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修学旅行

 冬が終わり春が来て、僕達二年生は進級していよいよ受験生になる。僕も瀬奈もとっくに受験モードだったから唐突に意識を切り替える必要もなくてその辺は楽だった。瀬奈は二年生最後の考査で国英社を四十点台、数理を二十点台で締める。英語を含めた文系が伸びてきている。理系はイマイチだが勉強する習慣は身についているはずなのであとはいかに理解を深めるかだ。僕の方は桃岡高校のラインには達する見込みしかないので、このまま残りの分野も学び、今までと同じペースで復習していけばいい。


 瀬奈との関係も、まあ普通だ。順調? クリスマスは過ごしたし、大晦日も町の寺へ除夜の鐘を見にいっしょに行ったし、初詣も参れた。バレンタインにチョコももらったし、翌月にはお返しもした。今までは雑にスルーしていた季節のイベントも、これからは瀬奈とのコミュニケーションの材料として利用されていくのかと思うと、なんだか恋愛によって変化する身の回りの環境って意外と広いと気付く。日々そのものが以前と比べて全然違う。まるで別の人生を歩んでいるみたいだった。


 三年生になっても瀬奈と同じクラスだった。たぶん僕をつけておいた方が瀬奈は安全だと判断され、意図的にそうなったんじゃないかなと僕は思っている。先生にそれとなく言われたことがある。僕と知り合ってから瀬奈はいい方に変わったからそのまま仲良くしてあげてくれ、と。まあ先生都合だ。別に先生に言われずとも瀬奈とはいっしょにいるし、いい方にも悪い方にも僕自身が変えていくつもりもない。


 五月は修学旅行。受験気分になれない生徒はここで思いきりハメを外して、その反動で旅行後に猛チャージをしてもらう他ない。僕は瀬奈とほどほどに楽しむことにする。萌原で歴史を学び、鷹座で観光し、篠間のテーマパークで遊ぶ。婿鵜町は田舎中の田舎すぎて遊べるところがまったくないから、瀬奈と歩けるスポットを順番に用意してもらえる修学旅行はなんだかんだありがたい。それからホテル。夜まで瀬奈と過ごす機会なんて滅多にないので、ホテルに関しては僕はなかなか期待を隠しきれない。実際は男女でフロアごと完全に分断されて生徒の往来を先生達が監視し続けるという鋼の体制下での夜になるのだが、それでもなんだか高揚してしまう。


「夜、あたしらの部屋おいでや」と大広間での夕食の場で瀬奈が言う。瀬奈の部屋は、瀬奈と鞘本的衣とそれから全然別グループの女子なんだけど、鞘本的衣は席を外してくれるらしいし、もう一人の女子も別の部屋へ遊びに行くだろうとのこと。まあその女子にしたら瀬奈と鞘本に挟まれて生きた心地はしてないだろう。


「けど、先生が見張っとるやろ?」


「いい抜け道があるんや」と瀬奈は悪そうに笑う。


 ロビーのある一階からは二本のエレベーターが最上階まで伸びているが、二階からスタートする三本目のエレベーターが実はあり、それを使えば先生の検問をすり抜けられるらしい。


「そんなもん誰が発見するんや?」と僕はあきれながらも笑ってしまう。


「鋭理が言っとった」


「ふうん」

 豊島鋭理か。豊島鋭理はできれば僕と瀬奈を別れさせたいようで、この間も、中学生のカップルは受験戦争中にだいたい別れるんやよなどと豆知識を教えてくれた。別に積極的に引っ掻き回してこようとしているわけではないし愛嬌もあるので憎めないんだけど、基本は無視だ。豊島鋭理は僕達を別れさせたいわけだから、豊島鋭理を信じるとだいたい別れる方向に話が寄る。それがもう明らかになっているんだから無視でいい。「でも、そんなの先生らも把握しとるんじゃないん?」


「かもな。でもそのエレベーターはフロアの変な、奥まったところにあって、そこから先生にバレんと入れる部屋は数個しかないみたいやよ。そんな数個の部屋のために先生一人を配置するう?」


「ふうん」


「って、鋭理が言っとったよ」


「ほんで、瀬奈の部屋はその数室の内のひとつなんや?」


「そう」


 要するに、大概の部屋は、その三本目のエレベーターを使用したとしてもメイン廊下に出てしまったら定位置で検問している先生に見つかってしまうわけだ。でもメイン廊下へ出なくてもエレベーターの出入り口からそのまま部屋へ戻ることができる、そういう部屋がいくつかあるってことだろう。そんなわずかな部屋を見張るために先生一人を消費しないだろう、と豊島鋭理は読んでいると。


