「3年ぶりに再会した」
春というにはまだ寒くて、冬というには暖かい。そんな夜のことだった。
駅から伸びる歩道橋の片隅で、俺はいつものように歌っていた。
ジャンルはブルース。ジャズの兄弟でロックの父親、つまりは気合いの入った骨董品だ。
「……ちっ、どいつもこいつもよう」
ひと休みと座り込んでおひねりを確認して、俺は思わず舌打ちした。
地面に置いたギターケースに溜まった金は、三時間歌い続けて千二百円だけ。
しかもそのうち千円は、名も知らぬパチンカーのおっちゃんがくれたおすそ分けだ。
「ロックかポップ以外は念仏同然だってか? ふざけろ」
世界一のブルースマンになるという夢にブレはない。でも、自分の現状は知っている。
レコード会社への売り込みはなしのつぶて、フェスへの申し込みは審査落ちで、路上ライブはこの有り様で……だから時々、不安になる。
「あーあ、気がつきゃもう二十五か。……マジでさ、このまま一生何も起こらねえとかやめてくれよ?」
どんよりした気分のままうつむいていると、不意に通行人が足を緩めた。
なんだろうと思い顔を上げると、大学生ぐらいのカップルだった。
「あのメガネの人なにやってんの? 若いのにホームレス? 不景気だねーっ」
「違うよ、路上ミュージシャンだ。歌ってお金もらってんだよ」
じろじろ無遠慮にこちらを見つめるチャラい女とチャラい男。
遠ざかりながら、ふたりは俺のことを噂し続ける。
「今はああだけど、昔はそれなりに聴く人いたんだよ」
「へえー、前からいたんだ。てか、人気あったんだ?」
「一緒に女の子がいたんだよ。ギャルっぽい感じの可愛いJK。そのコ目当ての人がけっこういて……」
カチンときた俺は、立ち上がるなりガラス製のスライドバーを薬指に嵌めた。
呆気にとられるバカップルに向かって、ギターをかき鳴らした。
ギュウゥゥン、ギャギャギャッギャギャギャツギャギャギャッ……!
スライド奏法の名手ギルモアの『I Believe』。
イントロの噛みつくような三連符が印象的な黄金の五十年代の名曲を、歌詞だけ変えてぶつけるように歌った。
──うるせえーんだよバカップルが、とっととあっちへ行っちまえ。
──こんな寒空でイチャイチャしてねえで、おうちで仲良く鍋でもつついてな。
「わ、怖い。何急にっ?」
「ちょ、やべ、逃げろっ」
恐れをなしたのだろう、カップルは慌てて逃げていった。
「ったく、しょうもねえことばかり抜かしやがって。いつまであいつの話をしてんだ。もう三年も前だぞ?」
男の話していたのは事実だ。
つい三年前まで、俺の路上ライブの売り上げはそこそこにあった。
といって、俺の音楽がウケていたわけじゃない。傍にあいつがいたからだ。
人目を引くルックスのあいつが招き猫みたいに俺の隣に座り込んでいたから、それにつられて立ち止まる人が多くいたってだけの話。
「……はっ」
だけどあいつはいなくなった。
何も告げずに、唐突に。
あいつは──サクラは。
「……はっはっ」
「なんだ、何がおかしい」
ムッとして笑い声のほうに振り返ると……。
「あっはっはっは、マジでウケるっ」
垂れ目で童顔、紺色の制服の下に丈の長いクリーム色のカーディガンを着込んで萌え袖にし、ロングヘアをピンクに染めたギャルっぽい女の子が、アスファルトをペシペシ叩きながら笑っている。
「こんな寒空に外にいないで家で仲良く鍋でもつつけとか、親っすか」
「おまえ、いつからそこに……」
「追い払おうと思って歌ったのに、なんで最終的に体のこと気にしてあげてんすか、親切すか」
「おい……サクラ!」
恥ずかしくなった俺が声を荒げると、サクラはようやく笑いを納めた。
「やーやー、ホントにおひさしぶりっす。ハル師匠」
へらっと口元を緩ませるような独特の笑みを浮かべながら、サクラは敬礼してきた。
「木ノ宮サクラ、ただいま戻りました」
俺の周りをぴょこぴょこ跳ねるようにして騒ぐサクラを連れて、アパートに帰った。
「おおー、おまえたちっ、元気だったかーっ? 変わりないかーっ?」
「……三年やそこらで変わるかよ」
「おおー、自分が粘土で作った師匠ろいどくんじゃないかっ。大事にしてもらってるかーっ?」
「……さすがに気味が悪いんで、邪険にはしてねえよ」
昭和感漂う木造建築の、二階の端の俺の部屋に入るなりサクラは、サクラ的に懐かしいものすべてに挨拶をして回った。
音の鳴らないインターホン、台所の縄暖簾、万年床に万年コタツに、風呂場に、パジャマ代わりの学生ジャージに、妙にリアルな俺の人形……。
「やー、さっぱりしたっす。師匠にはホント感謝っす。あとはこの空腹も満たしてくれると、孫の代まで感謝するんすけどねー」
「そんなに気の長い感謝はいらねえよ」
ひとっ風呂浴びてジャージに着替えたサクラに、俺はいつもの料理を作ってやった。
「おおーっ、師匠得意のペペロンチーノ・ザ・シンプルだっ。本気でオリーブオイルとにんにくと鷹の爪しか使ってないやつだっ」
「コンビニバイトの経済的事情ってやつだ。黙って食え」
よほど腹が減っていたのだろう、三人前用意したペペロンチーノをサクラはぺろりと平らげた。
「あとな。何度も言うけど、俺はおまえの師匠になった覚えはねえからな」
「へっへー。こっちも何度も言うっすけど、師匠は師匠っす。自分みたいにフラフラしてなくて、いつでもしっかりしてるから。師匠は自分にとって人生の師匠なんすよ」
「別に俺はしっかりしてねえよ」
「ご謙遜ご謙遜♪」
昔から変わらない、緩いやり取り──だけど俺は、そこに微かな違和感を覚えていた。
上手くは言えないが、サクラの陽気さが昔のそれとは微妙に違っている気がする。
何か嫌なことがあって、それを隠しているような……。
「……んで、なんかあったのか?」
満足そうにお腹をさすっているサクラに、俺は本題を切り出した。
「三年間顔見せなかったことだけじゃなくよ。その制服、高校のだろ。あの当時おまえは高二で、今は高五? そんなことあるわけねえよな?」
考えられるとしたら留年?
