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劫生の祓い人  作者: 武鬼
一章
4/56

3.とある姉弟の話

この村の近くには小さな川が流れていた。


流れはとても緩やかで今にも止まってしまいそうなほど弱い。


しかし、その川には生命が溢れており不思議な力強さを感じさせた。


そんな場所に不釣り合いな、暗い顔をした若い男が一人佇んでいた。


男は背後の足音に気づき振り向く。


夕餉(ゆうげ)だそうだ。お前の女房が呼んでいる」


「ああ、わかった……」


男は小さく返事をし、家の方へと歩き出した。


その声音はどこか寂しさのようなものを感じさせた。


男が義影の横を通り過ぎた時、義影が言った。


「お前の女房からある昔話を聞いた。とても仲が良かった姉弟の話だ」


男が歩みを止める。



「気の毒だったな」


「……同情のつもりか?」


「ああ、同情のつもりだ。お前の姉も運がなかった。胸中を察する」



男は舌打ちをし、振り返る。


「知ったようなことを言うな! あんたに何が分かるっていうんだ! 少し……少し話を聞いた程度で俺の何が分かるっていうんだ!」


「…………」



「姉さんは手術の前言ったんだ。心配かけてごめんね、手術が終われば元気になるからまた一緒に遊んだりご飯食べたりできるね。

 そう言って……姉さんは笑った。だが、あの男は失敗した! 失敗して、姉さんを死なせたんだ! 挙句の果てには自分の名誉のために異形の者の呪いだとぬかしやがった。


あの男が手術を軽くみなければ姉さんは死ななかったんだ……死ななかったんだ! 何が名医だ、何が天才だ。あんなやつただのクズ野郎じゃねぇか! そんなやつのせいで姉さんは……姉さんは……ッ!」



男は叫んだ。


悲劇を。取り戻せない過去の憧憬を。


否定するように。拒絶するように。



「……ひとつ訂正しよう」



義影が口を開く。



「俺はお前に同情なんぞしていない。お前の胸中? 知ったことか」


「なんだと……?」



「たしかにお前は悲惨な過去を負っている。だが、それがなんだ? 悲劇の主人公気取りか? そんなことは他所でやってくれ。目障りだ。

 俺は多くの人の死を見てきた。故に、人がそういった場面に直面した時、どういった感情に襲われるか多少なりとも知っているつもりだ。


 だがそれをいつまでも引きずって、今ある現実から目を背けてどうなるというのだ。ここで起きている怪奇は異形の者によるものだ。

 それは変えようもない事実だ。それに向き合え、そして抗え。

 お前の姉も浮かばれんだろうな。いつまでも自分の死を引きずる弟の姿を見たらな。見るに堪えん。あまりにも無様だ。あまりにも哀れだ。あまりにも無念だ。


 俺は死者の声を聞くことは出来ない。故にお前の姉が本当はどう思っているかなど知る由もない。だがお前の女房はどうだ? 歩みを止め、いつまでも過去に縛られるお前を見て彼女は何を思う? 

 彼女は明るく気丈な女性だ。初対面の俺でもそう思った。そんな彼女がお前とお前の姉の話をした時、その顔に明るさは無かった。暗い影がさしていた。お前は過去の幻影に縛られるあまり今を見ようとしていない。


 死者は過去を生きた者だ。しかし生者は今を生きる者だ。そこには隔絶(かくぜつ)たる境界線が存在する。お前は死者ではない。お前は今を生きる者だ。そして未来を生きていく者だ――そろそろ姉の死を乗り越えてもいいのではないか? きっとお前の姉もそれを望んでいるだろう。違うか?」



「俺は……俺は……姉さんのことを、忘れたくないだけだ」


吉則の拳が震える。


常に共にいたほど仲の良かった姉弟。


愛していた家族。


そしてそれを奪った医者。


彼は姉の幻影にしがみついていた。


あの時感じた怒り、悲しみ、喪失感(そうしつかん)


それを忘れないためにもがいていた。



「この馬鹿が。何も姉のことを忘れろとは言っていない。引きずるのを止めろと言ったんだ。前に進めといったんだ。そしてその上でいつまでも覚えていてやればいいだろう。共に過ごした日々を。お前の姉との思い出を」



