経済チートで異世界無双(仮)
「お前様、いい加減にせんか。いつまでそうやって読みふけているつもりじゃ」
薄暗い蔵書庫に幼子の声が響く。ステンドグラスから差し込む光で、室内はほんのりと明るかった。そんな薄明かりの中その青年は、高所にある本を取るためのハシゴに座り、手に持っている本に視線を落としていた。集中した様子で目を上下左右に動かし、数秒ごとにページをめくっている。
しかし少女に、ここ一週間ばかり延々と読書に励んでいたことを責められたので、面倒くさそうにため息をつく。だが視線を少女に向けることはない。
「……うるさいなぁ。いいだろ読書くらい。こっちに連れてこられたばっかりで、この世界の事についてまだ何も知らないんだよ僕は。……最近になってやっと、文字が読めるようになってきて、情報収集がはかどり始めた所なんだ。邪魔しないでくれよマスター」
「読むことを責めておるのではない。読み続けていることを非難しておるんじゃ。ここを管理している同胞から聞いたぞ。お前様、もう4日もここにおるらしいではないか。その上、食事も其奴に運ばせておるそうじゃのう。『飯くらい自分で取ってこい』と愚痴っておったぞ」
幼女はそう言って嘆息すると頭を横に振った。恐らく、ここまで言ってもまだ読書を続ける青年に呆れているのだろう。幼女はハシゴの上で未だに本を読み続ける青年を見上げた。
「……もう2週間じゃ。お前様を召喚してからそれだけの時間が経った。にもかかわらず、お前様は禄に仕事もせず、こんな所で暇を持て余しておる。妾の同胞達がお前様をなんと呼んでおるか知っとるか? “隠居公”じゃと。恥ずかしくないんかお前様は?」
「ははっ、隠居公。いいね、気に入ったよ。僕にピッタリだ」
「……」
青年の返答を聞いてその幼女は恨めしそうに、彼女の頭上で絶賛隠居中の僕を睨み付けた。しかし彼女の配下は、一切それを気に留めない。
「……妾の事も考えんか、このたわけが。お前様のような隠居爺を『救国の英雄』と声高らかに呼び出してしまったんじゃぞ。全く……お前様のおかげで妾はホラ吹き扱いじゃ。かつて帝国一の吸血鬼と讃えられていたことが懐かしい……」
「へいへい、そりゃ申し訳ございませんってに」
青年はどう見ても反省していない様子でそう言った。
青年の名は天谷スグル。2週間ほど前に、彼の主人である吸血鬼ルシフェルに異世界召喚された青年だ。ルシフェルは古の魔法によって、膨大な魔力と人命を代償に天谷スグルをこの世界に呼び出した。
彼女の目的は、現在窮乏しているこのデスペラード王国を天谷スグルに救わせることだったのだが、彼が現在”隠居公”などと蔑まれていることからも明らかなように、その目論見は上手くいっていない。
天谷スグルはハシゴの上から、自らの主人である吸血鬼ルシフェルに言い放つ。
「しかしながら我が親愛なるマスター、あともう少しの間だけ、周りの塵芥共からの罵詈雑言に耐えてくださいな。僕はもう少しここで本を読んでいたいので」
「……ここまで言ってもまだ何もせぬつもりか。お前様の方がよほど鬼じゃ。悪魔じゃ。吸血鬼の妾なんぞよりのぅ。……まあ良いわ」
するとルシフェルは突然、スグルの座っていたハシゴの脚を蹴っ飛ばした。当然、元から不安定に揺れていた高さ数mのハシゴは、それに座っていたスグルもろとも“バタン”と倒れた。いきなりのことに受け身も取れなかったスグルは床に打ち付けられると、恐らく言葉にならないほどの鈍痛が駆け巡ったのだろう、無言で頭を押さえうずくまった。
「くかかかか、ざまあない。妾のことをないがしろにするからそういう目に遭う。この機によーく覚えておく事じゃ。妾を怒らせてはならんと。また斯様な目に遭いたくなければのぅ」
そう言って勝ち誇る幼女に対して、しかしスグルは何も言い返せなかった。そして十数秒悶えた後、ようやく立ち上がった。
「お前……急に何すんだよ。もしこれで死んでたら、僕が名誉挽回することも出来なくて、お前の失われた名声は永遠に回復されないまま、ホラ吹きとして人生終えるところだったんだぞ。良いのかよ」
「良いわけあるか、このたわけが。お前様にはなんとしても名声を取り戻して貰わねばならん。妾のためにの。しかしこの程度で死ぬような安い男なら、元より期待は出来ん。お前様なんぞさっさと捨てて、逃げるに限るわ。ある意味、さっきのは妾からの試験みたいなもんじゃ。お前様が本当に、生かし信ずるに足る存在であるかのな」
「なんだその超理論は……あんなテストでソイツの価値がわかるんだったら、就職面接なんてスプラッタも真っ青の地獄絵図になっちゃうだろうが、ったく」
スグルは頭をさすりながらそう言うと、フラフラと立ち上がった。そして自分を突き落としたルシフェルの頭に、先ほどまで彼が主人を無視して読み続けていた本を“ポン”と置き「もとの場所に戻しといてくれ」と告げた。ルシフェルは「自分でせんかたわけ……」と不満げだったが、しかし言っても無駄だと悟ったのか、人差し指で渡された本を“ススッ”となぞった。するとその本はフワリと浮き上がり、そのまま本棚の中に吸い込まれていった。
「んで? なんで僕を突き落としたりしたんだよマスター。まさか本当に『イラついたから嫌がらせした』だけだなんて事はないだろうな。そうじゃないことを切に願ってるぜ」
「安心せい。お前様に罰を与えたかったのもあるが、それは理由の6割程じゃ。残り4割、れっきとした理由がある」
「半分以上の理由が僕を痛めつけたかったからだって事に驚愕だよ」
スグルはそうぼやくと「部下は大事にしなくちゃですよ、マスター」と半分冗談、半分本気で言った。しかし彼の主人である少女は、どうやらそのつもりはないらしい。青年に向ける視線の冷たさからそれが伝わってくる。
「で? その4割ってなんだよ。まさかそっちも私怨じゃないだろうな」
「いいや、残念ながら違うのぅ」
「何が残念なのか是非ともお聞かせ願いたいところだが……今は置いとこう。んで、結局なんなんだ」
「呼び出しじゃよ。いつまで経ってもこんな城の片隅で堕生を過ごしておるお前様に耐えかねた陛下に呼びつけられた。お前様と、ついでに妾ものぅ」
答えを聞いたスグルの顔が一瞬曇る。
「うげぇ……よりによってあの王様に呼び出されたのかよ。最悪だな」
魔王城の中だというのに、神をも恐れぬ、いや魔王も恐れぬ発言をかましたスグルに、ルシフェルは一瞬眉をひそめた。しかし彼女もまた思う所があったのだろう。青年の発言を咎めることもなく、説明を続けた。
