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First Stage -Round 3-

「おい、今朝のニュース見たか?」

「見たぜ! レッド映ってたろ」

「ああ。マジでかわいいよな……。あんだけかわいい上に格ゲー強いって最強じゃね?」

「聖地祭での動きは神がかってたよなぁ。順位はビネガより下の三位になっちまったけど、去年のスリランカじゃ勝ってたし、時の運だよなありゃ」

「にしても、優勝したはずの桃原が話題に上らない件について」

「いや、桃原はすごいよ。認める。あいつこそ世界一位にふさわしい。マジ現人神(あらひとがみ)だよ。でも俺ら、はっきり言ってレッド派だし」

「クールビューティーっつーの? もう視線がたまらんよなぁ。踏まれたいと思っているのは俺だけじゃないはず」

「いや、レッドはあんまSっぽく見えないけど……おまえが踏まれたいならそれでいい。ところで誰か、レッドの今後の予定を知ってるやつはいるか?」

「日本に帰国して……はて何すんだろ? 公式サイトじゃ特に大会参加は表明してないし、今後のための修行をするみたいなことしか書いてなかったな。マネージャーの言葉だけど」

「ひょっとして、例のパートナーの件だったりしてな」

「あぁそうそう! あれどういうことだべ!? むっちゃ気になってんだけど!」

「わからん。ただ、俺はレッドの口から『心に決めた人』って言葉が聞けただけで満足だ。この言葉だけでご飯三杯はいける。くそ、うちに録画機器があれば……」

「ブルーレイの扱いを覚えた俺に隙は無かった」

「おい! その映像よこせ! いや、よこしてくださいお願いします!」

 生徒たちの活気で賑わう昼の学食。

 隅の椅子に腰掛けた咲弥の背後。

 集まった五、六人の男子生徒たちの会話が、咲弥の耳に自然と届いていた。

 咲弥は購買で買ったサンドイッチを囓りながら、思う。

(やっぱ今朝のあれは、幻覚かなんかだったんじゃないか?)

 聖地祭でセルⅣ第三位。

 誰もが認める日本人プロゲーマー。

 ニュースに出れば、生徒たちの話題を独占する。

 そんな存在なのだ。レッドという少女は。

 それがどうして、平日の朝から自分の家を訪ねて来る?

 ましてやなぜ、あんなことを自分に頼む?


――私のパートナーになって、一緒に聖地祭を目指してほしい――


(意味がわからん……)

 レッドにその台詞を言われた直後、咲弥は固まってしまった。

 あまりにも予想外な人物の出現と、予想外なキャラ変、予想外な台詞によって、フリーズしてしまったのだ。

 そこへ、忘れ物を回収したみちえが二階から下りてくる。

 だが、次にみちえが見せた態度もまた、咲弥を困惑させる要素の一つとなった。

『うわぁ!? チャイムが鳴ったからまさかと思ったけど、もう来ちゃったんだ!?』

 何か、違和感。

 驚く箇所が違うというか、その言い方だと、まるでレッドが現れること自体は不思議でないように聞こえてしまう。

 混乱の渦に叩き落とされた咲弥を尻目に、みちえとレッドは、旧知の仲であるかのように言葉を交わした。この時も、やはりレッドは笑顔だ。

『ごめんなさいみちえ。どうしても、彼に早く会いたくて』

愛鈴(あいりん)は?』

『止められたから置いてきたわ』

『うん、実は知ってる。今メールもらったとこ。ダメだよぉ? 愛鈴困らせたら』

『だけど――』

『はいはい、早くさく兄に会いたかったんだね、わかってるにょ。でもまぁ、見たらわかると思うけど、みっちぇとさく兄はこれから学校なんだ』

『そう、よね』

『せっかく来てくれて悪いんだけど、よかったら家で留守番しててくれない? 愛鈴も呼んじゃっていいし』

『え? でも、それは――』

『ここまで来てなに言ってんのさ。どうせどっかで時間潰すなら、うちで潰しちゃいなよ。家主の娘が許可します。みっちぇはレッドのこと信頼してるしね』

『……ありがとう』

『ただし! パパの部屋――は入らないだろうけど、さく兄の部屋に勝手に入るのは禁止! あと、脱衣所でさく兄の洗濯物漁るのも禁止! さく兄愛用のお茶碗舐め回すのも禁止! さく兄の靴の匂い嗅ぎ取るのも――』

『ぜ、全部しないから。普通にお留守番任されるから』

『そ。じゃあ、みっちぇとさく兄はお勤め行ってくるよん。またあとで~。なんかあったら連絡ちょうだいね~。玄関の鍵は閉めとくように~。あと、冷蔵庫にあるもの勝手に食べていいから~』

『行ってらっしゃい』

『ほらさく兄、遅刻しちゃうよ?』

 こうして咲弥は、みちえに促されるまま、レッドを置いて普通に登校した。

 そうして今、昼休みになって朝の出来事を振り返っているわけだが……。

(冗談としか思えん。なんなんだあれは?)

