第四十話 意思
俺とシロは手を合わせ、一緒にドアを開く。少し前までは敵だったのに、なんだか不思議な感覚だ。視界に入るのは今まで通り殺風景な空間に、『レジデンス』が一人。
「来たか、時間は10時前か…。
想定よりかなり早いな、流石だ。俺の名前は蘆木江。相手は…Rか。」
この階の主は今までの比較にならないほど風格があった。アムに引けを取らない体格、グラにも似る空気の圧。そして博士並みの冷静さ。『レジデンス』はコイツ一人で成り立っているって言われても驚きはしない。
「ユラ…さきに…いって。」
「だけどシロ、震えてるぞ…」
「はん、シロなんて名前もらったのか、R。震えても仕方ない。お前は俺とは互角だったもんなぁ?最後にお前が残っていてくれて嬉しいぜ。」
シロと互角…!?あいつ想像よりずっと強いじゃないか。
「…今日は…勝つ。」
「はっ、そうかい。決着はつかなかったからな。ここで着けてやるよ。おい、斎月。さっさと上に行きな。クラリタが首を長くして待ってるぜ。」
「……シロ、負けんなよ。」
「わかってる。」
シロはグッ、と親指を立てて笑顔でそう言った。俺は少し気がかりだった。シロは俺たちの訓練中、常にサポートに周ってくれていたから自身の強化をしているところをほとんど見ていないのだ。もしも互角だった頃のアイツが今よりも強くなっていたのなら、シロの勝ち目は薄い。俺たちが足を引っ張ってしまっていたんだ…。
そんな俺の不安を見抜いたのか、シロはムスッとした顔で…
「はやく…いって…。だいじょぶ。まけない。」
「…信じてるぜ、シロ。」
「うん、すぐいく。」
男が負けないと言ったんだ。負けるはずがない。俺はシロを信じて先へと進んだ…
ーーー
九階、Rと蘆木江はにらみ合う。
「Rよ、良いお友達ができたんだな。」
「Rじゃ…ない!」
少年は圧倒的対格差のある者へと怖気なく走っていく。その速度は当に人間の出せる速度をはるかに超えていた。速度は力へと直結する。
蘆木江はシロの出した拳に同じく拳を合わせる。お互いの力はほとんど均衡する。
「はっ…はっはっは!一応、俺もあの後強くなった気でいたんだがなぁ!?やはりその命を削る力。並みの修行じゃ引き離せねぇか!」
「うる…さい!!」
シロは受け止められた拳をさらに押し込み、そのまま地を蹴って蘆木江に蹴りを入れる。その蹴りに対して蘆木江は何もしないという答えを出した。軽く岩すらも蹴り砕くシロの一撃を、鍛え上げた筋肉を信じて耐えたのだ。
「あの話、『ノマド』のやつは知らない様子だったな。お前のとこの博士とやらも情報収集がまだまだ甘いんじゃないか!?」
博士はまだまだシロについて調べられていなかった。一番重要な、《《ある事》》について見落としていたのだ。クラリタがそう言った機密情報はほとんど上手く隠したからだった。それでもシロについてあそこまで知れた博士が優秀だと言える。そんな優秀でも、見落とす事があった。
それは、一番見落とすには重大過ぎた事だっただけなのだ。
「お前の寿命が、あと半年だという事を。お友達は知らないんだろ?!」
「…だまって。」
シロは怒りを持ちつつも冷静に一度蘆木江から離れた。シロには遠隔での攻撃手段がない。よって肉弾戦が主体となる。それは相手も同じことだった。
「体の中のエネルギーが日に日にたまり続けて、いずれは爆発。悲しいもんだぜ。なぁ?シロ。」
「おまえが…そのなまえ…よぶな!」
「はん、理不尽な奴だな!」
シロの寿命。これはクラリタによるものではなく定まっていたことだ。そのエネルギーは肉体を強化していくが消費より供給の方が圧倒的に速かったのだ。例えクラリタがシロから元々の能力を奪わなくても、いずれ死が訪れることは明白だった。
魔本の役割の一つとして、エネルギーの制御があった。その魔本がないシロにとってこの問題を解決する手段はなかった。
「で、このままお仲間を待つのか?正直俺はお前を殺しても得はない。能力を持っていないんだからな。ただ足止めだけでいい。」
「でも…行かせて…くれない…でしょ。」
