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1 私と子犬と家族と





 __馬鹿なイヌっころ



 そう思えば、本能的に湧く生理的な嫌悪感もいくらか収まった。いくらかだがカワイイとすら思えた。



  *  *  *  *



 スズがそのイヌと出会ったのは決して偶然ではなく必然だった。

 話は単純で、スズの家は金がなかったからこれ幸いと権力者に利用されたのだ。


 この世界は本来であれば勝利するはずの物語の主人公(セイギのミカタ)が必ず敗北する歪なおとぎの世界。みんな正しい物語の展開を知っているはずなのに、世界が勝手にそれを無視して主人公たちを敗北させる。お菓子の家の魔法使いはヘンゼルとグレーテルをとっくのとうに食っただろうし、ラプンツェルは永遠に塔の上で、ドロシーは二度と元の世界に帰れない。どんな物語もそうやって歪んで堕ちていくから、この世界では悪役が権力を握り、我が物顔で世界と命を消費する。


 そんな世界でイヌは権力者(あくやく)の長男だったけれど、イヌが生まれた3年後に権力者と彼の愛した人(ヒロイン)の子供が生まれた。だから、イヌはその家にとってとっくのとうに用無しの存在だったのだ。権力者はイヌを殺しても放っておいてもよかったはずだが、悪役であるにも関わらず権力者にはそれなりの良心があったらしい。権力者は近所に住んでいる貧乏人にイヌの世話を押し付けることにした。

 それで、さほど金もかけたくなければ手もかけたくない子供の世話係としてちょうどよかったのが、近所で一番貧乏なスズの家。祖父母はあまりに老いていたし、両親は出稼ぎ中。沢山いる兄妹もほとんどが遠方に働きにでていたし、家に残されたスズ以外の兄妹はだいたいがあまりにも幼かった。だから、スズが選ばれた。といってもスズも11歳だったが。


 はじめて権力者の家に行くことになった時のことは今でも思い出せる。家中のなるべく綺麗な服をかき集めてチグハグに着飾って、祖母が特別な日にちびちびと使う香油をたっぷりと塗りこめられて、化粧なんてものもされて__それこそ、あの日が人生で家族から一番丁寧に扱われた日だったかもしれない。


 館につくと、雇用主である館の主人と顔を合わせるどころかほぼなんの説明もないまま、スズはいきなり柵に囲まれた離れの前につれていかれた。

 そこには、たんぽぽやらシロツメクサやらの沢山の雑草に囲まれてボール遊びをする幼い少年__イヌがいた。イヌは当時まだ6歳だったが、6歳の子が着るにしてはやけに装飾的な服を着て、さらには大人の目もなしに一人で遊んでいた。一人でも泣かずにただ淡々とボール遊びをするその姿は6歳にしては大人びていたかもしれない。だが、堂々と炎天の下に晒されているその犬耳と尻尾がイヌの幼さを証明していた。

 この世界には純粋な人間だけでなく、エルフも、ドワーフも、ゴブリンも、小人も、巨人も、人魚も、妖精も、もちろん妖怪もなにかしらの物語に登場する生物であればなんでも存在する。だが、彼らが全く差別されないかと言われればそうではない。少なくとも人間が支配する地域で生きようとすれば多少見下されることもある。それは、イヌの属する獣人という種族の生物も同じだ。だから、スズが暮らす地域で生きる多くの獣人は自分の獣的な要素を隠す努力をするし、実際に成長して人間社会で生きることを決断したイヌもその犬耳と尻尾を隠して生活することを選んだ。


 そして、スズの目には人間らしき形をしたものについたやけにリアルな犬耳と尻尾が異様に映った。先述の通り、獣人は普通に存在している。だが、狭い世界で生きてきた幼いスズはそれを当然知らないし、気持ち悪いとすら思った。

 幼いスズが思わずその耳と尻尾を凝視していると、少年が手に持ったボールを木にむかって軽く投げつけた。木にあたってそのまま少年の手元に戻って来ることを期待したであろうそのボールは、木の端にあたってうまくバウンドせず、たまたまか神の悪戯かコロコロとスズの方に転がって来る。そして、当然少年もそのボールを追いかけてスズの方にやってくる。