 登校途中、レッドの出現にまったく動じていないみちえに、咲弥はどういうことなのかわけを尋ねてみた。

 だが、『さっきレッドが言った通りだよ? 詳しくは帰ってから聞いてみて』という返事しかもらえずに、ますます混乱するだけで終わってしまった。


――私のパートナーになって、一緒に聖地祭を目指してほしい――


 やはり、ジョークとしか思えない。畑違いにもほどがある。

 確かに昔、自分はプロゲーマーだった。だが、プレイしていたのはあくまで音ゲーであって、格ゲーなんかまともに練習したことすらないのだ。

 いやそもそも、どうしてレッドは自分を選ぶ?

 格ゲーのパートナーなら、有力候補がいくらでもいるだろうに。同じ日本人で、かつ聖地祭で優勝を果たした桃原のような、強豪プレイヤーの候補がいくらでも。

(ダメだ、考えれば考えるほどにわけわからん……)

 昼食を食べ終えた咲弥は教室に戻り、自分の席で単語帳を眺めて予習をしていた。

 が、内容はさっぱり頭に入ってこなかった。

(ていうか、ジョークだろ)

 どう考えてもそうだ。

(いや、そもそもあれは、ほんとにレッドだったか? ニュースで見た服装と同じだったから無条件でレッドだと思っちまったが、みちえの友達が変装してただけじゃないのか?)

 充分にあり得る。

 それに、もしその仮定が正しいならば、パートナーになってほしい、聖地祭を目指して欲しい、という突飛な言動にも納得がいく。

 咲弥にゲーマーとして復活してほしいみちえが、友人に頼んであのような芝居を打たせた。どうにかして、咲弥に再びゲームをプレイしてもらうために。もう一度、プロゲーマーを目指してもらうために。

(てなところだろうな。……うん、やっぱありゃみちえの友達だ。どっかで見たことあるような気がするし)

 たぶん、みちえがこれまで家に招いた友達のうちの一人だろう。

 みちえは学校の友達を呼んで、定期的にパジャマパーティーを催している。そのため咲弥も何度かは、みちえの友達と話をしたことがある。全員の顔や名前を覚えているわけではないが、おそらくはそのうちの一人だったのだろう。

(手の込んだ冗談だな。いや、あいつにとっては冗談じゃないのかな……)

 みちえは何を思って、急にあんなことをしたのだろうか。

 別に、怒りなどがあるわけではない。

 ただ、このことに関してはしっかりと話を聞いておこう。普段は聞き流し気味だが、その時こそしっかりみちえの意志を聞いておこう。

 帰りのショートホームルームを終え、玄関でブーツに履き替えながら、咲弥はそう考えた。

 脱靴場から吐き出される生徒の群れに紛れ、杖を突いて、ゆっくりと校門へ向かっていく。

 と――

「すみません」

「……え?」

 校門から外に出た瞬間に、咲弥は声をかけられた。

 執事に。

 突然のことに、咲弥は言葉を失った。

「乙波咲弥さんですよね?」

「……あ、いや、まぁ、そうですけど」

 今日はいったいどういう日だ?

 咲弥はもう、さっぱりわけがわからない。

 咲弥に声をかけてきたのは、皺一つ無いスラックスとシャツ、ベストを纏った、それはそれはもう見事な女性執事だった。

 ニコニコと人が良さそうな笑顔を浮かべるその女性は、咲弥よりも背が高く、目算で身長一八〇センチは超えている。体型はすらりとして、しかし出るところはしっかり出ている理想的な形だ。

 その所作はどこまでも丁寧だが、柔らかな口調と親しみやすい笑顔のせいか、堅い印象は少しも無い。

 やや赤みがかかった髪を一本の三つ編みにして、腰のあたりまで垂らしている。これほどアクティブな雰囲気を持つ三つ編みは初めてだ、と咲弥は思った。

「自分はこういう者です」

 最初から用意していたのだろう。

 手の内から差し出された名刺を、咲弥はおずおずと受け取って眺めてみる。


 Professional Game Player - Red - Exclusive manager "李 書愛"


「……」

 直訳すると、こういうことだろうか?

 プロゲーマー【レッド】専属マネージャー、()書愛(しょあい)

 なんだと?

