12.絶望
絶望から希望、そしてまた、絶望へ。
「どうやって私の業の呪いを――」
少女が言い終わる前にそれらは少女に飛びかかった。
少女の悲鳴――"穢"の侵食。
義影に焦りの色。
過去の過ちが脳裏を過る。
義影は退魔の札や浄化の札で緊急処置を施す――虚しくも功を成さない。
少女は"穢"に取り憑かれてしまった。
「――――!」
義影が誰かの名を叫んだ。
だがそれは少女の咆哮によって掻き消された。
「たわけが……やるしかないというのか……再び、この手でッ!」
義影は呻くような低い声で悲痛を叫ぶ。
少女が飛びかかったのは、それと同時だった。
先程が嘘であったかに思えるほどの速度。
身をひねり致命傷を避けるのが精一杯だった。
少女の鋭い爪が義影の体を切り裂いた――流れ出る鮮血。
義影の眉が僅かに動いた。
気にしてはいられない。
素早く体を反転させ、少女に追撃をはかる。
「――――ッッ!」
義影の驚愕――たった今自分の横を通り抜けていった少女は、彼が振り向くよりも早く次なる攻撃を打ち出していた。
襲い来る凶爪――義影は咄嗟に打撃をいれ軌道を逸らす。
逸しきれず爪が腕を掠め皮膚を裂く。
刹那の連撃。
それは電光石火と呼ぶに相応しい離れ技だった。
最早人のそれではなかった。
穢の侵食で彼女の制限が外れたのか。
義影は決して油断しているわけでも手を抜いているわけでもない。
全霊を以て対敵している。
それでも彼を凌駕するほどの戦闘能力を少女は発揮していた。
彼女自身の力ではない――獣の本能に近い何か。
獣の耳と鋭利な爪。
彼女の内に巣食う何かが穢により呼び起こされているのかもしれない。
義影の再びの反転――自分の横を通り抜けた少女目掛けて短刀を放つ。
短刀が少女の背面に迫る。
少女はそれを見もせずに宙返りで躱してみせた。
着地と同時に再び義影に接近。
義影は後方に飛び退きながら、前方と空中に一枚ずつ呪符を投擲する。
空中の札が先に効力を発揮――術式が重力の檻となって少女を拘束する。
動きが鈍った少女を狙い撃つように前方に放たれた呪符が雷撃を放出した。
動きの制限と高威力の術式は回避不能。
直撃――そう思われた次の瞬間には少女は"消えていた"。
「――――」
唖然とする義影の目の前で自らが放ったふたつの呪符がほぼ同時に細切れになった。
それに少し遅れて彼の視界に鮮やかな赤色が舞った。
直後、義影は後方から強い衝撃を受ける。
体はそのまま地面を転がり、赤色を大地に撒き散らした。
義影は、激しく咳き込みながら態勢を整え状況理解に努める。
強い衝撃を受けた方向――上げた脚をゆっくりと下ろす少女の姿。
彼女の手からは鮮やかな赤色が滴っている。
そして頭髪に付着した紙片。
理解の完了――彼女は、重力の檻を力技で振り解き、雷撃を躱し呪符を切り裂いた。
勢いそのままに義影を鋭爪で抉り、死角に回り込んでからの脚での強撃。
神域に迫る技の極致――少女は力の形態としてひとつの極点に達している。
これほどまでの相手は、国中を探しても数えるほどしかいないだろう。
本来であれば熟練の祓い人複数人で当たるべき強敵。
そんな相手と対峙することになろうとは誰が想像できただろうか。
「……クソッ」
思わず悪態が漏れる。
義影は、不死身だ。
どんな致命傷も彼を死に至らしめることはできない。
それでも傷を負えば血が流れ、短時間に大量の血液を失えば、それだけ身体機能は低下する。
死なずとも体の機能は、常人のそれに準ずる。
不死身の力は万能ではないのだ。
それでも備えなければならない。
神域に迫る攻撃に。
少女の体が沈む。
攻撃の予兆――刹那の遅れでも命取りになる。
義影は、最後の短刀に手をかける――が、それを取り落としてしまった。
傷を負いすぎた代償。
拾っている暇はない。
咄嗟に懐から呪符を取り出し、呪力を纏わせた。
鋭爪と呪符が交差する。
衝突は激しい火花を伴ない空気を震わせた。
驚異的な速力と圧倒的な膂力が備わった凶撃に相対するは、咄嗟に繰り出した呪力を纏わせただけの呪符。
すぐに呪符は綻びだす。
そこに力の均衡は無い。
圧倒的な力で押し潰す側と為す術無く押し潰される側があるだけだった。
硝子細工が砕けるような音と共に呪符は真っ二つになった。
凶撃の勢いは止まらず、無防備となった義影の肩口を大きく切り裂いた。
「――がっ……!」
次が来る。
それを受ければ、決定的な敗北になりかねない。
義影は死なない。
しかし少女を止める者がいなくなれば、力の矛先はどこへ向かう。
おそらくは、近くの村――彼女の生まれ育った故郷だろう。
彼処には大勢の人がいる。
それも少女の業の呪いによって足を悪くしている者たちだ。
きっと逃げ切れる者は一人もいない。
