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Second Stage -Round 1-

 そこに――一人の女性がいた。

 曇天の、荒涼とした殺風景な平原に、彼女はたった一人、立ち尽くしていた。

 高い背丈と、短く乱暴に切られた黒髪。

 節々が破れ、袖が無くなっている白の胴着と、額に結んだ赤い鉢巻。腰を括る黒帯に、指先が露出した手甲付きのグローブ。

 胴着から伸びて胸元で組まれている腕には、美しい、筋肉の武装が施されていた。

 それは、彼女が鍛錬を重ねている証。

 一人の格闘家として歩んだ、修行の日々の足跡。

 びゅうびゅうと、荒野には風が巻いていた。

 彼女の黒髪が揺れている。彼女の鉢巻が靡いている。彼女の胴着がはためいている。

 だがその瞳は――ぶれない。

 確固たる意志で前方を見据える彼女の双眸には、微塵の動揺も存在しない。

 女性の纏った不屈のオーラが、空間を焼却してしまいそう。

 その目に宿るのは、純粋で、それでいて猛々しい力を秘めた光。

 ふと――

 女性が腰を落とし、緩やかに構えを取った。真半身になって、左拳を腰の前に、右拳を胸の前に置くスタンダードな型。

 彼女がゆっくりとその構えに移行するだけで、大気が歪んでしまうかのよう。それほどまでに洗練された強者のオーラを、その女性は纏っていた。

 そして、彼女が構えた先に――一人の男性がいた。

 長い金髪を一つに纏め、赤い胴着、黒帯、指の露出したグローブを装着した男性。

 鍛え抜かれた肉体と、鋭利な視線、燃えるような吐息。

 彼がその身に漂わせたオーラは、白胴着の女性と酷似している。

 この男性もまた――ファイター。

 女性の眼力に臆することなく、まったく同じ構えで対峙する彼もまた、格闘家として己を律し続ける人間の一人だった。

 やがて――

 一瞬、強く風が巻いたそのタイミングで――

 両者は激突した。

 大地を揺るがすような、二者の強い踏み込み。

 空間ごとくり抜いてしまいそうな右拳が二つ。

 急速に接近した女性と男性の眼前で、真正面からぶつかり合っていた。

 至近距離で睨み合う二人。

 だがそれは、刹那の出来事。

 次の瞬間にはもう、再び攻防の中だ。

 女性と男性の拳が、脚が、交差し合う。

 互いの体を武器として行われる、凄絶な肉弾戦。

 阿修羅のごとき荒々しさと、急所を違わぬ精緻さと。

 二人の強者が今、攻撃に乗せて、激しく己を主張し合っていた。

 やがて――

 鈍い音を響かせて、男性の拳が女性の頬を捉える。

 あまりにも苛烈な衝撃に、女性の体がふらついた。

 男性はその隙を逃さず回し蹴りを放つ――ものの、女性はこれを左腕でどっしりと受け止める。

 しかもそれは、ただの防御ではなかった。

 受け止めた体勢から、男性の脚を前方に押しやりつつ接近。

 男性のバランスが、ほんのわずかに揺らぐ。

 その刹那――女性の渾身の右拳が、男性の顔面を完璧に打ち抜いた。

 男性はきりもみしながら背後に吹き飛び、受け身を取ることすらできぬまま落下する。

 だが、即座に前を向き、まったく眼力の衰えぬ瞳で睨み付ける。

 裂帛の気合いと共に急接近する、豪を纏った女性を。

 攻防に次ぐ攻防に次ぐ攻防――

 男性の蹴りが、女性の胴を貫いた。

 女性のボディブローが、男性の腹部を抉った。

 二人の攻撃が繰り出され、ヒットするたびに、大気が震動し、新たな旋風が巻き起こる。

 突きは虚空を穿ち、蹴りは中空を裂き――激闘。

 息を乱しながら、身を震わせながら、互いに消耗しつつも、より一層、激しさを増していく戦い。

 どこまでも荒々しく、それでいて美しい、二人の戦士の聖戦。

 と――

 重心を崩した男性の隙を逃さずに、女性が巴投げを決めた。

 大きく離される、二人の間合い。

 受け身を取れず、地面に肩から墜落する男性。

 男性が霞む意識を無理矢理に覚醒させながら、顔を上げる。

 すると、女性が奇妙な構えを取っていた。

 左真半身に構え、腰を落とし、顔は正面を見据えたまま、僅かに体を後ろ側に捻っている。その両腕は、まるで見えないボールを持つかのように、腹部の右側に固定されていた。左掌が下で、右掌が上という位置だ。

 次の瞬間――

 女性が固定した両掌の間を中心に、大気が渦を巻き始めた。

 風が、塵が、気配が、収束する。

 その右手と左手の間――わずか三〇センチにも満たない小さな空間に。

 やがて風は、塵は、気配は、光となった。

 炎のように揺らめいて猛る、女性が集めた圧倒的な戦闘意志の具現。

 そして、女性の口が、何かを吠える獣のように開かれる。

 その咆吼と同時に、女性が両掌を前方に突きだした。

 途端――射出される。

 すべてを巻き込み荒ぶる気が、弾丸のような鋭さを纏って、空気を突き破りながら前進――いや、空気を打ち抜きながら、空気を征服しながら進んでいく。

 その着弾予想地点に佇むのは、赤胴着の男性。

 男性の体は未だふらついており、豪と音を立てて迫る気弾を回避できそうな気配がまったく無い。

 だが、その瞳はまだ死んでいなかった。

 体がをふらつかせたまま、男性が口を開く。

 女性が弾を放った瞬間のような、天に響き渡る勢いの、咆吼。

 やがて、白き炎の固まりは男性の眼前に――

 次の瞬間、世界は白く染まり――



「す、げぇ……」

 こんなにも、流麗なものなのか。

 こんなにも、熾烈なものなのか。

 咲弥は魅入っていた。

 ゲーセンに入って真正面――自動ドアのすぐ前に置かれた液晶ディスプレイに流れる、『セルリードファイターⅣ ザ・スーパー』のPVに。

 まさかここまでのモノとは思っていなかった。

 アヴァロニアやその他のゲーム雑誌を見て、写真ではゲーム画面のサンプルなどを確認していたのだが……。

(最近のゲームって――すごいんだな)

 年配のような感想を抱いてしまう咲弥だった。

 まず、グラフィックが綺麗だ。

 顔は二次元イラストの余韻を残しつつ、すべてのキャラクターが立体的に、細かい部分までしっかりと再現されている。筋肉や衣服の質感なども極めてリアルな、出来の良すぎる3Dモデルだ。

 おまけに背景や小物までばっちりと表現されており、文句の付け所がない。

(い、いかん……)

 咲弥は自分が店の入り口でぼーっとしていたことに、ようやく気付いた。

 本来の目的を思い出し、杖を突いて、ビデオゲームコーナーのある二階へと向かう。

(あれが筐体か?)

