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4 魔性のマダムA



「まぁ、あんたがルーのところの子ね?もう来ないのかと思ってた!」


 イヌの父の言伝に従って向かったスズの次の務め先は随分遠く、随分都会であった。

 そして、黄金色の髪と豊満な肉体を揺らし迎え入れたのは、大層美しい女性だった。それはもう、イヌ小屋でありとらゆる情報から隔絶されてきて人の美醜が曖昧なスズでも、思わず「美しい」と思ってしまうほどに。


「いらっしゃい。ようこそ!ええっと…名前は…」

「すみません、スズと申します」

「ああ、スズ…スズ…スズ!そうだった!今日からよろしく」


 その女性は優しそうな微笑を浮かべているが、その目にはどこか好奇心とわずかな興味が混じっている。

 スズはその目と女性の美貌にどことなくいたたまれない気分になって、すぐにでも帰りたくなった。あまりにもこの人と自分は違いすぎる。まるで別の生き物みたいだけど、別の生き物じゃないのが辛い。いっそのこと根本から別の生物だったらよかったのに。


「あらま、そんな緊張しないでよ。うちの家に来たからには、いろいろと覚えてもらうこともそりゃあるけれど、あなたならきっと大丈夫よ。私にはわかるわ。なにも怖いことなんてない」


 そういったあと、女性は少し身体を傾けてあらためてじっとスズを観察して、顔と服装をみてなにか考え込むような仕草をした。


「ただまぁ、まずは私のお手伝いよりも…あなたのことをやるべきかもね?」


 二コリ、と笑う女性に不思議と悪意は感じない。だけれども、スズは頬を真っ赤にして俯いた。とてもとても恥ずかしかった。イヌ小屋にいる間、自分がどう見えるかなんて気にしたことがなかったけれど、そのことを激しく後悔した。そしてやっぱりまた帰りたくなった。



  *  *  *  *



 そこからのスズの日々はまさに激動の一言であった。

 現在でこそ普通の小間遣いの仕事も覚え始めるようになったが、入りたての頃はまずはゾエという女性の小間遣いに身だしなみから振る舞いまで徹底的にしつけられた。別にしょせん小間使いならなんでもいいじゃん、と思わなくもなかったがどうやらスズの身だしなみと振る舞いは「しょせん小間使い」のものであっても恥ずかしいものであったらしい。時折あの美しい女主人__彼女はナナという舞台女優らしい__が気まぐれにスズのために仕立て屋をよびつけたり、街への買いものにスズをつき合わせたりして、ほぼ空だったスズの箪笥はかなりのハイスピードで埋まっていった。

 ナナは聞くところによるとイヌの父と同じ「悪役」らしい。でも、不思議とスズがイヌやイヌの父に感じるような問答無用の嫌悪感はなくて、むしろ強い魅力を放っていた。そうでなければ、女優…と彼女のもう一つの仕事は務まらないだろう。実際にありとあらゆる男が彼女の虜になり、まるでナナの奴隷のように振舞っていた。

 そして、彼女は気まぐれで気分屋な少女のような一面をもちながらも、スズに対して母親のように振舞う節があった。スズがゾエの叱咤に落ち込んでいるのを見かけると「私のべべちゃん、そんなに落ち込まないで。いつかきっとうまくできるようになるわ」などと声をかけながら、しばしばその豊満な胸の中にスズを迎え入れた。あるいは「そんなに厳しくしなくてもいいじゃない」などと、ゾエに小言を漏らすこともあった。

 スズがこの館に、ひいてはこの都に居続けることができたのは、一重にナナのおかげといって構わないだろう。


「それはね、スズ。あなたと同じ年頃のお坊ちゃまがマダムにはいらっしゃるからよ」


 ある日、スズは「なぜナナはこんなにもよくしてくれるのか」と少し誇らしい気持ちも含めてゾエに尋ねたことがあった。そしたら、ゾエは上記のように述べ、それから少しだけ目を細めて「だから、あなたがマダムの特別だなんて勘違いしちゃだめよ」と告げた。

 そのつけたしのように言われた言葉については後によくよく意味をスズは理解することになるのだが、それは置いといてスズは大変驚いた。スズはゾエの牽制のような言葉にムッとするにはしたのだが、それよりもナナが「母親」という点にものすごく驚いた。


