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5魔 西方守護伯付き魔女の失態






 夜も更けた頃、ミルは見張りの兵士が交代する隙を狙ってこっそり廊下を走っていた。今夜は満月なので空を移動する方が目立つのだ。

 そぉっと現れたのは中庭だ。中庭は来客から見えるため季節の花々が計算されて咲き誇り、組まれたアーチにも美しく絡まっている。華美を好まないガウェインだったが、庭はトーマスの趣味だそうだ。


 その中庭の、更に奥に進んだ先に東屋があるのをトーマスから聞いていたミルは、闇に紛れて東屋を目指す。

 あまり使われていないらしく、他から見えづらい位置にある小さな東屋は、蔦や枯れ葉で令嬢が喜ばない雰囲気を作りだしていた。だが、ここが美しい場所であっても、令嬢はなかなか好んで訪れないのがスケーリトン地方である。





「ウパ!」


 そっと覗きこんだ中にいたのは大きな梟だ。母レオリカの使い魔であり愛鳥であるウパとは、子どもの頃から仲良しで、昔はよく背中に乗せてもらって空を飛んだものだ。

 使い魔は通常の個体よりも大きい事が多く、例に漏れず巨大なウパを抱きしめる。ふわふわとした毛先と、爪と嘴の固さが対照的で楽しい。


 一通り再会を喜び楽しんだ後、羽の中から手紙を取り出す。

 女王である母に偽娘の情報を渡さない訳には行かない。自分が王女だと知らないガウェインには、これが正しい情報だと言い切れなかったことが気がかりだ。

 だが、仕方がない。今の自分はミルという名の男の子なのだ。呪いも解けずに王女なんですなんて言えない。それこそ斬り殺されるかもしれない。



 通常、魔女同士の連絡は水鏡を使う。ミルレオも、報告は安全な水鏡を使用したけれど、母の方が届けたい物があるからと返事は手紙になり、配達役にウパが来てくれたのだ。嬉しい。

 母からの手紙には、偽者に関してはこっちも探るそっちも探れとしか書かれていない。後は普通に風邪を引かないように、腹を出して寝ないように、寝る前はトイレに行くようにと、弟妹達と間違われているんじゃないかと疑いたくなる注意書きだ。

 一つだけ、好きな人が出来たら真っ先に教えてねという謎の一文があった。お母様、徹夜続きで眠いんですね、そうなんですね。


 母のサインが〆の手紙を手元においてはおけない。手紙はミルレオの手の中で瞬時に燃え尽きた。



 問題は残りの二枚だ。違う封筒に入っている。首を傾げて取り出したミルレオの背後に向けて、突然ウパが羽を広げて威嚇した。


「ウパ、どうしたの?」

「何をしてるんだ、ミル」


 唐突に現れたのは、髪が闇に溶けているガウェインだ。部屋着に着替えているが、寝巻きでないところを見ると仕事をしていたのだろう。彼は一体いつ寝ているのか。朝も早くから鍛錬している姿をよく見かける。そのまま仕事に出て行く事も度々だ。

 驚いて思わず取り落とした手紙をガウェインが拾う。


「何だ、これは」

「あ、あの、それは僕のです!」


 何が書いているか分からず、焦って取りかえそうにも既にガウェインは開いてしまった。


「……何だ、これは」


 思いっきり怪訝に眉を寄せられる。くるりと向けられた手紙を見て、ミルレオは納得した。ぐるぐる描き回された色取り取りの丸が一枚、やけにリアルなミルレオが一枚。


「弟妹達のお絵かきです。妹はまだ三つで。おそらくはお父様とお母様、弟と本人と僕だと思います。弟は絵がとても上手で、これはわた……ミルレオ王女です。えっと……家族ともども面識を持たせて頂いていまして」



 流石に驚いたのだろう。ガウェインは軽く目を見張った。


「お前、本当に結構な家柄じゃないのか? こんな辺境に配属されていいのか」


 東西南北の守護地は国の象徴だ。しかし、やはり重要視されるのは王宮にいる魔女達で、余程功績を立てなければ名が売れることも無い。中でも西は魔女が少ない。守護伯であるガウェインもミルが唯一の魔女という、他では信じられない事態だ。その唯一の魔女に、王族と付き合いのある家から魔女が選ばれるなど、ありえないことだった。



