Third Stage -Round 2-
「さ~く~やく~ん。あ~そび~ましょ~」
私立恋森東高等学校の昼休み。
二年二組の教室に、間延びした男子の声が響き渡った。
各々のグループで弁当を囲っていた二組の生徒たちが、教室の入り口に現れた少年の姿に、様々な反応を示す。
「う……武功宮……」
たじろぐ男子たちもいれば――
「ぶ、武功宮くんよ!? 武功宮くんが現れたわよ同志たち!」
キャアキャアと歓声を上げる女子たちもおり――
「お、会長じゃん。今日もアピールに来たか」
わりと好意的に、平然としている男女もいる。
だが、皆が共通して思っていることが、一つだけあった。
また今日も『アレ』が始まるのか――と。
「水平線がたぁ~てになった~らどうする~♪」
皆の注目を浴びる彼の名は、武功宮禅時。
短めに揃えた髪に、柔和な笑顔。おそらくはモテる部類だろう。
のんびりと落ち着いた挙動に、きっちり着こなしたブレザー。彼の役職――生徒会会長という立場にふさわしい、実に爽やかな立ち振る舞いだ。
「流星群でつぅ~きが壊れたらど~お~す~る~♪」
禅時は機嫌よさそうにタミーの曲を歌いながら、教室の中頃――
机に突っ伏して寝ている咲弥へと近づいた。
「や~、咲弥」
「……ああ、禅か……」
咲弥は顔を上げぬまま、弱々しく片手を上げて禅時を迎える。
「なんかお疲れだね~」
禅時は空いている机と椅子を引いて、咲弥の机とドッキング。
そして、持ってきたミニトートの中から、お揃いのハンカチに包まれた二つの弁当箱と、大きさの違う三本の魔法瓶を取りだした。
「昨日メールした通り、今日は鶏肉尽くしなんだよ~?」
言いながら、一番大きな魔法瓶に入っていたスープをカップに移し、二人分用意する。
続いてコップを取り出し、中くらいの魔法瓶を傾けて、また二人分お茶を注ぐ。ちなみに最後の魔法瓶には、食後用のジュースが入っている。
「愛妻弁当キタコレ!」
「ハァ、ハァ……尽くす禅くんギザかわゆす……マジ萌え……!」
「き、昨日のメールってなにかしら? ……ハッ!? まさかおやすみメール!?」
一部の女子たちが危ない目つきでひそひそやっているが、皆、慣れているのかまったく気にしていない。
「咲弥~、準備できたよ~?」
「う……く……」
「起きなよ~? お昼食べようよ~?」
「起きたいが……すまん……体が起きるのを拒否している……」
よほど眠いのか、咲弥は本当に首も上げられないようだった。
「も~、咲弥~」
禅時が眉根を寄せながら、ゆっさゆっさと咲弥の肩を揺らす。
だが効果はない。
ふと、禅時は何かを思いついたように、突っ伏す咲弥の頭部へ顔を寄せた。
そして、先ほどとは違う艶美な口調で、囁くように告げる。
「ね~咲弥」
「……なんだ?」
「耳たぶ噛んでいい?」
「……なんでだ?」
「それはねぇ――咲弥のことが、好きだから」
瞬間、遠巻きに禅時と咲弥を観察していた女子たちから、『キャアアアッ!』と狂喜の叫びが轟いた。他の生徒たちも、「あいつまた……」「ひゅー、やるぅ」などと、げんなりした、あるいは楽しそうな様子で二人に視線をやっている。
「返事、聞かせてほしいなぁ~?」
「……すまん」
「ちぇ~、ま~たフられちった」
禅時は咲弥から顔を離し、懐から年季の入ったメモ帳を取り出して、ボールペンで記入し始める。
「二〇一一年、五月九日、月曜日……三百四十二回目の告白……失敗。理由は……う~ん……弁当の中身が鶏肉だったからかな? それともスープがクリーム風味だったからかな?」
「おまえが男だからだ」
「お、やっと起きた~」
咲弥は実に眠たそうな、虚ろな瞳で禅時の弁当とスープを捉え、傍に寄せる。
「言ってるだろ。俺は異性愛者だ」
「でも咲弥、同性愛者を認めてるとも言ってたっしょ~?」
「そりゃ認めてはいる。別に、同性愛が悪いことだとは思わないからな」
「だったら――」
「断る。なぜなら俺自身は同性愛者じゃないからだ」
「でも、オレはガチホモなのだ~」
「やれやれ……」
ごく自然に会話をしている二人だが、禅時の行った『告白』は、冗談でもなんでもなく本気のものだ。
禅時は一人の男性として、咲弥という男性を、心の底から愛している。
そう、恋森東の生徒会長・武功宮禅時は――
同性愛者であることをあっけらかんとカミングアウトしている、超絶マイペースホモセクシュアルなのだ。
「まぁいい。今日もすまんな」
「いえいえ~。愛する咲弥のためならば、これぐらい軽い軽い」
「ふっ……いただきます」
ニコニコ笑顔の禅時と、苦笑しながらも嫌そうではない咲弥。
二人は去年、一緒のクラスで高校最初の年を過ごした。
咲弥は始め、禅時が同性愛者だとは知らず、普通に友達として接していた。
だが、ちょっとした事件を経て、禅時は同性愛者であることを周囲に打ち明け、それが原因で事件が起こり――
その際に自分を支えてくれた咲弥のことを、好きになり――
結果として、今の形に落ち着いていた。
生徒会長となった禅時は、暇を見つけては咲弥に手製の弁当を振る舞いに来る。そして一回以上は必ず告白し、そのすべてを咲弥にきっちり断られている。……が、めげたりはぜず、とりあえずは友達として、虎視眈々と好感度アップ作戦を実行し続けている――という、そんな日常。
先ほど言っていたように、咲弥は異性愛者だ。だから、今のところ禅時の想いに応えるつもりはない。
だが、一人の友人としては、明るく毎日を過ごしている禅時の姿を見られることに、嬉しさを感じてしまうのだった。
一時は、ひきこもりのような状態になってしまった禅時だから。
恋人になってやることはできないけれど、親友として笑っていられるのは素直に楽しいという、そんな関係。
「見てなよ~? いつか絶対、咲弥を振り向かせてみせるからね~?」
「ああ、期待してるぞ」
笑みを浮かべながら、結局のところ、仲睦まじく弁当を食べる禅時と咲弥だった。
「い、いい雰囲気……いい雰囲気よぉぉぉぉッッ!」
「これで一週間はもつ……ハァ……ハァ……!」
そして、そんな二人を『おかず』にして舞い上がる、一部の女子たちだった。
「ところで咲弥~、今はなんの勉強してるの~?」
ふと、弁当もほとんど食べ終わろうかというタイミングで、禅時が聞く。
禅時の視線は、咲弥が左手に握る単語帳に注がれていた。
咲弥は食事中もそれを手放さず、ずっと眺めていたのだ。
「いや、これは勉強ってわけじゃ――」
「見せて見せて~、なにがわかんないの~?」
禅時が咲弥の手から、ぱっと単語帳を奪い取る。
「あ……」
「んん~? なにこれ~? ……フレーム? 有利? 不利?」
そこに記されていたのは、英単語でも化学の公式でもない。
セルⅣにおける、カトラの技データだ。
禅時はぱらぱらと単語帳をめくっていくが、理解できることは何一つなかった。
「最近ちょっと、ゲーム始めてな。それの攻略情報を暗記というかなんというか……」
「えぇほんと~? でも、前に聞いたらゲームはやらないって言ってたよねぇ? 単語帳なんか作っちゃって、ずいぶん熱心じゃん」
「いろいろあってな」
咲弥は禅時に、セルⅣという2D対戦格闘ゲームを始めたことを話した。ややこしいのでレッドのことなどは省いたが。
「そうなんだ~、格闘ゲームかぁ~」
「おまえはやったこと無いか? セルⅣ」
「無いね~。だからこの単語帳も、ちんぷんかんぷんだよ~」
「にしては、さっきから楽しそうにめくってるな」
「そりゃあ咲弥のことだからね~。咲弥が興味のあるものにはオレも興味出るよ~。……例えばこれ、どういう意味?」
禅時は単語帳の一項目を開き、咲弥に見せる。