 ほどなくして、目的のセルⅣがインプットされた、黒い筐体――ゲーム台を発見した。

 店内BGM(ひょっとしたらタミーの曲かもしれないが、咲弥に断言できる自信は無い)に負けないほどの音量で、キャラクターの掛け声や打撃音、効果音、演出音が迸っている。

 ゲーム台の液晶のディスプレイは薄い。全体の縦幅は一メートル五〇センチほどで、横幅や奥行きは一メートルぐらい。それがシンメトリーに、向かい合う形で二つ並んでいる。

 ディスプレイ下のボードには、左側にスティックが、右側にいくつかのボタンが配置されていた。ボタンの並び方は、六つのボタンが縦×2、横×3の案配だ。離れたところにある別のボタンは、おそらくスタートボタンだろう。

 咲弥は筐体を確認すると、一度引き返し、階段横のマガジンコーナーへと向かった。

 本棚に収納されているのは、毎月発刊されている有名なアーケードゲーム雑誌――アヴァロニアと、いくつかのゲームのムック。

 ムックとは、あるタイトルのゲームについての攻略が記された、言わば攻略本のようなものだ。

 咲弥はアヴァロニアの隣にセルⅣのムックが並んでいるのを発見し、傍らのスチール椅子に腰掛けて、開いてみた。

 表紙をめくった瞬間に、僅かに香る煙草の匂い。

(ふっ……)

 懐かしさが、胸にこみ上げる。

 咲弥は昔、ジャンレボの練習の合間に、よくこうやって、ゲーセンのマガジンコーナーでムックやアヴァロニアを読んでいた。攻略の情報を仕入れたり、新しく始めようと思っているゲームの基礎知識を得たり、それで仲間たちと盛り上がったり……。

 その頃の記憶――今ではすっかり疎遠になってしまったゲーセン仲間たちとの思い出が、瞬時に脳裏を駆け巡る。

(あいつらは元気かね……)

 事故でケータイを破損した際、連絡先はすべて失ってしまった。その後、咲弥はゲーセンに行かなくなったため、今後また会うことは難しいだろう。

(さて――)

 思い出に浸ってしまいそうになるのを自制し、咲弥はムックに目を通し始めた。

 まず、『セルリードファイターⅣ ザ・スーパー』は、2D対戦格闘ゲームと呼ばれるジャンルのゲームである。

 2Dとはツー・ディメンション――つまり二次元である。

 プレイヤーは画面上に存在するキャラクターをX軸方向とY軸方向に移動させ(つまり縦と横の動きだけで、Z軸方向――画面奥や手前への動きはない)、ボタンやコマンドを入力し、各種攻撃や必殺技などを繰り出し合う。

 そうして相手の体力をゼロにするため戦うゲームのことを、総称して2D対戦格闘ゲームと呼ぶ。

 プレイ人数は、一人から二人。

 一人プレイの場合、プレイヤーは三十六人いるファイターの中から好きなキャラを選び、それを操作してCPUが操る敵キャラを撃破していく。いくつかステージをクリアして、最後のボスを倒すことができればゲームクリア。

 二人プレイの場合、プレイヤーは互いに好きなキャラを選択し、それで相手のキャラを倒せば勝利。日本の公式大会では、二本先取のルールがよく採用される。が、店によっては三本先取になっている場合もある。

(剣道とか柔道のルールみたいなもんか?)

 ただし、技ありのようなポイントは存在しないが。

 唯一の例外は、時間(九十九秒)が切れてしまった際には残りの体力が多いほうが勝ちになる、という部分と、打撃が相打ちになるなどして発生する、ダブルKOの存在だけだ。ダブルKOの場合、両者に勝利カウントが一本ずつ与えられる。

(この店は二本先取になってるみたいだな。てことは、①相手の体力をゼロにする、②時間切れの時に体力リードしている、のどっちかを二回やりゃ勝ちってことか)

 ちなみに咲弥の思考では及ばなかったが――

 AとBが対戦して、まずAが一ラウンド先取という状況があったとする。その際、二ラウンド目がダブルKOになった場合、両者に一本ずつ勝利カウントが入るため、結果としてAが二本目を取って勝利になる、といったケースもある。

(ん? このゲージはなんだ?)

 咲弥は対戦画面の見本写真に注目した。

 画面中央には、それぞれ右側と左側に陣取って技を放つ、二体の対戦キャラクター。

 画面上側には、各キャラクターの名前やそれぞれの体力ゲージ、その間に挟まれる形で残り時間――などの情報が表示されている。

 だが、画面の下部にもまた、謎のゲージが存在しているのだ。

 体力ゲージはマックス時は黄色で、減っていくにつれてどんどん赤に近づいていく仕様のようだ。

 しかしこの謎のゲージは、常に青色をしている。しかも体力ゲージと違い、なぜか四つに区切られている。

 また、謎のゲージはこの青ゲージだけではない。

 各キャラクターの青ゲージの後ろ側(1P側なら左端、2P側なら右端)に、小さな円を描くような形で、緑色のゲージがあった。長さは四分の三周といったところで、こちらは半分のあたりで二つに区切られていた。

 咲弥はこの写真に付随した、各種説明に目を通す。

 体力ゲージを含めたこれら三本のゲージは、以下のように説明されていた。


■体力ゲージ/攻撃を受けると減少し、ゼロになると敗北してラウンドを取得される。マックス時は黄色だが、減少するにつれ赤色に変わっていく。

■スーパーセルリードコンボゲージ/EX必殺技、セルガードキャンセル、スーパーセルリードコンボを使用するのに必要なゲージ。四本までストックでき、ラウンド間で持ち越せる。略称はスパコンゲージ、SCゲージなど。ゲージの色は青。

■ウルトラセルリードコンボゲージ/攻撃を『受けると』増加。五〇パーセント以上(つまり半分以上)溜まるとウルトラセルリードコンボを使用できる。ラウンド間の持ち越しは無く、ラウンド開始時はゼロからスタート。略称はウルコンゲージ、UCゲージなど。ゲージの色は緑で、ウルコンが使用可能になると炎が灯る。


(なるほど……)

 画面下側に表示されていた青と緑のゲージは、それぞれスパコンゲージとウルコンゲージ。

 咲弥はこの説明を読んで完璧に理解できたわけではないが(というか、EX必殺技やらウルコンやら言われてもわからない)、どうやら戦いを有利に進めるためのゲージらしい、ということだけは頭に入れた。

(アヴァロニアの特集でも、そんな説明があったっけ。ま、とりあえず画面の見方はわかった。……で、どうやって操作するんだ?)

 同じページに記載されていた、キャラの操作方法を読む。

 セルⅣでの入力インターフェイスは、八方向に動かせるスティックレバーと、六つのボタンである。

 移動やコマンドの入力などはレバー、攻撃技の入力などはボタンで行うのが基本のようだ。

(ボタンは……種類があるみたいだな)

 六つの攻撃ボタンには、大きく分けて二つの種類がある。

 上段に三つ並んだ『(こぶし)ボタン』と、下段に三つ並んだ『(あし)ボタン』だ。

 それぞれのボタンは左から順に弱、中、強の強さになっており、つまり――


    弱拳 中拳 強拳

 ※

    弱脚 中脚 強脚


 このような配置というわけだ。スティックレバーは※の位置にある。

 ムックのレバー入力は、それぞれの方向の矢印(←↖↑↗→↘↓↙←)で表現されていた。ボタンは省略して、弱Pや中Kになっている。拳はパンチのP、脚はキックのKというわけだ。

(さて)

 その後、ムックは基本動作や攻撃の種類などについての説明へと移行した。……が、咲弥はそれを閉じて本棚に戻した。

(元々、触って覚えるタイプだ。とりあえずやってみるか)

