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7魔 西方守護伯付き魔女と役立たずの王女




 人垣で目的の人物は見えない。しかし、ガウェインが歩けば人が割れて一直線に道が出来た。いつもなら嘲笑と嫌悪が滲み出た視線が、今日に限って驚愕と興味に染まっている。

 居丈高な成り上がり伯に手を取られて歩く、まるで深窓の令嬢のような娘がいたからだ。娘は眼が合えば穏やかに微笑む。気負いのない姿は、全幅の信頼をガウェインに預けているからだろうか。

 『ミルレオ王女』は相手の姿を見遣ると、脅えたように扇子を広げた。縋るように護衛の男の裾を掴む。

 ガウェインは堂々と前に立ち、一礼した。お決まりの口上から始まろうとした拝謁を鈴のような声が遮る。


「ミルレオ様、お久しゅうございますわ!」


 無礼を咎めようとした護衛は動きを止めた。ドレスの裾をふんわり広げて駆け寄った少女はちょこんと裾を持って礼をする。


「実際に御会いするのは何年ぶりかしら! 嬉しい!」


 一人ではしゃいでいた少女は、王女が反応を示さないことに首を傾げた。姫と同色の髪と、同色の瞳を困惑気に揺らす。


「姫様? どうなさいましたの? ……ああ、何年も離れておりましたもの、すぐにお分かりにならなくても仕方ありませんわね。ミレイですわ、姫様。畏れながら姫様と同色の髪と瞳で御寵愛頂きました、ミレイ・ヴァリスタでございます」

「あ、ああ、ミレイ、久しぶりね。会えて嬉しいわ」


 少女はぱっと笑って王女の両手を取った。ぎょっとなった護衛が止める間もなく捲し立てる。


「お手紙のサプライズとはこの事でしたのね! 言ってくだされば宜しいのに! そうしたら、私はミルレオ様がお好きな趣向を存分に凝らしてお待ち申し上げましたわ。嫌ですわ、姫様。いつも私を驚かせてくださるんですもの。今回は流石に飛び上がってしまいました。私の大切な方に会いにきてくださるなんて! もう、先日頂いたお手紙では、サプライズを楽しみにとしか書いていらっしゃらないのですもの。でも、ふふ、姫様らしいですわ」


 手を取ったまま立ち上がる少女に引かれ、王女も席を立った。身長差を覗けば、とてもよく似た色合いの二人だ。一歩間違えば不敬罪になる行動も、王女の許可があるなら親愛の証となる。王女は寸の間目を見張り、ややあって穏やかに微笑んだ。


「ミルレオ様、紹介させてくださいませね。この方が私の大切な方、ガウェイン・ウェルズ様ですわ。あ、お手紙に書いた事は内緒ですわよ? 約束ですわよ!」


 きゃっきゃっとはしゃぐミルの肩を抱き、ガウェインは王女の前に立った。


「西方守護伯ガウェイン・ウェルズでございます。姫様に置かれましては、ミレイと大層親しくいらっしゃるとか。これは随分わたしの悪口をしたためていた事でしょうな」

「あら、嫌ですわ。そんなことなくってよ。ね、ミルレオ様」


 少女の無邪気な問いかけに、王女は微笑んだ。


「ええ、ミレイに会えて嬉しいわ。ミレイの大切な方にもね。ずっと会いたかったわ。泊っていけるのでしょう? 今晩、たくさんお話ししたいわ」

「勿論ですわ。昔みたいにご一緒しましょう。ふふ、とっても嬉しい」

「殿方はご遠慮くださいましね。わたくし、ミレイと二人っきりで過ごしたいの」

「ええ、楽しみですわ。ミルレオ王女――……」


 よく似た色合いの少女が二人、よく似た微笑みを浮かべて、よく似た声音で楽しげに手を取り合った。







 銀食器は家の品格を表す。バリルージャ家はさすが名門といって相応しく、銀細工は一点の曇りなく磨き上げられていた。アルゴがどれだけ家を誇りに思っているのか分かる。絨毯一つ取っても王宮に引けを取らぬ質だ。地方の一領主の屋敷とはとても思えない。

