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Second Stage -Round 2-

「ギャハハハハッ! 弱ェ! 弱ぇよテメェ弱すぎだよマジ! あんだけアタシに大口叩いてくれちゃってどれだけ強ぇのかと思ったら……ククッ!」

(ちっ。まぁ負けるわな……)

 全身がひりひりと火照っている。

 顔面が腫れ上がっているのがわかる。

 関節を動かすだけで、体中に刺すような痛みが走る。

 殴打に殴打を繰り返され、倒れたところを蹴られ、踏まれ――

(っつ……。好き放題やりやがって……)

 五人がかりで蹂躙された咲弥は、両脇を二人の男に抱えられて、特等席の上で笑い転げる雷華の前に、跪かされていた。

「セルⅣでもだいぶ早漏野郎だったけどさァ……リアルまで一緒かよ。取り柄ねぇなテメェ」

 と、その時。

 足を組み替えた雷華が、偶然にも何かを蹴って、からんと乾いた音が鳴った。

 雷華は自分の足下で転がったそれを、「あン?」と怪訝な表情で拾い上げる。

「ンだこりゃ? 杖?」

「……!」

 それは、咲弥が持ってきた黒塗りの杖だ。

 出かける際にいつも持ち歩いている、第二の人生を歩む上で欠かせない存在。

 昔、事故のわだかまりを乗り越えた琴葉とみちえからプレゼントしてもらった、この世に二つとない大切な杖。

「……返せ」

「アァン?」

「そりゃ俺の杖だ。返せ」

「テメェの? ンだよおい、足腰弱ぇのか? どっか不自由なんか?」

「違う、単なる趣味だ。文句あるか?」

 咲弥のプライドが、嘘をつかせた。

 彼は別に、片足が不自由であることに対して劣等感を抱えているわけではない。

 しかし、自分の意志を曲げずに訪れた結果から、『足が不自由』の一言だけで逃げ延びられてしまうのが嫌だったのだ。

 が――

「趣味ねぇ……ククッ、たいしたやつだなテメェ。敵に弱みは見せねぇってか? 威勢と気迫のわりにゃ弱ぇと思ったぜ。すぐにスッ転んだのもそういうわけか」

 どうやら雷華たちは、咲弥が健常者でないことを見抜いたようだった。それでいて、逃がすつもりもないらしい。

 まぁ、咲弥も無理のある嘘だとは思っていた。貴族でもあるまいに、趣味で杖を持ち歩く高校生がどこにいるというのか。とするならば、咲弥が杖を持ち歩いているのは『必要だから』ということになる。

「ま、だからっつって加減はしねぇけどな。アタシらは相手が誰であろうと、ケンカ売ってきた野郎を平等にボコる。それだけだ。杖突きでケンカ売ってきたのはテメェが初めてだが」

「いいからさっさと返せ」

 咲弥の表情を見て何を思ったのか、雷華はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「テメェよゥ、人様にものを頼む時は、言葉遣いってもんがあんだろォ?」

「はっ、語尾にコラとかオイとか付けりゃいいのか?」

「……ンっとに減らず口ばっか叩きやがるなテメェは」

 雷華の表情から一瞬だけ笑みが消えるが、手元の杖を見て、再び口角を吊り上げる。

「けどま、その根性だけは認めてやらァ。杖突きのくせに、ボコされても悲鳴上げなかったのは立派だしな。つーわけで」

 雷華は咲弥の前に立ち、腰だけを折り曲げて、先ほどと同じように吐息のかかる距離まで顔を寄せた。

 そして、邪悪な笑みを突き出すように浮かべながら言う。

「『すみませんでした。許してください雷華様』――それで勘弁してやるよ。もちろん土下座しながらな」

「おまえ……!」

「そろそろわきまえろやコラ。病院で目ぇ覚ましたいんか? アァ?」

(くっ……)

 咲弥は別に、殴られることが怖いわけではない。

 ただ、あの杖が返ってこなくなるのが嫌なのだ。

 あれは、自分とみちえと琴葉が立てた誓いの証。

 事故をいつまでも引きずらず、しっかりと己の足で歩いていこうという約束の具現。

 それを、つまらない小競り合いで失ってしまうことだけは、避けたかった。

 と――

「しかしまァ、アタシだって鬼じゃねェ。それに、男を屈服させて喜ぶ趣味もねェ」

 雷華が杖を弄びながら、こんなことを言う。

「感謝しな早漏野郎。セルⅣをやってたテメェは運がいい。今回はイージーモード――救済措置を用意してやらァ」

(救済措置?)

「オメェら、そいつをセルⅣの2P席に座らせろ」

「へいっ」

(……なんだ?)

 咲弥はもはや、立ち上がることすら困難なほどにダメージを受けていた。しかし、男たちに腕を引かれ、無理矢理、席に腰掛けさせられる。

「あと、そいつの財布を貸してもらえ。ただし、一銭も盗るんじゃねぇぞ?」

「じゃあ姐さん、どうするんで?」

「ぜんぶ百円玉に両替してやりな」

 その言葉で雷華の意図を悟ったのか、男たちはニヤリと笑う。

 男の一人が咲弥から財布を奪い、階段横の両替機に、すべてのお札と五百円硬貨を突っ込んでいった。抵抗しても無駄だと悟った咲弥は、なすがままだ。

 こうして咲弥の所持していた六千三百十五円は、十の位までの硬貨を除き、すべて百円玉に替えられた。

「ほらよ、返すぜ」

 男が咲弥の眼前――ゲーム台に投げ放った財布は、硬貨のみとなって、異常なまでに膨張していた。いや、そもそも硬貨入れのチャックを閉じることができず、投げられた拍子にガチャリと音を立てて、いくらか中身が漏れてしまっている。

(いったいなんなんだ?)