「書、愛、さん?」

「はい。自分はレッドのマネージャーをやっている、李書愛と申します」

「この名刺はマジですか?」

「はい?」

「あぁいや、これ、冗談とかじゃなくて――」

「い、いえ。一応本物ですが」

「……」

 咲弥はじっと書愛を見た。

 咲弥の視線にたじろぐ書愛は、嘘をついているように見えない。

 というか、成人しているかしていないかに見える女性が、わざわざ名刺まで作ってこんな嘘をつくだろうか? なぜ執事服なのかは謎だが。

「ほんとのほんとに?」

「は、はい。ほんとのほんとです」

「ほんとのほんとのほんとに?」

「ほんとのほんとのほんとです」

「はあ、そうですか。ほんとのほんとのほんとなら、まぁ。ほんとのほんとのほんとのほんとだと、もっと安心できたんですがね」

「あ、あの、ほんとのほんとのほんとのほんつっっ……!? い、いはぁ……」

 噛んだ。

 明らかに自分より年上のようだが、舌を出して涙目になる彼女の姿を見て、咲弥はかわいいなと思ってしまう。と同時に、人の良さそうな書愛を疑ってかかっていたことに、申し訳ない気持ちが湧いてきた。

「変なこと言ってすみません。信じます。レッドのマネージャーの書愛さんですね?」

 というか、よくよく思い返せば――

 今朝のニュースで一瞬だけ、咲弥は書愛の姿を目撃していた。

 セキュリティーゲートから、レッドに付き従うように現れた執事服姿の女性。

 間違いなく、今、目の前にいるこの人物だ。

 ほんの少ししか画面に映らず、また、隣のレッドがあまりにも印象的だったため、すっかり忘れていたが。

「は、はひ。自ふんはレッほの――」

「痛みが引いてからでいいです」

「す、すみまふぇん……」

 咲弥は書愛が落ち着くまで待った。

 校門前に立つ二人は大変目立っており、帰りがけの生徒たちがジロジロと視線を投げかけていく。中には立ち止まって、遠目でひそひそ話を始める集団もいる。

 咲弥はそれに気付いていたが、あえて黙っていた。

 舌の復活した書愛もようやく状況を理解したようで、少しはにかみながら提案する。

「自分は咲弥さんをお迎えするために、車でここまで来ました。ですからとりあえず、お家に帰りませんか?」

「な、なぜ書愛さんが迎えに?」

「みっちぇ……いえ、みちえさんに頼まれたからです。咲弥さんにとっての徒歩十五分は、三十分に相当すると伺いました」

「そうですか。……あの、レッドも書愛さんも、みちえとは知り合いなんですか?」

「はい、知り合いです。自分もレッドも、みちえさんのことは大切な友達だと思っています。以前にネットで知り合って以来、ずっと助け合っている間柄なんです。プライベートな通信もしょっちゅうですし、過去にもオフ会……何度か会ったことがあります」

「なるほど」

 みちえが『活動』で作った仲間ということらしい。彼女は普通に芸能人の知り合いがいたりするので、特に驚くべきことではない。

 今回レッドが鐘鳴家にやってきたのは、みちえの手引きということなのだろう。

 それならば、みちえがレッドの出現時に見せた反応にも納得がいく。

「ところでその、ここに車を回しましょうか? 駐車場はすぐそこですが」

「歩きます」

 咲弥と書愛はこの場を離れ、付近の駐車場に止めてあった、黒のレクサスに乗り込んだ。

「あの……俺は今回のこと、何がなんやらさっぱりなんですが。どうしてレッドがいきなりうちに?」

 咲弥はもう、登校前に現れたレッドを本物だと信じていた。というか、マネージャーに直接出てこられたら、信じざるを得ない。

「あ、そうでした。今朝はレッドが迷惑をかけてしまったようで、ほんとにすみません」

 バックミラーを確認して慎重に車道へとレクサスを導きながら、書愛は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「いやいや書愛さん、そこじゃなくてですね……」

