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Third Stage -Round 3-

「さぁ! 間もなく始まります、コスプレ・オア・マッサージマッチ――略してCOM! 司会と実況はネット界のお助け女神こと、わたくしみっちぇです! 解説には伝説のコスプレイヤーとして名高い、また神コスメイカーとしても有名な、愛鈴さんをお迎えしております!」

「や、やだなぁ、褒めすぎですよみっちぇ」

「なんか始まった……」

「気にしなくていいわよ。二人は盛り上がるといつもそんな感じだから」

 ソファーに座って対戦の準備をしている咲弥とレッドの背後で、椅子を持ってきたみちえと愛鈴が賑やかにやっていた。

「さて、まずはルールの確認からいきましょう! と言っても、基本的にはいつもの対戦と変わりありません。普通にさく兄VSレッドの試合です。ただ、ラウンド一発勝負になっている点と、レッドの体力が25パーセントになっている部分は無視できませんねぇ。これに関して愛鈴さん、どう思われますか?」

「二人の実力はかけ離れています。なんと言っても初心者VS世界第三位なわけですからね。ですので正直なところ、それだけの要素で咲弥さんが勝つことは難しいと思います」

(その通りだ)

 愛鈴の言ったように、咲弥が勝てる見込みは薄い。

 だが、彼には秘策があった。

 この勝負をふっかけた時から胸に秘めていた、レッドにコスプレをさせるための作戦が。

(しかし、それでも勝てる確率は低い。俺のレベルがもっと高ければな……。集中力が切れたら一発でまくられるゲームだし――)

 その瞬間、咲弥はあることを思い出した。

(そうだ、集中力……。集中に集中して、俺の反射を極限まで高める方法。感覚と勘を極限まで研ぎ澄まして、一時的にレベルアップする方法……あるじゃないか)

「咲弥、そろそろ始めましょうか」

「待て」

「え?」

「ちょっとだけ時間をくれ。集中したい」

 言いながら、咲弥は胴着の胸元を開き、いつも身につけているペンダントの、ト音記号のトップを引き出した。

 瞑目し、それを右手に握りながら額へ持ってくる。それと同時に深く息を吐いて、イメージする。

 作戦が成功するその瞬間を。

 レッドに打ち勝つ自分の姿を。

(今の今まで忘れてるとは……。ま、聖地祭に行かなくなって久しいしな)

 咲弥が行っているこれは、彼独自の集中法だ。

 かつて恋人のきよらからプレゼントしてもらった、お気に入りのペンダント。それをきっかけにして成功のイメージを練り込むことにより、集中力の増強と精神統一を図るというものである。

 ジャンレボ現役時代。ゲームを楽しむことに関して徹底した姿勢を貫いた咲弥だが、それだけではどうにもならない瞬間があった。楽しむのに加え、圧倒的な集中力が必要とされる場面があった。

 それが、ジャンレボの初見譜プレイである。

 初見譜プレイとは、聖地祭のジャンレボエキシビショントーナメントで行われる、特別な対戦方法だ。

 普通、ジャンレボの対戦は既存の曲を用いて行われ、どちらがより的確にスクロールする矢印を踏めるか、その曲のやり込み度を競うものだ。

 ところが初見譜トーナメントでは、曲の矢印やタイミングがまるでバラバラ――つまり、完璧に大会オリジナルに作り直された楽譜でプレイしなければならない。曲に乗って楽しむだけではなく、大変な反射と力量が必要となる対戦形式なのである。

 このトーナメントで勝ち進むために、咲弥は自身の集中力を、ある程度コントロールする必要があった。

 そうして編み出したのが、ペンダントを用いた集中法なのだ。

(波號……こうなら……豪龍……こうならバクステ……こうならまた波號……。クリア……クリア……クリア……。以下同文……以下同文……以下同文……)

 咲弥は三十秒ほど沈潜してから、ゆっくりと目を開いた。その瞳はどこか虚ろに見え、しかし死んでいるというわけではない。強いて言うならば、まるで澄み切った水面のような――

 咲弥の耳にはもう、みちえや愛鈴の姦しい声など届いていない。

 隣で不思議そうに様子を窺っているレッドも、視界に入っていない。

「始めるか……」

「え、ええ」

 様子の変わった咲弥に戸惑うレッドだったが、彼女もまた息を吐いて真剣な顔になり、手元のボタンを押す。

「おっと、まもなく対戦が始まります! 一声ぐらいかけてよ!」

 咲弥が見つめるのはゲーム画面。

 勝負のいきさつも、勝敗によって変化する結果も関係ない。


 Katora【滅・波號拳】 vs Katora【滅・波號拳】


 レッドの使うカトラに、自分の使うカトラで勝つ。

 咲弥の意識は今、その一点にのみ向けられていた。

「悪いけど、本気でいかせてもらうわ」

「……」

《ファイナルラウンド……ファイッ!》

「試合開始ぃ!」

 レッドVS咲弥の戦いが、幕を開けた。

「さあ始まりました、ウルコンまで同じの完全ミラーマッチ! まずは序盤です。1P側のレッド、黒胴着のカトラに波號拳を撃たせていきます」

『波號拳! 波號拳! 波號拳!』

「対する2P側のさく兄はジャンプジャンプジャンプぅ! ノーマルカラーのカトラが宙を舞っているっ! 垂直に跳んですべてを躱していくっ!」

「レッドが微妙に波號拳のタイミングを変えていますね。気弾の速さも弱~強で緩急つけて、ジャンプのミスによるヒットを誘っています」

「なるほどなるほどぉ! でも、あんなに波號拳ばっかりで大丈夫ですかねぇ? 跳び込みとか警戒してないんですか?」

「ちゃんとしてますよ。その証拠にほら、一発波號拳を撃ち終わったら、次の波號拳を撃つ前に必ずしゃがみのモーションが入ってるでしょ? あの間に相手の様子を見て、跳び込まれそうなら波號拳のコマンドをすかさず豪龍拳に変えるという寸法です」

「なんとっ!? じゃあ、さっきからさく兄が波號拳を躱してばっかりなのは――」

「ええ。レッドの警戒を感知しているからこそ、前には跳べないんです。弾をガードすれば微量ながら削りダメージが通りますし、だからこそ垂直ジャンプで避け続けているわけですね」

「そ、そんな隠された攻防が……。つまりさく兄は今、ジリ貧! ペースを握られているというわけですね!」

「その通りです。まぁ、同じように波號を撃って相殺するか、もしくはセルガを使ってウルコンゲージを溜めていくという方法もあります。……が、咲弥さんはそれをしませんね」