「さてと……ククッ!」

 笑いながら、雷華は咲弥の杖を手下の一人に預け、筐体の向こう――セルⅣ1P席へと腰掛ける。そのままコインを投入。

 雷華をロックしていた咲弥の視線が、自然にセルⅣの画面へと注がれる。

 雷華の操るヒョウガが、CPUキャラをボコボコにしていた。

「杖を賭けて喧嘩上等! ってのもいいんだけどよォ、テメェみてぇな社会的弱者が、アタシにリアルファイトでかなうわきゃねェ。……そこでだ」

 ふと、画面上のヒョウガが動きを止め、くいっくいっと人差し指で『かかってこい』のジェスチャーを行った。

 挑発――強P+強Kで出せる、戦闘にはまったく影響のない行動だ。

「代わりにセルⅣでタイマン張ってやんよ。なぁに心配ねェ、アタシは心が広いから、テメェが負けても罰ゲームは無しだ。最後にゃちゃんと杖も返してやる。だが――」

 咲弥を取り囲む男たちが、くすくすと笑っている。

 画面越しで咲弥にはわからないが、きっと雷華も似たような笑みを浮かべているのだろう。

「アタシは根性無しの野郎が大嫌いでなァ。テメェにゃ可能な限り挑戦してもらうぜ。諦めずに、最後まで、勝てるまで。ククッ!」

(……なるほど)

 セルⅣの対戦で自分を倒し続け、有り金がなくなるまでコンテニューさせ、財布の中身を軽くして帰してやる、という魂胆らしい。

 先ほどの全所持金両替は、強制連コインをさせるためだったわけだ。杖のことも、これを咲弥にやらせるための方便だろう。

「アタシに勝って、さっさとおうちに帰れるといいなァ? 気を付けねぇと無一文で帰宅することになっちまうぜェ?」

「あ、大丈夫っすよ姐さん。こいつの財布見ましたけど、十五円だけ余りがありやしたから」

「なるほどな。じゃ、どうやっても一文無しにはならねぇわけだ。良かったな社会的弱者ァ。ギャハハハハハハハッッッ!」

「いっひっひっひっひ! ……おら、姐さん待たすんじゃねぇよ。さっさとコイン入れろ」

 男が咲弥の肩を小突き、対戦を促す。

 完全に包囲されており、逃げることはできなさそうだ。

(いや、勝てるわけないだろ……)

 咲弥は冷静に、そう考えた。

(こっちはさっきセルⅣを触ったばっかりなんだ。それがこんな、いかにも経験者なやつを相手にして戦えるかよ)

 倒せない。無理。不可能。

 そんな言葉ばかりが、咲弥の頭に浮かんでは消える。

(なんだこの状況は? 皮肉か?)

 ゲーセンという場所が大好きで、ゲームを誰よりも楽しんでいた咲弥が――

 ゲーセンという場所で絶望し、ゲームという名のリンチを受けようとしている。

(何やってんだ俺は……)

 こんな自分を客観的に眺めている、もう一人の自分がいた。

 その自分が、囁く。

――どうしてこんなことになった?

 知らない。

――ゲーセンに来たからじゃないのか?

 そうかもしれない。

――どうしてゲーセンになんか来た?

 わからない。

――ゲーセンになんか来ない方がいい。なぜならおまえは――

「もたもたすんな社会的弱者!」「早くしろ社会的弱者ァ!」

(これが俺の、プロゲーマーとしての末路ってわけか……)

 ということは、つまり――

 もう二度と、ゲームになど手を出さないほうがいい。そういうことだろう。

(最後に嫌な思い出、作っちまうな……)

 咲弥の感情が徐々に冷えていく。

 ちらりと店内の掛け時計に目をやると、時刻は既に二十二時を回っていた。ここに来てからはまだ三十分程度しか経っていないが、その前に街を彷徨っていた時間が長かった。

(さっさと終わらせよう。早く帰らないとみちえが心配する)

 こんなボロボロの状態で返ったら、何か言われるに違いない。

 だがそれでも、咲弥は今、一刻も早く家に帰りたかった。

 そうして、ベッドの下に隠して溜め込んだ月刊アヴァロニアを、すべて処分したいという衝動にかられていた。

(ラストゲームだ)

 まったくもって不本意ではあるけれど。

 未練がましく弱々しい自分には、お似合いだろう。

 咲弥はゆっくりと、ぱんぱんに膨れあがった自分の財布に手を伸ばした。

 百円玉を一枚手に取り、それを筐体のコイン投入口に運ぶ。

(もう、これっきり)

 今日が終わったら、二度とゲームなどやらない。

 二度と、ゲーセンになど足を運んだりしない。

 二度と、ゲームを楽しんだりなど――


「そのタイマン」


 突如。

 静かに、しかし誰の耳にも明確に響き渡ったのは、涼やかな少女の声。

 その場にいた皆が、一斉に振り向く。

 りぃん――と。

 そんな風に澄み切った音を、錯覚させてしまうかのよう。

 凜として、凜。どこまでも凜。


「――私が買うわ」


「アァン?」

 雷華が筐体の脇からひょいと首を出し、そこで初めて捉える。

 現れた闖入者の姿を。

「誰だテメェ?」

(れ、レッド……!?)

 小さなゲーセンの二階フロア。

 その階段横に、彼女――レッドはいた。

 スパッツとショートパンツの重ね穿きに、プリントTシャツと裾長パーカー。ローソックスにスニーカー。

 昼に見た時と同じ格好だが、トレードマークの赤いキャップは被っておらず、髪はポニーテールだ。おまけにアンダーリムの洒落たメガネをかけており、普段とかなり印象が違う。彼女が『あのレッド』であることに、咲弥以外は誰も気付いていない。

「お、おまえ……どうしてここに?」

「あなたの帰りが遅いから、愛鈴と手分けして探してたのよ。メールも電話も出ないし……みちえがとても心配してたわ」

「ンだよオイ、早漏野郎のイロか?」

 と――

 レッドは咲弥から視線を外し、にこりと笑みを浮かべ――

「そこのヤカン頭」

「……ア?」

 雷華をまっすぐ見つめながら、言った。

 その言葉に、雷華の仲間たちの表情が固まる。

「そこの、ヤカン色の髪をした女」

「……アァ?」

 長ランの男たちが、ひぃと小さく悲鳴を上げた。

 雷華がギギギィと音を立てて席を立つ。

 その顔は――

「だ、だ、だ、誰が、ヤカン色の、髪、だって?」

 怒りが一週して、痙攣を起こしたかのようにピキピキと、ブルブルと震えていた。

 形としては笑顔になっているが、それはもう、意味的に笑顔と呼べる表情ではない。

 だが、レッドの口は止まらなかった。

「もしかして気にしてた? なら謝るわ。がんばって美容院に行って、ブリーチして、失敗して、ヤカンの色みたいな髪の毛になっちゃったあなた、ごめんなさい」

 ピキブチッ!

 雷華の表情は変わらなかったが、どこからかそんな音が聞こえた――ような気がした。

 男たちが慌てて後ずさり、視線を交わす雷華とレッドから遠ざかる。

 普段の彼らなら、雷華の悪口を言われた瞬間に「おい姐さんになんてことを~」と、すぐさま突っかかっていただろう。

 それが今は、逆に距離を置く。

(なんだ? もしかしてこの女の髪については、触れちゃいけないことなのか?)

