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沈黙のアーカム  作者: 中岡いち


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第四部・第5話(第四部最終話)

 小さく聞こえていた銃声が、やがて大きくなってきた。

 そして、街に入ってすぐ。

 装甲車のヘッドライトに映し出されたのは瓦礫の山。

「これって…………バリケード……?」

 停車した装甲車の上で、ナツメが呟いていた。

 瓦礫のすぐ隣にはビルが隣接している。

 下から運転席のドアの音。

 ナツメが下を向くと、そこにはライフルを左手にぶら下げただけのティマの姿。

 おそらくバリケードの中からであろう遠くからの銃声が続いていた。

「ナツメ」

 それはティマの声。

 ティマはナツメを見上げ、続けた。

「隣のビルから入ろう。銃声のほとんどは素人だ。自動小銃で充分だと思う」

 そして、ティマはナツメに笑顔を向ける。

 ナツメも笑顔で応える。

「うん!」

 バリケードの周囲に警備は見当たらなかった。

 ビルの中からコミュニティー内を伺うが、おかしな点は遠くからの銃声だけ。しかもアーカムの襲撃とは違って銃声しか聞こえない。それでも警備が誰もいないのは、かなり緊急事態であることを表していた。

 ティマとナツメがこの街を離れた時は、まだこの位置にバリケードは存在していなかった。二年で規模が大きくなったことが想像出来た。そもそも、ここにコミュニティーが作られている保証などどこにもなかった。もしかしたら別の場所に拠点を移動しているかもしれない疑念がなかったわけではない。しかし同時に、地形的な周囲の環境としては理想的でもあった。

 それでもティマとナツメにとっては二年ぶり。

 僅かな可能性に賭けて戻ってきた。

 そして事態は不穏な空気に包まれ、二人の不安を加速させる。

 懐かしい仲間が、今も生きている保証もない。

 ここは、そういう世界。

 明日の命があるかどうかも分からない世界で、誰もが生きていた。

 崩れかけたビルの外壁に隠れ、ナツメが口を開く。

「みんな…………いるよね」

 隣のティマはすぐに返した。

「あんな素人の銃にやられるような連中じゃないよ」

 そんな会話をしながらも、もちろん二人にも不安はある。

 妙な感覚だった。

 懐かしさと不安が入り混じる。

 みんなが生きていたとして、自分たちを受け入れてくれる可能性はどのくらいあるのだろう。戦場と同じ。不確定な可能性は不安を招く。しかし、思えばいつもそうだった。全てが掌の上に見えていたことなど一度もない。

