「ギターケースの脇で鼻歌を歌っていた」
「路上ライブで金を稼ぐって……ホントおまえ、簡単に言ってくれるけどなあ……」
「ほらほら、ごたくはいいからあーっ。とにかく師匠の腕前、見せてくださいよーっ。満場の観客に聞かせてやってくださいよーっ」
「満場の観客、ねえ……」
サクラに言われるがまま、俺は夜の駅前に出かけた。
歩道橋の片隅の、いつもの位置。
ギターケースを地面に置くと、こぼれそうな笑顔を浮かべたサクラがその脇に座り込んだ。
「わくわく、わくわく」
「うるせえよ、擬音を口で表すな。子供か」
「子供ですもーん。師匠みたいなオヤジじゃないですもーん」
「オヤジじゃねえから。まだ二十五だから」
やり合いながらチューニングを終えると、俺は改めて周囲を見渡した。
正直言うなら、かなりの不安があった。
ここ数年の俺の路上ライブの成績と客の付きは、お世辞にもいいものとは言えなかったから。
昔の俺しか知らないサクラに現状を知られ憐れまれるのは、ちょっと嫌だった。
案の定というべきか、演奏の準備をする俺を気にする通行人はいない。
寒空の下でコートの襟もとを合わせながら先を急ぐそいつらの足を止められるとは思えないのだが……。
「……しゃあねえなあ」
うじうじしててもしかたがねえと、俺は演奏を始めた。
──ジャーンジャッジャッジャーンジャジャッ
ジャーンジャッャジャッジャーンジャジャッ
ジャーンジャジャジャーンジャジャジャ
ジャーンジャジャジャンジャジャジャー
最初の曲は『Stormy Days』。
ブルースにエレキギターを取り入れた改革者『アーロン・ウォーカー』によるド定番ナンバー。
洗練されたジャジーなコード進行は『ストデイ進行』なんて名前で呼ばれ、現代に至るまで愛され続けている。
──嵐のように日々は過ぎていく。
日曜のお祈りを終えれば月曜が始まり、火曜水曜と厳しさは増していく。
木曜はやらかし、金曜には金を落とし、土曜になる頃にはズタボロさ。
それでも日曜はやって来て、それがずっと続いてく。
歌詞は労働者階級の人らの日々の悲哀を描いた、今風に言うならば応援ソングみたいな内容だ。
だからだろうか、英語の歌詞がわからなくても、足を止め聞き入ってくれるのはサラリーマンやサラリーウーマンが多い。
……ん?
聞き入ってくれる?
「おおー、けっこうお客さん来てますねえーっ。さっすが師匠っ」
サクラの言ったような満場の観客とまではいかないが、思ったよりも客が来ている。
チャリンチャリンとおひねりが投げこまれ、一曲歌い終える頃には600円も溜まっていた。
「ああ、まあそりゃあな……年季が違うからよ」
平静を装いながら、俺は演奏を続けた。
『ドン・マディ』の『フーチークーチー』。
『ロブ・ジョンソン』の『クロスロード』。
若者にはウケなさそうなスタンダードナンバーを続けても、客は減らない。
もちろん入れ替わりはあるものの、全体としては右肩上がりに増えていく。
突然俺の歌や演奏が上手くなったというわけでもあるまいし、ということは……。
「んー♪ んんんん~♪」
俺の足元で鼻歌を歌ってる、こいつのおかげだろう。
招き猫ならぬ、招きサクラってわけだ。
「……ちぇっ」
サクラがいなければダメ、サクラがいればこの客入り。
ひとりのブルースマンとして、そこにもどかしさがないわけじゃない。
だけど──
「やー、楽しいっすねー師匠っ。あ、なんか飲み物でも買って来ますかっ? もちろん師匠のおごりですけどっ」
いかにもご機嫌なサクラと共に路上に出て演奏して、歌を歌って。
そうして時が過ぎていくのは楽しかった。
三年前までは当たり前にあったあの光景が、あの時間が戻って来た。
その事実は悔しいけれど、たしかに嬉しいものだった。
「そうだな。なんか暖かいものを。そんでよ、サクラ。戻って来たらさ」
「ん? なんすか、師匠?」
ギターケースからおひねりをつかみ取ったサクラに、俺は声をかけた。
昔から思っていたことを、実践しようと考えた。
「おまえも試しに、歌ってみないか?」
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今回の『Stormy Days』は、『Tボーン・ウォーカー』の『Stormy Monday』に『似たもの』として読んでいただけると幸いです。
また『フーチークーチー』は『マディ・ウォーターズ』の『フーチークーチー・マン』。
『クロスロード』は『ロバート・ジョンソン』の『クロスロード・ブルース』にそれぞれ対応します。
いずれも名曲ですので、これを機にブルースの世界を覗いてみたいという方は、ぜひ検索してみてください。