 どうもそうらしかった。

 彼らはこれから訪れるであろう災厄を、恐れているのだ。

 しかし、レッドは人の良さそうな笑みを浮かべたまま、淡々と言葉を紡ぐ。

「ひょっとして図星? 当てずっぽうだったんだけどね。……あなた、その髪色はやめたほうがいいわよ。ゴミ捨て場のバアビイ人形より酷いから。おまけにそれ、後ろでまとめた髪がちょうど取っ手みたいに見えて、ますますヤカンじみてる。あぁ、でもそっちの路線でい行くなら逆にいいかも。ねぇ、火男(ひょっとこ)みたいに口を窄めてみてよ。そしたらたぶん、完璧なヤカンになれると思う。あなたの今の表情、ちょうどいい感じに沸騰してることだしね」

 言い終えてから、目を細め、馬鹿にしたように笑う。

 明らかな挑発台詞と、あからさまな挑発フェイス。

 自分はおまえにケンカを売っている――レッドはそう明示した。

「と、と、と、友次郎(ともじろう)

「へっ、へいっ!?」

 もはや誰の目に見ても爆発寸前の雷華から声をかけられて、長ラン男の一人がビクリとすくみ上がった。

「この、女、犯せ」

「へ?」

「犯せ。それから嬲って、レイプして、ついでに輪姦しろ。あと、陵辱しとけ」

「で、ですが姐さん、俺ら美音牙十字軍は女子供に手を出さないんじゃ――」

「あいつは女じゃねェ、ダッチワイフだ」

「え、えぇ!?」

「あの早漏野郎のダッチワイフが何かの拍子にしゃべっちまった。そういうことだ、きっと。そうだろう? アァ? そうだろう?」

「うぅ……でも……」

 さすがに男は躊躇した。

 彼が語った通り、これまで美音牙十字軍は、女子供に絶対に手を出さないで通ってきた。

 女子供を狙うような軟弱者は仲間にいらん――と、雷華が徹底させたのだ。

 いくら雷華自身の言葉とは言え、そんな大切な決まり事をいつものように「へいっ」と破れるわけがない。

 おまけに女子を犯すなど、むかつく男を殴ってせいせいするのとはわけが違う。

 さすがにそこまでの鬼畜にはなりきれない雷華の部下たち(高校生)だった。

 と――

「逃げるの?」

「……ア?」

 レッドの発言に、雷華がギギギと振り向く。

「あなた、うちの咲弥にセルⅣの対戦をふっかけてたのよね? もしかして、それが怖くなったから逃げるの? 私が現れたのを口実にして、自分でしかけた勝負から逃げちゃうの?」

「なに……言って、やがんだ、テメェ?」

 もはや、雷華の目は血走っていた。

「この、アタシが、ついさっきセルⅣ童貞を卒業したばっかの、カスゴミ野郎を……怖がるわきゃねぇだろうがァッ!」

 雷華がレッドを鬼のような表情で凝視したまま、左腕を近くの筐体に強く叩きつけた。

 ダァンッ! と大きな音が立ち、衝撃で筐体から灰皿が落ちて、またガシャン! さらに男たちを震え上がらせた。

 だが、レッドの表情は微塵も揺らがない。

「安心した。戦闘の意志はちゃんとあるみたいね。そしてあなたは今、とても私にムカついている。……私が彼の代わりに戦うことに異論があるかしら?」

「望むところだダッチワイフ野郎ォ!」

(なっ……!?)

 何を言い出すのか。

 これは、自分が引き起こしてしまった事態だ。

「待て! こいつは関係ない! 勝負するのは俺だ!」

 肩代わりしてもらうなど、できるわけがない。

 咲弥自身が許さない。

 しかし――

「ダァァァメだぜェェェッ!? もうその女ァ逃がさねぇ! 今から逃げたらアタシが直々に鉄拳制裁してやる!」

「俺とおまえのタイマンだろうが!」

「失せてな早漏野郎! ……オメェら!」

「ぐっ!?」

 雷華の合図で動いた二人の男が、咲弥を無理矢理、椅子から引き離した。

「離せ! 俺が戦う!」

 必死で主張する咲弥だが、雷華はもう彼のことを無視していた。

 静かに歩み寄ってくるレッドだけを、睨み付けていた。

「テメェが負けたらアタシの言うことを聞いてもらう! なんでもだ! そして、何度でもだ!」

「奴隷ってわけね。いいわ、受けて立ちましょう。その代わりこっちが勝ったら、私の言うことをなんでも聞いてもらう。でも、一回だけでいいわ。あなたみたいな奴隷なんていらないから――というか私の家、ヤカンはもう足りてる」

「こッ……こい、つ……くゥゥゥゥゥッッッ!」

「あ、姐さん! 抑えて抑えて!」

 レッドに飛びかかろうとした雷華を、男たちが三人がかりで止めた。

 が――

「ぬォゥラァァッッ!」

「うわぁぁぁっ!?」「ふごっぉ!?」「あぎゃぁぁっ!?」

 雷華が嵐のような勢いで体を震わせ、自分の体に張り付いた男たちを四方に吹き飛ばし、転倒させた。

「ハァ……ハァ……こ、こいつらに感謝するんだなダッチワイ子。アタシは今、危うくテメェのことを挽肉にしちまうところだったぜェ?」

「そうしたいなら、さっさと席について私に勝ったらどう? 挽肉にでもなんにでもなってあげるけど?」

「ぐ、くゥゥ……ケッ! その台詞忘れんなよ! ……おいオメェら! この女を絶対に逃がすな! あと、早漏野郎も!」

「へ、へいっ!」

 そして、雷華とレッドは筐体を挟み、席に着く。

「おい待て! 俺が――」

「大丈夫よ」

 捕らえられた咲弥に、レッドは小さな笑みを向けた。

「私じゃ不安かしら? セルⅣの対戦なら、少しは自信があるんだけど」

「そういう問題じゃないだろ! 無関係のおまえを巻き込むわけには――」

「関係ならあるじゃない」

 そしてレッドは、筐体にコインを投入しながら言った。

「あなたは私の、未来のパートナーよ」

「!」

 その顔は、静かな微笑を湛えていて。

 とても穏やかで、落ち着いていて。

 咲弥がレッドのパートナーになるかどうかは、まだ未決定の事項なのに。

 だけどそれを確信していて、でも強要しているような雰囲気はなくて――

 そんな表情を向けられて、咲弥は何も言えなくなった。

 否定も肯定もできず、ただただ、レッドの挙動に視線を置くことしかできなくなった。

(こいつ……まだそんなこと言ってくれるのか?)

 面倒なことに巻き込んでいるのに。

 見損なわず。

 見放さず。

 こんなボロボロの自分に、まだ価値を見いだしてくれるというのか?

「見てほしいの。私の戦いを」

 レッドはスタートボタンを押して、画面上に《A new warrior has entered the ring!!》の文字を表示させながら言う。

「そして、知ってほしいの」

 キャラセレクト画面でレッドが選んだのは、カトラ。

「私の気持ち――私が本気だってこと」


 Hyoga【王龍拳】 vs Katora【滅・波號拳】


「さァぶっ殺してやんよ! お祈りしなダッチワイ子!」

 画面左端で構えるヒョウガ(開始時右向き)と、右端で同じ構えを取るカトラ(開始時左向き)。ステージはアメリカ――観客の多い夜のドライブインである。

 そして――

《ラウンド1……ファイッ!》

 少女たちの死闘が始まる。

(しまった!?)