 それが戦場であり、自分たちの歩んできた生き方だった。

 不意に、ナツメがティマの首筋に手を伸ばした。

 そのまま、ナツメは体を預け、ティマの唇に自分の口を重ねる。

 短い時間。

「……みんなの前じゃ……できないから…………」

 ナツメはそれだけ言うと視線を外した。

 そのナツメの頭に手を乗せたティマが返す。

「……うん…………行こうか…………」

 何を返して欲しかったのか、ナツメ自身にも、それは分からない。

 でも、覚悟だけは出来た。

 そして、二人で銃声に近づいていく。

 不思議なほどに、さっきまでの迷いは消えていた。

 やがて、二階建てのビル。

 その窓に人影を見つける。灯りはない。今夜あるのは月明かりだけ。

 ティマが窓に銃口を向けながらゆっくりと近付き、その背中でナツメが周囲に目を配る。

 人影は窓枠に両手をつき、こちらを伺う姿に銃は見えない。

 そして、懐かしい声が聞こえた。

「ティマ⁉︎」

 その声はレナだった。

「ティマ⁉︎」

 再びのレナの声に、ティマは素早く背中を外壁につけ、ナツメもそれに続いた。

 レナが続ける。

「思い出話は後で────クーデターが起きてる…………二ブロック先で右に曲がれば分かるから…………」

 ティマが返す。

「窓から体を無闇に乗り出したら危険だよ…………ここは?」

「医療ビル──今は私と医療班員が一人だけ…………あっちには、スコラも行ってる…………」

 それに返したのはナツメ。

「まだ……みんないるんだね…………」

「……うん…………私はスコラに動かないように言われてて…………ごめん……スコラを…………」

「任せて。みんなのために帰ってきたんだから。そうでしょ? ティマ」

 そのナツメの声に、ティマの返す声は力強い。

「うん…………仲間に会いたくてね…………行くよナツメ」

 ティマが走り始め、ナツメが後に続く。

 その背中を、レナは見送り続けた。





 三階建てのビル。

 周囲からビルに発砲しているのは三人だけ。

 入り口付近に数人の人影。

 一階と二階の窓から発砲の光。

 その二階の窓からはルイスらしき影も見える。

 ビルの中からと、外からの銃声間隔の違いから、ティマとナツメは状況を理解しつつあった。

「素人だね」

 近くのビルの影から様子を伺いながら口を開いたのはナツメ。

 それにティマが返す。

「動きが予測出来なくてやりにくいけどね。でも……ここまで来た…………諦めない」

 そう言ったティマが立ち上がって一歩踏み出した時、背後からナツメの声。

「ティマ…………体…………」

 ティマの体が緑に光っていた。

 そのティマはナツメに振り返る。僅かに口元には笑みが浮かんでいた。

「〝行け〟ってことだよ…………人間じゃなくて申し訳ないけど」

 それにナツメも笑顔で返した。

「レアな恋人で嬉しいよ」





 アイバが驚愕の表情を浮かべていた。

 目の前のヒーナに向けられる、自分とは別の銃口。

 それを向けているのはチグ。

 アイバは確かにヒーナに対して恨みの感情を抱いていた。神として祭り上げられることの虚しさを過去に経験していたからだ。しかもあの頃とは違い、今は感情もある。何も考えずに生きていられた頃はまだ良かった。しかし今は、そこに重なる罪悪感を感じてしまう。

 嫌だった。

 自分は神ではない。

 もはや何の力も持ってはいない。

 ただの、人間だった。それでいい。そうでいたかった。

 しかし、ヒーナは決してそれを許してはくれなかった。本当に自分は必要だったのだろうか。神がいなければ、本当に人の心を繋ぎ止めておくことは出来なかったのだろうか。

 人間とはその程度のものなのか?

 アーカムが作り出した人間とは、そんなにも脆いのか?

 なら、なぜまだ生きているのか。

 考えれば考えるほど、アイバは自分の存在する意味が分からない。

 ただの生存者の一人で良かった。


 ──どうしてヒーナは…………私を人間として見てくれなかった…………


 一度引き金を引くことを覚え、その力に溺れるように、アイバは感情を曝け出していた。

 引き金を引けば、ヒーナから解放される。

 それなのに、どうしてチグがヒーナに銃口を向けるのか。


 ──仲間だったんじゃないのか?

 ──どうして人間同士で…………


 口を開いたのはチグだった。

「もう…………終わりでいいんだよね…………」

 その手は、僅かに震えて見える。

 すると、ヒーナが応えるように。

「なんだか…………もう…………いいかな…………」

「……そうだよね…………ごめんね……ヒーナ…………」

 引き金にかかる指に、力を込めた。

 そして、アイバの目の前で、ヒーナの体が崩れ落ちる。

 その銃声は二階まで届く。

 体に走った悪寒に、スコラは無意識の内に叫んでいた。

「──ヒーナ!」

 なぜその名前を叫んだのか、自分でも分からないまま、スコラは階段を駆け上がる。

 ルイスも何かを感じたのか、スコラを追いかけた。

 チグは、倒れるヒーナの体に覆い被さっていた。

 ヒーナの顔に頬を擦り寄せ、銃口を自らのコメカミへ。

 そして、銃声が鈍く響いた。





 ティマもナツメも、一人も殺さなかった。

 緑に光るティマに恐れ慄く者たちは銃口を向けるが、弾丸が通用するはずもなく、全員が信じられない光景に我を失っていった。

 戦意など保てるはずもないままに、敵も味方も無くなる。

 スコラの叫び声が聞こえた。

 ティマに嫌な予感が走る。

 久しぶりに聞いたスコラの声は、間違いなく緊急を告げるもの。





 三階に駆けつけたスコラが立ち尽くしていた。

 その背後では、ルイスが膝から崩れ落ちる。

 思考が止まった。

 しかし、目の前の光景は変わらない。

 ヒーナとチグの関係は聞いていた。

 それぞれお互いを理解していた。

 信頼し合っていたはず。

 誰よりも大事な関係。


 ──大事だから?

 ──大事だから殺したの?

 ──どうして…………?

 ──どうして私は生きてるの…………?