「……陛下曰く『十分に時間は与えた』と。まあ要するに、待つのも限界という事じゃ。いい加減、お前様が“使える”ということを示さねば、命はないと言われておるんじゃよ」
「時間は十分って……まだこっちに来てから2週間ちょっとしか経ってないんだけども?」
スグルは信じられないとでも言いたげな顔でそうぼやく。スグルがこちらの世界に連れてこられたのはおよそ2週間前。そして連れてこられた直後に、このデスペラード王国を支配する王に『役に立たぬ者は処刑する』と脅された。
「文字も読めない、魔法も使えない、この世界の歴史も、常識すら知らない。辛うじてマスターの言語付与魔法のおかげで話だけは通じるっつう状態だった男に、与える猶予がたったの一週間ちょっとで十分だと考えておられるんですか、偉大なる我らの王様は。はぁ~、素晴らしい慧眼をお持ちのようで……」
青年のあからさますぎる嫌味に、幼女は一瞬クスッと笑った。しかしすぐに、元の仏頂面に戻る。
「……で、どうなんじゃ。自信はあるのかお前様?」
「自信ってなんのだよ」
「陛下を説得し、お前様の価値を示す自信じゃよ。それが出来ねば陛下の事じゃ、最悪お前様は殺されるぞ。無論、そんな役立たずを呼び出してしもうた妾ものぅ」
「うげっ、マジか。そんなすぐ殺しちゃう位アイツ怒りっぽいのかよ。初めて会ったときから『ロクなヤツじゃないだろうな』とは思ってはいたけど、まさかそこまでとは……聞きたいんだけど、この世界に“人権”って概念あります?」
スグルの問いに、ルシフェルは「そのはずなんじゃがのぅ……」とため息をこぼした。その言い方から、この国が今どういう政治体系であるかは一目瞭然だった。
「それで? 自信はあるのかのぅお前様?」
「……やっぱそれ、マスターも気になっちゃう?」
「当り前じゃ。死活問題じゃぞ。もし自信が無いというなら、早く教えんか。亡命して妾だけでも生き残る」
「あれ? マスターもしかして僕のこと見捨てようとしてます? 勝手に僕の事呼びつけといて? ひっどいな、さすがは吸血鬼。まさしく鬼畜幼女。こんな人が主人だなんて、あぁ、僕はなんと可哀想な人間でしょうか」
「黙れ、このたわけが。可哀想なのは妾の方じゃ。古の魔法の再生に成功し、地位も名誉も手に入ったと思ったら、お前様のような男を呼び寄せてしまったんじゃぞ。地位どころか、このままでは国すら捨てねばならん。故郷を追われる辛さ、キサマにはわかるまいて」
「僕を異世界に強制召喚した人がそれ言っちゃうんだ? 特大ブーメランじゃないですか」
スグルはそう言ってため息をつくと、傍らを共に並んで歩くルシフェルの方を見た。
身長の差は60cm位だろうか? 青年の方は170cm程で、幼女の方は110cmほどに見える。青年は少女の頭をポンポンと叩くと「まあ安心しろよ」と言った。
「とりあえず最低限のことはわかった。この世界の歴史とか、そして今世界がどんな状況かとかな。なんで僕が”こっち”に連れてこられたのかも。あの蔵書庫に“隠居”してたおかげで」
「……そんな事を調べておったのかお前様。左様なことをする暇があるならば、魔法の練習でもすれば良いものを……強力な魔法を使えるようになれば、一発でキサマの価値を陛下に示せるぞ」
「やだよ、面倒くさい。そんな魔法の練習なんてつまんないこと誰がしたいって言うんだよ。僕はごめんだね」
「つまらんじゃと? あんな埃まみれの場所で本ばかり読んでおった男が何を言うんじゃまったく……そちらの方がよほど退屈じゃろうに。歴史を学ぶことの何が面白い?」
「そんな言い方するなよマスター。歴史を知るのは大事だぜ。戦場で敵を殺す方法を覚えるよりよっぽどな。“知っている”ことが、100人の兵士の命を救うこともあれば、殺すことだってある。あのロクデナシ為政者は、そんなことも知らないみたいだけどな」
「……いい加減、陛下を愚弄するのはやめい。そろそろ陛下の“知覚域”じゃぞ。聞かれたらどうする。くだらん侮辱罪で殺されたいのか」
幼女の忠告に、青年は「へいへい、わかってますよ」と適当に答える。
この国の王は特異な魔法の使い手だ。その魔法とは“全域知覚”。書いて字の如く、自分の周囲100mで起きるありとあらゆる事象、事物、その全てを須く知ることが出来るという、恐るべき魔法だ。王はその魔法の及ぶ範囲において、森羅万象を手中に収める神にも等しい。事実、王はこれまでに、その傲慢さ故に幾度となく配下にクーデターを企てられたが、そのどれもがこの魔法のせいで事前に察知され、失敗している。
もちろん知りうる情報には“会話”も含まれているため、王の近くで陰口など叩こうものなら、それは死への一本道に他ならない。実際、うっかり口を滑らせたために人生を終えた配下の人数は、両手では足りないだろう。
「王様の耳はロバの耳ってね。バカな為政者ほど自分に対する誹りには敏感なんだから困ったもんだ。このくらい笑い飛ばすくらいの剛毅さがトップには必要だっちゅうに」
スグルの気にくわなそうなその言い様に、彼がこの国の王に対してどのような印象を抱いているかは一目瞭然だ。もっともそれは彼だけではなく、王に一度でもあった者全員が抱く思いであるのだが。
「……で? どうなんじゃよ。結局、自信はあるのかないのか。どっちじゃ。早う言わんか」
城の一番端にある蔵書庫を出てかなり歩き、玉座の間近くまで来ていたので、人通りもそれなりに多くなってきた。吸血鬼の幼女は周囲の者達に聞かれないように小声で青年にそう尋ねる。
「そうだな……7,8割ってとこか。あの傍若無人な王様を説得できる確率は」
「ほう……つまり考え自体はあるんじゃな?」
「まあな。もっとも時間が足りてないから、細部はかなり粗い……が、多分説得くらいならいけるだろ。いけたら良いな」
「……なんじゃその自信なさげな言い方は。不安になるではないか」
「そんなに不安なら、僕が頭を“ヨシヨシ”して安心させてあげましょうかマスター? 今ならタダですぜ。なんなら“だいしゅきホールド”もしてあげますよ」
「ぶち殺すぞキサマ」
そんなやり取りを繰り広げていた二人は立ち止まった。彼らの目の前には、巨大な二枚の扉があった。これこそが、現在このデスペラード王国を支配する王が鎮座する玉座の間の入り口だ。