 王女に挨拶をしたい人間を暗に示されて、約束だけしてステージを下りてきた二人は、個々の思惑はあれど守護伯への挨拶回りに溢れる人間を捌いた。ミルの役割はただ一つ。可憐な令嬢を演じることだ。だが、実は勝手に一つ追加している。即ち、ガウェインに対する心象並びに印象を良くしようをモットーに、ひたすら惚気て回った。お優しいんですのよ、仕事に真摯なところが好き、お強いところにメロメローと頑張った。おかげで、愛らしい恋人で幸せですなと、無邪気な少女に絆された人が多かった。ガウェイン自体は少し引き攣った笑顔を浮かべていた気がする。男が扮した婚約者にメロメローとか言われても嬉しくなかったのだろう。


 一通り挨拶周りを終えるとそそくさ壁際に移動する。人の視線はどこまでも追ってきた。ミルは扇子で口元を隠し、柔らかに瞳を細めたまま横に立つ人に話しかける。相手も比較的穏やかに応じた。


「すみません。勝手に泊ることにしてしまいました」

「元々その予定だ。姫様の御名を勝手に使わせるわけにはいかん。西方守護伯としては捨て置けんだろう。……しかし、はっきりしたな。あの偽者、お前が現れて顔を引き攣らせやがった。すぐに持ち直したところも気に食わん。よくも姫様の御名をのうのうと」

「うぅぅん! どうしましょう。一度くらい踊っておきましょうか。僕、女性パート踊れますけど」


 女性パートしか踊れませんとは言わないでおこう。

 ガウェインは何ともいえない顔をした。


「お前の方が完璧にこなしていて俺は立場がないな。物怖じしてないし、慣れている。俺は幾らやっても慣れない。何だか見世物にされてる気がしてな」

「出しゃばってすみませんでした……」

「さり気なくバルコニーを見るな! 消えなくていい! ……俺は褒めてるんだぞ。どこでその社交術を身につけた? 完璧で羨ましい限りだ」

「あの、一応王宮の宴に顔を出していましたから」


 ここ数年はご無沙汰だが、叩き込まれた立ち居振る舞いはそう簡単に綻びなかった。どこまで話していいものか。思案しながらぽつぽつ零している間に、曲が少し速めになった。ダンスが得意な者の見せ場だ。自信のある人々は胸を張って輪に加わっていく。

 自身のある面子で構成されたダンスは、軽やかなステップが見事で、会場中の視線を集めている。ミル達も視線はダンスに固定して、いるようでいて、実際はダンスを通り越して壇上にいる『姫様』に固定されていた。


「なるほど、姫様と親交あるならそうだろうな。お元気であらせられたか?」

「あ、はい、それはもう。弟妹達と雪遊びに興じても誰一人風邪を引かないくらい元気です。大臣達には怒られました。おか……女王陛下にも、どうして私も混ぜてくれないのと怒られてしまって……大臣達は命を懸けて阻止するつもりらしいのですけど、どうやって誘いに行けばいいと思います?」

「…………………………」


 ガウェインは不思議な表情で沈黙を守った。







 空いたグラスは給仕に渡してぼんやりと宴を眺める。急な開催とあって時間通りに出席できた者は少ない。後続で現れる出席者の方が多かった。王女への挨拶の後は守護伯へと移ってくる。あからさまな蔑みから敬意まで、多種多様な挨拶を、ガウェインはほとんど変わらない態度で応じていた。ミルは傍らで何も分かりませんといった風に微笑んだ。お飾りの令嬢らしく、愛されるだけの綺麗な人形に、人々は難しい話などしてこない。


「前回の戦は、全く見事な手腕でございましたなぁ! まるでハルバート将軍のようで素晴らしかった!」


 必要以上に大きな声の男は、身振り手ぶりも大きい。

 さっきからよく聞く名前だ。ハルバートはガウェインの祖父で、西方の英雄だ。たった一人で殿を務めたとか、素手で敵の鎧を砕いたとか、牢屋の格子を笑顔で圧し折ったとか逸話に事欠かない人だ。

