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9 鏡よ鏡、この世で一番…



「…今の声は?」


 スズに聞こえたということは、当然イヌにも聞こえている。イヌは犬獣人だから、耳も鼻も人間よりずっと優れている。一応匂い対策はアホみたいに匂いがキツい香水をスズが使いまくる…という方法でやっておいたが、音は匂いでは誤魔化せない。


「…さぁ?気のせいじゃない?」

「いや、間違いなく聞こえた」


 最後の悪あがきを仕掛けてみるが、イヌの意見は揺るがない。

 しかも、なんともアレなことにすすり泣く声すら聞こえてくる。


「泣いてる…?」

「幽霊の声でも聞こえてるんじゃない?」

「いや、それにしては…」

「すぅ…うぅ…ねぇ…すぅ、すぅ…」


 そこまで聞こえてきて、いい加減にスズは諦めた。というより、じっとなんかしていられなくなった。 


「ヴィア!!!」


 ナナの邸宅にあるスズの部屋と同じくらい広いクローゼットの扉を開き、勢いよく飛び込む。

 無駄に大きいこの部屋の中で、クローゼットが一番出口に近いかつイヌが開きそうもないところだったため、そこにヴィアを隠していたのだ。

 本当は使用人仲間の誰かに預けておくことが一番いいとスズにもわかっていたが、ヴィアがついていくと言い張ったのとスズもヴィアと離れるのが心配で結局つれてきた。前回はあっさりと他の使用人仲間に預けられてくれたので、随分ヴィアも自分に懐いたものだな…とスズはちょっとだけ感慨深くなったりもしたが、なにもかもが判断ミスだったと今になっては思う。


「すぅ…!!!」


 扉を開けると同時に、小さな重みがスズの身体に飛びつく。

 スズをみあげた可憐な顔は涙でぐちゃぐちゃになっており、擦ってしまったのか目元にはピンクのミニバラが咲いていた。


「ごめんなさい…ごめんなさい…すぅのいいつけ守れなくてごめんなさい」

「どうして謝るの、ヴィア。あんたはなにも悪くないよ。こんなところに閉じ込めて長い時間待たせた私が全部悪い。本当にごめんね」


 スズの心は後悔で満ちていた。

 こんな幼い子供が薄暗く大して広くもない部屋で一人じっと待っているなんてできるわけがない。きっと不安で仕方なかっただろう。


「ううん、ヴィアがわるいの…。そんなわけないのに…すぅがヴィアのことここに捨てていっちゃったんじゃないかって…こわくて…」

「私がヴィアのことを捨てるわけないよ」

「ほんとう?すぅはヴィアのこと好き?大好き?」

「大好きだよ。本当に。だから絶対どこにもおいてかないし、捨てたりなんか絶対にしない」


 そういってスズが膝立ちになってヴィアを抱きしめると、ヴィアはひたとスズに張り付く。そして、スズの首元で鼻をすすりはじめた。


「…えっと…」


 その声で、スズはようやくこの部屋にもう一人いたことを思い出した。

 実物大のフランス人形のようなヴィアを抱きあげ、後ろを振り返る。


「…なに?」

「彼女は…スーの、子供?」

 

 スズはあまりにも予想通りのことを言うイヌを思わずぶん殴りたくなった。



  *  *  *  *



「つまり、彼女はスーの実の子じゃなくて預けられただけの子ってこと…?」

「まぁ、そうだね」


 イヌに個人情報は漏らしたくないので細かな名称などは伏せながら事情を説明したところ、そう簡単にまとめられる。

 なんだか「だけ」というのが腹立たしいが、間違ってはいない。


「スーにまともに子育てなんてできるわけない…」


 全部の光をつけてもなぜかまだ薄暗いホテルの光に照らされながら、イヌが大真面目な顔でうそぶく。


「あんたは自分が誰に育ててもらったと思ってるわけ?」

「オレは…比較的おとなしくてしっかりしてたから。というか、途中からはオレがスーの面倒をみてたぐらいだよ」

「は?」


 前半の内容はともかく、後半の内容はあながち間違っていない。家事をするために雇われているはずのスズなのに、イヌはそれらを自分で勝手にやるようになった。

 しかし、事実の指摘というのはなによりも腹立たしい。そして、スズとしては生意気な口を叩いたイヌを放っておくわけにはいかない。


「あれは何歳の時だっけ?自分で夜中に漏らしたくせに泣きながら助けを求めてきたのは誰だっけ?しかも一回じゃすまないよね?<スー、スー、冷たいよぉ~>ってねぇ?あー、あとは私がちょっと外出しただけで<スー、スー>って毎回泣きわめいてたよね?あ、私がかえってきたのが嬉しすぎて玄関で…」

「もういいよ!!」


 イヌは顔を真っ赤にしてスズの言葉を遮る。

 スズとしてはまだまだ沢山「ネタ」はあったが、イヌをやりこめられて十分満足したのであとは温存しておくことにする。それに、ヴィアにこれ以上イヌのくだらないエピソードを聞かせたくない。


「とにかく、ヴィアのことは私が面倒みるってことになってるから。あんたにはなんにも口出しする余地ナシ。わかってくれた?はい、じゃあ、はやくアレを頂戴ね」


 さっさと金を寄越せばいいものを、イヌはなんとも言えない渋い顔でスズとヴィアを交互にみるだけで動き出そうとしない。

 まさか「アレ」が金のことだとわからないほど空気の読めないイヌではないだろう。


「…すぅ、このおじさん…すぅのお友達?」

 

