第五話 幼馴染と現実 『♧』
俺はすぐに山の、誰もいない奥深くへ籠った。あの夜の後の事だ。罪悪感、喪失感。そんな感情なんか生易しいと思うほどのあの感情。思い返したくもない。死にたくて、死にたくて。何度も何度も自らを死に追いやった。けれども死ねなかった。大量の力を手に入れた者への代償。『永久化』。あのような出来事を生み出した、この俺が死ぬなんて言う逃走行為、神が許してくれるわけなかったのだ。
そうして、己の鼓動をどうにか止めようと五十年。俺はついに諦めた。無理なのだ。絶対に数秒後には完全な健康体へと回復してしまっている。炎で焼き切っても、闇で破壊しても、重力で押しつぶしても、水で窒息しようにも。意思だけが死んでいった。
だから俺は生きながらも死と同等の生活をしようと心に決めた。固い決意だった。とは言え、その行動は簡単なことだった。この世界に一切の干渉を禁じたのだ。誰も俺を知らなくなれば、死んだと同然。
けれど…そんな俺の卑怯な逃げ方も神はお見通しだった。
とりあえず適当に、俺と、俺から離れようとしない女性と共に誰もいなそうな場所へ瞬間移動した。
「…ここは、魔警の…私用の部屋か。」
俺のすぐそばにいるこの女性は、どこからどう見ても真だった。呟く声色、抑揚、話し方。一度真だと思うとすべてがそう聞こえてしまう。
「お前は…誰だ?」
「…私は虚。そう呼ばれているけど、私の本名は違う。…知ってるでしょ?ユラ。」
「本当に…真なのか?お前は…柚岡真?」
俺はどうしても信じたくなかった。俺を知っているやつに、俺は出会いたくなかったのに。信じたくないはずなのに何故か心の奥では湧き上がる何かがあった。これは旧友に出会えた喜びなのか。何度も何度も間違っていてほしいと言う葛藤は、ユラと呼ばれる久しぶりの感覚が押しつぶした。
「そうだよ…。私は柚岡真。…ふふっ、もう少しで、自分の名前すら忘れる所だった。久しぶりに…口に出した。いやそれよりも声を出したこと自体随分久しぶりな気がする。」
「…俺が消えてから今何年たったんだ。」
「約、二百年。ユラ、君は二百年ぶりにこの世界に来たんだよ。けほっ。」
真は弱々しく咳をする。すると簡単に口から血が吐き出された。
「おい、大丈夫か…?」
「ごめんごめん。さっきも言ったでしょ…?私、人と話すの久しぶりなの。見たでしょ。なんか私今神様扱いで…困っちゃうね、はは。」
真の目は光を失っていた。今お互いに一番聞きたいことは同じだろう。
何故、生きているのか。二百年。人間の平均寿命はとっくに過ぎている。理由は知らないが、能力の呪いだという事はわかっている。
「色々聞きたいことはあるだろうけど…そうだね。今は私すぐ戻らなきゃ。」
「そうだな。なんか祭られてたもんな。えーと…ウツロさま?」
「やめてよ…。その名前そんな好きじゃないの。んー…戻るには戻るけど、私はユラに聞いておかなければいけないことがある。」
古の幼馴染は真面目な顔でそう言った。さっきから声は所々かすれて、咳も繰り返すが一向に真の表情は変わらない。あの頃の笑顔は、もう戻らないのか。
「どうして、今さら帰ってきたの?」
「どうして…か。正直言えば、帰る…いやこの世界に関わる気は一切なかったんだ。」
「…それは、二百年前の夜のせい?」
「あれも、俺がそう決めたのも、全部俺のせい。俺が悪いんだ。だから死ぬまで…いつ死ぬかはわからないが、俺は山に居続けることにした。ここから遠く離れた山だ。動物たちしかいない、平和な場所だ。」
「そう…。じゃあなおさらなんで…私を助けたの?」
「真だって事はわからなかった。第一もういないと思ってたし…。ただたまーに、山から降りるんだ。人ってのは悲しい生き物でな。どうしても一人では生きていけないらしい。自分以外に誰もいないんだって、山にこもるとそう錯覚しだす。そうなったら最後、俺は狂いそうになった。思い込みだけで人は死ぬって言うが…アレはほんとだな。」
「それで、今日は降りてきたの?」
「あぁ。それでやけに人が集まってて少し見てたら突然お前が襲われてて…無視しようと思ったさ。だって世界は俺がいなくても十分回ってる。俺は主人公なんかじゃなかったから、誰かが代わりに助けるだろうって。」