 お礼と一緒に散々撫でた後、飛び去ったウパを見送りながら、ミルはぽつりと呟く。


「魔女は役立って初めて魔女です。きっと王族も同じです。名だけの王女に何の価値があるのです。何をしても女王には遠く及ばない。ただ姫であるだけなら末姫にも出来る。王の適性は王子が一番ある。何もかも中途半端な役立たず。皆が言っているのは正しいんです。その上、表に出る事を厭うて外交の役割も果たさず、顔が知られていないからとこんなことに利用されて……情けないにも程があります」


 あの女王の娘なのに。あの魔女の娘なのに。何故、あの人のようになれない?

 誰が言ったのか思い出せないくらい幾度も聞いてきた言葉だ。顔は覚えていないのに瞳だけは鮮明だ。嘲笑や侮辱なら耐えられた。落胆に染まった色に比べたら。


「おい、ミル!」


 強く肩を掴まれて、はっと意識が戻る。怪訝そうな瞳に自分が言ったことを思い出した。


「あ、あの、そう! 王女が! 王女が言ってたんです! ほら、僕名前が似ているでしょう? だから結構仲が良くて、あ、えと、仲良くさせて頂いていまして」

「それは分かった。さっきも言ってただろ。だが、だから、お前はどうした」

「僕、ですか?」

「気づいてないのか」


 使い込まれてささくれ立った長い指が不意に目元に触れた。思いもよらないほど優しい動きに避ける行為が思い浮かばない。


「泣いてる」


 反射的に顔に触れると、幾筋も伝った後があった。自覚した途端込み上げる胸の痛みを持て余す。


「ちが、違います! 何でこんな、泣くなんて、そんな」

「分かった。分かったから落ち着け」


 左手で口元を覆って距離を取ったのに、ガウェインはその分歩を進めてしまう。制止を篭めて出した右手は彼の胸に触れた。鎧を着用していないのに硬い、ぱんっと張った身体は男の人のものだ。薄い生地から直接伝わる体温に急に恥ずかしくなる。ジョン達に揉まれて悲鳴を上げるのは慣れてきたのに、どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。


「十六にもなって男が泣くのは恥ずかしいぞ」

「も、申し訳ありません。頭を冷やして参りま、っ!?」


 伸びてきた長い腕を視線だけで追ったら動きが遅れた。そのまま頭を抱え込まれて硬い胸に押しつけられる。


「だから、早く泣きやめ」


 言い方はそっけないのに髪を梳く手つきは柔らかい。耐え切れなくてもだもだ動いてもびくともしないので、諦めて少しだけ体重を預ける。


 人前で泣くなんていつ以来だろう。ミルレオは込み上げる嗚咽を押さえつけた。ここは王宮ではないから気が緩んでいるのだ。母を知っている人もいない。だからだ。比べられないのは。


 ミルを見てくれる瞳は、ミルレオを見るものではない。ミルがミルレオなら、きっと、こんな風には見てくれない。

 優しい母が好きだ。尊敬している。だから辛い。

 誇らしい母、あの人の娘で嬉しい。だから悲しい。

 役に立ちたかった。さすがあの人の娘だと言ってもらえる自分で在りたかった。そうなれないなら、せめて、失望に彩られていく人々の視線に傷つかない強さが欲しかった。





「こんな、情けないっ……泣くなんて、本当に、違うんです、ごめんなさい、きっとお役に立ちます、だから、ごめんなさい、お母様じゃなくてごめんなさい、お母様のようになれなくてごめんなさい、ごめんなさい」


 必死に涙を止めようと堪える肩は細い。本当に男かと疑ってしまう。少し力を入れたら折れそうな首、指が回ってしまう肘、白くきめ細かい肌に指通りのよい美しい銀青。軽く叩けばぽきっと折れそうな背中で、彼は当然のように捨て駒を受け入れた。意外と強い瞳が崩れるのは、いつも母親が出てきたときだ。