 沈黙に耐えかねたのか、あるいはようやく訪れた沈黙に言葉を発するタイミングを得たと思ったのか、最初以降黙ってスズの後ろに隠れていたヴィアがイヌを指さす。


「オレは…

「このオジサンはね、私の知り合い。オジサンかイヌって呼んであげて」

「…スーにおじさんって言われたくない。オレはスーよりずっと若いよ」

「あ~?そうだっけ?あんたの年齢なんて忘れちゃったし、老け顔だったからわからなかったわ。…でもまぁ、この通りオジサンはオジサン呼びはイヤみたいだから、イヌって呼んであげて」

「スー!!」


 イヌはイヌの癖にキャンキャン吠えてくる。ヴィアと比べたらオジサンだろうし、イヌであることは変えようのない事実なのになんの文句があるのだろう。


 無駄な文句をつけてくるイヌを迎え撃とうとしていたら、ヴィアが何か言いたげな顔でスズの後ろのスカートをくしゃりと引っ張って来る。


「どうしたの、ヴィア?」

「…おしっこ行きたい」

「ありゃ、そうか。我慢させてごめんね。いってらっしゃい」

「トイレの場所わからない…すぅ、ついてきて…」


 不安そうな顔を見せるヴィアに、「あれ?来たばっかの時トイレ連れて行かなかったっけ?」と思いつつ「仕方ないなぁ~」とヴィアの手を掴む。ヴィアはまだ幼いので、さっきまでの不安な状態の間にわからなくなってしまっても仕方がないだろう。


 イヌは相変わらずなにか言いたげな顔でこちらをみているしスズも言いたいことはまだあったが、それらはとりあえず適当にどこかにほっぽってヴィアのことをトイレに連れて行く。


「…ねぇ」


 ヴィアを置いてトイレからスズが出ようとすると、ヴィアがスズの腕をちょこんとちまっこい手で掴む。


「…すぅとあの人はすごく仲良しなのね」

「なんで?そんなこと少しもないよ」

「すぅはあの人と結婚しちゃうの?すぅはあの人のこと好きなの?…結婚しても、ヴィアのこと置いていかない?」

「結婚!?なに言ってんの?そんなわけないでしょ」


 よくわからない思考の飛躍をするヴィアにスズは思わず素っ頓狂な声を上げる。子どもの思考とはここまで飛び跳ねるものだっただろうか、しかもこんなマイナスな方向で。

 …これはあくまで「もしかしたら」の話だし、ナナは多くを語らなかったので詳細はわからないが、ナントカさんがヴィアを手放した…とも言えるレベルで、長い間放置しているのは__


「ほんとうに?…じゃあ、すぅはヴィアとあの人どっちが好き?」

「…ヴィアの方に決まってるでしょ。なにがあっても私は…すぅはいつまでもヴィアのことが大好きだよ。絶対バイバイなんかしない」

「ほんとう?ほんとうに?」

「本当だよ」

「じゃあ…ヴィアが……」

「うん」

「……やっぱ、やっぱいい。きっとすぅこまるから…」

「大丈夫だよ。ヴィアのお願いぐらいじゃ私はなにも困らない。むしろ素直にいってくれない方が悲しくなる」


 だから教えて、と手で筒の形をつくりそれをヴィアの口元に近づける。

 ヴィアはしばらく視線を彷徨わせていたが、目が合った時にスズが笑顔で頷いてみせると一瞬考えたのちにスズの手にそっと口と手を当てた。


「(じゃあ…、もしヴィアがもう今すぐにおうちに帰りたいっていってもすぅは怒らない?)」

「(…もちろん)」

 

 当然、スズの脳内には金のことがちらついた。「今すぐ」というのは、おそらくリビングルームに残してきたイヌには会わずに、あるいは顔を合わせたとしても別れの挨拶だけで帰りたいということだろう。それはつまり金をもらうタイミングがあるかどうか怪しいし、もらえなかったとしたら家計は不安定なものとなる。

 いやしかし、金に関してはしばらくは節約すればどうにかなるだろうととりあえず思考の隅に追いやる。本当に足りなくなったらまたイヌに連絡すればいいだろう。



「…ほんとう?」

「本当だよ」

「…いいの?すぅはそれでこまらないの?」

「うん。お話なんかよりもヴィアのことが大切だからね」

 

 困るにはそりゃ困る。しかし、今優先すべきはヴィアだとスズの直感が告げていた。


「…ごめんなさい。ありがとう。ヴィア、すぅのこと大好き。ほんとうのほんとうに。ずっとずっと一緒にいてね」

「もちろん。ヴィアこそどこにもいかないでね」


 抱っこして長距離を移動するには少々重くなってきたヴィアだが、こんな風に腕を首に回されたら引き離すなんてこともできず、よいしょと抱き上げる。

 四苦八苦しつつどうにか片手でトイレの扉を開けようとするが、まるでなにかが扉の向こうにあるみたいにまるでうまくあかない。


「あっ…」


 ふと扉が軽くなって力をこめていた勢いのまま扉を開けたその先には、なんと形容すべきかわからない顔でこちらを見つめるイヌの姿があった。



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