殺戮――それだけは避けなければならない。
義影は、半分になった呪符に大量の呪力を送り込む。
刹那、炎が爆ぜた。
爆発は、術者の義影も巻き込み、彼諸共吹き飛ばした。
肉の焦げる臭い――軽くはない損傷を受けたが、少女の凶撃を食らうよりは遥かにマシに思えた。
「……ぐっ――はぁ、はぁ……」
体の求めに従い、血の焼き付く臭いを肺に吸い込み、立ち上がる。
嵐のような攻撃は止んでいた。
遠くで蹲る少女の姿が目に入る。
超至近距離からの爆破は、さすがに効いたようだった。
しかし大きな外傷はない。
爆発を察知して、咄嗟の判断で後方に飛び退いたのかもしれない。
自爆覚悟の攻撃ですら、少女に有効的な攻撃には至らなかった。
それは義影に戦慄を与えるには十分だっただろう。
だが彼は諦めない。
諦めるわけにはいかないのだ。
体は満身創痍――血に塗れたそれは立っていることすら奇跡に思えるほどだ。
しかして心は不屈――今の彼を支えているのは、不死性ではない。
かつて交わした誓い――根底にある果たさなければならない願い。
そのためならば彼は――外法にすら手を染めるだろう。
義影は震えるその手でひとつの呪符を取り出した。
今までの呪符とは違う漆黒の札。
世界を呪う憎悪の炎――その詠唱を開始した。
「術式・縮小展開――黄昏を望み暁を憎む者よ。その身は炎に焼かれ、魂は尊厳の尽くを破壊された。なればこそ、その憎念は世界を呪うに値するだろう。憎悪の化身、呪われし怨恨よ。今、怨嗟の声を響かせ、憎しみの炎で生命を呪え――八雲の怨魂!」
"それ"は闇だった。
そうとしか形容のしようがない"それ"は、あまりにも異質で、見る者を恐怖させるには十分だった。
蹲っていた少女も何かを察知したのか素早く飛び起きた。
目を見開き、牙を剥き、闇を睨む。
闇と少女は同時に動いた。
繰り出される凶撃――義影の体を何度も抉った鋭爪。
それは闇には通用しなかった。
見かけ状、当たってはいた。
しかし届かない。
"それ"は、物質ではない。
"それ"は、事象。
生命を恨む怨霊が寄り集まって発生した現象としての呪い。
闇が少女に纏わりついた瞬間――彼女は絶叫した。
世界を呪う憎悪の炎。
その言葉に偽りはない。
恨み、憎しみ、怒り、悲しみ、妬み、苦しみ、後悔、恐怖、無念、絶望――ありとあらゆる負の感情が炎となって魂を燃やす。
苦痛は地獄の業火で身を焼かれるに等しい。
少女は闇を振り払おうと暴れるが効果はなかった。
少女は苦しみのあまり地を転がる。
その視界に義影の姿が映り込んだ。
彼女は四足歩行で義影に突撃する。
術者を倒し、術を強制的に打ち消す魂胆か。
義影が複数の呪符を使って拘束術式を発動させる――成果なし。
少女は止まらない。
少女が地を蹴り跳躍。
義影が右手で結界の展開をはかる。
間に合わない――少女がその手に食らいつく。
義影は振り払おうとするが、少女は彼の肩を掴み抵抗する。
牙が食い込む、ぶちぶちと肉の裂ける嫌な音が響く。
とうとう義影の腕は限界を迎え、無残にも引き千切られた。
「ぐぅッ……! この、糞餓鬼があああ!」
流れ出る血をそのままに、義影は残った左手で少女の顔面を鷲掴みにして地面に叩きつけた。
「クチナワ! 起きてるんだろう!」
『――何用だ?』
何者かの声が周囲に響く。
しかし、周りには少女と義影しかいなかった。
声は続ける。
『酷いざまだ、無様だな。白鬼死義影。汝はこれほどまでに脆かったか? これなら今の我でも容易く喰ろうてやることが出来そうだ』
「黙れ! さっさと力を発動させろ!」
少女が義影の手を掴み、引き剥がそうとしている。
『ふん、まあいいだろう。汝といると命と命の争い事を眺めることができる。我はその余興を愉快に思っておるのでな……言の葉を唱えよ』
「業に入っては業に従え、業を以て業を成せ、業で以て業を喰らえ! 喰らい尽くせ――クチナワ!」
「相分かった 」
その返答の直後、紫電が奔る。
"クチナワ"と呼ばれた存在の異能――人ならざる者の力が少女の業の呪いと穢を喰らう。
少女の獣の咆哮にも似た悲鳴。
少女の内にある力が義影へと流れていく。
最初のうちは暴れていた少女だが、やがておとなしくなり気絶した。
少女に纏わりついていた闇は霧散し、黒い札の中に戻っていった。
「用は済んだ。消えろクチナワ」
『全く、汝は人使いが荒い……いや、蛇使いが荒いと言ったところか』
クチナワはかかかと笑った。
『今宵は腹を満たせた。美味とは言い難いが良しとしてやろう。次はもっとまともな贄を用意してくれよ?』
異質な気配が消える。
「人がこんなに苦労したというのに眠りこけをって……この"猫耳娘"が」
義影は小さな寝息をたてている少女に悪態をついた。