 いい加減、予習だけするのに飽きていたのだった。本人が思う通り、咲弥はゲームの説明書をテキトーに読んでプレイする派の人間だ。まず感覚で捉えてみて、行き詰まったり、新たな境地へと進みたい時に、改めて真面目に勉強する。

 他の格ゲーで盛り上がる中学生たちの間をすり抜け、咲弥はセルⅣの筐体に近寄った。1P側にも2P側にも人の姿は無く、画面上でPVとデモが交互に繰り返されている。

 咲弥は1P側の椅子を引いて、正面に腰掛けた。

 間近で見ると、ディスプレイは思ったよりも大きい。

(迫力あるな……)

 財布から百円玉を取り出して、筐体へ投入した。

 その瞬間にPVが中断され、タイトル画面が現れる。

 画面下部に『Please Start Button』の文字が表示され、それと同時に《セルリィードファイタァーⅣ(フォウォッ)! ザ・スゥパァァ!》と英語でタイトルコールが入る。

 咲弥は攻撃の六ボタンから離れた位置にある、スタートボタンを押した。

 直後、バシュゥゥン! という激しい効果音と共に、ノリのいいビートが流れ始めた。

(すげ、派手……)

 操作するたび、いちいち演出に感心してしまう。

 最初に目の前に現れたのは、『アーケードモード』と『ビギナーモード』のどちらで遊ぶか、という選択肢だった。

 画面上の説明によれば、アーケードモードだと第一ステージから乱入OKで、ビギナーモードだと第三ステージまでは乱入無しとのこと。

 乱入とは、CPUとの対戦をしている状態で向かい側の筐体に人が入り、そのままCPU戦を中断して、対人戦へと移行する過程のことだ。

 つまりビギナーモードだと、第三ステージまでは誰かに乱入される心配もなく、CPUキャラクター相手に練習ができる、ということらしい。

(初心者にはありがたいシステムだな)

 咲弥は迷うことなくビギナーモードを選んだ。

 次に現れたのは、使用キャラクター選択画面。

 だが、咲弥はこれもあっさりと選ぶ。

(PV見て一目惚れしちまった)

 咲弥が選んだのはセルⅣ……いや、セルリードファイターシリーズにおける、主人公的な立ち位置にいるキャラ――誰もが憧れ、尊敬し、格闘ゲームに明るくない人間にまで高い知名度を誇る永遠の格闘家――カトラだ。

(知ってはいたが、こうやってゲームで操作するのは始めてだな。女キャラっだってのにこのカトラは……かっこよすぎだろ)

 例えば他の女性キャラにある、『かわいさ』だったり『美しさ』だったりといった要素を、カトラはまるで無視している。

 黒い髪。白い胴着。赤い鉢巻。籠手。

 胴着から伸びた腕にはかなりの筋肉がついており、腹筋も絶対に割れていると容易に想像できる。

 だからこそ咲弥は、カトラというキャラをかっこいいと思った。

 ファンタジー作品を見て、かわいい女の子が細腕で大剣を振り回すことに敬服する――そんな次元の話ではない。

 カトラの立ち絵から滲み出るストイックさや、端正な顔立ちだが女っ気を削ぎ落としている部分などに、憧憬や好感を抱けるのだ。

(他の女キャラは、学生服とか着てけっこうかわいい感じだ。カトラだけカリスマありすぎだろこれ)

 などと考えている間に、次の選択肢が現れる。

(ん? ウルトラセルリードコンボを選ぶのか?)

 どうやら各キャラクターは二種類のウルコンを持っており、どちらを使用するのか、対戦前に選ぶようになっているらしい。

 カトラのウルコンは『(めつ)波號拳(はごうけん)』と『滅・豪龍拳(ごうりゅうけん)』だ。

 咲弥はどちらの技も知らないので、とりあえず最初にカーソルが合わさっていた滅・波號拳を選んだ。

 そして、画面が切り替わる。


 Stage 1  Katora【滅・波號拳】 vs Garon【オイルブースター】


 各対戦キャラクターの絵がVSで区切られて左右に表示され、いよいよバトルが始まる。

 戦いの前に、対戦キャラのちょっとしたデモが挿入された。

――カトラ『戦うことで、見つかる答えがある』

――ガロン『歯ぁ食いしばっとけやぁ!』

 画面左側に陣取って、PV通りの構えを取るカトラ。画面右側でカトラに相対するガロン。

 ステージは中国の繁華街で、戦いを見守る観衆や路上の小物などの完成度も高い。

《ラウンド1……ファイッ!》

(こ、これを動かせるのか)

 対戦デモなどで確認はしていたものの、改めてグラフィックのすごさに驚く。

 と、ここで咲弥は思った。

(ボタンはテキトーに押すとして、スティックはどうやって持てばいいんだ?)

 細い棒に球がくっついた、チョッパチャップスを一回り大きくしたようなコントロールスティック。

 よくわからなかったが、咲弥はとりあえず左手を上から被せ、球の部分を指先で軽く握るようにして操作することにした。

(……ん?)

 よく見ると、ディスプレイ下に吊された小さなパネルに、基本の操作方法や、各キャラの必殺技コマンドなどが載っている。

 咲弥はそれを参照しながら、一つひとつ動作を確認していくことにした。隅に『※キャラクターが右向き時の場合』と書かれているが、今まさにカトラは右を向いているので、このまま表記通りに実行して問題無いはずだ。キャラの位置が入れ替わって左向きになったら、まったく逆のことをすればいい。

 敵キャラは先ほどから画面右端に後退し続け、時折、思い出したように『おりゃぁ!』とパンチやキックを空振りしている。ファーストステージということで、CPUのレベルも低いのだろう。邪魔されずに練習できそうである。

(まずは、前進・後退・しゃがみ)

 スティックを左右に倒す――すなわち←と→の入力で、それぞれの方向にキャラが歩く。下要素(↓or↙or↘)を入れるとキャラはその場でしゃがむ。

(ジャンプは上方向に)

 ↑に入れるとキャラが垂直にジャンプする。キャラの身長×二の高さほど浮き上がり、キャラ名や、体力ゲージ、時間表示などと被ってしまう瞬間がある。

 ↗で前方に、↖で後方に、山なりの軌道を描いてジャンプする。前方or後方ジャンプ後は、ジャンプ前の位置から横二.五キャラ分ほどの距離を移動するようだ。

(前二回でダッシュ。後ろ二回でバックステップ)

 →→と連続入力することで、前に横一キャラ分ほど素早く進む。←←で横一キャラ分ほど瞬時に後退する。

(ガードは←or↙と書いてあるが、今やっても後ろに歩くかしゃがむだけだな)

 ガードに関してはあとで試すことにした。

(攻撃は……とりあえずそれぞれのボタンを押せばいいのか)

 咲弥は試しに人差し指で、弱Pボタンを押してみた。

 瞬間――カトラが素早く前方にジャブを繰り出した。

(おお)

 弱P、弱P、弱P。

 シャッ! シャッ! シャッ!

 弱P弱P弱P弱P弱P弱P弱P弱P。

 シャシャシャシャシャシャシャシャッ!

(ボタン連打で連発できるのか。でもリーチはかなり短い。『弱』パンチだからか? ってことは……)

 今度は薬指で、強Pを押してみる。

 するとカトラは、『はぁっ!』と気合いを出しながら、荒々しいフックパンチを放った。

(か、かっこいいな。強そうだ。リーチも弱Pの三倍ぐらいある)

 咲弥は強Pを連打してみたが、予想通りというか、弱Pのように連発はできなかった。

 次に試した中Pは正拳突きで、技の動作の長さやリーチは、ちょうど弱Pと強Pの中間あたりだ。

(つまり、弱の攻撃ほど素早くて軽い。強の攻撃ほど鈍くて重たい……のか?)

