2. 聖女の真実
翌朝、レオは先輩の護衛騎士に連れられて、聖女の元に向かった。三交替で、聖女を守るという。
色とりどりのバラのアーチをくぐり抜け、整然とした植栽の小道をたどり、次第に手入れの行き届かない雑草だらけの道になった。なぜこんな道を通るのかとレオは訝しんだ。人嫌いで離宮でも用意してもらったのか。
不思議に思いながらもついて行くと、荒れ果てた空き地の真ん中に、3階くらいの高さの塔が立っていた。一番上らしき階に小さな窓がある。
「ここが、聖女様のお住まいだ」
促されて、レオはらせん階段を上った。薄暗くかび臭い。
最上階の部屋にいた聖女は、想像とまるで違っていた。
寒々しいベッドの上で、聖女は白いローブにくるまって震えていた。ローブの袖からやせ細った腕が見えた。子どもの腕かと見紛うほどだ。
「・・・聖女様?」
レオは、理解が追いつかなかった。聖女は豪華な部屋で、贅沢に暮らしているのではなかったのか。
「だから俺たち護衛騎士は、守秘義務の契約を結ばされるんだ」
そういうことか。
先輩騎士から聞いた話は、酷いものだった。
聖女に自由はない。召喚されると同時に隷属の首輪を嵌められる。白いローブを着せられ、王宮前の広場でお披露目された後、この塔に連れてこられ幽閉される。死ぬまで。
命じられるままに治癒を施し、魔力を提供する。重篤な患者は魔術師ラウルがここに転移で連れてきて、治療後また転移で帰っていく。さらに魔力玉を与えられ、それに魔力を充填するノルマもある。不十分だと強制的に搾り取られる。
その魔力玉に込められた聖女の魔力は、魔法庁の医薬部門で液化された後、滋養強壮のポーションに注入され、王族や高位貴族に渡される。聖女の魔力は治癒という性質上、誰が摂取しても拒絶反応がなく、身体のあらゆる器官の損傷を治し、老いによる皮膚のたるみや皺やシミさえ改善する。特に中高年には夢のようなポーションだ。これを一部のものが独占しているというのだ。
「だけど、そんなふうに魔力を搾取されていたら、すぐに死んでしまうのでは?」
「そうしたらまた召喚するだけさ。国は聖女を、使い捨ての家畜だと思っている」
レオの問いに、先輩騎士は吐き捨てるように言った。
「酷すぎる」
「だが、俺たちには何もできない。命に関わる契約を結ばされているから。魔術師ラウルを倒しても、契約は解除されない。俺はもう、二人の聖女様を見送ってきた。この仕事を辞めたいのに、辞めさせてもらえない。この間、仲間が一人、王都から逃げようとしてつかまった。魔術師ラウルに、契約によって居場所を把握されているんだ」
先輩騎士はとうに絶望していた。
「俺が倒す。ラウルも、王も、うまい汁を吸ってる貴族も、許さない」
「やめとけ、義憤にかられたところで、どうしようもねえよ。死ぬのが早まるだけだ。俺たち護衛騎士同士で話をするのは自由だが、第三者には話せない。話した途端、死ぬ。聖女の恩恵にあずかってるのが誰かもわからねえし、無駄な悪あがきは止せ。まだ若いんだから」
「俺がここに来たのは、聖女を殺すためだった。妹を見捨てた聖女を、妹と同じように魔力を垂れ流させて死なせるつもりだった。だけど、殺すべき相手が間違ってた。俺は一人でも戦う。協力してくれとは言わない。俺のやることを見逃してくれ。このまま聖女が死んでいくのを、延々と見届けるなんて嫌だ」
レオが決死の覚悟で頼むと、先輩護衛騎士は大きくため息をついて、協力はしないが見ないふりをしてくれると言った。
レオは、これまで誰よりも貪欲に身に付けた知識と、自分の魔力の全部を使ってでも、このクソのようなシステムを壊滅させてやると固く誓った。
神官様の言葉が思い出される。
『理不尽な魔法契約を求められても、レオの力の方が強ければ、それをあとから無効にできることを覚えておきなさい』
聖女に関するすべてが理不尽だ。思い知らせてやる。搾取していた奴ら、楽に死なせてやらないからな。
レオは養成学校時代、通常の教育課程から外れて、時間外に特殊訓練を受けた。将来的に国の諜報部門で働かせるためだ。しかし、卒業時にはまだ13歳で、これでは他国に潜入させても、中央政府まで入り込めない。しかるべき年齢まで要人警護にでも当らせておこうということになった。
その時学んだ知識がとんでもなかった。鍵開け、盗聴、なりすましなどは初歩の初歩、暗殺などお手の物であったし、契約書の書き換えや偽造、拘束された時の脱出方法、人間に使用することを禁止された隷属の首輪の解除の仕方など、これでもかと詰め込まれた。