二人がしばらく扉の前で待っていると、無駄に巨大で荘厳な二枚の板が、ゆっくりと軋む音を響かせながら開かれた。二人はその隙間から、中へと入っていった。
◇
二人が玉座の間の中に入ると、彼らの後ろでゆっくりと扉が閉じられた。床には真っ赤なカーペットが敷かれ、40m程真っ直ぐに続いている。そしてその最奥部には、豪華絢爛な椅子と、それに座る一人の男がいた。その男こそ、デスペラード王国の現王レオンドラスⅢ世である。
二人は扉が閉まると、そのままカーペットを歩き始めた。しんと静まりかえった玉座の間に、彼らの足音だけが反響した。そして、レオンドラスⅢ世の前5m程の所まで来ると、二人はその場で跪いた。
「……ご機嫌麗しゅうございます、陛下。ルシフェルおよび、その配下天谷スグル。陛下のお呼び出しを受け、参上致しました次第です。今宵は何故我らをお呼びになられたのでございましょうか」
自らが仕える王の前に跪く吸血鬼、名をルシフェルというその少女は、そう王に尋ねた。すると王は、まるで“気にくわない”とでも言いたげな様子で、ルシフェルのことを睨み付ける。
「御託は良い。言わずともわかっておるだろう、何故に我がキサマらを呼び出したのか」
「……そこにおります私めの眷属、天谷スグルについてでございましょうか?」
「その通りだ、ルシフェルよ。キサマが“救国の英雄”とのたまい、異世界より召喚したその男……城の者共に“隠居公”と蔑まれる其奴について、聞きたいことがごまんとある」
王はそう言うと、機嫌が悪そうに頬杖をついた。そしてため息をこぼす。
「……わかっているなルシフェル? 其奴を召喚するのに、我がどれだけの月日と財貨を投じたか。キサマが一生かかっても集められぬ量の魔法石、そして数多の人命。我はそれをキサマに与えた。『必ずこの国を救うことができる』という言葉を信じてな」
「はい、それについては感謝しておりま……」
「だが、どうやら間違いだったようだ」
瞬間。王の言葉に静かな憤怒が現れた同時に、玉座の間全体に緊張が張り詰めた。
「キサマに与えた莫大な魔法石。それがあれば民の生活は向こう数ヶ月安泰であっただろう。人的資源についても同様だ。キサマが魔法の使用にあたって”贄”とした人間共。あやつらを奴隷として酷使していれば、幾分か役に立ったであろうな。それがどうだ? それ程の代償を払って呼び出したキサマの“救世主”は、こちらに来てからと言うもの、埃だらけの部屋で延々と書を読みふけっていると言うでは無いか。言っておくがルシフェル、我はキサマに使えぬ木偶を召喚させるために、魔法石を与えたのではないぞ」
「……わかっております、陛下」
「わかっている? 何がだ? 我が憤怒に駆られていることがか? ならば不思議だ。それがわかっていながら、何故キサマはここに“殺されに”来たのだ?」
王はその怒りを一切隠そうとしなかった。なんの躊躇いもなく、自らの部下に対して処刑をほのめかしたのである。その姿、まさしく暴君。一度の失敗も許容しない、気にくわない者は問答無用で殺す悪逆なる支配者と言ったところか。そんな王を前に、吸血鬼の少女ルシフェルは額に冷や汗を滲ませた。
「……陛下、恐縮ではございますが一度、私めに機会を与えてくださりませぬか? いや……私にではなく、そこにおります天谷スグルに、挽回のチャンスを」
「挽回だと?」
「そうでございます。この者はここ一週間あまりの間、書を読み見識を深めておりました。それもこれも、この世界における自らの価値を高めるためでございます。決して、無為に時間を過ごしていたわけではございません。ですので、どうかこの者に一度でも機会をお与えください。必ずや陛下に、自らの有用性を示すことが出来るでしょう」
「……と、キサマの主人は申しているが。どうなのだ天谷スグル、出来るのか? 答えてみよ」
王は自らに跪く青年、天谷スグルに視線を移した。天谷スグルは顔を下げたまま「はい、可能です」と答える。
「マスターが言ったように、すでにある程度の情報は集まりました。そしていくつか、このデスペラード王国の財政を立て直す計画も立案済みです」
「……!」
天谷スグルの返答を聞いて、王は驚愕する。
「財政を立て直す計画だと?」
「ええ、そうです。……この国の経済が現在、目を背けたくなるほどに停滞し、出口の見えない袋小路にあることは、こちらに連れてこられたばかりの僕なんかよりよっぽど、陛下はご存じでしょう」
「無論だ。世界的な不況と、それに伴う需要減少による経済活動の不活化……財務卿から耳にたこができるほど聞かされておるわ。どうにもならぬという言い訳も含めてな。それで? それがどうしたというのだ、キサマは」
「……この不景気、予測では恐らく、これからさらに悪化します」
「……!」
「現状はあくまで入り口、この先にはさらに手のつけられない最悪の未来が……世界恐慌という悪夢が待ち受けています」
「……何故そう思う」
「データと、そして歴史。それらを見れば一目瞭然です。この国は今間違いなく、悪い方向に着々と歩を進めている。奈落の上で綱渡りをしているとも知らずに。寧ろ僕に言わせれば、今こうやって辛うじて均衡状態にある事の方が驚きですよ。でも、その均衡もいつかは必ず崩れます。そしてその時こそ、地獄の釜の蓋が開く瞬間です」
「……」
王は一瞬、扇情的に危機意識を煽る天谷スグルの言に乗せられそうになった。が、しかし。すぐに冷静となり、天谷スグルに反駁する。
「……その考えはあくまで、キサマの推測であろう? そうなる根拠は一切無い。キサマの言う“世界恐慌”とやらが起こる証拠は、一体どこにある。仮に証拠もないのにそのようなことを言っているのであれば、自分の命惜しさにでまかせを言っていると思われても仕方が無いぞ」
「それについては反論の余地はないですね」
「ほう……自らの間違いを認めるか」
「えぇ、まあ。命が惜しいのは事実ですし、そのために少し誇張気味に説明しているのも本当ですから」
「……その正直さは賞賛に値するな。しかし、キサマの価値を示すには些か足りん。もしだ、もしキサマの言うように、これから我が国の経済がさらに鈍化するとしよう。仮にそうだとして、ではキサマはどうするというのだ? 先ほど財政を立て直すとか言っていたが、キサマはその“世界恐慌”とやらを避ける術を知っていると申すか」
「はい、もちろんです」
「では申してみよ」
