6魔 西方守護伯付き魔女の女装
ミルは現在、ぽくぽくと長閑に進む馬車の中、すまし顔で到着を待つ、に慣れている身にとって中々新鮮な旅路を経験している真っ最中だ。
「け、結構、揺れ、揺れま、揺れま……………………」
「……噛んだか」
涙目で口元を押さえているミルは、激しい揺れの中、必死に手摺を掴んでいた。
「すまんな。時間が時間だから、飛ばさんと間に合わん。安心しろ。軍馬だ」
「そ、そうですか。よかった、です?」
何の安心にもならない言葉を素直に聞いてから疑問に思い、傾げた首を慌てて戻す。頭には付け毛と装飾品が盛られている。地毛ならともかく、土台が付け毛の今はあまり傾けない方が懸命だろう。この揺れなら尚更だ。
隊服を脱いで貴族服を着込んだガウェインと同様に、ミルも令嬢のように着飾っていた。女から男へと呪いをかけられ、女に変装する、何ともややこしい事態に陥っている。
幾重にもレースが重なった薄桃色のドレス、髪に合わせた青真珠の首飾り。白い首筋と鎖骨は、それだけで女性らしさが出ていたので隠すより表に出したほうが得策だとサラは思ったらしい。華やかなだけではミルには似合わない。詰め物を施した胸元は淡いレースで覆い、視線を足元に向けようと襞やフリルが多い。コルセットをぎりぃと締め上げる際、あまりの細さにサラの歯がぎりぃと絞られた。
ガウェインの隊服以外の姿を初めて見る。ミルはドレスのほうが着慣れた服装だから自分の服装には違和感を受けなかったが、ガウェインが隊服でないと何だか変な気分だ。
「あの、変じゃありませんか?」
白い手袋の中で所在無げに揺れる扇子を無意識に開いて口元を覆う。覆ってからはっとなる。困ったときはとりあえず顔を隠しておけとは教育係の助言だが、令嬢ならともかく令息がする行動ではなかった。
困った顔を別の意味に捉えたのか、ガウェインは逆に申し訳なさそうな顔をした。
「いや、完璧だとサラが憤慨していた。女の自分達より肌と髪と爪が綺麗なのはどういうことだ、とな。しかも香りも良いそうだが?」
「あ、入浴剤は自分で作ったのを使っているんです。薬草と花を組み合わせて調合すると色々薬効もありますし」
魔女は薬草の知識にも明るく、山村では医者の役割も果たしている。西方に来る時に持ってきた巨大なトランクの中には、多数の薬草と薬が入っている。
「へえ、じゃあ今度何か作ってくれ。最近疲れが溜まってる気がしてな」
「あ、ちょっと待ってください」
「は?」
言うなり突然スカートの襞の重なりを開いたミルは、中から何個か薬草を取り出した。確かに生地が幾重にも重なってふんわりとしたドレスだ。しかしそれは華やかさを出すためであって、収納の実用性を求めたわけでは決してない。ドレス職人が見たら泣く。
「アオバソウ、月葉の根、ウズマリの蜜、尾長草、宵の花」
歌うように紡いで一つずつ浮かべていく。一つ一つが違う色で淡く光り、その光でミルの髪が照らされた。ふわふわと浮かんだ薬草を楽しげに回し、一瞬で光を混ぜ合わせる。掌で掬うように絡め取り、筒のように丸めた片手に流し込んだ。掌に落ちていった光が消えた時、開かれた手の中には美しい飾り細工の小瓶が一つあった。
「どうぞ、栄養剤です。肩こりとだるさ、眼精疲労にもよく効きます」
ちょこんと差し出された小瓶を反射的に受け取る。淡く光る青色の液体を呆然と眺めていると、さっきまで歌うように作っていたミルがこの世の終わりみたいな顔をしていた。
「どうした?」
ミルの変貌に、ガウェインはびっくりして視線を戻す。
「あ、あの、すみません。ご冗談でしたか? 僕が真に受けて本当に作ってしまったからお困りになったのではありませんか? ごめんなさい、あの、持って帰ります……」
どうやら妙な勘違いをしているようだ。ガウェインは苦笑して薬を飲み干した。薬独特の苦味や臭みがなく、まるでジュースのように飲みやすい。
「美味いな」
「本当ですか!?」
ぱっと顔が綻ぶ。せっかく大人っぽく見えるように施された化粧が台無しだ。一気に年齢が三歳ほど下がった。だが、悪くない。
「良かったぁ。弟妹達は苦い薬が飲めませんから、それを踏まえて作るんです。けど、甘すぎると、大人の方には子供扱いしているのかと怒られてしまう事もありますから、丁度良い加減が難しくて」