「むむむ、どうしてでしょう?」

「おそらくですが、レッドの跳び込みや竜巻を警戒しているのだと思われます。一度でも跳びや竜巻からの接近を許してしまうと、瞬殺されてしまう可能性もありますから。相手が相手ですので、慎重に慎重を重ねていく、ということではないでしょうか」

 二人がそんな風に実況している時。

 咲弥は全身全霊で、レッドの一挙手一投足に注意を払っていた。

 まさに、愛鈴が解説した通りである。

(波號……跳び込み……不可……。豪龍の構え……また波號……)

 レッドにペースを握られっぱなしで、咲弥はひたすら気弾を避け続けるしかない。

 しかし――

(レッドが最初から波號で攻めてくれたのは……僥倖。ここまでは……予定通り)

 現在の状況は、咲弥が対戦前に描いた絵図から、決して外れていなかった。

「おっとぉ!? 波號を撃ち続けたレッドが、ここで二本目のスパコンゲージを獲得! 対するさく兄はまさかのゲージゼロ!」

「この差は大きいですね。レッドはセルキャンが使用可能になり、行動の幅が広がりました。EX必殺技も撃てますし、仕掛けるとすればそろそろ……っと、やっぱり」

「ああっ!? レッドが波號を撃つのをやめました! 二本のゲージを携えて、ジリジリとさく兄に近づいていく!」

(モードが切り替わった……地上戦……。迎撃……差し合い……)

「そろそろ飛ばしていくわよ」

 レッドカトラが中距離で、屈中Pや屈中Kの牽制を振っていく。

 咲弥も応戦して技をばらまき、レッドの接近を妨げる。

 が――

《Counter hit!!》

 レッドが絶妙のタイミングで放った屈中Pが、咲弥カトラのしゃがみ蹴りを潰した。

「刺さったぁァァァァッ! しゃがみストレートパンチがさく兄を捉えました! ファーストヒットはレッドカトラ!」

「やはり地上戦は、経験の差がもろに出ますね。咲弥さんも決してテキトーに技を置いているわけではないのですが……おっと」

「また刺さったぁっ! しかも今度は波號のコマンドを仕込んでいる! きっちり2ヒットコンボぉ!」

 レッドカトラが咲弥カトラを押し始めていた。

 一朝一夕で身につけられるものではない、絶妙な技のテンポ。

 後退を余儀なくされ、徐々に、その背中を画面端へと近づけていく咲弥。

 だが――

(中パン……中足……立ち弱Kのフェイント……前進……後退……前進……)

 咲弥はまったく怯んでいなかった。押されてはいるものの、しっかりとレッドの動きを観察して、必死についていこうとしている。

 そして、同時にこんなことを考えていた。

(『三分の一』達成……。残り三分の二で……勝利)

 明らかに劣勢であるにもかかわらず。

 どういうわけか咲弥の脳内には、勝利という言葉がちらついていたのだった。

「また中パン刺さるぅ! そして大足に繋いでいくっ! さく兄の体力がとうとう三分の二を割ってしまったぁ!」

「しかもここから起き攻め……。レッドが殺しにかかりますよ」

 愛鈴の言った通り、レッドカトラは転倒中の咲弥カトラに前ジャンプで跳び込んでいった。

 咲弥はレッドが起き上がりに重ねてきた跳び蹴りを――しっかりとガードする。

「うまいっ! レッドの『めくり』をきっちりと防ぎました!」

 めくりとは、跳び込みにおけるテクニックの一つだ。

 攻撃判定の広いジャンプ攻撃(カトラの場合はJ中Kの跳び蹴り)を放ちながら、相手のちょうど真上あたりに跳び込むことにより、ガード方向の入力を惑わすという技術である。

 キャラの正面側から攻撃を当てるなら、通常通り←でガード可能(※キャラ右向き時)。キャラを飛び越えて後ろ側から攻撃を当てる――すなわち『めくる』なら、逆の→でガード可能となる(キャラの位置が入れ替わって、右向き左向きが反転するため)。

 レッドは今、カトラのJ中Kで咲弥をめくろうとしたものの、それをうまく防がれたという状況だった。

 レッドカトラが咲弥カトラの背後に着地し、密着状態となる。

 レッドはジャブからの連係で咲弥のガード状態を維持させ、ノックバック(攻撃ヒットorガード時にキャラ同士の間合いが離れる現象)によって距離を調整したところで、すかさずもう一度跳び込む。

「また跳んだっ! これもわかり辛い――が、さく兄はガード!」

「今度は表でしたね。……咲弥さんよく避けるなぁ……」

 しかし、まだまだレッドの猛攻はやまない。

 再び屈弱Pを小刻みに重ね――と思った瞬間、二人のカトラの間で『バシュンッ!』と青い火花が散った。

『な……っ!?』

 レッドカトラがそう叫ぶと同時に、二者間の距離が対戦スタート直後ほどに開く。

「い、今のは『()()け』っ!? さく兄がやったの!?」

「すごい、このラウンド初の投げなのに……。よく読めたなぁ」

 投げ抜けとは、その名の通り通常投げを躱すための回避行動だ。ストⅣの前作であるストⅢ(サード)での呼称から、『グラップ』と呼ばれることもある。

 その方法は、投げられた瞬間に防御側も投げコマンドを入力するというもの。

 しかし、投げを決められてから7フレームしか猶予が無く、投げ自体の発生が3フレームと速いため、見てからグラップすることはほぼ不可能である。

 相手が投げを入れてきそうなタイミングで、ガードしつつ弱P+弱Kのボタン入力を仕込んでおく、という方法が一般的だ。

「やるじゃない」

「……」

 投げを躱されても余裕で言葉を放つレッドだが、咲弥はそれに答えない。

 と言うより、実は聞こえてすらいない。

 彼の精神は今、レッドのラッシュを躱すことに費やされていた。

 咲弥の瞳に映るのは、画面上のレッドカトラのみ。

(中足……ダッシュ……投げ……? いや、テンポが違う……フェイント……)

「う、うまいぃ! 近づいて投げ――に見せかけたグラップ潰しの中パンを、しっかりガードしましたっ!」

「今のは大抵の人がひっかかると思うんですが……我慢強い」

 依然として、怒濤の攻めを展開し続けるレッド。

 だが咲弥は、その一つ一つにきっちりと対応していった。

 と――

(『半分』達成……。残り半分で……勝利)

 咲弥の脳内で、彼の思い描く勝利の図が近づいてくる。

 そして、レッドにも異変が。

「こ、このっ!」

(小足……小パン……中パン……歩いて中パン……歩いて……今度は投げ……)