 ナナは振る舞いだけでなく見た目もかなり若々しく見えたし、なにより美しかった。たしかにスズよりいくらか年上だろうとは思っていたが、さすがにスズと同じ年頃の子がいるような年齢の女性には見えない。


「今はね、シャローム王立大学という遠いところにある魔法使いの大学に通っているの。魔法も使える、とても優秀なお坊ちゃまなのよ」


 ゾエはなぜか自分のことでもないのに誇らしげだったが、それはどうでもよくてスズは「シャーロム王立大学」という名前が耳にとまった。

 その名前にスズは聞き覚えがあった。たしかイヌがそれについて話していたような…とまで考えて、思考を止める。イヌのことなどどうでもいいのだ。もう思い出す必要はない。スズとイヌはもはや他人であり、関わることなどもうないから。


「お坊ちゃまはどんな方なんですか?」

「今18なんだけれど、それはもう大層な美男子でね、社交界にでれば誰もが振り向く…


 18…イヌと同じ年齢、などと考えてから違う違うと首を横に振ってからはたと気づく。

 イヌと同じ年齢ということは、スズとナナの息子は五歳の差がある。たしかにナナと息子の年齢よりは近いだろうが、5歳というのはまぁまぁな差であって「同年代」かと言われれば首を傾げる年齢差だろう。年齢についていくらかいくらか誤解がありそうだな…と思いつつ、スズはその誤解をわざわざ訂正してナナの抱擁と接吻を失う必要性を特に感じなかったため黙っておいた。

 スズはこの街に来てからナナ以外にもよく年齢を間違えられたが、それは実年齢に対しスズの内面が未熟なため…というのも大いにある。だが、それだけでなく、極東の血を継ぐスズは花の都の住人よりは実際に顔や体のつくりがいくらか幼かった。その異国の血は時折不当な扱いや軽んじられることに繋がることもあったが、「幼くみられる」ということはしばしば得なことでもあった。特にナナに年齢を勘違いされたのは大きなラッキーだっただろう。


「ねぇ、聞いてる?」

「え、あ、はい。えっと…素晴らしいお坊ちゃまですね…」


 もちろんスズはなにも聞いてなかった。だが、そう答えるとゾエは満足したように「でしょう」とドヤ顔をしたのち、ナナの部屋のベッドのシーツをむしりとりにいった。



  *  *  *  *



「私のプティ、こちらへおいで」


 時間がたてばたつほど、ナナはスズをますます実の子のように扱うようになった。時にはスズをベッドにつれこんで、「私ね、女の子も欲しかったのよ」なんて悪戯っぽく笑い共に寝る日もあった。

 ナナの石鹸とチューベローズの香りに包まれて寝る時間は、スズにとってまさに幸福の時間だった。ずっとスズに欠けていた「なにか」に甘いアルコールを注ぎ込まれているような心地さえした。

 

 しかし、アルコールというのはとても蒸発しやすい。そして一度飲むとまた飲みたくなる。次はもっともっと飲みたくなる。次は…


「…ナナ、愛してる…」

「ええ、私も。私もよ…」


 部屋はしっとりとした甘い雰囲気で満ちている。二人の発する声と音だけ聞いていれば、それはまるで恋人同士のそれのようだ。

 そんなことを思いながら、スズはナナの寝室のドアの前でぼうっと立っていた。


 別にショックだとか…そういうのはない。スズにとっては別にこんなこといつものことだったから。なんだったら台所の方にも男を一人待たせている。ひっきりなしにやってくる堪え性のない男どもを、どうにか鉢合わせないように適当な部屋に押し込んでおくのはスズの仕事であった。

 時折スズが「若い」というだけでスズに絡んでくる厄介な男もいたが、大抵はナナの尻を追いかけるのに夢中なので特に問題はない。ナナが大輪の薔薇だとしたらスズは鈴蘭どころかその辺の雑草といった感じであったし、いくら色ボケ男といえどナナという最高の獲物にして至高の狩人を前にしてスズという添え物に手を出すような馬鹿はいなかった。それになにより、一度スズが男にちょっかいを出された際に、たまたまやってきてその場面を目撃したナナが大激怒したのち男を家から完全に出禁にした。ナナによると最近は顔も合わせていないらしい。それ以降、男たちはスズの扱いに対し大変気を使うようになった。決して雑には扱われないが、進んで話しかけられるようなこともない。

 