 ルイスの感情が過去に引き戻されていた。

 大事な人を殺して、それでも生きている自分が許せなかった。


 ──私も…………私も…………彼のところにいきたい…………


 無意識の内に、ルイスは拳銃をホルスターから取り出していた。

 そしてその手を、アイバが掴む。

 顔を上げたルイスの目からは大粒の涙が溢れている。

 アイバは何も言わずにルイスを抱きしめると、その両手に力をこめた。


 いつの間にか、周囲は静寂に包まれている。

 銃声も聞こえない。

 誰も口を開けない。


 やがて、足音がする。

 ゆっくりと、それは三階へ。

 周囲を、緑の光が照らし出す。

 アイバが振り返った。

 そこには、緑色に染まったティマ。ライフルを右手にぶら下げ、階段を登り切った所で立ち尽くしている。その後ろにはナツメの背中。ナツメは自動小銃を構えて二階に向けていた。

 そしてナツメが小さく振り向く。

 その瞳は不安に包まれていた。

 ティマが歩み寄る。

 ゆっくりと、ティマの緑の光が薄くなっていた。

 スコラの背中に近付いていく。

 そして、そのスコラの声がした。

「……どうして…………」

 ティマが足を止める。

 スコラの声が続いた。

「……いまさら…………なんで戻ってきたのよ!」

 緑の光で分かったのか、振り返りもせずにスコラは叫んでいた。

 それでもティマはスコラに近付く。

 言葉の溢れるスコラ。

「……どうして…………なんでよ…………」

 背後で、ライフルが床に落ちる音。

 直後、全身を包むかのようなティマの両腕に、スコラが感じたものは暖かさでしかなかった。

 込み上げる感情を抑えられるはずもなく、スコラの涙が溢れ出す。

 そのまま崩れ落ちるように膝を落とす。

 それでもなお、ティマはスコラを背後から抱きしめ続けていた。

 ナツメも目の前の光景に、総てを理解していた。

 しかしそれは、理解などしたくない光景。

 決して求めていた光景ではない。

 ナツメは一人、ヒーナとチグを見下ろす。

 下になっているヒーナの手がチグの背中に乗っていた。

「……ただいま…………長すぎたね…………ごめん…………」

 待っていたものは、受け入れるしかない現実だった。





 階段を降りながら、アイバが叫ぶ。

「もう終わりだ! 銃を置け!」

 行政府側、クーデター側共に、信じられないようなティマの姿を見た直後。誰もが階段を降りてくるティマを見ながら、呆然と腰を落としたまま動けない。

 ビルの入り口にいたのはレナだった。

 スコラの姿に、ゆっくりと歩み寄る。

 銃声が聞こえなくなったことが、むしろレナの不安を掻き立てていた。

 制圧出来たのか、それとも制圧されたのか…………いつの間にか、足が動いていた。

 そして、スコラの顔も見ずに抱きついていた。

「……ごめんなさい…………怒らないで…………」

 スコラの表情は柔らかい。

 そして応える。

「……困った子ね…………今夜はゆっくり休まないと…………」

 その光景に微笑んだティマの袖を、後ろから掴んだのはルイスだった。

 ティマが振り向くと、ルイスが俯きながら口を開く。

「戻ってきてくれて……ありがとう…………」

「いや…………遅かった…………ごめん…………」

 ティマの中には後悔しかない。

 あと少し装甲車のスピードを上げていれば。

 あと少し睡眠時間を削っていれば。

