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刻印の継承者 その11(完結)  作者: 神野 碧
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封印帝国

飛翔してゆく影が消えた頃合いに、ティアは足元に軽い振動を感じていた。《空飛ぶ船》が元の鞘に収まるように着地したのだと認識し、ティアはあてもないまま船外に出て、王宮の階下へと続く螺旋階段を下る。

 人気のない広間で立ち止まると、堰を切ったように感情があふれ出し、両手で顔を覆って膝を折っていた。頼れる人もなく、たったひとり取り残されてしまった。

行き場もなくあふれ出す感情を押し殺すように嗚咽を漏らし、肩を震わせて、ティアはそこにいた。

 幾何かの間だろうか。時間の感覚のないままに、ティアの感情は潮が引くように鎮まっていた。地上から微かに漏れる白んだ淡い光が、早朝であることを示している。ゆるりと正面に視線を向けると、さわりと空間が揺れる気配がある。はっとして定めた視線が捉えたのは、こちらに向かっている人影だった。ゆっくりと立ち上がるティアと人影が向かい合う。

 人影が像を結ぶ。人物は、年嵩の女性だった。

向かい合った二人の呼吸と拍動が重なる。女性の姿が像を結ぶと、ティアははっと息を呑んで女性を凝視する。視線を向けた相手もまた、はっと息を呑んで視線を投げ返す。向けられた視線は不快なものではなく、引力が作用するようにティアを引き付けていた。

 女性の唇がためらいがちに動く。

「あなたは……」

 次に続く言葉をティアは預言者の如く確信していた。

「ティア」

 違和感なく、ティアはその言葉を受け入れていた。ティアが静かに頷くと、女性は、はにかんだ子供のような笑みを浮かべて、

「わたしは、イレーネ」

 時の螺旋が紡ぎ出す空間に二人はいた。 


















 《いにしえの力》の消滅、それに伴うザグレス王の末路の報告を聞き終えた王は、その結果に満足したように大きく頷いていた。目の前の王が言葉を発するのを、報告を終えたナディとライナは固唾を呑み、その後方に控える神学校校長とガーヴは、気負うことなくその場に立って待ち受けていた。

 ややあって、王は宣する。

「王たる我が名において宣する。ザグレスを封じていた結界を解除することを」

 その宣言の重大さを認識し、ガーヴを除く皆は身を正していた。その様を確認すると、王はゆっくりと一同を見渡し、

「《いにしえの力》の消滅で、我が国とザグレスは対等となった。《壁》を取り払って国交を開くことはかつてない歴史の変節となろう。それに立ち会い、政で采配を振ることが出来るのは冥利に尽きるというものだ」

「陛下のご英断、謹んで評価いたします」

 ひざまずいて頭を垂れる校長に向かって、王は、

「結界解除の件、そなたの名において関係機関に周知させよ」

 簡潔な命を下した後、ナディ、ライナ、ガーヴに向かい、

「我が命の完遂、感謝する。ナディ、ライナ、面を上げよ」

 控えめに、ゆっくりと面を上げるナディとライナに、王は緩く笑んで、

「そなたたちに命ず!」

 唐突に紡ぎ出された王の張りのある声に、思わず、

「えっ」

「はいっ?」

 不謹慎な言葉で応じるナディとライナに、構うことなく王は告げる。

「ナディ、ライナ、その者二名、今後の対ザグレス親善大使に任ずる。以上だ」

 厳かに発せられた王の命を、

「謹んで」

「お受けいたします」

 しおらしく受諾するナディとライナだった。




 海の向こうが白み始め、水平線と《壁》の境が次第にはっきりしてゆく。夜の漁から戻って陸に上がった初老の漁師は、いつもと変わらぬ夜明け前の空を眺めていた。いつもと変わらぬ? いや、何かが違う。強い違和感から、老人は水平線を凝視する。

 凝視した先の鉛色の空間が裂けるように二つに割れる。裂けた空間の先からはオレンジ色の光が溢れ出し、銀箔を振り撒いたように周囲を染め上げていた。鉛色は、漆喰が剥がれるように霧散し、さらなるオレンジ色を振り撒いていた。垣間見える水平線から朱色の球体が現れ、ゆっくりと上昇して行く。それは、神話でしか見たことのない、日の出の光景だった。鉛色から解放された空は無限の彼方にまで流れる青色だった。