「まあ試すだけ試してみるか」と僕は言う。「エレベーターのところで先生に見つかったら、見送りに来ただけですっつって僕だけ戻ればいいんやし」


「あはは。そうやね」


 豊島鋭理が瀬奈に伝えたってのは、それは僕達を陥れるための何かの策略か?と疑いもしたけど、何がどうなってもそこまで僕達を陥れることはできないはずだ。仮に僕が瀬奈の部屋にいたのがバレたとしても、最悪「わあ、すみません」と謝って反省文を書けばいいだけなのだ。最悪。その程度が最悪なのだ。どんなに最悪でもその程度にしかならない。僕と瀬奈がいっしょにいるのが見つかったって、別れさせられるわけでもない。


 夕食後、いろんな心積もりをしながら三本目のエレベーターで瀬奈の部屋がある六階に向かうが、検問はなく、あっけないほどすんなりと部屋へ入れてしまう。


 部屋のベッドは掛け布団などが既にくしゃくしゃだった。「まずは跳び跳ねるやろう、普通は」と瀬奈が言う。まあそうだ。僕の部屋の奴も入室一番でベッドに飛び乗っていた。なぜホテルのベッドって飛び乗られてしまうんだろう。


 僕は室内を見回す。

「部屋の造りは男子んとこといっしょやね」


「女子の方が豪華ってことはないやろう」


「いやあ、わからんよ」

 とりあえず、ベッドとは反対側に設置されている化粧台の椅子に座る。


「何するう?」


「遊び道具、部屋に置いてきてもうたわ」


「トランプならあるけど」


「二人でトランプっつってもなあ」


「そうやね」


「……鞘本さんは?」


「どこ行ったんやろな」室内にはいないはずだが、瀬奈はきょろきょろ顔を動かす。「鋭理んところか、龍忠のところ……はさすがに無理か」


「逆に言ったら、この部屋、鞘本さんが笹野くんと会うために使ってもよかったんやよな? 使わんだんやね」


「ま、そうやね」


「あの二人は会わんでよかったんかな。まだ付き合っとるんやろ?」


「うん」


「あの二人は僕達よりも長く付き合っとるってことになるんやよなあ。長ぇなあ」


 僕のつぶやきは半ばスルーされ、「あの二人はよく会っとるから。今日ぐらいはあたしらに譲ってくれたんや」と説明される。


「よく会っとるって、僕らも普通に会っとるやん。毎日顔合わせとるし。そんなに頻度違うんけ?」


「いや……」瀬奈はうつむいて言いにくそうにする。「夜に会っとるってこと」


「ああ……そういう」と僕も反応に困る。


 夜に会うということがどういう意味なのかはいくら僕でももうわかる。で、その機会を今日は僕達に譲ったということは、少なくとも瀬奈にはそのつもりがあるということになる。僕は? 僕はただなんとなく瀬奈と時間を過ごすつもりでしかいなかったし、いきなり言われても尻込んでしまうし、実際ふんわりとした知識しかないし上手くできる自信もないし、なんか廊下が気になって集中できなさそう。いや、僕だって瀬奈ともっと愛情を深めたいし、その具体的な手段があるんであればトライしたいけれど、感覚的にはもう少し先の話だと勝手に自分に猶予を与えて安心していた。瀬奈は……笹野龍忠とか鞘本的衣なんかが周りにいるわけだから僕の感覚とはズレていて、その成熟度合いは高いんだろう。もしや既に誰かと試していて……と考えるのはバカらしすぎてすぐやめる。さすがにありえないし、そんなことを瀬奈に問い詰めたらいくらなんでもキレられるだろう。瀬奈は意外とガードが固い。僕の手がお尻に近づいただけで払われたことだってある。


「山下」と呼ばれる。「あたしらはあたしらのペースでいいんやさけ。今夜何かしたいって急かしとるわけじゃないしな?あたしは」


「ああ、うん」と頷く僕はホッとしていて情けない。何もしなくていい。それならよかったと思う傍ら、そんなんでいいのか?とも思う。僕はまだ瀬奈を男らしくリードして見せたことすらない。ずっと瀬奈に察してもらってばかりだ。


