4魔 西方守護伯付き魔女の報告
毎日繰り広げられるむくむくな筋肉合戦から逃れる方法を、ミルは漸く発見した。一般人か限りなく疑わしい相手への自衛手段。それは静電気を纏うことだ。筋肉達は地味に痛いのは苦手らしく、ミルの身体を無闇に抱え込んで引きずり込まなくなった。但し、ジョンには全く通用しない。静電気どころか、雷撃級になっても平気な顔で豪快に笑っていた時はどうしようかと思った。どうも出来なかった訳だが。
周りを深い堀と高い壁に囲まれた守護伯の城はさながら堅牢な要塞だ。塀を越えると広い空間が広がっている。兵士が集まれるようになっているのと、戦の際に街人達が逃げ込み簡易のテントを準備できるくらい広い。城の内庭は来客用に花々が咲き誇り、丁寧に剪定されているのと比べ、塀の近くになると結構おざなりになっている。
ミルは人通りの少ない雑草の生えた陰で浮いていた。足を組んで宙に浮き、かれこれ小一時間はこのままである。精神集中のついでに術の保持を練習しているのだ。
レオリカが術を使うイメージを思い浮かべる。洗練された無駄のない術式の中に溢れる鮮やかな美しさ。誰もが目を離せなくなる。
お母様のように、艶やかに、美しい、術式。
ぐわっと内側から開いた顎に気づいて慌てて術を解く。動揺はそのまま精神に現れた。体制を維持できずに落下する。
「あいたぁ……」
思いっきり打ったお尻を摩る。これを、今日だけで何度繰り返しているのやら。
「何がいけないのかしら……」
イメージは掴めているのだ。まるで母自身のように苦もなく放たれる美しく鮮やかな術式。同等の技で粉砕しようと試みるも形になる直前に砕かれる。
直接地面に寝転がって空を見上げる。王女では絶対に出来ない格好もミルなら簡単だ。木漏れ日が目に当たり痛みに窄める。片手を上げてくるくる回すと枝だけだった木に葉が生い茂り、花が開く。増えた木陰で光を防ぎ、ミルは深くため息をついた。
ふと騒がしい声が聞こえて身体を起こす。
「天駆ける龍よ、我に制空権を」
素早く呟いた途端、両足に術式が浮かび上がった。
そのまま空を駆け昇り、高い屋根の上に移動して門を眺める。跳ね橋と沈み橋を攻略しなければ渡れない正門が開き、何騎かの馬が駆け込んできた。厩に戻す手間も惜しいのか扉の前まで突進したら、驚いた扉番に押し付けて入っていってしまった。巻き込まれたメイドが手綱を握っておろおろしている。
「どうしました?」
逆さまに現れたミルに、メイドは悲鳴を上げて手綱を離してしまった。
「わ! ちょっと待ってください!」
慌てて手綱を掴んでひらりと飛び乗る。
「僕が連れていきます。それよりどうしたのですか? 随分慌てた様子でしたが」
他の馬を手招きで集める。掌に鼻筋を擦りつけてくるので撫でてやったら嬉しそうに尾を振ってくれた。ああ、可愛い。まだ幼い弟妹を思い出す。
ガイア、リア、お姉様は頑張っています。
メイドの顔には見覚えがあった。来たばかりの頃に部屋が分からなくなって困っていたとき案内してくれ、なかった人だ。確か名前はサラだっただろうか。赤茶色の癖毛が印象的で覚えている。何故か嫌われているらしく、偶に見かけても鼻を鳴らして顔を逸らされてしまう。
今も相手がミルと分かるや否や、ふんっとそっぽを向いてしまった。
「知らないわよ、そんなこと! それよりあなた、レディの前に空中から現れるなんて非常識よ。失礼にも程があるったらないわ」
「そうですね。失礼しました」
自分でもそう思ったので素直に謝る。サラはちょっと驚いた顔をしたが、すぐに鼻を鳴らした。
「では、僕はこの子達を厩番の方にお願いしてきます。皆さん、僕と行きましょうね」
「ハーメルンみたいな事しないでくれるかしら!?」
「笛は吹いていませんよ?」
ぞろぞろと馬を連れて移動していたら、窓から気付いた人々にぎょっとした顔をされた。魔女が居つかないスケーリトン地方では魔術が珍しいのだろう。実際は、小柄な少年が、ぞろぞろ引き連れた馬に満面の笑顔で話しかけていることにだったりするのだが、ミルはちっとも気づいていなかった。
馬を戻して城に戻ろうとしたミルはぴたりと足を止めた。何か妙な気配を感じたのだ。はっと視線を向けると三階の窓辺りに何かがいる。