本当に嬉しいのだろう。ミルにしては言葉遣いが随分親しげだ。くるくる回る表情を面白がって眺めていたら、気づいた途端慌てて姿勢を正した。背筋を伸ばしてもちまっとしているのは変わらない。
「すみませんでした……つい、はしゃぎました。自重します……」
「どうしてお前はそんなに消え入るんだ!?」
ミルは、はっとなった。
「そ、そうですよね」
「そうだ」
「目の前で消えられたら目覚めが悪いですよね! 馬車から降りて消えてきます……」
「何でだ!?」
怒鳴り声に、再び目が覚めたようにはっとなる。
「そうだ、ここにヘラの涙が!」
「トーマス! とぉまぁ―――すっ!」
少量使えば後遺症のない麻酔薬、しかし量を誤れば一撃必殺の毒を持ち出されたガウェインは、御者台に座る和み要員を慌てて動員した。
周辺から駆けつけた馬車が整列する中、一際目立っているのはやはり守護伯の馬車だ。それぞれ紋様が入っているから外からでも分かりやすい上に、一台だけ軍馬を繋いでいれば尚更だ。
副官であるトーマスを鼻で笑って無視したアルゴは、屋敷の代表だからとふんぞり返った。
「これはこれは、伯爵閣下。何用ですかな」
戦に出ない名家の当主はもたつく腹回りを重そうに揺らした。対するガウェインは指揮を取り剣を振るう。硬い身体に若者らしくすらりと長い身体で尊大に見下ろした。少しでも下手に出れば後々響く。どこまでも不遜で居丈高、尊大な青二才でいなければ、あっという間に守護伯の権利はウェルズ家の元から剥ぎ取られていただろう。
「姫様から招待状を賜ったので馳せ参じた。貴殿に用はない」
「いやはや、姫様は貴殿の噂に大層不快感を募らせておいででしてな。一応の作法で招待状を出したに過ぎませんぞ。それを真に受けて、同伴者もいない閣下がよくぞ恥を曝しにおい、で、に…………」
尊大に言い募っていたアルゴの言葉が尻すぼみになっている。馬車からまだ一人下りてきたからだ。ガウェインが騎士の如く手を取った少女は、アルゴの姿を見てにこりと微笑んだ。全体的に小柄な印象の、銀紫の髪に金紫の瞳。少女は、今日到着した王女と奇しくも同じ場所で、大層優雅な一礼をしてみせた。
「本日はお招き頂きまして嬉しゅうございます。御目文字叶って光栄ですわ、卿」
名家の出を誇りとしているアルゴはすぐに気づいた。所作が違うのだ。下町娘などとんでもない。ドレスの着こなしでさえ一朝一夕で習得できるものではない。指先から視線の在り方、手足の角度まで、これはきちりとした教育を受けた令嬢だ。下手をすると、王女より余程『御令嬢』に見えてしまい、アルゴは慌てて頭に浮かんだ思考を掻き消した。
「こ、これは失礼を致しました。ご婦人がいらっしゃる事に気づかなんだとは、このアルゴ、一生の不覚ですな」
「まあ、こちらの夜会は女性同伴と伺っておりますが。ですからガウェイン様がわたくしを連れてきてくださったのでは? いつもはわたくしがどれだけ強請っても断られてしまいますのよ」
扇子で覆った口元は伺えなかったけれど、視線だけでガウェインを見遣る仕草一つが優雅だ。少し拗ねた口調に、ガウェインは苦笑してその手を取った。
「貴女の美しさで他の男を虜にされては困りますからね。貴女は俺の大切な方ですから。貴女の虜は俺一人で充分でしょう?」
「まあ……ガウェイン様ったら」
恥ずかしそうに俯いてしまった様子は花さえ恥らう乙女そのものだ。トーマスは一つ咳払いして呆然と立ち尽くすアルゴを促した。
「お通し頂いても?」
「あ、ああ、そうです、な。こんな所ではご、ご婦人に、失礼、です、な」
しどろもどろになったアルゴに、ミルは再び優雅な笑顔を浮かべた。
ガウェインの城に比べても見劣りしない広さの屋敷は、眩い光と人混みで異様な熱気に包まれていた。色んな意味で目立つガウェインが会場に現れても気づく人間が少なかったのが証拠だ。皆、特別ステージに用意された席で優雅に微笑む『ミルレオ王女』に夢中だ。銀青の髪に映える染め抜かれた青のドレスは、胸元を大きく開いた衣装だ。上半身がすっきりした意匠であることで少女の華奢さが映え、下半身を幾重にも重ねたレースとフリルが艶やかさを演出する。奇しくもミルと似通ったドレスだ。
