8魔 西方守護伯付き魔女と空のダンス
晴れ渡った青が赤く染まる空の下、張った防音を貫いた怒声が響き渡り、城中のメイドが茶器を割った。
「……やってるな」
「……やってますね」
ミルが解呪を失敗したのだろう。最近特に回数が多い。なのに怒声は消えず、彼が張った防音すら貫いてくるのはどういうことだろう。
再度響いた怒声にびくっと肩を震わせたトーマスは、何度聞いても慣れないらしい。ガウェイン自身は、何の心構えもなく姿を込みで見たショックの方が大きいので、声だけならびくっとはならない。どきっとはなる。何だ、あの、腹の底から沸きあがる恐怖心は。
偽王女に逃げられたと報告が入ったのは、ミルが魔物の群れを一掃した直後だった。不意に巻き上がった竜巻に邪魔されて足止めを喰らった隙に取り逃がしたという。魔女がいたのだ。魔女は必ずどこかに所属している。そして所属している以上は所在地が明確にされている。これは魔女を危険視して監視している訳ではなく、魔女狩りの横行を防ぐためだ。自ら排除したくせに、戦力になると知るや否や、力付くで手に入れようとする人間の傲慢さは、いつの時代も魔女を苦しめてきた。
苛立たしげに髪を掻き上げると同時にノックが響く。
「入れ」
ガウェインが許可を出したと同時に扉が開き、怒声も響いた。
『この未熟者がぁ!』
「ひぎゃああああああ!」
「うおおおお!?」
「……………………」
三種三様の悲鳴が上がったと思いきや、ヴァナージュだけは軽く目を細めただけだった。トーマスは両手で耳を覆って半泣きになっている。
入室者は二人、一名はヴァナージュ、もう一人はキルヴィック・ザン。タクス地方の領主の息子だ。出自から領主陣の信頼を得づらいガウェインだが、彼らの子ども勢は年が近い事もあり、悪くない友好関係を築けていた。悪友ともいう。
「おい、何だよ、あれ。お袋様に雷落とされたときみたく怖ぇんだけど?」
「守護伯付き魔女が修行してるんだ。ほっといてやってくれ」
「それだよ。何で公表しねぇんだ? 何百年も魔女不在の西方守護地に魔女降臨だぜ? お前の箔もつくじゃねぇか」
長い金髪を二つに分けて、更に一つで結んだキルヴィックは、玩具のように自分の髪を弾いた。
箔と言われても、思い浮かぶのは昨夜のミルの姿だ。
圧倒的な力で魔物を倒しておきながら、雨に濡れて佇む様は迷子の子どもより憐れだった。濡れそぼって身体に張り付いたドレスで一回り小さく見える。
役立たず。
そう判断されるのが怖いくせに、こっちの瞳にその色を探してしまう憐れな子ども。
あれだけの力を持った子どもに大人は容赦なくレッテルを貼り付けた。幾度も幾度も重ねられ、いつしかレッテルだけしか見えなくなった視界で、ミルは更なるレッテルを望むかのように相手に色を探す。傷つくくせに、いつか貼られるならば今でいいと。
「あれは母親に呪をかけられているらしい。お披露目は解呪を成功させてからだ」
「どんな母親だよ!?」
「あんな母親だ」
一際高く響き渡った怒声はどうやら防音壁が砕けたらしい。城中に花器が割れる音が続く。陶器関係買い揃えだろうか、これは。
「あいつの事はいいから、報告が先だ。さっさとしてくれ」
キルヴィックは、へいへいと軽い返事で肩を竦めた。いつも女連れで一人や二人でない軽薄さを隠しもせず書類をひらつかせる。
「偽王女一向のコルコ前の足取りは、パルソナまでしか掴めてねぇな。パルソナの領主にしたって、突然やってきた、伝え聞く王女と特徴が一緒だったから思わず信頼したらしい。淑やか美人だったか? 雪幻の妖精だろ? あー、偽者でいいから会いたかった……」
「卸すぞてめぇ」
九割方本気の睨みに、キルヴィックはへいへいと肩を竦めた。
「姫様至上主義のお前の前ですんません。今度はお前のいないとこで言うわ」
「ヴァナージュ。やれ」
「御意」
当たり前に剣を抜かれて慌てた声が上がる。ヴァナージュは、やれと言われたら本当に殺る。冗談何それおいしいのという男なのだ。
「報告! 魔物の野郎どもは一体全体どこからお越しなすった!?」