 領主達はガウェインを褒める時も貶す時も彼の名前を使った。ハルバート将軍の孫でありながら、さすがハルバート将軍の孫、あの人のように強い、あの人のように。

 そこにガウェインの名はなかった。


 バンッ! と重たい扉が蹴り壊される勢いで開いた。飛び込んできたのは赤髪の青年だ。髪も服も乱れが目立つ。ガウェインが眉を寄せた。


「アルゴの息子だ。親父と違って話が分かるし使える男だが……何を焦ってる?」


 アルゴは重たい身体を揺らして息子に駆け寄った。視察に行っていた所を急遽呼び戻したのだ。


「ヴァナージュ、もう帰ったか! 間に合ってよかった。さあ、ミルレオ王女にご挨拶を」


 王族を目の当たりに出来てはしゃぐ父親を無視して、ヴァナージュは会場をきょろきょろと見回し、目的物を見つけて走り寄った。ガウェインも自ら足を進めて距離を縮める。ヴァナージュは三歩離れた場所で機敏に膝をついた。


「閣下! ロートにゴブリンとオーガが現れました!」


 悲鳴が沸きあがった。ロートはここから南方にある村だ。


「規模は!」

「オーガが四体、ゴブリンは徒党を組んでおりますゆえ正確には把握できておりませんが、恐らく二十体は。尖兵です」


 舌打ちを隠せなかった。オーガは巨大な体躯で凶暴な魔物だ。近づけば一撃で骨ごと引き千切られる。幸い知能は低く、ゴブリンに比べれば動きも遅い。ゴブリンは魔物の中でも知能が高く、武器や防具を装備し、指揮系統も存在している。体躯は成人男性よりも大きいが、オーガと並ぶとゴブリンが子供に見える。尖兵は通常のゴブリンより戦闘能力が高い。


「被害は」

「幸い発見が早く村人の避難が間に合いました。しかし、手持ちの護衛では進軍を阻めず、遠巻きに警戒させるに留まっております」

「当然だ。すぐに軍を出す。絶対に近づくな」

「はっ!」


 踵を返したガウェインの後ろで誰かがぽつりと言った。王女様なら、と。他の人間も次々に思い至ってステージに縋る視線を向ける。


「レオリカ女王の姫だもの! 絶対に守ってくださるわ!」

「そうだ! あの御方の姫だ! ウイザリテの守護神レオリカ様の姫なら!」


 狂乱の視線が一点に集中したステージ上で、ミルレオ王女は扇子を取り落とした。がたがたと震え、横に立つ騎士に縋る。


「こ、怖いわ、イル。お願い、わたくしを守って!」


 外聞も構わず泣き喚く王女を支え、騎士は膝をついた。


「大丈夫です、ミルレオ王女。王族は誰より優先されるべき御方。御身は誰を犠牲にしても守ってみせます。貴女さえ無事なら勝利ですよ」


 つまり、王女の一団はこの戦闘に関わるつもりはないということだ。女王レオリカへの忠誠が今のウイザリテの強固な体制を維持している。誰もが無条件に信頼するのがレオリカだ。その娘である魔女も、当然国の為に身を張るものだと、誰もが思っていた。


「貴女は、魔女ではないのですか……?」


 どこかの婦人が震える声で問うた。大陸で迫害され続けた魔女も、ウイザリテでは救いの象徴だ。王女は泣きじゃくりながら騎士の腕の中に隠れた。


「無礼者! 王女であられるミルレオ様に、貴様らの犠牲になれと言うのか!」


 王女の騎士数名が婦人を取り囲んだ。夫が慌てて近づこうにも遮られる。


「王家に仇為す者は捨て置けぬ」


 すらりと抜かれた剣を婦人は現実と判断できていない。刃の上を光が滑り降りる様を呆然と見上げている。ひっと息を飲んだのは周囲の人間だった。



 ミルは働かない思考を自覚していた。彼の言葉は確かにウイザリテの共通語なのに、何を言っているのかさっぱり理解できない。まるで異国の言葉だ。王家は国の象徴だと自覚している。けれどそれは国を守っているからだ。自分が守られる為に王家が存在しているのではない。国を守る為に、王家があるのだ。沸いたのは怒りですらなかった。不思議な不思議な『異国の言葉』を、『ミルレオ王女』が許容してはならぬ。叩き込まれたのは個人としての感情ではない。あるのは『王族』の矜持。ミルレオ自身は掃いて捨てるような身の上でも、姫様として、決して許してはならない一線があった。


