表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

13魔 西方守護伯付き魔女の初陣Ⅱ






「悪意の遮断!」


 一転集中した陣を五枚重ねて尚、矢が止まらない。最後の一枚に突き刺さった鏃を眼前に見つめながら、ミルレオは唾を飲み込んだ。


「よく止めたなぁ。俺、これ止められたの初めてなんだけど」


 銀青の長い髪に、少し釣りあがった金紫の瞳。グエッサルの茶色い軍服を適当に着崩した、少年だ。

 この薄い身体をした少年を、ミルは見たことがあった。



「男性だったのですね。気づきませんでした」


 逃亡した聞いている偽王女は軽く肩を竦めた。


「胸以外は変えてなかったぜ。ばれねぇ自信はあったんだけどな。王宮でも影の薄い王女様、まさか西方に顔見知りがいるとは思わねぇだろ。ま、いたのは本物だったらしいけど? 本物でいいんだよな? 噂と全然違げぇけど」


 夜会用の服は胸元が開くが、昼のドレスならば露出が少なく、術など使わなくても誤魔化せただろう。少年が少年らしいところといえば、悪戯っぽく笑う瞳のみだ。


「私が本物かどうかはあなたの判断にお任せします。必要なのは、あなたが本物ではないという事実だけですから」


 少年は楽しげに笑った。ミルレオと大して歳が変わらないように見えるのに、声変わりはまだのようだ。高い、少女で充分通用する声だった。綺麗な人形のような外見で口は大層悪いが、今更口の悪さに戸惑うことはない。西で十二分に洗礼を受けた後なのだ。





「退いてください。なれば追いません。ここはウイザリテです。侵略の為の進軍は致しません。ですが、退かぬなら滅ぼすも厭いません。ここは、ウイザリテですから」


 器用に口笛を吹いた少年は、両手を頭の後ろで組んだ。


「かーっこいい。俺、好きなんだよなぁ、この国。兵にも民にもぶれない芯があるから。ま、中には大臣だとかいうおっさんみたいなのもいるけど、皆何かしら国に誇りを持ってる。おっさんのは好いた女に振り向いてもらえなかった腹いせみたいなもんだし? いいなぁ、俺もここに生まれたかったよ!」


 最後の言葉が終わるかどうかの寸前、振り被られた手から銀矢が放たれていた。防御が、間に合わない。防ぎきれなかった二本が陣を抜けた。

 咄嗟に両手で顔を覆う。


「っ!」


 軽さの代わりに鉄の鎧ほどの強度がない上着では防ぎきれない。突き刺さった矢をそのままに、ミルレオは片手を掲げた。痛みと失血で身体の力が抜ける。噛み締めたのは地上で戦う兵士の痛みだ。彼らはいつもこんな痛みの中で戦っているのだ。痛みを受ける恐怖と闘っているのだ。


 揺るがなかったミルレオの視線に、少年は興味を引かれたように見つめた。遠目から見れば鏡が向かい合っているような二人は、一定の距離を保ったまま空中に留まっていた。

 服に溜まった血が流れ落ちる手に光が集約し、黒い刃を生み出した。


「お姫様は戦うの初めて? 俺はね、自分が魔女って知る前から戦ってたよ。なあ、知ってる? この国以外での魔女の扱い。家畜だよ。暗殺夜伽娯楽賭事の殺し合い、何でもありさ」


 放たれた銀矢を刃で弾く。これは反射の勝負だ。大きな瞳で少年の術の反応を見極める。


「勝てなきゃ死ぬんだ。知らないだろ? そんな生き方。なのにあんたら強いんだもんな。負けても死なない勝負で価値を決めてるのに。先代魔女がいるってそんなに違うもんなの? 口伝ってそんなにすげぇの? いいよなぁ、ずるいよなぁ。うん、ずるいよあんたら。どうして俺達を置いて、自分達だけで楽園を閉ざしちゃったんだよ」


 矢継ぎ早に繰り出された矢は、最早刃でも防げない。矢が突き刺さるたびに身体が弾かれたように跳ねる。地上で上がる悲鳴を聞きながら赤い雨を撒き散らす。かろうじて頭をずらして直撃は免れた。痛い。怖い。恐ろしくて堪らない。

