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Second Stage -Round 3-

「さく兄!」

「みちえ……」

 愛鈴の運転する車で帰宅したのが、午後十一時を過ぎた頃。

 玄関扉を開けた瞬間、咲弥の胸にみちえが飛び込んできた。

「バカバカバカ! ものすごく心配したんだから!」

「すまん、さっき電話で言った通りだ。ちょっと、ガラの悪いやつらに絡まれちまってな」

「もうっ!」

 みちえは涙を滲ませながら、ぎゅっと咲弥を抱き締める。

「さく兄にまでいなくなられたら、みっちぇ……」

「……安心しろ。俺はどこにも行かない。ずっとおまえの傍にいてやる。だから、泣くな」

「う……」

 そこで、限界が訪れたのだろう。

 みちえは咲弥の胸に顔を埋めて、小さく嗚咽を漏らし始めた。

 やがてそれは、滂沱と呼べるほどの大泣きへと変わった。

「さく兄が……さく兄が無事で良かった……ほんとに良かった……うわぁぁぁんっっ!」

 咲弥もみちえの背中に手を回し、その頭を優しく撫で続ける。

 そんな様子を、レッドと愛鈴が微笑みながら眺めていた。



「みちえさん、お休みになりました」

「そうか。いっぱい泣かせたからな。疲れたんだろう」

 みちえが落ち着いたあと、咲弥はリビングのソファーに座って上半身裸になり、レッドから傷の手当てを受けていた。

 みちえの面倒を見ていた愛鈴もそれに加わり、左右から二人がかりで看護される。

 レッドが傷周りの汚れを霧吹きの水で流し、愛鈴は腫れた部分に湿布を貼っていく。

 消毒は行わない。その代わり、細かい傷にはハイドロコロイド材を用いた最新式の絆創膏を貼っていく。いわゆる閉鎖湿潤療法というやつだ。

「咲弥、明日は病院に行きましょう」

「平気だ。骨はどうにもなってない。動かした感じでわかる」

「でも――」

「大丈夫ですよレッド。咲弥さんの体、とてもしっかりしてます。キズパワーと湿布だけで問題ないでしょう。……それにしてもいい筋肉……」

「おい愛鈴、さっきから同じところばかり触ってないか?」

「はっ!? し、失礼しました!」

「……しかしおまえ、めちゃくちゃ強かったな。尋常じゃない身のこなしだったぞあれは。まるで格ゲーそのものだ」

「あ、あははは。小さな頃から祖母に仕込まれてまして……」

「見た感じ、中国拳法みたいな感じだったが」

「あ、そうです。故郷に縁のある武術なんです」

 照れくさそうに語る愛鈴。

 その表情は愛嬌に溢れていて、先ほど不良たちを蹴散らした時の雰囲気は微塵もない。

「俺も昔、少しだけ空手をやってた。だからなんとなくわかるんだが、相当修行してるだろおまえ。それこそ漫画かってぐらいに。じゃなきゃ、あんな動きは無理だ」

「た、嗜む程度ですよ」

「嗜む程度っておまえ……まぁいい。で、どっかの大会に出たりはしないのか?」

「えぇ!? 大会だなんて恐れ多い! 祖母の足下にも及ばない自分が、格闘技一本で食べてる人たちにかなうわけありませんよ!」

「おまえの婆ちゃんすごいな!?」

 あれで足下にも及ばないとなると、もはや化け物じみた像しか浮かんでこない。

「婆ちゃん、波號拳とか撃てたりしないよな?」

「い、いえ、さすがにそこまでは」

「だよな。安心した」

「でも祖母と組み手している時、どう考えてもリーチ外の距離なのに、見えない攻撃で吹き飛ばされることがあるんです。あれはいったいどうやってるのかなぁ?」