「インプ!」
爬虫類のような皮膚に羽、鬼のような顔に意外と愛らしい鳴き声。人気のない山ならともかく、人里に自分の意志で現れる事はない。ならば使い魔だ。
「右にシリウス、左に綺羅星、この地に流星の檻を!」
昼だというのに空から白銀の屋が降り注ぎ、インプを囲ったまま地面に突き刺さった。指先をくいっと曲げた動きに合わせて檻が形作られていく。
「やっぱり使い魔……この周辺に魔女はいないって聞いていたのに」
だからミル・ヴァリテが就任したのだ。ガウェインに報告しないわけにはいかない。ミルは再び高く跳躍した。
本棚で遮られた窓をノックすると、剣を抜いたガウェインと目が合った。驚かせて申し訳ないが剣は抜かないでほしい。窓からでもノックしておいて良かった。いきなり入ったら斬られていたかもしれない。
「ミルか。どうした?」
窓越しで聞き取りづらい声に、手振りで入室の許可を取った。
「ちょっと待て、この窓は開かないんだ」
別の部屋から回れとの指示に首を振ると、ミルはするりと部屋に入り込んだ。上半身だけ本棚から突き出した状況に、部屋にいた人々の顔が引き攣る。
我に返ったのは、隣の部屋の窓を開けに行こうとしていたトーマスが一番早かった。
「ミル! ちゃんと文明の利器を使いなさい!」
生まれて初めて聞く類の説教だ。
その説教に、固まっていたガウェインも気を取り直したらしい。ぱちりと瞬きをして、まじまじとミルを見下ろす。
「そうか……そういうことも、出来るらしいな。何だお前、ちっとも半人前じゃないじゃないか」
「いえ、全然お母様にはなれません」
身体を全部入れたところで手だけ引っかかる。檻を考慮するのを忘れていた。すぽんと呑気な音をさせて引き抜く。檻の中でぴぃぴぃと鳴く恐ろしい顔をしたインプを覗き込まれて一言。
「飼いたいのか? ちゃんと世話するなら構わないが……お前、可愛い顔で凄い趣味だな」
「捨てインプを拾ってきたわけではありませんよ!? 使い魔のようですけど、スケーリトン地方に魔女はいないのでは?」
二人は目を丸くした。
「お前以外いないはずだ。少なくとも俺は聞いてない。トーマスもだろうな」
「守護伯であるガウェインが知らないなら、いないはずなんだけど。寧ろ、そうじゃないと駄目なんだけどな」
トーマスは深い溜息を吐いた。
落胤だったガウェインに従わない者も多いのだろう。名家や古い血筋の者ほどその傾向にある。そもそも他の守護地は王家の血筋が治めている。
この西方だけが違うのだ。元々この地を治めていた豪族が戦闘に優れ、王家も下手に所有権を渡せとは言いづらかったのだと聞く。
ガウェインは口角を歪めた。
「本来なら、な。おい、ザルーク、いつまで固まってるつもりだ。帰ってきたばかりで悪いが、仕事だ仕事」
部屋にいた残り一人は、ミルと同世代の赤茶色の髪の少年だった。目をくりくりさせて呆然と立ち尽くしている。今までは突然現れた事には驚かれても、行為自体に驚かれる事はなかった。しかし、ここスケーリトンでは動揺に値する行為なのだろう。これから気をつけよう。自分の浅慮を反省する。
「あの、その方が先ほど随分慌てていらっしゃ……いたようですけども、どうなさ……どうされ……どうしたんですか?」
何度もつっかえるミルの頭を苦笑した手が掻き回す。髪は派手に乱れるけれど意外と心地良いので、今度弟妹にもやってあげようとこっそり決めた。
「なに、先触れもなく王族が我がスケーリトン地方においでになっただけだ」
「ぶっ……!」
「……どうした?」
品無く噴出したミルは激しく咽た。王族に対する純粋な驚きと取ってくれたガウェインは、そんなに驚かなくて大丈夫だと宥めてくれる。
「お、王族ですか」
「そうだ。滞在費はこっち持ちなんでな、戦も続くし出費は痛い。まあ、滞在は守護伯の城ではなく名家の屋敷らしいが。しかし、あまり公の場に現れないミルレオ王女が何の用だ?」
「わたくし!?」
「綿串?」
そうかミルレオ姫がここに来るのかぁ、そうなのかぁ。
そんな馬鹿な。
「いや、あの、え!? いや、そんな事もあるある……ないですよね!?」
「いや、知らないが」
「隊長、それは偽者です!」