 少年はおそらくまだスズに気づいていないが、このままだと確実に気付かれる__それに気づいたスズは、思わずここに案内してきた使用人の顔を見上げた。だが、使用人は「あれの世話を」と一言だけ残してその場から足早に消え去った。大人のほぼほぼ全速力とも言えるようなスピードに、11歳のガキが追いつけるわけもない。だから、スズは自分に向かってくるボールと、それを追ってこちらに来る少年に一人で相対するほかなかった。


 少年がスズに近づいてくればくるほど鮮明にスズの腹の底を撫でる嫌悪感、その感覚こそ少年が悪役の息子である証明だった。一般人に無条件に嫌悪と憎悪を覚えられる悪役のその性質は、哀れなことに息子にまで遺伝していたのだ。

 もちろんスズもそんな存在に進んで近づくのはいやだ。でも、スズは家の外で働いた経験もあるので、11歳といえど多少の分別はついていた。

 だから、スズは自分の方にボールを追ってやってくる権力者の子供を跳ねのける…なんて真似はせず、ボールを拾ってやると精一杯の優しい笑顔を浮かべて少年の前に立ち、こういってやったのだ。


「一人なの?…だったら、もしよければ一緒に遊ばない?」


 人の温もりに飢えていたイヌはスズのその申し出を大層喜んで受け入れた。

 私有地に突然現れた見知らぬ怪しい小娘も、幼いイヌの前では「一緒に遊んでくれるお姉さん」だった。イヌは面倒くさくなったスズが遊びの手を抜き始めても、くたくたになって「ちょっとやすもうよ」と声をかけても、空が暗くなり始めても「もっともっと!」「あそぼ!あそぼ!」とそれこそ犬みたいに庭を駆けずり回り続けた。


 それこそイヌは、空がもう黒くなりきってスズが「もう帰るから!!!」と叫んでやっとその足を止めた。すると、イヌはしおらしい顔をして「いかないで!」とスズの手を握り、スズが疲れた顔を返せば問答無用で「こっち!」とイヌが一人で暮らしている離れの館にぎゅうぎゅうと引っ張っていった。いかに6歳といえど、獣人の力は強い。だから、スズはなすすべもなく館に引きずり込まれた。それに、「世話をしろ」とは言われていたから食事の準備をしたり、寝かせてやったりするぐらいはしなきゃかもなとも思ったので、そこまで抵抗もしなかった。



 だが、現実はそこまで簡単なものではなかった。

 イヌは獣人にしては…さらには6歳児にしてはイヌらしくお利巧だったのかもしれない。でも、スズがお風呂に入れてやれば泡だらけのまま逃げ出そうとするし、食事を用意してやっても野菜は食べたがらない。極めつけは寝ない。いつまでたっても寝ない。 

 遊べと言うので、さっさと遊び疲れて寝てくれないかなとスズが期待しつつ、屋内でできる限りの遊びにつきあってやっても目をキラキラさせたまま無限に遊び続ける。これはダメだと無理やり遊びを切り上げ、イヌをベッドにいれて部屋を暗くしてもいつまでも寝ない。比喩ではなく物理的に目を光らせてじっとスズを見つめている。

 じっと見つめてくるのもスズにとって恐ろしかったが、目が光っているのはもはやバケモノにしか見えなかった。犬科の獣人なので暗闇で目が光るのはおかしくないのだが、そんなことを幼いスズが知るはずもない。だがら、「こわ…!!こいつなんなんだよ…」と思いながら早く寝てくれることを祈ることしかできなかった。

 

 でも結局、イヌは寝なかった。

 一瞬瞼が落ちかけたが、それをみたスズが部屋から出ようとした瞬間、文字通り背中にとびかかってきた。

 だからもうスズは館どころか部屋から出るのも諦めて、


「どこにも行かないから安心して寝てね…」


 と、疲れた声で告げ、ちょっとした意趣返しとしてイヌを潰すように抱きしめて一緒に寝てやることにした。

 本当はスズはイヌが完全に寝付いたら、家に帰るつもりでいたのだ。こういった仕事は住み込みが普通なのかもしれないが、雇い主からそもそも離れに滞在していいともどう過ごせとも言われていなかった。それに、離れと自宅は、距離としては1キロも離れていなかったし、家に帰ったところで住み込みと大して変わらない。