「……」

 あまり深く突っ込むと怖くなるような気がしたので、咲弥は追求をやめた。

 と――

「いつっ!?」

 咲弥の左こめかみに、鋭い痛みが走った。

 思わず左に視線をやると、そこには笑顔で霧吹きとタオルを構えるレッドが。

「ごめんなさい。傷に触れてしまったようね」

「いや、大丈夫だ。それより手間かけさせるな」

「いいのよ」

「ところで愛鈴、さっきゲーセンでおまえが現れた時だが――いっつっ!?」

 また咲弥のこめかみが痛む。

 原因はやはり、レッドのようだ。

「何度もごめんなさい」

「い、いや、いいんだ」

「……? あの、レッド? 傷を洗うのが難しいなら、自分と交替しますか?」

「あなたは黙って湿布を貼ってなさい愛鈴」

「は、はいぃ!」

 口調は普段と変わらないが、なぜかやたらドスの聞いた声で命じるレッド。

 そんなレッドが恐ろしかったのか、愛鈴は口を開かなくなった。

(さては……)

 咲弥はあっさりと気付く。帰宅して落ち着いてから、自分が愛鈴ばかりを褒めていたので――と。

(愛鈴の立ち回りに興奮していろいろ聞いちまったが……そうだよな。そもそも最初に俺を助けてくれたのは、レッドなんだよな)

 咲弥は心の中で苦笑する。

 これ以上彼女の機嫌を損ね、傷口を広げられたりしてはたまらない。

「レッド」

「! ……な、何かしら?」

 レッドの顔が一瞬パァーッと明るくなったが、次の瞬間には無理矢理いつもの表情に戻し、本当に「なんの話があるのかしら?」といった風を装った。バレバレだが。

 咲弥はそんなレッドに言った。

「今日は、おまえのおかげで助かった。危うく病院行きか文無しになるところだったよ。改めて、ありがとう」

「い、いいのよ別に。人として当然のことをしたまでだわ」

「愛鈴も、ありがとう」

「……え、私はもう終わり……?」

「あはは、どういたしまして。咲弥さんがご無事で何よりです」

「二人には本当に世話になったな。……ところでレッド、今、何か言ってなかったか?」

「い、いえ、何も」

 どこか不完全燃焼な感じのレッドに、咲弥はくすりと笑ってしまった。

 きっと彼女は、自分にもっと褒めてほしいのだろう。

(テレビのイメージと違う……ってのはわかってたが、意外とかわいいやつだな)

 やがて、咲弥の治療が終わる。

 後片付けを引き受けた愛鈴は、使ったタオルを持って洗濯機のある脱衣所へ行った。

「これ」

「さんきゅ」

 レッドに上着を手渡された咲弥は、すぐにそれを着て、それから不意に言う。

「おまえのカトラ、本当にすごかった」

「!」

「ほんの少しセルⅣを触っただけの俺でもわかる。……おまえは強い。あんな女じゃ比べものにならないぐらいな。おまえの動きに魅せられて、マヌケみたいに口を開けっ放しにしちまったよ」

「ど、どうも……」

 レッドの頬に朱が差していた。

 咲弥の賞賛がまったく予想外だったのか、隠そうともしない。

 だが、しばらくしてからハッとなり、慌てて顔を背ける。

「ま、まぁ? 相手はちょっとセルⅣ触ってるぐらいのレベルだったし? プロが負けるわけないわね」

「ああ。本当に、少しも危なげがなかった。聖地祭第三位の実力を俺に拝ませてくれて、ありがとう」

「ううん、どうってことないわ」

 レッドは腕組みをして、わざわざそっぽを向きながら言った。

 もし彼女にしっぽが付いていたなら、パタパタ荒ぶっていることだろう。

(本当に、ありがとな)