「そりゃな。クラリタの契約は絶対だ。そして今回の契約には『ノマド』の消滅があった。だから俺はお前が『ノマド』なんなら、殺さなきゃならねぇ。」
「…じゃあ…さっさと…ころして…みなよ…。」
「話のわかんねぇやつだぜ。俺はお前を見逃してやるつもりなんだよ。人殺しが好きな訳じゃねぇからな。お前が『ノマド』じゃないと言い張ってこの窓から飛び降りればお前はもう関係ない。俺にも情けはある。おら、一応実験の馴染みだ。さっさと行け。R、お前からこの高さじゃ死なねぇだろ」
蘆木江は本当にシロを見逃すつもりだった。蘆木江は根っからの悪ではない。ただ最初は金にくらんだだけ。その後知ったクラリタの性格自体は好んでいなかった。それでもクラリタから離れない理由。それは絶対的強者の圧。クラリタから逃げる。それはつまり死を表してた。彼の圧倒的能力でも、クラリタには敵わないのだ。
それを知っていたからこそ、シロに同情があった。この若さであのクラリタによる最悪の境遇。蘆木江にも思うところはあったのだ。だからこの行為は完全に情けからのものだったのだが…
「…やだ。シロは…『ノマド』…!」
「…じゃあとことんやるしかねぇな。お前も知ってんだろ、俺の能力。」
蘆木江の能力は『炎』や『重力』、『煙』のような目に見えるタイプの能力ではなかった。
「俺の『意思』の能力。お前は俺に負けるイメージを見せなきゃ俺は負けないんだぜ?それでもやるってのか。」
「うん…かてる。」
「言ったな。じゃあ行くぜ。」
そこからが本番と言ってよかった。もう十分、人同士の戦闘からは常軌を逸していたというのに。
「オラオラオラオラァ!!!捌いてみろや!!」
「やってる!!」
蘆木江は目も止まらない速度でその握りしめた手をシロに連続でふるった。その速度はまるで止まって見えるほどに。ハエが止まりそうなその攻撃は、かすった瞬間、自分が前方に飛ぶよりもはるかに飛ばされる威力だった。シロはその攻撃をうまく受け流すなんて高度なことはできない。ただただ力のぶつけ合いで対処していた。
「……!!」
「防戦一方じゃ勝てねぇぜ!攻撃してこいよ、R!」
「…わかった。」
シロは拳の隙を見つけ一度大きくしゃがむ。そのまま江を足払いしようとしたが…
「それは俺から盗んだ技だろうが。」
江はその蹴りを軽々よけ、大きく離れた。助走距離を確保する。
「いつもこの一撃は避けてたよな!!」
江は足、腕に力を込める。腕で一気に地を押し、足でその力を受け取りつつさらに踏みしめ速度を上げる。その移動速度はまるで瞬間移動。一瞬にして江の膝蹴りがシロの目の前に来ていた。いつもは全力で避けていた江の必殺技。しかしシロは避けず、腕で受けた。
シロはその力の全貌を理解して居ても、耐えきれなかった。
「ぐぅ…ぐぅうう…」
「なんで折れてねぇんだか…。俺の膝蹴りは木一本折れるんだぜ?」
確かに骨は折れていない。それでももう倒れるほどには痛みがシロをめぐっていた。逃げなかったのは単純に気に食わなかったから。だからシロは後悔はしていなかった。
「な…なんだ…この…ていど…。」
「おいおい、強がるにももう少し演技しろや…。だめだな。受けられるほど強くなったのかと思ったが、そんな調子か。『ノマド』にいて弱くなったんじゃねぇか?」
「…そんな…わけ…。」
「いや、お前には昔のような死んでも倒すほどの『意思』を感じねぇ。まだ昔の方が脅威に感じたぜ。あんなお遊び集団にいるからだ。情けねぇ…。斎月も腑抜けた顔してたな。他の三人もどうせ同じ感じなんじゃねぇか?期待して損したわ。これじゃクラリタに全滅させられて…
その時江は感じ取れなかった。『意思』による攻撃じゃなかったからだ。
気づいたときには、『R』はすぐ目の前、拳と江の目との距離は
わずか10センチ。
江は相手の『意思』を感じ取る力を持っていた。だがこの攻撃からはそれがなかった。よって江の防御は少し遅れる。
シロは『意思』ではなく無意識で動いていた。仲間を侮辱された怒りに、体内のエネルギーが答えたのだ。
「なっ…なんだ、このいりょ…ぐっ!?」