仕えると決めた守護伯への報告をそっちのけでいいのかと促されたのだ。皮肉に舌打ちも嘆息もせず剣は仕舞われた。ほっと安堵の息をついたのも束の間、キルヴィックの身体が宙を舞った。当然彼が自ら望んだわけではない。体格のいい成人男性を細身の身体で悠々と投げ飛ばした男は、涼しげな顔で立ち上がった。
「閣下、元々あの辺りに生息していた魔物ではないとの見解が濃厚です。また、周辺地域での被害報告もありません」
「というと、何だ。突然あそこに現れたってことか? 食い荒らされた形跡はないのか?」
「近隣の農作物以外に、森や山も調べさせましたが、獣も植物も被害なしとのことです」
幾らゴブリンが知能があるといっても自らの痕跡を隠すまで知恵は回らない。だとすれば手引きした人間がいるはずだが、人間が魔物を操れるはずもない。
「魔女、か……?」
「恐らくは。姫様を騙った不届き者の中に魔女がいたのは確実です。現在王宮に所在地不明の魔女がいないか問い合わせております」
「偽王女との流布はこっちでやってる。流石にこれだけ偽だ偽だと騒いでやったんだ。二度とふざけた真似は出来んだろう。というか、させんぞ。あの糞野郎共。姫様の御名を穢して一体何のつもりだ」
今思い出しても腹立たしい。あの時の『ミルレオ王女』の行動は、責も何も担わぬ貴族の令嬢のようだった。自らの欲を満たせればそれでいい、身の安全さえ保障されれば誰の犠牲も気に止めない、寧ろ当たり前だと縋る。
記憶にある幼い瞳はあんな色をしていなかった。女であることを媚びるだけの吐き気を齎すような甘ったるい声音ではない。
ガウェインの中にあるのは幼い王女の記憶だけだ。今はどんな風に成長しているのかは全く知らない。簡単に目通り叶う方ではない。守護伯を継承した時も、式に殿下達の姿はなかった。
それでも、忘れられない。幼い金紫の瞳が、まっすぐにガウェインを見上げたあの色が。
ミルレオ姫様は、姿形だけ女王に似た紛い物。
お披露目の場でも式典でも碌に魔法を使えない役立たず。
魔女を名乗れるのは母親のおかげ。
役立たず役立たず役立たず。母王があれだけ偉大な方なのに、娘である王女はどうしてああなのだ。女王は若く美しい。彼女が健在であるなら王女はいなくても。
西方の端にまで届く噂。中央にいた王女はもっと直接耳にしたのだろう。皆が己を蔑む中で生きてきた。
『お母様がいれば、溶けても構わないんです。僕も、王女も』
雪より余程儚く微笑んだミルも同じだったのだろうか。
軽く頭を振って切り替える。
「お前達は引き続き情報を集めてくれ。狙いが分からんと対処しようがない。とりあえず、偽王女関係者は捕えたら俺が殴る」
「あ、美女だけ置いといてくれよ。俺が尋問すっからさ。あー、一目でいいから本物の王女様に会いたいぜ。知ってっか? 女王様と並べばこの世の春だってさぁ」
ごっ! と鈍い音が響いた。慌てたトーマスが間を割って入る。
「ガウェイン! 暴力は駄目だととあれほど!」
「これは暴力じゃない。制裁だ」
「あ、ちち、お前本気でやったろ!」
「当然だ。……何だ、喋れるなら力が足りなかったな」
顔面を手加減なしに強打されたのに、打たれ強いのが取り得のキルヴィックは、痛そうに頬を摩るだけだった。
もう一発いくか、いっそ蹴りでもいいいなと、トーマスが聞いたら涙目で説教しそうな事を考えていると、ふと、寡黙なヴァナージュが珍しく独り言を呟いたのに気づいた。
「……楽しそうですね」
本棚の隙間にかろうじて残った窓から何かを見ている。成人男性三人で覗き込むには狭いスペースに、何も考えず張り付いてしまい、悲惨な事になった。
元凶となった呟き主は一歩も動いていなかったので悲劇に巻き込まれずに済んだ。
ガウェインの役に立ちたいといつもより多く解呪に取り掛かり、終いには防音壁まで破られたミルは、激しく落ち込んでいた。
何がいけないのだろう。母のように美しく緻密な術式は練れるのに、反応した途端呪いが顎を開く。
一日中呪い解除に掛りっきりの体力は尽き始め、余計に情けなくなる。
『お前がいてくれてよかった』
そう言ってくれたガウェインに報いたい。何故か悲しげな、憐れんだ瞳を浮かべたあの人の役に立ちたい。役立たず。その色を、あの緑に見たくない。