 咲弥は心の底からレッドに感謝するのだった。

 その後、愛鈴の淹れたお茶を三人で飲みながら、リビングでしばし歓談に耽る。

 咲弥はレッドと愛鈴から、みちえとの出会いのエピソードを聞いた。また自分は、事故後にどうやって立ち直ったかなどを話した。

 そして――

「ねぇ、咲弥」

「なんだ?」

「私と一緒に、セルⅣをやってみない?」

「!」

 話に区切りが付いたその瞬間、おもむろにレッドが切り出す。

 真剣な話になると予測して緊張したのか、愛鈴は黙って二人の会話を聞いていた。

「一緒にセルⅣをってのは、昼間の話か?」

「ええ。今日はあんなアクシデントがあったけど、私の気持ちは変わらない。私はやっぱり、あなたにセルⅣのパートナーになってほしい」

「……」

 レッドの気持ちが本物であることは、既に分かっている。

 だったら自分も、本気で考えた、その結論を話そう。

 遅かれ速かれ、このことについてはまたレッドと話す時が来る。そう予見していた咲弥は、帰り道――愛鈴の車の中で、考えを纏めていたのだった。

「俺は――」

 真顔のレッドと表情を強ばらせた愛鈴が、咲弥に注目する。

 そして、咲弥は言った。

「俺はやっぱり、おまえのパートナーにはなれない」

 ショックだったのか、愛鈴が愕然とした顔になった。

 しかし、レッドは変わらない。

「それは、昼間と同じ理由で、ということ?」

「……少し、変わった」

「?」

「おまえの戦いを見て――」

 圧倒的な強さ。

「やっぱりどんな世界でも、てっぺん近くは凄まじいレベルだってわかって――」

 別次元の動き。

「おまえが本気で俺を誘ってくれてるんだって知って――」

 情熱的な眼差し。

「足、引っ張れないなって」

 咲弥は頭の後ろに手を回しながら、たははと苦笑した。

「そんなことを考える必要はないわ。あなたがセルⅣをプレイしたのは、今日が初めてなんでしょ? あなたが本気を出せば、絶対にうまくなる。それこそいつか、私を凌駕するほどに」

「ありがとよ。でも、おまえの話がほんとだったとして、そのいつかは明日あさっての話じゃない」

 何年かかるのだ? いや、ともすれば何十年?

 本当にそれぐらいの時間がかかることが、あり得る。

 だから結論として、やはり――

「俺じゃ、無理だ。今から新しいことに挑戦して、途中で投げ出したり、心が折れたりしないって自信がまったく無い」

 咲弥はとうとう白状した。

 昼間は話せなかった、レッドの誘いを断った本当の理由を。

「俺は、怖いんだ」

「怖い?」

「ああ。一生懸命がんばっても、また事故に遭ったり結果が出せなかったりして、全部無駄に終わっちまうんじゃないか、って。俺がもう一度ゲームを始めたら、きっとみちえなんか、大喜びしてくれる。そんな人たちの期待に、応えることができないんじゃないか、って。……どうしてもそう考えちまうんだ」

 やりたいけど、でも怖い。

 怖いから、やらない。

 やらないけど、でもやりたい。

 以下同文……以下同文……。

 レッドと愛鈴は、咲弥の言葉を黙って聞いていた。

「そうそう、さっき、カトラを動かした時にさ、豪龍拳が出ないんだ。笑っちまうだろ?」

 言いながら――

(あ、れ……?)

 どうしてだろうか、と咲弥は疑問に思う。

 今、ようやくレッドに本心を打ち明けることができて、楽になっているはずなのに。

 どうして自分はこんなにも、俯いている?

 どうしてレッドや愛鈴と、目を合わせることができない?

「アーケードのレバーで格ゲーやったのは初めてだけどさ。もっとこう、溢れ出る才能というか、そういうの欲しかったよな。いきなりあの暴力女を倒しちまうぐらいの。そしたら俺も、おまえの誘いに乗ってやれたかもしれないのに」

 俯いて、テーブルだけを見つめていた咲弥の視界が、徐々に滲んでいった。

(涙? ああ、そうか……)

 自分は、悲しいのだ。

 レッドの誘いがすごく嬉しくて、本当はまたゲームを始めたいと思っているのに。

 かつてプロとして活躍した彼の経験が、それがどうしようもないくらいに無謀であるということを、理解してしまっているから。

(ちくしょう……)

 咲弥は必死で涙を堪え、俯いたまま、口調だけは明るく言葉を放ち続けた。

 しかし心の中は、嘆きで満たされていた。

(俺に夢を見させないでくれよ、レッド……)

 夢想してしまう。

 いつか降り立ったあの聖地祭で、そのステージで――

 会場中の客とカメラに見守られながら、共に優勝を目指して奮闘するレッドと咲弥の二人。

(覚めた時に悲しくなる妄想を、させないでくれ……)