このことを知る者はごくわずかだ。諜報部員同士でも、お互いを知らないことがある。国王や宰相にさえ、諜報部員の個人名は伏せてある。まして魔法庁のラウルには知らされる由もない。ラウルはレオの実力を見誤っているのだ。知っていれば、あのような覆される恐れのある魔法契約など結ばなかったはずだ。
レオはやるべきことを、その優先順位とともに考えた。急がないとこの聖女が魔力欠乏で死んでしまうかもしれない。できるだけ早く決着をつけたい。
先輩騎士から、護衛の仕事について教わった。
日に三回、階下に運ばれてくる食事を取りに行くこと。聖女に魔力玉を充填させること。室内を清潔に保つこと。これは治療のために高貴な人を連れてくる場合もあるからで、決して聖女に快適さをもたらすためではない。
さらに、外部からの侵入者を防ぐことと、聖女の脱走を防ぐことだ。隷属の首輪まで嵌めておいて念入りなことだ。
護衛騎士は、食事など聖女の世話をした後は、隣の狭い部屋に控えている。一時間おきに声をかけて、存在と安否を確認する。レオは魔力を使って細かく気配を察することができるので、できるだけ聖女を煩わせないようにしようと思った。
ラウルが病人を連れてくることはめったになかった。聖女の魔力を多めに入れた上級ポーションで事足りるからだ。魔力玉の方は、五日に一度取りに来る。明日がその日に当たるという。急がねばならない。
レオの担当時間は、朝の8時から16時までの8時間。一人8時間、三人で24時間体制だ。シフトは時々変わるが、基本休日はないという。とんだ劣悪な労働環境だ。しかし、仕事は少ないので時間を持て余す。一人で考える時間があり過ぎて耐えられなくなるという。ときどき人員を補充するも、秘密が守れずに消えていく。聖女同様、護衛騎士にも人権などないようだった。
先輩騎士が帰った後、レオは教わった通り、届けられた食事を聖女に渡した。食事内容が充実しているのは、十分な魔力を体内で生成させるためなのだろうか。とても今の状態の聖女が食べられる量ではない。
聖女は、ありがとうと言ったが、手を付けようとしなかった。艶のない髪が顔にかかったまま、うつろな表情で横たわっている。気力も体力も生きる希望も、何もかもなくして、命じられた通りに魔力を提供する日々。確かにこれでは家畜と同じだ。
「聖女様、聞いてください」
返事はない。
「俺は、この状況をひっくり返したいと考えています。聖女様の自由を取り戻して、搾取してたやつらを懲らしめたい。俺の自己満足かもしれないけど、やってみたいんです」
聖女は顔だけこちらに向けた。
「私を自由に?そんなことができるの?」
「少なくとも、その隷属の首輪を外すことはできます」
聖女は目を見張り、両腕で細い体を抱きしめた。
「これが、とても怖いの。何も逆らえない。死んだ方が楽だって思う。でも、死ぬ自由もなかった。殺されるのは嫌。死ぬなら自分で死にたい」
「じゃあ、外しますね。俺には簡単なことですから」
聖女は静かにベッドの上で身体を起こし、首の後ろをレオに向けた。
レオは、習った通り首輪に施された魔術を紐解き、いとも簡単に華奢な首から外した。聖女はたった今なされたことが信じられず、何度も首の周りを触って、そこに何もないのを確認した。
ポロとこぼれた涙に続いて、聖女がしゃくり上げながら泣き出した。レオは黙って見守った。
そして聖女が落ち着いた頃、食事を促した。
「できるだけ食べて、少しでも体力を戻してください。ここを出るためにも必要なことです」
聖女は素直に頷いて、スプーンを手に取った。
レオが次に手掛けたのは、魔術師ラウルとの魔法契約の内容確認であった。
全身に巻かれた見えない鎖を可視化して外すと、それは一枚の紙になった。聖女に関するいかなる内容も、ラウル及び聖女の護衛騎士以外には話さないという秘密保持の契約書だ。
レオはまず、これに書かれたレオとラウルの名前を入れ替えた。
そして契約違反を犯した場合の罰則を、『死をもって贖う』から『話した時間と同じ時間だけ死ぬほどの痛みを受ける』に変更した。簡単に死なせるわけにはいかないからだ。
そうしてまたレオが契約書を鎖状にして身体に巻けば、これと対になるラウルの契約書も、内容が書き換えられる。レオとラウルの魔力の差は歴然で、操作は簡単なことだった。遠くから届く微かな手ごたえに成功したことを確信した。ラウルは気付いただろうか。