王女は一人一人に丁寧に対応し、緊張で粗相した女官を優しく労いさえした。人々は感動と憧れの視線で王女に夢中になっている。
『ミルレオ王女』の評判がうなぎ登りしていく様を遠目に見ながら、ミルは、エスコートしてくれている腕の先を見上げた。
「あの……あんな感じで宜しかったでしょうか?」
「上出来だ。所作に関しては練習の時間も取れないしで諦めていたが、出来るじゃないか。あれほど完璧な娘、そうはいないぞ」
「一応一通りの楽器とダンスも出来ます……事情はお聞きにならないでください……」
細まっていく声を勘違いしたガウェインは、慌てて軌道修正を試みた。
「まあ、なんだ。あんまり落ち込むなよ? お前はまあ、その、なんだ。男らしいと思うぞ、うん」
目を逸らして言っても説得力はない。喜ぶべきか悲しむべきか複雑な気分だったが、励まそうとしてくれる心意気が嬉しかったので素直に喜ぶことにした。
ガウェインはたくさんの人間に囲まれてにこやかにしている『王女』をじっと見つめている。ややあって首を振った。
「……俺には判断できんな。何せ御会いしたのは十一年も前の話だ」
「え!? わた……うぅぅん! 王女に会ったことがあるんですか!?」
あまり縁が無かったので下手くそな咳払いになった。今度練習しておこう。
背の高い顔を見上げると首が痛くなりそうだ。王宮ではみんな屈んでくれたものだ。跪かれた方が多かった。見上げる経験はあまりないのでその為の筋肉が足りないのだろうか。今度鍛錬しておこう。
「一応守護伯の跡取りとして家入りしたからな。王に報告する義務があったんだ。そこで御会いした」
いつもは鋭い目が少し和んだ。そんな目も出来たんだと驚いたと同時に、させているのが思い出の自分だと気づいてうろたえる。どうしたらいいんだろう。きっとどうも出来ないけれど。
「あ、あの、どう、でした?」
「何がだ?」
「その、わ……王女、様」
「大変お可愛らしかった」
「ぶっ……!」
「おい! 大丈夫か!?」
盛大に咽こんだ。まさか果実酒で死にかけるとは。
流石に目立ったのでさり気なくカーテンの裏に誘導された。
落ち着くまで待ってくれている人を改めて見上げる。黙っていれば凛々しい若貴族なのに、口を開けばわりと怖い。けれど、評判はともかく実際の彼は真面目で人柄もいい、と思う。優しいし、理不尽な事はさせないし、権力を傘にきて暴挙も行なわない。不正は正し、悪を挫く。
但し、弱きも挫く時があったりするらしいけれど、真偽のほどは定かではない。
ガウェインをよく思わない人から小耳に入れられる情報は、あまり信用していないようにしている。中には、会ったことも話したこともないけどと言い置いてから放たれる誹謗中傷もあったからだ。
会ったことも話したこともない人を、よくもまあそんなに悪しざまに罵れるものだとびっくりした。よくは知らないけど、は、何を言ってもいい正当で万能な言い訳ではないのに、その言葉を言っておけば、よく知らない相手に対してどんな酷い憶測を立てて罵っても構わないと思っているらしい。
だからミルは、自分で見たもので判断しようと決めている。奥に下がったまま出てない役立たずで、こんなことに名前を使われるような情けない自分だけれど、曲がりなりにも王女なのだ。王女が流言を鵜呑みにして判断するのは、とても危険なことだ。
そういったことも踏まえ、今までまじまじと上司を見つめてきた分析と、記憶の中を掘り出した結果、……どうしよう、全然覚えていない。
十一年前といえばミルレオは五歳。期待されてはいたが、まだそんなに重圧のなかった頃だ。お母様のような魔女になりたいと言っては周りを喜ばせていた。実際心からそう思っていた。いつかお母様のようになるのだと、なれるのだと無邪気に思っていた。現実は、お母様のようにならなければならないのになれなかった、役立たずが一人いただけだ。
はっとなって息を飲む。駄目だ。役に立たなければ。この緑が『あの色』に染まる前に。この優しい人に、役立たずの烙印を押させてしまっては駄目だ。烙印は押された方も押す方も傷つく。その人が責任感ある心優しい人なら尚更だ。
「隊長、いざ出陣です!」
「……お前は、本気でよく分からんな」
「す、すみません……バルコニーから消えます」
「よし、出陣だっ!」