 あと少し時間をうまく使っていれば。

 あと少しだけ、早く帰っていれば。

 そうすれば、再び大事な仲間を失うことはなかった。

 自分が離れなければ…………。

「……遅くないよ」

 そう返したルイスが続ける。

「だって……中心はあなた…………ティマがいなければ、みんな、これから生きていけない。あなたが、みんなをまとめるんだよ」

 この夜の犠牲者は大きかった。

 生き残っているのはティマとナツメを入れても一五名。

 コミュニティーは壊滅状態。

 そして、全員が多くの決断を迫られた。





 ティマとナツメがコレギマの沿岸部に辿り着いたのは、気温もだいぶ上がってきた頃。

 沿岸部と言ってもエリアは広い。

 辿り着いたのは沿岸部でもかなり南の位置だった。

 明確な充てがあるわけでもない。

 北上をしながら数ヶ月。

 調べるのは海岸線だけではなく、周辺の山間部までも調べていった。

 もちろん部隊が上陸したとすれば、今どこにいるのかは分からない。

 見つけ出せるのは上陸の痕跡だけかもしれない。

 しかし無線をキャッチ出来ないのも事実。

 夏が終わり、秋になる。

 二人を絶望感が包む。

 いつの間にか、二人の会話も最低限のものだけになっていた。

 燃料が底をつく。おそらく残り一〇キロも走ることは出来ないだろう。

 食料も残り少ない。節約したとしても、あと何日もつだろう。

 余っているのは弾薬だけ。

 やがて辿り着いた沿岸は、周囲にあまり大きな都市のある所ではない。海からすぐに山間部になるような土地。こういう場所は主要都市まで距離がある。

 終戦から一年以上が経過していることも影響しているのだろう。装甲車の軽油すらも見付けることが出来ないままに、三日間を砂浜で過ごした。

 日中に歩いて周囲の探索をするが、人里すら見付けられないままに時間だけが過ぎていく。

 砂浜はもうそれほど暑くない。

 潮の香りにも慣れた。

 何も見付けられないまま、その日は動く気にもなれないまま、装甲車のまま砂浜にいた。

 上陸部隊どころか、何ヶ月も生存者にすら会っていなかった。

 終戦して最初の冬を乗り越えられなかった者もいるだろう。

 本当に上陸部隊が存在しているのかも疑わく感じる。ルイスからの小さな情報しかない状態で二人で飛び出してきた。正しい選択だったのかなど分からないまま。

 居場所を失ったティマについてきたのはナツメだけ。

 どうしてナツメがついてきたのか、今となってはティマにも理由は分からない。

 ナツメ自身にも不安や葛藤はあった。どんな選択が正しかったのか、それはナツメを今でも悩ませる。そうするしかなかったというのは言い訳に過ぎないだろう。それも分かっている。

 あるのは結果だけ。

 自分で選択した結果だけ。

 例えどんな愚かな最後を迎えようとも、過去の選択を変えることは出来ない。

 受け入れるだけ。

 ティマの考えを受け入れるのか、ティマの指示を受け入れるのか…………ナツメには、自分にそれしかなかったことが、不思議なほどに滑稽に見えていた。

 自分とは何だろうか。

 そんなことを考えたのは、ナツメ自身初めてかもしれない。

 装甲車の屋根の上で海からの潮風にあたりながら、なぜか両親の顔が頭に浮かんだ。結局、母の消息は分からないまま。ナツメももちろん諦めている。父とは違い、何も手がかりはない。あの状況下で生きているとは考えにくい。受け入れるしかなかった。