聖女が食事を終えたので、レオは聖女と話をすることにした。
「最初に確認しておきます。俺は聖女様の首輪を外したけど、それ以上の自由については絶対大丈夫とは言えません。ただ、聖女様の魔力をいいように使おうとする奴らには、死ぬほどの苦しみを与えるつもりです。これまでポーションとして聖女様の魔力を享受していた奴らは、その供給が止まれば、確実に年齢相応の身体や容貌に戻っていくはずです。聖女様の癒しの力に頼り切りだった分、摂生の習慣はないだろうから、変化はすぐに現れると思います。女性の美貌などは衰えた時が見ものですね」
「私の魔力は、広く世の中の病人を癒すために使われていたのではないのですか」
「世間では、聖女様は王侯貴族だけに癒しの力を使い、宮殿で贅沢三昧だとの噂を流されています」
「そんな・・・」
「聖女様が魔力玉に込めた魔力は、ポーションに混ぜられて一部の特権階級が独占しています。だから俺は、魔力玉に俺の魔力も込めてやろうと思います」
「! そんなことをしたら」
「ええ、聖女様の魔力は万人に効きますが、他人の魔力は、家族ならいざ知らず拒絶反応が出るのが普通です。反応の強さは摂取量の多さに比例するので、よりたくさん享受した者が苦しむことになるでしょうね」
痛ましそうな顔をする聖女に、レオは言う。
「同情の余地なんかありませんよ。奴らは切実な病気を治すためではなく、美容と健康のための気軽な習慣くらいのつもりで利用しているんですから。聖女様が痩せ衰えるほど絞り出した魔力をです。これまでに何人もの聖女様が犠牲になっているのも知らないかもしれません。そんなことに興味ないんですよ、お貴族様は」
聖女は、俯いて考えているようだった。
「元凶の魔術師ラウルですが、俺と交わした契約書を書き換えました。聖女について第三者に漏らしたら死ぬという内容です。ラウルと俺の名前を入れ替えましたから、俺がその契約で死ぬことはありません。ラウルも死にません。聖女について話したら、その時間だけ死ぬほどの苦しみを味わうようにしました。聖女様の苦難の前には、全然大したことない罰則です」
「それで、私はこれからどうなるのですか」
「申し訳ないのですが、元の世界に戻る術はありません。こちらの世界での最善を提示したいのですが、正直言って、俺は復讐はできても、この国の権力を握れるわけじゃないです。そういう知識はない。できることと言えば、この国から逃して違う国での生活基盤を築く協力をするだとか、この国に留まってもいいのなら、俺の信頼する神官様のいる教会で暮らすか、市井に紛れて生きるという選択肢があります。聖女様は、どんな道を望みますか」
「・・・やはり、戻れないのですね。私に、生きる意味があるでしょうか」
「聖女様は、死ぬのが怖かったんでしょう?死にたくなかったんでしょう?それだけで生きる意味があると思います。死にたくないのが生きる理由です。俺には双子の妹がいて、魔力が身体から全部漏れて、干涸びたようになって死にました。聖女様もあのままだったら、そうなっていたかもしれません。俺はそんな姿を見たくない。誰かに生きていてほしいと願われるのは、生きる理由になりませんか?」
長い沈黙の後、聖女はぽつりとこぼした。
「生きていたら、いいこともあるかしら」
「少なくとも、今までより悪いことはないと思います」
「そうね。首輪を外してもらっただけでも気持ちが救われたもの。私はもう搾取されない生き方を選びたい」
聖女はこの塔から出て、外で生きることを望んだ。行き先を決めるのはこれからだが、その意志だけは確認した。それからレオは今後の計画を聖女に話した。
「まだしばらくは、ここに留まることになります。俺の魔力に貴族たちの身体が拒絶反応を起こすまで、摂取から一週間はかかるので、それまでに俺を育ててくれた神官様に話をつけておきます。どこに行くにしても、まず神官様の知恵を借りた方が確かだと思うので」
それからレオは聖女が魔力を込めた魔力玉に、自分の魔力を慎重に封入した。色が若干濁った気がするが、元のと比べない限り分からないレベルだ。一日二個、計十個の魔力玉を用意して、ラウルが取りに来るのを待った。
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