 そんな未来は無理だ。

 そんな未来は来ない。

「咲弥さん……」

 いつしか俯いて黙り込むだけとなった咲弥を、愛鈴が心配そうに見つめた。

 愛鈴は咲弥がどのようなことを考えているのか、薄々、気がついている。

 そして今、必死で感情を殺している彼に、どういった言葉をかければいいのか一生懸命考えている。

「今日――」

「……なんだ?」

 唐突に口を開いたレッドに、咲弥は顔を上げぬまま応えた。

「今日、あなたがゲーセンに行ったのは、どうして?」

「……わからない」

 咲弥は本当のことを話した。

「おまえに誘われて、実はすごく嬉しかったんだけど、同じぐらい悲しくて……。気がついたら、足があそこに向かってたんだ。それで、ちょっとだけセルⅣを試してみようと思って……。ま、結果として、おまえたちに迷惑かけることになっちまったんだがな」

「それで?」

「え?」

「セルⅣは、楽しかった?」

「!」

 セルⅣは、楽しかったか。

 そんなことはもう、考えるまでもない。

 咲弥は勝負に負けたが、それでも――

 しかし。

「やめてくれ……」

 限界だった。

 レッドはどうして、そんなことをわざわざ口に出させようとしているのか?

「俺は、無理なんだよ。何を感じても、何を思っても、二度とプロになんかなれないんだ」

「なぜ?」

「おまえにわかるかよ……」

 咲弥の声が、どんどん小さくなっていく。

「おまえみたいに元から格ゲーがうまいやつに、下手くそなやつの気持ちなんてわかるか。越えなきゃいけない壁が山ほどあって、それを越えられたとしても、絶対にプロになれる保証があるわけじゃない。それなのに――」

 なれるものならプロになりたいし、聖地祭にも行きたい。

 だが、そう簡単になれるものではないし、行ける場所ではない。

 レッドが自分に行っているのは、とても残酷な行為だと、咲弥は思った。

「今さら俺に、希望なんか持たせるなよ……」

 それは、レッドの好意を無視した、酷く自分勝手な言い分だとわかっていても。

 咲弥はそう言わずにはいられなかった。

 しばらくの間、重たい無言の時間が続く。

「み、みちえさんの様子を見てきますねー……」

 空気に耐えられなくなったのか、あるいは気を遣ったのか、愛鈴は二階へ退場していった。

 やがて、咲弥が口を開く。

「悪かったな、おまえの期待に応えられなくて。わざわざ帰国してもらったのに」

 その口調は、とても弱々しい。

「やっぱ俺は、もう純粋な気持ちでゲームを楽しめないみたいだ。いろんなしがらみとか不安とか気にしちまって、昔の俺みたいにはいかない。普通の学生、やるしかないみたいだ」

 勉強して、学をつけて、就職して、世話になった人たちに恩返しする。

 だけどそれが――

 またゲームを始めて、プロになって、聖地祭に行って、世話になった人たちに恩返しする。

 こんな未来だったなら、どんなに良かっただろう。

 でも、それは無理な話なのだ。

 咲弥がどれだけ思っても、きっと。

「こんなことになるなら――」

 そして、咲弥はそれを、口にしてしまう。

 かつての彼ならまず考えられなかったであろう、その台詞を。

「ゲームなんか、始めなきゃ良かったんだ」

「!」

 レッドの瞳が大きく見開かれた。

 だが、咲弥はそれに気付かないまま、俯いて言葉を放ち続ける。

「全部、無駄なことだったんだよ。ちょっとした趣味ぐらいにしとけば、こんな思いを味わうこともなかった。おまえに迷惑をかけることもなかった。ゲームを好きになったりしなければ……ゲームを楽しんだりしなければ――」


「シャァラッッパッ!」


「っ!?」

 どんどん曲がっていった咲弥の背中を――

 レッドの一喝が、ぴしゃりと垂直に戻した。

 急に鋭い言葉を放ったレッドに、咲弥は目を丸くする。

(……?)

 なぜだろうか?

 咲弥は今、なぜか。

 とても懐かしいものを見ているような……。

(なんだ、これ?)