■しゃがみ中P/発生4フレーム。ガード後2フレーム有利。ヒット後5フレーム有利。体感的にかなり判定が強い。中途半端な距離で技を振り合った時とか、大抵こっちが勝つ。必殺技キャンセル、スパコンキャンセルともに可。あと、目押しでほとんどの地上技に繋がる。
「これはだな、カトラっていうキャラの、攻撃の一つについて解説してるんだ。えっと、まずゲームの世界にはフレームっていう概念があってだな……」
咲弥はレッドに教えてもらったことを、そのまま禅時に伝える。
格闘ゲーの世界での時間単位はフレーム。1フレーム=1/60秒。
そして、カトラの屈中Pは発生4フレーム。
「つまり、カトラのしゃがみ中パンチは、ボタンを押してから攻撃判定が出るまでに、4フレームの時間が必要ってことだ。これは、中系の攻撃においてかなり速い部類に入る。このゲームにおける最速の通常技は、弱パンチとか弱キックの3フレームだからな」
「じゃあ、『ガード後2フレーム有利。ヒット後5フレーム有利』ってのは?」
「そのままの意味だ。カトラのしゃがみ中パンチを相手にガードさせると、相手より2フレーム速く動けるようになる。ヒットさせると、5フレーム速く動けるようになる。すごく優秀な技なんだ」
より厳密に言うならば、『カトラの屈中Pの動作終了が、相手のガード(ヒット)硬直が解けるよりも2フレーム(5フレーム)速い』となる。
つまり、相手に何かしらの技をガード(ヒット)させた後、こちらのほうが速く再行動できるなら、その技はガード(ヒット)させて有利と言える。逆に、相手のほうが速く再行動できるなら、不利な技と言える。
「なるほどなるほど~。ふむふむ……このしゃがみ中パンチは、ほんとに優秀みたいだね~。一回当たったらもう一回殴れるみたいだし」
「え?」
咲弥は禅時の言葉に目を見張った。
「な、なんでわかるんだ? セルⅣ、やってないんじゃなかったのか?」
「うん、知らないよ~? でもここに書いてあるじゃん。ヒット後『5フレーム有利』で、しゃがみ中パンチの発生が『4フレーム』なんでしょ? ってことは、しゃがみ中パンチが当たったあとに、もう一回しゃがみ中パンチが撃てる、ってことじゃないかな? いや、しゃがみ中パンチだけじゃなくて、発生が5フレームまでの技ならなんでも繋げるはず……と思うんだけど、合ってる?」
「あ、ああ」
「そっか~」
禅時は「何が繋がるかな~?」と楽しそうに単語帳をめくり、カトラの技データを一つひとつ眺めていく。
(やっぱこいつ頭いいな。さすがは生徒会長。成績もずっと一位だし……)
禅時の言うとおりだった。
カトラの屈中Pの利点の一つとして、『間合いさえ離れていなければ、ヒット後はほとんどの地上技に繋ぐことができる』というものが挙げられる。
これは、屈中Pヒット後に5フレーム有利になれて、なおかつカトラの主要地上技が、一番遅いものでも5フレームで発生するからだ(※繋がらないのは遠距離立ち中K、遠距離立ち強P、遠近立ち強Kの四つだけ。これらはすべて発生6フレーム以上のため)。
こういった、技ヒット後の有利フレーム内に次の技を放ち、相手に反撃させぬまま連続で攻撃を当てる技術を、『目押し』という。『目押しコンボ』、あるいは『目押しで繋がる』などと表現されている連係は、技ヒット後の有利フレームを利用した行動なのだ。
数日前のレッドVS雷華戦において、レッドのカトラが見せた、【屈中P>屈中P>屈強K】――しゃがみながらのストレートパンチ二発+足払いで相手を転倒させる、というコンボは、まさにこの目押しを利用した連続技である。
目押しはボタン連打では繋がらず、有利フレーム内にタイミング良く技を繰り出す必要があるため、少々難しい(咲弥は未習得)。レッドの華麗な連続技に目を見開いてしまうのも、初心者の咲弥には無理からぬことだった。
「目押しの理屈はわかったよ~。じゃあ、『キャンセル』ってのはなに~? 技のいくつかには『必殺技キャンセル可能』とか『スパコンキャンセル可能』とか書いてあるけど」
「キャンセルってのは、実行中の行動を新たな行動で上書き――つまりキャンセルしちまうってことだ。目押しじゃないもう一つのコンボのやり方というか……あー、例えばだ」
【屈中K>強波號拳】
「これは、通常技から必殺技に攻撃を繋ぐ、カトラの基本連係だ。しゃがみながら放つそこそこリーチのある蹴りを当てて、そこからさらに波號拳で追撃するコンボ。……だが、フレームデータだけを見てると、この連続技は絶対に繋がらない」
「そうだね~。しゃがみ中キックヒット後は+-0……つまり有利でも不利でもないイーブンの状態で、強波號拳の発生は13フレーム。13フレーム余裕が足りないよ~」
「ああ。しかし実際にやってみると、この連続技は簡単に繋がっちまうんだ。それは――」
「『しゃがみ中キックが必殺技・スパコンでキャンセル可能』だからかな~?」
「正解。おまえはほんとに飲み込みが早いな。実際にゲーム画面を見たわけでもないのに」
「咲弥の説明がうまいから、なんとなく想像できるんだよ~」
咲弥が例に挙げた【屈中K>(キャンセル)>強波號拳】。
これを実際にやってみると、現実ではあり得ない動きになる。
下段蹴りを当てたあとのモーション――蹴りのために繰り出した脚を戻すフォロースルーが消失し、丹田の前に気を溜めて放つという波號拳の動作にいきなり移行するのだ。
それはまるで、コマ落ちしてしまった映画のフィルム。ジャンプをしようと踏み込む走り幅跳びの選手が画面に映った――と思ったら、次の瞬間にはもう着地を終えていた、とそんな感じ。
これが、目押しと対になる連続攻撃の要――キャンセルである。必殺技でキャンセル可能な技は、『必殺技キャンセル可能』。スーパーセルリードコンボでキャンセル可能な技は、『スパコンキャンセル可能』などと表記される。
再び先日のレッドVS雷華戦を例に挙げる。
第二ラウンドにレッドが決めた大ダメージコンボ―― 【鳩尾穿ち(右向き時、→+強P)>屈強P>強豪龍拳>真空波號拳】は、繋ぎまで書き記すと【鳩尾穿ち>(目押し)>屈強P>(キャンセル)>強豪龍拳>(一段目でキャンセル)>真空波號拳】となる。
目押しやキャンセルを駆使した、難易度が高めのコンボと言えよう。
咲弥はセルⅣを理解すればするほどに、こういったコンボを平然とやってのけるレッド実力を、改めて思い知らされるのだった。
単語帳まで作ってデータを暗記しようとしたのは、少しでもレッドに近づきたいという想いからだ。
「オレもやってみようかな~、セルⅣ」
弁当を食べ終わり、すっかり机の上を片付け終えた頃に、ふと禅時が言った。
「そこまで興味が湧いたのか?」
「うん、おもしろそ~。それに――」
「?」
「セルⅣをきっかけにして、咲弥といられる時間がもっと増えるかもしれないし、ね?」
「そうかもな」
流し目を送ってくる禅時を、華麗にあしらう咲弥。
また外野の一部が盛り上がるものの、二人は気にしなかった。
「オレも早く始めて、咲弥の練習相手が務まるようになろ~っと」
「あー……そうしてくれるのは嬉しいが、のんびりでいいぞ。おまえには悪いが、練習相手ならもういる」
「ん~? みちえちゃん?」
「違う。古い友人なんだが、そいつが俺にセルⅣを手解きしてくれてる。……しかし実力差がありすぎて、まったく歯が立たない。悔しいが、文字通り手も足も出ない状態だ」
「ふぅ~ん。それって女の子~?」
「女だが、おまえが想像するようなことは無いから気にするな」
同居していることは黙っているが。
