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5 紫髪のキューピッド

注:主人公が自分を売る描写あります



 下腹が焦げ付くような日々を送り、時たまこの館から飛び出してしまいたくなるような衝動にかられながらも、徐々にスズは諦めはじめていた。

 諦めて、世間の皆さんが言うように「愛には種類があるのだ」と思うようにしはじめた。そうして「自分はナナのこども部門で一番なんだ」と考えて、自分を慰めるようにした。それでも時折どうにもならない飢渇に苦しみながらも、ナナから受ける特別扱いと抱擁と接吻でどうにか飢えをしのいだ。

 スズはスズなりに立場をわきまえて、真面目に働いて、耐えていたのだ。


 にも関わらず、だ。


「ああ、私のぼうや、私のシェリ、私の唯一のべべちゃん!」


 突然館に帰還したその青年は、当然といった笑顔でその言葉を受け入れナナを抱きしめにいった。

 その顔はよく整っていて振る舞いもナナの数倍洗練されているが、ナナには魅力のスパイスかフェロモンの一種程度にしか作用しない「悪役」の気配が青年からは濃厚に漂っている。その気配に対して無意識に嫌悪感と不快感を抱き、スズはもちろんゾエを除いたほぼ全ての使用人が眉をしかめていた。

 しかしナナはそれらの不快感など一切気にならないといった様子で青年の抱擁を受け入れ、より強い力で彼を抱きしめるとキスの雨をその形のいい頭と額にふらせた。


「どうしたの?なにかあったの?連絡を貰ったとき私びっくりしちゃったわ!」

「突然帰ってきてごめんなさい。ご迷惑でしたよね」

「いいえ、いいえ!迷惑だなんて小鳥のちいさな嘴ほどにも思ってないわ!むしろね、私は嬉しくてしかたないの!」


 そういって再びナナは青年の両の頬にキスを落とした。ナナの瞳はその美しいきらめき全てをもって「愛おしい」と叫んでいる。普段ナナをみていない人がみてもすぐわかるぐらいには、その青年はナナに愛されていた。


「真面目なルイゼ坊やのことだから、こんな時期にいきなり帰ってくるなんて…なにかよほどのことがあるんでしょう?さ、なにがあってどうしたいのかこのママンに話してみて。なんでも叶えてあげるし、なんでも解決してあげる」

「ありがとうございます。さすが母上、隠し事はできませんね。…実は今回は…すこしお願いしたいことがあって帰ってまいりました」


 そういうと、青年はさっと周囲を見回し周囲の使用人たちの姿を確認した。

 それをみるとすぐにナナは「部屋に入りましょうか」と青年と腕を組み、掃除だけされていて使われていない__でもただの空き部屋にしては、生活感と誰かの好みを反映したような個性があるなとスズが思っていた部屋__に入っていった。「誰も部屋にいれちゃだめよ」という言葉つきで。



 その青年は、誰かに言われるまでもなく間違いなくナナの実の息子ルイだった。ナナの血を分けた唯一の子供。特別な島の特別な子だけが通える魔法学校に通う__あのイヌと同じ学校に通う、ナナの自慢の愛息子。

 まさしく、彼はナナにとっての「特別」。圧倒的一番だった。


 幸い、息子は夕食だけナナと共にしてその日のうちに魔法を使ってすぐに学校へと帰って行った。

 しかしだからなんだというのだろう。あの男がいる限りスズは「一番」になれないのだ。総合部門ではもちろん、子供部門でさえも。

 だってもうその違いは資産力だとか美しさとかそういう次元ではない。その身に纏う血と肉と骨の時点でなにもかも違うのだ。この青年はナナの腹の中で十月十日の時間を共有し、ナナの血肉を分け与えられ、言葉の通りナナの肢体を切り裂き生まれた存在なのだ。対してスズはなにか?田舎からやってきた小汚く教養もない不細工な使用人の娘。どこにも勝ち目はない、勝てるわけがない。いや、戦おうとすることすらおこがましいレベルだ。


 でも同時に。「あの男にナナに愛されるほどの価値があるのか」ともスズは思った。だって、ただ偶然、すごくすごくラッキーなことにナナの元に生まれた…というだけであんな風に特別に愛されているようにしか思えない。あの男がナナになにをしてあげたというのだろうか。ナナがあの男を特別に愛するように、あの男もナナを愛しているのだろうか。普段は離れて暮らして、なにかあったときだけこうやって頼って来るなんてあまりにも都合がよすぎるように思う。だからどうしてもスズには、ナナがあの男にいいように利用されているようにしか思えなかった。


 しかしだからといって、ナナに対してあの男のことをどうこう言うほどの勇気はスズにはなかった。

 そんな言葉でナナの笑顔を曇らせたくなかった、というのはもちろんだが、なによりもそんなことを言ってナナに嫌われたくなかった。一番になれないならいっそ…と頭によぎらないことはなかったが、それでもやはりスズはナナに愛を分けて欲しかった。心身を切り分けるような愛でなく、視界の端に認めたら名前を呼ぶ程度のそれでもよかったから…ナナには少しでも興味と好感を抱いてほしかった。



