12 悲しみに、こんにちは
「…大丈夫?」
優しい友人のそんな優しい言葉に「大丈夫」と答えることもできないほど、スズは全く大丈夫ではなかった。
ヴィアが奪われた…というの表現はおかしいが、ともかくヴィアが本当の母親の元に返されたこと、そしてヴィアが「本当の母親を選んだ」ようにしか見えなかったあの光景はスズにどうしようもないほど深刻なダメージを与えた。どうやれば笑えるのか、どうやれば普通に息ができるのか、それがスズにはもうわからない。
一応仕事はやってはいたけど、むしろいた方が邪魔になるレベルの仕事ぶりで、ついに先ほどゾエから怒られ部屋に帰れと言われてしまった。
普段だったらそう怒られても「すみませんやらせてください」という程度のサービスはするが、今のスズはそれが無理な程度には消耗していて、「わかりました」と本当に部屋に戻ってしまった。そんな様子のスズにさすがにゾエが心配して遣わせたのか、あるいはレア本人が心配したのか、部屋に帰ってから数分後にレアが部屋にやってきた。
「…そうだよね。スズ、可愛がってたもんね。ヴィアちゃんのこと」
「…」
「辛いよね…」
「…」
優しく背中を撫でられたところで大した慰めにはならず、むしろなぜかスズの腹の底からはふつふつとなにかが湧き上がってくる。
「今日はいっぱい休んで明日から…
「…うざ」
「…え?」
よくわからないけど、スズの頭と腹にはなにかに当たり散らしたいような衝動が湧き上がってきて、胸でぶつかってバーンと嵐を巻き起こした。
「…誰にでも優しい言葉を言いやがって。誰も彼もに耳触りの良い言葉を言いやがって」
「…なにを、
「本当は恋人様が一番で、他のことなんかどうでもいい癖に。私のことも、今から私に言われることも、夜にベッドで語らう二人の愛を育む話の種になるんでしょ。クソみたい」
レアのことは大好きで、こんなこと言っちゃダメだとわかっているのに、傷つけたいなんて思ってないはずなのに、もうスズは止まれなかった。
「私のこと憐れんでるんでしょ。馬鹿にしてるんでしょ。売春婦のクソビッチが子育てママごっこをしてたら、すぐに本当のお母様に寝取られたって。お前はどうせ誰からも愛されないんだって」
「あんたはいいよね。本気で、特別に愛されてて。誰かの特別になれて」
「私みたいな誰からも誰かの代わりとしてしか扱われない、クソビッチの、雌猫の、ボロ雑巾みたいなやつの気持ちなんかあんたにはわからないよ…」
ここまで好き勝手に当たり散らしているにも関わらず、スズは恐ろしくてレアの顔が見られなかった。
自分勝手にも、スズはレアになにを返されるかが不安で仕方なかった。欲しい言葉がこないことはわかっている。だけど、適当なお茶を濁したような慰めを返されるのもなんだか辛くて、もういっそどこかに行ってくれとも思っていた。でも、実際にレアにこれでどこかに行かれたら、スズはもうどうすればいいのかわからなかった。
「…かわいそうに」
しばらく間をあけて告げられた言葉は、シンプルながらもたしかにスズの心を抉るのに十分な鋭さを持ったものだった。
「哀れなスズ。誰のことも本気で愛さないから誰からも本気で愛されない。ううん、本当はちゃんと愛されているのに、愛なんてものが実際のところあなたにはなにもわかってないから、あまりにも臆病だから、そんなの本物の愛じゃないって否定してる」
「かわいそうに。あなたは一生誰からも愛されない」
__哀れみの目、
「スズ、私はあなたが好きだったよ。愛してた。マーティーに向けるものとは違っても、本当に」
__"過去"になった人を見る目、
「私はたしかにあなたを愛しているのに、スズは何も信じずに試すような真似ばかりするよね。__スズの心はまるで壊れた眼鏡みたい。愛を与えても気づかないし、気づこうともしない。愛に対して疑いばかりを返してくる。…ちょっと疲れちゃった」
___愛想を尽かした目。
レアの目には色んな感情が浮かんでは消えていった。
しかしそんな「色んな」感情の中には、以前のような温かみのあるものはない。
それに対して、スズはただ恐れ慄き、情けなくも震えながらレアの次の言葉を待つことしかできなかった。
「私はね、スズのママじゃないし、ママにはなってあげられない。だから無償の愛は注げないし、こうやって子供の癇癪みたいなものを起こされても、スズの期待する言葉は言ってあげられないの。…わかってくれるよね?」
レアのその言葉に、スズは全て見透かされていたことを理解して、恐れと悲しみだけでなくどうしようもない羞恥を覚えた。
そう、スズには確かにレアに「言って欲しい言葉」があった。あったけど、言ってもらえる訳がないと薄々わかっていたし、そんな言葉を直接求めたところで虚しいだけどわかっていから、そんな思いは心の奥底に見えないように蓋をして押し込んだ。
そして、まるで誤魔化すように、こんな八つ当たりみたいな幼稚な真似をした。スズの怒りと悲しみに押し負けたレアが、もしかしたらスズの欲しい言葉をくれるかもしれないとほんのちょっぴりだけ期待しながら。
それが、全部バレていた。
本当に、本当に心の底から恥ずかしかった。
スズの浅はかな思いがバレていたこと、それを口に出させるほどにレアを失望させてしまったこと。
あの優しいレアさえ失望させてしまうなんて自分はなんてダメな人間なのかと、だから一生誰にも愛されない可哀想な人間なんだと、こんな自分は消えるべきだと本気で、本気でスズは思った。
「ごめん…ごめんなさい…」
「…それじゃあ、私はお仕事に戻るから。今日は…ううん、心が落ち着くまでゆっくり休んでね」
穏やかに、でも目を合わせられることはなく告げられた優しい言葉は、あまりにもスズには痛かった。
随分間が空いてしまい申し訳ありませんm(__)m