「また投げ抜けぇっ! さく兄グラップうますぎるっ!」

「と、と言うか咲弥さん、一度もレッドの投げを通してません……いやそれどころか、接近戦になってからは一発も攻撃が当たってませんよ? レッド相手にこれは、ちょっと……いえ、かなり驚異的なことだと思うんですけど……」

「だ、だよねぇ? 実はみっちぇもビビってたとこ」

「はっ!? もしや自分の作ったコス衣装には、纏った者の格ゲー力を十倍に引き上げる効果が!?」

「ないない。……でも、確かに今のさく兄は、それぐらいの理由がないとおかしいぐらいに覚醒してる」

「いったい何が起こってるんでしょう……」

 二人とも、徐々に気付いていく。

 咲弥の調子が、その動きが、普段とはまるで違うということに。

 そして、それをいち早く察知していたレッドは、今――

「むっ……このっ……当たりなさいよっ!」

 焦っていた。

 恥も外聞もなく、咲弥に攻撃を当てようと必死になっていた。

 解説のみちえと愛鈴が戸惑うほどに。

「あ、あのレッドが慌てるなんて……。でも、ちょっと気が急ぎすぎじゃないかなぁ? さく兄みたいな初心者に攻めを躱されて、悔しいのはわかるけど」

「あははっ、コスプレがかかっているので焦っているんでしょう。でも、みっちぇの言うとおりです。攻防の中で、レッドのスパコンゲージは既に三本。何か始動技がヒットすれば、それをセルキャンして強引にコンボを叩き込むことも可能。焦って雑な動きをするより、もっと冷静に立ち回ったほうが――あっ!?」

「な、なに? どうしたの?」

「焦りますよそりゃ! このままだとレッドは負けます!」

「えぇっ!? いきなりどういうこと!?」

「時間です!」

「時間? ……って、あぁっ!?」

 ここで、みちえと愛鈴はようやく気付いた。

 レッドが焦っていたわけを。

 咲弥が画策していた、勝利の方法を。

 二人が注目したのは、画面上部の中央。

 そこで、刻一刻と変化していくラウンドの――制限時間。

 残りのカウントは、42秒。

「タイムオーバーです! 今、咲弥さんの体力はおよそ六五〇! 対するレッドは、ラウンド開始時から不動の二五〇! このまま時間切れになるとレッドの負けです!」

「そ、そういえばさく兄は、ずっと無茶せずにひたすら防御に徹してた……。まさか最初からこれを狙って!?」

 その通りだ。

 咲弥がどれだけがんばっても、体力が25パーセントしかなくても、聖地祭のセルⅣ第三位を倒すというのは難しい。

 ならば、逃げ回ることに徹したら?

 最初から体力リードを用意した戦闘で、全身全霊を用いて逃げ続けたら?

 聖地祭の元チャンピオン――Sakuyaとして培った超集中力のすべてを、逃げに回したら?

 それが、咲弥の用意した秘策。

 格ゲー初心者である彼が、レッドに対抗するために編み出した作戦。

 とにかく間合いを離し、画面端に追い詰められても、攻防の中で立ち位置が入れ替わるまで粘る。そして再び間合いを離し、以下同文……以下同文……。

 ヒット&アウェイですらない、アウェイ&アウェイ戦法である。

 残り時間、31秒。

「れ、レッドが攻める! 攻める! 攻める! まだ攻めるぅ! だけどさく兄通さない! レッドの攻撃をすべて残らず凌ぎきるぅ! でも波號の削りダメージは防げないっ!」

「レッドの動きが荒々しい……。防御は考えてませんね。咲弥さんがガード一徹なのを見越して、とにかく攻めだけを考えてます。ここまでノーガードなレッドを見るのは初めてですよ。もはや勝負の鍵を握るのは、時間だけでしょう」

 残り時間、24秒。

「やばい! そろそろやばい! そろそろほんとにレッドが負けちゃう!」

「二人の体力差はおよそ三〇〇! レッドなら何か当てればひっくり返します!」

 空気が白熱していた。

 負けられない戦いに臨む二人の意志が、ぶつかり合い、燃え上がり、見る者を圧倒するほどの攻防が展開される。

「ちっ……ここっ……まだっ!」

(波號……波號……波號……。削りダメージ蓄積……しかしガードは解けない……)

 残り時間、16秒。

 と、その瞬間。

『波號拳!』

 レッドが咲弥に波號拳をガードさせ、直後に画面が暗転。

 レッドカトラがまた波號の構えを取り、その体に稲妻のエフェクトを迸らせる。

 そして――

『真空――波號拳ッ!』

 五段ヒットの強力な気弾を、咲弥カトラにガードの上から叩き込んだ。

 技を受けた咲弥は、ガガガガガと波號に押されて画面端に追い詰められる。

「レッドが真空ぅゥゥゥッ! ゲージマックスになった瞬間ぶっ放しましたっ! 削りダメージでかっ!? 一気に一〇〇近くもっていく!」

「体力差がもうない! ワンミスも許されません!」

 あと打撃一発。

 あと投げ一発。

 何かしらレッドの攻撃が通れば、それだけで咲弥は逆転されてしまう。

 画面端にいる咲弥カトラを、レッドカトラが波號の連発で固め続ける。

『波號拳! 波號拳! 波號拳! 波號拳!』

 と――

「あ……あ……さく兄の体力が……削りで――」

「レッドが……波號拳で……逆転――」

 二人がそう思った、その瞬間。

 レッドも逆転を確信し、勝利を確定させるために必要な、最後の波號コマンドを入力したその刹那。

 残り時間、4秒というタイミングで――

 咲弥カトラの体が、黄金色に輝いた。

 そして……。

『波號――』

『豪龍拳ッ!』

『ぐはぁっ!?』

「!?」「!?」

「あっ!?」

 レッドの体力逆転――ならず。

 波號を放とうとしていたレッドカトラは、咲弥カトラの強化された全身無敵豪龍拳――EX豪龍拳によって、吹き飛ばされていた。

「だ、ダメっ!」

 レッドはカトラに受け身を取らせ、咲弥のカトラへ向けて跳び込ませるが、もう遅い。

 レッドのジャンプ攻撃を咲弥がガードした瞬間――

《タァーイム、オゥーヴァー!》

 決着。

 時間切れとなり、咲弥がラウンド取得。

 つまり、逃げ切ったのだ。

 咲弥カトラがレッドカトラの猛攻を凌ぎきり、僅差で、見事勝利を果たしたのだ。

《Katora Win!!》

「……」「……」「……」「……」

 咲弥カトラの勝利台詞が画面上に表示されるが、誰も口を開かない。

 レッドは俯いて、ぷるぷると体を震わせている。

 しかし、しばらくしてから「はぁー……」と大仰に溜息を吐き、ボフッとソファーに背中を預けた。

 天上を見つめるその顔は、どこか晴れやかだ。

「まさか最後の最後で、あなたが苦手にしてた豪龍拳で逆転されるとはね……。それもきっちりEXなんか使っちゃって、やるじゃない。私の完敗よ。あなたに負けるはずがないって思ってたから、動きも雑だったし……。恥ずかしい試合をしちゃったわね」

