ねこくうかん
『ねこくうかん』っていう様々な家具や遊び道具などを組み合わせて空間を作り猫を住まわせるみたいなスマホゲームがあるんだけど、それがガチャガチャのフィギュアになったやつが教室の瀬奈楓季の机にはいつも飾られている。最初、何が置いてあるのかと目を凝らしてしまった。瀬奈は机の端にキャットタワーやベッド、パソコンのミニチュアを配置し、そこに猫のフィギュアを住まわせていた。昼休みだろうが授業中だろうが関係なく猫は住んでいた。メチャクチャ奇抜なことをするなあと僕は呆然となるが、瀬奈は不思議ちゃんではなくてどちらかというとヤンキーっぽいギャルなので、ただただ好きなだけらしかった、ねこくうかんが。
まあ反抗的な強い意思がないと授業中に先生の前で猫を遊ばせておくことはできないだろう。ヤンキーといっても瀬奈がどれくらい悪いのかは僕なんかには計り知れないけれど、少なくとも教師や授業というものに敬意を払っている感じではなかった。タバコを吸ったり万引きをしたりケンカをしたり……しているかは定かじゃない。田舎の女子中学生がそこまでの悪事を働いたりはしないだろうと思う反面、田舎だからこそやり過ぎてしまっている場合もあるかもしれない、と僕は判断に迷う。田舎と都会のヤンキーってどっちが恐いんだろう?
瀬奈はいつも休み時間になると仲良しグループのメンバーと駄弁るために教室を出ていくんだけど、僕はこっそり、誰にもバレないよう、自宅にあったねこくうかんのフィギュアを瀬奈の空間に勝手に混ぜておいた。たぶんウチの母親がわけもわからずガチャガチャしてきたやつだと思うのだが、ウチにあってもどうしようもないので、瀬奈にあげることにした。もちろん匿名でだけれど。
どうしてそんなことをしようと思ったのかは上手く説明できない。僕のやっていることはシンプルに言うとヤンキーにちょっかいをかけているようなもので、他人の目には命知らずな行為に映るかもしれない。でも瀬奈の机にはけっこうゴチャゴチャと小さいフィギュアが置かれていて、ひとつぐらい足しても気付かなさそうだ。それに瀬奈は勉強が全然できなくてたぶん頭も悪いし、周囲に気を遣うという精神にも欠けているので、フィギュアがひとつ増えているなどという変化は察知できないだろう。と、高を括っていたら普通に気付かれた。
教室に戻ってきた瀬奈は「これ置いたの誰え?」とデカい声を響かせて教室中のクラスメイトに尋ねだした。やばい。メチャクチャ焦る。「誰か置いたやろ? 誰や?」
教室内がしんとなる。おいおい誰だよ余計なイタズラをした奴は面倒臭ぇなあみたいな空気になる。婿鵜中学校二年生の大半の生徒は瀬奈楓季と瀬奈が属するグループを恐れており、僕の気まぐれは本当に鬱陶しい呼び水だっただろう。ごめん。そんなにすぐさま気付かれて、いきなり犯人探しを始めるとは思わなかった。
僕は知らん顔をしていた。他のクラスメイト達はわけもわからず沈黙していた。まあ僕は座席が瀬奈の隣なので、フィギュアをひとつ置くぐらいササッと済ませられる。目撃者はいないだろう。
というのもまた見込み違いで、放課後、部活へ行こうとしていた僕は瀬奈に捕まる。「これ、山下が置いたんやろ?」
完全にバレてる。「…………」
「山下が置いとるの、見とった人がおったんや」
「…………」
バレている以上そうなんだろうけど、細心の注意を払って、かつ、さりげなく置いたのになあ。僕はこれからいじめの標的にされてしまうんだろうか? まだ五月で二年三組の生活は始まったばかりで気が遠くなる。両足がプルプルしてきて脱力しそうになる。
罵倒され恫喝される覚悟……は決まらなかったが、されるんだろうと既に怯んでいると、「あれ、貰ってもいいんか?」との質問を受ける。
僕は呆ける。「え、あれって?」
「山下があたしの机に置いたやつや。それ以外ないやろ」
「ああ……あれか」家から持ってきたねこくうかんのフィギュア。「いいよ」
「ホントにか?」