のろのろと吹き飛んだ隊帽に手を伸ばした。拾う前に誰かが持ち上げる。一緒に視界を上げたら、複雑な顔をしたザルークがいた。ぽこんと頭というか顔面に帽子を乗せられて何も見えなくなる。
「妹が八つ当たりしてるらしいから、謝っとく。ごめん」
「え?」
心当たりがなくて首を傾げる。
「サラだ。ごめん。あれは完全に八つ当たりだから気にしないでくれ」
驚いて目の前の少年をまじまじと見つめる。確かに赤茶色のふわふわとした髪はサラと同じだ。前に敬語で話したら鬱陶しいと言われたので、出来る限り『タメ口』なるものを意識して話す。
「八つ当たり?」
「……恋人にふられたらしい。相手があんたに惚れたからだとかなんとか。まあ、うん、気にすんな。お前は悪くねぇし、まあ、夜部屋の鍵はしっかりかけとけな? 人間思いつめると何するか分かんねぇし、まあ、男同士なら無理矢理は……お前相手だと出来そうな気がするのが怖ぇえな。まあ、何だ、うん」
ぽんっと肩に両手が置かれた。
「頑張れ」
「余計に怖いです!」
「どんまい!」
「何が!?」
真剣な瞳が余計に怖い。そういう話が軍隊に多いとは小耳に挟んだ事はあるし、実際男になってから四つ顎に襲い掛かられた事もある。けれど、そんな、普通なの!? サラとお付き合いしていたって事は普通の男女の恋人だったのに、どうしてそうなったの!?
半分以上パニックになった様を憐れに思ったのか、今日のザルークは優しかった。
凄く疲れた。ぐったり項垂れたミルは、緩慢な動作で指を動かした。ぽんっぽんっと軽い音と共に現れたのは、愛らしい硝子瓶だ。
「サラにあげてください。いい匂いがすると言ってくれたお礼です。僕が作った入浴剤です。気に入って頂けると嬉しいですけど……元気出してと伝えたら、怒る、かな」
「ははは、何言ってんだミル。怒るならマシじゃないか」
「え!?」
「はははははははは」
急に声音が変わり、ザルークは遠い遠いどこかを見て乾いた声を上げ続けた。
当初はつんつんしていたザルークも、昨日のミルの行動に何か思うところがあったのだろう。態度は少し軟化した。ガウェインの伝令のようなことをしているらしくて、城にいない事が多い。馬に乗る事が多い彼はこっそり薬を頼んできた。痔の予防薬ですねと、頼られる事が嬉しくて笑顔で返したら殴られた。
「俺は、ガウェイン様に一生ついていくんだ」
赤茶色の髪を風が巻き上げて、茶色の瞳が細まる。
「俺達はガウェイン様に拾ってもらったんだ。だから絶対恩に報いる。ガウェイン様が仕える相手にもだ。だから、お前を認めてやる。あまり評判のいい訳じゃない王女のことで、ちゃんと怒ったお前を、俺は認める」
驚いて目を丸くする。ミルレオは王女を庇ったわけじゃない。怒りはもっと別にあった。自分の評価が低い所為で王家が見縊られた。許し難かったのはそれだけで、彼が認めてくれた、ガウェインが仕える王女が侮辱されて怒ったわけじゃない。
弁解しようと口を開いても、結局説明出来なくて噤む。どう説明しようとしても呪いに引っかかる。
「……ザルークは、隊長が大好きなんで………………大好きなんだね」
結局口に出たのは当たり障りのない言葉だった。語尾の言い直しは必須だったが。
年頃の少年が受けるには羞恥が前面にでる言葉だった。しかし、ザルークは少し目を細めただけで頷いた。
「捨てられた人間にとって、拾ってくれた人は神にも等しいんだよ」
ガウェイン様が信用するなら俺もする。疑って悪かった。素直に差し出された手を握りながら罪悪感が拭えない。本当のことが話せないなら、せめて嘘はつかないようにしよう。ミルレオはぎゅっと握って心に決めた。
今日はこれで最後にしようと挑戦した解呪も見事に失敗し、大音量にひっくり返ったザルークを巻き込んで二人で地面に突っ伏した。軽っ! と、何故か怒られながら慌てて上からどいた。
ぱたぱたと土を払いながら、ザルークは不思議そうに首を傾げた。
「なあ、ミル。昨日のなんちゃらなんちゃらって難しいのか?」
「なんちゃらなんちゃら……」
「あー、えーと、天からの采なんちゃら」
「ほとんど言えていますよ!?」
細かいところは気にしない性質らしい。