 しかし自分の生き方は自分で決めることが出来たはず。

 ティマを理由にしていた。

 ティマを理解出来るのは自分だけだと思っていた。

 ティマがいるから。

 ティマについていくことを決めたから。


 ──……ちがう…………

 ──…………私は、ティマと一緒にいたかっただけだ…………


 初めての大事な友達。

 初めての親友。

 初めての大切な人。


 不思議と、寄せる波に対して、なぜか寄せる音はズレて聞こえる。

 まるで木霊のようだとナツメは感じていた。

 下から運転席のドアの音が聞こえ、ティマが砂浜へ歩いていく。

 ナツメも屋根から飛び降りた。

 砂浜で歩みを進める。

 少しだけ沈む足に違和感を感じながら、距離を開けたままティマの後ろを歩いた。

 ずっとこうだった。

 そして、それで良かった。


 ──これからも、これでいいのかな…………


 ティマの足が止まる。

 しかしナツメは歩き続けた。

 ティマは海の方へ顔だけを向け、遠くを見る。

 波打ち際へ歩いたナツメの乾いたブーツに、勢いをつけたままの小さな波がぶつかり、それはまるでナツメの足を掬い上げようとするかのようだった。

 すると、背後からティマの声が聞こえた。

「……ごめん…………こんな所まで付き合わせてしまって…………」

 波の音に掻き消えるかのようなそのティマの声に、ナツメはすぐに応える。

「どうして? 私は来たくて来ただけだよ。ティマのために来たわけじゃない」

 ティマが何も応えないまま、ナツメの言葉が続く。

「自分で決めて来たんだよ…………別にティマは関係ない…………ティマがいなくたって生きていけるからさ…………気にしなくていいよ」

 そう言いながらも、ナツメは後ろに振り返ることは出来なかった。

 そのまま更にナツメが続ける。

「別にいいよ……一緒になんかいなくたって…………片腕の兵士なんて邪魔でしょ…………」

 そして、背中に暖かさを感じた。

 背後からのティマの両腕が、容赦無くナツメを包んでいた。

「……私は…………ナツメと一緒にいたかった…………私が…………一緒にいてほしかった…………」

 ナツメの感情が溢れる。

 しかし、言葉が出ない。

 出るのは涙だけ。

 体がいつの間にか震えていた。

 まるで、心と体がバラバラになってしまったかのようだった。

 しかし、ティマがそれを繋いでいた。

 そして、そのティマとも繋がっているような、不思議な感覚。

 やっとナツメが言葉を絞り出す。

「…………はなさないで…………」

 例えどんなに大き目の波が足元の砂をさらっても、二人はそれからしばらく動かなかった。





 翌日。

 装甲車をそのままに、二人は海岸線を歩いた。

 頭上高くからの陽の光はまだ暖かい。今が秋であることを忘れさせた。

 海岸線の起伏は激しい。

 決して歩きやすくはない砂浜を歩き続ける。

 ティマは愛用のライフル。ナツメは自動小銃。そのいつもの装備すらも重く感じる。

 それだけの距離を二人で歩いた。

 もう装甲車は走れない。

 戻る気もなかった。

 この先、二人でどこに辿り着くのかも分からない。

 それでも、お互いにそれで良かった。

 二人でいられたら、それで良かった。

 やがて、目の前に現れたのは大量の軍用車両。

 全てが破壊されていた。一〇台程だろうか、軽車両、トラック、装甲車まで、もはやその数は分からない。一部は押し寄せる波に洗われていた。おそらくはもっとあったのだろう。軽い物資は兵士の遺体と共に波に浚われていた。

 哀愁すら感じさせる壮大な光景に、ティマとナツメはしばらく目を奪われていた。

 やがてナツメが口を開く。

「……占領軍?」

「多分ね」

 ティマはそう応えながら、バラバラに転がる車両に多い被さる砂を手で払い除けた。

 そして続ける。

「カギマ大陸……ホムラ共和国のマークだ…………ルイスの言ってたことは本当だったね」

「じゃあ、戦勝国って…………」

「どうかな…………ここまで逃げてきた可能性だってある。この破壊のされ方はアーカムのものに近い…………どっちにしても、これだけの車両を運んできた船がどこかにあるはずだ」

「あの大陸じゃ、輸送機でどうにかなる距離じゃないしね…………」

「揚陸艦だとしても、車両を降ろして戻ったっていうのも考えにくいね。この程度の部隊規模で占領政策はあり得ない」

「どこかに揚陸艦があるかも……」

「一緒に沈められてなければいいけど…………」

 二人は再び歩き出した。

 決して明るくはない進展。

 しかし、時間の流れに動きがあったことが嬉しかった。同時に、それが好転に繋がる保証にはならないことも分かっている。

 それでも、やっとここを目指してきたことに意味を見付けることが出来た。

 正しい選択だったかどうかは未だに分からない。

 どんな選択も、やり直すことは出来ない。

 しかし、二人の歩くペースは少しだけ上がった。

 やがて、砂浜の歩き方にもだいぶ慣れてきた頃、それは見つかる。

 車両の残骸からはだいぶ距離はあったが、間違いなく揚陸艦の姿がそこにはあった。

 波打ち際に後ろを乗り上げた状態のまま、静かに押し寄せる波を受け入れていた。

「強襲揚陸艦……直接乗り上げるタイプだよ……」

 そう口を開いたのはナツメだった。

 砂浜に後ろの門扉を押し付け、車両を排出するためのスロープも見えた。ホムラ共和国のマークから、先程の車両を運んできた揚陸艦に間違いはないだろう。

「多分、波に押されたんだろうね…………もう少し手前で車両を降ろしたはずなのに…………」

 そのナツメの言葉に、寂しさが籠る。

 船の状態から、とても人がいるとは思えなかった。操舵手がいるなら、ここまで砂浜に乗り上げることはないはずだ。しかし目の前の揚陸艦は、通常よりも明らかに砂浜に大きく乗り上げ、僅かに傾いていた。露出している船底部分は大きく錆び付いている所も目立つ。

 二人は示し合わせるでもなく、後ろのスロープ部分から中に入った。

 ティマの姿勢から、それほど警戒しているわけではないことが分かると、ナツメもいくらか気持ちを落ち着けることが出来た。

 暗い船底から、少しずつ上の階へ。狭い廊下も当然暗いまま。

 二人とも銃口下のライトだけを頼りに進んでいく。区分けが細かい船内で全ての部屋を見て回ることは不可能だったが、船底には数台の軽車両。軽油。数階上には食料庫まで見付けることが出来た。