瀬奈がメチャクチャ僕の目を見つめてくる。瀬奈の目は高級そうな猫みたいに少し意地悪っぽく見えるが、それだけではなく、どこか愛嬌もある。爛々としている。
「いいよ」と僕はもう一度言う。「……もともとそのために持ってきて置いたんやし」
「やったー」と瀬奈が子供のように声を上げる。いや、僕達は中二で充分に子供なのかもしれないが、もっともっと小さい園児のように喜ぶ。「マジかー。ありがとう」
「え、なに……?」
その盛り上がりっぷり。喜ばれすぎて僕はむしろ引く。
「知らんのか? あれ、第二弾のシークレットなんやよ? 金のネコチューチュル。通常は茶色なんや。メッチャ珍しいよ」
「え、ふ、ふうん……?」
よくわからないけど、僕が持ってきたものは偶然にも貴重なものだったらしい。
「くれるって言ったんな? 返さんよ?」
「いいよ」
「本当にいいんやな?」
「うん」
「これ、カツアゲとかじゃないさけな? 山下がくれるって言ったんやからな? あ、そう言うと逆にカツアゲ臭くなる?」
「いや、あげるって」ものすごく念押しするな。そんなに貴重なんだろうか。「僕は集めとらんし」
「そうなんか」と瀬奈は少し残念そうにするが、「じゃあなんでこれだけ持っとるんや?」とすぐに訊いてくる。
「たぶんやけど、なんか母親が気分でガチャガチャしてきたみたいなんや。ひとつだけ」
「ふうん。まあ、可愛いしな。ねこくうかん」
「そうやね」と僕は合わせておく。
「うん」と瀬奈は笑っている。「嬉しいなあ」
なんか、瀬奈楓季を初めてまともに見たような気がする。ヤンキーだとかいうからもっと極悪非道な性格をしているのかと身構えていたけど、けっこう普通だ。僕は女子とほとんど喋ったことがないから参考にならなさすぎるかもしれないが、そこら辺にいる女子と何も変わらないんじゃないかと思った。でも顔立ちは普通とは言えなくて、可愛らしい。今まで鬼の面でも被っていたっけ?と不思議になるくらい、改めてまじまじと見てみるとものすごく可愛らしい。肩口へ流れる薄い色合いの髪の毛はとぅるんとぅるんしているし、肌も新雪を纏っているみたいにふわふわと白い。
気付けば教室内はもう僕と瀬奈しかいなくて、僕達が黙ると強い静寂が舞い降りてくる。
僕は静寂が息苦しくて「それって貴重なん?」と尋ねる。
「メッチャ貴重やよ」と瀬奈は食い気味に答える。「ネコチューチュルにはシークレットが二種類あって、ひとつは銀色。銀も出にくい。でもさらにもっと出にくいのが金のネコチューチュルなんや。しかも今は第四弾が主流やから、第二弾のシークレットなんてもうなかなか手に入らんよ」
「……へえ」
すごい喋ってくるな。勢いがよすぎて僕は圧倒されてしまう。
瀬奈も我に帰り、「まあそういうことなんや」と小声になる。
「よかった」
「うん」
「でもそんなに貴重なんやったら、そんなとこに置いといたら盗まれてまうかもしれんよ」
「盗まれんやろ」
まあ、瀬奈の私物を盗むっていうのは、瀬奈の私物をこっそりひとつ増やすのとはわけが違う。明確な敵対行為だ。瀬奈楓季のことを知る生徒は間違ってもそんなことはしない、できないはず。瀬奈自身もそれはわかっているんだろうと思う。
「でも」と僕は言う。確実なことなんて何もない。そんなに嬉しそうにしている瀬奈が凹んだりするのを僕は見たくない。僕があげたもののせいで、となると僕も居たたまれなくなりそうだ。
「わかったあ」と瀬奈は金のネコチューチュルを回収する。「これはウチに飾るわ。ホントはここに飾っときたいんやけどな。でも大事にせなかんしな。山下がくれたやつやから」
「……貴重なやつやからやろう?」
「そうやな」と瀬奈は笑う。
「シークレットじゃなかったら置いても気付かんかったかな?」
「気付かんだかもしれん。あれ?増えとるかな?と思っても、別にあんなに騒いだりせんし。気のせいやと思うやろ」
やはり僕の読みは当たっていたわけだ。しかし誤算は、僕がたまたまシークレットを持ってきてしまったという点。この幸運がなければ僕と瀬奈はきっと、生まれてから死ぬまで言葉を交わすこともなかっただろう。