「あの、よければ敬語でなく、普通に話していただけませんか?」

「え?」

「レッドもみちえさんも、自分には敬語を使いません。その二人が敬ってる咲弥さんに敬語を使われてしまいますと、なんと言いますか、気恥ずかしいといいますか……」

 本気でそう思っているようで、車を走らせる書愛の頬が、僅かに朱に染まっていた。

 だが、咲弥の関心は別の部分にあった。

「二人が敬ってるって……。その言い方だと、みちえと、それからレッドまでもが俺を敬ってるように聞こえちゃいますけど?」

 みちえに関してはまぁ、わからなくもないが。

 レッドが自分を尊敬する、などということは無いだろう。

 しかし書愛は、にこりと笑いながら当然のように言った。

「はい。レッドは咲弥さんのことを、心の底から尊敬しています」

「はぁ? どうしてですか? 俺はそんな大層な人間じゃないですよ?」

「あ、あの、よかったら敬語をやめて――」

「だぁーわかったよ! わかったから教えてくれ! ……レッドはいったい、俺に対して何を求めてるんだ?」

「それについては、あとで本人から話があると思います。その時に尋ねてみてください。今回のことについての説明は、すべてレッドがしますので」

「……」

 つまり、今は何も聞くな、全部レッドが語る。ということだろうか。

「レッドは今、うちに?」

「はい、お邪魔しています。先に帰られたみちえさんと、セルⅣで対戦をしているようです。さっき届いたメールにそう書いてありました」

「へぇ、レッドとみちえがね……」

「セルⅣに興味がありますか?」

 無い、と言えば嘘になる。

 咲弥がみちえに隠れて毎月購入しているゲーム雑誌――月刊アヴァロニアにおいても、常に特集が組まれているセルⅣ。

 まったく知らない格ゲーというジャンルの作品だが、まさに『格別』の駆け引きが楽しめるという記事を読んで、プレイしてみたいと思わせられた瞬間があったのは事実だ。

 だが――

「いや、別に」

 咲弥は静かにそう答えた。

 書愛は笑顔を崩さずに「そうですか」と答え、ゲームに関する話題はそこで途切れた。

「あ、咲弥さん」

「なんだ?」

「よかったら、自分のことは愛鈴(あいりん)って呼んでください。自分のハンドルネ……愛称のようなものです。レッドもみちえさんも、そう呼びます」

「……わかった。愛鈴だな?」

「はい」

 そんな会話をしているうちに、レクサスは二人を鐘鳴家へと運び終えた。

 愛鈴が玄関横の駐車スペースへと車を入れ、あとはいよいよ帰宅するだけとなる。

 咲弥は一瞬だけ躊躇したが、いつものように鍵を開けてドアをくぐり、いつものようにこう言った。

「ただいま」

「お邪魔します」

 愛鈴が続き、二人は靴を脱いでリビングへと向かう。

 と、その時。

「んなぁぁぁぁ―――――――――っっっ!?」

「!?」

 いきなりリビングから響いてきた、みちえの悲鳴。

「みちえっ!?」

 咲弥は反射的に右足で床を蹴り、ケンケンにも似た不格好な歩調で、しかし必死に室内へと飛び込んだ。

 そこに広がっていた光景は――

「ばかばかばかばかレッドのばか! いいの!? プロがウルコンぶっぱとかしていいの!? ありなのそれ!? ねぇ!? やめてよ! 起き上がりにリバサでウルコンとか!」

「あはは、ごめんね」

 液晶テレビに表示された《Katora Win!!》の文字と、ポーズを決めるキャラクター。

 テレビから伸びたケーブルに繋がった、EXbox360。

 涙目になりながら、ポカポカとレッドを叩くみちえ。

 みちえの攻撃を長方形のアーケードコントローラーで受け止める、笑顔のレッド。

「……はぁー」

 状況を理解した咲弥は、肩を落として深々と溜息を吐いた。

 その背後で、追いついた愛鈴がくすくす笑っている。

「咲弥さんは、みちえさんのことを大切にされているんですね」

「ガチな悲鳴だと思って心配してみれば……」

「あ!? さく兄!」

「え?」

 リビングの入り口で立ち尽くす咲弥に、みちえとレッドが気付いた。

 今朝の溌剌とした笑顔とはまた違う、あどけない表情を見せていたレッド。それを見られて恥ずかしく思ったのか、あるいは相手が咲弥だったからなのか、彼女の頬には赤みが差していた。

 だが、咲弥がそれを目撃する前に、みちえがドスドスと音を立てて接近する。

「ねー聞いてよさく兄! レッドが酷いんだよ! いともたやすく行うんだよ! えげつない行為を!」

「はぁ……よくは知らんが、プロと対戦させてもらってるだけありがたいと思え」

「う、うぅ! さく兄はいつから『(アカ)』に染まったのさ!」

「アカ? なんで俺が共産党に入らなきゃならんのだ」

「いえ、違います。赤、あるいは赤に染まってる人っていうのは、レッドのファンをさす俗語です。共産主義者の呼び方とかけてるみたいですね」

 愛鈴のフォローに、咲弥は「なるほど」と頷いた。

「さっきのリバサウルコンは、みちえの起き攻めに対する回答」

 静かに放たれたその言葉に、全員がレッドのほうを注目する。

 レッドはコントローラーを操作して、EXbox360を終了させていた。

「みちえはすべての()()めを、中段あるいは豪龍(ごうりゅう)読みのバクステで統一してた。だからさっきの起き攻めの時、私は半分中段が来ると呼んで、もう半分はバクステで逃げると読んで、どちらの選択肢も潰せるようリバサ(めつ)を撃った。難しい話じゃないわ」