 自分がもたもたしている間に、勝負が始まってしまった。

(何やってんだ俺は! だが……)

 雷華の操るヒョウガと、レッドの操るカトラ。三キャラ分ほどの間合いを空けて、互いにジャブなどを繰り出し牽制し合っている。

 プレイヤー二人の表情はとても真剣で、今から勝負の中止を喚き立ててもきっと聞き入れられないだろう。

 こうなってしまっては、もう――

(応援するしかないのか……)

 咲弥は無言のまま、レッドの集中を乱さぬように、心の中でエールを送った。

 が――

「ところで咲弥。私が来る前にセルⅣやったの?」

「へ?」

 レッドは画面から目を離さぬまま、ごく普通に、いつもの調子で咲弥に話しかけていた。

 咲弥も、勝負を見守る男たちも、思わず目を丸くしてしまう。

「あら? 違うの? ヤカン女がそれっぽいことを言ってたけど」

「や、やったがそんなことはどうでもいい! 今は勝負に集中してろ!」

「大丈夫よ。ちゃんと画面見てる。でも、そっか……触ってみたんだ、セルⅣ」

 そう呟くレッドの顔には、うっすらと、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 しかし、その手元はせわしなく動き、カトラにキレのある動作を与え続けている。

「で、キャラは何を使ったの?」

「カトラだカトラ! それより対戦に――」

「勝てた? それとも負けちゃった?」

「負けたよ! いいから集中――」

「そう、カトラを使って黒星だったの。ならちょうどいいわね」

 レッドは――彼女にしては珍しく――ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。

「今から私が、カトラの三分間講座をやってあげる」

「……は?」

 何を言っているのかこの女は?

 今は真剣勝負の最中なのに。

 負けてしまったら、ただでは済まされないというのに。

 しかしレッドは、惚けている咲弥に「ちゃんと聞いてね」と前置きし、語り始めた。

「まず、カトラというキャラの最大の長所は、その『対応能力の高さ』にある。つまり、攻守ともにバランスが取れてるってこと」

 言って、レッドはいきなりカトラをバックステップさせ、間合いを離した。

 そして、←↙↓+強P。

「遠距離での撃ち合いや、中距離での牽制および牽制潰しに使える優秀な飛び道具」

『波號拳!』

「チィ……!」

 不意を突かれたのか、雷華はヒョウガにこれをガードさせる。

 そこへ、カトラが再び波號拳を撃ち――

「ヴァーカがッ!」

(あっ……!?)

 ヒョウガはその気弾を、前方ジャンプで跳び越えた。

 そして、落下地点にいるカトラへJ強K――跳び蹴りを放つ。

(ダメだ! 蹴りが当たってそこからコンボに……!)

 と、咲弥が思った刹那。

 レッドの左手が←↓↙の軌道を描き、右手は中Pを弾き――

『豪龍拳!』

『ぐ――ぐぁっ!?』

「な……チィィィッッッ!」

(あ、あれは!?)

 カトラは蹴りが当たる寸前で、上昇しながらの強烈なカウンターアッパーを放った。蹴りで跳び込んだヒョウガに2ヒットの打撃を与え、逆に吹き飛ばしている。

 先ほど咲弥が入力を失敗し続け、また、雷華との戦いで煮え湯を飲まされた――豪龍拳だ。

「発生が早く、出始めに無敵時間のある優秀な対空技。兼、コンボパーツ」

「うっせェ!」

 叫びながら、雷華はヒョウガに受け身を取らせ(ダウン直前に↓orボタンどれか二つ同時押し)、カトラの追撃に備えて素早く立ち上がる。

 だが、レッドはカトラに起き攻めをさせなかった。

 それどころかバックジャンプで逆に間合いを離し――強P+強K。

『どうした! その程度か!』

「どうしたの? その程度?」

 カトラと一緒に雷華を挑発した。

「な、舐めるんじゃねェェェェッッッ!」

 雷華は咆吼し、コマンドを入力。

『波號拳! ――波號拳! ――波號拳!』

 ヒョウガに波號拳を連発させ、遠距離からカトラを攻める。

 レッドは一発目の波號拳をガードし、二発目は垂直ジャンプで躱し、着地したところで三発目の波號拳を撃たれ、その瞬間に↓↘→+強K。

『竜巻旋空脚!』

(なっ!?)

 ヒョウガの放った気弾に、カトラを突っ込ませた。

(ミスか!? 弾に当た……え?)

 するり、と。

 片足を開いてプロペラのように回転しながら、低空で突進するカトラが。

 何事もなかったかのように、ヒョウガの波號拳を、すり抜けた。

 そして、波號拳を撃った姿勢で固まっていたヒョウガを――

『ぐぅはっ!?』

 蹴りで後方に吹き飛ばし、着地した。

(今のはいったい……)

「動作中、脚部に飛び道具無敵時間があり、ヒット時に相手を画面端まで大きく近づける突進技」

 咲弥の疑問に答えるように、レッドが語る。

(な、なるほど。竜巻旋空脚は、脚の部分が飛び道具に対して無敵なのか)

 ただし、技の出始めや終わり際は違う。

 相手の飛び道具を見てからでは間に合わない場合が多いため、ある程度、先読みして繰り出しておく必要がある。

「チックショウがァッッ!」

「総じて――」

 雷華の獣じみた怒声を無視し、レッドは淡々と説明を続ける。

「カトラの必殺技は役割がはっきりしてて、どれも性能がいいから使いやすい。そして、通常技も優秀なものが揃っている」

 ヒョウガが起き上がった瞬間。

 一キャラ分前方に離れているカトラに対し、雷華は屈中K――しゃがんだ状態での蹴りで反撃する。

 が、その攻撃は、カトラがしゃがみながら繰り出したストレートパンチ――屈中Pによって潰された。

《Counter hit!!》

「しゃがみ中Pは、リーチこそ短い代わりに判定が強いの。相手の牽制技なんかに合わせて出すと、非常に打ち勝ちやすい。そして」

 レッドが入力していたのは、屈中Pだけではなかった。

 続く屈強K――しゃがみながらの足払いによる2ヒットコンボで、ヒョウガを強制的にダウンさせる。

「しゃがみ中P、あるいはしゃがみ弱Pをヒットさせたあと、カトラは『()()し』でほとんどの通常地上技に繋ぐことができる」

「め、目押し?」

「技をキャンセルせずに繋げることよ。……ま、目押しやキャンセルについては割愛するわ。とにかく、カトラは()パンか(ちゅう)パンを当てると、そこからコンボにもっていけるってことなの。例を挙げるなら――」

 レッドカトラが雷華ヒョウガの隙を突いて接近し、【屈中P>屈中P>屈強K】。

『ぐっ――ぐっ――ぐぁっ!』

 しゃがみながら二連続でストレートを当て、最後に足下を蹴り払って転倒させるという、見事なコンボを決めた。

「こんな感じね」

(す、すげぇ、中パン二発から大足(だいあし)のコンボ……。さっき目押しとか言ってたが、あんな風に簡単に繋がるものなのか? ボタン連打だけじゃ技は繋がらなかったが……あれ、けっこう難しいんじゃないか?)