「いえ、雲さえ呼べればそんなにです……だ、よ?」
「聞くなよ。なあ、だったらあれは? あの、なんちゃらかんちゃら」
「なんちゃらかんちゃら……」
「天駆ける龍よ、我に制空権をなんちゃらってやつ」
「なんちゃらいりませんよ!?」
鋭い指が額に叩きつけられた。指一本の威力とは思えない。あまりの威力に涙目になったミルレオに、威力が今一納得いかなかったのか、練習しながらザルークは吼えた。
「畏まんなつってんだろうが!」
「す、すみま、ごめんなさ、ごめん!」
「よし」
「いいんです、の?」
「なよんな!」
「いったぁ!」
後で教えてもらった技名デコピン。未知なる痛みだった。
一通りデコピンを入れて満足したのか、機嫌よく話が戻った。何本も攻撃されたミルは既に瀕死の状態だったが。
「なんちゃらさあ、俺もやりたい」
「……うぅ、痛い……だったら最初からそう言ってくださ……れ…………」
構えられた指に慌てて付け足したら、とりあえず及第点だったらしく指はしまわれた。
ひりひりする額に半泣きになりながらザルークの手を取る。自分より少し大きいだけの手は、比べ物にならないくらい硬かった。
「ええっと、術は僕が使うので、ザルークさんは歩いてくださったぁ!」
「ザルーク」
「うぅ……はい、うん」
握った手が攻撃の態勢をとって、慌てて握りしめる。
「歩くって、どうやんの?」
「いつもみたいに」
「だって、空だぜ?」
晴れ渡った名残のある夕空を見上げる。そこには勿論階段なんてない。
「空気にだって質量を感じる事はできま、できるよ。風は当たったらちゃんと分かるでしょう? 突風は硬いって思わない?」
「あー、馬に乗ってるときみたいな感じ?」
「そうです。じゃあ、ちょっとやってみるね。天駆ける龍よ、我らに制空権を」
二人の両足に術式が現れ、両手を握ったまま唱えると地面を踏みしめていた安定感が失われる。急に心許なくなった足場に、思わずといった風に握る力が強くなった。笑顔で宥めて足を踏み出す。
「ついてきて。大丈夫、絶対落とさないから。はい、上に、上に、そう、上手」
よたよたしながらもちゃんとついてきたザルークに嬉しくなる。まるで弟に歩き方を教えた時みたいだ。それ以外で誰かに教えたことなどない。王宮には王室付の魔女がたくさんいるし、誰も役立たずの王女に魔法など習いたくはないだろうから。
「次は前に、前に、しっかり質量を感じて。ここは空の地面だから、転んでも回るだけで痛くないよ。そう、上手。はい、次は右に」
元々運動神経がいいのか、ザルークはすぐに適応した。足元ばかり向いていた視線がぱっと上がる。今日の空みたいに晴れ渡った笑顔だった。
「すげぇ! 地面が遠いぞ!」
「楽しい?」
「うん! ありがとう、ミル!」
一瞬息が出来なくなった。
胸が詰まる。衒いない言葉がこんなにも嬉しい。幼子のように無邪気に笑うザルークの瞳はきらきら輝いている。新しい事が楽しくて楽しくて堪らない顔だ。夕焼けより眩しいのに目が離せない。
ちゃんと笑い返せたのだろうか。そればかりが気になってうっかり背後を忘れた。
かちゃんと軽く触れた窓枠にはっとなる。慌てて振り向いた先で成人男性達が狭い隙間にすったもんだしていた。
「ガウェイン様! 俺、飛んでる! 空歩いてる!」
窓が開いてないのも忘れてザルークが叫ぶ。大きな声はきっと部屋の中まで聞こえている。自分の頬を肘で潰していた男に拳を入れてどかせたガウェインが、笑顔で口を動かした。
『良かったな』
見慣れたはずの景色が急に尊く見えた。高く上がった空は遠くまで見渡せる。
空に近づいたと嬉しくて堪らなかったあの日。初めて空を飛べた日。世界は確かにミルレオのものだった。
「踊りましょう、ザルーク!」
「あ? 貴族じゃねぇから無理無理」
「楽しそうに回っていたらいいんですよ」
繋いだ手を勝手に腰に回させて固定すると、ミルは大きく一歩下がった。
「僕が女性パートを」
「だ、から、うわ! 俺、踊れねっつの! うわ、落ちるって!」
「落ちないよ。ザルーク、手を上げて!」
不安定な足場に辟易しながらも上げられた手を離す。くるりと回ったミルレオは、笑っていた。
