日常
『ーーーーーーた、すけて、』
ーーこれは夢だ。
『ーーーーたすけて、』
どこまでも深い闇の中、エコー掛かった、小さなか細い声が、頭の中に響く。
目を閉じている。・・いや、開けている。なのに何も見えない。
けれどーー、どこか遠くで、誰かが泣いている。
『ーーゆうしゃ、さま』
小さな声が、
「助けて」
思わず飛び起きた。
「・・」
心臓が、ばくばくと早鐘のように打っている。
突然近くで聞こえた、若い女の声。
夢ーー、
「あ、おにいちゃん起きたよー」
陽気な声につられて振り向くと、くすくすと笑う妹と目が合った。
どうやらリビングの机で宿題をやっているらしい。
台所に立つ母親が、こちらを向いた。
「やっと起きたわね!おそよう」
「・・そんなに寝てた?」
いつの間にか体に掛けられていたブランケットを脇にやり、寝ていたソファから立ち上がる。
窓の外は、いつの間にかもう真っ暗だった。
「いつまで寝てられるか試そう、ってなるぐらいには寝てたわよ」
「りりかがねー、上にのっかっても、おにいちゃんまだ寝てたー!」
妹のりりかと母親が、そう言ってくすくすと笑い合う。
「俺、りりかに乗っかられてたの?」
「だっておにいちゃん、おかあはんがごはんって言ってもおきないんだもん!」
りりかが不満そうに頬を膨らませる。
「・・だからか。お陰で変な夢見た」
俺は悪夢の理由が分かり、少し安堵する。
そして、仕返しとばかりに柔らかいりりかの栗色の髪をがしがしと強めに撫でると、りりかは、「やだー!」と笑いながら抵抗をした。
「あら。どんな夢?」
母親が楽しそうにそう言う。
「めっちゃ近くでタスケテって言われる夢」
「何それ怖っ」
半笑いで顔を歪め、母親は鳴ったレンジから夕飯を取り出す。
そして、俺の前にそれを置いた。
「今日は煮物〜」
「うまそう」
「召し上がれ〜」
「いただきます。そういえば父さんは?」
「今日も残業〜」
リズムよく母親がそう言い、また台所に向かう。
りりかは何が楽しいのか、向かいに座ってにこにことこちらを見ていた。
「おにいちゃん、それまさゆめじゃないといいねー」
「何だそれ、もっと怖っ」
母親が笑いながらそう言う。
俺も笑った。
ーーーー日常。
これが、俺の今までの世界だった。