正義・其之七
少しして、コンダリアさんが奥から例の本を持ってきてくれた。
「これですよ、ワシが見つけた本と言うのは。開かない、傷一つ付かない。不思議な本です。」
そう言って渡された本は一見して違和感はなかった。深緑色の表紙が色どり、タイトルも何も書いておらず、ただ一文が無造作にけれど整えられて書かれていた。
「これか…。」
私はその本を開こうとして見たが、すぐに無意味だとわかった。まるで置物かのようにその本は開かなかった。もうこれ置物なんじゃないか?と、思いもするがなぜかとても重圧を感じるこの物体を、私の頭は本以外ありえないと断定しきっていた。
「ふむ…確かに不思議だ。これはどこで?」
「うちの物置を片付けていたら出てきたんですよ。身に覚えもなく、最初はワシもどこかの国で適当に買ってきたただの置物だろうと思いはしたんですが…わかりませんか?何か感じるんですよ。」
わかる、謎に。本…ただの本なんだがな。
「クラリタ様、私にも見せてください。」
「いいよ。」
私は本を彼女の手のひらにトンと置いた。思ったより重かったのかミシェルの手は少し下に沈んだ。
「思ったより重たいですわね。…この一文…なんでしょうか。汝…?」
「私も気になっていた。解読してみよう。」
その一文は、単純な英文ではなく不可解な意味の単語が羅列していた。私はミシェルから本を渡してもらい、その一文をじっくり眺める。五分ほどで、こんな感じだろうかと、少しニュアンスが違うかもしれないがなんとか解読してみた。
「『汝、選択者とし、終焉並び終初を導け』…?かな。」
口に出しても、自分自身の結論には疑問を抱いた。何を言っているかさっぱりだ。選択者…?何を選択すると言うのだろうか。
「わっかんないですよねぇ…ワシも読んでみたんですが意味の分からない文になりましたよ。なんなんですかね?」
「私にもさっぱりだ。」
三人寄ればなんとやら、と言うが実際三人集まったところでどうしようもないことがあるもんだなと、他人事に考えていると家のインターホンが鳴った。
「あ、アルタ達かもしれないな。コンダリアさん、私が出てくるよ。」
「いやいや、お客様にお客様の対応させるなんてそりゃお失礼様だ!ワシが行くて。」
お失礼様って何なんだろう。
不思議な本と同じくらい不思議なことを言うコンダリアさんは世話しなく玄関へと歩いて行った。
すると、ミシェルが私に本を貸してくれとジェスチャーをしているのがわかった。渡さない理由もないのでまた、私はミシェルの手のひらにトスンと本を置く。今度は手は沈まなかった。離れたところからアルタとヘルターさんの声が聞こえてくる。
…もう正直打つ手もないし適当に観光して帰ろうかなぁ…。
天井を見上げた私の視界に入った次のものは、軽く想像を超えて行った。これは…そうだ、まるでミシェルと会話している時のような、意外性に近かった。
「…『汝、選択者とし、終焉並び終初を導け』」
隣から聞こえる女の子の声が、キーだった。
私の上を多種多様の植物が覆いつくしだしたのだった。
「…ん!?」
「クラリタ様ー、ご迷惑をかけてませ…へ?」
アルタがそんな声を出すのを私は初めて聞いた。私だってこんな顔するのは人生初だ。その光景が、私たちに初めてを提供してきた。
「く…クラリタ様…これは…?」
そこには、普通の家の、普通の床から植物がまるでミシェルを守るように生えてきていたのだった。第一印象は、魔法。そう思えた。
「お嬢様!大丈夫ですか!」
茫然としていると、ヘルターさんが植物をかき分けてミシェルのところへと駆けていた。
「なんじゃぁこりゃぁ!ど、どうしちまったんで!?」
「どうもこうも…私にもさっぱりで。」
自分より驚いているコンダリアさんが私の下へと視界はミシェル、そのままで歩いてきた。自分より驚いている人を見ると、冷静になるって本当なんだな。
だから私は、この植物を抑える方法が思いついた。
「ミシェル、本が開いていないか?」
「え…?あ、本当ですわね…。」
「閉じてみてくれ。」
ミシェルは私に言われた通り、操り人形のようにぎこちなく本を閉じた。すると…
「お、おぉぉお!植物が収まった!すごいですね、クラリタ様!」
「なんとなくそう思っただけだ。ミシェル、体に異常は?」
「ないですわ。…ですがこれは…?」
「…ま、一度みんな座ろうか。落ち着いて話そう。」
よく父上から言われたものだ。お前は冷静になるのが早すぎる、と。
全員現状を把握できないまま、とりあえず椅子に座った。
一番に口を開いたのはアルタだった。
「クラリタ様、先ほど当主様から連絡が。」
「なんだって?」
「本は詳しくは調べずに、すぐにこちらに届けるようにだそうです。」
「…もっと早く言ってほしかったものだ。」
調べるどころか真価を見てしまった今、どうしろと。だがその伝言でわかった。叔父はこの本の正体を知っている。あの、魔法のような力の存在を。
「ミシェル、もう一回開いてみてくれないか。」
「いいんですの…?」
「あぁ、憶測だがさっきの植物はもう出てこないと思う。」
「頼みますよ…クラリタ様。ワシはこの家をジャングルにする趣味は…いや、それはそれで面白そうか…?」
「…この家の持ち主がこう言ってるし、試してみてくれ。」
ミシェルは恐る恐る本を開くが、予想通り何も起きなかった。私はさらにその先の予想を口に出す。
「その本、何か書いていないかい?」
「書いて…ありますわね。『特定能力者専用魔本』…?」
「能力…ね。」
なるほど、この世界はフィクションだったか。私は高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、ミシェルへ質問を続ける。
「他には何か書いてあるかい?」
「そうですわね…少し待ってください。」
ぺらぺらとめくる音が響く。
「クラリタ様、当主様にはどうご説明しましょうか?」
「…多分だが、この本を叔父は詳しく知っている。出なきゃそこまで不自然に情報を減らさないはずだ。私の予想通りなら、この本はきっと…この先のありとあらゆる争いの種火になるだろうな。」
「それはどういうことでしょう…クラリタ様。」
ヘルターさんが心配そうに私に問いかけてきた。無理もない。ヘルターさんにとってミシェルは一番に守らなければいけない存在。その存在が持つ本を争いの火種だと言われれば不安にもなるだろう。だがしかし、ここで結論に急ぐのは少々早計だ。
「えーと…『能力の譲渡は互いの任意があった場合。略奪の際、対象の生体反応がなくなった時に自動的に一番近くにいる者に能力が渡される。』…と書いてありますわ。」
「なるほどな…。ははっ、これは大変な世界が始まる。」
「クラリタ様、今ミシェル様が言ったことが本当なのでしたら…先ほどの魔法のような力を奪い合う戦争が始まる…のでしょうか。」
「流石に頭の回転が速いな。多分、そういうことだろう。」
「…もうワシは話についていけねぇですわ…。」
「コンダリアさん、この本もらっても大丈夫でしょうか?」
「おう、持って行ってくれ。むしろワシからも頼む。あんな力…恐れ多いですわ。」
「…ありがとう。」
恐怖を抱くか…それが普通の反応かもしれない。だからきっと、今私の心にあるこの本に対する興味、探求心、何より自分もその力が欲しいと言う物的欲求は、普通ではない反応という事になるのだろう。