 この矢が、あの人達に降り注ぐのが、何より恐ろしい。


 頭に霞が掛ったのは痛みに発狂しないために、脳が勝手に苦しみを遮断したのかもしれない。単に失血で倒れかけているのかもしれないが。

 合わない焦点の中に、鏡のように歪んだ少年の姿が見えた。


「生まれる場所は、選べません。されど、生きる場所を選ぶ事は出来ます。在りたい自分も、共に生きたい人も」


 血が地上を目指して落ちず、空中に留まってミルレオを囲んでいる。少年は怪訝そうにそれを見た。ウイザリテ以外では術は自分で作るしかない。全て火炙りで失われている。


「ここはウイザリテです。魔女で生きたい人の、魔女と生きたい人の為の楽園。ウイザリテの門は望む人に開かれます。それが、あなたでも」

「上手い話には裏があるってママに言われてるから」

「裏、ですか。すみません、今度考えておきます」

「可愛子ちゃんにはもっと気をつけろってパパに言われてんだ」

「河合湖……どこの湖ですか?」


 よく見えないのに少年が笑ったのが分かった。矢が、構えられたのも。


「いいなぁ、あんた可愛いなぁ」


 これ以上の失血は駄目だ。意識を失う。ミルレオは一瞬だけ迷った。生半可の防衛陣でこの銀矢は止められない。少しだけ迷い、防御を捨てた。今の陣を崩すわけにはいかない。


 衝撃と痛みを覚悟してぎゅっと瞑った視界が閉じる直前、バランスを崩した少年が見えた。鈍い呻き声に慌てて目を擦る。血が滲んでよく見えない。

 少年の肩に銀矢が突き刺さっていた。呻いて押さえた指の隙間から血が溢れ出す。


「っざけんなよ。あれこっちの陣営じゃねぇか!」


 矢が飛んできた方角を睨んで吐き捨てる彼に習って視線を凝らす。松明が点滅を繰り返している。異常に気づいた少年も、じっと地上の闇を睨んだ。

 揃えたように燈った松明の中に翻ったのは、砂埃が目立たないようにと茶に染められたグエッサルの軍服ではない。裾が分かれ、闇に溶け込む黒の。


 先頭で次矢を引き絞っている人を見て、ミルレオは全身の力が抜けた。抜けすぎて陣が消えかけて焦る。焦って、その必要はなかったと気づく。陣は既に成ったのだ。




「あ? ……やべ、うちの本陣落とされてやがる。つか、どっから沸いて出たよ、あれ」


 無造作に矢を引き抜いた少年は、再び悪態をついた。その矢は、彼がミルレオに放った矢だ。まだ燻る彼の術で彼の陣を貫いた。みるみる間に少年の身体がぐらつきだす。


「ご丁寧に毒塗ってやがる。性格わりぃなぁ、おい」

「退いては、頂けませんか」


 本陣が落ちてしまえば指揮系統が崩れる。ただでさえ魔物を従えての慣れぬ戦だ。頼りの魔女はミルレオが散らした。魔物は両軍を襲う暴徒と化している。

 少年はひょいっと肩を竦めた。


「いいなぁ。綺麗で強いお姫様。しかも、同じ魔女ときたもんだ。あんたのとこで魔女は当たり前かもしんねぇけど、こっちでは全然違ぇんだよ。魔女ですれてねぇ奴なんざいねぇんだ。だから俺らからしたら、あんたは奇跡だよ。珍しいし、羨ましいし、恨めしい……いいなぁ、欲しいなぁ、あんた」

「欲しいと言われても、私は二つに割れません」


 弟妹が残り一つを争ったお菓子を思い出す。半分に割るか、通りすがった母が摘んでいくかで決着は着いた。

 少年はにこにこしていた。


「当たり前じゃん。だから奪うんだろ?」


 無邪気に言い放った瞬間、背後に人の気配を感じた。ここは空の上だ。視界は開け、術を使っての飛行なら気づかないはずがない。イルと呼ばれていた青年だと気づくまでに少しかかった。穏やかな顔つきをしていたはずの青年は、驚くほどに無表情でまるで別人だ。