 やがて船首の甲板部分へ辿り着く。

 決して広い甲板ではない。船の性質上、必ず必要というわけではないのだろう。機銃が一門設置されているだけだ。

 ティマが見上げると、無骨な鉄板に囲まれた大きな艦橋部分が見えた。

 所々が錆つき、潮風と年月を感じさせる。

 環境を見上げたままのティマにナツメが声をかけた。

「ティマ……艦橋に行こう。何か情報があるかもしれない」

 ナツメはそう言いながら扉を開ける。

 ティマも、それに迷わず動く。扉の向こうに銃口とライトを向けて安全を確認した。

「行こう」

 それだけ言って先頭に立つ。

 艦橋までは甲板の高さから更に四階分上がる必要があった。元々船体が僅かに傾いているせいか、あまり気持ちのいいバランスではない。

 やがて辿り着いたブリッジで、二人はライトを消した。前面から左右に広がる大きなガラスはまだ健在のまま。ヒビも見えない。相変わらず人の気配もない。

 ナツメが呟くように口を開く。

「攻撃の被害はないようだね」

 そしてコントロールデッキまで歩いた。

 ティマは外の海を眺める。

 ナツメの声が続いた。

「燃料がほとんど無い…………片道切符ってこと…………?」

 すると、海を眺めながらティマが返す。

「逃げて来たのかもね…………だとすればあの大陸だって、どうなってるか…………」

「ここまで揚陸艦で何ヶ月もかかったはずだよ…………それなのに…………」

 事態が好転したわけではない。

 軽油と食料は見付かった。

 しかし、他はルイスの話を裏付けしただけ。

 すでに二人は、何のためにアーカムを追いかけてきたのか、それすらも分からなくなっていた。何かを見付けたかった。他国の生き残った部隊と会えれば、様々な情報交換も出来ただろう。それが例え占領政策であっても、逃亡してきた部隊であっても、決して悪い方向には行かないと思っていた。しかしここにきても、やはりアーカムに阻まれる。

 ティマの背中に目をやったナツメの目の前に、緑の光が溢れた。

 ティマの体ではない。

 そのティマが数歩後ずさる。

 胸のポケットから取り出したのは、あの〝端末〟。

 緑の光に包まれていた。

 ティマの掌に乗ったそれは、しだいにその光の玉を大きくしていった。

 緑の光は艦橋を埋め尽くし、やがて揚陸艦全体を包んだ。

 唖然とするティマとナツメを乗せたまま、揚陸艦が揺れる。

 突然襲う浮遊感。

 そしてゆっくりと、揚陸艦が前進し始める。

「ティマ……」

 不安の籠ったナツメの声に、ティマが返す。

「〝行け〟ってことだよ……こいつはいつも助けてくれた…………」

 ティマは海を見たまま。

 ナツメが再び声を震わす。

「最初の新婚旅行が船旅とは…………」

「何回行くつもり?」

 そう返したティマは、端末をコンソールの上に乗せて続けた。

「行き先は……こいつにしか分からないけどね…………」





 食料には困らない。

 多くの船室は綺麗な状態のまま。軽く掃除をすれば使えた。

 緑の光に包まれて数ヶ月。

 カレンダー通りならば、二人は船の上で冬を過ごした。

 春。

 やっとティマとナツメの目の前に陸地が見えてきた。

 エンジンがかかっているわけでもなく、もちろん船内に電気は通っていない。当然レーダー類も使えないまま、航海図の見方も分からない二人には、目の前の陸地がどこなのか理解する術は持っていない。

 もちろん二人とも、いつかどこかに辿り着くであろうことは覚悟していた。そうなった時のために残されていた車両の整備も定期的にこなしながらの船旅だった。

 艦橋から見える光景を前に、ナツメが口を開く。

「ティマは……久しぶりにゆっくり休めた?」

 横のティマが応える。

「うん…………やっぱりナツメと一緒で良かったよ」

「そうでしょ? 出会った頃から素直になってくれてれば────」

「ナツメはすぐに調子に乗るからね」

「そこも嫌いじゃないくせに」

 そう言ったナツメの目に不安が無いわけではない。

 上陸すれば、何が待ち構えているか分からない。

 それでも、ティマと二人でいられる安心感は何物にも変え難い。

 海岸線が近づくと、やがて揚陸艦が回転を始める。そして船尾を砂浜に押し付ける。その一連の流れに二人の心臓の鼓動は高鳴っていた。

 そして、揚陸艦を包んでいた緑の光が、ゆっくりと消えていく。

 緊張が高まる。

 ここがどこなのかも分からない。

 ティマは久しぶりにライフルを手に取って船尾に向かった。ナツメも自動小銃を手にティマを追いかける。

 船底の倉庫に残っていた軽車両に積めるだけの食料と軽油を積むと、エンジンをかける。

 久しぶりの排気ガスの音に、運転席のティマが声を上げる。

「さすがナツメ──いい音だ」

「いい嫁でしょ」

 助手席のナツメの満面の笑みに、不思議なくらいにティマは救われていた。

 ナツメの存在が疎ましく思う時もあった。常に横にいて口うるさく思ったこともあった。それでも、なぜかナツメに救われてきた。心のどこかで、自分自身がナツメを求めていたことは、もはや否定出来ない。

