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8 オリーブの木の話



 スズはここのところ、本人の自認によると「不機嫌でありながらも不機嫌すぎて心が安定していた」。

 スズの不機嫌の理由は明らかで、ナナから新しい仕事を言い渡されたからであった。ナナからの仕事であればほとんどのことは喜んでやるスズにしては珍しいことと思うかもしれないが、今回のスズの仕事は「ナナからの仕事でありながら、ナナに関わる時間がほぼない仕事」であり、なんのためにやっているのかわからないとすらスズは思っていた。

 しかしやはり、どうにもスズはナナが好きなのでやらないわけにはいかない。


()()!!」


 その仕事とは、いわゆる子守であった。

 イヌのところでなにをやっていたのかと聞かれた時に、「子守」と答えたのをナナはなぜか覚えていたらしく、今回スズがこの役に任命された。

 この子が誰の子かというと、当然ナナの子ではない。ナナの友人で同じく春を売る仕事をしているナントカさんという人の娘でヴィアという幼い少女だった。詳しい事情をスズは知らないいが、ナントカさんは忙しく今は面倒を見切れないということで「しばらくの間」ナナに預かってもらうことにしたらしい。「しばらくの間」の具体的な期限が明言されていないことにスズは不穏なものを感じたが、ナナは特に気にすることなくヴィアを預かってそれをスズに任せることにした。

だから、スズは普段の業務を少し減らされる代わりに、毎日絶賛子守中なのであった。


「すぅ、手をこうして」

「はいはい」


 仕方なくスズがヴィアの言うとおりにすると、ヴィアはにっこりと笑ってスズの広げられた腕の中にちょこんと納まった。

 そしてなにかを期待するような顔で見上げてくる。


「はい」

「はいって…」

「はやく!はやく!」


 正直なところ、いくら幼いとはいえ誰かの思惑(という程のものではないが…)のままに動くのはなんだか癪だった。しかし、子供特有のキンキンとした高い声で騒がれると、これはもう耐えられないと早々に諦めてスズはヴィアのことを抱きしめた。


「すぅはヴィアのこと好き?」

「うーん、どうだろう」

「なんでいつもすぅはそういう風にいうの!?ヴィアはすぅのこと大好きなのに!!!すぅ酷い!!すぅ嫌い!!!」

「ごめんって、好き好き。大好きだよ」


 抱きしめた時には輝くような笑顔でスズを見上げていたはずなのに、今はもうパンパンに頬をふくらませてそっぽを向いている。

 ヴィアはいい意味で大人の顔を窺うようなことをあまりしない、子供らしい子供であった。そして、ブロンドのゆるいウェーブがかかった髪と海の一番淡いところをくみ取ったような碧眼、なによりそれらが張り付く顔面が大変に美しい__いわゆる美少女だった。スズとしてはどうしてこんなに愛らしい子をナントカさんは放っておけるのだろうか、と不思議でならなかった。


 そして。

 ここのところのスズの状態は本人の自認としては「不機嫌」であったが、周囲からしてみるとこれまでにないほどに上機嫌であった。

 スズ自身はヴィアの儀式のようにしばしば繰り返される「好き?」の質問に、最終的にはいつも適当に「大好き」であると答えていたが、傍から見てもスズは明らかにヴィアのことが大好きだった。暇があればどこかに連れて行き、非番の日はスズにしては珍しく遠出なんかもする。寝る前にはその綺麗な髪が艶々になるまでブラッシングだってしてやるし、手があれやすいヴィアのためにハンドクリームだって塗ってやる。

 そして、スズからヴィアへはあらゆるものが「おさがり」として与えられたが、当然それらは全てヴィアのために新しく買い揃えられたもので中古のものなど一つもない。特に服なんかはすごくて、スズが現在持っている服の数の倍以上の服…かつスズが持っているものなどよりずっと質の高いものがヴィアには与えられた。今日の服もスズがヴィアに用意したもので、胸元の花の刺繍と丸くふくらんだスカート部分の大きなフリルのデザインが愛らしい、赤と白を基調とした上品なドレスだ。頭の上にちょこんと乗せられたドレスとお揃いのヘッドドレスがヴィアの可憐さをより引き立てている__が、これらの総額は全く可愛い値段ではない。しかし、これと同じような品質・価格帯のものを一切のおしみなくスズはヴィアに与えていた。


 当然、これはナナから支給されるヴィアの養育のための特別手当で買いきれるようなものではない。しかし、スズはナナへのプレゼントを買う金を減らしてまでヴィアに与え続けた。

 しかも、スズはヴィアを寂しがらせないために「いつもの場所」には最近はほぼ行っていなかった。悪いことではないのかもしれないが___なにより金が足りない。

 