 咲弥は試しに、画面端をうろうろしていた敵キャラに近寄って、体力ゲージに注目しながら技を当ててみた。

 弱P――ピシッ! 微妙に敵体力が減った。

 中P――ズシャッ! 弱Pの二倍ほど敵体力が減った。敵が『グッ!?』と呻き声を上げる。

 大P――ドゴォッ! 弱Pの四倍ほど敵体力が減った。敵が『グハァッ!?』と叫び、衝撃で横一キャラ分ほど体が後退している。

 どうやら咲弥の予想は当たっていた。脚ボタンの攻撃も試してみたが、結果は拳ボタンと同じだ。

(なるほどな。これが通常攻撃ってわけか。あと、立ってる時としゃがんでる時は、それぞれ違う技が出る。それに、立ち技を敵と密着するぐらいの至近距離で出すと、モーションが変化するな)

 セルⅣの基本立ち技は、咲弥が気付いた通り、遠距離用と近距離用の二種類が用意されている。これらの切り替えは完璧にオートでなされるため、出したい技があるなら、距離の把握が重要となる。

 また、しゃがみ攻撃はどの距離でも同じ技が出る。ジャンプ攻撃は垂直ジャンプ中と前方or後方ジャンプ中で別の技が出るが、やはり距離によって技が変わることは無い。

(んで、次は必殺技だ)

 ここまでワンボタンで繰り出すことができたのは、通常技。

 咲弥がこれからやろうとしているのは、レバーによる入力+所定の攻撃ボタンで繰り出せる、必殺技と呼ばれる種類の攻撃だ。

 ……と、ここでタイムオーバーになり、体力勝ちしていたカトラが一ラウンドを取得。第二ラウンドへ移行した。

(カトラの必殺技は、三つ)

 咲弥はパネルの中頃に記されたカトラの技表の、必殺技欄に注目する。


■波號拳 … ↓↘→+P

■豪龍拳 … →↓↘+P

竜巻旋空脚(たつまきせんくうきゃく) … ↓↙←+K(空中可)


(波號拳は俺でも知ってる)

 あまりにも有名になりすぎた格ゲーの、あまりにも有名な技。

 格ゲープレイヤーでない人間に通じることも多々ある、すべての飛び道具の原点。

 それが波號拳だ。

(下入れて、斜め下、横と同時に拳ボタンのどれか。レバーをくるっと四分の一回転させる感じか? ……よっ)

 咲弥は丁寧にレバーを滑らせて、最後に弱Pを押し、波號拳のコマンドを入力した。

 しかし、カトラはシュッとジャブをしただけで、あとは何も起こらない。

(失敗した? 遅かったか?)

 今度はさっと早めに入力して弱P。

 だが、カトラはジャブを空振りするだけ。

(おいおい、思ったより難しいぞ)

 二度の失敗で、咲弥は焦りを抱いた。思わず背筋を伸ばし、真面目に画面に向き合う。

 その後も咲弥は失敗を繰り返した。しかし、根気よくコマンドを入れ続ける。

 すると、失敗回数が二桁に到達したあたりで、不意にカトラが腰を落とし、PVで見たような構えを取った、と思った矢先――

『波號拳!』

(あっ!?)

 出た。

 カトラが前方に突きだした両掌から、青白い、人間の頭を一回り大きくしたようなサイズの気弾が迸り、まっすぐ水平に進んでいった。

 それは画面右端に佇んでいたガロンに直撃し、ボウッ! という不思議な打撃音と『グハァッ!?』という呻き声を上げさせた。

(あ、あはは……ダメージそんなに高くない。中パンとか中キックぐらいだ。でも――)

 これは強い。

 画面端で撃って、反対側の画面端まで届く飛び道具。

 どうにかコツらしいものを掴んだ咲弥は、何度か失敗を繰り返しながらも、すべての拳ボタンで波號拳を試し撃ちしてみた。

(弱がけっこうノロくて、強が一番速い。中はまさしくその中間)

 ボタンの強弱で、弾速を制御できるようだ。

 この波號拳はきっと、頼りがいのある飛び道具となるだろう。

(じゃあ次は、豪龍拳。右、下、斜め右下の順で、同じように拳ボタン。……よっ)

 が、やはり失敗してジャブ。

 咲弥も最初から出せるとは思っていなかったので、波號拳の時と同じように、忍耐強く練習し始めた。

 ところがである。

(で、出ない……)

 波號拳は、何度か練習したら出てくれた。

 しかしこの豪龍拳は、いつまでたっても成功しない。

(コマンド見間違えてないか? 右、下、斜め右下……。カトラはちゃんと右向いてるし……うん、合ってる。ってことは、単純に俺がミスってるだけだ)

 無理もない。咲弥が格ゲーに触れたのは、ついさっき。おまけにレバーでキャラを操作するという経験を得たのも、今し方のことなのだ。

 家庭用ゲーム機の通常コントローラーならまだしも、アーケードスティックになど、咲弥はまったく慣れ親しんでいない。

(うぉぉぉなんかこれ悔しいぞ……)

 自分の体が思うように動かない。

 そんな感覚を抱いてしまうほど、もどかしい。

 咲弥はそれを堪えつつ練習し続けたが、時間切れの体力判定でガロンに勝利するまで、一度も豪龍拳を出せなかった。誤って波號拳が出ることはあったが。

(マジかよ。思ったよりずっと難しいな)

 続く第二ステージ。

 相手はリーズという名の、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせた女性キャラだ。

(……やーめた)

 と言っても、セルⅣをではない。

 豪龍拳にこだわることをだ。

(別に、ただ遊ぶだけなら波號拳と通常技だけで充分だ。……ってそういや、竜巻旋空脚のことすっかり忘れてたな)

 残る最後の必殺技。

 コマンドは、ちょうど波號拳と対になる↓↙←だ。最後に押すボタンも、拳から脚に変わっている。

 咲弥は今まで通りの要領で、竜巻旋空脚の練習を開始した。

 しばらくすると波號拳同様に、ある程度は安定して繰り出せるようになった。

『竜巻旋空脚!』

 カトラは画面三分の二ほどを横に低空移動し、その間に立ち状態のリーズを後方に大きく吹き飛ばして(『かはッ!?』)着地する。

(小さく浮き上がって、低空で画面を横に移動しながら蹴りで攻撃する技か。……なんか、トラえもんの竹炭コプターを思い出しちまった)

 脚を翼であるかのように突き出して、くるくる回りながら低空突進。

 波號拳とは違いどこかシュールな感じがして、咲弥は思わずくすりとさせられた。

(さて――)

 豪龍拳を諦めるとするなら、まだ試していない残りの技は、スーパーセルリードコンボである『真空波號拳』と、ウルトラセルリードコンボである『滅・波號拳』だけだ。

 だがそのコマンドは――

(真空が↓↘→↓↘→+拳ボタンのどれかで、滅が↓↘→↓↘→+拳ボタン三つ同時押し?)