本当にそう思った。真だから助けたわけではない。ただ…
「ただな、真。」
「…何?」
「俺は、なぜかあの女性は俺の手で助けなければいけないって、そう思ったんだ。意味が分からなかったぜ、俺自身。何してんだって。でも今ならわかる。」
「そんなこと言って、どうせわかってたんじゃないの?」
「ははっ、それならこんなこと言って相当カッコ悪いだろ、俺。」
「確かに、ふふっ。…なんか変わらないね。」
「俺達が二百年ぽっちで変わるかよ。…ほら、戻るんだろ。俺が瞬間移動で返してやる。」
「それ簡単に使うけど伝説の能力だからね?」
「なんか勝手に登録されてる…。」
俺は真に手を差し出した。聞きたいことは山ほどあるが…帰らなければ。俺のいるべき場所に。
「…今戻ったら私また殺されかけないかな?」
「そしたら最後まで守るさ今日だけだけどな。」
しかし、真は俺の手を取らなかった。じーっと、ただただ俺の目を見続けてくる。確か…こういう時、真は何かしらお願い事をしてきたような。
「ねぇ、ちょっと頼みたい…
「無理、ヤダ。帰る。山帰る。」
「子供みたいなこと言わないでよ…。どうせ帰ってもやることないんでしょ?それに…ユラは一応…『最初の魔法使い』なんだから。」
「なんだそれ。」
「…知らないの…?伝承で『最初の魔法使い』は大昔の優秀な能力者を全て殺して、その力をものにして突如姿を眩ませたことになってるんだよ?だから老若男女問わず、その言葉自体禁句になってるほど、忌み嫌われてる。そういう存在になってるの。」
…
「でもそんなわけないってわかってるから。事情があったんでしょ。私はユラがやってない…って…………やって…ないん…だよね…?」
顔に出ていたらしい。その伝承を誰が伝えたのか、誰が見ていたのかは知らない。ただ、真実だ。俺が…殺したんだ。あの夜。敵も、皆も。
「悪い。真…俺は
やっぱ外に出てきちゃ…
瞬間移動で帰ればいいのに、わざわざ俺は背を真に向けた。そういうところが、自分自身嫌いになる。
「…っ。」
真は俺の背に抱き着いてきていた。…きっと俺はどこか、真ならそうしてくれると思っていたんだ。…我ながらクズだと思う。
「ユラ、こっち見て。」
黙って言う通りにした。何が飛んでくるだろう。手のひら…ならまだマシか。グーパン…いや真ならチョキで…
そんな俺の甘ったるい想像は、はるかに超える甘さで超えてきた。
「むっ…!?何してっ…」
「……ぷはっ。」
「おまっ…何してんだおい!?」
真は俺の口を突然、自分の口で塞いできた。何してんだこの野郎。逆だろ逆。いや逆でも俺はやらんけど!!!
「やっと取り返せた気がする…。」
「誰から何をだよ…。てか血の味するんだが。大丈夫か。」
「ごめん、ロマンティックでしょ。」
「どこがだ、ったく…。」
キスひとつで有耶無耶にされるんだからチョロいもんだな俺は。
「さ、嘘は無しでちゃんと聞かせて。二百年前の夜、突然『ノマド』と他の能力者が無残に惨殺されたの。覚えてる?」
「嫌でもな…。」
忘れられるわけがない。脳にこびりついて離れない。
「その十日後、世界中の能力者が、一斉に殺された。」
「…は?待て、それは知らない。」
俺がそう言うと、ようやく見ることができた。真の笑顔を。
「はーぁ…良かった。だよね。流石に全部が全部ユラのせいじゃないとは思ってたよ。…でも、やっぱり『ノマド』を壊滅させたのはユラなんだね。」
「…それは俺だ。間違いなく、この手で…。」
暴走したから、なんて言い訳通じない。やったのだ、俺は。
「良いよ、理由は聞かない。いつか話して。」
「いつかって…。」
「とりあえず『最初の魔法使い』の話の全てがユラじゃないってことがわかれば私は満足。…もう時間あんまりかけてられないね。これ以上はパニックを広げらなれいから。」
真は恐る恐る窓の外を見る。人々の騒ぎ声が少し収まってきていた。警備隊らしき人たちが状況をまとめているのが見える。
「魔警のみんなに随分と迷惑かけちゃったな…。」
「マケイ?」
「ホントに山籠もりしてたんだね…。能魔力管理警備隊。しらない?」
「知らないな…。名前的に能力専門の警官、みたいな?」