いつの間にか上半身裸のジョン達が地上に集まっていた。城のメイドや執事達もだ。楽しそうにくるくる回る二人に、いつしか地上でも即席ダンスパーティが始まる。楽器に覚えのある者が集まって、楽譜もないうろ覚えの多い曲を演奏し、仲良しのメイドが歌う。碌に踊りを知らない人々が笑って回る。トーマスだけは、空中の二人が心配でせっせとクッションを集めている。並べる端からジョン達が投げつけあってしまうので、いつまで立っても形は整わなかった。
いつの間にかガウェイン達も混じっての宴会になっていた。くるくる回るだけいい。笑っていればそれでいいのだ。
「あはは! 楽しい! どうしようザルーク! 楽しい! こんなの初めて!」
「俺、も、初めてだよ! 空飛ぶのも踊るのも! ははっ、バカみてぇに楽しい!」
いつの間にか繋いだ手は片手になっていた。慣れたのだろう、ザルークはミルを振り回すように回りだした。
空いた手をきゅっと握る。開いた掌から光が溢れ出た。色取り取りの丸い光がシャボン玉のように宵の空から降り注ぐ。一際大きな歓声が上がった。
地上に降り立った途端、わっと囲まれて胴上げされた。酔っ払いのすることに意味を求めてはいけない。最初はされるがままになっていたミルは、同じように空を舞ったザルークが引き攣った声を上げた事に気づいた。
「だっはっは! ザルーク! 高いたかーい!」
「高すぎんだろ! やめろ酔っ払いどもが!」
「いい子でちゅねー!」
「だぁ! この筋肉だるまうっとうしい! ガキ産まれたばっかで調子のってんのがほんとうっとうしい!」
いつの間にかザルークのほうの胴上げは筋肉達が担当していた。ミルはひっと声と片手を上げた。
掌から弾けるように上がった花火に皆が見惚れている隙に胴上げを離脱する。後ろから何かが潰れた声が上がった。花火に見惚れた筋肉を足場に、ザルークも離脱したからだ。目が合って、お互い頷くと、それぞれの進行方向へ一目散に逃げ出した。このとき、ミルとザルークはまぎれもなく戦友だった。
地面に下りたのに足元がふわふわするのは高揚感が解けないからだ。空を駆けたのも踊ったのも初めてではない。胴上げも、まあ、ここに来てから何度もされた。怖かった。
即席ステージの上では、ガウェインに殴られていた男が女性五人を相手に踊り、観客から物を投げられていた。どうやら彼らのパートナーを奪ったらしい。
不意に肩を強く掴まれた。驚いて振り向いた視界の端を銀青が掠める。思わず伸ばした手は何も掴めなかった。
「あの、隊長? どうなさいました?」
酷く驚いた顔をしているガウェインは、不思議そうに見上げる姿にはっとなった。
「……気のせいか? すまん、あれしきで酔ったりしないはずなんだが」
「お疲れなのではありませんか? 薬調合しましょうか?」
「いや……お前が女に見えてな」
今度はミルレオが驚く番だった。
「腰ぐらいまでの長髪に、紺のドレスを着ているように見えたが、気のせいだな。悪い」
「え!?」
咄嗟に落とした視界に映ったのは、ぺたんとした薄い胸。両手で胸を押さえて肩を落とす。そう簡単にいったら苦労しないのだ。
「無理ですよね……そうですよね……お母様、酷いです。一番気に入りのドレスを着ていらっしゃいと仰ったのに、そのまま呪うんだもの……」
最後に自分の姿を見た日。一等気に入りのドレスを着ておいでなさいと母に呼び出された。色々考えた結果、艶が美しい濃紺のドレスを選んだ。どこか軍服めいた堅苦しさなのに、スカートは風に靡く姿が美しいのが気に入っている。威厳がないとはよくいわれるが、このドレスを着たときは気持ちもかっちりなる。
だから選んだら、その姿のまま呪われて、ドレスも飲み込まれてしまった。次にあの裾を翻せるのは解呪に成功した時だ。
見るからにしょぼんと落ちた肩をいつもだったら励ますガウェインはそれどころではなかった。ミル自身が放った爆弾発言の所為だ。
「お前、女か!?」
失言に気づいた途端、両手で頬を押さえて悲鳴を上げた。
「き、きぃあああああああああああ!」
声変わり前の少年の声で上がった甲高い悲鳴は、宴の歓声が掻き消してガウェインにしか聞こえなかった。