出すものだった。


「…罰として…」


囁く声は耳の奥をくすぐるように甘く、それでいて冷酷だった。


「お預けだよ…っ!」


“罰”という言葉。

そして“お預け”という宣告。


その二つが耳に落ちた瞬間、司の心臓は締め付けられるように激しく高鳴る。

耐えがたい屈辱と、それを上回る衝撃が胸を焼き、全身を駆け抜けた。


そして、ゆりはするりと身体を回転させた。


「……よしって言うまで……だめだよ?」


耳に落ちる甘すぎる囁き。

全身の神経が一点に集中するような強烈さに、司は思わず身体を強張らせた。


喉の奥から洩れる苦しげで甘い声。


すると、蓮の言葉が突如ゆりの頭の中に木霊した。


その時、記憶が蘇る。

あの夜、蓮の眼差し。


その記憶に導かれるように、ゆりはベッドの上で姿勢を変え、静かに司を見下ろした。


その時、司の中で何かが切れる。

必死に自制しようとする理性とは裏腹に、感情だけが勝手に前へ出る。

停止しかけた思考の中で、伸ばすつもりのなかった無意識が、自然と目の前のゆりへと伸びてしまった。


「……んっ!」


その瞬間、ゆりの身体が咄嗟に跳ねる。

けれど次の瞬間には、バッと勢いよく距離を取った。

そして膝立ちの姿勢で司の横に移動すると、抜き取ったベルトを手に取った。


ヒュッ─


空気を裂く鋭い音が、室内に響いた。

ベルトが振り下ろされた、その気配が司の神経を貫く。


「まだよしって言ってないっ!!」


ゆりの叱責が雷のように落ちる。

司の肩がびくりと跳ね、司はもう辛抱できなかった。

堪えていたものが堰を切ったように崩れ落ちた。

ベッドに倒れ込んでいた上体を勢いよく起こし、そのまま無意識のままゆりへと縋るように身体を前へ傾け、司は床に膝を落とした。


「……お願いです…っどうか…っゆりさん…!」


まだ今日は一度も触れることさえ許されていない。

キスすら与えられていない。


なのに、目の前で見せつけられた距離の近さが脳裏に焼きついて離れない。

その光景を前に、与えられ続ける焦らしとお預け。


これ以上は、地獄だ。

耐えられるはずがない。


司の心は、哀願と渇望で壊れそうになっていた。


「…はぁ…ゆりさんに…尽くし…たいですっ…うぅっ…」


かすれた哀願の声が、熱と涙に震えて掠れる。

ベルトを振り上げていたゆりの腕が、空中でピタリと止まった。

腰に縋りつきながら、必死に顔を押しつけてくる司。

もはや正気の欠片もなく、ただ屈服の色だけを滲ませたその姿は、権力者の顔などどこにもなかった。


ゆりの視界に映るのは、己の足元で跪き、惨めに崩れ落ちる男。

スッと、ゆりの手から力が抜けて、ベルトが静かに下ろされる。


「………もう、スタッフを見下したり…私たちの仕事を馬鹿にするようなこと…言わない…?」


その声音は、厳しさと優しさが入り混じった、試すような響きだった。


「……言いません…約束します…っ」


荒い息を吐きながら、司は必死に言葉を紡ぐ。

縋りついたまま、震える声で繰り返した。


ゆりはその頭に手を置くと、優しく撫で、指先で髪を梳いた。

撫でる仕草は、まるであやすようで、そこにあるのは圧倒的な主従の構図。


「これから私の言うこと、何でも聞ける…?」


甘くも冷徹な声。

囁くようでいて、命令の響きを持った言葉。


「……どんなことでも…ゆりさんの…言いなりになります…はぁ…はぁ…っ」


吐き出すように告げられた言葉。

それは誓いにも等しい。

なのに司の胸は、抑えがたいほどに高鳴っていた。

羞恥のはずの言葉が、屈辱のはずの宣言が、むしろ胸の奥を熱く締めつける。

その矛盾した昂ぶりに震えながら、司はゆりの手を必死に握りしめた。


ゆりはその様子を見ると悪魔のような笑みを浮かべた。


「……私を選ぶために……全部手放せる?」


その言葉は刃のように鋭く、しかし甘美な毒のように司の鼓膜へと突き刺さった。

あまりに強烈すぎる響きに、司は放心したまま頬を赤らめて、恍惚とした表情でゆりを見上げる。