 豪龍拳も出せなかった咲弥には、できる気がしない。

 造りとしては、単純に波號拳のコマンドが二倍になっただけなのだが。

 咲弥は試しに真空波號拳のコマンドを入れてみたが、普通の波號拳が出ただけだった。

(うん、これも無視しよう。あと、全キャラ共通の特殊行動ってのが残ってるが……)

 弱P+弱K+ニュートラルor←or→で投げ。

 中P+中Kでセルガードアタック。

(これも今はいい。投げはまだわかるとして、セルガードアタックってのはさっぱりだ。溜めによって強さと属性が変化のなんの書いてあるがわからん)

 自分は技のコマンドを入れに来たわけではない。

 セルⅣをプレイしに来たのだ。

(というわけで、普通に戦ってみるか)

 咲弥は第二ステージの一ラウンド目を取得し、二ラウンド目から本気を出し始めた。

《ラウンド2……ファイッ!》

(簡単に考えると、強系の攻撃当てたほうがいいよな。ダメージでかいし)

 確かにその通りである。

 咲弥は知らないが、セルⅣにおけるキャラの体力は、数値化するとおよそ一〇〇〇が基準となっている(もちろん細かなキャラ差あり)。

 カトラの持つ強P及び強Kの通常攻撃は、立ち、しゃがみ、ジャンプ状態を問わず、どれも一〇〇ほどダメージがある。

 つまり単純計算で、およそ十発、強系の攻撃を当てれば勝てるという算段だ。

(それに強系の攻撃は、リーチも長くて当てやすい)

 というわけで。

 咲弥は強パンチや強キックを中心に、敵キャラをがしがしと攻め立てていった。

 戦法も何もない。ただ敵に歩いて近づき、間合いに入ったら強Pや強Kを放ち、敵に『かはァッ!?』と叫ばせる。それだけだ。

(うりゃ。おりゃ。……にしてもすごい)

 たとえばこの、遠距離立ち強K。

 遠距離立ち強Kは、カトラが『せいやぁっ!』と気合いを入れながら、その場で瞬時に回転して、後ろ回し蹴りを放つモーションの攻撃だ。

 自分の頭の高さほどまで綺麗に伸びた脚。

 まったくぶれていない体勢と、空振り時に発生する鋭い風切りの音。

 この一動作を見ているだけでも、なかなか飽きない。

(ひょっとすると……俺にはもうできない動きだから、魅力的に見えちまうのかな?)

 事故に遭うまで、咲弥はダンスと一緒に空手を習っていた。

 ダンスの師匠から勧められて始めたのだが、それなりに楽しんでいた。ジャンレボに流用できるような動きを発見したりして、いつしか空手も好きになっていた。

(俺も昔は、こんな風に蹴ったりしてたんだよな。あと、こんな風にパンチしたり)

 咲弥は遠距離立ち強P、強Kの、フックと回し蹴りを連発する。

 カトラのように、これだけ綺麗で強い攻撃だったという自信は無いけれど。

 だけど咲弥も昔、これと同じ動きを確かにできたのだ。

 事故で左足の自由を失うまでは。

 だから自分は今、ゲームで再現されたカトラのリアルな動作を見て、懐かしくなったり、寂しくなったり、嬉しくなったり、いろんな感情を味わっている……のだろうか。

(よくわからん。ただ、心地が悪いわけじゃない)

『かはァッ!?』

 サンドバッグ状態の敵キャラには悪いのだけれど。

 決して、画面の中で殴ったり蹴ったりすることが楽しいわけではないのだけれど。

 咲弥はしばらくの間、カトラのフックパンチに、回し蹴りに、跳び足刀に、魅入り続けた。

 そして、第二ステージをクリアする。

 第三ステージに突入するものの、やはりCPUは弱く、ここもまたあっさり二ラウンド取得。

 さくさく第四ステージへと進んだ。

 ふと、咲弥は思い出す。

(ビギナーモードでの乱入無効はここまでだったな)

 確かそう説明書きにあった。

 つまりここから先は、誰かが正面の筐体にコインを入れて、咲弥に乱入対戦を仕掛けてくる可能性もあるわけだ。

 などと考えていると――

《A new warrior has entered the ring!!》

「!?」

 突如、画面にそんな文字が浮かび上がり、CPUとの対戦が中断された。

 そして現れたのは、キャラセレクト画面。

(なんだ? ひょっとして、誰か入ってきたのか?)

 そのまさかだった。

 咲弥は画面の指示に従い、再度、カトラのウルコンを選び直す。


 Katora【滅・波號拳】 vs Hyoga【紅蓮旋空脚(ぐれんせんくうきゃく)


(た、対戦だ)

 唐突に始まったが、これは紛れもない対人戦。

 咲弥VS知らない誰か――画面を挟んだ向こう側にいる人物との戦いなのだ。

(……落ち着け)

 咲弥は自分が少し――いや、かなり興奮していることに気付き、ゆっくりと息を吐いた。

(こういう時は、あんまり何も考えるな。こっちはまだ始めたばっかりなんだ)

 きっと失敗するだろう。

 きっと負けてしまうだろう。

 だが、それでも――

 その先を心の中で唱える前に、戦いの火蓋は切って落とされた。

 二体のキャラが、スタート位置で構えを取っている。

 画面左側には、咲弥の操るカトラ。

 画面右側には、カトラの親友にしてライバルの同門格闘家。PVで共に死闘を繰り広げた、金髪の一つ結びに赤い胴着のキャラ――ヒョウガがいる。

 ステージはロシア。鉄道の操車場にある広場だ。至る所に雪が積もっており、対峙する二人のキャラの口元からは、白い吐息が零れている。

《ラウンド1……ファイッ!》

(当たって砕けろ!)

 先手必勝、と言わんばかりの勢いで。

 咲弥はスティックを↗に入れる。

 すると、カトラが地を蹴って、山なりの軌道で前方へジャンプ。

 パシィッ! と強Kボタンを薬指で弾き――

『とぁっ!』

 鋭い気合いと共に、跳び足刀を繰り出した。

 だが、ヒョウガは片腕を上げて、これを難なくガードする。

(くっ……!)

 ヒョウガのすぐ前に着地するカトラ。

 咲弥はとっさに強Pを押し、フックパンチで第二の攻撃を仕掛け――られなかった。

(なっ……!?)

 確かに咲弥は強Pを押し、カトラもフックパンチの予備動作に入っていた。

 しかし攻撃を繰り出す前に、ヒョウガが繰り出したしゃがみ弱P――しゃがみながらのジャブで、潰されてしまったのだ。

 カトラの攻撃動作が強制的に中断され、弱攻撃を食らった際の、微妙に体を震わせるモーションへと移行する。画面端には《Counter hit!!》の文字が。

(止められた!?)

 しかも、それだけではなかった。

 ヒョウガの繰り出した二発目のしゃがみ弱Pがさらにヒット……と咲弥が認識した次の瞬間――

『豪龍拳!』

(あっ!?)

 突如、ヒョウガは地面すれすれに構えた左拳に炎を宿し、それを天に向かって振り抜いた。

 全身を使った豪快なアッパーだ。

 ヒョウガは『ダゥフッ――ダゥフッダゥフッ!』と三発分の打撃音を奏でつつ、カトラを大きく吹き飛ばしながら、目にも止まらぬ早さで急上昇した。

『ぐ――ぐ――ぐおァッ!?』

(な、なんだこりゃ!? 今のが豪龍拳か!? 三回当たったぞ!?)

