10 キヴィット、キヴィット
「…盗み聞きとはいい趣味してんね、あんた」
スズとしては聞かれてまずい話をしていたつもりはない。しかし、こうやって「聞かれたかもしれない」と思うと、なんとなしにイヌに対して後ろめたさを感じていた。
だからかわからないが、口の中はいつの間にか随分と乾いていた。
「…戻ってくるのが遅いから心配で。ごめん。だから…だから…そんなつもりなかったんだ…」
震えた声のまま、瞬きもせずすがるような視線でなぜかイヌはスズを見つめていた。
「…あの、あのさ」
「…なに?」
イヌは今度は異様なほど瞬きをしながら、ヴィアとスズと宙を繰り返し順番に見つめる。そして、スズの方を見た際に口を開きかけてはやめること繰り返す。
「オレは……」
そこまで言いかけたはいいものの、イヌは地面を見たままなにも言わなくなってしまった。
「…いや、いや…。やっぱいいや…」
「…そう」
結局続きの言葉が紡がれることはなく、代わりにその言葉を告げるとイヌは弱々しく笑ってみせた。
そんなイヌに対しなにか声をかけてやろうかとも思ったが、それを実行に移す前にヴィアに服の肩の部分を引っ張られる。どうしたのかと腕の中をみると、不安そうにスズを見上げるヴィアと目が合った。
ヴィアとしては、スズが本当に先ほどの自分の願いをかなえてくれるのかが心配なのだろう。あの願いを叶えるかどうかで、そのあとの約束の言葉が守られるかどうかも変わるとすら思っているかもしれない。小さい子供は意外と大人が小さい約束を守ったかどうかとか、そういう部分をよく見てるし覚えている。
「…いきなりで悪いけど…帰るわ、うちら。事情は聞いてたでしょ?」
「…えっ、でも…今回の分は…」
スズたちに背向けリビングの方に目をやるイヌに「ああ…金はあっちか…」とスズは察する。
わざわざ取りに行って貰っては多少時間かかるだろうし、結局受け取ったあとに再び会話することになるだろう。きっとそれではヴィアとの約束は守られたことにならない。
「ごめんね。今回はいいから。じゃあ」
「…でも…」
立ち去ろうとするスズたちに、なぜかイヌの方が不安な顔をする。今回のこれでイヌとしては金を持っていかれないという利益のみがあるはずで損はないし、これで生活に不安が生まれるのはスズたちの方なのにおかしな話である。
「スー…これじゃ生活できないんじゃ…」
その言葉を聞き、なんだそんなことを心配していたのかとスズは合点がいく。
イヌは本当にお人よしで飼い主に忠実らしい。恥知らずの金食い虫の生活なんぞを心配している。もしかしたら、この金がなければまたスズが__実際には金を貰い始めてからも続けているが__自分を売り始めるのではと心配しているのかもしれない。
「別に。あんたから金をもらわなくても仕事は別にあるから。さっきも言ったでしょ、この子を預けられたのもその仕事の一環だし」
スズのその言葉になにかを言いかけてやめることを繰り返したイヌは、「…そっか」と一言だけ絞り出し黙った。
そんなイヌに対し、スズは「じゃあね」とヴィアを抱え直し出口に向かう。
「…あの、連絡待ってるから。いつだって連絡してくれて大丈夫だからね。またね、スー。また会おう。…またね」
スズはそれにどう返答するか悩み…結局なにも言わずに後ろを向いたまま軽く手を振り、そのまま部屋から立ち去った。