 うまく思い出せないのだけれど。

 以前にも、こんなことがあったような……。

 と――

「背筋が曲がってる人間は――」

 レッドがゆっくりと立ち上がり、咲弥をまっすぐ見つめながら、言う。

「背中の傾斜角度分、人生を損してると思う『ぜ』?」

「……!」

 咲弥はその、レッドらしからぬ口調の台詞に覚えがあった。

 自分がそれを発したという記憶があった。

 あれは、いつのことだったろう?

 確かに咲弥は、どこかでそんなことを言っていたのだ。

 それは誰に対してだ?

(そうだ、あれは……あいつは――)


――あなたみたいにゲームがうまい人には、へたくそな人の気持ちなんてわからないんです。どれだけ練習してもうまくならないし、人には馬鹿にされるし――


――やっぱりプロと対戦なんて、するんじゃなかった……。ゲーセンに寄ったのも失敗……ううん、そもそもゲームなんて始めるんじゃ――


 お下げ髪で、メガネで、膝丈のスカートで。

 附属中学の生徒のくせに、格闘ゲームが好きで、ネガティブで。

 地味で変な女の子だった。

 だから咲弥は、その少女にあだ名をつけてやった。

 たった一度だけ、偶然にもゲーセンで巡り会った、その少女に。

「お、おまえ……」

 レッドを見上げる咲弥の声が、震えていた。

「おまえ……ジミヘンか?」

 レッドはその問いに――

「うん、そうだよ、咲弥」

 うっすらと微笑みながら、答えた。

「ほんと、かよ……」

 咲弥には、信じられなかった。

 なぜならジミヘンとレッドのイメージが、まったくかけ離れているからだ。

「だ、だってジミヘンは、地味で、変なやつで……」

「だからがんばったんじゃない」

 ちょっとムッとした様子で、ジミヘン――レッドが言う。

「次に会った時、バカにされないようにしようって思ったの。あなたに言われたとおり、メガネと三つ編みはやめてみたわ。それに、ちゃんと特訓もしたんだから」

 どこか遠くを見つめるような、懐かしむような彼女の目。

「変わりたかったから。変わった私を見てもらいたかったから。鏡の前で、自分に言い聞かせた。なりたい自分をイメージしながら、何度も何度も、話しかけた。……『私は変われる』」

「お、おまえそれ……」

「何を驚いてるの? 教えてくれたのはあなたじゃない。……血反吐が出るほど大変だったけどね。ジミヘンをレッドに変えるのは、意外と骨が折れたわ」

 あははと笑うレッドを、咲弥は呆然と眺め続けた。

 未だに信じられないのだ。

 あの、自分に自信の無かったジミヘンが、こうやって堂々と言葉を放つレッドと、同一人物だということに。

 しかし――

(俺があんな言葉をかけたのは、ジミヘンだけだ)


――なんでおまえ、そんなに自信無いんだ? もっと胸を張って堂々と生きてみろよ。背筋が曲がってる人間は、背中の傾斜角度分、人生を損してると思うぜ?――


――自分に言ってやれ。『私は変われる』。なりたい自分をイメージしながら何度でも。『私は変われる』。飽きるまで、時間が無くなるまでやればいい。『私は変われる』――


 ならば、それを知っているレッドこそ、間違いなくジミヘン。

 ジミヘンだったのだ。

「にしたって、変わりすぎだおまえ。きよらでさえこんな……」

「知らないわよそんなこと。私はただ、明るくて前向きな自分を目指しただけ。文句ある?」

「い、いや、文句はないし、それにすごいことだと思う」

 自分の性格を矯正するなど、並大抵の努力で達成できることではない。先ほど彼女が言っていた通り、それこそ血反吐が出るような訓練を積み重ねて、さらに重ねて、また重ねて――ジミヘンはレッドへと変わったのだろう。

