「ふんすふんすと興奮していた」
「う、歌う? 歌うって自分がっすか? 師匠がじゃなくっ?」
俺の提案に、サクラは声を上擦らせた。
よほど衝撃的だったのだろう棒立ちになり、ギターケースからつかみ取ったおひねりをチャリンチャリンと取り落としたことにすら気づいていない様子だ。
「ああ、そうだ。おまえって昔からずうーっと俺の傍で歌を聴いてたんだから、歌うことだって出来るはずだろ?」
「いやいやいや、出来るとか出来ないとか……だってそれは……そういう問題じゃ……。そもそもの音楽的才能があるとかないとかの話で……。自分、学校の音楽の時間とかでしか歌ったことないし……それもなんかふざけた感じだったし……」
「あるよ、おまえにはある」
「な……なんでそんな断言するんすかっ! 自分上げがいきなりすぎて怖いっす! この後ズドンと落とされそうでめっちゃ怖いっす!」
「おまえを上げて落としてどうするよ。なあ、そんなに難しく考えなくていいんだ。ちょろっと人前で、俺のギターに合わせて歌えばいいだけ」
「そんなちょろっとは出来ないんすよ! 自分は素人なんすから! 師匠にとってはこれぐらいでも、自分にとってはこおおおおおおれぐらいのっ! でっかいでっかいでーっかいハードルなんですから!」
しゃがみ込んで地面すれすれに手をかざして、ぴょんと跳びはねて頭の上に手を挙げて、ハードルの高さを表現するサクラ。
「はあー……」
しかたねえなとため息をつくと、俺は交換条件を突きつけた。
「もしこれが上手くいって、今よりもっと客が来たら、あとでアイス買ってやるよ。ほら、おまえ好きだったろ? コンビニの冷凍ケースに入ってるお高いやつ」
「え、ハーゲンナッツ!? それってハーゲンナッツのことっすか!? ピーナツバターとバニラがぬめりと絡んで超々上手いやつっ!? しかもコンビニで扱ってる中でも一番でっかい、通称バケツナッツをご褒美で!?」
俺の提案に、突如興奮し始めるサクラ。
「バケツナッツ……? お、おう……まあそんな感じのやつだ……っておい、それってちなみにいくらするんだ?」
「そうゆーことならやるっす! このサクラ、師匠の期待に応えるためにふんこつさいしん頑張るしょぞんっす!」
「予想より食い意地張ってんなおまえ……っつうかマジでいくらするのそれ?」
この後の出費に対して恐れを抱く俺とは裏腹に、サクラのテンションはマックスまで上がっていく。
さっきまでぐずってたのがウソみたいに、さあ歌おうすぐ歌おうとばかりにぶんぶん拳を振り、だんだん足踏みを始めた。
「……ま、いっか。やる気になったんなら、それがどんな動機であれ」
俺は肩を竦めると、サクラと相談して選曲を始めた。
「とはいえ、自分正直歌詞が怪しいんで、なんかこう……わかりやすいフレーズを繰り返す感じのがいいっすね」
「歌詞? ああ気にすんな気にすんな。ブルースの曲なんて、超有名どころであっても知ってる日本人なんかほとんどいねえよ。適当にそれっぽく誤魔化しとけ」
「な、なんという悲しい自虐を……世界一のブルースマンになろうって人が……」
「いいんだよ。大事なのはフィーリングなんだ。余計なことなんぞ考えずに、ただただ己の内面を叩きつける、それがブルースってもんなんだよ」
「んー……わかるようなわからないようなあー……?」
俺の説明に首を傾げるサクラ。
ともあれ、やる気になったのはいいことだ。
サクラと一緒に音楽をやる。
夢というほど大げさなものじゃないが、それは昔からの俺の、ひとつの目標だった。
招き猫ならぬ招きサクラは、何も見た目だけで客を呼んでいたわけじゃない。
鼻歌に独特の癖があって、それを聴きに来ていた人も多数いた。
そこに座ってる女の子は歌わないのかと訊ねられたことも、一度や二度じゃない。
そのつどサクラは大笑いして否定していたが、実際に歌えば面白いことになるだろうという確信が、俺にはあった。
サクラが神隠しにあったことで、その機会は失われてしまっていたのだが……。
「……もう一度、やって来たってわけだ」
季節が巡り年を経て、サクラは俺の前に再び現れた。
サクラと共に音楽をやる、その機会もまた。
わずかな感慨に浸りながら、俺はふんすふんすと興奮するサクラの背中をぽんと叩いた。
「ようし、行くぞサクラ。最初の一発目は──」