「もちろんそのつもりです……が、その前に。まずは僕の言っている“世界恐慌”がなんなのかについて、説明させて貰っても良いでしょうか?」
「……」
王はしばし思案した。
「……良いだろう。だがその前に、この場に財務卿を呼ぶ。キサマが根拠のない世迷い言を言っていないかどうか、経済に明るくはない我にはわからぬからな」
「……賢明な判断です。それにどうせ僕の計画を実行する時は、財務卿の人に同じ話をしないといけないので、僕としても願ったりだ。二度手間はごめんです」
「くかか、もはや我がキサマの主張を認めるのは決まったことだと申すか。その考えが真実であれば良いがな」
王はそう言って笑った後、部屋の隅にいた自らの側近に財務卿をすぐさま呼び出すように命じた。
財務卿が息切れしながら玉座の間に到着したのは、それから5分後のことだった。
◇
「へ、陛下……申し訳ございません、仕事が立て込んでおり遅れてしまいました。お許しください……」
王の前に跪きながら、現在このデスペラード王国の財務卿を務めている女、シェヘラザードはそう陳謝した。しかし王は彼女の遅れを責めるようなことはせず、寧ろその忠誠を褒めた。
「よい、気にするなシェヘラザード。我の方こそ、急に呼び出したりしてすまなかったな。よく来てくれた」
「そんな滅相もございません……私は陛下の手であり足でございます。陛下がお望みとあらば、例え星の裏側に居ようともすぐさま駆けつける所存です」
シェヘラザードはそんなことを言った後、王に対して「それで如何様な次第で私をお呼びになられたのでしょうか?」と尋ねた。
「うむ、シェヘラザードよ。今我はとある男の処遇について考えておるのだ。その男というのは、丁度キサマの傍らでヘラヘラと笑っておる其奴、天谷スグルについてだ」
「あ、どうも。ヘラヘラ笑ってる天谷スグルです。初めましてこんにちは」
王に説明され、シェヘラザードはあからさまに顔をしかめた。
「……話には聞いております。“隠居公”……ですね。私の部下が言っておりました。ルシフェル様が異界より召喚した人間……救国の英雄のはずが、今は城の片隅で隠遁しているとか。この男がどうなさいました?」
「……どうやら其奴によれば、この国はこれより“世界恐慌”なる危機により、眼前黒所の悪夢に身を投じることになるそうだ」
「……!」
「つまり其奴は、暗に今のデスペラード王国の政治は……シェヘラザード、お前の政策は間違っていると言っておるわけだ」
王の言葉に、シェヘラザードは驚愕する。そして、隣でヘラヘラ笑う天谷スグルのことを振り返る。
「な、なにを根拠にそんなことを……! 陛下! 騙されてはなりません! この男は自分の命惜しさにそのような戯れ言を言っているだけです!」
「うぇっ、酷いな。そんな事ないですよ。戯れ言じゃなくて事実ですから。僕嘘つきません」
「黙れ黙れ! 誰がお前のような異邦者の言葉なんて……!」
「落ち着くのだシェヘラザードよ」
王の窘めにより、怒りで我を忘れかけていたシェヘラザードは平静を取り戻した。
「シェヘラザード、お前の言いたいこともわかる。財務卿としてこの国の将来を常に考えているお前のことだ。突然どこの馬の骨ともしれぬ男にこのようなことを言われれば、怒りも沸いてくるだろう。しかしここは一旦耐えるのだ。その男に対して怒るのは、話を聞き終わってからでも遅くはあるまい?」
「……申し訳ございません陛下」
シェヘラザードはそう言って頭を下げた後、天谷スグルの事をキッと睨み付けた。
「……異邦人。話だけは聞いてあげましょう。けれど、もしそれが私を納得させうるものでなかったなら……その時は覚悟していなさい」
「あぁ、それじゃあ覚悟の必要はないな」
「……ッ!」
天谷スグルのあからさますぎる挑発に、シェヘラザードはギリッと歯を鳴らした。
「それでは早速、顔ぶれもそろったことですし説明させていただきます。この国の現在と、そして将来について。待ち受ける“最悪の未来”について」
天谷スグルはシェヘラザードが怒りで顔を赤くしているのに気がついていながら、まるでそれをおちょくるようにわざわざそう言った。彼の性格の悪さがまざまざと表れている。
「それではまず、この世界の現状について再確認していきたいと思います。時は遡ること数十年。ここより北東にあります地方、エウロパにて魔法技術の革命が起こりました。魔法工具の著しい発達、魔法石の高純度抽出の技術革新……それらの結果、布製品、工業製品などが、魔力を原動力とする機械により、大量に生産出来るようになりました」
天谷スグルはそう言うと、まるで学校で教鞭を執る教師が黒板の前を行ったり来たりするように、王の前を歩いた。
「大量生産、大量消費! 世はまさに使い捨ての時代! 飢えと寒さに苦しいんでいた時代はどこへやら、今や世界中で人間共が昼夜関係なく働いている! 金は世界中を巡りに巡り、国際貿易も歴史上類を見ないほどに活発化! 先進各国はさらなる需要を求めて植民地を開発し、そこに住む原住民を殺し、追い出し、資源を奪い、奴隷化していきました! なんと素晴らしき弱肉強食の世の中! これぞ自然の摂理! しかし! そんな止めどない発展は、次第に陰りを見せ始めます! それは何故か? アンサーをどうぞ、親愛なる我がマスター!」
「……植民戦争…じゃな?」
「イェスッ! ザッツライ!」
天谷スグルはそう言うと、何故かガッツポーズをした。
「植民戦争! 僕は本で読んだだけで実際に見てはいないんですが、それはまあ酷い戦争でした! 世界中ありとあらゆる場所が開拓されつくし、もはや人類未踏の地がこの惑星から消えてしまった後、先進各国が最後のフロンティアとして目をつけたのは、あぁなんと言うことでしょう! 他国の植民地でした! それまで平和だった世界は一変、植民地を奪い合う血みどろの大戦が勃発してしまったのです! まあどうしましょう! どうしたらいいんでしょうマスター?」
「知らぬわたわけ」
「そうです! そうなのです! 戦うしかありません! 戦って敵を殺すのです! 土地を奪い、賠償金をふんだくるのが一番です! 結果、戦争は植民地だけには留まらず本国すらも巻き込んで、途方もない世界大戦へと発展しました! 発達した魔法、大量生産される非道な武器の数々! 戦場では呪いが飛び交い、命はいとも容易く弾け、屍の山が築かれました!」
「……」
