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愛しのハニー~イアン・ホールデンの場合

「ホールデン様」

「ちがうでしょ、カーラ」

「・・・イアン様」

「それでいいんだっけ?ちゃんと言えるまで、離さないよ」

「もう、いい加減にしてくださいませ!イアン!」

ふふふと満足げに笑って、ホールデンは彼女の腰を解放した。

素速く一歩身を離したのは、つい先日婚約をかわした愛しい愛しい栗色の髪の少女、カーラ・キャンベルだ。

こちらを警戒するように見つめているカーラが、ホールデンには毛を逆立てた猫のように見えて、可愛くてしかたない。可愛くて可愛くて構い倒したくなって、それでまた警戒されるのだが、やめられない。

何しろ、10年以上だ。出会ってから、恋に変わったのがいつかは覚えていないが、こうして手に入れるまでに10年以上。

だから、少しくらい構い過ぎなくらいでも、仕方がないと思っている。

ところが愛しい婚約者殿は、そうは思わないらしい。

「10年私の気持ちを無視してきたというのに、この変わり様は何なのです?」

理解ができないといったあきれ顔をされるが、その少し睨むようにした目がまた可愛いと思うのだから、仕方がない。

「10年自分の気持ちに蓋をしてきたということだよ。だから、諦めてもらうしかないなあ」

「もう・・・私、これからまた仕事に行かなくてはならないんですから・・・ホールデン様?」

「どこに行くの?」

「それはたとえホールデン様相手でも、申せませんわ」

「ふうん?」

そう呟きながら、素速くカーラの身体をつかまえる。もちろん彼女も気配を察してかわそうとしたが、小柄な彼女を長身のホールデンが抱きすくめるのは容易かった。

「ホールデン様!」

「心配だなあ」

言いながらこぼしたため息が耳にかかったのか、そんなささいなことでカーラの耳が真っ赤に染まる。今までずっと迫る側だったくせに、攻められるのは苦手なところがまた、可愛い。

ホールデンはカーラの髪を指でもてあそびながら、言った。

「僕、カーラの心配しないの無理だって言ったよね。何も教えてくれないと、心配で心配で、君のこと外出させたくなくなっちゃうよ?」

それこそ、本当はずっと抱きしめていたい。10以上もある年の差を考えればさらに不安で、彼女を他の奴にとられないよういくら見せつけても縛り付けてもたりないくらいだ。ホールデンはこれまで交際してきた数多の相手には一度も覚えたことのない、胸の苦しさを感じていた。

でも。

「私も申し上げました」

腕の中から、カーラの意志の強い瞳が、ホールデンをまっすぐ見上げる。

「私を一生心配してくださいと。私は、立ち止まる気はありませんわ。一生心配をかけ続けるけれどもそれでも受け入れて欲しいと、そうお伝えしたつもりです」

そう、カーラはそういう子だ。

どんなに長く、強く自分を好いてくれていようとも。彼女は、忠誠を誓ったアイリーンのための仕事を辞めるつもりはない。もともとカーラとホールデンが出会ったのも、侍女として役に立つ力を身につけたいとカーラが切に願っていたからなのだ。カーラは、アイリーンの耳である自分に誇りをもっている。それは、ホールデンが見出して育ててくれた能力への誇りでもあるのだと、恥ずかしげに打ち明けられたとき、彼は愛しさで死ねると本気で思った。

つまり、ホールデンはそんな彼女を丸ごと愛しているのだ。だから、しかたない。家に縛り付けて置くことなど、できない。はなから2人の間では、勝負がついている事柄だ。

ホールデンは、微笑んだ。

「分かっているよ。カーラが思うように生きることは、僕の望みでもある。ただ、心配はさせてくれるんだろ?」

甘えるように額をすりつければ、彼女は困ったように少し俯いて、それから口を開いた。

「今日は、アイリーン様の通そうとなさっている法案に反対している貴族が誰なのか、探りに行くのです」

「それ、夜会で普通に話して回るのじゃ駄目なの?」

「より確かな情報が欲しいのです。私が誰か分かっていれば本音は聞けませんから」

「そうか。あ、じゃあさ、こういうのはどうだろう。僕が年下の可愛い子と婚約したってことはもう知れ渡っているけど、家名はまだ公表していないじゃない?だから、王女の侍女のキャンベル家の娘としてじゃなくて、ホールデンの婚約者として行くのは?」

カーラは普段空気に徹するべく華やかな装いをしていないが、ひとたびその気になって化粧をすると、がらりと雰囲気が変わる。どちらの恰好でも、強い意志と静かな情熱を湛えた彼女の瞳に変わりはないのでホールデンは構わないが、それこそ別人のようなレベルだ。

カーラも、彼が言ったのはその辺りを意図してのことだと分かったのだろう、少し考えるそぶりをみせた。しかし、結局は首を横に振った。

「・・・まあ、侍女の看板を背負っていくよりはましですけれど、ホールデン様が現王派なのは貴族の周知の事実ですから」

つまり、王女の侍女としていくのとあまり大差がないということだ。しかし、ホールデンは自分の思いつきに気をよくした。

「じゃあ、今回は諦めるよ。でも、今後僕が中立派だと思われて、カーラの素性もばれなければ、今の手は使えるってことだよね」

カーラが危険な潜入をする機会を少しでも減らせるのなら、そのくらいの情報操作はホールデンにとってどうということはないのだ。

「とりあえず今日はこれをもっていって」

抱きしめたままだった彼女の首にネックレスをつける。細い鎖の先で、小ぶりの黄色がかった石が揺れている。

「これは・・・?」

カーラが目を瞬いた。

「お守り。大体の魔法使いに対して魔法の気配を消せる。あ、ファレル殿下とハロルドは駄目だけど」

彼等は規格外、と言ったホールデンだが、そのレベルのお守りを作れる彼も十分規格外ではある。

カーラは大事そうにそれを両手ですくい上げて、ありがとうございますと言った。

それからその石を光にかざして、ふわりと笑った。

「ホールデン様の、お色ですね」

その笑顔に、ホールデンは2日徹夜したかいがあったと喜びを噛みしめた。彼女の安全を自分が守れて、その上感謝の笑顔を向けてもらえるなら、どれだけ努力してもいい。

幸せついでに、ホールデンはもう少しだけ婚約者のエネルギーをいただくことにした。

「ところで、さっきまたホールデン様って言ってたよね。これはお仕置きだなあ」

「ちょっと!待っ・・・」

こうして『空気のカーラ』と称される王女の侍女は、さらに空気にとけ込む力を得たが、やがて彼女の真の活動の場は徐々に『中立派』貴族イアン・ホールデンの隣へとうつっていった。

若く華やかなホールデン夫人は、年の離れた夫に溺愛されて単独で公の場に現れることはなく、そして王女のそばにはこれまで通りカーラ・キャンベルという空気のように印象の薄い娘が仕えた。ホールデンや周囲の人間の情報操作もあり、あまりにかけ離れた2人の女性をつなげて考える者は現れなかった。

やがて世間に、ホールデン夫人とカーラ・キャンベルが1人の女性だと知れ渡るのは、アイリーン女王の御代が盤石なものとなり、2人の間に新しい命が宿る、数年後のことである。

久々に更新させていただきました。

カーラは、いろいろと吹っ切れたホールデンによって溺愛されます。そして、数年後に生まれる子どももまた、ホールデンに溺愛されます。

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