 レッドはカトラを前方に歩かせ、ヒョウガの起き上がりに攻め込む。

「くゥッ……!?」

 雷華は↙を入力して、ヒョウガにガードを固めさせた。

 レッドは屈弱Pのジャブを小刻みに放ち、ガガガと連続でガードさせてから、屈中Kのしゃがみ蹴り、そして弱波號拳へと繋ぎ、ヒョウガに反撃の隙を与えないまま画面端へと追い詰める。

「格闘ゲームにおいて、相手に攻撃をガードさせ続けて攻めを継続することを、『(かた)め』と呼ぶ。カトラのしゃがみ弱Pやしゃがみ中Pは発生も速いし、ガードさせて2フレーム有利になるから、固めにはうってつけね」

「2、フレーム?」

「フレームっていうのは、ゲームの世界での時間単位のこと。1フレームは1/60秒に相当するの。今はピンとこないだろうけど、そのうちわかるようになるわ」

 レッドのカトラはなおもヒョウガを攻め立てる。

 ジャブを刻み、ストレートやしゃがみ蹴りで画面端へ押しやり、中途半端な間合いでは波號拳で牽制し、ヒョウガに一切の攻めを許さない。

「こ、こいつゥ……!?」

 雷華はいつの間にか、ひたすら画面端でガードを固めるだけの、防戦一方な状態に陥っていた。

 このままではまずい、と彼女もわかっているのだが、抜け出せない。

 下手に手を出せば、屈中Pで潰される。無敵時間のある豪龍拳で反撃しようと思った瞬間には、微妙に間合いを開けられて、技をスかされそうな距離に立たれる。思い切って前方ジャンプで逆に攻め込んでみても、当然のように豪龍拳で迎撃される。

「な、なんつー立ち回りだよオイ……。この女ヤベェぞ……」

 思わず小さな声で、そんなことを呟いてしまっていた。

 そして、そのまま、あっけなく――

《KOォォォゥッッ!》

『ぐはァァァッッ!?』

 レッドのカトラが、雷華のヒョウガを倒した。

(ま、まったく危なげ無かった……。俺に解説しながら、相手の動きをしっかり見て、的確に技を放ってた)

 さっき自分が使った時と比べ、カトラの動きに雲泥の差がある。

 レッドの操るカトラは、まるで本物の格闘家のように、動作がしっかり生きている。

(これが、今年のセルⅣ世界第三位……)

 当たり前のことかもしれないが――強い。

 咲弥はレッドの実力を目の当たりにし、改めてその事実を認識した。

「あ、姐さんが……」「おいおい嘘だろぉ!?」

 雷華が一本取られたという事実に驚く男たち。

 どうやら雷華はこの男たちの中で、リアルファイトにおいてもセルⅣにおいても強い存在であるらしい。

「ふ、ふざけんじゃねェッ! アタシが……このアタシが……こんなムカつく女の言いなりになってたまるかッ!」

《ラウンド2……ファイッ!》

 開始直後、雷華はヒョウガをいきなり前方にジャンプさせ、レッドの意表を突いた跳び蹴りをヒット――させられなかった。

『豪龍拳!』

 あっけなく、正確に、無敵対空技で迎撃されてしまう。

 この勝負が始まってから、何度目かになる光景だ。

 レッドは雷華の跳び込みを、すべて、一度もミスすることなく叩き落としている。

「き、機械かよテメェはよォォォッッ!?」

「あら、焦ってるの?」

「ッ……!」

 レッドに指摘されて、ほんの少し、雷華の体が震えた。

 その頬には、一筋の汗が伝っている。

「負けちゃうかもしれないって、そう思ってるの? 賭けに負けて命令されちゃうかもしれないから、怖がってるの?」

「だ、誰が……!」

「ダメよ、ガードはちゃんとしなきゃ」

「あッ!?」

 立ちガードをしていたヒョウガに、カトラの屈弱K――しゃがみながらの小さな蹴り――下段判定の技が刺さる。

 すかさずカトラは屈弱Pのジャブ、屈強Pのしゃがみアッパーへと技を繋ぎ――

『竜巻旋空脚!』

『ぐはぁっ!?』

 コンボを突進技で締めて、ヒョウガを画面左端へと追い詰めた。

「今度はちゃんとガードしてね」

「あ……あ……!」

 カトラの起き攻めに対し、雷華はヒョウガにしゃがみガードをさせ、攻撃をシャットアウト――できない。

 カトラがヒョウガの胴着の襟を掴み――

『おりゃあっ!』

 豪快な一本背負いを決めた。

「投げェ!?」

「投げはガード不能って知ってるわよね?」

「こ、このッ……!」

 カトラの起き攻めに対し、雷華は→↓↘+中Pを入力し――

『豪龍拳!』

 攻め込んできたレッドにカウンターヒットを見舞い、一杯食わせることに成功――していない。

 カトラはヒョウガがいきなり放った豪龍拳を、しっかりガードしていた。

「あ……」

「惜しかったわね」

 宙に舞い上がり、大きな隙を晒すヒョウガ。

 レッドのカトラは、眼前に着地して隙だらけとなったヒョウガに接近し、力強い打撃を連続で叩き込む。

『おぅりゃぁ! せいっ! 豪龍――』

 前進しながら鳩尾に拳をねじ込み、顎を殴り上げ、最後に豪龍拳で吹き飛ばしてコンボを締めた――と思いきや。

(なっ……!?)

 豪龍拳の一段目がヒットした瞬間に、画面が暗転。

 と同時に、カトラは波號拳を撃つ直前の、丹田の前で気を練り上げたポーズになっている。

 そして、『キィィンッ!』という効果音と稲妻のようなエフェクトが、カトラの全身を駆け抜け――

(あれは、さっきの対戦で俺が最後に喰らったのと同じ……!)