「各国は戦争に勝つべく、大量の軍需工場を各地に作り、戦場に武器と兵士を送りました。そして最終的に、いくつかの戦勝国と大量の敗戦国を生み出して戦争は終結。世界は平穏を取り戻します。そして現在、世界は2つの戦勝国、人型種族の国家アドミラル共和国を中心とする東西連合と、我々魔族を主体とするデスペラード王国を中心とした枢軸陣営の2つに分断されたのです」
天谷スグルの話を聞き、王は「ふむ」と僅かな感心を見せる。
「……どうやら、書を読んで見識を深めていたというのは嘘偽りではなかったようだな天谷スグル。知恵だけはこの一週間あまりでつけられたようだ」
「お褒めいただき光栄の至り。して、ここからが本題です。……さて、すでに述べましたように、現在世界は2つに分断されています。一見戦争もなく、世界は平和であるかのように見えますが……そうは問屋が卸さない。静かな裏で、つまり“経済”という側面において、世界はいまだ先の大戦の悪影響を受け続けています。そうですね、シェヘラザードさん?」
「……その通りよ」
「大戦期、戦地に大量の武器を送るべく、各国は多くの軍需工場を自国に乱立させました。しかし戦後、それらの工場はどうなったか? ……平和な世の中で、武器が必要となることはまずありません。戦時中、昼も夜も構わず稼働し続けていた工場群は、いまや閑古鳥が鳴く始末。その多くは廃墟と化しています。そして、そこで働いていた労働者達は職を失い、スラムを形成、犯罪率増加、餓死者の大量発生、果ては反政府デモ……そんな状況が、現在世界中で起きています」
そう言うと天谷スグルは、思ってもいないくせに「あぁ、なんという悲劇か」と悲しんだ。
「勝てば良い、戦争に勝利さえすれば全て上手くいく。そう思っていたのに。蓋を開けてみれば、そんなことは一切無かった。あれほど急成長を続けていた経済は瞬く間に減退し、現在市場に流通する財貨は全盛期の半分以下です。植民地の経営も行き詰まりを見せ始め、国内には売れ残った製品が山積み状態。なんという事でしょう、これ以上の惨劇、果たしてあるのでしょうか? ……なんと言うことでしょう。あるのです、これ以下の“最悪”が」
天谷スグルは、シェヘラザードの事を見た。
「シェヘラザードさん、財務卿であるあなたにお聞きしましょう。今このデスペラード王国は、現状を打破するべく、一体どんな政策を実行していますか?」
シェヘラザードは突然の問いに、一瞬困惑する。しかしすぐに答えた。
「……不況に伴う税収減少の対策として、財政支出を抑えている。当然でしょう。このままなにもしなければ、いずれ国庫が空になり、デスペラード王国は国としての機能を失う。それだけは絶対に防がなければならない」
シェヘラザードの答えを聞き、天谷スグルはニヤリと笑った。
「なるほど……つまりあなたは『収入が減ったんだからそれ相応に支出も減らさなければならない』と、そうお考えなんですね?」
「そうよ。悪いかしら?」
「えぇ、最悪です」
天谷スグルの即答に、シェヘラザードは一瞬思考停止した。
「……なんですって?」
「最悪の手段だと言っているんです。税収が減ったから緊縮する? なるほど、確かにそれも一理ある。赤字財政は良くない。金がないのに贅沢なんてして良いわけがない」
「そうよ。そんなの当然……」
「でもそれが通用するのは子供の小遣いまでだ」
「……!」
天谷スグルの言葉に、シェヘラザードは怒りで顔を赤くした。
「……間違った政策を行っていると言いたいの?」
「ずっとそう言ってるでしょう。あなたの政策は、確かにミクロレベルで見れば正しい部分もある。けれどマクロ的視野……こと国家財政という側面においては、あまりにも不適切な政策と言うほか無い。断言しましょう、このまま行けばこの国は間違いなく“崩壊”する」
天谷スグルの断言に、場は静まりかえる。それほどの覇気が、その言葉が嘘偽り出ないと思える凄みが、スグルの言葉にはあった。
「なぜ世界は今、不況に陥っているのか? 答えは明白、需要がないから。大量の工場、山積みの商品……それらによってもたらされる供給過多。戦前の際限ない需要拡大に乗せられた結果、生産施設の増設過多により、大幅に供給が需要を上回ってしまった。その所為で、モノが売れ残り、工場の多くは操業を停止する他無い状況に追い込まれ、大量の失業者が出てしまった。そして、失業率の上昇により、さらに需要が減る悪循環に陥っている……今世界は、不況スパイラルのただ中にあるんです」
「……そうよ。だからこそ、このデスペラード王国の財政を維持するためには緊縮によって支出を抑え、無駄を省くのが……」
「その考え方がまず間違っていると言ってるんです」
スグルに自らの意見をむべも無く否定され、シェヘラザードは怒りを覚える。
「……どういう意味かしら」
「あなたの言う緊縮政策は、あくまで対症療法に過ぎません。いや“療法”ですらない。症状を悪化させる劇薬だ。……あなたの言うように、緊縮政策を取れば確かにデスペラード王国の財政“は”安定化するでしょう。じゃあ市場経済はどうなるか? 安定化するのか? 答えはNoです。むしろ酷く悪化するでしょう」
天谷スグルの断言に、シェヘラザードは顔をしかめる。その様子から、彼女がスグルの意見に全く同意していないのは明らかだ。
「……なんでそう断言できるのかしら? 証拠はあるんでしょうね?」
「もちろんです。マネーサプライという概念はご存じですか?」
「……いいえ」
「そうですか。それでは少し説明を……これは噛み砕いて言えば“金融機関と国を除いた経済主体が保有する通貨の量”のことです。まあつまり“市場に出回っているお金の量”と解釈して貰えれば十分です。わかりますか?」
「……えぇ」
「それは結構。……さて、このマネーサプライというのは、実は国内の経済活動と密接に関わっています。端的に言えば『マネーサプライが多いほど経済活動が活発化する』つまり景気が良くなるわけです。なんでかわかりますか?」
「……えぇ、なんとなく。市場にあるお金が多いほど、需要は増すから……ということね?」
「その通りです。まあつまり、市場に出回るお金が増えることで、一般市民の財布の紐が緩みやすくなるって事です。そしてこの事実は裏を返せば『マネーサプライを増やせば景気が良くなる』という事です。ではそれを踏まえた上で、今行われている緊縮政策について考えてみましょう。緊縮政策において、マネーサプライの量は増えるか? 減るか? わかりますか?」
「……減る」
