問い - 夜
「だから、夜とはいつかと私は問うたのです。」
それはあまりに難しい題です。夜というのはいつか。しばらくオウム返しの連続であった。
「何時と云うのでしたら、19時を過ぎて、5時をまわらぬ頃です。」
「そうじゃありません。」
先生があまりに即答するものですから、なんだか苛立ちました。
「でしたら、その問いの意味とは?」
ともすればただ、「意味などここにはありません。ただ言葉です。夜とはいつかと、問うたのです。」と答えるのみの先生の前から私は去り帰りました。
月明かりが夜道を、草花を照らしていました。私はそれを見て、「夜とは月が出ている間か。」と思うも、直ぐに取り消しました。昼間にも、薄らと月は見えています。昼間は、夜ではありません。それに、新月の時は夜が来ないことになります。
次に目に止まったのは、オリオン座でした。「では、夜とは星が見える頃か。」いいえ、曇り空の時は星が見えません。曇り空でも、夜はやってきます。結論は出ませんでした。
家に帰って、 母と顔を合わせて最初の一言はただいまではありませんでした。「母上、夜とはいつですか?」
母上は少し不思議な顔をしたのちに答えた。
「何時と云うのでしたら、何時とは19時を過ぎて、5時をまわらぬ頃ですよ。」
「そうじゃありません。」
先生と同じように私は即答してしまったので、母上がなんだかムッとしている気がします。
「では夜とは、朝ではない時です。太陽は月と違い曇り空でもわかります。朝とは太陽が出ている頃であり、夜とは太陽が出ていない時です。」
その答えを聞きハッとしました。それだ。これが答えなのではないか?と期待して寝ました。
次の日、「先生、夜とは朝でない時です。」自信満々に云った。絶対に反論はこない。そんな自信を持っていた。
「では、朝とはいつでしょうか?」
「朝とは陽が出ている頃です。」
「昼間は朝ですか?」
あ……と、声が出てしまった気がする。
「みなさん、朝昼夜でいつが一番好きですか?」
唐突に、先生がみんなに訊く。すると、口々に答えが返ってくる。
「朝!」「昼!」「全部!」
次に先生が仰った。
「では、なぜそれが好きなのか考えてみてください。」
私は朝が好きだ。朝というのは、清々しい気分で、私が起きたことを小鳥が、朝日が、風が感じ取り挨拶してくれる。
夜は嫌いだ。夜というのは、私たちを不安にさせ、何かが蠢いているのを感じる。蝙蝠が私を呪殺しようと企んでいる。
「先生、先生はどうですか?」
「私は夜が好きです。それも深い夜。夜は1人の時間です。自分だけの世界に、入ることができるのです。」
私とは真逆の答えを返した先生は、それを受けての私の反応を待っているようだった。
「では、夜とはいつですか?」
不意に出たのは、その言葉だった。先生に倣った意地悪な質問だった。だが、夜とはいつか。その結論は、自分の中で出かかっていた。そのために、先生に聞きたくなったのだろうか。
「今考えていることを、言ってみてください。」
優しい笑みだった。自信がつくような、笑み。私のこの答えは合っている。
「私が思うに、夜というのは人の心に来るものです。空にかかる闇ではなく、心にかかる闇なのです。夜は不安になります。次の朝を、待っています。それは時間や日に縛られるものではなく、ただ、心から、夜明けを待つその時間こそが、夜なのです。」
言えた。言いたかった言葉だ。私の中で出た結論は、これだった。
だが、先生はその一切を否定しにかかったのだ。
「私は夜が好きです。夜明けは嫌いです。先生にとっては、朝は夜なんでしょうか。」
絶望した。全て嫌になった。裏切られた気分だ。今すぐに家に帰りたくなったが、授業はすぐ始まってしまった。授業には一切集中できなかった。
放課後、その苛立ちを以って聞きに行った。
「なぜ、あのようなことを。」
先生は、私の表情を見てなお優しく答えた。
「私は今朝、寝坊しました。」
その事は関係ないではないか。苛立ちを大きくするその返答に、不満げな顔を浮かべている私に、続きを話した。
「ただ、夜ふかしの理由を作りたかっただけです。私にとって夜というのは、ずっと続いていくもののようです。今朝、あなたには、朝が来ましたか?」
なんだかパッとしない返事に、私は困り果てた。