そのマネージャー(♀)も一緒に暮らしているが、これまた言う必要はない。
「で、ちょっとでもその友達に近づくために、できる限りの練習をしてるわけなんだが……まだ成果がなくてな」
「そっか~、だから今日も疲れ気味だったんだね~。毎晩遅くまでゲームしてるわけだ~」
「ああ。寝る前にゲームをすると脳が興奮して寝付きが悪くなる、って聞くが、あれは本当だな。ここ最近どうにも眠い。今日は特に酷い」
言って、手で隠しながら大あくびを一つ。
「おっきなあくびだね~。寝たの何時ぐらい~?」
「確か……四時過ぎに力尽きて意識がなくなったような……」
「四時ぃ~? そんな時間まで練習してたの~?」
「ああ」
練習。
それは、まさに修行と呼んでも過言ではない、鍛錬漬けの日々である。
咲弥がレッドに与えられた最初の課題は、カトラというキャラクターを、己の指先がごとく自在に操れるようになることだった。
レッドは言う。
「セルⅣにはいろいろなテクニックがあるわ。でも、自分のキャラを自由に動かせるようになるのは、それを覚えるより大事なこと。……豪龍拳が出なかったとか言ってたわよね? なら、いつでも百パーセント出せるように、ひたすらコマンド練習しなさい。あと、スパコンやウルコンもとりあえず出せるようになっておきなさい。まずはそれからよ」
咲弥は素直にレッドの言葉を受け入れた。
ゲーセンで雷華のヒョウガに敗北した時のこと――豪龍が出ずに跳ね回るヒョウガを撃ち落とせなかった――を思い出し、自分にはそれが必要だと強く感じたからだ。
そのためここ数日、咲弥はみちえが元々持っていた家庭版セルⅣを借りて、カトラの修練に励んでいた。
かつて空手を習っていた時の反復練習を思い出し、波號拳(↓↘→+P)をちゃんと出せるまで百発、豪龍拳(→↓↘+P)をちゃんと出させるまで百発……と、各技のコマンドをひたすら繰り返していく。
普通に格ゲーを遊んでいる他の子供たちからしてみれば、咲弥のやっている行為はバカバカしいことなのかもしれない。何もそこまでしなくたって……遊びなんだからテキトーにやっていればいいのに……と笑われるかもしれない。
だが咲弥にとって、セルⅣは遊びなどではないのだ。
己の再生と約束を果たすための手段――プロゲーマーとして復活するためにレッドが与えてくれた、たった一つの道標。
それを辿るためならば、咲弥はなんだってする。
百回……二百回……いや、千回、万回だって技の練習に励む。
できるようになるその時まで、何度でも。
「昼休みまだ十五分ぐらいあるし、寝たら~?」
「そうだな……少し、休むことにするかな」
連日の無茶が祟り、ゲームのできない学校にいる間、眠くてしょうがない咲弥だった。
「よ~し、オレが膝枕してあげよう。おいで咲弥」
「おやすみ禅」
「ちぇ~、つれないな~。まいっか。また来るよ~」
「すまん……今日もうまかった……。また……今度……」
弁当を片付け、机を元の位置に戻し、禅時は爽やかに帰っていった。
咲弥は再び机に突っ伏し、半分ほど眠っている意識の中で思う。
(禅はいいやつだな……。今日はあいつのおかげで、少しリラックスできた)
先ほどは和やかに会話をしていたものの、実はここ最近、咲弥は気分的に優れない日々が続いていた。ちなみに睡眠不足が原因というわけではない。
というのも――
(くそっ……レッド強ぇ。マジで強ぇ。バケモンかあいつは。……ああ、バケモンだな。セルⅣの世界第三位だもんな)
咲弥はレッドからセルⅣを教えてもらう中で、改めて彼女の実力を知った。
尋常ならざる強さのプロプレイヤーが自分の師匠だなんて、心強い限りだし、頼もしいとも思う。
だが、目の前でその強さをまざまざと見せつけられた時。
咲弥はやはり、一人のゲーマーとして感じてしまうのだ。
どうしようもない悔しさを。
(毎日あんだけ挑みまくって、なんで一本も取れないんだよ……。というかあいつ、カトラがメインのくせに全キャラうますぎだろ。特にチェリィとか、何か一発喰らっただけで常に最大コンボ入れられる……。知識量も半端ないし、どれだけやり込めば追いつけるんだ……)
悔しい――悔しい――狂おしいほど悔しい。
勝ちたい――勝ちたい――語り継がれるほど勝ちたい。
かつてプロゲーマーだった咲弥の矜恃が、ここ数日でどれだけズタボロにされたことか。
レッドの指導を受け、咲弥も確実にカトラの操作がうまくなっているものの(咲弥もカトラをメインキャラと定めた)、未だレッドとは天地の差がある。
何日か練習しただけで追いつける、などと甘ったれた考えを抱いているわけではないが、それでもどうにかして、レッドとの距離を詰めたいと思ってしまう。普通に考えれば、初心者が世界第三位に易々と勝てるわけなどないのに。
とても男の子な咲弥だった。
(見てろよレッド。いつか絶対『ぎゃふん!?』……いや、『ぎゃふんがっ!?』……いやいや、『ぎゃふんがるぼぇっ!?』ぐらい言わせてやるからな……)
「甘い」
《KOォォォゥッッ!》
「ぎゃふんがるぼぇっ!?」
自分が言わされている咲弥だった。
「あっははっ! さく兄が『ぎゃふんがるぼぇっ!?』だって。おっかしぃ」
「お、おのれぇ……」
「みなさーん、もうすぐ夕飯ができますよー」
日が沈む頃。
鐘鳴家のリビングダイニングは、賑やかなことになっていた。
ソファーに並んで座り、大画面の液晶テレビで家庭版(EXbox360)のセルⅣに励む咲弥とレッド。その近くに椅子を持ってきて、二人の背後から観戦しているみちえ。カウンターを挟んだキッチンで中華鍋を振るい、全員分の夕食を作っている愛鈴。
最近の定番となりつつある、四人での生活風景の一つだった。
「もう一戦だ」
「ふふっ、いいわよ。次が終わったら休憩にしましょう」
「おう」
「みっちぇは愛鈴手伝ってるね。お皿でも出すよん」
「あ、助かります」
二人は再度ウルコンを選び直した。レバーをガチャガチャ回しながら「よっしゃ!」と気合いを入れる咲弥と、そんな咲弥にくすりと笑みを零すレッド。
咲弥の膝上には、レッドとおそろいのアーケードスタイルコントローラーが載っていた。レッドと出会った翌日に、大型のゲームショップへ行って買ってきた品である。
アーケードスタイルコントローラー――通称アケコン。家でアーケード筐体のレバーやボタン操作を再現するために、必須となるアイテムだ。
咲弥が購入したのは、その筋では大手となるMORI社製の商品で、正式名称『ギガロアーケードプロVXSA』。四和電子製のレバーとボタンで構成される、かなりの精度を持つ一品だ。ちなみに定価は一万二千八百円。
見た目は長方形の箱形で、縦約二十五センチ×横約四十三センチ×高さ約七センチの寸法。ただし、高さはレバーを含むと約十二センチ半となる。
Cherry【ジャイロドライブスラッシャー】 vs Katora【滅・豪龍拳】
2P側の咲弥カトラに対し、1P側のレッドはチェリィを選択している。
チェリィ。素早い動きとリーチの長い足技が特徴的な、セルリードファイターシリーズで屈指の人気を誇る女性キャラクターだ。
かなり食い込みの激しいハイレグのレオタードを着用しており、しなやかで美しい肢体を惜しげもなく晒している。
チェリィが蹴りを繰り出すたびに、腰のくびれや柔らかそうな桃尻が強調されて、思春期の少年には刺激が強いかもしれない。レオタードにブーツと籠手、軍帽のみという格好も、アブノーマルな色香を漂わせている。
が、咲弥は気にも留めない。
チェリィを操るレッドへの対策だけが、彼の脳内を埋め尽くしていた。
《ラウンド1……ファイッ!》
(今度こそ一本取る!)