「その方は仇など為しておりません。為しているのは騎士殿、貴方でしょう。王家の権威を地に落としていますが、お気づきではないのですか?」


 静かな声は意外なほどよく通った。小柄な少女がまっすぐに立つ。背に何かあるのかと疑うほどまっすぐしなやかに歩み寄った少女は、呆然としている婦人の手を取った。


「私は魔女です。魔女は人の為に在ります」


 震える婦人を夫へと預け、ミルレオはさっと裾を払って向き直る。いつもより低めの声音が出せる。これは少年の特権だ。少女のままでは難しい。


「有事の際、矢面に立つは王族の責務。民に手を上げるなど愚の骨頂! 恥を知れ!」


 愛らしい外見を裏切って、声は炎を震わす威力があった。呆気に取られた騎士達を視線だけで留め、ミルレオは急に表情を笑顔へと変えた。


「どうなさいました、姫様。貴女は魔女でしょう? 魔女は人の為にあれ、人の傍にあれ。女王陛下からあれほど学んだ掟ではありませんか。どうなさいました、姫様……仮令役立たずであろうとも、王家に名を連ねる者、犠牲を厭わぬ覚悟は当然でしょう。それが自身であるのなら、躊躇う理由がどこにある!」


 爆発した怒りは髪飾りを吹き飛ばした。長くしなやかな銀青の頭頂部から光が通り、毛先で弾ける。役立たず。女王には遠く及ばぬ紛い物でもこの身は国を背負う王に属する。名一つ譲り渡せるはずも無い。今更落ちる評判はない。それでもこれを見逃せば、侮辱されるは王家の威信。この程度の心構えでいるのだろうと思われたのは許せない。我が身など幾らでも貶せ。しかし、『国』を侮辱されたならば、黙る謂れもない。


「その程度の矜持で王家の名を騙り、魔女でありながら守るは己のみとは。ウイザリテにおいて、これ以上の侮辱はないぞ!」


 不自然な風に煽られた銀青に目を奪われていた騎士は、はっと剣を構え直す。


「痴れ者が!」


 振り上げられた剣を睨みつけたミルレオが魔法を使う前に、別の剣が弾いた。





「痴れ者は貴様だ。俺の統括区で勝手な真似はさせんぞ」


 静まり返った会場によく通る声が響いた。背後に小柄な少年を連れている。彼は酷く疲れているのか、荒い息を吐いて座り込んでしまった。


「……これは守護伯、王家への侮辱を聞き流せと仰いますか?」

「本物ならそれも考えよう。くそ、兵が減るのは痛いんだがな」


 腕を上げるだけの合図で会場に兵士が雪崩れ込んできた。

 ザルークから届いた書状がイルの前に突きつけられた。女王の印が押された書状に、騎士の頬がひくりと動いた。


「王女は現在も王都におられるそうだ。ならば、今ここにいる『ミルレオ王女』はどこのどいつだ」


 兵がじりじり輪を縮める。ガウェインは時間も惜しいと背を向けた。


「ロートに向かう。そいつらは俺の城に拘留して置け。姫様の名を穢した愚か者共だ。丁重に締め上げてやる。ヴァナージュ、来い!」

「はっ!」


 駆け込んできたトーマスから受け取った外套を羽織り、足早に会場を出た。

 馬車に繋いでいた軍馬を切り離して飛び乗る。偽王女の捕縛要員しか連れてきていないのが痛い。ヴァナージュが手配した兵の数と合わせても、押さえ込めるかぎりぎりだ。


「その数がどこから現れたんだ、腹立たしいな」

「誠に……閣下、その生物は?」

「あ?」


 兵士の準備を待っている間に、馬の足元で小さな生き物がちょろちょろしていた。馬に乗りたいのだろうが軍馬を操れる体格ではないし、空いた馬もいない。忘れていたと反省して片手で馬上まで引き摺り上げた。