 常識を超えた非日常的な眺めに、老漁師はただ立ち尽くして昇り来る朝日を見入ることしか出来ないでいた。

 同刻、昇る朝日を目の当たりにした多くのザグレス市民は、いち早くその意味を理解していた。結界消ゆ。ザグレスの積年の悲願であったその報は瞬くうちに全土を駆け抜け、人々は歓喜の声を上げていた。

 片や王宮内は、王が地下室で怪死しているのが発見された直後で、その対応を協議しようとしていた矢先だった。結界の消滅が、キルギア側の意図によるものだなどとは思いもよらず、国王の怪死との整合性をめぐる憶測が飛び交って、王宮は討議の収拾がつかない混乱に陥っていた。王が《空飛ぶ船》で結界を飛び越え《いにしえの力》を解放してキルギアを殲滅させることを企図していたことは耳にしていたが、軍の最高幹部は、作戦は遂行されていないと明言し、さらなる混乱を招いていた。

 混乱に伴う政の空白を外部に曝すことを回避するために、王宮は、結界が消えたことを棚上げにして、王が逝去したとのみを国民に伝え、喪に服すようにとの政令を発していた。

歓喜に水を差されたものの、国民はその政令を疑うことなく受け入れて、敬虔さを以て喪に服していた。

 その間隙を突くように、キルギアは、ザグレスに向けて大きく国旗を掲げた公用船を出航させていた。領海への侵入を阻止すべく現れたザグレス軍船に取り囲まれても臆することなく、キルギア船の指揮官はザグレス軍船の指揮官に親書を手渡すと、すみやかにザグレス領海から離れていた。

 親書には、結界の消滅はキルギア側の意思によって為されたこと、自由往来が可能になったことに伴う対等な関係での両国の国交を望むとの二点が、簡潔に綴られていた。結界の消滅がキルギアの意思によるものだという事実に戸惑いはあったものの、その真の意図を知るためにもキルギアとの接触が必要だとの見解が示され、使者が丸腰の公用船で渡来したこと、領海を侵すことなく立ち去ったことを鑑みて和平の意思を尊重し、ザグレス王宮は、キルギアとの対等国交に向けての交渉に臨むことを決断した。

 晴天の早朝、順風満帆を予感させる海風が吹き抜ける中を、返信の親書を携えたザグレス公用船が静かに出航し、光差す新たな歴史が緒につくこととなった。




「終わりましたね」

「そう、ね」

月明かりに照らされたテラス、ライナとナディは肩を並べて手摺りに身を預けていた。先刻まで静かな調べと人々のざわめきに満ちていた広間の空間には、人の姿はなく、闇の佇まいに沈んでいる。

 結界の消滅から半年ほど。その間、ザグレスでは新たな国王が即位し、国交回復に向けてのキルギア、ザグレス両国の協議が活発に行われていた。協議はおおむね順調で、正式な国交成立の日も近いであろうことをうかがわせている。それに先立って民間分野での交流が盛んになり、民間の使節団が主催する交流の宴が頻繁に開催されていた。親善大使の任を授かったナディとライナは大忙しの毎日だ。

 今宵もまた宴に駆り出されていたナディとライナは、役目を終えてほっと緊張を解いていた。宴という華やかな場への参加は厭わない二人だが、両国の交流が緒に就いたばかりということで、宴は厳かで格式を重んじて執り行われ、少々の気づまりを感じていたのだ。それでも殊勝に役目をこなし、二人の評判は上々だった。

 テラス越しに広がる宵闇は星の瞬きを刻み、彼方まで続いている。遮るもののなくなった彼方には、解放されたザグレスの地が広がっているはずだ。港に面した手前の広場には多くの人が集い、華やかな賑わいを見せている。

「それじゃあ、始めようか」

「はい」

 声をかけ合った後、ナディが頬を緩めて、宴の会場から失敬してきたシャンパンボトルの栓を抜いていた。乾いた音とともに弾け出た液体を、自分とライナ、それぞれが手にしたグラスに注ぐ。高く掲げたグラス越しに広がる夜空に淡い朱色が揺らめく。

「乾杯」

 ささやかな声とグラスの触れ合う音。直後に大音響が周囲を揺るがし、宵闇に鮮やかな光の円が広がる。尾を引く光が闇を流れる間に、新たな大輪が刻まれる。

 夜空に弾ける光と闇の共演を、ナディとライナは飽きることなく見つめていた。

 ひときわ大きな光の環に、広場に集った人々の歓喜の声が重なる。




                                    Fin





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