 軽車両には機銃は備え付けられていない。車体重量も軽い。燃費はいいように思えた。扱いの慣れない車ではあったが、行ける所まで行こうと思っていた。

 ここにきた理由は分からない。それでも導かれるように辿り着いた。

 必ず意味はあると考えていた。

 お互いに、そう信じていた。

 少し山道を進むと、すぐに大きな舗装道路にぶつかった。

 地図も無い。勘で進むしかなかったが、やがて点々と民家が見え始める。そしてその先には、大きな街並み。

 ティマが運転しながら口を開いていた。

「多分ここはホムラ共和国で間違いない」

 ナツメは自動小銃を握ったまま返す。

「そうだね……海の近くにあんな大きな街があるってことは、距離的にも多分…………」

 ナツメは自動小銃を握る右手に力を込めていた。

 それを横目で見たティマが返す。

「大丈夫だよ。絶対に殺さない…………」

 するとナツメは、ティマのほうを見る。

 ティマが続けた。

「命を脅かされない限り、誰も殺さない」

「うん……私も」

 応えたナツメの目は、力強く、覚悟を感じさせるものだった。





 辿り着いた街に人影はない。

 かなりの大都市が、長い期間風雨に晒されて荒廃していた。

 二人に寂しさが去来する。それは絶望感にも似たものだった。

 今まで見てきた街と同じ。

 とても戦勝国には見えない。

 街のあちこちを見て回った。

 少ないが遺体も見える。白骨化したものからミイラ化したものまで。何があったのか理解するのは難しいように思えた。

 広大な街を抜ける。とは言っても建物が少なくなってきたかと思うと再び次の街並み。

 同じ光景が続く。

 やっと道路の周りの建物が少なくなり、むしろ舗装された道路が続いていることが不思議な光景だった。

 乾いた空気に混ざる埃と砂の匂い。

 広い平地が続く。

 月明かりで僅かに遠くの山が影に見えるが、周囲は砂漠のように乾き切っていた。

 そのまま、更に数ヶ月が経過していた。

 二人の疲労感は明らかに増していた。精神的にも決して楽なわけではない。緊張と諦めの中で、それでも二人でいられることに喜びを感じていた。

 広大な砂漠地帯は、まるでそれが永遠であるかの如く続いた。大きな大陸であることは知っていたが、小さな車での移動は過酷そのものだった。

 その日も一日が終わろうとしていた。

 陽が傾き始める。

 やがて目の前に現れたY字路で車両が停まる。左側には傾いた大きな看板がかろうじて建っている。それが軍事基地への案内看板であることはすぐに分かった。

 ナツメが口を開く。

「生き残りたいと思ったら……軍隊のいるところに行くよね…………」

 ティマはゆっくりと返していく。

「……もしこの先にコミュニティーがあったら……ナツメはどうする?」

「……まあ……ティマとだったら、どこでもいいよ。一緒に暮らせるなら」

「……そうだね…………行こうか」

 そして、車は基地を目指した。

 やがて、基地のゲートに辿り着いたのは深夜。

 突然向けられたライトに、ティマは車を停めて運転席を降りた。両手を上げるティマの姿に、ナツメも助手席を降りて従った。

 敵か味方かは分からない。

 それでも、生き残っている人間がいた。

「ラカニエ帝国軍。特殊強襲部隊。ティマ・シティ中尉とナツメ・クールス中尉です」

 そして、二人の覚悟は間違っていなかった。





 クーデターは終わった。

 体を休めている内に空が明るくなり、全員が一箇所に集まる。

 そこは教会のあった場所。

 ティマ、ナツメ、スコラ、ルイス、レナ、アイバの他はまだ幼い子供たちが三名。その母親が二名。男性兵士が四名。計一五名。

 全員が一様に暗い表情の中、ティマとナツメの説明が始まる。

 ホムラ共和国のコミュニティー内の部隊は二部隊。各部隊が五〇人程度の編成で計一〇〇名程度の兵士がいるが、一般市民はそのおよそ倍の人数がいた。

 ホムラ共和国もラカニエやコレギマと同じくインフラは失われている。終戦直後の空爆も同じで、すでにアーカムのドローンの存在は知っていたが、その正体は分からないまま。ティマとナツメから情報を得た形になる。

