ひとり
会話は、ノートの隅で、無言のうちに終了した。
数学の真庭先生は、午前中にあった教科の先生達とは違い、席順で指名していく先生だ。風間くんとは反対の、通路を挟んで隣の子が指名される。その子は、しばらく考えた挙げ句、分かりません、と言った。
「まあ、発展問題だし、仕方ないな」
次に、私が指名される。
ノートもとりつつの会話だったから、授業の内容は、全て把握している。もちろん、今問われている問題も。そもそも、先生の話を聞く授業なんて、しばらくやってない。先生が授業で説明することなんて、もう既に習得済みだ。聞いても意味が無いと思った瞬間から、耳をそのまま通り抜けていくようになった。
それにこんな問題、発展と言っても、基本問題だ。
「Y=-X+5」
「正解」
その瞬間、教室の空気が凍り付いた。先生に気づかれないように押さえてはいるが、ほとんどの生徒から、嫌悪感のオーラが出ている。こちらをにらむ目が、「頭がいいって自慢?」「あんなに面倒くさそうに」「俺たちを馬鹿にしてるのか?」「授業にも遅れたくせに」と言っているのは、全員分見なくても分かる。いつものことだ。
無言で、当たり前だが表情を変えずに座る。風間くんは、表情を硬くしていた。なんて顔してるんだろう。私の感情なんて、とっくのとうに捨てたのに。
ノートの隅に文字を書こうとしたのか、シャーペンを動かし、私の顔を見てやめた。私の表情はいつもと変わらないはずだが、どうしたのだろうか。でも、今は、正直そんな疑問などどうでもいい。なぜか、シャーペンを重く感じている自分がいた。
その後、授業の途中に、風間くんがこちらを向いたりすることはなかった。
ほら。なんだかんだ言ったって、やっぱり、みんなと同じように離れていくんだ。
――私は、ひとりだ……。
その日が月曜日で、職員会議のために5時間だったのは、好都合だった。
みんなから解放され、下校中の生徒達と関わり合いにならないように、図書室へ向かう。通いすぎたためにすっかり仲良く(?)なった図書の尾島先生に挨拶して、入り口から一番遠い席に座った。
手さげ鞄から文庫本を出し、静かに読み始める。
「また何かあったの?」
20分しないうちに、本の整理に来た尾島先生に声をかけられた。
「いつものことです」
本のページをめくりながら答える。
「今日は一段と辛そうだけど」
「……そうですか?」
ちらと先生の方を見ると、先生は、本を抱えたまま、下校する生徒達を見ていた。私はまた、本に視線を戻す。
ドアが開く音がして、先生が、慌ててカンターに帰る。
……誰か来ちゃったのか。いいや、生徒もだいぶ減ったし、ちょっとだけ教室で本を読んで、そしたら帰ろう。その頃には、みんな、もう帰ってるだろうから……。
できるだけ音をたてないように椅子を引き、立ち上がる。顔を上げた目の前にいたのは、風間くんだった。