対戦がスタートし、咲弥カトラとレッドチェリィが、横二~三キャラ分の間合いを保ったまま、ジャブやキックで牽制し合う。
どちらも大きな行動を仕掛けずに、ジリジリとした立ち回りが続く。
(波號拳で牽制したいところだが、こいつもう俺の動き把握してるしな……。簡単に出すとすぐに跳び越えられて、硬直中にコンボを喰らっちまう)
それに、相手が通常技を放った直後など、跳び込まれる危険性の低いタイミングで撃ったとしても――
(ここならどうだ!?)
『波號拳!』
中距離でいきなり気弾を向けられたチェリィ。
だが、チェリィは波號拳から逃げることなく、その場で腰を落として何かの『タメ』を作るような動作に入る。
その直後に波號拳がチェリィの体にヒット――していない。
いや、たしかに気弾はチェリィの体にぶつかった。
しかし、チェリィはその瞬間に体を銀色に光らせて、『バシュンッ!』という効果音と共に、カトラの放った波號拳を消失させたのだ。
そして、バックステップ――後方への側転で間合いを離し、再びカトラに向かってくる。
(くっ……やっぱりダメか。タイミングが合わないと『セルガ』で受けられて、ウルコンゲージ溜めるのを助けちまう)
どうにか追撃を図ろうとした咲弥だが、レッドがカノンスパイク(カトラでいう豪龍拳。出始めに無敵時間のある上昇しながらの蹴り)のコマンドを用意して待ち構えている気配を察知し、悔しそうに間合いを保った。
さて、どうしてカトラの放った波號拳が消されてしまったのか?
なぜ咲弥は悔しそうにしていたのか?
答えの鍵は、咲弥が心の中で唱えた『セルガ』――セルガードアタックという特殊行動にある。
セルガードアタックは、地上にいる時、中P+中K押しっぱなしで出せる、全キャラ共通の技だ。簡単に説明すると、その名の通り『セルガード』と『アタック』で構成される、防御と攻撃を混ぜ合わせたような行動である。
中P+中Kを押し続けると、キャラはそれぞれ独特の『タメ』を作る(カトラのタメは腰を落としながら拳を構える動作)。ここが『セルガード』の部分で、この時キャラには1ヒット分の攻撃を無効にする『アーマー』という状態が付与される。
そして、中P+中Kから指を離すことで、キャラはアーマー中に作ったタメを解放し、それに見合った威力の一撃――『アタック』を繰り出すという仕組みだ(カトラのアタックは正拳突き)。
先ほど、カトラの波號拳をチェリィが消し去ったのは、このアーマー判定をうまく使われたからである。その直後にバクステで間合いを離されたのは、セルガードアタック自体がダッシュorバックステップでキャンセル可能なためである。
セルガードのタメにはレベル1~3の三段階が用意されており、それによって変わるアタックの威力や効果は以下の通り。
■レベル1 … 約20フレームほどタメた場合。ダメージ小。ガードorヒット後にダッシュキャンセルしても、ほとんどのキャラは不利な状態になる。ただし、カウンターヒットした場合は相手をよろめかせ、大幅有利に。
■レベル2 … 約30フレームほどタメた場合。ダメージ中。ヒット時は必ず相手をよろめかせ、ダッシュキャンセル後に追撃可。ガードされてもダッシュキャンセルすれば、ほとんどのキャラは有利になれる(ちなみにカトラのレベル2セルガをガードさせてダッシュキャンセルすると、4フレーム有利)。
■レベル3 … 約65フレームほどタメた場合。ガード不能となり、相手をその場に打ち崩して大きな隙を作る。ダメージ大。ダッシュキャンセルから追撃可能。また、アーマーブレイク属性(アーマー状態を無視して攻撃を当てられる)を備える。しかしタメ時間が長いため、あまり使う機会はない。
セルガードアタックという特殊攻撃を知った時、咲弥はまずこう思った。
(これめちゃくちゃ便利な行動じゃないか? 相手の攻撃を一発無効にしちまうわ、ダッシュキャンセル可能だわ……。タメて相手の攻撃を受けた時、相手が間合いの外にいたらバクステで逃げればいい。逆に、相手が間合いの内ならそのままアタックして、ダッシュキャンセルから追撃しちまえばいい。……安定しすぎて反則的な気がするんだが、いいのかこれ?)
しかし、直後にレッドが教えてくれた。
その考えが間違っているということを。
「セルガは便利な行動よ。でも、相応のリスクを伴う技でもある。まず最初に言っておきたいのは、アーマーについて。アーマー判定があると、たしかにキャラは1ヒット分の攻撃を無効にすることができる。でも、『ダメージはしっかり受けている』という点だけは忘れないほうがいいわね」
そう、セルガはたしかに相手の攻撃を受けることができるが、しかしダメージを通さないわけではないのだ。
アーマー中に受けたダメージは、通常のダメージとは違う『リカバリズムダメージ』となってキャラに与えられる。
リカバリズムダメージは、減ったダメージの分だけ体力ゲージが透明に変色し、時間経過によって徐々に回復していくという特殊なダメージだ。つまり、時間さえ経てば、最終的には全ダメージがリカバリーし、何も喰らわなかったのと一緒になるという仕組みである。
ただし、その回復速度は遅い。しかも、回復中に一発でも攻撃を受けてしまうとすぐさまリカバリーがストップし、新たなダメージ+リカバリズムダメージを一気に喰らってしまう、ということになる。
調子に乗って相手の攻撃をセルガードで受け止め続けていると、隙を突かれて弱Pが一発当たっただけで、回復が無くなり大ダメージ! ということにもなりかねないのだ。
また、各キャラクターの必殺技にはアーマーブレイク属性――略してAB属性が備わっているものがある(カトラは竜巻旋空脚がAB属性を持つ)。
つまり、セルガを読まれてAB属性を持つ技を繰り出されると、アーマーを貫通して一方的に攻撃を受けてしまうというわけだ。それに、2ヒット以上の多段攻撃や、弱Pなど小刻みに連打できる技にも簡単に潰される。
……と、セルガードアタックにはこういった弱点があるため、しっかりとした読みと計画の上で繰り出さなければ、状況を悪くするだけの死に技と化してしまう。そのため乱用は禁物なのだ。
咲弥カトラとレッドチェリィの対戦に視点を戻そう。
波號拳をセルガードで受け止められて、悔しそうにした咲弥。
これはなぜか?