 彼が謝る意味は何となく察しはついた。ガウェインにも覚えのある呪縛だ。


「……あの方がいなければ、同じだったかもな」


 頭上から降ってきた言葉に顔を上げようとして、酷い状態になっているのを思い出したのか慌てて下げる。小動物のような動きに苦笑して、丸い頭に掌を軽く落とす。


「もう寝ろ。明日は慣れない事をしてもらうんだ。目も冷やしておけよ?」


 小さく頷いた身体は、こっちが心細くなるほど華奢だった。







 ザルークが招待状を持って帰ってきたのは早朝だった。『ミルレオ王女』が滞在するのは守護伯の城ではない。スケーリトンの隣、コルコ地方の領主の屋敷だ。王女が逗留するにも関わらず、西方を治める守護伯の城が選ばれていないのは侮辱でしかない。

 強行軍させたザルークを労い、形ばかりの招待状を開き、皮肉気に笑った。


「女性同伴か。この城に連れて行けそうな女がいないのを見越してくるからな」


 些細な嫌がらせから巨大な嫌がらせまで、慣れたものでガウェインは放り捨てるようにトーマスに渡した。丁寧に仕舞いこんだトーマスは、不安げに眉を下ろした。


「本当に大丈夫だろうか。魔法で何とかしたほうがいいんじゃ……」

「いや、相手がインプを使っていたという事は、魔女がいる可能性が高い。魔法探知を使われたら厄介だ」


 ミルの呪いはかけた相手が相手だから大丈夫だろうとは本人談だ。簡単に見破られるような呪いなら解いてますと、百人中百人が憐れに思う遠い目をしていた。


「本当に大丈夫っすか? あいつ、あいつらが寄越した刺客とかじゃないんですかね。あっちがこっちを嵌めようとしてるとか」


 あっちだのこっちだの慣れない人間が聞いたら混乱しそうな喋り方は、ザルークの癖だ。日常生活ではかなり支障を来たしているらしく、お前分かり辛いと喧嘩になっているところをよく見かける。


「ミルはいい子だよ」


 さらりと言い切ったトーマスに、ザルークは続けようとした抗議を飲み込んだ。


「任命の書状は本物だったし、ジョン達も、トーマスさえ気に入ってるんだ。半人前というわりに魔法も淀みなく使える。ぶつかって揉め事を起こす性格でもないようだから、今の段階では願ってもない人事といえるな。高位の貴族なのも間違いない。下級貴族の子息が気軽に会えない人間の情報にも詳しかった」

「でも」


 尚も言い募るザルークを制す。今は目の前の事を終わらせたい。



 ガウェインが統治する西方守護地も、他の守護地と同様一枚岩ではない。出自が出自なだけに脆いと見てもいいくらいだ。中央へ賄賂を送っていた貴族は一掃し、没収した財力で財源を確保したこともあるので恨まれている自覚もある。足元を掬おうと手の者を送り込んできた可能性も否定は出来ない。寧ろその線が濃厚だと思っていたら、現れたのは棒っきれのように細い少年だった。


 まだ不満が見て取れるザルークから受け取った報告書に目を通す。『ミルレオ王女』は、外見的特長は見聞通りだ。流石にそこは外さないのだろう。銀青の長い髪に金紫の瞳。華のように艶やかで清楚な姫君だという。ミルレオ王女の通り名は『雪幻の妖精』だ。

 机に重ねた書類から一枚引き抜いて眺める。鉛筆だけで描かれた少女の絵だ。


「それは?」


 首を傾げるトーマスに裏返して見せてやった。


「これは……まるで生きているようだね」

「あ、見合いっすか? 美人っすねー」

「阿呆。ミルの弟が描いたらしい。畏れ多くもミルレオ王女であらせられるぞ」


 絵の技術と絵のモデル、それぞれに見入っていた二人が弾かれたように顔を上げた。


「ザルーク、王女は見たか?」

「ちらっとなら。似てるけど……遠かったからなぁ」

「そうか」


 白黒の王女は柔らかく微笑んでいる。慈愛に満ちた微笑を丁寧に捉えたミルの弟は、日頃からこの笑顔を向けられているのだろうか。ふと同じ色彩をしたミルを思い出す。ちまっとした身体に丸い頭。つい構いたくなるのは小動物を思い出すからか、それとも色に引かれてか。