 だが、咲弥からの返答は無い。

 レッドが隣を見ると、咲弥はアケコンに手を添えたまま固まっていた。

「……咲弥? ちょっと、咲弥?」

「さく兄?」「咲弥さん?」

 と――

「……ぶっはぁーっ!」

 虚ろな目でゲーム画面を見つめていた咲弥が、我に返ったように強く息を吐いて、吸った。

 今の今まで息を止めて、潜水でもしていたかのようだ。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

「ど、どうしたの咲弥? すごい汗だけど」

「無理! もう無理! 疲れた!」

 言うや否や、咲弥はアケコンを脇に置いて、バタリとソファーに倒れ込む。

「一分以上の超集中はきつい……。長いことやってなかったから鈍った……死ぬ……」

「ど、どういうこと?」

「超集中ってなになになに!? みっちぇの厨二心が歓喜の産声と共に降臨す!」

「先ほどの初心者とは思えないディフェンスに、何か関係があるんですか?」

「あ、ああ……」

 咲弥はへとへとになりながらも、自分がジャンレボ現役時代に行っていた超集中のことを説明した。

「言わば、条件を絞ることで効率よく反射を機能させる、一時的なブーストなんだ。例えば『画面下部からスクロールしてくる矢印をタイミング良く踏み抜く』とか、そういう単純なことに向いてる」

「さ、さく兄にそんな力が……」

「世界チャンピオンってすごい……」

「いや、たいしたもんじゃないぞ? 集中状態を保つのは疲れるから、ここぞという時にしか使えないし、全盛期だって三分も持たなかったし、他のことに頭回らなくなるし……。あと、ただの反射マシーンみたいになっちまうのが、俺のゲームを楽しむって主義に反するというかなんと言うか」

「……」「……」

 咲弥はけろりと言ってのけているが、自らを意図的に超集中域(ゾーン)へ導ける人間など、そういない。

 常人離れした彼の能力を目の当たりにし、言葉を失うみちえと愛鈴だった。

 レッドだけが、興味深そうに咲弥の話を聞いている。

「なら、あなたが私との対戦で見せたさっきの動きは――」

「そうだ。俺は最初から、おまえにKO勝ちしようなんて微塵も考えてなかった。体力差を守って時間切れで勝つために、『レッドの攻撃は打撃か投げか? ガード方向はどっちか?』だけに的を絞って動いてた。攻撃を一切捨ててな」

「だったら最後のEX豪龍は? 完全に『防御』だけしか頭になかったなら、私の波號を読んで豪龍を撃つなんて『攻撃』はできないはずよ?」

「いや、あの行動も防御のうちだ。対戦が始まる前からやるって決めててな……と言っても、実はコマンドミスなんだけどよ」

「え? コマミス?」

「ああ。あの時ほら、残りタイム五秒も無かっただろ? だから、本当は滅・波號拳を撃って時間稼ぎをしようとしたんだが、↓↘→↓↘→+PPPの入力に失敗してな。代わりにEX豪龍が出た」

「そういうことだったの……」

 滅・波號拳のようなウルコンは、発動すると画面暗転+演出が入るため、攻撃判定発生までに数秒の時間を要する。その間、キャラは一切動けない(コマンド入力は受け付けている)ため、咲弥が言ったように、タイムオーバーを見越した時間稼ぎに放たれることもままある。

「今回は豪龍の先端が掠ってくれたからよかったけど、アレが外れてたらおまえに反撃をかまされて、確実に俺の負けだったな」

「あ、あははは……。土壇場でコマミスするような初心者に負けちゃったわね……」

「いや、でもおまえ、本気出すとか言って手加減してたろ? 序盤からガンガン攻められたらきつかったし、中段とかまったく振ってこなかったし……」

「真剣にやるつもりだったんだけど、きっと、心の奥底ではあなたのことを舐めてたのよ。それに、途中は本気で動転してた。あなただって歴としたプロゲーマー――それも、聖地祭のコンテニュエイション・チャンピオンだったっていう事実を思い出して」

 言いながら、レッドは立ち上がって皆に背を向けて、ゆっくりとリビングを横断し始めた。

「……? どこに行くんだ?」

「修行してくる」

「え?」

 レッドは振り返らぬまま、パーカーの裏側からトレードマークの赤いキャップを取り出し、目深に被る。

「いくら百パーセントの動きでなかったとはいえ、初心者のあなたに一杯食わされるなんて、まだまだ練習が足りてない証拠よ。こんなことじゃ、もう一度聖地祭の舞台に立つなんて無理だわ」

「レッド……」

 今回の咲弥の勝利は、通常ならばありえない。

 レッドが本気中の本気でなかったという点と、ラウンド一発勝負や体力25パーセントというアドバンテージの有無に、咲弥が超集中という隠し球を用意していたこと。

 これらの要素が合わさって偶然に生み出されたのが、今日の咲弥カトラの一勝だ。

 言わば、棚からぼた餅。

 ビギナーズラックと言っても過言ではないが、既に格ゲーのプロとなっているレッドにとって、それは笑って済ませられる結果ではない。

「レッド……」「レッド……」

 咲弥だけでなく、みちえと愛鈴もまた、哀愁漂うレッドの背中に切ない表情を浮かべた。

 三人の視線を浴びながら、レッドは決して振り向かず、言葉だけを連ねていく。

「感謝するわ咲弥。今日あなたに負けて、私は目が覚めた。きっと聖地祭第三位って結果に、心のどこかで満足してたのね。……ぬるい。ぬるすぎる。私は無意識のうちに、自らの向上心を殺してしまっていたのよ」

 一歩一歩、確かな足取りで。

 レッドは力強く、前を見て進んでいく。

「私が追い求めた強さは……私が憧れた強さは……こんなものじゃない。修練に修練を重ねたその先――膨大な歳月を費やした不断の追究の果てに潜む、真の強さ。私はそれを、見てみたい」