 画面上端まで拳を掲げて昇り切り、攻撃を喰らったカトラが豪快に背中から墜落したのと同時に、軽やかに着地するヒョウガ。

(かっけぇ! ってんな場合か! ていうかカトラとヒョウガは、ひょっとして同じ技を?)

 咲弥の予想は正しい。

 カトラとヒョウガは物語の設定で、同じ格闘技を学んだ同門の輩ということになっている。そのためどちらも必殺技は同じで、波號拳・豪龍拳・竜巻旋空脚の三つなのだ。

 と言っても、もちろん性能差が存在する。また、スパコンやウルコンなどはまったくの別物である。

 ――と、画面端に文字が浮かび上がった。

《5 hit Combo!!》

(5ヒットコンボ? ってことは今の攻撃、全部、繋がってたってことか? ジャンレボ的に考えるなら)

 その憶測も正しい。

 ほとんどの格闘ゲームには、連続攻撃――コンボと呼ばれる概念が存在する。

 攻撃を隙の無いように繋げて当て、相手に一切の反撃を許さぬまま一方的にダメージを与える連係。それがコンボだ。

 たった今、咲弥のカトラがヒョウガに喰らったのは、しゃがみ弱パンチ二連打からの必殺技――【屈弱P×2→強豪龍拳】という、ヒョウガ使いなら誰もが覚える基本コンボだった。

 ちなみにだがコンボの内容(使われる技やそれを繰り出す順番など)はレシピと呼ばれ、ムックや攻略サイトでは、前述した【 】内のように、レシピを簡単に表記して紹介されることがほとんどだ(しゃがみを『屈』、ジャンプを『J』と書くなど)。

 と――

(くっ!?)

 ヒョウガの豪龍拳にダウンを奪われたカトラは、咲弥が何も操作せずとも、自動的にその場で起き上がろうとしていた。

 そこに、ヒョウガが前方ジャンプで跳び込んできたのだ。

(起き上がりを攻められる! ガードを!)

 ガードは後ろ方向――右向き時は←か↙入れっぱなし。

 咲弥はとっさにレバーを←に入れ、ヒョウガの跳び足刀をガードすることに成功した。

(よし!)

 そのまま眼前に着地するヒョウガ。

 さらに攻撃が来ると読んだ咲弥は、そのままレバーを←に入れ続けてガードを維持――できなかった。

『ぐっ!?』

(なっ!?)

 カトラは攻撃を喰らっていた。

 ヒョウガが至近距離で繰り出した、屈弱K――足下を狙って繰り出された、リーチの短い小さなキックを。

(なんでだ!? 俺はガードしてたぞ!? 最初の跳び蹴りは防御できてたろ!?)

 などと咲弥が思っている間に、ヒョウガは【屈弱K→屈弱P】と攻撃を繋ぎ――

『豪龍拳!』

 再び最後を強豪龍拳で締めて、カトラを豪快に吹き飛ばした。

 苦しそうに呻くカトラと、《5 hit Combo!!》の文字。

(やばい!)

 体力ゲージを見ると、カトラの残り体力は既に三分の二となっていた。

 しかも立て続けに吹き飛ばされたせいか、いつの間にか画面端に追い詰められている。

(どうすれば……!)

 と考えている間に、ヒョウガがダッシュで接近してくる。

(また起き上がりを攻められる!)

 咲弥はとっさに←とレバーを入れようとして――失敗していた。

 本人は気付いていなかったが、↙と入力し続けてしまったのだ。

 すると――

(あっ!? ガードできた!?)

 先ほど喰らった【屈弱K→屈弱P】を、起き上がりに重ねてきたヒョウガ。だがカトラは、それをしゃがんだ状態でしっかりガードし、ダメージを通さなかった。

(も、もしかしてこれは、しゃがまないとガードできない攻撃だったのか!?)

 その通りである。

 2D格闘ゲームにおけるすべての打撃技は、三つの種類に分けられる。

 それすなわち――


■上段攻撃 … 立ちガード(←)でもしゃがみガード(↙)でもガードできる、ガード方向を問わない攻撃。地上で放つ技は、そのほとんどがこれに該当する。

■中段攻撃 … しゃがみガード不能の攻撃。つまり、立ってガードするしかない攻撃。ジャンプ攻撃全般や、地上で繰り出す一部の特殊技など。

■下段攻撃 … 立ちガード不能の攻撃。しゃがんでガードするしかない攻撃。しゃがみながら繰り出す攻撃の一部など。


 これらの三つである。

 先ほどの、咲弥が起き上がりから立ちガードを入れ続けていた場面にて。

 ヒョウガが最初に放った跳び蹴りをガードできたのは、それが中段属性の攻撃だったから。

 続く屈弱Kをガードできなかったのは、それが下段属性の攻撃だったから。

(相手のジャンプ攻撃は立ってないとガードできねぇ! 逆に、地上の足払いとかはしゃがんでないとガードできん!)

 咲弥はヒョウガに跳び込まれ、地上技に繋がれ、再び跳び込まれ――ということを繰り返されているうちに、なんとかそのことに気付いた。

 しかしその時点で、残りの体力は三分の一ほどになっていた。

(いつ攻撃すりゃいいんだよ!?)

 ぎりぎりのタイミングで反応してガードし続けてはいるものの、完全に防戦一方だ。

 だが下手に手を出せば、カウンターヒットからコンボに持って行かれてしまう。

(くそっ!)

 反撃の糸口がまったく見えない咲弥には、ひたすら防御を固めることしかできなかった。

 しかし、何度目かの跳び込み攻撃をガードし、次の地上技に備えてしゃがみガードに移行したその瞬間。

 なんと、ヒョウガがカトラの胴着の胸元をがっしりと掴み――

『おりゃぁ!』

『ぐはぁっ!?』

(あっ!? な、投げられた!?)

 豪快な一本背負いで地面に叩きつけられてしまった。

 前述したように、2D格ゲーにおける打撃技には、上段・中段・下段の三種類がある。

 だがそれ以前に、格ゲーにおける攻撃技は、二つに分類することができる。

 それが、打撃技と『投げ技』だ。

 打撃技のガード方向は先に記した通りだが、投げ技はまた違う。

(お、俺はちゃんとガードしてたぞ!? まさか今の投げは……ガードできないのか!?)

 そう、2D格ゲーにおいて投げ技に分類されるものは、そのほとんどが『ガードをすることができない』攻撃である。

 セルⅣの場合、プレイ前に咲弥が確認したように、弱P+弱K+レバー(任意方向)の同時押しで、どのキャラでも投げ攻撃を繰り出すことができる。

 通常技と比べるとリーチは遙かに短く、空中にいる相手や、打撃をガード中、または喰らい中の相手には決めることができない。しかし技の発生が速いため、相手と密着している場合などに効果的な攻撃なのである。

 または今の咲弥のように、ひたすらガードを固め続けている相手にも高い効力を発揮する。

(っておい! ガードできないならどうやって防ぎゃいいんだ!?)

 再び起き上がりに跳び込んで来るヒョウガ。【J強P→屈弱K】と技を放たれ、それを連続ガードした瞬間に、また投げられる。

(な、投げの予備動作がまったく見えん!)