凄まじく不敬な言葉を吐いたミルをトーマスが慌てて嗜めた。この場にいる者しか聞いていないとしてもまずい。
「根拠は?」
ガウェインはじっとミルを見た。何かを探っているのか、見定めようとしている瞳には慣れている。こんな真摯な物は珍しいけれど。
だから、ミルは躊躇わなかった。
母は知っているのだろうか。もし知らないならば知らせなければならない。公の場に出ないという事は影響力も少ないが、それでも王族というだけで権力者は従わなければならない。
仮令名前だけであろうと、母を煩わせるわけにはいかない。
「僕はミルレオ姫と面識があります。姫は大事な用事をしている最中なので、旅行なんて余裕はありません。滞在費など出す必要はありません。捕えて、恩賞を貰ってください」
「証拠は?」
「王宮に問い合わせて頂ければ一番早いのですが……到着はいつ?」
ひょいと肩が竦められた。
「既に西方には入っておられるそうだ。早いと明日の昼前には着く」
間に合わない。ミルレオ自身が便りを送って返事を貰っても確実な証拠にならない。ガウェインが自ら確認しなければならないのだ。
「分かりました。では、僕が直接会います」
王家に属する者として、一人の人間として、ミルレオの名は渡せない。それはミルレオのちっぽけな矜持であり、そして、重大な責である。役立たずの未熟者でもそれは変わらない。
ミルは瞳を吊り上げて、まっすぐにガウェインを見た。
私は、王女だ。ミルレオの名で悪事など働いてみろ。
「お母様がお怒りにっ……!」
急に青褪めたミルはがたがた震え始めた。この脅えようは嘘ではない。ガウェインは憐れみに近い感情でそっとその肩を叩いた。嘘で毛穴まで開けるものか。
「分かった。分かったからそこまで脅えるな」
「ガウェイン様!?」
叫んだのはまだ固まっていたザルークだ。魔女が離れて久しいスケーリトンでは魔術を見る機会は早々無い。
「とりあえずお前を信じよう。しかし、ミル。もしもの時はお前を切り捨てるかも知れんぞ。それでもいいか?」
「あ、はい」
けろりと返事したミルに怒ったのも、ザルークだった。
「お前もあっさり返事すんな!」
「いきなり斬り殺さないで頂けたら、僕はそれで結構ですけど」
「何でだよ!?」
「死んだらお母様に殺されるからです」
至極真面目な顔で、ミルはきっぱりと言い切った。
この身はミルレオの物でも、ミルレオだけの物ではないのだ。名も然り。誰にも渡すわけにはいかない。使うのであれば母王の命の元、許可を取ってもらわなければ。
政略の為嫁ぐ決意も、国の代わりに死ぬ覚悟もある。四つ顎との結婚は、かなりの覚悟を必要とするけれど、そうしろと言われたら、ミルレオは従う。
けれど責では死ねても成り代わりの為に消える理由はどこにも無いのだ。
ぐしゃりと一際強く頭を撫でられた。見上げた緑が僅かに歪んでいる。首を傾げる間もなく彼は嘆息した。
上に立つ者は下を切り捨てても守らなければならないものがある。それは古参者ではなく新参者が相応しい。傷も少ないはずだ。だから彼の決断は正しい。
ミルは心の底からそう思っていたが、非難の欠片もない瞳で見つめられた方は堪ったものではない。恨み辛みを受け止めることには慣れていても、純然たる決意を向けられると少々、つらい。そうガウェインが思っていることなどつゆ知らず、ミルはまっすぐにガウェインを見上げていた。
「……お前は全く……小動物かと思えば肝は座ってるな」
これは褒められているのだろうか。
「怖くないのか? 俺は本当にお前を見捨てるぞ」
ミルレオはきょとんと首を傾げた。
「就任して日の浅い者が犯した失態でしたらあまりご迷惑をおかけせずに済むかと。それに……お母様より怖い事は、あまり……」
「ああ……なるほど……」
「見捨てられないよう努力はします。僕はここが好きですから追い出されたら悲しいです。それに、追い出されるのはあちらですから」
金紫に迷いはない。偽者は絶対に暴いてみせる。お母様に殺されないうちに!
身震いは武者震いだったのか恐れだったのか、自分でも判断できなかった。
意気込んで小さく拳を握る様子は、子アリクイが躊躇いがちに身体を広げて威嚇しているようにしか見えなかった。