シロは後ずさった江をさらに追撃する。明確にさっき殴った腕を。的確に確実に狙って。シロの突然の連続攻撃に江は避けることもできなかった。
「がっ、お前…!?この力どこから…!!!ここまでではなかっただろうが!」
「…しろも、成長する!!」
シロは体に溢れるエネルギーをすでに操ることに成功していた。エネルギーの出力をどこまでも、際限なく上げ肉体を何倍にも何乗にも強化する。
殴るたび、シロの拳は別格の物へとなっていた。
「はぁああああ!!!」
「くっ…そがぁああ!!俺は負けねぇえよ!!」
この規格外な攻撃に、江はすでに何本も骨が折れていた。それでもまだシロの攻撃に食らいつく。その理由は折れない心にあった。江の能力、『意思』は自分に勝つ意思、戦う意思、負けない意思がある限り精神が肉体を補強するという『レジデンス』最強を名乗るのにふさわしい能力だった。
「はぁ…はぁ…今まで挑発には…乗らなかったくせに…!!」
「仲間をバカに…するな!!」
シロは十分ソニックブームが起きるほどの音速を超える速さで拳を速く振れていた。窓は全て割れ、建物自体揺れている。
その一撃を江の顔面へと向ける。その拳を江はなんとか受け止め、大きく蹴りをシロの顔面へと当てるが…その強度はすでに鉄を超えていた。攻めようが受けようが何をしても骨の折れる音がする。すでに江の精神は限界だった。一度でも避ければ終わりだと、わかっていた。それは逃げに直結する。『意思』の能力は諸刃の剣。一度負けるイメージを持てば最後、とうに限界を超えている体は崩れ去る。
「シロ…!!!最後だ!」
「…わかった…!!!」
江はこれ以上の長期戦は負けだと確信していた。
「おおぉぉおおおおお!!!」
「はあぁああああぁああ!!!」
江は本来であれば肉すらもむき出しになっているであろうその腕を『R』に。
シロは身をも削るエネルギーをフルに活用しとっくに死んでいるはずの江へ。
お互い、防御無し、反撃無しの最後の一撃を食らわせる。
「ごはっ…」
「ぐっ…!」
勝者は…シロだった。
倒れこむ江の崩れ去っていく体が勝敗を裏付ける。
それでも、江は笑っていた。
「は…ははっ、シロ。やんじゃねぇか。」
「はぁ…はぁ…江…。」
「ふん、やっと名前を呼びやがって。」
シロはその時、己の心に悲しい気持ちがあることに気付いた。シロもまた、江を恨んでいるわけではななかった。むしろ最悪な環境で唯一自分と対等に会話をしてくれていた、兄弟のように感じていたと言っても嘘ではなかったのだ。
「…なぁ、シロ。お前の『R』って名前。つけたの俺なんだぜ…。意味、なんだと思う?」
「…かんがえたこと…なかった…。」
江は自分の手がなくなった感覚を感じつつ、声を絞る。
「お前は…例外的なやつだったから、クラリタに『レア』なやつだから最初のスペルをとってRなんかどうだって言ったんだ。そしたらクラリタのやつ、「いいね、ゲームみたいで」だとよ…。頭が腐ってんだ。人間をゲームキャラ扱いしやがる。だがな、俺はRを別の意味で考えてたんだぜ。」
「…なに?」
「Ravage。破壊って意味さ。最初初めて見たときお前の目はありとあらゆるものを破壊する勢いだったからな。どうだ、いいだろ。」
「…びみょう。」
「はん、そういうと思ってたわ。」
江は最後に言いたかったことを言ったのか、すでに己の最後に身を任せていた。
だが、シロは言っておきたいことがあった。
「江…破壊じゃなくて…守る…よ。いちおう…いいやつだった。ありがと。」
「んだよ、感謝なんかいらねぇわ。ただ…ちょっと意外だぜ。お前はロボットみたいに単調なやつだと思ってたからよ。」
「…ロボットのR?」
シロはそういうと、江はさらに笑った。シロはその笑顔を、初めて見た。
それもよかったかもなぁ…ほら、俺の能力をくれてやる。魔本もないお前に俺の能力が受け渡されるかわかんねぇが…上手く使えよ。
「…うん。じゃ、先いく。」
おう、行ってきな。
すでに、江の体はなかった。最後に聞こえてきたのは、きっと彼の最後の『意思』だったのだろう。