 レッドがリビングから廊下に通じる扉に手をかけ、そこで足を止める。

 まるで、咲弥ら三人との別れを惜しむように。

 しかし彼女は、はっきりとした口調で言った。

「私より強いやつに会いに行く。そしてそいつを倒すまで、今日はもう帰らない」

「レッド、おまえ……」

「止めないで」

 レッドは少しだけ首を傾けて、口元に小さな笑みを浮かべた。

 だがその笑みは、どこか寂しそうで、悲しそうで……。

「勝者が敗者にかける言葉なんてない、でしょ? だから、黙って送り出してよ。……私、強くなって戻ってくるから。あなたのパートナーとして恥ずかしくないように、もっと成長して帰ってくるから」

「レッドぉ……」

「レッド……あなた……」

「みちえ、愛鈴、今日は先に寝てて。晩ご飯は、ラップしておいてくれると嬉しいな」

 そしてレッドは、緩やかに力を込めてドアノブを回し――

「待てレッド! 俺からも一つ言わせてくれ!」

 咲弥の言葉に動きを止めた。

「……なに?」

 どこかもの悲しい雰囲気が漂っている、鐘鳴家のリビング。

 新たな決意を胸に刻み、今まさに旅立とうとしているレッド。

 咲弥はそんな彼女に、最後の言葉をかけた。


「出かける前にコスプレしてけ」


 瞬間、場の空気が止まる。

「……」「……」「……」「……」

 レッドはドアノブを握ったままで、咲弥ら三人はそんな彼女を見つめたままで、誰も動こうとしない。皆、一様に無言で無表情というシュールな光景である。

 だが、次の瞬間――

「EX退室っ!」

 レッドがそう叫びつつ、蹴破らんばかりの勢いでバンッ! とドアを全開にした。

 そして、短距離走者(スプリンター)もかくやといった勢いで、玄関の方へとマジ走りで駆けていく。

「あ、逃げたよ?」

「捕まえろ愛鈴! あれはおまえの趣味に対する冒涜だ!」

「Yes, sir!」

 愛鈴が滑るようにフローリングを移動し、リビングから消えた。

 直後に「きゃーっ!?」という悲鳴が聞こえ――

「嫌ぁ! 離して! コスプレは嫌ぁ!」

 本気で暴れるレッドを羽交い締めにしつつ、愛鈴がニコニコ笑顔で戻ってきた。

「みちえ、倉庫にロープがあったろ? あれを持ってきてくれ」

「レンジャーッ!」

 ほどなくして、レッドは椅子に縛り付けられた。

 咲弥はソファーでゆったりくつろぎ(面会に来た敵のボス風)、そこへみちえが色気のある表情でしなだりかかり(ボスの女風)、そのすぐ傍では、腕を後ろに組んだ愛鈴が立ち尽くしている(ボスの護衛風)。

 そして、三人の正面に配置されたレッド(ボロボロになった捕虜風)という構図だ。

「さてレッドくん、何か申し開きはあるかね?」

「あんたら全員ぬっ殺してやる!」

「きゃ、こわぁ~い。……ねぇ~ん、咲弥さまぁ~、こんな野獣に構ってないで、あたしとイイコトしましょ~?」

「もう少し待て、みちえ。……くっくっく、そんな姿になってもまだまだ元気そうだな。しかし、それがいつまでもつものやら。どうだ愛鈴? こいつはどれぐらいで口を割る?」

「兎のファックよりは速く終わるかと(あ、ファックとか言っちゃった。恥ずかしい……)」

「はっはっは! そいつぁいい! 隣にネザーランドのつがいでも並べてみるかね?」

 基本的にノリのいいメンバーだった。

「ま、冗談はさておき――何がEX退室だ。ゲージ一本使ってまで逃げようとするなや」

「うー……」

「そんな目で見てもダメだ。約束は約束だからな」

「私、本気出してなかったし。昨日から右手痛かったし」

「おまえほんとにプロか!?」

 レッドはムスッと唇を尖らせて、咲弥から視線を逸らしつつごねる。

 これが今年の聖地祭セルⅣ第三位だ(真実)。

「やっぱり片手じゃ厳しかったかー」

「思いっきり両手使ってたろうが! それに、たとえそうでも結果は結果! 約束は約束! だろ?」

「うー……」

 普段の潔さなど、もはや欠片も残っていないレッドだった。

「さて、うだうだやってるのも時間の無駄だ。……愛鈴、みちえ。レッドを天国(ヘヴン)へと導くために作られし、天上の衣を準備してやってくれ」

「Yes, Boss」「御意」

 二人はレッドを縛っていた縄を解き、彼女の両腕をがっちり抱え込む。

「は、離して! 私がコスプレって言ったら『アレ』の衣装しかないじゃない! そんなの無理!」

「『アレ』って前に画像送ってくれたやつだよね? じゃあ大丈夫じゃん。めっちゃくちゃかわいかったよ? ねぇ愛鈴」

「ええ。『アレ』の写真だけで、4ギガのSDカードがあっという間に埋まっちゃいました。……では咲弥さん、レッドの変身が終わるまでしばしお待ちを」

「おう」

「ダメなのぉ! 咲弥逃げて! 私の代わりに逃げて! そして私を見ないで!」

「存分にイメチェンしてこい」

「バカーっ!」

 レッドは散々悪態をつきながら、愛鈴とみちえに連行されていった。

 リビングと廊下を結ぶ扉が閉められ、咲弥が一人残される。

「ったく、カトラコスぐらいで何をぐだってんだか……ふぅ」

 咲弥はゆっくりと息を吐いて、ソファーに深く体重を預けた。

 瞼をおろしたその顔には、再び疲労の色が滲んでいた。

(なんとかレッドから一本取れた……完璧まぐれだけど。にしても最後なぁ、ちゃんと滅が出てたらかっこよかったのになぁ。コマンド入力もっと練習しとかないと……)

 先ほどの戦いを振り返り、細かな反省点などを挙げていく。

 普段とは違う、何かを賭けた本気の勝負ということもあり、得たものは大きかった。

 特に――

(超集中……。音ゲーで生み出したあれが、あそこまで格ゲーに流用できるとは)

 ジャンレボでの経験が、セルⅣに活きる。

 そんなことはまったく考えていなかっただけに、この発見を嬉しく感じる咲弥だった。

(問題はたくさんある。そこまで長い時間は使えないし、行動を限定することでしか発動できないし、それに何より、疲れるし……。だが、いつか絶対ものにしたい。この超集中を格ゲー用にバージョンアップできたら、俺は今の何倍も強くなれる)

 そこでふと、咲弥は思う。

(これから飼い慣らそうってのに、いつまでも超集中って呼び方はなんだかな……。何かわかりやすい名前でもつけておくか)

 こうして咲弥は、レッド待ちの時間を利用して考え始めた。

 だが、いい名前などすぐには出てこない。

(もう超集中でいいかな……。あ、そうだ)

 咲弥はケータイを取り出して、琴葉のアドレスを呼び出す。

(困った時の琴葉さん、っと……)

 時刻は午後八時を回ったあたり。アメリカは今頃早朝だろう。

(前にメールしたのは、レッドが来た翌日――格ゲーをやることになって、それを教えた時だったな)

 咲弥はメールの文面に簡単な近況報告を記し、超集中のネーミングについていい案が無いか尋ねる言葉で締め、送信。

 返事は数分後に来た。

(常に高速レスポンスだが、いったい琴葉はいつ寝てんだ?)