シェヘラザードの答えに、天谷スグルは頷いた。
「その通りです、シェヘラザードさん。緊縮によって国が支出を減らし、国庫に財を貯蓄すれば、その分だけ市場に出回る通貨の量は減少する。マネーサプライは減るんです。そしてそれは景気の後退に直結する」
「……えぇ」
「もうおわかりですね? なぜ僕がこの国の経済が崩壊すると断言したのか。……いま行われている緊縮という政策。それは自国経済の首を絞めていることと同義なんです。このまま締め続ければ、この国はいつか必ず窒息する。減り続けるマネーサプライによって、景気は良くなるどころかさらに悪化し、国内需要は減り続けるでしょう。そして……それはさらなる悪夢の始まりに他ならない」
「……」
「シェヘラザードさん、僕はあなたの考え方を全否定するつもりはありません。緊縮という政策にも少なからず……いえ、多くの利点があるんですから。特に、国家の存続という一点にだけ絞れば、緊縮財政というあなたの選択は“正解”です」
天谷スグルのこの発言、つまり“緊縮政策は正解でもある”という言葉は、決してシェヘラザードに対する世辞や同情から出た発言ではない。
例えば、恐らく日本人の殆どは知っているであろう歴史上の偉人、徳川吉宗の行った享保の改革は、緊縮政策で成功を収めた一例だ。彼は傾きかけていた江戸幕府の財政を、倹約や増税などの緊縮政策により見事に回復し、名君と呼ばれた。
しかし一方で、後世の歴史・経済学者から彼は『名君ではあるが政治家としては失格』であったと評価されている。確かに吉宗の手によって、幕府財政は持ち直した。しかしながら一方で、過度の緊縮と増税によって民衆生活は壊滅的被害を受け、恐るべき不景気へと突き進んでしまったのだ。
国内経済の活性化と、国家財政の健全化。それは必ずしもイコールではない。緊縮によって国家財政が健全化したとしても、経済が活発化するわけではないのだ。
そして、この事は今回のシェヘラザードにも当てはまる。彼女はデスペラード王国の財務卿として、そして自らの仕える王レオンドラスⅢ世に報いるべく、悪化する国家財政を立て直そうとした。その結果、緊縮という手段に行き着いた。
支出の切り詰めと、度重なる増税。それは確かに“財政を立て直す”という側面においてはある程度の効果を見込めただろう。実際、彼女の緊縮政策によって、先の大戦において発生した多額の戦費と戦時国債の処理はなんとか成功していた。しかし結果として、国内経済の著しい悪化を招いてしまっていた。
だが、だからといってシェヘラザードのことを『政治的能力を欠いていた』と非難することは出来ない。再三言っているが、彼女のこの緊縮という考え方は、ある側面においては“正解”であったのだから。
歴史を見れば、数多くの為政者達が不況の最中に緊縮政策をとっている。このことからも、彼女の選択が絶対的に非難されるべきものではないことはわかるだろう。
彼女はただ知らなかっただけなのだ。不況時に緊縮を行えば、その結果として何が起こるのかと言う経済学的・歴史的事実を。そして逆に天谷スグルは知っていた。緊縮政策のもたらす、最悪の結末を。二人の間にあるのは、ただそれだけの違いだ。
「シェヘラザードさん、戦争により疲弊していた国家財政を立て直したあなたの功績は賞賛に値する。それは確かな事実です。ですが……国家財政を建て直しさえすれば問題ないという考え方が通用したのは、100年前までです。今はもう、時代が違う」
天谷スグルはそう言って、シェヘラザードの目の前に立つ。
「100年前まで、世界の国々は今ほど密接には結びついていませんでした。貿易も小規模なもので、経済は国内だけでほぼ完結していた。そういう時代ならば、あなたの考えは正しかったでしょう。国家とは、自国に住まう国民を統治する機関。故に、国家の安定こそが第一目標だった時代。そういう時代ならば、あなたの緊縮政策は“正解”だった。ですが今現在……輸送技術の発達と、国際分業が本格的になり始めた今となっては、その考え方はもはや通用しないんです。例え国家の財政が安定化していたとしても、経済が悪化すれば、国内の財は国外に漏れ出していき、いずれ国内経済は衰退し行き詰まる。それは大幅な国力低下を招き、軍事力の低下として顕著に現れるようになる。そうなれば、他国からの侵略は免れない」
「……」
「時代が違うんです。国の内部に敵を見つけていた時代から、今はもう、国の外の敵に備えなければならない時代になってしまった。国民から税を強奪し、国家財政を潤すだけで満足していた時代はもう無いんです。国内経済を活性化させ、国力を強化し、軍備を増強する。そうやって侵略者に備える時代に移り変わったんですよ。しかしそんな中、あなたはいまだに古い価値観に囚われ、緊縮という前時代的な手法によって国を救おうとしている。だからこそ僕は言っているんです。このままではデスペラード王国は崩壊すると」
天谷スグルの言葉に、シェヘラザードはなにも言い返せなかった。すると、それに気がついた吸血鬼の少女ルシフェルが、自らの配下であるスグルに尋ねた。
「それではお前様、どうすれば良いと言うんじゃ? お前様の言うその“崩壊の危機”から我らが脱するために、一体何をすれば良い?」
「よく聞いてくれましたマスター。そうです、ここからが本題です。僕は今まで散々、皆様方の危機感を煽ってきました。じゃあどうすればこの危機から逃げおおせるのか? 当然、その答えを僕は持ち合わせています」
天谷スグルのその発言に、それまで黙って話を聞いていた王は「ほう」と呟く。
「ではその答えとやらを申してみよ天谷スグル」
「良いでしょう。……答えとはつまり、国内で流通する通貨量を増やすこと、つまりは、さっき僕が言った“マネーサプライ”を増加させるということです」
「ふむ……そういえばキサマは、そのマネーサプライとやらを増やせば景気が良くなるとか言っておったな」
「その通りです。マネーサプライが増えれば好景気になる。ならば国内経済を活性化させる手段は“マネーサプライを増加させる”という手段に限ります。じゃあ問題はどうやってそれを増やすのかと言うことですが、これも簡単です。国による公共事業を拡大すれば良い」
公共事業の拡大。それはつまり、道路網の整備や鉄道網の配備、水道設備の拡充にダム建設、軍事施設の建造など、国家が行う公的事業の拡大のことだ。