 再び起き上がるカトラだが、今度は打撃を刻まれることもなく最初から投げを喰らい、荒々しく叩きつけられて、体力ゲージがゼロとなった。

《KOォォォゥッッ!》

『ぐあァァァッッ!?』

 微妙にスローモーションになり、がくりと意識を失うカトラ。その傍らで、高らかに右腕を掲げて『よしっ!』と顔をほころばせるヒョウガ。

(くっ……一ラウンド取られた)

 画面右上にあるヒョウマの体力ゲージの下に、ラウンドを取得したことを示す『V』のマークが出現する。

 あと一本取られれば、咲弥は負けてしまう。

(今みたいなのじゃダメだ。こっちも攻めないと)

《ラウンド2……ファイッ!》

 開戦の合図を聞くや否や、咲弥は再び前方ジャンプして、ヒョウガへ攻め込んだ。

 さっきは相手に連続で跳び込まれ、攻撃をガードさせられ続け、気がついたら負けていた。

 だったらこっちもまた、それを真似てやればいい。

 そう考えた咲弥は、地上に佇むヒョウガへJ強Kの跳び蹴りを放ち――

『豪龍拳!』

『ぐはぁっ!?』

(なにっ!?)

 次の瞬間、ヒョウガの中豪龍拳によって迎撃されていた。

(う、撃ち落とされた!? こっちのジャンプ攻撃が一方的に負けたぞ! 強ぇ!)

 安易な跳び込みは、このヒョウガには通用しないようだ。

 今度はカトラの起き上がりに、ヒョウガが跳び込み攻撃を重ねてくる。

(カトラにも豪龍拳はあるんだ! 迎撃したいが……くっ!)

 咲弥は豪龍拳が出せない。いや、練習したが出せなかったのだ。

 しかたなくジャンプ攻撃をガードし、すぐさましゃがみガードに移行し――そしてまた投げを喰らってしまう。

(パターン入ってるぞ! くそっ!)

 そのまま怒濤の打撃と投げラッシュを見舞われ、あっという間に体力を減らされる。

 残り体力ゲージは僅か。

 もう一発打撃か投げを喰らえば、間違いなくやられてしまう。

(何か……何か手は……!)

 もし自分が物語の主人公だったなら、と咲弥は思う。

 絶対に何か逆転の手が残されていて、自分は最後まで諦めずに戦い抜いて、瀕死の状態から見事に勝利をもぎ取るのだろう。

 だが、現実はそう甘くなくて。

 咲弥は三十分前にセルⅣを始めたばかりの素人で。

 相手は明らかに経験者で。

 と、その時――

『いくぜぇっ!』

(……!?)

 突如、ヒョウガが豪龍拳を打つ直前のごとく左拳を構えたかと思うと、いきなり画面が暗転した。と同時に『キィィンッ!』という効果音が迸り、稲妻のようなエフェクトがヒョウガに付加され、次の瞬間――

豪龍裂破(れっぱ)ぁっ!』

 ヒョウガがそう叫びながら、多段ヒットする豪龍拳を、連続で叩き込んできた。

(な……!?)

 明らかに、一線を画している。

 この豪龍拳は、これまで繰り出されたどの攻撃よりも素早く、力強い。

 だが――

(ガードしきれば!)

 そう、咲弥はこの攻撃を、しっかりガードしていた。残りが爪の先ほどになった体力を死守すべく、彼はひたすら防御を固めていたのだ。

 ガガガ――と、カトラのガードの上から、豪龍拳をごり押しで当ててくるヒョウガ。

 豪龍拳を繰り出したキャラは体が宙に浮くため、大きな隙が生まれる。

 やがて訪れるであろう反撃の時に備え、咲弥は攻撃ボタンの位置を指先で確認した。

 一発目の浅い上昇の豪龍拳を凌ぎきり、そして二発目の豪龍拳を捌いた――と思ったその瞬間。

《KOォォォゥッッ!》

『ぐあァァァッッ!?』

(は……!?)

 カトラが絶叫しながら大きく吹き飛び、ヒョウガはゆっくりと着地する。

(お、俺はちゃんとガードを……なっ!?)

 咲弥はカトラの体力ゲージを見て驚く。

 爪の先ほどとはいえ、しっかり残っていたはずの体力が、ゼロになっていた。

(まさかさっきの攻撃はガード不能じゃ……いや、途中まではしっかり防げてた! いったいどういうことだ!?)

 混乱する咲弥には、気付けるはずもない。

 このセルⅣに、『削りダメージ』と呼ばれる要素が存在することに。

 削りダメージとは、必殺技・スーパーセルリードコンボ・ウルトラセルリードコンボによる攻撃を『相手にガードさせた際』に生じる微量のダメージのことだ。

 つまり、直接ヒットした場合には及ばないものの、先に挙げたコマンド入力が必要な攻撃は、すべて、ガードの上からでも少しだけ体力を『削れる』のである。

 全部で三ヒットするヒョウガの強豪龍拳を例に挙げると――


■ヒット時合計 … 七〇+四〇+三〇 =一四〇ダメージ

■ガード時合計 … 一七+一〇+七  =二十四ダメージ


 このようになる。

 先ほどの対戦で敵のヒョウガが最後に放ったのは、スーパーセルリードコンボゲージ(画面下部の青色のゲージ)をすべて消費して放つ、二連続の豪龍拳――その名も豪龍裂破。↓↘→↓↘→+Pで出せる、ヒョウガのスーパーセルリードコンボである。

 咲弥はこの攻撃を、本人が自覚していたように、しっかりとガードしていた。

 しかし、どうやっても発生してしまう削りダメージにより、残り僅かだった体力をすべて削り取られてしまったのだ。

 これが、最後のKOの真相である。……が、先ほどセルⅣを始めたばかりの咲弥が、そんなことを知るはずもない。

 しかしながら、しばらくして落ち着いた咲弥は、一つだけ理解した。

 自分は負けたのだという事実を。

 まさしく完敗で、文字通り、手も足も出なかったという現実を。

『オレの得意技を忘れたわけじゃないだろう?』

(……)

 咲弥は画面上に現れたヒョウガの勝利メッセージを見ながら、放心してしまう。

 そこで、気付く。

 自分が今の対戦に、思った以上に熱くなっていたことに。


――あなたは根っからのゲーマーよ。口ではそう言っても、ゲームを楽しむことで聖地祭の頂点に立ったあなたが、ゲームを楽しむことを忘れられるはずがない。あなたは私に、そして自分に嘘をついている――


(……ははっ)

 何が『ゲームは二度とやらない』だ。

 レッドの言うとおりだった。

 溢れてくる感情を、止めることができない。

 悔しい――悔しい――狂おしいほど悔しい。

 勝ちたい――勝ちたい――語り継がれるほど勝ちたい。

(なんてこったい……)

 自分はこんなにも、ゲームが好きじゃないか。

 自分はあっという間に、セルⅣにのめり込んでしまったではないか。

(だが、以下同文だ)

 やっても無駄だというのに。

 将来の役には立たないというのに。

 だから、やらないほうがいいというのに。

 それでも彼は、元プロゲーマーSakuyaは――


「どきな、社会的弱者」


「……は?」

 横合いから声を掛けられた――と、ワンテンポ遅れて認識したその瞬間。

 咲弥の左肩に、鋭い衝撃が訪れた。

「ぐっ!?」

 突如やってきた痛みと共に、咲弥は吹き飛んで、椅子ごとゲーセンの床に倒れ込んだ。

 ガシャンと大きな音が立ち、周囲の客が咲弥に注目する。が、すぐさま何かに気付いて驚いた表情を浮かべ、目を背けてしまう。

(っつ……。何だ?)

