1魔 西方守護伯付き魔女就任
フリコリー大陸中に点在する小国は数知れない。三大大国と呼ばれるグエッサル、タペス、ショウジュセール以外は、目立つ特色がないと互いの名すら知らない事も珍しくない。異民族が個々に集落を持ちそのまま国となったからだ。同じ大陸内にありながら文化はもちろん、言語すら違うことがあるくらい、様々なものがごちゃまぜになった大陸内にあって、特に異色を放っている国がある。
三大大国と同じほど知名度が高く、どんなに教養のない人間でも知っているといわれているのに、三大大国の名に数えられない異質の国。
国名を、ウイザリテという。
ウイザリテは、大陸で唯一、魔女が治める国である。
古来より薬や医術に詳しい女は魔女と呼ばれてきた。しかし、ウイザリテにおいてはその範疇にない。実際に魔術を扱う者を魔女と呼んだ。
人はいつの時代も少数の異質を憎悪した。迫害を受けた魔女達は、辺境の地を楽園と定めて集まった。それが今から七百年昔の話である。
建国以来、ただの一度も領土を明け渡した事のない不屈の国を、他国民は魔女の奇跡と呼んだ。
「……………………はぁ……」
屈強な要塞城を前に人生を悲観したのは、こじんまりとした育ちの良さそうな少年である。綺麗に丸い形をした頭は余計に彼をちまっと見せていた。
銀青色の短い髪はまっすぐさらりと風に揺れていくのに、彼の心は雨模様どころか大嵐だった。細い手足は今にも折れそうだし、背中も胸もちゃんと食事を取っているのか心配になるほど薄い。そんな自分の姿に更に深い嘆きが沸いてくる。
小柄な身体の片側には、一人で運べないほど大きなトランクがある。
「………………享年十六歳になったら、どうしよう」
未来ある青少年が、青空を見て絶望するほどネガティブになってしまったのには理由があった。
彼の名前は、ミル・ヴァリテ、を名乗れといわれている。本名は、ミルレオ・リーテ・ウイザリテ。ウイザリテ国の王女であり、稀代の名魔女王と名高い母レオリカ女王の血を色濃く受け継いだ魔女である。
入ってくる前は晴天だったはずなのに部屋の中はどこか薄暗い。壁中を埋め尽くした本棚と貼り付けられた地図が窓にまではみ出して、せっかくの日差しを遮っているからだ。
書類が乱雑に積み上げられた机上の向こうを見られない。びくびくと蝋が押された書状を渡して、ミルレオは一度も顔を上げることができていないのだ。
取り次いでもらう間も上げられた覚えがない。おかげでここから一人で外に出ろと言われたら、埋まりかけた窓から飛び出すしかない。今の時代魔女は箒で飛ばないため、何を足場にしようかと考え出した頃、ようやく机の向こうの人物が声を上げた。
男でも魔女と呼ぶのはどうなんだろうなと呟いてから。
その議論は毎年評議会に浮かんでは、まあ今までこれだからで流され続けているのだけれど、そう告げる勇気はミルレオにはなかった。
「それで……ミルと言ったか。やけに可愛い名前だな。十六歳にしては小さいし……お前、腕はどうなんだ」
青年独特の張りが合って低い声にびくりと肩が跳ねる。別に何かが怖いわけではない。全部怖いだけだ。彼の声には若干怒りが含まれている気がする。ミルレオ自身が脅えているからそう聞こえるのか、判断できる余裕がない。
どこか雪景色を思わせるミルレオの様子は悲痛が溢れていた。これから上司となる黒髪の男の瞳だけは緑だが、獣っぽくて余計に怖い。彼がこのスケーリトン地方の領主であり、西の守護伯を務める二四歳のガウェイン・ウェルズ伯である。若くして爵位を継ぎ、東西南北の守護地の内、西を守りきる手腕は有名だ。
「半人前でございます! 大変申し訳ございません!」
脅えきって必死に頭を下げる小さな身体に、彼は同情が篭った瞳を向けた。