回復可能とは言ったものの、カトラがチェリィに与えたのは紛れもないダメージだ。今回はレッドの慎重な立ち回りによってリカバリー封じを行うことはできなかったが、こちらは波號拳という必殺技を放って微量ながらスパコンゲージを溜めることができたわけだし、なぜ悔しがる必要があるのか?
答えが知りたいなら、チェリィのウルコンゲージに注目すればいい。
波號拳を受け止めたチェリィのウルコンゲージ――強力なウルトラセルリードコンボを繰り出すために必要なゲージ(画面下の緑色の円形ゲージ)が、いつの間にか少し溜まっている。
ウルコンゲージを溜めるための条件は、『相手の攻撃を受ける』こと。
つまり、レッドはセルガードを活用し、本来ならばダメージと引き替えにして溜めなければならないゲージを、結果として無傷で溜めてしまったというわけなのだ。
各キャラクターのウルコンは非常に強力で、ゲージマックスで放てば相手の体力を軽く半分は減らせる。
つまり咲弥は、波號拳をセルガで受け止められて、相手の最終奥義の準備を手伝ってしまったこと――ウルコンゲージを増やされたことを悔しがった、というわけだ。
リスクを孕むやり方だが、セルガにはこのような使い方もある。
また、もう一つ重要な使い方があるのだが――それは後述する。
『ちぇぁっ!』
『ぐっ!?』
カトラのしゃがみ蹴りをぎりぎりの間合いで外し、チェリィが反撃のトーキックを決める。
(今のうまっ!? こいつどれだけ間合い把握してんだよ!? 技の差し込み精度が半端ねぇ!)
レッドは咲弥の技が出る瞬間、あるいは出た直後の隙を狙い、的確にリーチの長い蹴り技や突進技を当てていく。また、甘い牽制や波號拳はきっちりとセルガードで受け、ウルコンゲージを溜めることも忘れない。
うまくいかない地上戦に痺れを切らした咲弥が跳ぶと――
『カノンスパイクッ!』
『ぐはぁっ!?』
待ち構えていたかのように、無敵対空の上昇蹴りで迎撃される。
「ぐ、ぬ、ぬ……」
萎縮してガードを固めた咲弥に、畳みかけるような蹴りの連係。
いつしか画面端に追い詰められ、すっかりレッドのペースだ。
(このままじゃダメだ! 反撃しねぇと! ……ここっ!)
チェリィの地を薙ぎ払うような大振りの蹴りに合わせ、カトラをジャンプさせる咲弥。
カトラは蹴りを交わしつつ、隙だらけとなったチェリィに頭上から拳を構えて襲いかかる。
が――
「惜しい。間に合うのよ」
カトラの拳が届くその瞬間に、チェリィの蹴りの硬直が解け――
『カノンスパイクッ!』
『ぐはぁっ!?』
ぎりぎりのタイミングで、再度カトラを迎撃した。
と、その時。
蹴りを放ってカトラを吹き飛ばし、一緒に中空へと舞い上がっていくはずのチェリィが、体を黄金に光らせた。
と同時にカノンスパイクの上昇動作を中断し、地上でセルガードのタメの動作に入る――と思った次の瞬間には、バックステップで背後に移動し間合いを離す。
吹き飛ぶカトラ。
カノンスパイクを中断してバクステし、まったく自由な状態のチェリィ。
(やばっ!?)
と咲弥が思った時、レッドは既に↓↘→↓↘→+KKKのコマンドを入力し終えていた。
『はァァァッッッ!』
画面が暗転し、『ゴォォォッ!』という効果音と共に、しゃがんで構えを取るチェリィの姿がアップで映される。
そして、画面が元に戻った瞬間――
『スピンドライブッ……!』
チェリィがドリルのように体を回転させながら、低空の多段蹴りを、無防備なカトラに容赦なく打ち込んでいった。
そして、最後はカノンストライクの動作で――
『スラッシャァッッ!』
《KOォォォゥッッ!》
『ぐあァァァッッ!?』
カトラを豪快に打ち上げてウルコンフィニッシュを決め、画面背景を赤と黄金で飾る、ド派手な演出を出現させた。
レッドが1ラウンド取得である。
「くそぅ……その『セルキャン』連係忘れてた……」
「ふふっ、まだ体力に余裕があると思った? 三割ぐらいならあれで一気に持ってくわよ」
咲弥の言った『セルキャン』とは、『セルガードアタックキャンセル』のこと。その名の通り、セルガードアタックで技をキャンセルしてしまうテクニックだ。
セルキャン可能な技を相手に当て、セルキャンし、さらにそれをダッシュやバクステでキャンセルする。すると、最初に当てた技によっては膨大な有利フレームを得ることができ、通常では考えられないようなコンボも可能となる。
たった今レッドが行ったのは、【カノンストライク>(セルキャン&バクステ)>スピンドライブスラッシャー】という、必殺技からウルコンを繋げる強力なコンボだ。このように、セルキャンを用いれば、当て辛い大技も安定して連続技に組み込むことができる。
これが先ほど記した、セルガードアタックの、もう一つの重要な使用方法だ。
ただし、セルキャンを使用するにはスパコンゲージが二本必要なため、いつでも使用できるわけではない。それに、技をセルキャンするためには相手にガードorヒットさせなければならないため、避けられると不可能となる。
非常に強力だが、それなりのセンスと使い方を求められる――それがセルキャンだ。
もっとも、レッドはタイミングを違えることもなく、完璧に使いこなしているようだが。
「私のセルガをなんとかしないとこうなるわよ? 竜巻とEX波號を有効活用なさい」
「そ、そうか!」
竜巻旋空脚はカトラの持つAB属性必殺技で、波號拳はEX必殺技として放つと2ヒットの多段技に変化する。
EX必殺技とは――コマンドを入力する際にボタンを二つ同時押し、スパコンゲージを一本消費して放つ、強化された必殺技のことだ。
波號拳の場合、コマンドが↓↘→+Pのため、Pの部分でパンチボタンをどれか二つ同時押しして放てば、EXとして繰り出すことができる。
EX波號拳は二つの波號拳が重なった2ヒット技のため、1ヒットまでしか攻撃を受け止められないセルガードに対し、有効な手段となるのだ。
(ふっ、いいことを教えてもらった。見てろよレッド)
《ラウンド2……ファイッ!》
《KOォォォゥッッ!》
「なんでやねんっ!」
瞬殺されてソファーでひっくり返る咲弥だった。
「ちゃんと竜巻振ったやんけ! EX波號撒いたやんけ!」
「落ち着きなさい咲弥、キャラがぶれてる」
「ぶれもするわい!」
噛みつかんばかりの勢いでレッドに迫る咲弥。
レッドはそんな咲弥を「どうどう」と冷静に制す。
「ていうかおまえ、俺にあんなアドバイスしておきながら、まったくセルガ使わなかったじゃねぇか!」
「当然よ。あなた、ああ言ったら間違いなく竜巻とEX波號を仕込んでくるでしょ? だったらどうしてそれに弱いセルガを使う必要があるの?」
「鬼畜かこら!? 違うだろ!? そこは甘んじて技を受けて、セルガ対策を弟子に理解させる場面だろ!?」
「代わりに『セルガ対策対策』を教えてあげたじゃない」
「初心者を掌の上で転がすなよ! 楽しいか!? プロが若葉マークいたぶって楽しいか!?」
「うーん……」
レッドは瞑目し、顎に手を当てて考えるポーズを取った――と思いきや、キラキラとした完璧な笑みを浮かべ――