 ナナにはそれなりに大事にはされている自信がスズにはあった。少なくとも、その辺の男どもよりはずっと。でも、メインのパトロンたちと比べるとどうだろう…いや、そもそもの立場が違う。パトロンたちとナナは金でのつながり、スズとナナは…愛?いや、結局は雇用関係で結ばれてるんだから金?……なんてことを考えながらスズはいつも一人ため息をつくのだった。

 そしてスズにとって憂鬱なのは、時々ナナに「本気」っぽい相手が現れることだった。基本的にナナは偽りの色恋とその肉体を提供して男共から金を巻き上げる。しかし、その金など関係なしにナナは情愛に溺れることがあった。それがスズにはおそろしい。色に浮かされたナナをみて、今の彼女にとって自分は何番目の存在なのかと指を折る夜が一番こわい。

 もちろん、そういう対象と自分が別枠なのはスズもわかっている。そういう相手が恋の相手だとするならば、スズはおそらくナナの身内で子供だ。そこに生まれる愛に違いはあれど、差はない。どちらがより上だとかそういうのはない…というのが世間一般の定説らしい。

 しかし、スズはそれを信じきれないでいた。やはり、愛の種類が違うとかなんとか言っても結局「順位」というものがあるのでは?…と疑っている自分がいた。というよりそもそも、「愛」に種類だとか本当にあるの?と思っていた。


 なぜなら、スズ自身がもっている「愛」が一種類だったので、種類だとかなんだと言われてもよくわからなかった。スズはナナのことも、犬の…ナナの愛犬ビシューのことも、友人のレアのことも、ゾエのことも、その他の使用人のことも、ナナと同じ劇団で働く女のことも同じように「愛」していた。彼らに向ける愛はすべて同じものだが、愛の質量が定量かと言われるとそれはちがった。曖昧な部分もあるが、上位になればばるほど明確な順位がある。


 その中でナナはスズにとって圧倒的に特別な存在だ。圧倒的に輝く1番。

 なによりも、昔の家族なんかよりも、ずっとずっと愛している。スズはこんなにもナナを愛しているのに、ナナにとって自分は「一番」ではないんじゃないかという不安感がある。いや、実際順位をつけるのならばナナにとってスズは確実に一番ではない。本当に愛に種類があって「子供部門」があるならその中では一番かもしれないが、やはりスズには「愛」は一種類しかあるようには思えない。だってどんな人だって、自分の右手と左手にそれぞれ誰かの命がかかっていたとして、どちらかしか助けられないとなったらどちらを優先するだとかは必ずあるはずだ。今のナナだってきっと右手にスズがいて、左手にあの男__ナナが今愛しているらしい男__がいればあの男を優先するだろう。だって、ナナはあの男に殴られたって「愛してる」だなんてのたまうのだから。きっとスズがナナを殴ったとしたら、そうは言ってくれないだろう。


 みんな「種類」とかなんとか言い訳しているけれど実際はちゃんと愛の順位があって、なんかよくわからないけど後ろめたいのでそれを隠しているだけだ__とやはりスズは思う。

 だからなんだという話ではあるが、とにかく最近のスズはそんなことばかり考えているのであった。そんなことばかり考えているからか、「どうせ一番になれないんだからもうナナを愛するのはやめよう」と虚しい気持ちになってちょっとナナに冷たくしてみたり、「ナナに一番に愛されるように頑張ろう」とナナへの愛に駆られおかしなぐらいにナナのご機嫌とりをしてみたりと、ナナからみたら情緒不安定としか思えないであろう態度をスズはとり続けていた。

 ナナはナナでそんなスズの情緒不安定さを特に気にする様子はなく、すこし冷たくされても「私なんかしちゃった?」、ご機嫌とりをされても「優しいのね」とケロっとしていた。そして、どちらの態度をとっても、「なにかあったの?私のべべちゃん?」と優しい眼でスズをぎゅっと抱きしめる。

 そういう情緒不安定は、ナナにとっては仕事相手の男どもで慣れっこだったのかもしれない。しかし、スズはちょろいのでナナのことがますます好きになってしまうのであった。そしてそれは、底なし沼に自ら足を踏み入れていくかのような息苦しさと微かな高揚がある行為で、スズは愛に溺れるためにナナを愛しているのか、ナナに溺れているから愛に堕ちたのかもわからなくなっていった。



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