「いや、すまん。お前も被害者だったな。別にお前に怒ったわけじゃない。どうせ成り上がり物に貴重な魔女は割けないとかなんとか上老院が渋ったんだろう。おかげでこの西にだけ守護伯付の魔女がいない。再三寄越せと言っていたからな、いい加減煩くなってきたんだろう。悪かったな、ミル。お前は生贄にされたようだ」
書状を握り潰したガウェインの目は笑っていない。こっち見ていなくても、怒っていたらどちらにしても脅えるしかない。
「ガウェイン!」
視線の怖さを咎めてくれたのは、ガウェインの隣に控えた副官、トーマス・スザリーだ。同じ地に務める彼はガウェインと隊服が同じなので全身黒いけれど、髪と瞳はどこか稲穂を思わせる落ち着いた懐かしい色だ。顔も、ガウェインに比べて天地の差ほど和む。
「いや、すまん。もういい加減上老院とは決着をつけねばなと思っていた所だ。お前はすぐに帰してやるから安心していい」
素直に謝ってくれた相手は、再びぎょっと目を向いた。ミルレオが絶望に膝から崩れ落ちたからだ。
そのまま服が汚れるのも構わずガウェインの足に縋りつく。
「やめてください! わた、いや、ぼ、僕、帰されたらお母様に殺されます!」
「は?」
「僕が何時までたっても半人前なのに業を煮やして、ここで修行して自分がかけた呪いを解いてこいと! それが出来ないなら売り飛ばすと!」
真っ青な顔で震えるミルレオに、二人はぽかんと顔を見合わせた。トーマスが膝を折って身体を起こしてくれる。しかしミルレオはガウェインの足を離さない。
「落ち着くんだ。きっとお母上も、貴方に発破をかけようとしているだけで、呪いだなんて」
「実際呪われているのです!」
「は?」
二人の声が重なった。
「ちなみに、どんな?」
「その……申し上げることは……いへはいほうひなっへほりまひゅへ」
急に呂律が回らなくなったミルレオに、二人は頬を引き攣らせた。呪いは往々にして人に話せないようになっているのだ。
ミルレオには恥や外聞を気にしている余裕は一切ない。その様子が更に憐れみと同情と、話の真実味を上乗せする。
「切羽詰っても呪いが解けないようならそれまでだと。このまま帰ったら魔女の血統を守るために売り飛ばすと。でも、でも、僕、あの方は、どうしてもっ……!」
「で、でも、会ってみたら意外と気が合う人かもしれませんよ?」
あまりに憐れになったのか、会って間もないトーマスが我が事のように必死に慰めてくれる。和む顔の通りの人だった。だが、ミルレオの顔は真冬に薄着で放り出された人間よりも青褪めたままだ。
「でも、あの方、目が二つあって鼻が一つで耳が二つで口が一つで!」
「そうじゃなかった方が困るぞ」
ガウェインが掴まれた足を所在無げに引く。すかさず細い指が縋りついた。
「顎が四つあるんです!」
「うっ!」
「指は一本一本がヤワイモのようで、座った長椅子が圧し折れたんです……。部屋に入るなり……服を……脱ぎ始めて……あれはお腹だったのでしょうかお尻だったのでしょうか既成事実さえ作ってしまえば他には何もいらないじゃないかとは何の事でしょうか一体何事が起こったのでしょうかどうやって逃げたのかは覚えていませんけれど自分の本能を褒め称えたのはあの日が初めてです」
しんっと静まり返った部屋に乾いたミルレオの声が淡々と続く。目も焦点が合ってない。
「……十六にもなって半人前な僕がいけないのですね。だからお母様もお怒りで、そうだ身投げしよう」
曖昧な笑顔で窓を目指したミルを必死に抑えたトーマスは、同じようにガウェインの足を掴んでいた。そして、真っ青な顔で涙を散らしながら首を振る。
従兄弟であり旧知の友である副官と、一応待望の魔女に、両足に縋られたガウェインは、本棚の隙間から窓を仰いだ。
「いい、天気だ」
非常に疲れた声だった。