affrettando
『a capella』の続き
「勇者?」
三日月の訝しげな声が響く。ヴァニラも怪訝な顔をしながら椿を見た。
「何年振りだっけ?」
「確か……十年ちょいくらいかな」
「そう、勇者。この『ファンタジア』で勇者が召喚されようとしているの!」
「だから、なんだと言うんだ。アプリコット。」
興奮するアプリコット、三日月、椿を見て一つフッ、という嘲笑の笑い、言うまでもないヴァニラの声だ。
彼女はさもおかしいように笑いだす。
「我等は魔王だ。人間というか弱き生き物が我に刃向かったところで何になる。むざむざ我等のもとに殺されに来る人間がどのような脳みそを持っているか解剖してみてやりたいくらいだ」
「余りにも愉快だな」
だが、とヴァニラは続けた。
「だが、所詮は人間だ。我等には敵うわけがない。平凡で短く質素な毎日を享受しろと願ってやりたいさ」
「ヴァニラ…」
「寧ろ、我に勝てる人間がいたら会ってみたいものだ」
アプリコットは知っていた。彼女は本当は人間が好きだ、ということを、これ以上人間を傷つけたくないと思っていることを。
魔王という立場である限り、人間との衝突は避けられず、寧ろ日常茶飯事だ。
しかし、ここにいる魔王に人間が嫌いな者はいない、逆に好意を抱いている者もいる。
だからこそ、アプリコットはこれを言いたかった。言っておかなければならないと思った。なぜなら…
「ヴァニラ………ヴァニラは人間でしょ…」
一瞬の沈黙、そして怒りを含む覇気が飛ぶ。
「口を慎め、アプリコット。」
言わずもがなヴァニラのものだ。
「次にそのことを言ったら、わかっているな」
びりびりとした空気が辺りに張り詰め、緊張感が高まった。
立ち上がったヴァニラは無言で出口に歩を進め、四人を一瞥した。
「すまなかった、我は気が短くてな」
「こればかりは感情が抑えきれんのだ」
どうぞ続けてくれ、と言いながら彼女は其処を後にした。その声は反省を含むものではなく、この場にいるだけで不愉快とでも言いたげだった。その声とは裏腹にどこか脆く崩れてしまいそうな、悲しみを含む表情をする彼女は珍しかった。
彼女がその場からいなくなったことで緊張が解けた四人。ため息をつく者もいれば、心配そうに出口を眺める者など様々だった。
「なんだよ、あいつ」
「まあ、アプリコットがヴァニラの地雷を踏んでしまったのは確かですし、誰だって自分の過去を掘り返されたら不快な気持ちになるのは当然です」
「まあ、大丈夫じゃない?なんだかんだいって戻ってくるでしょ」
三人がそんな言葉を発している中で、アプリコットただ一人が思いつめたような表情を見せた。
「じゃあ、今日は解散ってことで!」
そんなアプリコットを見かねたのか、いつもは空気の読めない事ばかりしている椿がパンパン、と手を叩き解散を呼び掛けた。
シャオルと三日月が同意の意思を示し、アプリコットもどこか腑に落ちないままゆっくりと頷いた。
『勇者』についてはまた後日、相談することを全員が了承し、ヴァニラのことは椿が任せろ!、と頼もしい声をあげた。
これが後に大きなことを引き起こすことになろうとは、天下の魔王でも予見することは不可能だった。
ぐだぐだ