何らかのバイトで、卒業後なのに制服を着ている?
いずれにしても、俺には聞く権利があるだろう。
「んー、なんと言うかっすねー……」
サクラは難しい顔をして腕組みし……。
「自分、神隠しに遭ってたんす」
予想だにしなかった単語に、一瞬反応出来なかった。
「あ、えと……た、体質って言うんすかね。昔からちょくちょくあったんすよ。ぱっと消えて、数時間後にまた現れたり。数日後とか、長い時には一カ月後とかってのもあって……」
疑われていると思ったのだろう。
焦ったような早口で、サクラは説明を始めた。
「お医者さんに言っても信じてもらえなくて。家族は家族なんで信じてくれたっすけど、だからと言って打つ手もなくて……」
サクラ曰く、神隠しに遭っている間の記憶はないらしい。
急に意識が途絶えたかと思うと、次の瞬間には驚くほどの時が流れている。
期間が短いうちはそれほど問題にもならなかったのだが……。
「今回のはさすがに長くて……長すぎてっすね。家に戻ったら家が無くて、さら地になってて……」
「は? おまえ今なんて──」
「聞いたらなんか、火事があったみたいで、みんな死んじゃったって。お父、さんも、お、母さん、も、大地も……みん、な……っ」
突然。
せき止めていた感情が決壊したみたいに、サクラの目からボロボロと涙がこぼれた。
「親戚とか、いないし。友達とか、いないし。もう、行くとこ、なくて、どうしよって。でも、師匠なら、たぶんあそこだって。きっと同じとこ、いてくれるって……」
「サクラ……っ」
子供みたいに泣きじゃくるサクラの体を、俺は慌てて抱きしめた。
「サクラ、落ち着け、まずは深呼吸だ」
何度もサクラの名を呼んだ。
震える背中を手で擦った。
「……師匠、信じて、くれるっすか?」
「信じるよ、当たり前だろ」
サクラはいい奴だ。
うだるような暑い日も凍えるような寒い日も、いつだって傍にいてくれた。
俺の歌を聴き、成功を願ってくれていた。
最高のファンであり、ほとんど妹のような存在だ。
こんな時に信じてやらないで、どうするよ。
「へっへー、良かったっすー……」
鼻をぐずらせながら、サクラはへらりと口の端を緩めた。
いつもみたいに笑おうとしたのだろうが、唇が震えて、上手くはいかなかった。
「なあ、サクラ。俺には何が出来る? おまえのために、いったい何をすればいい?」
「えっと、とりあえずは自分をここに泊めてくれるとありがたいんすけど……。もちろんバイトしてお金は入れるっすけどね。次いつ消えちゃうかわからないんで、日雇いので何か探して……」
問題は山積みだった。
泊めてやるのはいいとして、今後どうするのか。
まずは警察か、それとも役所か。
もしまたサクラが消えてしまったら、次に現れるのは何年後なのか。
俺はその時もまだ、ここにいられるのか。
「……っ」
愕然とした。
夢ばかり追ってきた自分の無力さに。
いい歳こいて貯金も無く、将来に何の見通しも無い惨めさに。
「……師匠?」
不思議そうに首を傾げるサクラ──その瞬間、俺はハッと我に返った。
そうだ、落ち込んでいる場合じゃない。
こいつをこれ以上不安にさせちゃいけない。
「心配すんな、サクラ」
俺は無理やり笑顔を作った。
「家賃はとらねえ、食費とかも気にすんな。自分の家だと思って、いつまでだっていていいからな」
「し、師匠ぉ~……」
再び泣き出したサクラの頭を抱き寄せながら、考えた。
果ての無い孤独から、こいつを救う方法を。
ただそれだけを。
著作権侵害の可能性を考慮し、作中で使う楽曲は曲名、演奏者名ともにボカして使用しています。
今回の『I Believe』は、『エルモア・ジェイムズ』のそれに『似たもの』として読んでいただけると幸いです。
これを機にブルースの世界を覗いてみたいという方は、ぜひ検索してみてください。