吉則は口をつぐみ、俯いた。


拳はまだ強く握られたままだった。



「俺が言いたいのはそれだけだ。先に戻っているぞ」



義影は男の横を通り過ぎ元来た道を戻っていった。


男は足音が聞こえなくなるまで項垂れていた。


だが、やがて何かを決意したように頷くと義影と同じ道を辿り家に戻っていった。







太陽はその身を水平線に落とし、一日に別れを告げた。


辺りの家々からは食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。


仕事をしていた者や遊びに出ていた子らは家路を急ぎ、食卓に明るい声を灯した。


義影たち三人も食卓を囲っていた。


だが、そこは明るい食卓とは呼べなかった。


楓が場を和ませようといろいろな話をする。


しかし、吉則はそれに少しばかりの相槌(あいづち)を打つばかり。


カチャカチャと食器のぶつかる音がするだけだった。


義影は出された自分の分の食事をたいらげると(はし)を置き、合掌(がっしょう)した。


そしておもむろに立ち上がり戸口に向かった。



「お出かけですか?」


「ああ、少しばかりな」


「外はもう暗いですから……そこにある提灯(ちょうちん)を使ってください」



楓が指差す方向には使い込まれた提灯と火を付けるための道具が置いてあった。


義影はそれを手に取り夜の世界へ歩き出した。


外では相変わらず虫たちが騒がしい声を響かせていた。


少し村から離れ、森の方へと歩く。


義影はそこで目を閉じ意識を集中させる。


辺りからする虫の声が一際大きく聞こえてくる。


村の周辺の邪なる気配。


微かではあるが確かにその存在を察知した。


――近くに来ているな。


義影は懐から呪符を取り出し軽く呪力(じゅりょく)を込める。


すると札は一瞬強い光を放った。


しかし、すぐに光が弱まり札もろとも夜の闇に溶けるように消えた。


退魔の結界。


異形の者を弱体化させる結界。


それと同時に力の弱い異形の者を退ける効果を持つ。


結界を張ったことにより異形の者は無闇矢鱈(むやみやたら)に近づかなくなる。


――これでこれより先には近づかんだろう。


義影が反転し村に戻ろうとした時、遠くから自分の名を呼びながら近づいてくる影がある。


見るとそれは吉則だった。


息を切らし血相を変えた様子で駆け寄ってくる。



「白鬼死義影、来てくれ……楓が、楓が! と、とにかく大変なんだ」



「一旦落ち着け。それでは伝わるものも伝わらん」


吉則はしばらく肩で息をしていたがようやく落ち着き――



「楓の陣痛が始まった! 早く来てくれ!」


「なに……?」



それはあまりにも急だった。


出産が予定より早まることはよくあること。


だが今回は状況が違った。


異形の者の存在。


平常時と同じ考え方では取り返しの付かないことになる。


義影は吉則と共に急ぎ、家に戻った。


そこには産婆と数人の村の者の姿があった。



「ああ、旦那さん。どこに行ってたんだい? 早く奥さんの手を握っておやり」



産婆が吉則に言う。


吉則には慌てて楓の元に駆け寄り手を握る。


義影も楓の傍に寄る。


「なあ、白鬼死義影。あんたなら楓を助けられるんだろ? 頼む! 楓を助けてくれ!」


楓の手を握りながら義影に懇願する。



「お前は異形の者が原因だと信じないんじゃなかったのか?」


「……俺は決めたんだよ。もう、逃げないって。事実を受け止めて抗うって。でも俺には戦うための力はない。だから、だから楓を助けてくれ!」



何度も頭を下げる吉則。


その隣では楓が苦しそうに呻いていた。


義影は楓の大きく膨れた腹を見る。



「いいだろう。もとよりそのためにここに来たことだしな。そのかわり、報酬は弾んでもらうぞ」



吉則は喜びの表情を浮かべると再び深く頭を下げた。


その直後、義影は邪なる気配が急激に膨れ上がるのを察知した。




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