 咲弥はそう思いながらメールを開き――

 その文面に、目を奪われた。


『咲弥様のおっしゃる超集中の名前。

 あくまで琴葉の考えですが、《黄金色の時》と書いて、《アヴァロンズ・タイム》というのはいかがでしょう?

 それは、聖地祭。

 それは、咲弥様の黄金時代。

 咲弥様が再び目指し始めた場所にして、これからもう一度築こうとしている金紗の時。

 今の咲弥様は、きっとかつてのように――ともすれば、かつて以上にきらきらと輝かれているのでしょう。

 傍で直接お仕えできないのが、残念で仕方ありません。

 どうかこれからは、迷うことなく《黄金色の時(アヴァロンズ・タイム)》を歩まれますよう願いを込めて』


「……かっこよすぎだろ」

 何度もメールを読み返して、ようやく苦笑と共に出てきた言葉がそれだった。

 その台詞には、二重の意味がある。

 さらりとこんなメールを送ってくる琴葉がかっこよすぎる、というのと。

 超集中の名前として用意された《黄金色の時》がかっこよすぎるというのと。

(迷うことなく《黄金色の時》を歩まれますよう願いを込めて、か……)

 琴葉は昔、事故で接点を持つ以前より、Sakuyaのファンだったと言っていた。

 彼女はこの二年間、何を思っていたのだろう?

 プロゲーマーでなくなった咲弥を――自分がきっかけでプロゲーマーでなくなったSakuyaを見て、どんな想いを胸に秘めていたのだろう?

(《黄金色の時》でいいかもな。セルⅣでセルキャンしたりEX必殺技使ったりするとキャラが金色に光るし、言わばEX俺って感じで。……うん、《黄金色の時》――ありがたく使わせてもらおう)

 琴葉の気持ちに応えたい、という意味も込めて。

 ただし、『あの時期』――いわゆる厨二の頃にいる人たちが好きそうなネーミングなので、誰にも教えたりはしないが。

 などと思いながら、琴葉にお礼のメールを送信し終えた瞬間――

「さく兄! 琴葉さんから聞いたよ! 必殺技の名前が決まったんだって!?」

「ぐあぁ……」

 ドアを勢いよく開けたみちえが、興奮した面持ちで駆け寄ってきたのだった。

(速攻でみちえにバラすとは……心を読まれたな)

 咲弥に完璧に従順なくせに、決して茶目っ気を忘れない。

 それが琴葉という友人だった。

「ねぇねぇなんて名前!? 英語!? ドイツ語!? それともラテン語だったり!?」

 目を輝かせて咲弥に詰め寄るみちえ。

 彼女は中学三年生だが、年中無休で『あの時期』文化が大好きである。人をヒかせてしまうような行動は一切取らないものの、やはり中学生というカテゴリーに属しているせいか、封印されし『あの時期』の血がざわめくことを抑えるのは難しいらしい。

 咲弥は「やれやれ」と苦笑いしつつも、琴葉からもらったメールをそのまま見せてやった。

「うっぴょーっ!? 《黄金色の時》カコイイ! 主人公っぽいよさく兄!」

「なんのだよ」

「今度あの技使ったら、ちゃんと《黄金色の時》って叫んでね!」

「叫ばねぇよ」

 もうとっくに『あの時期』を卒業している咲弥では、みちえの欲求を満たしてやることはできなかった。

「で? レッドの着替えは終わったのか?」

「うん。もうすぐ愛鈴が連れてくるよ」

 と話した矢先――

「ほら、レッド」

「ダメ……無理……」

 みちえが開けっ放しにした扉のすぐ脇から、愛鈴とレッドの声が聞こえてきた。

 姿は見えないが、抵抗するレッドを愛鈴がリビングに導こうとしている、という構図だろう。

「まだごねてんのかよ。俺だって着てるってのに、カトラコスの何がそんなに恥ずかしいんだ?」

「カトラコスねぇ……。レッドの言った通り勘違いしてる……」

「ん? なんか言ったか?」

「んーん。なんでも」

「?」

 みちえがやたらニヤニヤしているが、咲弥にはその意味を図りかねた。

「ねぇさく兄、ちょっと目を瞑っててよ。その間にレッドを連れてきてあげるから」

「ああ。わかった」

「絶対そのままだよー」

 みちえがやけに楽しそうなのが気にかかるものの、咲弥は素直に目を閉じて、ソファーでレッドの登場を待った。

「さく兄は今、目を瞑ってるよ。こっちこっち」

「や、やっぱり無理よ……私がこんな……」

「何度も言ってるでしょう? よーくお似合いですよレッド。あなたは一人の女の子として、また一人のコスプレイヤーとして、もう少し自信を持ってください」

「私はコスプレイヤーじゃないわよ……」

 視界を暗く閉ざした咲弥のすぐ前で、そんなやり取りの気配が。

「ほいっ、さく兄の前に立って」

「私たちはこっちで見ています」

「あ……あ……」

 レッドのうろたえにうろたえた声と、離れていく二人分の足音。

 どうやら準備は整ったようだ。

「目、開けていいか?」

「ま、待って! まだ待って! ……うぅ……」

 その声は、今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい。

(おいおい、どんだけコスプレが恥ずかしいんだこいつ? カトラの衣装はコスプレの中じゃわりと難易度低めだと思うが。羞恥心のレベル的に)

 だが、目の前にいるのであろうレッドからは、すぅーはぁーと大仰な深呼吸で息を整える気配が伝わってくる。

 命を賭した決戦にでも臨むような雰囲気だ。

「ダメ……でも……負けちゃったし……約束だし……うぅぅ……。これは罰……もっと強くなるための罰……うぅぅぅぅ……」

 小さく呟いてから、最後にもう一度深く息を吸って、ようやくレッドは言った。

「目、開けて、いいわよ……」

(ようやくご開帳か)

 ここまで長かったなぁと、咲弥は小さく溜息をついた。

 ゆっくりと瞼を上げながら、思う。

(悪いけどほとんど予想できてるってのに……ったく、レッドのカトラコスを拝むのは骨が折れ――)