『真空――波號拳ッ!』

 カトラはそう叫びながら、普段の波號拳よりも大きく速く凄まじい気弾を、吹き飛んでいる最中のヒョウガにぶち当てた。

『ぐぐぐぐぐはぁっ!?』

 多段ヒットするカトラのスーパーセルリードコンボ――真空波號拳(↓↙←↓↙←+P ※左向き時のため)が、ヒョウガに異様な声を発させる。

《9 hit Combo!!》

(な、な、なんだ今のは!?)

 なぜあんな風に、連続で打撃を叩き込めるのか? 自分がプレイした時は、ちっともそんなことできなかったというのに。

 今の強烈な連続技で、ヒョウガの体力は残り僅かとなっている。レッドのカトラは、一瞬にして体力の半分近くを奪っていた。

「各種ゲージがあるなら、カトラは今みたいに火力の高いコンボが使用できる。要所で決めることができたら勝利は目前。ちなみに今のレシピは【鳩尾穿ち(右向き時、→+強P)>屈強P>強豪龍拳>真空波號拳】ね」

 なんということは無い、と言わんばかりに冷静な口調で、再びレッドが解説した。

「う、嘘だ……」

 雷華が呆然と呟く。

「あ、アタシが、負けるなんてッ……!」

 ヒョウガを前方ジャンプさせ、地上のカトラに向かって宙から攻め込む。

 それは、あまりにも無防備で、あまりにも安易な跳び込み。

「終わりね」

『豪龍拳!』

『ぐはぁっ!?』

 カトラの弱豪龍拳が、ヒョウガを画面上部へと打ち上げる。

「あ……ああ……!?」

 ヒョウガの体力は、もはや打撃一発分。

 カトラが浅い上昇の豪龍拳を打ち終えて着地し、目の前には、顔を歪めて地に落下しようとしている、ヒョウガの隙だらけな体が。

「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だァァァァァッッッッッ!?」

「悪いけど現実よ」

 レッドの両手が、軽やかに←↓↙+強Pを入力し――

『豪龍拳!』

《KOォォォゥッッ!》

『ぐぅはァァァッッ!?』

 画面がスローモーションになる。

 カトラが大きく拳を突き上げながら上昇し、落下中のヒョウガにとどめを刺した。

 レッドVS雷華は、レッドの勝利に終わったのだ。

「というわけでカトラの三分間講座はこれで終了。ま、三分も経ってないようだけどね。……少しは参考になったかしら?」

 レッドはくすりと笑いつつ、振り返って咲弥を見た。

 咲弥は雷華の部下たちと共に、呆然とした表情を浮かべていた。

(強い……あまりにも強すぎる……。レベルが違うってレベルじゃないぞ……)

 相手の動きを完璧に読み切り、なおかつ抑制し、最初から最後までゲームをコントロールしていたレッド。

 コマンド入力や連続技の精度などもさることながら、常に平静を保っていたメンタルのタフさも凄まじい。

(久々に……見たな)

 プロゲーマーと呼ばれる者の、その力の片鱗を。

 おそらくレッドの実力は、まだまだこんなものではない。

 レッドの持つ真の力は、きっと別にある。今回は相手の実力が足りず、一方的な結果に終わったに過ぎない。

 と、ここまで考えて、咲弥は思う。

(その実力の足りない相手に、俺はボコボコにされたんだよな……)

 だとしたら。

 自分とレッドの実力差は、どれほどのものになるというのか?

 仮に、自分がレッドのパートナーになったとして――

 その差を埋め、まともに相方として活躍できるようになるまで、いったいどれぐらいの月日がかかるというのか?

「さて……」

 考えに没頭していた咲弥は、レッドが席を立っていたことに気付かなかった。

 1P席で未だにレバーを握り、呆然とゲームオーバーの画面を見つめる雷華。

 レッドはその傍らに立ち、雷華を見下ろしていた。

「私の勝ちね」

 しかし、雷華はまったく反応しない。

「あなたが犯した間違いは三つ。一つ目は、挑発に乗って、相手の実力を確かめもせずに勝負を行ったこと」

 レッドはゆっくりと頭に手を伸ばし、ポニーテールを解く。メガネを外して懐にしまい、腰に手を伸ばして、パーカーの裏から取り出した『それ』を、頭に被る。

「な!?」「あ、ありゃあ!?」「まさか!?」

(そうか、こいつらは知らなかったのか)

 レッドが被ったのは、トレードマークの赤いキャップ。

 日本人プロゲーマーにして、本年度の聖地祭におけるセルⅣ第三位の実力を持つ少女――レッドの証である。

 さすがの雷華も、自分を負かした相手がレッドだとわかり、驚いたように目を丸くした。

「て、テメェは、ビネガ様の敵……!」

「ビネガ、様? ああ、ビーネのファンってこと。でも、敵っていうのは心外だわ。私とあの子、仲はいいほうなのよ? それに、お互い敵ではなくライバルだと思ってる」

(ビネガ……ってのは、今年の聖地祭のセルⅣで、二位になってたやつのことか?)

 学校の男子たちが、そのようなことを話していた。

 加えてレッドとビネガは、プロゲーマーとしてライバル関係にあるらしい。

 ふと、レッドが「ん?」といった表情で首を傾げる。

「ひょっとしてあなたのその金髪、ビネガに憧れて?」

「ッッ!?」

「ヒョウガを使っていたのも、ビネガリスペクトってわけ?」

「ッッッ!?」

「そういえばあなたたちのチーム、なんて名前だったかしら? さっきボソっと言ってたわよね? たしか……美音牙十字軍(ビネガクルセイダーズ)? もしかしてそれも、ビネガから取った?」

「ッッッッ!?」

 レッドに指摘されるたび、雷華の体がビクリと跳ね上がる。

(もしかしてあいつ、ビネガってプレイヤーのファンなのか?)

 どうも反応から察するに、レッドの言うとおりらしかった。

「ふぅん、そうなの。ま、それはどうでもいいことなんだけどね」

「くゥッ……ケッ! プロのくせに一般人をボコして楽しいか?」

「楽しいわね。最高よ」

「なァ……!?」

(おいおい)

 さすがに咲弥もその物言いはどうかと思ったが――

「プロになれるだけの実力を持っていて、本当によかったわ。こうやって、あなたのような不遜な輩を成敗することができるもの。見て見ぬふりをせずに、咲弥を助けることができた。これが楽しくなくて、最高でなくて、なんだというの?」

「くッ!」

(レッド……)

「あなたの二つ目の間違いは、セルⅣという素晴らしいゲームを、非道な行いに用いようとしたこと。一人のゲーマーとして、私はこれを許さない」

 レッドの冷たい視線が雷華に注がれる。

 雷華は小さく舌打ちして、レッドから目を逸らした。

 と――

「ま、でも、次の間違いがもっとも致命的だったわ。……ちょっとこっち向いてくれる?」

「アァ?」

 雷華が顔を上げた、次の瞬間――

 レッドが雷華の顔面を、思い切りグーで殴っていた。

 ゴッ! と鈍い音が立ち、雷華は椅子から転がり落ちる。

「うぉっ!?」

「あ、姐さん!」

(レッド!?)