「ぴゃっ!」

「行くぞ!」

「ま、隊長! わた、僕、まだちゃんと乗ってな、待ってぇ――!」


 仕留められた獲物の如く横倒しのまま走りだされて、ミルレオは懐かしい過去を振り返った。人はそれを走馬灯と呼ぶ。







 松明よりも確かで穏やかな光の中を一軍が疾走している。夜も更けた今時分にどうしたのだと酔いどれの男達が赤ら顔で見つめる中、一目もせずに駆け抜けていった。軍服の中に翻った銀青とドレスに目を見張る暇もなく、まるで一陣の風のように光を纏って走り去った。

 周囲を照らすミルは、馬上で髪を纏めるのに苦労していた。吹き飛ばしてしまった髪留めは今更回収できない。胸元を飾っていたリボンを口に加えて、バランスを取りながら髪を結ぼうと試みるも、疾走中の馬上で上手くいくはずもない。がくんと揺れて再び掌から髪が逃亡した。もたもたしていると不憫に思ったガウェインの手が伸びてきた。


「いっ……!」


 引かれて思わず悲鳴を上げる。痛がられるとは思っていなかったのだろう。ガウェインは驚いて手を離した。


「鬘じゃないのか?」

「……その、さっき怒って力が暴発したので、呪いが中途半端に…………」


 靡く銀青は地毛だ。内で呪いが燻っているのを感じる。時間が経てば飲み込まれてすぐに短く戻るだろう。戻るまでの時間、ガウェインの顔面を叩き続ける訳にはいかない。中途半端の意味は今一分からなかっただろうが、それ以上追及されなくてほっとした。

 馬は全力で走っている。そんな状況にも慣れているのか、手慣れた様子で強く手綱を振った後、何気なしに髪を掬い取られた。


「綺麗だな。夜に映える」


 母と同じ色をした髪を褒められる事は多々あれど、相手がこの人だと思ったらとんでもなく恥ずかしくなった。俯いたミルをどう思ったのか、慌てた声が続いた。


「男が言われても嬉しくないな。すまん」

「いえ……」


 一先ず適当に縛り、先を片手で握りこんで応急処置にした。邪魔にならなければそれでいい。ミルは男の子だから、王女のようにきちんと外見を整えなくても誰も怒らないし、みっともなくもない。


「……さっきお前が言っていた役立たずとは、王女の事か?」


 低くぼそりと告げられた言葉に背筋が冷えた。確かに不敬と取られて当然の言葉だった。怒られると思ったが、予想に反して彼は静かにミルを見ていた。


「姫様を評価する言葉を聞いたことがないわけじゃない。お前は、そう思ってるのか?」

「…………ええ」

「姫様ご自身も?」

「…………自身が一番、そう思っていますよ」


 王女である意味がない姫様。母王に勝る部分はなく、王たる才は弟殿下にあり、民に愛される愛らしさは妹姫に。魔女としても王としても王族としても、一番になれない半端者。十六になってもお披露目の場で魔術失敗を繰り返している。外見が女王に似ているだけの役に立たない娘魔女。雪幻の妖精の意味をミルレオは知っている。

 

 儚い雪、実体のない幻、ふわふわ飛び回るだけの妖精。役に立たないそこにあるだけの姫様。消えても誰も困らない幻。


「お母様がいれば、溶けても構わないんです。僕も、王女も」




 下手に偉大な母と同じでなければよかったのだ。魔女でなければ、外見が似ていなければ、あんなにがっかりさせることもなかったのに。

 

 ミルレオは滔々と言葉を紡ぐ自分が意外だった。こんな泣き言を話したのは初めてだ。こんな時によりにもよってガウェインに話すなんてどうかしている。姫様としての重責が纏わりつかない西方で、誰の目も母を思い浮かべないここだから、気が緩んでいるのだ。ガウェインも聞いてくれるからいけないと八つ当たり気味に思う。うるさいとか煩わしいとか遮ってくれたら、全部諦めていけるのに。


「俺はいつか姫様にお返ししたい言葉がある。御恩もだ」

「え…………?」


 聞き返すと同時に馬が嘶いた。

 咄嗟にガウェインが手綱を引いて落馬を免れる。





「どうした!」


 まだロークまで距離があるはずだ。それなのに馬の落ち着きが失われている。屈強な軍馬がたじろぐのは魔物だけだ。少し離れた前方の森がおかしい。月光を遮り、闇を呑み込む森で生きる獣達が静まり返っているのだ。光指さない暗闇から何者かの顎が命を喰らおうと飛び出してきそうだ。