「楽しいわね。最高よ」
「ぶっ殺すぞおまえ!?」
普段は大人びている咲弥に品のない台詞を言わせる、という偉業を成し遂げた。
「はぁ……助けてみちえもーん」
「あら、いじめすぎたかしら? 本格的にキャラがぶれちゃった」
咲弥はお手上げとばかりにソファーでぐでーっと弛緩し、愛鈴と夕食の準備をしていたみちえを呼んだ。
みちえは嬉しそうにやってきて、背後からガバッと咲弥の首に手を回した。
「ちょ……!?」
レッドが驚くのも無理はない。
咲弥とみちえの顔はとても近く、まるでカップルがいちゃついているような距離だ。
しかし、当人たちにとっては慣れたスキンシップである。
「どうしたの咲弥くん?」
「聞いてくれみちえもん。レッドが酷いんだ。いともたやすく行うんだ。えげつない行為を」
「ダメだよ咲弥くん、プロと対戦させてもらってるだけありがたいと思わなきゃ」
「とほほ、みちえもんはすっかりアカに染まっているなぁ」
「あ、あなたたち、仲いいわね……」
「ん?」「みょ?」
きょとんとする咲弥とみちえ。やや頬の赤いレッド。
「端から見てると、まるで恋人同士みたいよ?」
「そうか? どっちかと言うと兄妹だと思うが」
「みっちぇも同感。さく兄と一緒にいると安心するよ。むふー」
みちえは猫のように目を細め、気持ちよさそうに咲弥に頬ずりした。咲弥はそれを受け入れるばかりか、「よしよし」とみちえの頭を撫でた。
世界中にいる本物の兄妹たちがこの光景を見たら、「こんなもんあるか!」と全力でツッコミを入れることだろう。俺の妹がこんなに可愛いわけがないし、私の兄貴がこんなに格好いいわけがないのだ。
「ねぇねぇさく兄、気付いた? 最近、シャンプー変えてみたんだよ?」
「ああ、すぐわかったぞ」
「……」
レッドは二人がここまで仲良くなった原因――事故によって恋人/姉を失ったその心境を、一応は理解している。だから、ここまでのスキンシップを互いに許容できるのもわかる。
「触ってみて。前よりサラサラになってない?」
「どれ」
わかる。
「やぁん、指に巻いたりしないでよぅ」
「ふむ……匂いもいいし、俺も使ってみるかな」
わかる。
「おかえしだよん。むいーっ」
「こら、髪を唇で噛むな」
わかる……が、これはいくらなんでもアレだ。
「ひっ・つ・き・す・ぎ!」
「みょ? みょ?」「お? お?」
レッドが強引に割り込んで、咲弥とみちえを引き剥がした。
「どしたのレッド? みっちぇとさく兄、何か変だったかな?」
「兄妹ならこれぐらい普通だろ?」
「こんなもんあるか!」
全国のリアル兄妹の代わりに叫ぶレッドだった。
「落ち着けレッド、キャラがぶれてる」
「ぶれもするわよ!」
「どうどう」
とその時、キッチンから「ととのいましたー」という愛鈴の声が響いた。
三人が振り返ると、テーブルの上では見事な中華が湯気を立てていた。
準備を終えた愛鈴は、タオルで手を拭いているところだ。
「そろそろ晩ご飯にしませんか?」
「賛成!」「ああ」「やれやれね……」
レッドと愛鈴がやってきて以来、すっかり騒がしくなった鐘鳴家だった。
深夜過ぎ。
レッドと愛鈴が寝泊まりしている客間にて。
「ふぁ……愛鈴、そろそろ寝ない?」
「そうですね、今日はもう休みましょうか。……と、その前に報告が」
「なに?」
「ビネガさんから大量のメールが届いてます。内容は――」
「全部ゴミ箱に入れておいて」
「えぇー」
「読まなくたってわかるわよ。どうせアメリカに帰ってこいとか、今どこにいるとかそんなのでしょう?」
「まあ。ですが、さすがにかわいそうじゃありませんか? 咲弥さんとの約束を理解してくれないと言っても、彼女なりにレッドのことを考えてくれてるわけですし」
「……気が向いたら目を通しておくわ。とりあえず放置しておきなさい」
「わかりました。……それともう一件。例の団体からも、またメールが来ましたよ」
「なんて?」
「『どうしてもレッドに出場してほしい』と。ゲスト料は弾んでくれるそうです」
「ふぅーん。ま、そこまで言うなら出てあげましょうか」
「では、そのように返事をしておきます」
「お願い。……本音を言うと、しばらくはセルⅣだけやっていたいんだけどね」
「ふふっ、咲弥さんのために、ですか?」
「何か引っかかる言い方だけど……まぁ、そうよ」
「咲弥さん、がんばってますね。最近は豪龍拳も出せるようになってますし」
「まだまだ。練習で出せても実戦の中で使えないんじゃ、話にならないわ。……でも、ほんとによくがんばってる。毎日、明け方近くまでテレビに齧り付いちゃって……。しかも、うるさくないようにってヘッドフォンまでして……。今もやってるわよね、たぶん」
「努力を認めるなら、もう少し優しくしてあげたらどうです? 今日も意地悪なことをして困らせていたでしょう」
「うーん、ついやっちゃうのよねぇ。咲弥とセルⅣやってるって思ったら、なんかそれだけで嬉しくて……はぁ、師匠失格だわ」
「いえいえ、失格ということはないと思いますよ? レッドの存在がいい刺激になっているようですし。世界第三位に負けて悔しがる咲弥さん、立派だと思います」
「確かに。さすがは元聖地祭チャンピオンね。……でも最近は、どこか元気が無いような気がする」
「伸び悩んでいるのではないでしょうか? 確実にうまくなっていると言っても、レッドに負け続けてばかりでは成長の実感などできないでしょうし」
「もう少し形になったら、ゲーセンに行って修行させるつもり。あと、家での通信対戦も解禁する。今はまだ、ひたすらカトラの操作を体に覚え込ませないと」
「にしても、どうにかリフレッシュさせてあげないとかわいそうですよ。自分が思うに、今の咲弥さんは精神的にけっこうキてます。レッドに追いつこうと必死です。このままだと、いつか体を壊してしまうかもしれません」
「かと言って、練習を休ませるのは逆効果だろうし……どうしたらいいのかしら」
「ふふっ、実はですねぇ」
「?」
「こんなこともあろうかと――じゃん! 作っておきました!」
「げ……」
「『げ』とはなんです『げ』とは」
「い、いえ、昔を思い出しただけよ。……でも、そうね、それはアリかもしれないわね」
「でしょう? きっと咲弥さんも、これで昔のレッドみたいに一皮……いえ、二皮ぐらい一気に剥けてしまいます!」
「はぁ……『これ』のことになると性格変わるわよねあなた……。でも、今回ばかりは賛成だわ。明日さっそく試してみましょう」
「咲弥さん、『これ』で何かを掴めるといいですね。ふふふふふふふふ……」
「単に見たいだけでしょ、もう……」
翌日の夕方。
鐘鳴家のリビングに――一人の格闘家がいた。
そこそこの背丈と、長くも短くもない黒髪。
節々が破れ、袖が無くなっている白の胴着と、額に結んだ赤い鉢巻。腰を括る黒帯に、指先が露出した手甲付きのグローブ。
胴着から伸びて胸元で組まれている腕には、それなりの、筋肉の武装が施されていた。
それは、『彼』が鍛錬を重ねている証。
