第60話【勇者と王女】
夜。
王都の外れの森で、人気のない待ち合わせ場所にスランが息をひそめて立っていた。
時間が経つにつれ、森の静けさが不安をかき立てる。やがて遠くから足音が駆け寄る気配がする。
「スラン様! お待たせしました!」
レイラが軽やかに走ってきた。スランはその笑顔にどこか違和感を覚えつつも安堵する。
「うまく抜け出せたのですね」
「はい、それではお連れしますね」
レイラはスランの腕にそっと絡みつく。唐突な接触にスランは動揺し、言葉を探す。
「レ、レイラ様?」
「城では魔王の監視が気になりましたが、ここなら正直になれます」
「で、では案内をお願いしますね」
「わかりました。行きましょうか」
二人は闇に溶けるように森の中へと足を進めていく。時折レイラが楽しそうに話しかけ、スランも警戒心を解く。
「レイラ様、今夜は楽しそうですね。恐ろしくはないのですか?」
「だって今夜で魔王の支配から解放されるんですもの。つい嬉しくなってしまって」
「なるほど。私にお任せください」
「ふふ、頼りにしています」
森は深く、月明かりも届かない。歩きながらスランは頭がふっとぼんやりする感覚に襲われる。
「……?」
「どうかされましたか? スラン様」
「い、いえ……少しぼんやりしてしまって」
「少し休憩されますか?」
「大丈夫です! いきましょう!」
歩みを進めるたび、スランの思考はどこか曖昧になっていく。深い森の静寂に飲まれていくようだった。
「魔王との待ち合わせを遠くにしすぎてしまったみたいでごめんなさい」
「大丈夫です。人がいない方が戦いやすいので」
「さすがスラン様ですわ」
二人は歩き続ける。再びスランの意識がぼんやりと遠のく。
「スラン様、緊張されているみたいなので少し休憩しましょう」
「そうですね。なんだかすみません。絶対に失敗できないと思うと緊張してしまって」
「あそこに座って休みましょう」
二人は森の奥にぽつんと残された古い井戸の前にたどり着く。
夜露に濡れた石積みの縁を指でなぞりながら、レイラが井戸を覗き込む。
「わっ……深いですね。この井戸」
「レイラ様、お気を付けください」
「わかってますわ」
レイラが座ってそっとスランの肩に寄り添う。どこか甘えるような、あるいは哀しみにも見える仕草で。
「レ、レイラ様……その……」
「誰も見ていません」
「えっと……その……」
「スラン様、実は私とても不安なことがあるんです」
「な、なんでしょうか?」
「絶対に魔王を倒せるとおっしゃっていましたが、本当なのでしょうか? その……魔王は飛べますし……」
「大丈夫です。切り札を持っているのです」
「まぁ! 見せて頂けないかしら?」
「え……それは……」
「どうしても駄目ですか?」
「いえ! 大丈夫ですよ。ほら、こちらです。神聖国の秘宝で、逃げられなくなる結界が張れるんです」
レイラはスランの差し出したクリスタルを受け取り、まじまじと見つめる。
透明な光を月明かりにかざし、興味深そうに微笑む。
「不思議なものですね」
「レイラ様! そのように……」
言葉が終わるより早く、レイラの手からクリスタルが滑り落ちる。
「あっ!」
クリスタルは石の縁を転がり、そのまま井戸の暗い底へと消えた。
慌ててスランが身を乗り出す。
その背中に……レイラの手が静かに触れる。
「えっ……」
何が起きたのかも分からないまま、スランは井戸の中へ吸い込まれていく。
静かな夜に淡い水音だけが響いた。
レイラは井戸の闇をじっと見つめる。
「さようなら、勇者様」
【Invocation Protocol: ARIA/Target:YAMADA】