「むむむぅ。みっちぇの起き攻めが単調だったんだね……」

 起き攻め、中段、バクステ、リバサ滅――

 雑誌で読んだような気もするが、咲弥には理解不能な語群だ。

 しかし結論として、みちえがレッドにやり込められたと、そういうことになるらしい。

 相手が本物のレッドなら、当然の結果にすぎないわけだが。

「また対戦しましょう、みちえ。今度は戦う前に、カトラの起き攻めを教えてあげる」

「うん、ありがとレッド。楽しかったよ。やっぱオフラインで盛り上がるのは違うねぇ」

「ええ。……じゃ、そろそろ本題に入りましょうか」

 ゲームを片付け終えたレッドがくるりと振り返り、咲弥を見据えた。

 それに意表を突かれた咲弥だったが、しっかりと疑問を口に出した。

「本題ってのは?」

「朝、少しだけ話をしたこと」

「と言うと?」

「私のパートナーになってほしい」

 夢ではなかった。

 レッドが咲弥に対して放った言葉。


――私のパートナーになって、一緒に聖地祭を目指してほしい――


 咲弥は確かに、そう頼まれたのだ。

 ドクンと。咲弥の心臓が、大きく脈動する。

 咲弥はゆっくりと息を吐き、気持ちを落ち着けてから、冷静に問いかけた。

「ちゃんと説明してくれ。おまえのパートナーになるってどういうことだ?」

「それは――」

「ちょぉっと待っちぇ! 立ちっぱで話もなんだから、とりあえず座らない? ほら、ちょうどそこに、四人がけのテーブルと椅子があるよ?」

「あ、じゃあ、自分はお茶を入れます」

 みちえと愛鈴に促され、咲弥とレッドはテーブルに向かう。

「……」

 レッドはテーブルに向かう咲弥を――咲弥が引きずるように動かしている左足を、悲しそうな目で見つめていた。

「ん?」

 だがその視線は、咲弥が振り返ると同時に逸らされる。

「なんだ?」

「いえ……」

 咲弥とレッドは、向かい合う形でテーブルへと着いた。

 咲弥の隣にみちえが座り、レッドの隣に茶を用意し終えた愛鈴が腰掛けた。

「まず、最初に言っておくわ。私には目標がある。それは、聖地祭におけるセルⅣの2オン2トーナメントで優勝すること。そして、翌年以降も連覇し続けること」

 レッドはさらりと口にしたが、それはとんでもない企みだ。

 出場できること自体がステータスとなっている聖地祭において、優勝を目論む。あまつさえ2V、3Vを狙う。

「なぜ個人戦でなく、2オン2なんだ? 賞金目当てか?」

 セルⅣ個人戦の優勝者に贈られる賞金は、実に一〇〇〇万ドル。これが2オン2になると、そのまま二倍となって二〇〇〇万ドル。

 優勝を目指すのも頷ける額だが、レッドは静かに首を振った。

「お金が欲しいわけじゃない。お金ならもうたくさんある」

「さ、さらりとセレブ発言でござるなぁ……」

「じゃあ、なんでだ?」

 聖地祭のセルⅣ初出場で、三位という結果を出したレッド。彼女なら、個人戦で充分に健闘できるはずだ。

 そんなレッドが2オン2にこだわる理由はなんなのか?

 お金でないとすれば――

「名誉か?」

「違う。出場することに、何か特別な理由があるわけじゃない。単にセルⅣが好きで、個人戦だけじゃなく、2オン2にも出場してみたいって思ったから」

「な、なんだそりゃ?」

「あなただって、かつてそうだったでしょう? あなたがジャンレボで世界一という結果を残した時、そこには何か、具体的な動機が存在していたの? お金や名誉のような」

「……」

 確かにそうだった。

 咲弥はかつて、ただジャンレボが楽しかったから、とことん楽しんで、楽しみ続けて、気がついたら聖地祭での優勝という、とんでもない結果を残していた。賞金の無いエキシビショントーナメントにも出場し、そこでも目一杯ゲームを楽しんで、やはり優勝した。