 スズはスズなりにナナにより興味と好感を抱いてもらうために色々頑張っていた。これは息子の襲来より前からもそうだったが、息子が襲来してからスズはより頑張った。

 たいして好きなものでもなくても、ナナが「好き」といえば同じように「好き」といったし、まずいと思ったものも「おいしい」と言った。ナナと同じものを「好き」と思えるように、「おいしい」と思えるように努力した。ないお金をはたいて少しでも綺麗になれるように頑張って、「小汚い」から「普通」ぐらいには成長した。ナナが「欲しい」というものは…大抵が高いものなのでスズごときに買えることはなかったが、たまにあるどうにか手に入る範囲のもの__例えばお菓子とかなら頑張って手に入れてプレゼントしたりもした。

 それでもスズがナナにとっての「息子がいない時のかわり」に愛でられる存在から進化している様子はなかった。だから、スズは少し無理をするようになった。ナナへのプレゼント、そして自分を磨くものを「どうにか手に入る」範囲ではなく、「ギリギリ手に入らない」はずのものにも無理やり手を伸ばすようになった。スズがどう頑張っても、その貢物は金銭的価値ではナナのパトロンである富豪たちがナナに贈るプレゼントには少しも及ばないどころか、実のところナナがプレゼントの金銭的価値を重視しているかすら怪しいとスズは思っていた。にも関わらず、スズは手の届かないものに手を伸ばそうとした。最初は貯金を切り崩してとかそういうやり方だったが、もちろんそんな方法は続かない。

 


 __では、どうやって手の届かない星に手を伸ばそうとしたのか。



 それはいつもスズの隣の部屋だとか、近所の家だとかでごくごく普通に横たわっている手段だった。

 その手段に対して…スズに戸惑いや不安が全くなかったとは言わない。しかし、周囲の人間も__それこそナナもそうやってお金を稼いでいたから思ったよりも抵抗感はなかった。むしろナナに近づけると思えばちょっとだけ嬉しくもあった。

 もちろんナナが相手するような客はとれなかったが、この街には金で買える都合のいいモノを求める客で溢れていたから、スズのようなすべてにおいて平凡より下ぐらいの女にもある程度買い手はいた。スズのこの地域ではあまり見かけない異国風の容姿も、うまく使えばプラスに働いたかもしれない。しかし、スズとしてはナナにこのことはなるべくバレたくなかったので、ずっと顔を隠して商売をしていた。いくらか値段を落としているとは言え、この商売は顔を隠しても成り立つものなのかとスズとしても最初は驚いた。だが、この世には別段顔になぞ興味がなく器さえあればいい人間・むしろその秘密に興味を抱く人間というものがいるのだと徐々に理解していった。


 おそらくだが、この仕事のことがバレてもナナはスズのことをクビになどしない。「ナナのために頑張っている」ことをナナに知って欲しいとも時々思う。それでよりかわいがってくれるなら嬉しい。だけど、なんとなく後ろめたくて言えない。スズはこの商売のことを下にみているわけでもないし、やっている人間のことを恥ずかしい人間だとは一切思わない。だから別にどこの誰にこの商売をやっていることがバレても大して気にならない。でも、ナナにだけは別だった。

 誰に対しても愛情深くて無関心なあのナナが、スズがなにをどうしようとその愛と無関心を変えるとはないとスズにも薄々わかっていた。しかしそれでもスズは、ナナのその一挙手一投足に、すべての些事に心を振り回され潰され満たされていた。






 そんなある日のことだった。

 スズは目元を深くかぶった帽子で、口元をスカーフと扇子で隠し、大通りから一本はずれたいつもの場所にいた。もちろんぼんやり立っているわけではない。男どもに意味深な視線を送ってみたり、少しスカートをあげて誘ってみたり、時には声をかけてみたり。

 スズは顔を隠していることもあってそこまで選り好みはできないが、なるべく安全そうな男を選んでアプローチをかけていた。


「…やぁ、お嬢さん」

「こんにちは」


 スズに声をかけたのは、仕立てのいい服を着た清潔感のあるオールバックの男だった。服装や振舞いを見る限り中流階級で、年は40後半程度だろうか。スズの客にしてはそこまで悪くない客だろう。


「今日は随分冷えますね」

「本当に。寒くて仕方ありませんわ。…もしよろしければ、お傍に寄っても?」

「もちろん」


 男が差しだしてきた腕にスズの腕を迷わず絡める。


「いくらにしようか。…これぐらいはどうかな」

「…まぁ、冗談はよし…んっ」

「わかったよ。じゃあ、これくらいだねマドモアゼル」


 スズは改めて男に指で提示された数字に頷いた後、勝手にはぎとられたスカーフを男から取り返そうとするも、再び唇を押し付けられたため諦めてそれを受け入れる。

 正直その口づけというものは、普通の行為よりも心を削りとってくる感じがしてスズは大嫌いだった。


「スー…?」


 そんな空気も気も抜けるような音が聞こえてきたのは、口の中をナメクジが這いまわるような感覚にスズが「死にたいな」なんて思っていた時のことだった。


「は、離れろ!お前…!!!」


 ナメクジが口の中から外れて行って、薄汚く光を反射する白い糸がスズの視界の端でプツンと切れる。

 さっきまでスズの目の前にいたはずの男は汚い地面に無様に尻もちをつき、目を白黒させていた。


「は!?君、一体なんのつもりだ…!!?」

「そっちの方こそ…あ、スー!?」


 スズは一目散にその場から逃げ出した。

 自分の名前を呼ぶ誰かの顔を見ることは決してないまま。




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