しかしそんなスグルの発言に、シェヘラザードは驚愕した。
「なっ……公共事業を拡大する!? 今この国の財政はギリギリなのよ!? そんな金どこに……!」
「国債を大量に発行すれば良い」
「……! 借金をしろと言うの!?」
「そうですよ。国が借金をすることで無理矢理、市場に出回る通貨量を増やすんです。そうすれば景気は良くなる」
「な、なにをそんな……! あり得ないわ! そんなことしたらいよいよ、国家財政が回らなくなってしまう!」
「いいえ、その心配はいりません。ここで借金をしたとしても、今後景気が回復して税収が増えれば、十分返済できます。今、この国の抱えている一番の問題は仕事が無いこと。そしてもう一つが国内で流通する貨幣の量が少なすぎること。この2つが最悪の形でかみ合って、デフレスパイラルを生み出している。ですが今ここで、政府が大規模な公共事業を行ったらどうでしょうか? 仕事は増え、市場のマネーサプライは増加する。先に挙げた2つの問題は解決し、間違いなく景気は好調化するでしょう」
天谷スグルの説明するこの政策は、ニューディール政策と呼ばれるものだ。第二次大戦前にアメリカ合衆国が行った政策として、知っている方も多いだろう。
ニューディール政策は、公共事業の増加や失業者の大量雇用などによって、世界恐慌によって疲弊していた国内経済を回復させることを目的として行われた。そして、今現在アメリカという国が世界で最も豊かな国である事実から、この政策の有用性は明らかだ。スグルは第二のニューディール政策を、このデスペラード王国で実行しようとしていたのだ。
しかし、話はそう簡単には進まない。
「バ、バカなことを……! この不景気にそんなことをすれば、それこそデスペラード王国の財政が崩壊するわ! 借金をするですって!? しかも公共事業を行うために!? なにをそんな世迷い言を……! 景気がよくなる前に財政が耐えられなくなって債務不履行に陥る可能性だってあるじゃない! 第一、あなたが言うように、その方法で本当に国内経済が回復する確証はどこにもないわ! マネーサプライを増やせば景気が良くなる? 論理的に考えればそうかもしれないわ。でも、あなたの意見には決定的に欠けているモノがある!」
「……と、言うと?」
「あなたはさっきから、マネーサプライが増えれば景気が良くなると言っている。けれど私には、どうしてもそれが本当だとは思えない。だって考えてもみなさい。仮に公共事業を行ったとして、それで一体どれだけ、国内で流通する通貨の量が増えるのかしら? 10%? 20%? いいえ、そんなには増えない。良くて数%が関の山よ。どれだけ公共事業を行おうと、それが経済全体に与える影響は、それ程に微々たるもの。あなたが言うように、景気が回復するほどの大きな影響が出るとは考えられないわ!」
シェヘラザードのこの反論は、至極真っ当なものだ。実際、アメリカがニューディール政策を実施した際も、これと同様に『国内経済への資金投入が景気に与える影響は少ないのではないか』という反対意見が数多く出た。そして、後世の歴史・経済学者によれば、ニューディール政策そのものがアメリカの景気回復に与えた影響は極めて小さく、むしろ第二次大戦による戦争特需こそがアメリカ経済を立て直した主因であるという主張が一般的だ。
しかし、自らの意見の痛い部分を突かれたにも関わらず、スグルは余裕の笑みを浮かべていた。
「……はい、確かにその通りです。この手法が経済そのものに与える影響は、極めて小さいでしょう」
「……! 自分の間違いを認めるというの?」
シェヘラザードの問いに、スグルは「いいえ、違います」と首を振った。
「シェヘラザードさんの言うように、マネーサプライの微増による景気への効果は限定的です。でも、僕が本当に期待しているのはそこではありません」
「……どういう意味かしら?」
「……ここで1つ、シェヘラザードさんにお聞きします。景気を良くする一番手っ取り早い方法、それは何だかわかりますか?」
「……知っていたら、こんなに苦労していないわ。それともあなた、まさか知ってると言うんじゃ無いでしょうね?」
「ええ、知ってます」
「……!」
「景気を良くする一番の早道。それは市民の購買意欲を上昇させることです。民衆が物を買うようになり需要が増せば、それだけで景気は良くなる」
「……なにを言うかと思えば。そんなこと言われるまでもなくわかっているわ。どうやってその購買意欲を上昇させるか。それがわからないから苦労しているんでしょう」
シェヘラザードの呆れ混じりの言葉を聞いて、スグルはニヤリと笑う。
「わかりませんかシェヘラザードさん? もう僕は答えを言っているも同然ですよ」
「……? 急に何を……」
「マネーサプライの増加、公共事業の拡大、そして購買意欲の上昇……その3つを合わせて考えれば、僕の主張が一体何を主軸としているかはもう歴然のハズです」
「……!」
瞬間、シェヘラザードの脳内に電流が走った。そして、彼女はある1つの解を導き出した。シェヘラザードの顔を見て、スグルは彼女が自らの望む答えにたどり着いたことを感じ取る。
「マネーサプライの増加、そして公共事業による職の斡旋……それらは全て、単なる”見せかけ”に過ぎません。その目的は”直接”景気を刺激することではなく、”間接的に”景気を刺激することにあります」
「そうか……そういうこと……」
スグルとシェヘラザードは互いの顔を見合った。そしてシェヘラザードは、確認するように尋ねた。
「つまりあなたの本当の目的は……国内で流通する通貨量の増加と、職の斡旋による失業率の低下で国民を騙して、購買意欲を上昇させることだったわけね?」
シェヘラザードの問いに、スグルは頷く。
「シェヘラザードさんの言うとおり、公共事業の拡大によるマネーサプライの増加は微少。ですが、それでも少なからず効果はある。そして、それは国民に『景気が良くなっている』と“勘違い”させるには十分な効果があるでしょう。公共事業の拡大についても同様です。これによって仕事が増えれば、その分失業率は低下する。民衆は数字に弱いので、簡単に騙されてくれるはずだ。そしてそれは景気の回復に繋がる」
「確かにそれなら……十分可能性はある。……でもそう上手くいくかしら? もし国民を騙そうとしていることがバレれば、その時点であなたの計画はご破算でしょう?」