 そこに何か、即物的な理由があったわけではない。

 ゲーマーとして楽しかったから、負けたくなかったから、最後まで走り続けただけのこと。

 レッドのセルⅣ2オン2に対する関心に、咲弥はかつての自分を重ね合わせて納得した。

 だが、新たに気になる点が。

「おまえ、やっぱ俺のこと知ってたのか」

「当然」

 本当に、当然と言った口調でレッドは語る。

「日本でプロゲーマーを志す者なら、あなたの存在を知らない人はいない。二〇〇七年の聖地祭、音ゲー部門・ジャンプジャンプレボリューションで、日本人初となる優勝を飾ったあなた。あまつさえ翌年の聖地祭で2Vを達成し、史上最年少のコンテニュエイション・チャンピオンとなった伝説のカリスマ――乙波咲弥ことSakuyaを知らないゲームファンなんて、モグリよ」

「そりゃどうも」

「独特のステップと、他の選手が気にもかけなかった『全身』でのパフォーマンスで観客を魅了し、いわゆる一つのSakuyaスタイルを確立させた天才ダンサー。世界のゲーマーが注目した十年に一度の逸材。事故のせいで引退したことを未だに嘆くファンが、世界中にいる」

「買いかぶりすぎだ」

「単なる事実よ。そして私は――」

 レッドは咲弥をまっすぐ見据えながら、言った。

「そんなあなたを、格ゲーのパートナーにスカウトしたい」

「……おかしなこと言ってるって、自覚あるか?」

 咲弥は昼間も考えていたことを、淡々と述べる。

「たしかに俺は元プロゲーマーで、聖地祭のチャンピオンだった。だがそれは、あくまでジャンレボって音ゲーでの話だ。俺は格ゲーなんて、まともに触ったこともない。いくらおまえが誘ってくれても、なんの役にも立ちゃしないさ」

「いいえ、立つわ」

「?」

 咲弥の正論をものともせず、レッドは淀みなく言い切った。

「格ゲーの腕前や経験は、あとでいくらでも磨けばいいし積めばいい。私があなたを評価している部分は、もっと別のところにある」

「別のところ?」

「ええ。あなたは確かに音ゲーのプロだった。でも、あなたをプロとして支え続けた根底にある理念――ブログや雑誌のコメントなどにも多く残っている、あなたが一人のゲーマーとして信じる理想。それは、『誰よりもゲームを楽しむ』こと」

「……」

 ゲームを楽しむということ。

 咲弥は結局のところ、それが上達への一番の近道だと考えているし、世界で一番ゲームを楽しんだ者が世界一になるのは、当たり前のことだと思っている。

 レッドが言ったように、咲弥はそのことを、ブログや記者へのコメントなどで世界に発信し続けていた。事故に遭うまでは。

 それにかつて、ジミヘンにこんなことを言ったこともある。


――まずは、ゲームを楽しめ。直感的に、あるいは工夫して、時には運に身を任せて、とことん楽しめ。楽しんで、楽しんで、楽しむことのスペシャリストになれ。そしたら結果なんて、あとからいくらでもついてくる――


「私が評価しているのは、その精神。単純明快にして、おそらくもっとも強者の真理に近い、絶対のシステム。あなたはかつて、それを駆使して世界を制した。プロゲーマーや聖地祭チャンピオンという分厚い壁に対し、あなたはゲームを楽しむという唯一無二の答えを出した」

「なるほどな……」

 咲弥はようやく、なぜレッドが自分をスカウトしたのか把握できた。

「つまりおまえはこう言いたいわけか。俺はジャンレボを楽しむことで世界一になった。だからセルⅣを楽しめたなら、また世界一になれると。だから、一緒に組んで2オン2に出てほしいと」

「ええ、その通りよ」

「お生憎様だ」

「?」

 咲弥は苦笑しつつ、レッドから視線を逸らした。

「おまえってやつは……。そんな理由で俺を当てにして、わざわざここまでやって来たってのか?」

「ええ」

「空港でコメントした『心に決めてる人がいる』とか『その人とならどんな強敵にでも打ち勝てる』とかは、俺のことを言ってたってのか?」

「ええ」

「なんてこったい……」

 咲弥は目頭を押さえながら、小さく溜息を吐いた。

「……結論から言うと、やっぱり俺は、おまえの力になれない」

 咲弥の言葉に、みちえと愛鈴が息を飲んだ。

 しかし、レッドは微塵も動じていない。

「なぜそう思うの?」

「確かに理論上は、おまえの言うとおりだろう。俺はジャンレボが楽しくてしょうがなくて、それで気がついたら世界一になってた人間だ。これからセルⅣにのめり込むようなことがあったら、結果が出せる可能性も少しはあるかもしれない。だが――」