「がんばったなおまえ……。ほんとにマジで、すげぇがんばったな……。どうして、最初に言わなかった?」

「気付くかなと思って。でも、さすがに変わりすぎてたみたいね」

「ああ。まったくわからなかった」

「じゃ、成功だわ」

 レッドはいたずらを完了させた子供のように、くすりと笑う。

「ねぇ、昼間に私が言った言葉、覚えてる?」

「昼間?」

「あなた、セルⅣ2オン2にどうして自分を誘うのかって聞いたでしょ? で私、それに答えたじゃない?」

「ああ。セルⅣが好きで、2オン2もやりたいだけだって――」

「あれは嘘なの」

「なに?」

「本当の理由は――」

 レッドはテーブルの外側を回って咲弥に近づき、彼の両手を取りながら、言った。

「あなたと聖地祭の舞台に立って、約束を、果たしたかったから」

「!」

 約束。

 それは、かつて二人が別れ際に交わした誓い。


――俺と約束しよう、ジミヘン。おまえは今日から格ゲーを楽しみまくって、自分を変えて、聖地祭の選手を目指すんだ――


――聖地祭? 私がですか?――


――アホ。おまえ以外に誰がいるよ。……んで、おまえはそのまま格ゲーの種目で、ゲームはなんでもいいから、とにかく入賞する。そしたら表彰式で、俺と会える。その時に――おまえの『ちゃんとした名前』を教えてもらおうか――


「ちゃんとした、名前……」

「うん。覚えててくれたのね」

 レッドが嬉しそうに微笑む。

「私、今までこの約束があったから、がんばってこれた。辛いこともたくさんあったけど、もう一度あなたに会うために、必死で努力した。あなたが事故に遭ったってニュースを聞いた時は血の気が引いたけど、それでもあなたなら、絶対に復活するって信じてた」

「……すまん」

 約束を持ちかけたのは、自分なのに。

 レッドは約束通り、聖地祭で入賞を果たしたというのに。

 なのに、自分は今、こんな……。

 咲弥はまた、レッドを直視できなくなってしまった。

 だが、レッドは少しも気にしたような素振りを見せない。

「違う、あなたは何も悪くない。交通事故って不運のせいで、一時的に自信を失ってるだけ。……私、まだあなたが復活するって信じてるわよ?」

「!」

「一緒に格ゲーをやりましょう」

「レッド……」

 彼女の瞳には、やはり微塵の曇りもない。

「あなたにはまた、聖地祭の舞台に立ってもらいたい。だって約束でしょ? そうしなきゃ私、あなたに本当の名前を教えられないもの。……だけど、あなたはもうジャンレボができなくなっちゃったから、どうしたらいいかって考えた時に、閃いたの」

「……おまえが俺にセルⅣを教えて、一緒に聖地祭で入賞すればいい、ってか?」

「その通りよ。私が一番やり込んでるのはセルⅣだし、ちょうど2オン2もあるし、一石二鳥じゃないかしら? 私が付きっきりで教えたら、すぐに上達するはずよ」

「おまえなぁ」

 あまりにも短絡的すぎる。

 それではまるで――かつての自分だ。

「俺が断るとは思わなかったのか? いや、現に断ってるわけだが……とにかく後先考えなさすぎだぞ」

「え? まだ断る気なの?」

「あ、ああ」

 レッドが実はジミヘンだとわかり、懐かしい気持ちになった。約束のためにわざわざ自分を訪ねてきてくれたことも、嬉しく思う。

 だが、現状は少しも変わっていないのだ。

「何度も言うが、おまえの足を引っ張るだけで終わっちまう。俺が今さらゲームをプレイすることなんて、無駄なあがきでしかないんだ。一生懸命ジャンレボやってたのが、全部無駄になっちまったみたいに――」