「空間、転移……そんな……」


 王宮付魔女でさえ、これほど見事にはこなせないだろう。少しでも着地地点がずれれば身が捩れて死ぬ危険を伴う術だ。現にウイザリテでこの術を扱える魔女はほとんどいない。それを、イルは呼吸するように簡単に使ってしまった。ミルレオは怖じるように両手を胸の前に合わせた。無意識に指輪の感触を確かめる。


「天堕つ、地裂け……」


 術は、発動させなければならない。自身を守るより大切なものがある。王族として、母の娘として。何より、共に過ごした仲間を守るため。優先されるは彼らの安寧だ。それらを守れるのならば、痛みも屈辱も、死さえも厭わない。



「神怒り!」



 イルは何も言わなかったし、何の表情も浮かべない。ガウェインが放った矢を首を捻る動作で避け、淡々と只の動作として腕を引き、ミルレオの腹に拳を叩き込んだ。








 崩れ落ちる姫様の姿に戦場のあちこちで悲鳴が上がった。グエッサル軍は既に軍隊の様相を為していない。逃げ惑いながら魔物に食われている。しかし、悲鳴を上げたのはウイザリテ軍だ。姫様が、負傷して尚戦い続けてくれた姫様が、敵の手に落ちた。


 決死の覚悟で後を追おうとしたウイザリテ兵は、はたと足を止めた。夜空に混じって分かりにくいが、さっきまで姫様がいた場所に何かがあった。軍服の色に似た血陣だ。術者が気を失い、その場を離れて尚、術は効力を失っていない。

 男は始め夜が明けたのだと思った。随分早い夜明けだ。戦いに明け暮れて時間の感覚が分からなかったのかもしれないが、それでも夕方から戦っていたにしては疲労が少ない。

 空は真っ黒だ。夜明けは、地底から現れた。


 大地が割れ、真っ赤な炎が魔物を狙うように湧き出していた。

 穢れの象徴である魔物の血肉は病魔を呼ぶ。死骸は骨まで燃やす必要があった。この数の魔物を放置するわけにはいかない。だからミルレオは魔物だけを狙い、陣を引いた。意識が途絶えても意思が消えないように自分である血液で陣を残したのだ。難しい術で自らの血液を使う為、練習も困難な術だ。集中する為にミルレオは防御を捨てた。


 醜悪な断末魔を上げて滅されていく魔物を呆然と見遣り、兵士達は膝をついた。この数の魔物を討伐するとなると、被害は百や二百ではなかっただろう。


「姫様っ…………!」


 雪幻の妖精。通り名の通り儚げで美しい少女だった。血を流して尚、自分達のような軍人を守るなんて、守ってくれるなんて思わなかった。役立たず。中央から届いた蔑みを鵜呑みにし、会った事もない少女を嘲っていた自分達を。


「立て……立て貴様らぁ!」


 絶叫に近い声を上げたのは、第二軍団長キルヴィックだ。魔物に喰らいつかれたのか、袖が破れて抉れた腕を振り回し、周囲の兵士を怒鳴りつける。


「あれほどに美しい人を奪われてへたり込む気持ちは分かるが、魔女で美女で姫様を奪われて、ウイザリテ軍が成り立つかぁ! 妖精を取り戻せ! 我が国の秘宝、我が国の姫様、我が国の妖精ぞ! 閣下! 許可を! 閣下ぁああああああ!」