「悪いけどさ、ちょっと額増やしてくれない?」


 となると、やはり頼れるのはパトロンの存在だ。

 スズはイヌと一か月に一回程度の頻度で会っていた。会う時はいつもスズから電話をかけて場所と日時だけ告げると、イヌが「わかった」と返す。今のところは、それに対しイヌが「無理」と答えたことも、約束の場所に実際に来なかったこともない。今回はナナの館からそう遠くない場所にあるそれなりの高級ホテルに呼び出したが、しっかりと指定した部屋(一番高い部屋という雑な指定だが)をとっていたし、イヌ本人もちゃんとやってきた。

 こうやって会ったところで大した会話はしないが、スズの機嫌がよければ多少の会話や外出には付き合ってやっていた。


「…別にいいけど、なぜ?それになんかスー…機嫌いい?」

「あんたに話す必要がある?ちなみに機嫌は別によくない」


 さっさと差し出せと言わんばかりに、スズはイヌの前に手の平を差し出す。

 しかしなぜかイヌは渋る。


「金を出してるのはオレだよ。聞く権利ぐらいはあると思うけど」

「欲しいものができたの。それだけ」

「会う頻度もあがってるよね?そんなにお金が必要なの?」

「そうだっけ?まぁ、お金が必要なことには間違いないけど」


 腹立たしいことに、イヌはいらない詮索をしてくる。

 イヌにヴィアのことを伝えたところで大した問題はないだろうが、説明するのが面倒くさい。スズとしては、ヴィアのことをイヌに「スーの子供!?」とか言われたらたまったものではない。ヴィアが本当にスズの子の場合、ヴィアのことを数年前__まだスズがイヌ小屋に居た頃に生んでいたことになるので、ありえないとすぐわかるはずだがイヌだったら言いかねない。


「なぜ?__恋人でもできた?」


 イヌがどうでもいい詮索を繰り返すのでスズはいい加減イラついてきて、イヌのその問いかけに適当に乗ってみることにした。

 それで信じようがなんだろうが、この詮索が終わりさえすればどうでもいいやと思い始めていた。


「そうだよ。ブロンドの髪のキレーな人。優しくて大好き」


 このどうでもいい探偵ごっこを終わらせるためだけに、ナナやら誰かやらを薄ぼんやり想像しながら今この場で考えたなんの意図もない回答だった。


「__そ、っか」


 しかし、スズがそう答えた時のイヌの顔はまさに「傑作」で、スズはスズでビックリしていた。

 イヌは一応「そっか」と答えてはいるが、イヌはまるでこの世の終わりかのような表情をしている。


「___別に客のことを恋人だとか言ってるわけじゃないからね?客を恋人にしたわけでもない。アレは最近はあんまやってないからこうやって金をもらいにきてるわけだし」

「…へぇ」

「すごくまともでいい人だから、あんたが心配するようなことはなにひとつない」


 変な心配をされるのも面倒だし嫌で、思い付いた言葉を並べ立てる。

 しかし、イヌの顔色は悪くなる一方で、どうすればいいのかわからずスズは途方に暮れる。キャンキャン吠えたてられるのは慣れていたし、「うるさい」と一蹴できるのだが、こんな顔には慣れていなかったしどうしてやればいいのかわからなかった。


「__その人は、ちゃんとお金稼いでるの?働いてる?」

「もちろん。私があんたから金を貰うのは、ただその人に見合う人間になるためにちょっと自分に投資したいからってだけ。だから、本当に大丈夫」

「騙されたりしてるわけではない?」

「たぶんね」


 スズは「騙されていない」根拠を伝えることも考えたが、いい加減いもしない架空の恋人との話を捏造するのにもうんざりしてきていた。

 

「あんたこそ恋人は?そろそろできたんじゃないの?」


 もうどうすればいいのかスズにはわからなかったので、適当に話題を変えてみる。


「…いるっていったらどうする?」

「どうするって…別にどうもしないけど」


 むしろこのイヌはどうかすると思っているのだろうか?__と思いつつ、言葉を返す。さっきからスズにはいまいちイヌの意図が読めなかった。


「でもまぁ、金がもらえなくなるかもってちょっと危機感と不安は覚えるかも。一応今はあんたの金がある前提で暮らしてるから」

「…そうなんだ」


 イヌがその回答を聞いて、なぜか少しだけ嬉しそうな顔をする。

 「金ズル」と言われてるも同然の言葉なのになにが嬉しいのだろうか。


「それに、


 その顔色の変化にちょっと安心したスズが続きの言葉を話そうとした時のことだった。


「___すぅ」


 スズの耳は、間違いなくその音を拾った。





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