「無駄になんかなってないわ」

 レッドの力強い言葉が、咲弥のネガティブな台詞を遮った。

「あなたが精一杯ゲームを楽しんだその経験が、無駄になんてなるはずがない。言ったでしょ? それさえあれば、あなたは世界を獲れる。それに――」

 レッドは咲弥にぐっと顔を近づけながら、真摯な瞳で言った。

「あなたの努力があったから……あなたの言葉があったから、今の私がいる」

「!」

「あなたがやってきたことは、決して無駄なんかじゃない。それを否定するということは、それによって生み出された私をも否定するということよ?」

 確かに――

 咲弥がジャンレボを極めていなければ。

 ジャンレボを世界一楽しんでいなければ。

 ジミヘンに、あんな言葉をかけることもなかっただろう。

 ジミヘンが、レッドに変わることもなかっただろう。

 だとすると――

「俺の、努力は……」

 そうだとすると――

「俺の努力は、無駄じゃなかった……のか?」

「もちろん」

 咲弥が呆然としながら放った問いに、レッドは即答した。

 その答えの意味を、咲弥は噛み締めるように考える。

「そう、か……。俺がやったことは、無駄じゃなかったのか……」

「当たり前じゃない」

「無駄じゃ、なかったのか……。無駄、じゃ……」

「……ええ」

「は、はは」

 咲弥には、無理だった。

 堪えることなどできなかった。

 レッドの『無駄ではなかった』という言葉に救われて――自然と涙が頬を伝うのを、止められなかった。

「お、おっと。まいったな……」

「堪えなくていい」

 レッドが椅子に座った咲弥を、ふわりと抱き締める。

 咲弥はレッドの胸に顔を押しつけられ、温かな鼓動を聞いた。

「あなたはとてもがんばったの。それは、事故に遭ったぐらいじゃ無くならない。無かったことになんて、なるはずがない。その努力は、必ずあなたを助ける。これまでも、そしてこれからも、絶対にね。それを確かめられて、安心して出てきた涙なら、好きなだけ流せばいい」

「あはは……」

 咲弥はレッドの胸に顔を埋めながら、無理矢理おどけたように笑う。

「とてもじゃないが、ジミヘンの言葉とは思えないな。……誰に教わった?」

「とあるゲーセンで、とあるジャンレボ世界チャンピオンの人に」

「そうか」

「全部、あなたが教えてくれたこと。……ねぇ咲弥、知ってる? ゲーセンっていうのは、とても楽しい場所なの」

 レッドは咲弥の頭を撫でながら、言った。

「そこに行けば、誰だってヒーローになれる」

「それも……どっかで聞いた台詞だ。よくもまぁ、そんな風にぽんぽん思い出せるもんだな」

「心に刻まれたからね、きっと」

「ははっ」

 しばらくの間、二人は無言になった。

 だがそれは、互いにとって、とても心地の良い時間だった。

「ゲーセンが――」

 ふと、咲弥が口を開く。

「ゲーセンが、誰もがヒーローになれる場所なら、俺ももう一度、なれるかな?」

 こんな自分でも。

 一度は落ちぶれたヒーローでも、もう一度。

「なれるわ」

 レッドはあっさりと、そう答える。

「まずはゲームを楽しみましょう。直感的に、あるいは工夫して、時には運に身を任せて、とことんまで楽しみましょう。楽しんで、楽しんで、楽しむことのスペシャリストになりましょう。そしたら結果なんて、あとからいくらでもついてくるわ」

「そう、だったな」

「ま、ゲームを楽しむということに関しては、釈迦に説法ね。さっきは答えてもらえなかったけど――今日、セルⅣを初めてプレイしてみて、どうだった?」

「……楽しかったさ」

 咲弥は今度こそ、素直に答えた。

 その答えに、レッドは満足そうに微笑を浮かべる。

「でしょうね。昼も言ったけど、あなたぐらいの人間がゲームを楽しめなくなるなんて、そうそうないわよ。『俺はもうゲームなんかしない』とか言って、ベッドの下にはアヴァロニアがぎっしりだったし――」

「待て」

 咲弥はレッドの両肩に手を置いて、顔を離した。

「なぜそのことを知っている? 勝手に入ったのか?」

「か、勝手になんて入らないわよ! みちえに連れられて見せてもらったの!」

「なに? みちえに?」

「そうよ。……あの子、あなたが未だにゲーム好きだって気付いてる。口ではなんと言ってても、本心ではゲーマーに復帰したがってるってこと、見抜いてる」

「みちえ……」

「だからこそ、同じくあなたのことを心配してた私と知り合った時に、相談を持ちかけられたの。『どうすればさく兄は自分に素直になるのかな』って。それで今回、私がここに来ることになった」

