受験戦争
想定していたほどの嫌がらせはなかった。たまに僕の教科書が捨てられたり内履きを隠されたり椅子に画鋲を撒かれたりしたけれど、その程度だった。永谷秀吉の仕業だろうということで、また永谷が来てたんだなあなどと瀬奈と笑っていた。まあ僕が孤独だったなら、そんな程度の嫌がらせでもだいぶ堪えただろうけど、瀬奈がいてくれるおかげで、なんということもない日常にすることができた。瀬奈の方には嫌がらせはないが、とりあえずという形でグループからは外されてしまったみたいだった。永谷が残って瀬奈が外されたのには納得できなかったけど、瀬奈が休み時間にどこへも行かなくなったから僕的にはプラスだった。それが七月の話。
夏休みはほとんど部活だったけれど、たまの休日にときどき瀬奈と会ったりした。どれくらいの頻度で会えばいいのかすら僕はよくわからなかったのだが、そんなことを考えている時点で自分のペース・自分らしさを乱してしまっているわけで、だからあまり深くは悩まないことにした。婿鵜町周辺は田舎すぎるので、会うにしても遊べるようなスポットもなく、やむを得ず散歩をしたりゲームをしたりしていた。
九月になって新学期が始まると、瀬奈はグループに復帰する。除外期間を経て復帰できるようになるらしいが、僕にはそこら辺の仕組みがイマイチよくわからない。芸能界みたいだ。そんなしばらく仲間外れにされていて、パッと復帰したときにサッと仲良しに戻れるもんなんだろうか。別に仲間外れにしたいならずっとしておいてくれれば僕としてはそちらの方が好都合なんだけど、まあ、瀬奈も友達といると楽しそうなので致し方ない。
「山下といっしょにおる方が楽しいよ」と瀬奈は言ってくれる。
僕は「どっちでもいいけど」と返す。
「まーた拗ねてもうたか。可愛いなあ、あたしの彼氏は」
でも、そういえば、付き合っていると言いつつ、彼氏彼女らしいことはまだ何もしていない。難しく考えずにいつも通りにしていたら、そりゃいつも通りにしかならないよねって感じだった。とはいえ、恋人っぽいことってなんだろう?と考えてみると、まあ、手を繋いだり、キスしたり、それ以上だったりか。『それ以上』の『それ』がキスであるわけだからまずはキスを目指さなければいけないんだけど、どんなタイミングですればいいのかわからない。ムード? そういうムードがいずれ訪れるってこと? 訪れそうな気配は全然ないんだけど、でも逆にそういうムードがない場合、たしかに実行しがたいってのはある。放課後の教室で? 帰り道で? 家で遊んでいるときに? 場所的にはどこでだってできなくはなさそうだが、脈絡もなく突然やるってわけにもいかないだろうし、やはりムード。ムードの来訪を待たなければならないっぽい。
けど、夏が終わり秋が深まり、ムードよりも先に受験戦争の狼煙が上がりつつある。
「瀬奈は高校どうするん?」と僕は尋ねる。
「高校かあ……どうするんやろう」と他人事のようにつぶやいてから、「あ」と声を上げる。「山下はどこ受けるんや? あたし、山下とおんなじとこ行きたい」
「僕は桃岡高校かなあ」自宅からも比較的近い。
「それって難しい?」
「五教科で三五〇点あれば確実やな」
「三五〇点って何?」
「そこから? ……五教科あるやろ? 国語、数学、英語、理科、社会……それら五つのテストの点数の合計が、だいたい三五〇あれば余裕っていうレベルなんや、桃岡高校は」
「なんで五教科で三五〇点になるん?」
「うん?」
「……いや、あたしマジでアホやから意味がわからんのや」
「例えば、国語も数学も英語も理科も社会も五十点やったとするやろう? そしたら五つ合わせて二五〇点や。全部百点なら、五〇〇点になる。三五〇点を超すためには平均七十点は取らないかん」
「はあ……え、ほしたら全然無理なんやけど。あたし、十点とかやよ?テスト」
僕は頭を抱える。「勉強せないかんわ」
「無理やろ」
「まだ一年以上あるし無理じゃないい。八十点を九十点に伸ばすのは難しいけど、十点を五十点にするのは簡単や。だって瀬奈は勉強しとらんくて十点なんやから。勉強すれば嫌でも伸びるう」
「五十点になっても桃岡高校行けんやん」
「行けんけど……そこからもう一踏ん張りすれば行ける」
「無理やー」
「今日から勉強しよう。僕も瀬奈といっしょに桃岡行きたい」
「勉強教えてや」
「教えるよ」
で、また付き合っているような状態じゃなくなる。中学生の普通のカップルってどういうタイミングで遊んだりイチャイチャしたりしているんだろう? できなくない? いや、瀬奈の成績が底抜けに悪いからよくないんであって、普通のカップルは勉強の片手間で充分に遊べるんだ。ふう。なかなか困難。でも瀬奈は勉強をしてこなかっただけで頭自体は悪くないと思うから、教える側の配慮次第だと思っている。僕だけでは荷が重いので、先生にも協力してもらうしかない。教師陣は瀬奈なんか破滅してしまえばいいときっと思っているんだろうが、心を入れ換えた姿を見せて感心を誘うしかない。まだまだ時間はある。