「忠犬よろしく駆けて来た」
──ジャー、ジャジャジャジャー、ジャジャジャ、ジャーンジャジャジャジャーンジャジャジャ
ゆったり余韻を持たせるような出だしは、『エッタ』の『At Last』だ。
ジャンルとしては、ブルースというよりR&B(リズム&ブルース、黒人音楽の総称。リズミカルなブルースのことをこう呼ぶ時もある)だが、ガチガチのブルースよりも若者向けであり、こうした路上、そしてサクラの第一曲目にはふさわしいだろうという理由からの選曲だが──
「なかなかこれは……や、思ったよりも……」
俺は思わずつぶやいた。
想像していたよりも、サクラのヴォーカルがハマっている。
手を後ろで組んで、顔をわずかにつき出すような歌い方にはいかにもな素人っぽさがあるが、しかし声の方は……。
──ついにこの日が来たわ。
あの人がわたしの恋人になってくれるの。
孤独な日々はこれで終わり。
バラ色の生活が待ってるわ。
『At Last』。
長年の想いが叶い恋人と結ばれた女性の喜びの歌が、路上に響き渡る。
──朝起きたら彼に電話するの。
一日の計画を立てて身支度して。
家を出るタイミングでフォードが到着。
運転席にははにかんだ顔した彼。
原曲を歌っていた『エッタ』はパワフルな女性シンガーだ。
豊満な肉体から繰り出される声が、当時多くの人を魅了し、楽曲の見事さも相まって、現在に至るまで多くのリピーターを産み出している。
対してサクラは、決してパワフルなほうではない。
大食いのくせに体は痩せてるし、声量だってそれほどない。
だが、この声……。
サクラの声は、ひと言で言うならロリ声だ。
鼻にかかるような甘い感じがあり、そいつがまたギターのひずみによく絡む。
音の波に乗って、絡み合って、得も言われぬハーモニーを産み出していく。
「……なにこの歌? ボカロ?」
「や……でも、絶妙に生っぽいというか……あ、れじゃない?」
「女子の制服。へえー、JKだ?」
なじみ深い音質だからだろう、道行く若い奴らが足を止めて振り返る。
そうなってしまえばこっちのものだ。
楽曲は素晴らしく、サクラの声は、一度聴いたら絶対耳に残る。
「なかなかいいじゃん。顔可愛いし」
「歌いいよね。なんか聞いていたくなる」
「ね、ね、動画撮ってもいいかな?」
スマホで撮影を始められたのがわかったのだろう。
サクラがチラリと俺を見た。
ニヤニヤ、ニヤニヤ、嬉しそうな顔。
「やったっすよ! 師匠!」とでも叫びたいところだろうが、さすがに今は控えたようだ。
控えたようだが、喜色は声に乗っていく。
サクラの嬉しい、楽しい、が音色に反映されていく。
ちょうどサビに入ったところで、それは抜群の効果をもたらした。
──誰かと心寄せ合うことがこんなに幸せだなんて、知らなかった。
胸が暖かく、ジンとして……。
まるで魔法にかけられたみたい。
寂しかった日々が、喜びで塗り替えられていく。
エッタの喜びの歌と、サクラの喜びの歌。
60年代を代表する偉大なシンガーと、現在の駆け出しシンガー。
まったく異なるはずのふたりのソウルが、時を超えて繋がっていくように感じられる……なんて、それはおおげさかもしれねえけれど……。
「……ま、出だし快調なんじゃねえの?」
いつの間にやら、俺たちの周りには分厚い人だかりが出来ていた。
その数は20……いや、30はいるだろう。
個人的にも過去最高の聴衆だ。
「わっ、すごいすごいっ、すごいっすよ師匠っ!」
歌い終えたサクラが、ぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
「ほらほら、おひねりもこんなにたくさん! フィーバーっすよフィーバー!」
ギターケースを指さして大興奮のサクラ。
「これでバケツナッツ確定っすね! 約束忘れないでくださいよ!?」
「ほいほい、いいから次行くぞ次」
「えっ……次っ!?」
ぎょっとした顔でサクラ。
「やー……せっかく調子もいいとこですし、この辺でおさらばにしておいたほうが……?」
「ばーっか。ライブはまだ始まったばかり。シンガーが勝手にやめてどうするよ」
サクラの背中を押すべく、俺は再びピックを構えた。
「シンガー……? う、うーん……わかったっすけど……」
戸惑いながらも、サクラは次の曲また次の曲と歌い始めた。
『I Found a Love』、『Lovin's Arms』。
曲が進むほどに客は増えていく。
最初は戸惑いの方が多かったサクラだが、歌うにつれ慣れていき、最後の方は観客の声援に笑顔を返す余裕すら出て来ていた。
都合5曲を歌い終えた時には40人近くの人が集まっていて、ギターケースの中のおひねりも見たことのない額に達していた。
「……なんだ、これ?」
俺はふと、自分の指が震えていることに気が付いた。
「緊張してた……まさか? サクラじゃなく俺の方が?」
路上で何年やってんだよという話だが、たしかにわからない話じゃない。
自分のことなら、正直どうなったって受け入れられるんだ。
無視されても、バカにされても。
でも、サクラに関してはそうはいかない。
こいつは人前で歌うのが初めてで、しかもぶっつけ本番で(俺が仕向けたのだが)。
それだけに、失敗して欲しくないと思ってた。
じりじりと、身を揉むように感じてた。
演奏中に表に出ることはさすがになかったが、その代わり……。
「演奏が終わって気が弛んでから出てきたってことか」
なるほどと納得して、バカらしくなって口元が弛んだ。
「まるで過保護な兄貴だな」
心配性を嘲笑うと、俺は尻を払いながら立ち上がった。
「さ、行くぞサクラ」
「え、どこすか? どこ行くんすかししょーっ」
最後のお客さんに手を振ったサクラが、名前を呼んだ瞬間忠犬よろしく駆けて来た。
「お、なんだ今日じゃなくてもいいのか? ほれ、おまえが言ってた……」
「あ! バケツナッツ! 楽しみすぎて忘れてた! ってかホントに買ってくれるんすね!? やったー!」
ぱあっと満面に笑みを浮かべたサクラが、バンザイして喜んだ。
「行きます! 行くっす! 師匠の最寄りのコンビニのを、在庫分まで買い占めるっす!」
「バーカ、一個だよ一個」
無茶なことを言うサクラの頭を小突くと、俺はギターケースを肩に担ぎ直した。
「あっはははは、まあ一個でもじゅうぶんっすけどね! 毎食食べても一週間はもつはずなんで!」
「え……そんなに? うちの冷凍庫に入るのかそれ……?」
古めかしい2ドアタイプの冷蔵庫の容量を心配しながら、俺は家路に着いた。
その日はちょうど満月で、空には大きなまあるい月が、バカみたいに幸せそうに光ってた。
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今回の使用曲は、『エタ・ジェイムズ』の『At Last』的なものと思ってください。
こういうスタンダードナンバーをロリ声で歌うと決まるよねとゆうのが、サクラの物語の始まりだったりもします(*´ω`*)