 そして、止まる。

 レッドの姿を視界に捉えた咲弥は、文字通り、その呼吸を、その瞳を、その息を、あるいは纏った時間さえも、瞬時に停止させた。

 そこにいたレッドは――


「こんな格好……恥ずかしすぎる……」


 かなり食い込みの激しいハイグレのレオタード。拳に円柱の突起が付いた籠手に、軍用のショートブーツ。頭にちょこんと乗った臙脂色のベレー帽。

 それ以外を一切纏わぬ過激な姿。

「お、おまえそれ……」

 普段は下ろしている髪も、ちゃんとツインテールに結び直されている。

 それはカトラではなく、チェリィ。

 素早い動きとリーチの長い足技――そして、ヒップと脚線美を強調した色気ある衣装が特徴的な、セルリードファイターシリーズで屈指の人気を誇る女性キャラクターだ。

 レッドはカトラコスではなく、チェリィコスをして咲弥の前に現れたのである。

「あ、あれ? だっておまえ、カトラがメインキャラじゃ――」

「あなたには黙ってたけど……」

 レッドは両手でハイグレの股を必死に隠しながら、顔を真っ赤に染めて語る。

「私は最初、チェリィをメインで使ってたの。愛鈴がコスを作ったのはその時だから……」

「あ、ああー、なるほど」

 咲弥はようやく理解した。

 現在のレッドの本気キャラがカトラなものだから、てっきりカトラコスが来るとばかり思っていたが――

(俺の早合点だったわけだ。あんなに恥ずかしがってたのはこういうことか)

 これが水着だったとしても、こんなに挑発的な品はそう無い。

 無駄な肉の付いていないレッドの白い脚。

 バストはそこまで豊かではないものの、タイトな衣装によって、スレンダーな魅力が充分に引き立てられている。

 今は正面を向いているが、おそらくこのハイグレだと、お尻の強調がなかなか際どいことになっているはず。

(純粋に見たい。……って何が『純粋に』だよ。はぁ……俺もまだまだスケベだな)

 いや、高校男児としては正常な反応である。

 このレッドを見てまったく、微塵も、これっぽっちも興奮しない男など、賢者かEDかガチホモ(禅時「ん~?」)に違いない。

 咲弥は十七歳にして、他の同年代の男子より様々な人生経験を積んでいる。特に女性関係については、かつてきよらという恋人がいて、己の感情をさらけ出した琴葉という相手がいて……つまり『二人を経験』している(意味はお察し)。

 とどのつまり、咲弥は並の男とは比べものにならぬほどの、強力な女性耐性を持つ。

 しかしそんな彼でも、これにはあっけなく、負けた。至極『純粋に』、もっとレッドのチェリィコスを見たいと思った。

(後ろ向いてくれって言っても聞かないだろうな……。おお! そうだ!)

 咲弥はあることを思い出し、さっそく実行した。

「さて、じゃあそろそろやってもらおうか」

「……え?」

「こらこら忘れたのか? コスプレ以外に約束してたこと、あったろ?」

「あ――」

 咲弥に言われ、レッドも思い出したようだ。


――だったらアレだ、挑発ポーズ。各キャラ何種類か用意されてるだろ? あれを最初から最後まで全部やってもらおうか――


――いいじゃない、やってあげるわ。その代わり私が勝ったら――


「そしておまえは負けた」

「無理っ!」

「無理じゃない。約束」

「約束だけど……でも無理なのっ! ただでさえ私には的外れな格好なのに――」

「いや、似合ってる」

「え?」

 咲弥の言葉に、ずっと俯き気味だったレッドが顔を上げた。

 二人の視線が合わさって――

 照れたように目を逸らしたのは、咲弥だった。

「あー、なんだ。忌憚のない感想を述べるとだな……。今のおまえすごくかわいい。コスもめちゃくちゃ似合ってて、色気があるし。衣装に恥ずかしがってるおまえの様子も、なんかこう、見てると犬みたいに撫で回したくなる」

「な……な……」

 言われた瞬間に、レッドはシューッと顔を赤くした。

 そんなリアクションを取られては、さすがに咲弥も気恥ずかしくなってしまう。

 だが、言うことは言う。

「前にも言ったろ? おまえはすごく、綺麗な顔してる。それに、スタイルだって悪くない。そういう衣装も問題なく着こなせるんだから、堂々としてろ。自信持っていい」

「あ……ありが……とぅ……」

 レッドはまた俯きながらも、さらに頬を染めて、小さな声でお礼を述べるのだった。

「咲弥さん、女殺しですね。レッドがもう落ちそうです……ひそひそ……」

「だね。それに、さく兄が照れるなんてツチノコ並に珍しい。これはどっちも脈ありだよ……ひそひそ……」

 部屋の隅でひそひそやりながら、二人の観察に専念するみちえと愛鈴。

 レッドと咲弥はお互いのことに手一杯で、外野にはまったく気が回らないのだった。

「まさかあのジミヘンが、ここまで変わるとは」

「……私、まだ地味で変な子?」

「そう、だな。少なくとも地味ではないな。うん、それは絶対に」

「そっか……」

「ああ……」

 会話が途切れ、お互いに黙ってしまう。

(ま、まいった。約束は約束だが、尻見せて――もとい、チェリィの挑発ポーズやってくれなんて言えない雰囲気だ)

 どことなく気恥ずかしくて、居心地がよろしくない。

 しかしそれを、悪くないと思っている自分がいて――

 ちらりとレッドに視線をやると、彼女は相変わらず手で股を庇ったまま、桜色に上気した顔でそっぽを向いている。

(……ま、充分いいもの見せてもらってるか)

 ふっと笑いながら息を吐いて、咲弥は気付く。

 自分が今の今まで、チェリィコスのレッドと相対して、緊張していたことに。

(俺が未だに思春期なのか、レッドのコスがかわいすぎるのか……どっちでもいいけどな)