 前方を任されていた兵士が馬を寄せてきた。光に照らされて尚顔色が悪い。


「前方にトロールの群です!」

「馬鹿な! この辺りにトロールは生息していないぞ!」


 トロールは三つ目の腐ったような肉を纏った魔物だ。大型の猿のような外見で、素早くて知能が低いのに攻撃的だ。肉が腐っているのでダメージが受けにくいのも厄介だ。


「トロールが群で動くなんて聞いたことがないっ」


 示された前方から鳥が飛びだった。夜目が効かない鳥が飛び立つ理由など一つだ。

 現在ガウェインが引き連れている部隊は偽王女の捕縛要員だった。魔物の群を退治するには人数も戦闘力も格段に足りない。急遽城を空けるので、ジョン達は残してきたのが響いた。あっちはあっちで留守を狙って騒がれた時の抑止力が必要だったのだ。かといって、今から本隊を呼び寄せていては間に合わない。流石に街を全部封鎖するわけにはいかないのだ。

 歯噛みしたガウェインの腕から、するりと銀青が抜け出した。


「天駆ける龍よ、我に制空権を」


 地面に下りるかと思った小柄な身体はそのまま空を駆けた。買い物に行くような気軽さをうっかりそのまま聞き流しかける。慌てて細い手首を掴んで引き寄せる。悲鳴と身体があっさり落ちてきた。


「ふわっ!?」

「一人で行く馬鹿がどこにいる!」


 相手は魔物の群だ。ヴァナージュの兵士を含めて六十名前後の軍隊が突入できない相手に、ちまっとした小動物がどうするつもりだ。

 ミルはきょとんと長い髪を揺らした。


「僕は魔女ですから。どうぞお使いください、隊長」


 銀青と爪が月光を弾いて光る。ミルレオは、まるで天を穿つかのように夜空に指を向けていた。

 不自然にざわめく髪の美しさに目を奪われたのも束の間、前方の森から一つ、また一つと影が現れた。一体に付き光る目は三つ。トロールだ。一気に戦闘体勢に入った兵士達と同時に、ガウェインもすらりと剣を抜いた。

 周囲を囲んでいた灯が消えた。術に集中する為に消したのか、相手から的になる危険を考慮して消したのかは分からない。闇が増した周囲は、何かがおかしい。はっとなって空を見上げる。月も星もそこにはない。あるのは真っ暗に顎を開いた宵の闇だけだ。


「来ます!」


 ヴァナージュの声とトロールが森から溢れ出たのは同時だ。彼は気配を読む能力に長け

 ている。馬の腹を思いっきり蹴りつけて走り出す直前、空に複数の術式が瞬いた。



「天からの采配!」



 幾筋もの雷光が闇から轟落ちる。狙い定めたようにトロールだけを狙った雷撃は、一体に付き一本落ち、目も眩む光と轟音、後には焼け焦げた不快な屍肉の臭いが残った。







 全ては一瞬だった。

 彼がいなければ全滅すら覚悟していた戦が、魔女一人で刃を交わすまでもなく圧勝だ。ガウェインは自らも雷を喰らったように眩暈がした。スケーリトンが魔女を失って久しいから忘れがちになるが、これは、魔女だ。小さな子どものようでいて、その実他国が喉から手が出るほど欲している人間兵器。

 呼んだ雲が降らせる雨を受けて、張り付く銀青に四苦八苦している小さな生き物は、魔女なのだ。そしてはっとなる。


 この規格は普通なのか? あっという間にトロールの群を壊滅させ、負傷どころか疲労すらしていないこの魔女が、役立たずだと?


 言葉もない騎乗した兵士達の中で、一人だけぽつりと地面に立った彼は、誰も物言わぬ状況に不安げにガウェインを見上げた。


「……ミル、助かった。お前がいてくれて良かった」


 雨に濡れそぼった所為だろうか。ガウェインの言葉を聞いたミルは、泣き出す寸前の子どもに見えた。


「お役に立ててよかった――……」


 役立たず。見慣れた色を彼の瞳に見つけられなくて、泣きたくなるほど安堵した。









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