「……すべてを… この先の人生も……ゆりさんに捧げます……」


声は震え、荒い呼吸に掻き消されながらも、その言葉は確かに空気を震わせた。

かつて数多の者を支配してきた男の姿はもうなく、今ここにいるのはただ一人の女にすべてを明け渡した従属者。



見ろ、この男のなんと情けないことか。

その惨めさが、なぜこんなにも甘美なのか。


「……よしっ♡」


その一言は、まるで号令。

だが、司にとっては待ち焦がれた祝福の鐘の音。



司の胸の奥で張り詰めていたものが一気に弾け、とめどなくあふれ出す。


先ほどまで強引に抑え込まれていた反動のように、止まらない衝動。

司は自分でも制御しきれない衝動に突き動かされるまま、ただひたすらに想いをぶつける。


言葉にならない断片的な息と声が漏れ、それは懇願にも似た響きを帯びていく。


それに対してゆり具体的な言葉を返さなかったが、司は自分の頬に押し付けられたゆりの顔が、こくん、と小さく頷くのを確かに感じ取った。


それだけで、司の胸に火がついた。

最後の理性の欠片がふっと手から滑り落ち、もう拾い直す余裕すらない。


揺れる呼吸。

思考が白くかすんでいく中で、司はただ必死に、目の前のゆりへ向けて自分の想いをぶつけ続けた。

言葉ではもう追いつかず、想いだけが溢れてしまうような、そんな瞬間だった。


そしてその夜──

二人の間には、もう以前の関係には戻れない線が、静かに、しかし決定的に引かれた。





─────── 。




薄暗い部屋の中で、二人は同じベッドの中に身を寄せていた。


司はゆりを腕枕に抱え込み、互いの体温を確かめ合うように静かに寄り添っている。

布団越しに伝わる鼓動と、かすかな呼吸音。

さっきまで荒れていた呼吸は、いつしか穏やかに落ち着いていた。



「あ……お薬を……」


司が思い出したように身を起こそうとした瞬間。

司の身体に回していたゆりの腕に力が込められ、すぐに彼の身体を抱き止めた。


「……大丈夫」


「え……?」


司が目を瞬くと、ゆりは上目遣いに見上げ、柔らかな微笑みを浮かべた。

その仕草は、ほんの少し前まで狂気すら纏っていた姿からは到底想像できない、年相応に可愛らしい少女のような表情だった。


「病院行ってる。だって司、気にしないんだもん。」


「───!」


胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

彼女の中で、自分は前回の一夜限りの関係じゃなかった。

継続的な関係の為、万全の準備をしてくれていた。

その喜びと同時に胸を締め付けたのは、自分の無責任さが、彼女に負担を背負わせているという事実。

苛まれるように、司は咄嗟に言葉を返した。


「すみません私のせいで…病院代も、お薬代も、もちろん手間代も多めに。全部、払わせてください。通院も必ず送迎しますから」


「手間代って…パパ活になっちゃうよ」


「なんですかパパ活って」


「援助交際ってこと!もー司はおじさんなんだから」


「そんなつもりはありません!」


「だからいいよ、そこまでしなくて」


「……させてください。ゆりさんが、私のためにしてくれていることなんです。私の気が済みません。これはパパ活じゃありません」


覚えたての言葉を無理して使う司に、ゆりは一瞬きょとんとし、そして思わず口元を緩めた。

真剣で必死なのに、どこか不器用でかわいらしい。


「……そこまで言うなら…もうっ、わかったよ」


照れたように頬を少し膨らませ、子供のように呟く。

やがてふいに上体を起こすと、白い腕が司の後頭部に回され、そのまま唇が重ねられた。


先ほどまでの冷酷で妖艶な支配者の顔とはまるで違う。

甘えてくるような、可愛らしく柔らかな表情。

その落差に、司の心は一瞬で掻き乱され、抗いようのない愛しさと幸福感に呑み込まれていった。






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