 しかし、イヌが寝る前に自身が寝落ちてしまって結局それは叶わなかったし、イヌはスズが眠るまで絶対に寝ようとしなかったからそれはずっと続いた。




 そして、一週間たってもなお放置され続けたことでスズは薄々理解した。自分、そしてイヌのおかれている立場を。

 雇用主にとってイヌはどうでもいい存在だからここまで放置されているし、その世話係として呼ばれたスズはそれ以上にどうでもいい存在なのだ。だから、住み込みがどうとかも特に考えられていないし、監視や確認どころか他の使用人も離れによりつかない。イヌは雇用主にとってどうでもいい存在だから、それの世話係として雇われたスズは「なにをしてもいい」し「なにもしなくてもいい」のだ。…それをイヌが許せば。


 だから、スズはもう好きなようにすることにした。


 これまでは遠慮がちに使ってたイヌのベッドでも堂々とど真ん中に寝るようになったし、食材も高価な食材を好きなように使うことにした。ついでに、おいしそうにできた方をスズが全部食べることにした。遊びでもわざと勝たせてやるなどしなくなって、スズが疲れた時以外はすべて圧勝した。イヌがスズを甘噛みしてきた時は仕返しに本気で噛みついてやった。なぜならスズも子供だったから。ある意味では、スズもイヌに甘えていたのかもしれない。

 

 


 



 しかし、家に帰れない日々は一か月以上続いた。

 毎晩毎晩上記のことの繰り返しで、イヌはスズが寝るまで決して寝ない。

 着替えなどは汚した時用として一応替えを持ってきいたし、食料もいつのまにか補充されているのでそこは問題なかったが、スズはなによりも祖父母やら弟や妹たちが心配していないかというのが不安だった。それに、この仕事は本当に泊まり込みでいいのかという確認も誰かからしたかったし、そしてなにより家にいい加減帰りたかった。


 このように、そろそろ限界だったスズは一計を案じた。

 と言っても大したことではない。寝たふりだ。いつも通り…いつもよりかなり早い時間に、食事を食べさせ、適当に遊んだあと、怒りをこめてきゅっと抱きしめてやり、「どこにも行かないよ~」なんていいながら目を閉じる。そして、少しずつ呼吸を緩やかなものにしていく。

 そのようなことをしてスズがイヌの様子を窺っていると、しばらくししてイヌはスズの顔をぺたぺたとさわり首元に顔をすりつけ始めた。やがて満足したのか、大人しくなってくぅくぅと寝息を立て始める。

 イヌが案外あっさり眠ったことにちょっと拍子抜けしつつ、スズはいくらか時間をおいた後にこっそりベッドから抜け出した。

 

 夜道は恐ろしかったけれど、それでも家に帰れるというだけで足は軽やかになった。


 青白い月に照らされた道をいそいそとあるいて、あるいて、あるいて、ようやく我が家にたどり着いたときには、スズは正直ちょっぴり泣いた。 

 いつもと同じ温かなオレンジ色の光が漏れる我が家は一か月帰っていなくてもやっぱり我が家で、どうしようもなく愛おしい気持ちが溢れてくる。


 スズとしては今すぐ入りたい気持ちでいっぱいだったが、今すぐ家に入って家族に泣き顔を見られるのは嫌だった。クソガキの塊である弟どもにからかわれることは確実だったからだ。しかし、やっぱりなるべく早く家族のみんなの顔はみたい。

 ということで、スズはこっそり窓から家を覗き込んだ。この時間帯だから食事中かな、なんて思いながら。


 そしたら、やっぱりそこにはいつもの日常が…いつもの…いつもの…




  *  *  *  *




 スズのイヌ小屋への帰り道は暗くとも明瞭だった。なぜなら、家についたあたりからずっとイヌの遠吠えが聞こえてきたから。スズは別にそこまで耳がいいわけでもなかったが、ある程度見知った道のりの補助役として遠吠えはまぁまぁ役に立った。