「こっち来ねや」瀬奈はベッドに腰かけて僕を手招いている。「警戒せんといてや。襲わんし。てかあたしそんなことしたことあるか?」


「ないよ」と僕は笑い、化粧台からベッドへ移る。「ごめん」


「何が?」


「ううん……」


「修学旅行一日目の夜なんやし、たまには勉強のことは忘れて盛り上がろうさ」


「盛り上がるっつってもなあ」

 二人だけだし。二人だけ、と意識を始めるとまた居心地の悪い空気が漂う。「瀬奈は友達らと遊ばんでよかったん?」


「あの人らもそれぞれで遊んどるさけ」


「そっか」


「それにこんなん、あたしは山下といっしょにおりたいわ。せっかくなんやし」


「ありがと」と僕は一応お礼を言う。「……えと、いつも勉強頑張っとって偉いわ。今日と明日はゆっくり休憩しねや」


「なんや?それえ」と瀬奈は笑っている。「休むと勉強したこといっぺんに忘れてまいそうで恐いんやってなあ。それにもう、最近はなんか頭打ちな感じ? あたしこれ以上成績上がるんかなあ……」


「まだ半年以上あるし、大丈夫や。瀬奈はまだ伸びとる最中やよ」


「そうかな……って勉強の話は今日はナシや」瀬奈は頭を振る。「褒めてや、山下。あたしのこと。いい子いい子して?」


「いい子いい子ぉ……?」

 僕がおずおずと瀬奈の頭に手を伸ばすと、瀬奈は僕の手の平を受け入れるように体を傾げる。そのまま、僕に撫でられたまま、とん、と僕の胸元辺りに頭を当て、そこからさらにずるずるずると下がっていき、寝転がり、僕の太ももを枕にする。僕は瀬奈の好きにさせ、ただ頭だけを撫で続けてやる。瀬奈の髪はお風呂上がりということもあってほのかに湿っている。髪の毛の内側にやんわりとした熱が籠っている。


「わあ……好き」と瀬奈が呻く。


「何が?」


「撫で方。気持ちいい」


「そんなの撫で方にバリエーションなんかないやろ」


「あるやろ。一種類しかないわけないやん」


「他の男にも撫でられとるみたいな言い方やね」


「あっは。バーカ。すぐそんなことばっかり言うんやから」瀬奈は仰向けになり、僕の顔を下から眺めてくる。「ねえ、好き」


「何が?」と僕はまた訊く。


「山下のこと」


「僕も瀬奈のこと好きやよ」


「あたしの方が好きやよ」


「そうなんけ」


「アホぅ。そこは張り合ってこいや。つまらんなあ」


「前にもやったし」


「毎回やるんじゃあ。そしたら毎回幸せや」


「それこそバリエーション持たせないかんやろう。おんなじことしとってもつまらんやろ?」


「ほんなことないよ」

 瀬奈は腹筋運動の要領で上半身を起こし、キスしてくる。暖かいものが僕の口元に入ってきて、歯をなぞるように少しだけ動いて出ていく。「これも、何回おんなじことしてもあたしはつまらんくないよ」


「そうやね……」


「すればするほど幸せになってまう。いっぱいはできんけど。恥ずかしいし」


「うん」


「山下は?」


「うん、そうやね」


「急に恥じらうなやあ。奥手やなあ」

 瀬奈が僕の上半身にタックルしてくる。そのまま押し込んでくるもんだから、僕の背中がベッドに密着し、僕は天井を仰がされる。あ、これが押し倒されるってやつか。「山下、苦手け? こういうの」