一人の格闘家として歩んだ、修行の日々の足跡――
「いやいやいや、俺、格闘家違う。筋トレやってるだけだから」
「すっっばらしぃですよ咲弥さぁぁんっ! これはもうどこに出しても恥ずかしくない、立派な男版カトラですぅぅっ!」
「聞こえてないな……」
小さく溜息をつく咲弥。
珍しく――本当に珍しく、愛鈴のテンションが鰻登りだった。
彼女は先ほどから、リビングの中央に立つ咲弥の姿を、手にしたデジカメ――コンデジで、楽しそうにパシャパシャ撮りまくっている。
しかも正面だけではなく、側面や背後から、あるいは浅い角度や高い角度から、三百六十度マルチに撮影し続けている。
中国四千年の歩法を用いたそれは、まるで愛鈴が二、三人に分身しているかのような錯覚を咲弥に与えた。時折、天井に張り付きながらシャッターを切っているような気すらするが、それはさすがに幻覚だろう。
「動き速っ!? ていうか、いい加減、撮りすぎだろ」
「そろそろ次のポーズいってみましょうか! はい、波號の構えどうぞ!」
「話を聞けぇ」
「無駄よ」
咲弥が振り返ると、リビングの端に寄せたソファーに座る、レッドとみちえの姿が。
愛鈴は言うに及ばないが、二人もまたこの状況を、それなりに楽しんでいるようだった。ポップコーンでも囓ってそうな雰囲気である。
被害者――もとい、被写体となっている咲弥は疲れ気味だが。
「こうなった愛鈴はもう止まらないわ。望むように写真を撮らせてあげたほうが、撮影時間は短くて済む」
「せっかく似合ってるんだし、もっとアゲアゲでいこうよさく兄」
「人ごとだと思いやがって……」
「波號拳! はいっ! 波號拳!」
「うるさいなぁ!? わかったよ! やればいいんだろ!」
やれやれと思いながらも、咲弥はとりあえず愛鈴に従うことにした。
(一応は俺を心配してやってくれてることだしな。にしても……)
普段の柔和な笑みではない、あどけない少女のような、弾ける笑顔の愛鈴。
彼女が撮り続けているのは、カトラの衣装に身を包んだ咲弥。
(まさか愛鈴の趣味が、コスプレだったとは)
三カ国語を操り、中国四千年の技術をその身に宿し、およそ大抵のことは軽々とこなしてしまうレッドの優秀なマネージャー、李書愛こと愛鈴。
そんな彼女が熱狂的にどハマりしている唯一の趣味。
それがコスプレなのだ。
今日の放課後のこと――
咲弥が帰って来るなり、玄関で彼を迎えた愛鈴は笑顔で言った。
「Let's cosplay!」
「は?」
「一起角色份演吧!」
「え……え?」
「おや? 『え』と『え』で『ええ』。つまり合意と見てよろしいですね?」
「あ、あれ? なんか愛鈴が怖いんだが……。俺なんかしたか?」
「カモン! みっちぇ!」
「ははっ!」
「のわっ!? いたのかみちえ……って、その包みはなんだ?」
「ふっふっふ、これはさく兄を天国へと導くために作られし、天上の衣だよ」
「わかった。ヤバいものなんだな」
「愛鈴が一晩でなんとかしてくれました」
「えっへんです。正確には一週間と少しですが」
「レッドー、格ゲーやろうぜー」
「逃がしません」「せん」
「うわっ!? こ、こら! 離せ! 俺をどうする気だ!?」
「お部屋に連れて行くだけですよ」「よ」
「おまえら乱暴はやめろ! 俺はほら、足がこんなだから、な?」
「心配ご無用。咲弥さんはこれから一人の格闘家に生まれ変わるのです」「です」
「い、嫌だ、なんか愛鈴の目が嫌だ! レッド……レッドぉ!」
「私はジミヘン。地味で変な女の子。だから、咲弥を助けるなんて派手なマネは無理……ふふふふっ……」
「根に持ってたのかよ!?」
というわけで、咲弥はコスプレさせられた。
ずいぶんと強引だったが、話を聞いてみると、これには真面目な理由があった。
「あなた、最近ちょっと無茶しすぎよ。練習熱心なのはいいことだけど、ちゃんと体もいたわりなさい」
「何事もバランスが大事だと思います。このあたりで息を抜いて、クールダウンされてはどうでしょう?」
「気分転換で気分爽快! ゲームはちゃんと楽しまなきゃね。最近のさく兄ってば、格ゲーやってる時、眉間に皺が寄ってるよ?」
皆、咲弥の体を心配してくれていたのだ。
そしてもう一つ、こんな理由を愛鈴とレッドが語る。
「実は昔、レッドも格ゲーで伸び悩んでいた時期がありました。その時に、息抜きになればと思って提案してみたんです。使うキャラのコスプレをして練習してみたらどうでしょう、と。自分は単に、レッドのコスプレ姿が見たいのと、彼女の気分転換になればというのと、それしか考えていませんでした。でも――」
「意外と効果があったのよ。コスプレして格ゲーの練習なんて、普通やらないでしょ? だから、いつもなら絶対に思い浮かばないようなアイディアが生まれたり、今まで気付かなかったことに気付けたり……。とにかくいろんな意味でいい刺激になるから、騙されたと思って一度試してみなさい」
だそうだ。
(コスプレして練習すると一皮剥けるなんて、にわかには信じがたいな)
ひょっとしたら自分を休ませようとして、それっぽい嘘を言ってくれているという可能性もある。
(ま、それならそれでいいか。何か発見できれば儲けもんだし。それに……)
いつの間にか自分は、皆に心配をかけていた。
その部分は反省すべきことなので、今日は甘んじてコスプレを受け入れよう。そして、たまにはまったりと格ゲーをプレイしてみよう。
そう思う咲弥だった。
「……いや、でもこれ、ちょっと恥ずかしいぞ?」
撮影会が終わった後。
リビングに展開されているのは、いつもの光景だ。
ソファーに並んでセルⅣをプレイする、咲弥とレッド。
夕食の準備に勤しむ愛鈴(時折、咲弥を見て微笑んでいる)と、手伝いをするみちえ。
それは、普段となんら変わらない風景――のはずなのに、咲弥のカトラコスだけがどうしても浮いている。
「恥ずかしいと思うことも、気分転換の一つよ。普段とまったく同じ気持ちで練習したんじゃ意味ないでしょ?」
「そうかもしれんが、俺だけコスプレしてるってのはどうも……」
「あら、あなただけじゃないわよ? 愛鈴なんて二十四時間常にコスプレしてるじゃない」
「は?」
咲弥は思わず背後を振り返る。
そこにはいつも通り、執事服で家事をこなす愛鈴の姿があった。
執事服で。
「ま、まさかあれは、コスプレなのか?」
「そう。何年か前に流行ったアニメ――『プラネッタ・カッフェ』って作品に登場した、鈴森古金ってキャラのコスプレよ。ちなみにあの長い三つ編みも、鈴森古金の真似をしてるの。愛鈴って愛称も鈴森の鈴から取ってるみたいね」
「はぁー、そうだったのか。俺はてっきり、愛鈴が仕事のために用意した服か、おまえの趣味かのどっちかだと思ってたんだが……」
もう見慣れたとは言え、初対面時のインパクトはやはり大きかった。
なぜに執事服? という忘れかけていた疑問が、思わぬタイミングで解けた咲弥だった。
「私は愛鈴に何かを強要したりしないわよ。全部、あの子が好きでやってるだけ」