 そして、離れを囲む柵の前に立った時その遠吠えはやみ、代わりにあうあうと幼い泣き声と「スー、スー…」という少年期特有の高い声が響きはじめた。ちなみにスズはなんとなくイヌに本名を教えたくなくて、イヌに名前を聞かれた際に適当に「スゴズヴィッタ・ズーズー。…スー様と呼べ」とイヌに言いつけていた。イヌが勝手に呼び捨てにしやがるせいで、空気が抜けるみたいな間抜けな響きになってしまったことはちょっと後悔している。

 

「おねがい。スー、もどってきて」


 父親の命令に忠実なイヌは、柵の外には出てこない。柵の外に手を伸ばすことすらせず、ただ柵にぴったりと張り付き泣きわめいていた。

 それをスズは、無表情でその姿を黙って見つめていた。


「オレ、もっといい子になるよ…。だからおねがい」


「スー、オレもうわがままいわないから。なんでも言う事聞くよ」


「スー、スー、だいすきだよ。おねがい」


 幼い語彙をつくして必死に言葉をつむぐイヌを5分ぐらい無言でながめた後、スズはようやく柵の扉をあけてイヌ小屋に入った。

 それと同時に、イヌはその跳躍力で、半ばとびかかるようにしてスズの首に抱き着いた。そして、涙と鼻水にまみれた顔を首元にすりつけてくる。


「…離して。なんでも言う事聞くんでしょ?」


 スズの冷たい声にイヌはハッとした顔をして、首から腕を離し地面に降りた。


「…ごめん。いたかった?」


 いじらしく尋ねるイヌにスズはなにも答えない。

 なにも答えず、無言で腕をあげ、そのままそれをイヌの頬に振り下ろした。


 パチン、と乾いた音がなる。


 突然の暴力に、イヌはただ呆然としていた。泣きもせず、ただ両目と口をあんぐりと開けていた。


「…あんたのせいだ…」


 対してスズは、泣いていた。

 痛みを感じているのはイヌのはずなのに、なぜかスズが涙をぼとぼとと零していた。


「あんたの、あんたのせいで…私は…」


 そして、「馬鹿」だとか「きらい」だとか、「やだ」だとか思い付く限りの罵倒を喚きたてながら、スズは地面に跪いてイヌを強く抱きしめた。

 スズは、イヌが嫌いで嫌いで憎くてしょうがなかったが、それと同時に自分のことを求めてくれるものはイヌしかいないような気がしていた。


 __いつもの日常。


 スズはそれが許せなかった。

 スズがいないのに「いつも」が家の中に流れているのが。絶対におかしかった。別に泣きながら暮らしていてほしかったわけじゃないけれど、あまりにも全てが普通すぎて…スズがいないことが普通みたいでスズには耐えられなかった。

 そしてなにより、一人一脚用意されているはずなのにスズの椅子がすでになかった。それはまるでもういないものとして、もういらないものとして扱われているみたいな気分になって…


 …本当は知っていた。

 「もう」とかじゃない。スズは最初からいらなかった。

 スズが、家の中で一番いらないからこのイヌ小屋に送りつけられたんだって…本当は最初の最初から知ってた。スズにはまだ家を出ていない一つ上の双子の兄弟がいて、彼らのどちらかではなくスズがこの館に行くことに選ばれた時点で諸々はもう明白だった。どの家事仕事もまともにできなくて、頭も悪くて、しかし特別かわいくも優しくもないスズはあの家にいらなかった。


だけど、スズなりに色々理由を考えて、自分を納得させていた。


でも、あんな光景をみてしまったら…もう家になんか入れなくなった。スズには口減らししたはずの「いらない子」が突然帰ってきて、引き攣る彼らの顔がありありと想像できてしまった。

 だから、せっかくの逃走劇だったのにスズは結局家に入れず、家族とももちろん顔を合わせることなく、むざむざとイヌ小屋に帰って来たのだ。


「スー…」


 イヌはさっき叩かれたことをまるで忘れたかのように、スズのことを優しくぎゅっと抱きしめ返してきた。あまりにもスズが哀れな様子だったからだろうか。それとも、見捨てられたくなかったからか。

 わからなかったが、スズはその抱擁に少しだけ救われた。




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