「そうだったのか……」

 だとするなら――

「俺はいつまで経っても、あいつの世話になりっぱなしだな」

 姉であるきよらと付き合っている時も、散々アドバイスなどをしてもらっていた。ケンカした時に、仲直りのきっかけを与えてくれたこともあった。


――みっちぇは大変お怒りだよ。……さく兄まで『前方不注意』になってどうするのさ―― 


「よくできた子よね、本当に」

「ああ」

 今度、改めてお礼を言っておこう。

 そう思う咲弥だった。

「それで?」

 しばらくして、レッドは咲弥の隣席に腰掛けながら言う。

「結局どうするの? 私の誘い、まだ蹴るつもり?」

「……」

 咲弥は一瞬だけ、答えるのをためらった。

 だが、もう――

 恐れるのはやめた。

 失敗を恐れるぐらいなら、成功の喜びに向かってがむしゃらに邁進する。

 乙波咲弥とは――Sakuyaとはそういう男だったはずだ。

「……格ゲー、おまえが直々に教えてくれるのか?」

「ええ」

「たぶん、俺は覚えが悪いぞ? めちゃくちゃ迷惑かけるぞ?」

「ええ」

「約束を果たす日が来るまで、何年かかるかわからんぞ?」

「ええ」

 レッドには、もはや少しも不安要素などないようだった。

 こんなにも、自分を信じてくれている。

 だったらそれに――応えねばなるまい。

 応えなくてどうする。

「……やる」

「え?」

「やるよ、セルⅣ」

「ほ、本当に?」

「ああ。最初は苦労することのほうが多いだろうが、よく考えたらジャンレボもそうだったしな。もう一度、がんばってみる」

「ぷ、プロを目指すってことでオーケー? 一緒に聖地祭を目標にするってことで――」

「やるからにはてっぺん狙うだろ?」

「……やった」

 レッドは小さな声で、そう呟いた。

 そして満面の笑みを浮かべ、実に嬉しそうに、小さくガッツポーズするのだった。

「絶対だからね? あとでやめたとか言うのはなしよ?」

「わかってる。おまえこそ、俺が下手くそだからって愛想尽かすなよ? パートナーになれって言ったのはおまえなんだからな?」

「当たり前じゃない。……よし、そうと決まったら、さっそく練習を始めましょう」

「え? 今からか?」

 もう午前零時に近い。

 それに、明日は平日なので普通に学校がある。

 だが――

「なに言ってるのよ。格ゲー初心者なら、覚えなきゃならないことは山ほどあるわ。満足にゲームを楽しめるようになるまで、基礎の基礎から叩き込んであげる」

 こんな風に、きらきらとした目で詰め寄られたら――

 純粋な瞳を向けられたら――

「……ああ、わかったよ」

 苦笑しながらも、咲弥は頷かざるを得ないのだった。

「じゃ、準備するわね。ゲームとコントローラーを取ってくるからちょっと待ってて」

「あ、レッド」

「なに?」

 リビングを出て行こうとしたレッドを、咲弥は立ち上がって呼び止めた。

 そして、こほんと咳払いをしてから言う。

「今までずいぶん迷惑かけたな。そしてたぶん、これからもいろいろ世話かけると思う」

 咲弥が改まっていることに気付き、もう一度、レッドもまっすぐ咲弥に向き直る。

「私、あなたのおかげでここまでこれたの。これからは、一緒にがんばりましょう」

 二人はどちらからともなく右手を差し出して、固く握り合った。

 ふと、咲弥は思う。

(音ゲーの元チャンピオンが、格ゲーのプロと組んで世界を目指すか……)

 なんてチープな匂いの漂う、なんてメルヘンなストーリー。

 だが――

 レッドの熱い瞳を見ていたら。

 彼女の温かい右手を感じていたら。

 不思議とそれが、無理でないことのように感じた。

 なんとかなりそうな、気がした。

「よろしくな」

「ええ、こちらこそ」

 これが――

 これこそが――

 後に2D格ゲー界を震撼させる、驚異のチームが結成された時。

 格ゲー史に名を残す、名コンビ誕生の瞬間。


 ……という事実が明らかになるのは、まだまだ先の話である。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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