「そんなことないよ」


「ちょっと苦手?」


「ちょっとは苦手かもしれんけど」


「苦手なんやがー!」と笑いながら、瀬奈が抱きついてくる。僕も瀬奈も体操着で、薄い生地の奥に肉の感触がたしかにある。「苦手なのにごめんね」


「苦手じゃないよ」と僕は改めて言う。「慣れとらんし、自信ないだけや。瀬奈みたいな可愛い子とこんなにくっつけるなんて、夢なんじゃないかと思うわ」


「ちょっとー!」とまた爆笑される。「まだその段階なん!? びっくりしてまうわ。あんた、あたしの彼氏何年やっとるん?」


「まだ一年経っとらんよ」来月で一周年ぐらいだ。


「あ、まだそんだけか」と瀬奈も冷静になる。「でも、感覚では五年くらいじゃない?あたしら。付き合って」


「そんなに経っとったらさすがに慣れるわ」


「ホントかなあ」ニヤニヤされる。


「それに、こんなことしだしたのは最近やし」


「こんなことって?」


「抱きしめたり」

 アクシデント的に体が触れ合うことはあっても、意識して抱き合い始めたのは冬辺りからだ。「しかも、こんなに大胆なのは初めてやし……」


「修学旅行やからね」瀬奈は僕に覆い被さったまま会話を続ける。「……山下ってエッチな気分になることあるう?」


 こんな体勢でそんな質問……と思うけど、うろたえてばかりもいられない。

「そりゃ、なることもあるよ。男子やし」


「……女子もなるよ」


「え、じょ」


「あたしが質問しとる最中やよ」と瀬奈が被せてくる。体も、言葉も。「山下はエッチな気分になったらどうするん?」


「どうもせんよ別に」と僕は明白な嘘をつく。


 瀬奈からもすぐに「嘘やー」と言われる。「誰のこと思い浮かべるん? エッチな気分のとき」


 普通に答えるのも普通すぎて微妙だけど、「瀬奈」と言う。


 瀬奈だってそんなの予期していただろうけれど、言った途端に真っ赤になる。でも表情は満足そう。

「他の子のこと思い浮かべんのん? 芸能人とかは?」


「瀬奈のことしか思い浮かべんよ」


「やば。あはは! メッチャ嬉しい!」


「でもそんなん当たり前じゃない?」


 僕の質問には答えず、瀬奈は「どんなときエッチな気分になるん?」とさらに訊いてくる。


「なんなん?その質問集」


「こんなときしか訊けんやん。答えてや」


「……どんなときって言われてもなあ。あんまわからんけど」


「じゃあ、場所とかは?」


「場所? あー……お風呂とかベッドってこと?」


「そうなんか。あ、ほしたら今ベッドやん」と言われる。「山下、今エッチな気分け?」


「…………」

 そんなの、可愛い彼女にのしかかられていてエッチな気分にならない方がおかしい。不幸中の幸いは、エッチな気分じゃない状態のときにのしかかられたから、僕の興奮は悟られていないだろうってことだけだ。いや、わからないけど! 僕はのしかかっている側の瀬奈の感覚なんてわからないから、僕の体に触れて瀬奈がどう感じているかなんて想像もつかない。ひょっとしたら悟られているかもしれない! だとしたら相当恥ずかしい。


「山下のしてほしいこと言ってや。あたししてあげるよ」


「いや、無理無理無理」


「恥ずかしがらんでいいさけ。ホントになんでもいいよ。絶対断らんから」


「積極的すぎる」


 僕が悲鳴にも似たニュアンスでそう言うと、瀬奈はちょっと笑う。「山下の心を開きたいんや。修学旅行やし。山下ともっと仲良くなりたい」


「心開いとるし」


「ほしたら山下のしてほしいことなんでも言いねや。してほしいことあるやろ?」


「ないない、とりあえず一回どいて」


「えー。嫌」


「…………」僕は過呼吸になりそう。


「……わかったあ。ほしたらなんもせんし。このままでいさせて」


 瀬奈が力を抜いたからなのか、僕の体にかかる重みが少し増す。ずし、と来る。もちろん瀬奈自体がそもそも軽いため、わずかな加重でしかないが。


「……瀬奈。僕は瀬奈に心開いとるよ、ちゃんと」


「わかっとるう」


 それでも瀬奈にとっては拍子抜けなんだろうなと僕は申し訳なくて、のしかかられたまま、瀬奈の頭を撫でる。後頭部をそっと。


「好きやよ」


「うん」と言う瀬奈の呼吸が熱い。瀬奈の顔は僕の首筋辺りにくっついているが、ものすごく熱を帯びた吐息が当たる。心臓も早鐘を打っている。僕自身もドキドキしっぱなしだけど、鼓動を速めている心臓はひとつだけじゃないってのが密着しているとわかる。


「ごめん」と僕はよく謝りがちだ。瀬奈はきっと勇気を振りしぼって僕に身を任せる覚悟を決めてくれたんだろうなと想像すると、僕の尻込みは侮辱にも等しい。「大好きや。本当に離したくないわ」


「離さんといて」


「……もう少し付き合ったら、してほしいこと言うさけ、してや」


「ダメー。今日限定~」


「マジか」


「ふふ。嘘や。また今度ね」と瀬奈は言ってくれるけど残念そう。「でもこんなチャンス、しばらくはないかもな」


 これ、立場が逆だったら僕はメチャクチャつらいんだろうなと思うけど、別に、この立場でも瀬奈はつらいのかもしれない。そういうのって、男女差じゃなくて個人差かもしれない。


 瀬奈の言う通り、たしかにチャンスはしばらく訪れなさそうで、修学旅行から帰ったらあとは延々受験勉強だ。

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