噂~エレノアの場合1
【噂にご用心
ユリアは立ち止まった。
曲がり角の向こうから、令嬢達の声が聞こえた。
「フランツ様は・・・」
フランツの名に、ユリアの胸がどきりと鳴った。はしたないとは思いつつ、聞き耳を立ててしまう。
「フランツ様は、やはりあの方が忘れられないのですわ」
ユリアは急激に頭から血の気が引いていくのを感じた。あの方とは誰なのだろう。忘れられないとは、何があったのだろう。
令嬢達の声がこびりついたように耳から離れない。
ユリアは、自分がどうしてこんなにも彼のことを考えているのかと不思議に思った。あの日助けてくれたからといって、であって間もない人、ましてや彼は有名人で貴族の末席にぶら下がっている自分などとは住む世界が違う人なのだ。
「・・・もともと住む世界が、違うのよ」
きっと噂のあの方とは、彼の世界の人なのだ。ユリアはそう、自分に言い聞かせた。】
「噂の出所が一箇所ではないようで、完全に打ち消すのは難しそうです」
「困ったわね」
カーラの報告にアイリーンは眉を寄せた。
今、エレノアはジゼルの手伝いで席を外している。
カーラは偶然耳にしたファレルとエレノアの噂について、アイリーンに報告していた。
噂の概要は、第二王子であるファレルがエレノアという侍女を気に入って、外遊に同行させたり自分の推進する計画に参加させたりと職権を乱用しているとのことである。
「一部否定しきれないのが痛いわね」
アイリーンは額を抑えた。
王女の言うとおり、ファレルがエレノアを気に入っていることは事実なのだ。そのためこれまでに彼は、エレノアのデビューの際彼女にダンスを申し込んだり、彼女に持たせる魔法具を目立つ形にしたりと、人目につく行動をとってしまっている。
さすがにセクハラまがいの言動はアイリーンか自分の部屋など安全な場所でしかしていないはずだが。
「昨年の狩りの際に流した噂も裏目に出ていますね」
カーラは冷静に指摘した。
昨年の秋、アイリーンは長年の政敵を倒すべく手を打った。その一環として、自分の主要な守り手であるファレルとエレノアを隣国へ外遊に出し、守りが薄いと見せかけて罠を張ったのだ。
これを相手に信じ込ませるために行った情報操作が、アイリーンと仲違いしたエレノアを、彼女に思いを寄せるファレルが拾ったという噂だった。すでにアイリーンが政敵に勝利した時点で打ち消したものの、今回エレノアがファレル主導の国家計画に参加したことがきっかけで思い出されてしまったらしい。
「そこまで思い出したなら、隣国で治癒魔法を視察したエレノアが、その普及計画に関わるのも当然の流れだと、どうして分かってくれないのかしら?」
うんざりと言ったアイリーンに、カーラも頷いた。
今回彼女が計画に関わるのは、ファレルだけでなくアイリーンから見ても妥当な流れだった。
エレノアはファレルの侍女として随行したが、ただ身の回りの世話をしていたわけではない。むしろ、王国にない治癒魔法の理解のため文献を解読したり、体験した治療について報告をまとめたりと視察で力を発揮していた。仮説に基づいて治癒魔法を試し、一定の効果を上げていたこともあり、計画に必要な人材だと思ったから配置に了承したのだ。
「噂は特に、保守派と、未婚の令嬢の間で盛んに取り沙汰されています。前者は、女性が視察や国家事業に関わるということ自体を受け入れられない層でしょうね」
カーラが言った。ファレルは対外的な場面では極力口を開かずに猫を被っているため、内面を知らない令嬢たちにはたいそう人気がある。しかし今問題なのは、保守派の方だった。
「そうね・・・エレノアを表に出す以上、考えておくべき反応だったわ」
抜かったとばかりアイリーンは唇を噛んだ。
アイリーンは、エレノアの友人として、彼女に恋をしろと命じた。
しかし同時に為政者になろうとしているアイリーンは、エレノアの主として、彼女を女性の社会進出の先陣に立たせた。
行動は同じ、治癒魔法普及計画に参加させたこと一つ。
けれど自分の大望が絡んでいることを自覚しているアイリーンは、ため息と共に吐き出しそうになった罪悪感を無理矢理胸に押し戻した。これを抱えていくのは自分の役目なのだからと。
それからアイリーンは、真剣な目をカーラに向けた。
「カーラにも、きっと同じような逆風を受けさせるわ」
幼い頃からの友人は、余裕すら感じさせる笑みで静かに言った。
「望むところですわ」
二人は他の侍女とも相談し、噂にはむやみに手を加えないこと、ただしエレノアが国内でもっとも治癒魔法に通じている事実を広めることを決めた。
「それからファレルは、しばらく大人しくしているように教育しておくわ」
真新しいスリッパを両手でもてあそびつつ、アイリーンは宣言した。