「大きく、なられた」


 ぽつんと呟いた言葉は、幸い食い入るように絵を見つめる二人には聞かれなかった。











 長い銀青が幻想的に翻る。柔らかく揺れる金紫に感嘆の声が漏れた。

 コルコ地方の領主、アルゴ・バリルージャは見惚れていた自身にはっとなり、慌てて使用人を掻き分けて馬車に駆け寄った。従者の手を借りて優雅に降りてきたのは美しい少女だった。ふんだんに使われたレースや宝石が下品にならないのは、彼女自身がその何倍も美しいからだろう。


「遠い所をようこそお越しくださいました。姫様、ご拝謁叶って光栄でございます」

「突然の滞在を快く承諾くださって、本当に嬉しく思っています。バリルージャ卿、貴方に感謝しますわ」


 華が綻ぶように微笑まれて、アルゴは息を飲んだ。女王レオリカは妖艶な美女だ。その娘であるミルレオは清廉な魅力があると聞く。しかし、これは既に魅力ではなく色気だ。


「姫様は本当にお優しい。けれど、次はわたしを通してからお話しになってくださいね」


 穏やかな声でさり気なく間に割って入ったのは、二十代前半の若い男だ。少し耳に触る、金物のような声をしている。

 王女を護衛している中でも一際若く、侍従の用事もこなしていると聞くからに、年頃の王女のお気に入りなのだろう。言われてみれば綺麗な顔立ちをしている。通常幾人もの間を介して遣り取りされる会話も、旅先では多少の簡略が許される。それでも直接言葉を交わせるのは身分が付随していなければならない。


「いや、これは失礼を致しました。姫君と御言葉を交わせると年甲斐もなくはしゃいでしまいました。さて、立ち話もなんです。どうぞ、中へ」

「ありがとうございます」


 ふんわりと微笑む様は正に華だ。扇子で口元を覆った王女は、ふと声を落とした。


「本当に嬉しいですわ。皆は守護伯の城へと申したのですが、わたくし怖くって。あの方、色々お噂がございますでしょう?」


 歳若い居丈高な青年を思い出し、アルゴも眉を寄せた。

 彼の祖父は偉大な男だったが息子はどうしようもない盆暗で、その上正妻との間に子が出来ぬからと、街の娘に手を出した。五つまで下町で育ったようなガキに、西方守護地を乗っ取られた屈辱で、今でも腸が煮えくり返る夜がある。

 幾度かの戦を生還して、少しずつ見方を変える領主も出てきた事もまた腹立たしい。歴史ある守護地を統括する者は、由緒正しき血筋の者でなくては。只でさえ、ウェルズ家は豪族が功績を認められて守護伯になっただけだ。本当ならばバリルージャ家のように、王家に連なる家柄が治めなければならない。他の守護地は全てそうだというのに、何故我が西方だけがあんな成り上がりに。


「ええ、ええ、そうですとも。奴は礼儀も知らぬ乱暴者です。姫君のご尊顔を拝むなど到底叶わぬ身分です。今宵の宴も、しきたり上外すわけには参りませんが、奴の手の内に手頃な女はおりませんので、どうぞご安心くださいませ。メイドや下町の娘など連れてこようものなら叩きだしてくれましょうぞ」

「まあ、頼もしいですわ。本当バリルージャ様のお屋敷に逗留させて頂けるなんて嬉しい。ありがとうございます」


 扇子の上からでも分かる喜びを見せられて、アルゴは胸を張った。ここは由緒正しきバリルージャの屋敷。身分卑しき者は一歩たりとも踏み込ませるつもりは毛頭なかった。











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