「それについては同感です。なので、情報統制は必須だ。ですが、ありがたいことにもこの国は言論統制には精通している”独裁国家”であるようなので、僕は心配していません」
スグルの嫌味とも取れる言い方に、その場にいた全員が眉をひそめた。しかしスグルは、そんなことも気にせず話を続ける。
「まあそうはいっても、さすがに僕もこれだけのことで景気を完全回復させることが出来るなんて楽観視はしていませんよ。これはあくまできっかけ作りです。この国を戦前と同等のレベルまで持ち直す……いや、それ以上の経済状態に持っていくための、その足がかりに過ぎません」
「……このほかにも何か計画があるというの?」
「えぇ、そうです。……あ、でもまだ教えませんよ。ここで自分の考えを全部披露するほど、僕はマヌケではありませんので。それ相応の“対価”を貰った後に、教えて差し上げます」
そう言って天谷スグルは、玉座に座る王に視線を移した。そんなスグルを見て、王は笑う。
「くははは……我に対価を寄越せというか。良いだろう、何を望む天谷スグル?」
「……まずは、僕自身とマスターの身の安全の保証。そしてそれなりの地位をください。いつまでも“隠居公”なんて呼ばれてるわけにもいきませんので。と言うかそれ以前に、権力は喉から手が出るほど欲しいし。人を顎で使えるようになりたいんですよ、僕は。……あ。それとあとは、この国が持っている全ての情報にアクセスできる権限もください」
「……」
王は頬杖を突き思案する。そして、シェヘラザードの方を見た。
「キサマはどう思うシェヘラザードよ。この男、それだけの価値があると思うか?」
「……甚だ遺憾ではありますが、あると言うほかありません」
王はシェヘラザードの返答を聞き「そうか」とだけ呟いた。
「……良いだろう。天谷スグル、そしてルシフェルよ。キサマらは今少しの間、生かしておくこととしよう。報償についても、後々与えよう」
王の返答に、ルシフェルは「感謝致します、陛下」と謝意を述べた。一方のスグルはと言うと「まあ当然だよね」と、感謝のかけらも無いことを言って、ルシフェルに殴られた。
「天谷スグル、キサマはこれより、そこにいる財務卿シェヘラザードの配下として、この国の財務に携われ。その知謀により、国を繁栄させよ」
「了解しまし……ん? ちょい待ち。シェヘラザードさんの配下になるってことは、マスターとの関係はどうなるんですか? まさか離ればなれになるって言うんじゃ無いでしょうね?」
「案ずるな。ルシフェルとの主従関係は現在のままで良い。あくまで役職として、シェヘラザードの部下となると言うことだ」
「あぁ、それは良かった。大好きなマスターと離れるなんて、僕たえられませんもん。マスター愛してます」
「黙れたわけが……」
見るに堪えないそんな“のろけ”を見せられ、王はあからさまに不機嫌そうにした。そしてまるで厄介払いでもするかの如く、天谷スグルとルシフェルの二人に「もう用件は済んだ故、玉座の間から出ていくが良い」と告げた。
「……ふん、本来ならば、キサマら二人はここで処刑するつもりだったのだが。命拾いしたな」
「うぇっ、本当すか。なんつぅとんでもない暴君……」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言いましたので」
もはや隠しても居ない、天谷スグルの王に対する嫌悪に、彼の主人であるルシフェルは冷や汗をこぼす。しかし王は、スグルを咎めはしなかった。
「……全く、忌々しい男だ。我がキサマを殺せぬとわかった上でそのような態度を取っておるな?」
「お褒めにあずかり光栄の至り」
「褒めてなどおらぬわ、この阿呆が。それほど死にたいか?」
スグルは王に対し、さらに何かを言おうとしていたが、それを口から発する前にルシフェルがスグルの頭を殴りつけ黙らせた。そしてこれ以上ここに居れば取り返しのつかない事態になるとでも思ったのだろう。ルシフェルはスグルの服を引っ張って、そそくさと玉座の間を出ていった。玉座の間を出る直前、スグルは王に向かって中指を立てていた。
◇
玉座の間よりスグルとルシフェルの二人がいなくなって数秒後。沈黙の最中、王はゆっくりと、眼下にいるシェヘラザードに視線を移した。その目には、冷たい炎が揺らめいている。
「……さて、シェヘラザードよ。なぜキサマがここに残されたか、理由はわかるな?」
「……もちろんです、陛下」
シェヘラザードの声は震えていた。それは恐怖からくる、押さえがたい悪寒だった。
「……先ほどキサマがあの男、天谷スグルと繰り広げていた問答。我はそれらをあますことなく聞いておった。故に、嘘偽りは無意味と心得よ」
「……は」
「では聞こう。キサマが今日まで行ってきた政策。それは誤りであったのか、否か。心して答えよ」
「……」
シェヘラザードは息を呑む。もしここで嘘を延べようものならば、自らの命はない。しかし事実を述べたとしても、憤怒にかられた自らの王は、シェヘラザードを許しはしないだろう。
名誉の殉死か、不名誉な処刑か。答えは1つだった。
「私めがこれまで実施してきた政策は……失策であったと言わざるをえません」
――――パンッ!
シェヘラザードが答えたのと同時、玉座の間に発砲音が響いた。直後、シェヘラザードの右耳から、大量の血しぶきが飛び散る。彼女の右耳は、無くなっていた。
王は煙を吐く拳銃を無造作に捨てると、玉座から立ち上がった。
「今はこれで許そう。キサマにはまだ、あの男と共にこの国を立て直す仕事が残っているからな。しかし、全てが終わった暁にはキサマの罪、贖って貰うぞ」
「……は」
「仕事に戻れ、そして我に報いよ。キサマが我にもたらした害を帳消しに出来る位にはな」
そう言うと王は、玉座の間を後にした。彼は出ていくまでの間、一度たりともシェヘラザードの方を見ることはなかった。
一人残されたシェヘラザードは、血が漏れ出し続ける頭部右面の穴を手で押さえようともせず、ただその場に跪き続けていた。
読んでいただきありがとうございました。久々に経済モノが書きたくなったので書いた話です。続きは考えてはいますが、書くかはわかりません。
最近スランプ気味でどういう話を書いたら面白いかとかわからなくなってるので、よろしければ感想で、この話の面白かったところ、面白くなかったところとかをお聞かせいただければ幸いです。特に、途中の説明パートがわかりやすかったかを教えていただけるとありがたいです。