 これには誰もが驚いた。

 まったく武闘派なイメージの湧かないレッドが、いきなり雷華の鼻っ面に拳を叩き込んだのだ。

 殴られた雷華も、床に仰向けになりながら、呆然とレッドを見上げていた。やはり、レッドが拳を握るというのはまったく予想外だったらしい。

 レッドの力ではダメージなど無いのか、痛そうにはしていない。

 しかし、しばらくしてからようやく自分が殴られたという事実を認識し、その顔を怒りに歪める。

「て、テメェ! いきなりなにしやが――」

「咲弥に暴力をふるった」

「ア?」

「咲弥に、暴力を、ふるった」

 そこで皆、気付く。

 拳を握ったまま俯くレッドの体が、怒気を孕み、小刻みに震えていることに。

「私は、最初から、この場にいたわけじゃないから、細かい経緯は知らない。でも、咲弥の腫れた顔を見て、判断するには充分よ。あなたたちが、咲弥にとっての害悪だってことを」

「……へッ!」

 雷華がゆっくりと立ち上がりつつ、ニヤリと笑う。

「とどのつまりはテメェ、そこの早漏野郎――咲弥って男に惚れてんのかい。それで? 今? そうやって? ハラワタ煮えくり返してやがるってわけかい? アァ?」

「そうよ。私は咲弥に惚れ込んでるわ」

「ぬ……」

 レッドの反応が予想外だったのか、雷華の気勢が削がれる。もっと乙女チックなリアクションと、それに伴う動揺を期待していたのだろう。

 だがレッドは、眼前に立つ雷華にまったく怯むことなく、凜とした瞳と伸びた背で、堂々と言葉を放った。

「私は、咲弥――Sakuyaという名の一人のプレイヤーに、心底惚れ込んでいる。その才能と潜在能力は、他の誰をも圧倒する。彼を傷つける者を、私は絶対に許さない」

(……)

 咲弥はレッドの声を聞きながら、その瞳が怒りに燃える様を見ながら、思う。

 本気だったのだ。

 彼女は、気まぐれなどではなく、本当に、本気で。

 自分をスカウトしてくれていたのだ。

 そしてその想いは、こんな状態になった自分を見ても、まだ変わっていないらしい。

「だから、恨まないでね」

「あ、アァ? 何をだ?」

「私がこれから、あなたにどんな命令を下しても」

「!」

(そういや、そういう賭けだったな……)

 咲弥はレッドの言葉に圧倒されていて、勝負の結果をすっかり失念していた。

 負けた雷華は、レッドの言うことを聞かなければならないのだ。

 が――

「く……ククッ……!」

(ん?)

「何がおかしいの?」

「テメェほんとにプロかァ? 甘ちゃんすぎて笑っちまうぜ」

「どういうこと?」

「確かにテメェはアタシとの勝負に勝った。だが、この状況を見てみろ? テメェのだぁい好きな早漏野郎はアタシの仲間が押さえてる。そして、テメェの目の前にゃアタシがいる」

 言いながら、雷華は両手を胸の前で重ね合わせ、これ見よがしにボキボキと鳴らす。

(あ、あの女まさか!?)

「約束を、暴力で反故にするというの?」

「そう言ったらどうするゥ? ビビっちまうかァ? アァ?」

「逃げろレッド!」

「咲弥?」

 咲弥は思わず叫んでいた。

「そのゲス女、おまえに乱暴する気だ!」

「よく知ってるじゃねぇか、咲弥ちゃん。だが逃げろったって、どこへ逃げりゃあいいんだろうなァ?」

 出口のある一階へと続く階段は、雷華の部下が固めている。

 しかし、雷華の部下たちは皆、一様に気まずそうな表情を浮かべていた。

 それに気付いた雷華が、「あン?」と不思議そうな声を漏らす。

「どうしたオメェら?」

「い、いや、姐さん」

 先ほど雷華に友次郎と呼ばれていた男が、控えめに言う。

「なんつーか、さすがに女の子が相手だと、俺らもそこまで邪道になれないっつーか……姐さんの教育のたまものです、はい」

 すると、他の部下たちも次々と意見を口にする。

「レッドさんは帰してあげません? 俺、実はファンで……」

「女子供にゃ手を出すな、ただし男はぶん殴れって教えてくれたの姐さんじゃないっすか」

「今の姐さん、ちょっと大人げないっすよ。いや、これが野郎ならぶん殴ってやりますけどね、こんなかわいい子が相手だと……」

「だ、だ、だ――」

 雷華は『黙れこのモヤシ野郎ども! オメェらほんとに金玉ついてんのか!? アァ!?』とブチギレながら叫ぼうとした。

 が、すんでの所で思いとどまる。

 確かに部下たちにそう教え込んだのは、彼女自身であった。何より冷静になってみて、今の自分がとてつもなく、控えめに言って、かっこ悪いということに気付いたのだ。

「チッ! 勝負に負けた上、相手をボコした犯したとあっちゃあ、さすがに名が廃るか」

 雷華の言葉に、男たちがうんうんと頷く。

(へ、変なやつらだ。さっき、俺のことは容赦なく殴ってくれたくせに)

 女尊男卑が徹底されている。

 ボスである雷華が女性だからだろうか?

 何にせよ、咲弥としては、どうやらレッドが無事に済みそうだという事実に、安堵の吐息を漏らさずにいられなかった。

 雷華はレッドに向き直り、キッと睨み付ける。

「おいビネガ様の敵、約束を果たしてやる。さっさとアタシに命令しな。すぐ終わる内容にしやがれよ? 帰って寝てぇんだ」

「そうそう、それがいいっすよ姐さん。そのほうが男ら――いい女っぽくて最高っす」

「うんうん、野郎はともかく、女の子との約束はちゃんと守らないと」

 何か、先ほどまでの殺伐とした雰囲気が消し飛んで、和気藹々とした空気になっている。

(なんとかなりそうだな)

 咲弥は未だ捕らえられたままだったが、事態の収拾がつき始めたことに、笑みすら浮かんできた。

 が――

「あなたたち……何を勘違いしているのかしら?」

 まだ。

 声が。

 氷点下のトーンを保った少女が、一人。

 その場にいた全員が、彼女に注目する。

 七人分の視線を受け止めるレッドは、腕を組んで、俯き加減で。

 目深に被ったキャップのせいで、表情がよく見えない。

「私ね――」

 言いながら、レッドは少しだけ首を傾ける。

 どうやら店の掛け時計を確認しているようだ。

 時刻は現在、二十二時四十一分。

「ここに来てすぐ、手分けして咲弥を捜していたマネージャーに、メールを送ったの」

(マネージャーって、愛鈴のことだよな?)