「そこの人たち……信用していいの?」

 不安気に聞いてきたのはスコラだった。

 ナツメが応える。

「問題ないよ。あの大陸内の国から人が集まってきてた。人種も幅広かったし、何より、みんな笑顔だったの……もちろん戦闘が少なくなってきてたのはあるみたいだけど、それでも、みんな怯えて暮らしてなかった」

 そこにティマが繋げる。

「アーカムの迎撃体制も出来てる。あそこならみんなを受け入れてくれるし、暮らしていけると思う。ここにいてもいずれ食料が枯渇するだけ。あそこなら食糧生産のインフラも出来てる」

 それに返したのはルイスだった。

「でも……ここを全部捨てるんだよ…………思い出も…………」

 すでに故郷を捨てていたルイスがこの街に執着していたのは事実だった。懸命に記憶を心の奥に押し込み、新しい思い出を重ねることで、これからの人生に挑んできた。

 しかしそれは突然崩れる。まだ気持ちの整理は出来ていない。

 その気持ちに返したのはアイバだった。

「ルイスの思い出はどこにある? 私の思い出は自分の中だ。ティマ……私は行く。私を人間扱いしてくれる所ならどこでも構わない」

 元々故郷の無いアイバにとっては、求めるものはそれだけだった。

 それだけで良かった。

 そのアイバの真剣な目に、ティマが一言だけ返す。

「分かった」

 その横で、レナがスコラの手を握る。スコラも無意識の内に握り返していた。

 自分はもしかしたら、この地に拘りすぎているのかもしれない…………そんな想いがスコラの気持ちを埋め尽くした。

 シーラに近いこの場所を離れたくないのかもしれない。しかし、ここにシーラはいない。こんな気持ちのままでは、レナに対して残酷すぎる。

 そう想い、更にレナの手を強く握り返していた。

 あまりに突然なティマとナツメの提案。

 あまりに突然なティマとナツメの話。

 誰もが簡単に受け入れられるはずがない。

 アーカムのことは何も進展していない。

 それでも、もはや生きることが優先の世界。

 アーカムを理解出来る日は来るのだろうか。それも誰にも分からない。


 ──……レナのために生きても…………いいんだよねシーラ…………


「あなたに、ついてくよ…………ティマ…………」

 そのスコラの目に、ティマは黙って頷く。

 スコラの声が続いた。

「もう……迷わない…………ティマについてく…………」

「わたしは!」

 声を張り上げたのはルイスだった。

 そのルイスが続ける。

「……どうしてか分からないけど……まだ生きてる…………あの時、ティマとヒーナが見付けてくれなかったら死んでた…………チグに話を聞いてもらえなかったら、生きようなんて思わなかった…………ヒーナとチグのために…………まだ死にたくない…………」

 そのルイスの手を掴んだのはアイバだった。

 アイバはルイスの目を見つめ続ける。ルイスはそのアイバの手を握り返していた。

 生き続けたかった。

 死にたくないからではなく、生き続けることでしか、ヒーナとチグには何も返せないような気がした。





 その日は、一日をかけて埋葬に費やした。

 翌日。

 残った装甲車は三台。

 先頭車のドライバーはルイス。

 スコラが何気なくティマに話しかけた。

「ティマはどれに乗るの?」

 するとティマは背中を向けたままナツメと同じ先頭車に乗り込む。

「私は……ナツメと同じ所…………」

「は?」

 目を見開いたスコラが呟く。

「やっぱりナツメにとられたかぁ」

 すると二台目の装甲車からレナの声。

「スコラ。乗って」

「うん」


 ──……ま…………いっか…………


 スコラは装甲車に乗り込むと、すぐにレナの隣に座り込む。

 心なしか笑顔になっている自分に、スコラは気持ちが暖かくなるのを感じていた。

 ナツメの隣に腰を降ろしたティマも、いつの間にか笑顔になっていた。

 それを見たナツメが口を開く。

「ちょっと、みんなが嫉妬するでしょ」

「ナツメってそんなにモテたっけ?」

「んー、そうかもよ」

「ふーん、そうなんだ」

 ティマはナツメの右手に、自分の手を重ねた。

 ナツメはすぐにティマの手を握る。

 そして、笑顔が溢れた。


 三台の装甲車が動き出す。

 新しい旅が始まった。





      〜 第四部・完 〜


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