「とすると、愛鈴は本当にコスプレが好きなんだな。この衣装も手作りなんだろ?」
咲弥は膝上のアケコンをどけ、改めて自分の纏うカトラコスを観察してみる。
しっかりとした生地に、まったく隙の無い縫い目。
不断の格闘家というカトラのコンセプトを表現するために、それらしい破れや汚れも完璧に再現されている。特に、手甲の使い込まれた感じなど、芸術性すら滲み出ている。
「これ絶対プロ級だろ」
「そうね。あの子、もう着なくなったりしたコスを、たまにネットオークションに出品してるのよ。そうすると、十万円以上の価格までは余裕でいくわ。一回だけ百万円以上の値で落札されたこともあったし」
「マジか!? すげぇな」
「本人は単純にコスプレが好きなだけだから、商売っ気を出すつもりはないみたいだけど……。あれは今すぐにでも独立できる腕ね」
「はぁー……」
自分が着ている衣装の価値が分かり、咲弥は思わず感嘆の声を漏らした。
(こ、これ、俺のために用意したオーダーメイドとか言ってたよな……。やばい、なんか緊張してきたぞ)
オークションに出せば十万円以上は固く、場合によっては百万円以上での落札……。
練習どころではなくなってしまった咲弥たった。
(こんなんで成長のためのいいアイディアなんぞ浮かぶか! ……と、そう言えば)
コスプレでの練習には思わぬ効果があった、と告げたレッド。
それすなわち、レッドもまたコスプレを経験済みという意味である。
「おまも愛鈴にカトラコスさせられたのか?」
「へ!? ……あ、ええ、そうね。カトラコスだったわ、うん」
「?」
一瞬、レッドがかなり狼狽したように見えたが、もう確かめようがない。
(まぁいいか。……にしても、使用キャラのコスをして練習してみては? なんて、趣味丸出しの提案だよなぁ。いくらレッドのことを心配したとは言え)
きっと当時のレッドも、いやいや叫びながら無理矢理、強引に、カトラのコスプレをさせられたのだろう。
(ふむ、レッドのカトラコスね……)
あまりアクティブなイメージの湧かないレッドが、鉢巻なんか巻いて、ノースリーブの胴着に袖を通して『波號拳!』とか。
それはちょっと、見てみたいかもしれない。
想像してみたが、なんだかギャップがあってかわいらしい。
「なぁ、おまえも一緒にコスプレしないか?」
「はぁ!? 何よ急に!?」
「? ……どうした? なんでそんなに慌ててるんだ?」
「べ、別に慌ててなんかないわよ」
とは言うものの、頬には赤みが差しているし、目線は咲弥から逸らしっぱなしだし、誰がどう見てもレッドは動揺している。
「一緒にコスプレって、どうしてまた急に……」
「いや、見てみたいなと思って。おまえも前に、愛鈴から衣装もらったんだろ?」
「もらったけど……でも嫌」
「なんでだよ? いいじゃないか、一緒にセルⅣをコスチュームプレイしようぜ? 俺ばっかりこんな姿なのも不公平だろ?」
「今日はあ・な・たの気分転換! 私がコスプレする意味はまったく無い!」
「いやいや、師匠の衣装も変えてより斬新な環境を整えることにより、何かすごいことを悟れるかもしれない。俺の弟子としての勘がそう囁いている」
「だ、ダメ! ほんとにダメ!」
「そんなこと言わずにだな――」
「絶・対・に・嫌!」
咲弥としてはちょっとした提案のつもりだったのだが、顔を真っ赤にして頑なに拒絶するレッド。
(少しカトラの格好するぐらい、別にいいじゃないか。現に俺はやって見せてるってのに……。くそぅ、なんか意地でも見たくなってきたぞ)
しかし、このまま頼み続けても平行線だろう。
(いったいどうすりゃ……そうだ!)
突如、咲弥の脳裏に素晴らしいアイディアが飛来した(←これがコスプレ効果かどうかは定かではない)。
「だったらセルⅣで勝負だ! レッド!」
「え? 勝負?」
途端、レッドはきょとんとした顔になる。
「ああ。俺が勝ったら今日一日、おまえはコスプレをして俺の練習に付き合う。逆におまえが勝ったら……そうだな、肩でも好きなだけ揉んでやろう。これでどうだ?」
「私は別にいいけど、でもあなた、わかってる? 私に勝つってすごく大変よ? というか、言っちゃ悪いけど今の段階ではありえない」
「理解してるさ。……そこで、今回は俺とおまえが対等に戦うために、特別ルールを使用させてもらう」
「特別ルール?」
「そうだ」
咲弥は意気揚々と、レッドに説明し始めた。
まず、いつもは二本先取のルールでやっている勝負を、一本先取――つまりはラウンド一発勝負にする。
そして、レッドの体力を通常の25パーセント(約二五〇)に変更して対戦スタート。
「なるほど……私の体力を減らして一発勝負にすることで、大胆な行動を制限する、か。ウルコンなんか喰らったら確実に死んじゃうし、これなら互角に戦えるかも、ってわけ?」
「ああ。どうだ? これで実力差が埋まるとは思えないが、なかなかおもしろい勝負になりそうだろ?」
「ふっ……私も舐められたものね」
「おお?」
不意に、レッドの纏った空気が変わる。
怒りとはまた違う、凄みのある剛胆な雰囲気に。
「去年、スリランカで行われた大会を知らないかしら? 私はその決勝トーナメントでビーネ……ビネガと当たったのよ。そして最終ラウンドで、残り体力が一〇〇程度というピンチに追い込まれた。ビネガはまだ体力マックス。だけど、私は逆転勝利した。……この意味がわかる?」
言って、レッドはうっすらと笑った。
初心者を相手にするのに、体力25パーセントのハンデなどまったく問題ない。
きっとそう言いたいのだろう。
プロのオーラを纏って圧力をかけてくるレッドに、咲弥は思わずたじろいだ。
「ま、まぁ、俺なりにがんばるさ。……というわけで、条件は飲んでくれるんだな?」
「もちろんよ。万が一負けるようなことがあったら、コスプレなんていくらでもやってあげようじゃない。なんならお望みのポーズだって取ってあげるわよ?」
「なにぃ? 言ったなこの野郎」
ゲームに関しては負けん気の強い咲弥とレッド。
相乗効果が働いて、どんどんヒートアップしていく。
「だったらアレだ、挑発ポーズ。各キャラ何種類か用意されてるだろ? あれを最初から最後まで全部やってもらおうか」
「いいじゃない、やってあげるわ。その代わり私が勝ったら肩揉みだけじゃなくて、全身くまなくマッサージしてもらおうかしら」
「おうよ、やってやる。おまえが勝ったらな」
「勝つわよ」
「わからんぞ?」
至近距離で一瞬睨み合い、互いに「ふっふっふ」と不敵な笑いを零す二人。
「あいりーんっ! 来て来てっ! なんかおもしろいことになってる!」
「どうしました?」
ちゃっかり二人の話を聞いていたみちえは、愛鈴にも事の次第を説明する。
こうしてレッドのコスプレを賭けた勝負は、二人の立ち会いの下で行われることになった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。
始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。