 わざわざ自分を探しに出てくれたらしいレッドと愛鈴。『咲弥が見つかったわ。アーケード内の小さなゲーセンにいる』『わかりました!』などと連絡し合った、ということだろうか。

「私のマネージャーは、とても優秀でね。英語と中国語と日本語を話せるし、淹れてくれるお茶はおいしいし、仕事にはまったく不備がなくて、いつもいっぱい助けられてる。……で、そんな彼女にはもう一つすごい特技があってね――」

 そこまで話した瞬間。

 皆に囲まれて語るレッドの体に――黒い影が差した。

(え……?)

 ゲーセンで影?

 太陽を横切る雲じゃあるまいに、どうして屋内において、レッドに対する照明が遮られているのか?

 今、レッドと照明を結ぶ直線上には、何が存在しているのか?

 誰もがそう思ったものの、それを確かめようとして視線を上げる前に――

 着地していた。

 影を生み出したモノの正体が、レッドのすぐ隣に。


「これ、全員ですか?」


(あ、愛鈴!?)

 空――否、天井から降ってきたと形容しても不思議ではない登場シーンをこなしたのは、長い三つ編みを揺らし、腰を落として周囲を油断無く見回す女性執事――愛鈴だ。

「な、なんだテメェ!? 今どっから出てきやがった!?」

 いきなり現れた愛隣に、雷華と部下たちが動揺する。

 雷華がバッと階段に視線をやると、そこはやはり、二人の男によってとうせんぼされたままである。その男たちも、「自分たちは通してないっす!」とばかりにぶんぶん首を横スウィングしている。

 しかし、愛鈴は事も無げに言った。

「上を失礼しました」

「上だァ!?」

(上?)

 つまり、愛鈴は、跳んだと。

 そういうことなのだろうか?

 身長が一八〇センチ近くある二人の男を跳び越えて、弧を描き、音もなく、レッドの隣に着地してみせたと、そういうことなのだろうか?

「私の特技は格闘ゲームだけど、このマネージャー……愛鈴の特技はリアルの格闘技」

「大丈夫でしたかレッド? この人たち、武器を隠し持ってるんですよね? おまけに咲弥さんに手を出して、レッドも……その……辱められそうになったとか」

(れ、レッドは愛鈴にどんなメールを送ったんだ?)

 どうも、ただ単にこの場所を知らせただけではないらしい。

 愛鈴は何かを勘違いしていて、昼間の柔らかい雰囲気を消し飛ばし、その体に殺気を漲らせている。

「ええそうよ。さっきは本当に怖かった。だけど、咲弥が身を挺して私を守ってくれたの」

(嘘つけ!)

「嘘こけテメェ! ふざけんじゃねぇぞ!」

「お、俺らそんなことしねぇよ!」「そりゃ野郎は殴ったけど!」「つーか武器ってなんだ!?」

 周囲から一斉に非難の声が上がるものの、愛鈴の耳には入っていないようだった。彼女の背後で燃える幻想の炎が、より一層強まった――ような気がする。

「なんて卑劣な人たち……。かよわい女の子であるレッドと、脚を患った咲弥さんに手を出すなんて……レッド!」

「ええ、許可するわ」

(許可?)

 と、咲弥を含む誰もが思った、次の瞬間。

 咲弥の両脇を固めていた二人の男性が、左右に吹き飛んだ。

(……は?)

 腕を掴まれていた咲弥も、反動で後ろに倒れそうになる。

 が、なんとか右足で踏みとどまった。

 そして、咲弥の目の前には――

「許しません」

 半身になって、ゆったりと拳を構える愛鈴の後ろ姿が。

(え……な、なんだ今のは?)

 咲弥が左右の床を見ると、今まで腕を掴んでいた男二人が、白目を剥いて失神している。

(あ、愛鈴がやった、のか?)

 踏み込んで、二人の男を悲鳴も上げさせずに倒し、背を向けて残りの男たちに構える。

 それだけの挙動を、たった一瞬で行ってしまったというのか?

「オイオイオイオイ……今の技ァ発生何フレームだ?」

 雷華が顔をひくつかせながら言った。

 その額には、じわりと汗が浮かんでいる。

「お、オメェらこの女にゃ本気でかかれ! でなきゃ一瞬でお陀仏すっぞ!」

「で、ですが姐さん、女の人には手出し――ギャッ!?」

 愛鈴は、口を開いて隙のできた男に急接近し、下段からすくい上げるように拳を放った。

 顎に拳を食らった男は、半回転しつつ吹き飛んで、動かなくなった。

 と次の瞬間にはもう、愛鈴は新たな標的の目の前へ移動し終えている。

「ぐはっ!?」「ごっ!?」

 階段の前にいた二人の男に、肘と裏拳を当てて瞬殺。

 二人は時代劇のように階段を転がっていき、虫の息となった。

「もう一度聞くけど、あなたたちは何を勘違いしていたの?」

 両拳を腰まで引き、かはぁとゆっくり息を吐いて、呼吸を整える愛鈴。

 その脇で、レッドが淡々と語る。

「無事に帰れると思ってた? 五体満足で帰れると思ってた? 咲弥にこんな酷いことをしておきながら」

 キャップの下で、レッドの瞳が炯々と、冷えた眼光を放ち続けている。

(あ、あいつもしかして……キレてないか?)

 言動は落ち着いていたので、普通に怒っているぐらいだと考えていたが。

 どうやら彼女は、咲弥が予想した何倍も怒り狂っているようだ。

「チィ!」

「おや、あなたは使うんですね」

 汗を垂らしながらファイティングポーズを取った雷華に、愛鈴がゆっくりと歩み寄る。

 レッドはその様を、冷ややかに見つめている。

「覚悟はいい? ヤカンちゃん。私があなたに勝って命じたかったのは、一つだけ」

「ですが――」

「オラァ!」

 雷華の放った綺麗な右ストレートが、空を切る。

 愛鈴は既に、雷華の背後にその体を移していた。

「それは構えにすらなってませんでしたよ」

「なッ……!?」

 驚嘆の表情を浮かべる雷華に、愛鈴はすぅと息を吸い――

 レッドはここで初めて、その怒りを表情に出し――

「リアルKOされなさい。咲弥に手を出したことを後悔しながら」

 中国拳法独特の、背中を用いた突進攻撃が、容赦なく雷華にぶち当たった。

「ぐオァッ!?」

 雷華の体が軽く三メートルは吹き飛び、しばらく地面を横滑りして、ゲーセンの壁に強く頭を打ち付けてから止まった。

「チ、クショ……。なんて……クソゲー……だ」

 その台詞を最後に、雷華はガクリと意識を失った。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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