 気分は思いの外、悪くない。

 たまにはこんな日があってもいい。

 自分がまだ十代の少年であったことを、久々に思い出した咲弥だった。

「レッド」

「な、なに?」

「せっかくだから、写真でも撮っておかないか? 今日はほら、俺もこんな格好だしよ。コスプレする機会なんてそうそう無いだろうから、記念に何枚か残しておきたいんだ」

「写真ならもう、愛鈴にいっぱい撮られた。あなただってさっき、たくさん――」

「違う。おまえと撮りたいんだよ」

「え?」

「ツーショットだツーショット。ま、めでたくコンビ結成したわけだし、相方と一枚、思い出作ってみないか? もしくは師弟で仲良くってことでもいい。どうだ?」

「……」

 レッドはまだ赤みの引かない顔で、考えるように俯いて――

「……今日の私、ほんとにかわいい?」

 上目遣いになりながら、そんな質問を咲弥にぶつけた。

 咲弥は一瞬きょとんとしたものの、小さく笑って――

「ああ。世界のSakuyaが保証してやる」

 冗談っぽく、しかし冗談ではない答えを返すのだった。

 レッドの頬がまた少しだけ朱を強め、慌てたように咲弥から視線を逸らす。

 それからややあって、レッドは小さく頷きながら言った。

「じゃあ……一緒に写ってあげる」

「よし」

「話は聞かせていただきました」「激写ガールズ参上!」

 そうやって――

「いきますよー? ……はい、チーズ」「ずっ!」

 その一枚は撮られた。

 咲弥とレッドが背中合わせになり、カメラに目線を寄越している写真。

 右側に立つ咲弥はカトラになりきって腕組みをし、楽しそうに笑っている。

 左側のレッドはチェリィっぽく腰に手を当てて、少し恥ずかしそうではあるものの、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。

 最後はタイマー機能を使い、咲弥とレッドだけでなく、みちえと愛鈴も一緒に写った。

 それはみちえのパソコンと、愛鈴のSDカードと、鐘鳴家のアルバムに、これからずっと残されることになる、大切なメモリーショットの一つだったとさ。



 ちなみにこれは、後日のこと。

「さく兄、まだ起きてる?」

「起きてるが、こんな時間にどうした? もう寝ようと思ってたんだが……」

「うぇっへっへっへ」

「なんだその下卑た笑いは。女子中学生として終わってるぞ」

「ソコのおにさん、いいものあるヨ」

「なぜ胡散臭くなる」

「今なら一枚たったの千円ネ」

「何が?」

「こ・れ☆」

「……! これはレッドのチェリィコス……あの日の写真か」

「そそそ」

(な、なんだよこれ、みんなヤバい角度じゃないか……。たぶん愛鈴が撮ったやつなんだろうが……うぉっ!? 待望の尻――じゃなくて挑発ポーズっぽいものまで!? ……ぐぁっ!? この写真普通にかわいいんだが!?)

「フヒヒ、みっちぇにはわかる。わかるのだぜぇ?」

「はっ!? ……な、何がだ?」

「くくくっ、旦那様よぅ? あんたあの時、思わなかったかい? このレッドに興奮しねぇやつぁ、間違いなく賢者かEDかガチホモ(禅時「へぷしっ!」)に違ぇねぇって」

「ま、まあ、レッドはもともと素材がいいしな。あのチェリィコスは、だいたいのやつがかわいいと思うんじゃないか?」

「あぁーその通りさね。で、結論から聞いておきやしょうか?」

「……全部で何枚ある?」

「ざっと五十枚でさぁ。厳選に厳選を重ねた極上ショットだけを集めやしてね。和牛で言うなら間違いなく霜降りクラス――つまり涎が滴るほどおいしそうってね。ひっひっひ」

(愛鈴に頼んでデータを……いや、こいつのことだ、もう根回しは済んでるだろう。レッドにバレず合法的にこの写真を手に入れるためには――買うしかないのか。くそっ、こいつ楽しみながら俺から巻き上げる気だ。なんとかして全部手に入れたいが……)

「うぇっへっへっへっへ。どうするアンちゃぁん?」

「……十枚ほどもらいたい。一枚二百円だ」

「なぁーに言ってんだい、一枚千円。これ以上勉強したらカミさんに怒られちまわぁ。ほんとだったら一万円はもらいてぇところなんだぜぇ?」

「二十枚買ってやる。だから一枚二百円にしろ」

「……三十枚なら七百円で大丈夫かも」

(見えた。七〇〇×三〇〇=……なるほど、安心した。俺に値切られること前提だな)

「どうすんだい? 三十枚以上なら七百円に負けてやってもいいんだぜぇ?」

「三十五枚。一枚二百円」

「ええい、二百円は安すぎるってば!」

「よかろう、一枚三百円。これで四十枚ならどうだ? 合計一万円は超えるぞ?」

「も、もう一声」

「なら大盤振る舞いで、五十枚全部買ってやろう。それで一枚三百円なら?」

「あとちょっと!」

「よし、一枚四百円。それで五十枚全部」

「売ったぁ!」

「交渉成立だな。で、何が欲しくて俺から二万円巻き上げたかったんだ?」

「う、目標金額バレてる……。いやー、ちょっと、タミーのライブチケット+物販代の資金を蓄えておきたくて。今月のお小遣いもうなくなっちゃったし」

「やれやれ」

「えへへ、ごめんねぇ。それでそのぉ、お代金のほうは――」

「今は持ち合わせがない。明日にでも下ろしてきてやる」

「ありがとうございます! ささっ、どうぞレッドの写真をば!」

「……このことは――」

「おっしゃらなくて結構! みっちぇはさく兄の妹分で、二人は仲良し! さく兄はみっちぇに臨時小遣いをあげて、みっちぇはお返しに『友達がプリントしてある肩たたき券』を献上した……そうでしょう?」

「その通りだみちえ。頭を撫でてやろう。撫で撫で」

「みっちぇたち仲良しだもんね。撫でられ撫でられ」

 こうして咲弥とみちえは、また少し、義兄妹としての絆を深めたのだった。



【二〇一一年 五月中旬】


 みちえが咲弥に『友達がプリントしてある肩たたき券』を進呈する、その数時間前。

 私立恋森東高等学校付近の路地にて。

(生徒会の仕事ですっかり遅くなっちゃったなぁ~。でも明日はお休み、楽しみぃ~♪)

「オイ、そこのテメェ」

「ん~? オレですか~?」

「おう、テメェだ。……ここらへんでよォ、若ぇくせに杖なんぞ突いてるスかした野郎を見たことねぇか? それかもしくは、赤い帽子被ったいかにもビッチな女。どっちか知ってたら教えろ」

(……? 杖突いた高校生って言ったら咲弥のことかなぁ~? 赤い帽子の女ってのは知らないけど)

「どうなんだ? アァン?」

「う~ん……ちょっとわからないですねぇ~」

「チッ、ならいい」

(あ、行っちゃった。すごく目つきの悪い女の子だったな~。学ランとか羽織ってたけど、あのセーラー服は北高だよね? ……咲弥にメールしとこ~。『柄の悪い女の子に咲弥のこと聞かれたよ~。なんか危ないことになってない~? 大丈夫~?』っと)

 夜は更けていく。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 最近、小説はあまり書いておりませんが、よろしければ「妻と私とネズミ(https://tsu-wa-ne.com)」にお越しください。

 始めたばかりのブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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