義兄の壁ドンにときめくけれど、絶対に頷いてなどやるものか
ドンッ
背中が壁につく。右にも左にも逃げられぬよう、両腕に囲まれて、しょうがなく前を向くと、目の前には義兄の顔が。
「アンジュ、今日こそ頷いてもらおうか?」
サラリと流れる黒髪に、深い青色の瞳。美形ではあるが、目つきの悪いこの男はわたしの義兄、ドナータス。
「い、いやよ。絶対にいや」
睨みつけられた恐怖に、涙目になりながらもわたしは首を横に振る。
「強情だな。俺の気持ちがわからないのか?」
「わかっているわ。だから断っているのよ」
わたしの言葉に一瞬ひるんだドナータスの腕をすり抜け、戸口まで走る。
「わたしは絶対にこの家を出て行くから!!」
後ろから「待ってくれ」と叫ぶ義兄の声には振り向かず、わたしは自室へと逃げ込む。
大好きな初恋相手のドナータスのお願いだって、聞けないものもあるのだ。
遠縁のドナータスが義理の兄になったのは三年前。わたしが十四歳、彼が十五歳の時。
この国で爵位を継げるのは男子のみ。ユユーリヤ伯爵家の子供は一人娘のわたしだけだったから、いずれ婿を取ってその方との子供が家を継ぐと思っていた。
しかし、ドナータスが我が家の養子になったことで、わたしが婿を取る必要がなくなった。わたしはいずれどこかへ嫁ぐことになるだろう。
その覚悟は彼が我が家の養子になってからとっくに出来ているというのに、先日、夕食後のひと時を終え、自室に戻る途中、突然ドナータスに壁ドンをされ、言われたのだ。
「ずっとこの屋敷にいてくれ」
その時は驚きのあまり、返事もせずに逃げ出したのだが、自室で一人思い返して、思ったのだ。
はぁーーーー!?
ずっとこの屋敷にいるということは、いずれ他の女と結婚して跡取りとなるドナータスと、同居するということ!?
好きな男が他の女とイチャつく空間に同居とか、あり得ないんですけど?
わたしを家から追い出すのが申し訳ない、とか急に思っちゃったのかもしれないけど、放っといてもらったほうが親切だわ。
それにしても、間近で見たドナータスはまつ毛が長くて、素敵だった。
わたしは、義理の兄になったドナータスに恋をしている。
初めは、自分が伴侶を迎えて家に残ると思っていたので、突然現れた義兄を受け入れられなかった。
しかし、元から優秀なのではなく、そうあろうと努力する彼に次第に惹かれていった。今では、努力家な彼に見合った女性が、この家で彼を支えてくれればと考えられるようにまで気持ちは変わった。
それでも、まだこの恋心は消えてくれなくて、自分の気持ちを外に向けるべく、お父様にそろそろお見合い話の一つでも持って来てほしいとお願いしたばかり。
それ以来、屋敷の中で一人になるところを見計らって、ドナータスはわたしを人目につかないところに連れ出し、壁ドンをしてくるのだ。
好みドストライクな顔の絶賛片思い中の相手に壁ドンをされてみてほしい。
ときめきが止まらない。
壁と義兄との間に挟まれ、好みの顔を近づけて、吐息のかかりそうな距離で「頼む。一生ここで暮らしてくれ」と囁く彼に、うっかり頷きそうになる。
◇◇◇◇◇
わたしもドナータスも、王都にある学園に通っている。十五歳から三年間通う学園のわたしは二年生で、ドナータスは今年卒業する三年生。
最近は二人きりになるのを避けていて、行きも帰りも時間をずらすようにしている。学年が違うと、学園内で顔を合わせることもほとんどない。
ドナータスと屋敷で顔を合わせないために、なるべく帰宅時間を遅らせようと校内の図書館で時間を潰す予定のわたしは、空き教室のはずの室内から声が聞こえた気がして立ち止まる。
「もうすぐ騎士職の試験だろ、本当に受けないのか?」
「俺の進路、わかってるだろ」
聞き覚えのあるドナータスの友人の声だ。その問いにドナータスが返事をする。
どうやら放課後の空き教室で、彼らはお喋りをしているようだ。
「養子になったからには、伯爵家をいずれ継がないといけないのはわかるけど、お前が朝も晩も剣を振って、騎士課の連中よりずっと訓練してきたの、俺は知ってるんだよ」
「ユユーリヤ伯爵家の養子にしてもらった時から、覚悟はできてる」
わたしも、ドナータスが空いた時間を見つけては、屋敷の庭で剣を振っている姿を見ている。毎年行われる学園の剣技大会でも、騎士課ばかりの表彰台の中で、今年は三位に入っていた。
「騎士にもなれなくて、好きな子にも振り向いてもらえなくて、どうすんだよ」
同情するような友人の声に、少しの沈黙の後、決意を込めたドナータスの声が聞こえた。
「もう一度、アンジュに話してみる」
わたしは下を向いて歩く。図書館まで、真っ直ぐに。図書館について、本を広げて、気が付けば閉館時間で。もう帰宅しなければと、悲しい気持ちになった。
ドナータスは騎士になる夢を諦めて、我がユユーリヤ伯爵家を継がなければならない。けれど、その夢を捨てきれなくて、わたしに家に残ってくれるように頼んできたのだ。