「?」

「残念ながら今の俺は、ゲームを楽しめない。いやそもそも、ゲームをプレイすらしない」

「どうして?」

「真面目な高校生だからだ」

 それは、さながら朝の繰り返し。

 咲弥はみちえに語ったことを、もう一度レッドにも説明する。

「俺は将来、体で稼ぐ仕事には就けない。だから、今のうちに学を付けとかないと、あとで困る。世話になった人たちに、恩返しができなくなる」

「ゲームなどしている暇は無い、ということ?」

「それもある。俺はもともと優秀なほうじゃないしな。こんなものまで持ち歩かなきゃ――」

 言いながら、咲弥はポケットから単語帳を取り出して、レッドに見せてからまたしまう。

「英単語一つまともに覚えられない。……だがそれ以上に、ゲームに対する熱が冷めちまったって理由のほうが大きい」

 それは――嘘だ。

 咲弥は未だ、ゲームが好きな人間のままだ。

 相変わらずゲーム雑誌は買い続けているし、目を付けているタイトルがいくつかある。セルⅣだって、触ってみたいと思っている。

 だが、今から自分がゲームを始めることに、どんな意味がある?

 将来それで食べていけるのか? またプロになれるのか? ちゃんと結果を出せるのか?

 その自問に、イエスと答えることができない。単なる趣味のままで、時間を浪費しただけで、終わる可能性のほうが高い。

 だったらいっそ、プレイしないほうがいい。

 自分は将来、世話になった人たちに恩返しをしなければいけないのだ。

 琴葉やみちえ、みちえの父や自分の両親……。そんな人たちの愛に、報いなければならないのだ。

 そのためには、学生らしく地道に勉強を重ね、普通に就職するという道が手っ取り早い。

 そう考えると、ゲームなど人生の障害にしかなり得ないわけだ。

 やりたい……だがそれに意味は無い……ならやらない……やりたい……だがそれに意味は無い……ならやらない……。

「以下同文なんだよ」

 悲しそうに、うんざりした様子で、咲弥はしみじみと言った。

「俺はもう、昔の俺じゃない。おまえが期待してくれた俺は、事故で死んじまった」

「いいえ、死んでなんかない」

 レッドは少しもひるまずに、咲弥に言葉をかける。

「あなたは根っからのゲーマーよ。口ではそう言っても、ゲームを楽しむことで聖地祭の頂点に立ったあなたが、ゲームを楽しむことを忘れられるはずがない。あなたは私に、そして自分に嘘をついている」

「!」

 咲弥は一瞬、レッドに思考を読まれたのかと思った。

 それほどまでに、彼女の言葉は核心を突いていた。

 レッドの澄み切った双眸に映っているのは、咲弥。

 そこに映った自分は、なぜか、酷く怯えているようで、とても心細そうで――

「む、無理なもんは無理だ!」

 ガタリと椅子を弾きながら、咲弥は席を立った。

 みちえと愛鈴がびくりと肩を竦ませる。

 そのまま場の空気が固まった。

 咲弥は佇立したまま黙っていたが、やがて静かに言葉を放った。

「悪いな。やっぱり俺は、おまえの期待に応えられそうもない。だから、おまえの相方になることはできない」

 その言葉に返事をする者は、誰もいなかった。

 みちえと愛鈴は気まずそうに俯き、レッドは咲弥をまっすぐに見つめていた。

 咲弥はレッドから視線を逸らし続け、言う。

「おまえと愛鈴は、みちえの友達なんだろ? だから、友達としてうちにいる分にはかまわない。ゆっくりしていくといい。俺もみちえの兄貴分として、普通に接する」

 話はもう終わり。

 そういった思いを込めて、咲弥は皆に背を向けた。

「少し出かけてくる」

「ま、待ってさく兄! よく考えてみて! これはさく兄にとってまたとないチャンスなんだよ!? レッドぐらいすごいプレイヤーに格ゲーを一から教えてもらって、しかも相方になれるんだよ!? プロゲーマーとして、復活できるかもしれないんだよ!?」

「いいわ、みちえ」

 咲弥を止めようとしたみちえを、レッドが片手で制した。

「いきなり納得して引き受けてもらえるとは思ってない。しばらくは『みちえの友達』として、一緒に過ごさせてもらう。その中で、また折りを見て話せばいい」

「好きにしろ。じゃあな」

「さく兄……」

「咲弥さん……」

 みちえと愛鈴の悲しげな視線、レッドの無垢な視線を受け止めながら、咲弥は自室へと引き返した。

 別に、何か用事があったわけではない。

 ただ、咲弥は耐えられなかった。

 己の心を覗き込んでくるかのような、レッドの純粋な瞳に。

 いや、もう見透かされてしまったのではないかとすら思う。

 勉強をしなくてはいけない、と思っているのは事実だが、咲弥が再びプロゲーマーを目指さない理由は、実はもっと単純なのだ。

――怖い。

 どれだけがんばっても、無駄に終わるのではないか?