 咲弥が体を起こすと――

「テメェ、負けたらいっぺん席離れろや。アァ?」

 先ほどまで咲弥がいたセルⅣ筐体の前に、一人の少女がいた。

 リボンタイを、髑髏のアクセサリーで留めたセーラー服。袖は引きちぎられたかのごとくぼろぼろで、夏服のような長さになっている。

 セーラー服の上から羽織っているのは、これまた裾がぼろぼろのジップアップ式長ラン。

 両手にはバンテージが巻かれており、足下は黒のソックスと、頑丈そうなショートブーツ。

 髪の色はくすみを帯びたパサパサの金髪で、そこそこ長さのあるそれを、バレッタで後頭部に纏め上げている。

(誰だこいつ?)

 もちろん咲弥の知らない人物だった。

 ただ、こちらに向けられている柄の悪い表情から察するに、どうやらこの少女が怒っているということだけは理解する。

 そして――

「……おまえ今、ひょっとして俺のこと蹴ったか?」

「だったらどうだってんだよコラ」

 咲弥を蹴り飛ばして床に転がしたのも、この少女であるらしい。

(ったく、なんなんだいったい)

 そう思いながら、咲弥は近くの筐体を支えにして、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、彼を睨み付ける少女に真正面から視線を返した。

「いきなり蹴りくれるとはご挨拶だな」

「ハッ! テメェがさっさと席を離れねぇからだよ」

 少女は咲弥にガンをつけるのをやめ、床に転がった椅子を筐体の前に戻し、腰掛ける。そのまま懐から百円玉を取り出して、セルⅣをプレイし始めた。

「ここの1P席はなぁ、アタシの特等席なのさ」

「特等席?」

「ハッ」

 鼻で笑っただけで、咲弥の言葉には応えない。

 少女はヒョウガ【王龍拳(おうりゅうけん)】を選択し、先ほど咲弥を倒したヒョウガ【紅蓮旋空脚】との乱入対戦を始めた――と思いきや、相手のヒョウガがまったく動かない。

 少女のヒョウガが一方的に、がしがしとコンボを決めていく。

「……?」

「アタシだよ」

「なに?」

「さっきテメェをボコしてやったのは、アタシだっつってんだよ」

「……なるほど」

 咲弥はようやく理解した。

 つまりこの少女は、自分のお気に入りの席でプレイしていた咲弥を発見し、反対側の2P席から乱入して倒した。

 そうして咲弥を1P席から離し、そこに自分が座ることで特等席を確保しようとした、ということなのだろう。

「にしてもテメェ、弱かったなァー? 手加減してぴょんぴょん跳ね回ってやったのに、そのままフルボッコとか……ククッ! マゾくせぇ野郎だなオイ」

 咲弥は表情を変えぬまま、心の中でピキリと青筋を立てる。

 他の同年代に比べて落ち着きがあり、年齢不相応の器量を持ち合わせている彼だが、ゲームのことで挑発されたのがまずかった。

「相手にならなくて悪かったな。こっちはさっきのワンコインが初プレイだったんだ」

「ギャハハハハッ! そうかい、さっきのがテメェのセルⅣ童貞かい。悪かったなァ、ペロリとたいらげちまってよォ。一ラウンドあたり三〇秒ぐらいで死んじゃった早漏ちゃん」

 少女はわざわざ画面から目を離し、咲弥に下卑た笑みを向けてククッと笑った。

 咲弥の視線はどこまでも冷めている。沸々と煮立っている内心の感情とは裏腹に。

「俺じゃおまえの相手は務まらなかったみたいだな、ビッチ」

「……へェ」

 途端、空気が変わる。

 少女は相変わらず笑顔を浮かべているが、目が笑っていない。

「特等席にケツを擦りつけてくれるわ、言葉遣いがなってないわ、テメェ、やっぱアタシのこと知らねぇな」

「俺の知り合いにビッチはいない」

「……次にビッチって言ってみろ。二度とセルⅣできねぇ体にしてやる」

「ほぉ、興味があるな。ものの試しに言ってやろうか?」

「……」

 少女はもう、画面を見ていなかった。

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、咲弥の眼前――吐息のかかる距離まで歩み寄る。咲弥のほうがやや背が高く、見上げる形になっているが、その眼光は刃のようにギラついていた。

 一般人なら目を逸らしてしまうであろう視線を、咲弥は悠然と受け止める。だが心の中は、少女の眼差しと同じように燃えたぎっていた。

 バチバチと至近距離で睨み合う二人。

 近くのゲームで遊んでいた中学生たちが、ヒィと悲鳴を漏らしながら逃げていく。

 大人の客やバイトの店員たちも、そそくさとその場を後にする。

「なんだコラ? やんのかテメェ?」

「さっきからずっと思ってたが、時代錯誤な言葉遣いだな。懐古主義者なのかおまえ? それとも北校には、今は亡きヤンキーを現代に蘇らそうって部活でもあるのか?」

「この制服は知ってんのかよ。なら、恋森(こいもり)を占める美音牙十字軍(ビネガクルセイダーズ)のヘッド――我浜(がはま)雷華(らいか)っつーいい女のことはご存じかい?」

「へぇ、そんなやつがいるとは知らなかったな。そいつはおまえの友達か? だったら言っといてくれ」

 咲弥はまったく怯むことなく、声のトーンを落とし、ドスを利かせながら言った。

「そろそろ我浜・ビッチ・雷華に改名したらどうだ? ってな」

「て、テメェ……!」

 少女――雷華の表情が、瞬時に激昂の色に染まった。

 わなわなと全身を震わせ、爆発寸前の火山のようなオーラを放っている。

 親の敵を睨め付けるかのような激しい視線を、咲弥は平然と受け止めていた。

(舐めるなよガキ)

 雷華とケンカにもつれ込んだ場合、咲弥はおそらく負ける。筋肉で見た目以上に重い咲弥を簡単に蹴り飛ばした彼女が、弱いわけが無い。

 咲弥の勘だが、雷華は何か武道を嗜んでいる。そして、自分は左足が不自由。それらの要素が揃っては、勝てる見込みは薄い。

 しかし。

 だからと言って女子高生――同年代の少女に怯んでしまうほど、咲弥はおとなしい男ではなかった。

 クレバーでないとも言えるかもしれないが。

 と――

「姐さん。どうしやした?」

「……?」

 背後から聞こえた声に、咲弥は振り返る。

 雷華と同じ長ランを羽織ったガラの悪そうな男たちが、五人、集まっていた。

 皆、一様に咲弥を睨み付けている。

「オメェらか……。ちょうどいい」

 雷華が怒りで顔を強ばらせたまま、口元だけにやりと笑う。

 そして、なんのためらいもなく言い放った。

「このスかした野郎がさ、アタシにケンカ売ってくれたんだわ。適当にボコれ」

「へい」

 男たちもまた、自分より明らかに年下であろう雷華の命令に、ためらいなく頷いた。

 雷華が一歩下がると、咲弥はあっという間に囲まれてしまう。

「何があったか知らねぇが、うちの姐さんにガンくれるたぁいい度胸だ」

「ぶっ殺す! ぶぅぅっ殺す!」

「悪く思うなよ、あんちゃん」

(おいおい珍獣が増えたぞ……ったく)

 咲弥は溜息をつきながら、小さく(かぶり)を振った。

 そして、咲弥に拳の雨が降り注いだ。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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