「メリッサ、行け」


 静かな声に、キルヴィックの軍馬が彼を乗せたまま突然走り出した。


「メリッサ!? 俺の女神!? どこに行くんだい!?」


 段々小さくなる影を追って、彼の部下達が慣れたように追いかけた。残ったのは呆然とした兵士と第一軍団長ヴァナージュだ。


「あ、あの、メリッサって」

「馬の名前だ」

「なんで、馬……」

「メリッサのほうが賢いからだ。お前達も何かあったらメリッサに頼め」


 怪我はないらしいが、返り血で汚れたヴァナージュは、執務室にいるときと変わらぬ声音で淡々と指示を出した。


「閣下は既に姫様救出に向かわれた。我々は残った魔物討伐と、グエッサル軍を鮫の口まで徹底的に追いやるぞ。徹底的に、末代までの恐怖を持ってしてだ」

「は!」

「……姫様が、御身の防御を捨ててまで与えてくださった好機だ。これを活かせずして、ウイザリテの民を名乗れるか」


 無表情の下でかなり煮えくり返っていたようだ。ヴァナージュの指がぎちぎち動いているのを見た兵士は、静かに頷いた。








 明日からお勉強するのよ。

 立派なお母様。綺麗なお母様。強いお母様。素敵なお母様。

 大好きなお母様になるお勉強をするの。


 お母様になれるのが嬉しくて、楽しみで、夜も中々寝付けなかったのに朝は早くから目を覚ましてしまった。侍女が起こしに来るにも随分早い時間だ。寝直すにも高揚した心は睡眠など求めていない。いつも寝起きする自分の部屋も、時間帯が違うだけで何だか違う。それが余計にわくわくした。


 待ちきれなくて外に飛び出した。


 朝露に濡れた庭園は霞の中で芳香だけが濃厚で、とても神秘的だ。誰も見ていないのをいいことに、好き勝手に術を使う。

 光は丸い方がかわいいな、色もいっぱいあったらきれい、風が裾を揺らすのも楽しい。

 

 くるくる踊っていたら、昨日眠る前に呼んでもらった絵本を思い出した。花の精と人間の王子様の話だ。

 王子様は『きぬのようなきんいろのかみ』で『えめられるどのようなひとみ』で『やさしく』て『つよく』て『かっこいい』のだ。自分は『ももいろのかみ』じゃないから、花の精じゃないけど、いつかはお父様のように素敵な王子様が現れるわよと、お菓子を焼いて髪を焼いたお母様がウインクして教えてくれた。


 一通り遊んで満足した時、誰かがいるのに気がついた。呆然と立っていたのは年上のお兄さんだ。お母様が焼いたクッキーと同じくらい黒い髪だ。

 すごく苦かったし、食べたらじゃがりじゃがりって音がした。お父様は、焼きすぎだねぇと笑って、噛み疲れて熱を出した。マドレーヌの方はばがんって音がした。歯が立たなかったけれど、お母様は変ねぇって普通に噛み砕いていた。宰相のおじさんは歯が欠けた。お父様とお母様は凄いなぁ。

 でもね、お母様。私、お母様のクッキーも、黒い髪の王子様も、好きだよ。






「……お母様…………」


 今覚えばあれはお菓子じゃありません。じゃあ何かと聞かれても困るが、お菓子じゃないことだけは確かだ。強いていうなら、お菓子になりたかった何かだ。



 ミルレオはぼんやりと、木々が覆った空を見上げていた。葉の隙間から零れる星では、ここがどこかも分からない。身体中に力が入らない。身動ぎした瞬間、脳を掴まれたような激痛が走って目の奥が真っ赤になった。指一本動かせない。

 ゆるりと止まりかけた思考を無理矢理回す。そうだ、今は戦闘中のはずだ。戦はどうなったのだ。

 皆は、ガウェインは。





「起きた?」


 無邪気な声がすぐ傍で聞こえてぎょっと視線を向けた。上半身裸の少年は、肩からきつく布を巻いているが、わりと適当だ。止血さえ出来ればいいのだろう。そして、その布には見覚えがある。ミルレオのドレスだ。


「あ、いたた。畜生、致死毒じゃないのはいいけどさ、止血防止薬って……どんだけ性格悪ぃんだよ」


 ミルレオの傷も鏃が抜かれた応急処置が施されていた。止血に使われたドレスが悲惨な事になっている。剥き出しな上半身はミルレオも同じだ。掛けられた深赤色の上着でかろうじて隠れている。足も何だかすーすーするが、確認する力も、恥じ入る気力もなかった。



「……かえ、し、て」


 声が出ない。浅い息を吐く度に熱と思考、大事なものが消えていく。それでも気持ちが止まらない。帰して、私をあの場所に帰して。


「だぁめぇ」


 酷く楽しそうな笑顔が、無邪気に残酷な言葉を吐いた。ドレスを切ったナイフを器用にくるくると回し、いきなり顔の横につきたてられる。脅える気力は、なかった。


「あんた、自分の価値分かってる? あんたの国じゃどうか知んないけど、魔女の知識を持った、俺達からしたら秘術の固まり。あんなでけぇ術、俺らは知らねぇ。そんなのをぼんぼこ使う奴連れて帰ったら、出世間違いなしだね、こりゃ」