――怖い。

 また、積み上げたものを失ってしまうのではないか?

――怖い。

 結果を残せる自信が、これっぽっちも無い。

――怖い。怖い。怖い。怖い……。

「以下同文だ」

 私服――フェイクレイヤードのシャツと馴染みのジーンズに着替えた咲弥は、最後にト音記号のペンダントを首に提げて、リビングを経由せずに廊下から玄関へと向かった。

 いつものブーツを履いて、杖を手に、外へ出る。

 カツカツと杖を突きながら、稜線の向こうに消えていく赤い陽光を背に受け、住宅街を、商店街を、繁華街を、当てなくさまよう。


――あなたをプロとして支え続けた根底にある理念――ブログや雑誌のコメントなどにも多く残っている、あなたが一人のゲーマーとして信じる理想。それは、『誰よりもゲームを楽しむ』こと――


(……くそ)

 歩いても。


――単純明快にして、おそらくもっとも強者の真理に近い、絶対のシステム。あなたはかつて、それを駆使して世界を制した。プロゲーマーや聖地祭チャンピオンという分厚い壁に対し、あなたはゲームを楽しむという唯一無二の答えを出した――


(……くそ)

 歩いても。


――そんなあなたを、格ゲーのパートナーにスカウトしたい――


(……くそ)

 頭から離れない。

 レッドから言われた言葉が、それを口にするレッドの姿が、脳裏に焼き付いて消えない。

(そんなこと言われたら……)

 自分は脱落者なのに。

 自分は零落者なのに。

 そんな自分に、再び価値を見いだしてくれるような言葉。

 そんなモノを投げかけられたら――

 そんなセリフを浴びせられたら――

(嬉しいって、思っちまうだろうがよ……)

 嬉しかった。

 本当に単純な話だが、咲弥はレッドに賞賛されて、一緒にゲームをやろうと誘ってもらって、すごく、嬉しかった。

 二度と、そんな風に言われることなど無いと思っていたから。こんな自分を評価してくれる人間など、いないと思っていたから。

 レッドが話した内容は、とても馬鹿馬鹿しいことだ。

 音ゲーの元チャンピオンが、格ゲーのプロと世界を目指す。

 まるで映画じみた、チープな匂いの漂うメルヘンストーリー。

 だがそれでも――

 レッドの熱い瞳に見つめられて、一緒にゲームをやろうと言ってもらって――

 咲弥はすごく、嬉しかったのだ。

「……」

 気がつくと、咲弥の足は『その場所』に向かっていた。

 もう何年も、顔を出していなかった場所。

 意図的に避けて、絶対に近付かないようにしていた場所。

 再び行くことなど、無いと思っていた場所。

 意識したわけではない。

 本当に、気がついたら、いつの間にか――

 咲弥はアーケードの端にある、小さなゲームセンターの前に立っていた。

 そこで、ようやく我に返る。

(俺は、なんだってこんな場所に……)

 咲弥はあっけなく踵を返し、ガラスの壁面から様々な筐体が見えるゲーセンに背を向けて、そのまま去ろうとした。

 だが、すぐにその足は止まった。

 咲弥はもう一度、振り返る。

 アーケードの真ん中で、通行人の邪魔になるのも構わずに、往来の流れに逆らって、ゲーセンを見つめ続ける。

 音ゲーに体を揺らす青年――

 格ゲーの画面に興奮する中年、少年――

 レースゲームに没頭する少女――

 咲弥とゲーセンだけ、時が止まってしまったかのよう。

(……試すだけだ)

 それは、言い訳。

 他の誰にするわけでもない、自分に対しての言い訳。

(本当にレッドの相方なんて勤まらないって、証明するだけだ)

 咲弥の視線が、店頭に置かれたポップに注がれる。

 そこには複数のキャラクターが描かれたイラストと、『セルリードファイターⅣ ザ・スーパー 絶賛稼働中!』の文字が。

(やりたいからやるわけじゃ、ない)

 そして――

 咲弥はおよそ三年ぶりに、ゲーセンの自動ドアをくぐった。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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