養子の自分からは、はっきりとわたしに婿を取って自分を跡継ぎから外してくれとは言えずに。
意中の女の子がいるなんて、知らなかった。
きっとその子はうちにお嫁に来ることが出来ないわたしみたいな一人っ子か、もしかしたら下位貴族か平民の娘で、騎士のお嫁さんにだったらなれるのかもしれない。
父親がある日、突然連れて来た遠縁だというドナータス。
親戚の屋敷で優秀だからと見初めて来たという。
我が家の跡取りになってしまったことで、ドナータスが騎士になる夢も、好きな女の子のことも諦めなければならないなんて。
ドナータスを、我が家から解放してあげなくては。
わたしは失恋に痛む胸を押さえて、彼のこれからの人生を応援する決意をした。
その日の夕食の後、部屋に戻る途中で、いつものようにドナータスに壁ドンをされた。
覚悟を決めていたわたしは、彼が発言するより先に、準備していた答えを口にする。
「わたし、一生この屋敷で暮らすわ」
ぱぁっとドナータスの声が明るく輝く。
「本当か? 一生か? ずっとか?」
なんて嬉しそうな顔をするのか。言質を取ろうとする彼に、少し寂しい気持ちになる。
「ええ、本当よ。わたしが婿を取って後継ぎを産むわ。わたしの子供が育つまではお父様に頑張ってもらわなければだけど、きっとなんとかなると思う。だからドナータスは安心して家を出て騎士になってちょうだい」
「は!?」
先ほどまで嬉しそうだったドナータスが急に声を荒げる。
「婿を取るって、俺に家を出ろってどういうことだ!? やっぱり騎士が好きなのか?」
「だってあなた、騎士になりたいのでしょう? そのために我が家の跡取りを辞めたいのではないの?」
ドナータスは頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「ちょっと、アンジュが何言ってんのかわかんないんだけど」
隣に同じようにしゃがみ込んで、彼の右手を両手で開く。
「たこが出来るほど剣を握っているのは騎士になりたいからではないの?」
なぜかドナータスの顔を赤く染まっていく。
「アンジュが小説に出てくる騎士がカッコいいって言ったから。剣が強い人素敵って言ったから。別に剣を振るうのが嫌いではないけど、それを仕事にしたいとかじゃなくて、アンジュにカッコいいって、言ってもらいたかっただけだよ」
上目遣いにわたしを見る瞳に涙が潤んでくる。
「俺、アンジュが好きで結婚したくて、お義父様にお願いして養子にしてもらったのに、なんで俺に出て行けとか言うんだよ。見合いするとか婿を取るとか言うんだよ」
ドナータスがわたしを好きだなんて、初耳だ。
「頼む! 俺と一緒にずっとこの屋敷で暮らしてくれ!!」
握った右手で、強く握り返されて、叫ばれる。
「わたしのこと、好きなの?」
「好きだ!! 一生ここで一緒に暮らそうって何度も言っただろ?」
「一生ここで暮らしてくれ、だけじゃ、わからないわよ」
ショックを受けるドナータスは、呟く。
「もしかして、俺の告白、伝わってなかった?」
「……好きと言われなければ、わからないわ」
ドナータスの毎日の壁ドンは愛の告白だったのか。残念ながら、わたしには全然伝わっていなかった。
「好きだ。親戚の集まったパーティーで一目惚れしてから、ずっと。お義父様に頼み込んでいくつも試練を出されて、やっと認めてもらって。いずれ結婚するけど、早めに当主教育を始めたいからと養子にしてもらってこの屋敷に住むようになって。毎日顔を合わせるアンジュが可愛くてどんどん好きになって。それなのに、お義父様にアンジュが他のヤツとお見合いしたいって言ってるて言われて。必死で女の子が好きだって言う壁ドンして気持ちを伝えてたつもりだったのに」
いつもは見上げるドナータスがしゃがみ込んでいるおかげで、いつも感じる身長差がない。
わたしは、壁にドンと手をついて、ドナータスを囲みこむ。
「わたしもドナータスが好きよ。これからはちゃんと好きと言葉にして?」
耳まで真っ赤に染めたドナータスが、首を縦に何度も振る。いつもはカッコいい彼が可愛らしくて、思わずチュッと耳に口づけを贈る。照れる彼が可愛くて、悲鳴を上げて泣き出すまで、彼の好きなところを囁きながら、チュッチュッと頭に頬に口づけを続けた。
その後、お父様にどうしてドナータスのことをちゃんと説明してくれなかったの、と問い詰めると、俺にあんなにアンジュが好きだの可愛いだの言ってたのに、本人に言ってなかったの?と逆に驚かれてしまった。
あれから、今でも毎日壁ドンは続いている。以前とは違って、優しくてとびきり甘い言葉ばかりで、嬉しくも恥ずかしいけれど、幸せで。
照れる彼が見たくて、わたしも時々ドナータスを壁ドンして、言葉を返せないほど真っ赤にするのが、今のわたしの楽しみでもある。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
ブックマーク、評価、いいね、どれもとても嬉しいです。