 近づいてきた顔と間近で向き合う。血の匂いが濃い。


「しかも、レジェント級の化け物、女王レオリカの娘で現役王女で雪幻の妖精? 連れて帰らない理由がねぇだろ。王族の誰かと番ってウイザリテの血統を手に入れるもよし、俺らとかけ合わせて先祖帰りの魔女を作ってもよし。あ、先祖帰りってのは、あんたらみたいな力持った魔女な。こっちじゃ一人一点集中の技しか使えねぇの。俺はこれだし、イルは転移だし」


 指先に現れた銀矢を楽しげに浮かべ、動けない身体の周囲に次々に突き刺していく。伸し掛かってくる身体が重い。傷口から血が押し出されてきそうだ。痛みや圧迫感より嫌悪感が湧き出してきた。

 疲れきって指すら動かせないのに、肌が粟立って吐き気が込み上げてくる。見た目は麗しい少女なのに、やはり男の匂いがする。以前に顎に伸し掛かられた時以上の嫌悪感だ。

 だって違う。この腕じゃない、匂いじゃない、温かさじゃない。あの時はただ恐怖だった。今は違う。あの人と会わなければ知らなかった拒絶がある。ただの嫌悪感と、この人ならと思った腕と違う嫌悪感は、酷い違いだ。

 粟立った肌に気づいた少年は口角を吊り上げる。長い銀青が首筋を掠めた。



「おや意外。俺、外見はどうにも美少女なもんで、結構際どく戯れても危機感持たれにくいんだけどなぁ。お姫様、可愛いふりして勘がいいね。今の段階だとあんたとかけ合わされる可能性が一番高いの、お・れ。ここで手に入れといたほうが、後々めんどくないかなぁとか思ってる。その方が俺の生存確率も跳ね上がるしね。今はグエッサルで俺が一番強いのよ、これが。でもさぁ、この戦負けただろ? 役立たず認定されると殺されちゃうわけ。殺されなくても、貴族の玩具に下げ渡されるだけ。男に嬲られるより、女嬲るほうが断然いいだろ? だから、ね? これが一番確かで幸せな方法なの。まあ、俺にとってはだけど」


 勝手なことばかりだ。一番悔しいのは、その勝手なことに反撃出来ないこの身だ。抗おうにも指一本思い通りにならない。

 僅かに身動ぎして走った激痛に、少年は場違いなほど優しい声を出した。


「ああ、ほら。動いたら痛いよ。大人しくしてて。俺、あんた嫌いじゃないから、ちゃんと優しくするから。二人で幸せになろーねぇ」

「い……や……」


 ほとんど呼吸に近い声しか出せない。首筋に少年の頭が入り込み、ぞろりとした感触が皮膚を舐める。ひくっと引き攣った反応を楽しそうにあやす手が、剥き出しの足を撫でた。スカートは裂かれているようだ。足にも傷があるのか、撫でられた瞬間痛みに呻く。

 以前は、ただ嫌だった。生理的な本能で嫌悪した。今は違う。あの人でなければ嫌だと思うから、そう思える人が出来たから、ミルレオの全てが拒絶反応を起こしていた。


「あなたじゃ、ない」

「え?」


 動け、動け、動け!

 力の入らない震える身体を叱咤し、呼吸に必要な体力さえも捻り取り、ミルレオは少年の顔に指を突きつけた。詰めていた息を吐いて痛みに耐えながら、ともすれば崩れ落ちる身体を支える。


「私の世界は、あなたじゃないっ……!」


 指先で、小さく弾けただけの静電気。

 けれど少年は飛びずさって距離を取った。




 直前まで彼がいた場所を黒刃が凪ぐ。あっという間に踏み込んだ切っ先が喉元にぴたりと定まった。


「そこまでだ」


 刃を突きつけたガウェインの鋭い声に、少年は舌打ちして両手を上げた。


「ちょっと、やめてくれよ。ウイザリテが鮫の口を超えてくるなんて、侵略行為だよ」


 鮫の口は国境壁より更に西にある地図上の国境だ。

 地盤が緩くて巨大な建物を建設できない理由から、国境壁は奥に作られた。地にぱっくり開いた巨大な亀裂の先がグエッサルである。少年達はそこまで撤退していた。踏み入ることを、ガウェインは躊躇わなかった。