「そうだよ。ユラが…いや、『最初の魔法使い』が当時の能力者を殺したせいで、一時はむしろ世界は元通りだった。けど、すぐにまた能力と言う名の呪いが広まったの。それを人々は『最初の魔法使い』の罪に組み込んだ。その呪いを日常に溶け込ませたのが能魔力管理警備隊。通称魔警。」
「…だからさっき俺にも責任があるでしょ、みたいな顔してたのか。」
実際、責任まみれだが。全世界の能力者を殺したわけではないが、そのトリガーとなったのは多分俺のせいなんだ。
「そういう事。でもまだ完全に危機が収まったわけじゃないの。未解決の難題がいくつも魔警を悩ませてる。私は…何もできない。誰かの心の支えになる事を私は選んだ。」
「立派な気もするが…。」
「逃げただけよ。結局。もう疲れちゃって。娘も随分心配そうにして。」
「む、娘?真お前子供いんのか!?」
「ま、その話はおいおいでいいよ。重要でもないし。思う存分嫉妬していいんだよ。ふふん。」
変わらんなコイツ。
「で…俺は何をしたらいい。」
「ん、やる気になってくれたの?まだ何も言ってないのに…。」
「俺のせいなんだろ。なんかもう逃げるのもやめだ。現実的に俺が出る幕じゃないとか言ってたが…どう考えても責任取らなきゃいけねぇのは俺だ。」
「…ありがとう。そこまで重く考えなくても、いいんだけどね。」
そう簡単に、二百年の決意が曲がるわけがない。ただ幼馴染にこんな顔させてた俺自身に無性に腹が立って、何かしてやりたくてたまらなくなった。それだけだ。
「じゃあまずは…魔警に入ってもらう。」
「わかった。…でも俺が『最初の魔法使い』って事ならダメなんじゃないか?」
「あー…確かに。見た目を知ってる人は少ないだろうけど…それでもあの頃の写真や新聞が無いわけでもないし…。第一炎の能力なんて自己紹介してるようなもんだし。」
「無理くね?」
俺がそう聞くと、真は少し悩んでから、悪そうな笑顔でこう言った。
「無理くねぇ…よ?ちょっと待ってて。」
真はすぐ近くの棚をごそごそと漁りだした。そういえばここは魔警の…真の為に用意された場所とか言ってたっけか。随分と俺の友達は前へ進んでたんだな。
「あった。これだ。」
「指輪か?」
「うん。着けて。」
言われた通り、俺はその指輪を付けた。変化なし。
「なんだこれ?」
「とりあえず見た目はそれで何とかなる。その指輪はね、『錬金』の能力者が作った不思議な指輪なの。思い描いた姿になることができちゃうんだよ。ただ…一回使ったらその姿以外にはなれないけど。戻れはするよ?ユラ専用になるだけで。」
「そんな貴重品俺に渡していいのか?」
「うん、使わないから。ほらほら、自分のなりたい好きな姿になってみて。一応、ユラからかけ離れた感じでね。」
「やってみるか。頭で考えるだけでいいのか?」
「うん。」
俺は言われた通り、目をつむって自分のなりたい姿+絶対に俺とわからない姿を想像した。数秒後…ぼふん!と煙が俺を包んだ。
「おお!こんな感じになるんだ。」
実験体にしやがったなコイツ。俺は文句の一つでも言おうと、声を出した。その時気づいた。ちゃんと、俺からかけ離れた姿になっていると。
「真、お前俺で実験…し…あ?」
「…うわぁ、ユラ嘘でしょ…。」
俺の…いや、《《私》》と言った方が良いのか?
髪色は綺麗な深紅のショートヘア。美人とも可愛い系とも言える顔立ち。
何より低めの、女声が耳に入る。
「…性別まで変わるのかよこの指輪!?」
「その声でその話し方やめてきもい。」
「ちょっ…酷くない?」
「うっ…可愛い。なんで私よりかわ…いやそんなこ…と。」
真の目線は俺の胸へと移動した。顔に完敗と書いてありそうな勢いで真は膝から崩れ落ちた。
「…一人称何が良いと思う?」
「私でも僕でもあたいでもなんでもいいんじゃないですか?変態さん。」
「だって真がかけ離れた姿って…。」
「性別まで離れなくてもいいじゃん!
あー…複雑。親友にこんな趣味があろうとは。可愛いからまぁ良いけど…。」
「だろ?やっぱ俺がただし…」
「女の子になったからには女の子舐めないでね?」
「…ワカリマシタ…わ。」
まさか誰も思わないだろう。悪逆非道らしい『最初の魔法使い』が性転換したなんて。…いや戻れるけど。