「姫様がおわす場所が俺達の国でな」

「えー、それってずるっこい!」

「は、西方守護軍は満場一致で姫様の僕だ、阿呆が」


 鼻で笑った柄の悪い守護伯に、少年は頬を膨らませた。


「ってか、俺の部下はどうしたのさ、それ」

「魔女と作った国だ。魔女の力を封じる術くらいある」


 掟を破った魔女を牢に入れるにしても術を使われては意味がない。視線だけで促した先でイルは封石を首につけて縛り上げている。少年は口笛を吹いた。


「イルの転移に只人がどうやって追いついたのさ」


 本気で不思議そうな少年の首にも封石を装着しながら、ガウェインは事も無げに言った。


「転移の先にいればいいだけの話だ……ああ、そうだ」


 何でもないように腕を振り上げ、美しい少年の顔に拳が叩き込まれた。思いっきり、手加減などない。まさかこの状態で拳がくるとは思っていなかったのだろう。油断していた少年は吹っ飛んだ。


「ったぁ! 何すんだよ! 顔は俺の取り柄なんだぞ! こんな美人殴り倒すって、あんたどっかおかしいんじゃないの!?」


 吐き出した血唾の中に白い物があった。歯が折れたのだろう。


「この程度で済んでよかったな。本当なら嬲り殺してやりたいところだ」

「駄目だって。この顔は価値あるんだよ? 遠慮なく殴りやがって……ざけんなよ」

「生憎、ウイザリテには本物がおわすからな。紛い物に価値は感じないんだ。連れて行け!」


 吐き捨てたのはガウェインも同じだ。もう構う手間も惜しいとばかりに早々に背を向け、トーマスが診ているミルレオに駆けつけた。



 ミルレオはぐったりと動かない。呼吸も浅く、只でさえ白い肌は血の気を失って死者のそれを思い出させる。赤い血がこびりついた青白い肌に、既にドレスの様相を為していないぼろぼろの服。抱き起こされる時も目蓋すら動かなかった。


「ご容態は」

「体温も低いですし、早く治療しなければ!」


 泣きながら、ドレスの端で作られた包帯を手早く締め直しているトーマスの処置を手伝い、華奢な身体を抱き上げる。腕は落ちるがままに頼りなげに揺れただけだった。


「すぐに撤収する。逃亡兵に見つかると面倒だ。行きとは違う道を使うぞ。ジョン、先導しろ」

「はっ!」


 ミルが見たら仰天するくらい真面目な敬礼だ。ガウェインは一旦預けた身体を乗馬してから再度受け取った。意識を失った人間の身体は重いものだ。なのに少女は心配になるほどふわりと腕の中に収まった。

 剥き出しの肌が多い状態は彼女の上着ではフォローし切れなかった為、ガウェインの上着を被せている。疾走に合わせて銀青が風に忠実に靡いた。


「…………ミル……」


 迷った挙句、一応どっちとも取れる名を呼んだ。血がこびりついた肌が痛々しく、その上で尚傷つけられた華奢な身体。守ってやれなかった自分が不甲斐なく、最後まで諦めずに抵抗してくれた彼女の気持ちがいじらしくて堪らなかった。

 呼ばれたからではないだろうが、緩慢に金紫が開いた。全力で疾走中の馬上で危険な行為だと分かっていながら、ガウェインは覗き込まずにいられなかった。


「ミル!」


 金紫は状況が分かっていないのか、ぼんやり視線を動かしてガウェインを捉える。


「っ」


 ふわりと、花が綻ぶより可憐に、母を見つけた幼子より無邪気に、教会の女神より愛おしげに、笑った。


「閣下!? どうしました!? 閣下!?」


 再び意識を失った身体を抱いたガウェインの横を、同じように疾走していた部下が仰天して声を掛けてきた。


「…………ほっといてくれ」

「いや、耳真っ赤ですよ!? 暗いのに分かるくらい赤いですよ!?」

「やかましい!」


 八つも年下の女の子の尻に敷かれているだけだとは、流石の彼も叫べなかった。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